玉響に散る



「わたしはそなたに、惚れてもいいか?」


夕日がそなたの泣き顔を優しく照らす。

どちらのものかも分からない涙が、一つ二つと血溜まりに落ちた。

飛騨鷹比等の娘、容赦姫として生まれ落ち、その名を捨てた後も"奇策士とがめ"としての生を全うしたわたし。ただ"とがめ"として生きてきた。"とがめ"と為り"とがめ"で在り"とがめ"に死す。その人生を選んだのは紛れも無いわたし自身だったのに。今はそれがただ虚しい。

心も、気持ちも、情も、駒。

その言葉に偽りはない。

二十年以上も周りを欺き、己を欺き。本当の性格すら忘れてしまった。そんなわたしのすべてが本物なわけがない。わたしが名前だと言える確証さえないのに、どうして偽りじゃないと言えるだろうか。わたしが"とがめ"として生きていくための駒じゃないとどうして言えようか。

"とがめ"のように尊大に振る舞い"とがめ"のように奇策を練り"とがめ"のように己の刀に惚れている、振りをした。あくまで振りだった。なのに気付けば、この男に本当に惚れていた。

"とがめ"が惚れたからじゃなく、名前わたし自身が心から、惚れた。名前と、わたしを呼ぶその声に、顔に、心に、刀に、惚れた。

そのことを、死ぬ直前の今になって分かってしまったのだ。本当に馬鹿な女だ。

体から力が抜けていく。その顔に沿える力もなくなった血塗れの手は重力に従って急降下する。悲しみと悔しさに歪むそなた。最期に、活字でも台詞でもない、わたし自身の言葉を遺せたならば、どんなによかったことか。


「好きだよ、七花」


なんて。今さら悔いても、もう遅い。

ぱしゃん。赤い飛沫が視界の隅で上がる。霞み逝く意識の中で、幸福と後悔を胸に、わたしは永遠の眠りについた。



***



「名前さま。此度はご卒業おめでとうございます」
「これはご丁寧にどうも」


媚びた顔。御機嫌伺い。

聞き飽きた社交辞令を笑顔で返しながら溜め息をつく。どうやら、わたしの奇運は死んだ今でも健在らしい。何故こんな面倒な生い立ちを二度も経験しなければならないのか。嘆息を飲み込んでなお面の皮は厚い。着慣れぬ質感、それでも懐かしい重さの十二単を身につけて貴族たちの化かし合いに身を投じる。

あれから数十年。何の因果か応報か。わたしはとある貴族の一人娘として再び生まれた。

死神。正常な霊魂をあの世へ誘い、邪悪な霊魂を昇華させる。魂の調節者。それはわたしがまだただの名前であった時に読んでいた漫画と似通っていた。というか同じだ。ああまたか、と頭を抱えたのは記憶に新しい。

わたしが生まれた家は代々優秀な死神を輩出している家系らしく、わたしも死神になることが生まれる前から決まっていた。そして現在、死神になるために入学させられた真央霊術院を卒業し、護廷十三隊の入隊式を待つばかりの状態だ。

が、貴族連中とはお気楽なもので、とりあえず死神になれるのならお祝いをすべきだと勘違いしている。おかげでこのような狐狸魍魎どもの化かし合いに参加せねばならなくなったのだ。

わたしの不運さを恨むべきか、我が家の位の高さを憎むべきか。

考えても栓なきことだ。とりあえず今は保留にして当たり障りのない対応に勤しむことにしよう。


「おめでとうございます名前さま。わたくしのことは覚えておいででしょうか」
「ええ、存じていますよ。先月の、」


ああ、早く終わってほしい。



***



椛去かざり名前。それが新しいわたしの名前だ。

椛去家。数千年の歴史と上流貴族の中でも群を抜く位を持つ、由緒正しき死神の家系。教育係から女中、果てには両親にまで口癖の如く聞かされた内容を簡単に言うとそういう家なんだそうだ。

誰がしが何番隊の隊長だったとかこんな手柄を立てたとか曾祖父が鬼道の達人だったとか。まるで自分のことのようにべらべらと喋る大人たちを見てわたしは育った。そう言っても過言ではない。

それほどまでに皆が椛去の名を誇りに思っていて、またわたしにその誇りを押し付けるのだ。


「破道の三十一、赤火砲!」


掲げた掌から煌々たる焔が生じる。

長年の修練でやっとこさできるようになったそれはお世辞でも手放しで喜べるようなものではない。はっきり言って並の並だ。


「相変わらず火遊びのような鬼道を使うのぅ」
「……夜一さま」
「夜一でいい。いつもそう言うておるじゃろ」


いつの間にいたのか。庭の塀の上で胡座をかく夜一さま……夜一はニヤニヤと相変わらず愉快犯のような笑みでわたしを見遣る。

悪かったな火遊びで。内心毒づいてみたが決して口には出さない。なんせ彼女は四楓院家の当主さまだ。たとえ古い付き合いで、尚且つ血が繋がっていようとこんな誰が聞いているとも知れない屋外で言えるはずがない。

夜一は夜一でそのことを分かっていてわたしに呼び捨てを強要してくるのだ。性が悪いというかなんというか。わたしがジト目で塀の上を見上げても気づかない振りをして取り留めのない話を続ける。


「もう名前も死神か。あんなにちっこかった童女が早いものじゃの。おっと、今もちっこいままじゃったな。失敬した」
「こんな夜中にいきなり人の家に来て言うことか。わたしは修行中なのだぞ」
「ほう、おぬしも言うようになったな。じゃが、修行というよりはやはり火遊びだ。……破道の三十一、赤火砲!」
「あ、こらっ!」


わたしが静止を叫ぶ前に猛々しい巨大な焔の玉が暗い夜空に放たれた。夜の暗闇が一瞬で昼間の明るさを取り戻す。これが隊長の力か、と思う反面、やられたと頭を抱えたくなる気持ちだった。


「なにすんじゃーっ!」


護衛の目をかい潜って屋敷から抜け出してきたのに、こんなことをされては騒ぎにならないはずもない。現に屋敷の明かりがちらほら見えだした。

本当に、この猫は……!


「毎度毎度わたしが嫌がるようなことをしおってからに! そなたはどこぞの悪餓鬼かっ!」
「はっはっは! そう言うおぬしのほうこそ毎度童女のような反応ではないか。儂の誘いを断った仕返しじゃ」
「なっ、そなたまだ根に持って、」
「おお、そろそろかの」
「何を……」
「名前さまーー! また抜け出しましたねーー!!」
「げ」
「今度は仕事場で会おう、名前」


さらばじゃ、と瞬歩で姿を消した夜一。


「平が隊長になんぞ会えるわけなかろうがぁあああぁあぁ!!」


後ろから迫ってくる女中の声を背に、わたしは思いの丈をぶちまけた。

今度会った時はずっと敬語で畏まってやろうと固く誓った、入隊式の前の晩のこと。



***



季節が一巡し、またこの時期が来た。

通達通りの時間より少し前に壇上に上がれば、緊張した面持ちで真新しい黒衣を身に纏う新入隊員たちの顔がよく見えた。桜の花弁と僅かな砂埃を運ぶ暖かな風が吹く。今日はいつもよりも体調が幾分良い。春を感じさせるその光景を微笑ましく思いながら式の始まりを待つ。


「今年はどんな奴が入ってくるんだろうな」
「あんまり期待できないと思うけどねえ」


自然と緩んだ頬をそのままに、上機嫌の独り言を呟けば、当たり前のように横から返事が飛んでくる。十三番隊隊長、浮竹十四郎は心底不思議そうに目を瞬かせて隣の八番隊隊長、京楽春水に問いかけた。


「それはどういう意味だ?」
「今年は引き潮だってことだよ」


引き潮。つまりは不作だということ。

この千年と続く護廷十三隊の歴史において、入隊式も同じく幾度と執り行われてきたのだ。隊士の質にムラがあるのは仕方ないと言えよう。


「それでも、こうして新しい部下が増えるんだ。いいじゃないか」
「浮竹らしい……まあ、気になる子がいるにはいるんだけどね」
「気になる、子?それはいったい、」
「そこを通っても、よいかな」


凛とした声。

豊満な胸を揺らし、隊長羽織りの袖に手を隠して澄ました顔を張り付けている。ツンと上を向いた形の良い顎がいつもよりも不機嫌そうな印象を与える二番隊隊長、四楓院夜一がそこにいた。


「あ、ああ、夜一か。今年の二番隊はどうだ? いい新人が入ったかい?」
「……厭味かの」
「へ」
「いや、ぼちぼちじゃ」


変わりない口調の中に隠しきれない刺々しい感情があって、浮竹は苦笑いする。覚えはないが、どうやら夜一の気を損ねてしまったらしい。

自身の立ち位置へと歩いていく夜一の背を見送っていると京楽がぽつりと言葉を漏らした。


「従姉妹殿は随分と気が立っているみたいだね」
「従姉妹? 何のことを言っているんだ京楽」
「そりゃあ、今噂の新入隊員ちゃんに決まっているじゃないか」


楽しそうな笑みを浮かべ、笠を直す京楽に浮竹は首を傾げた。

それが今朝のこと。

夕暮れ時の十三番隊隊舎。今朝の入隊式の会話を思い出しながら、浮竹は目の前の死神と向き合う。


「椛去名前君」
「はい」


長く真っすぐ伸ばされた白髪。こちらを見つめる蘇芳の瞳。それらを持つ目の前の死神は隊長である浮竹に臆することなく言葉を返した。


「君を十三番隊第十五席に任命する」
「謹んで辞退させていただきます」


即答か。浮竹は思わず苦笑してしまう。


「理由を聞いてもいいか」
「わたしは席官になれるほどの才能を有してはおりません。せいぜい平隊員がお似合いでしょう。浮竹隊長がどのようなお考えでわたしのような者を席官にと推していただけたのかは存じ上げませんが、お受けすることはできません」
「手厳しいな」
「隊士として当然の言葉かと」


貴族としては異常な言葉だ、という感想を浮竹は喉の奥に押し留めた。

今年の真央霊術院首席卒業者は鬼道も剣術も並。智略謀略でのし上がってきた策士である。そのような噂を京楽から聞かされていた。例年の首席卒業者なら、確固たる信念の元で総隊長直轄の一番隊や貴族が多く所属する六番隊などに入隊を希望する。それなのに彼女は、名前は、一流貴族に名を連ねるにも関わらず、下級貴族である浮竹の下に就こうというのだ。加えて貴族の顔を立てるために送る席官の地位すら要らないと言うのだから、変わり者以外の何者でもない。


「若輩者の身ではございますが、十三番隊の末席を汚す者として平によろしくお願い申し上げます」


自身と同じ白髪を畳の上に踊らせるほどの深々としたお辞儀。目にも眩しい項に目を細めて、浮竹は首をかく。

これは大変な新人が来たものだ、と。

後に酒の場で、十三番隊の入隊理由の一つに夜一への嫌がらせだと聞かされて言葉を失ったのはまた別の話。



***



冷徹無慈悲。貴族の中の貴族と名高い彼の麗人、朽木白哉にも初恋というものが存在した。

それはまだ彼の姿が十を過ぎた少年であった頃。とある貴族の宴で見かけたことが彼と彼女の出会いであった。


「椛去名前と申します」


年頃の貴族の娘にしては酷く素っ気ない挨拶だった。

目の覚めるような見事な白髪を高々と結い上げ、椛去の紋である椛舞う鮮やかな朱の振袖を纏った女。切り揃えられた前髪が幼い風貌を加速させているにも関わらず、そこから覗く蘇芳の瞳が、妙齢の女の理知的な何かを秘めている。そのアンバランスな雰囲気が、そこはかとない色気を多いに含んでいた。

何故だか強い印象を心に残した幼い白哉が、再び彼女と再会するのに時間はかからなかった。

お決まりのように夜一が修行中に現れ、遊ばれ、始まる鬼事。その行き先は、必ずと言っていいほどその女、名前の元であった。ある時は自室。ある時は仕事場。ある時はどこかの屋敷。

彼女は彼らがやってくるたびに呆れたような溜め息をつき、夜一を叱り、白哉の頭を撫でる。四大貴族朽木家次期当主、朽木白哉の立場や性質、柵のすべて知ってなお子供として扱ってくれるのだ。

初めは慣れない温もりに眉をしかめ、侮られているのだと憤った。やめろと強い口調で言えば名前は素直に従った。それがどうにも気に食わず、結局夜一にバラされる形でまた頭を撫でられることになった。何故、こんなにも彼女の手が心地よいのだろう。乱暴ではない代わりにそっけなさすら感じる撫で方。それでも貴族特有の嫋やかな手が髪をすくと、得も言われぬ痺れが背筋を走る。

自覚するまで時間はかからなかった。


「おぬし、名前に惚れたのか? ん? ん?」
「な、貴様、何故そのことをっ!」
「ふふん、この儂にかかれば白哉坊のことなど何でも筒抜けじゃ。それにしても、あのようなわんぱく童女が好みだとはのう。おぬしはもっと淑やかな女を好くものとばかり思っておったが」
「きっ、貴様、何を言っている! 名前殿はどこから見ても淑やかな姫君であろう!」
「はて……?」


一瞬首を傾げ、間を置いて夜一の高笑いが響いた。何故笑うのだと、散々怒ってまた始まる鬼事。その行き先である椛去邸の名前の自室に辿り着いた白哉は、幸か不幸か現実をまざまざと突きつけられることになる。

いつものように夜一を叱り、淑やかな姫君の足捌きで茶と菓子を用意させようと部屋から出ようとした瞬間、名前の足が敷居の出っ張りに蹴つまずく。

あ、と声を出した時にはもう遅い。敷居に蹴つまずいたとは思えない飛躍力と滞空時間。呆気にとられる白哉とは正反対に、夜一はニヤニヤとした顔を隠さずその光景を見物していた。


「ぎゃふんっ!」


その日、朽木白哉の初恋は終わった。



***



何年経っても、何十年経ってもわたしは成長しない。どれほどの功績を立て、どれほどの結果を残しても、この浅打が名を明かしてくれることはただの一度もなかった。

前の生で培った奇策のすべてを注いで築いた地位は、隊を渡り幾つもの進退を繰り返してついに二番隊の第三席にまで登りつめた。わたしの家名にかけた『飾りのお姫さま』なんて蔑称もたまに耳にする程度には権力とコネを使った結果だ。夜一が追放された後、隊長に据えられた砕蜂と金にがめつい大前田の下に甘んじることしばらく。ついに自分の番が来たのかと自嘲した。


『いひひひひひひひ! うめえうめえうめえ! 久しぶりの死神どもの血肉だあ!』


目の前で食い殺されていく何人もの部下たち。辺りに舞う血飛沫の量がその人数の多さを思い知らせた。

何が悪かったのか。わたしの奇策が悪かったのではない。部下たちが悪かったのでもない。わたしが悪かったのだ。部下たちの反感を知りながらそのままにしていたこのわたしが。わたしの奇策を信じず行動し食われていった彼ら。それらを策に組み込まずに作戦を実行した。すべてわたしの責任である。

そして、


『お前、弱そうなくせにそそる霊圧してんじゃねえかあ!』


その責任を取る前にわたしはまた殺される。

その場に残ったわたし一人に虚が口を近付ける。所詮ただの刀にすぎないわたしの斬魄刀は、ただの虚一匹すら倒せない。


「またこれは、本当、どうしようもない」


死神の尊厳を持って、この絶望的な場面でも刀を抜かなければならない。鞘から刃を滑らせる高い音が耳から背筋を伝って姿勢が伸びていく。

死ぬのは初めてじゃない。既に二度も経験したことだ。ならば、大丈夫。何がどう大丈夫かなのかは定かではないけれど、それでも、わたしは言い続ける。

大丈夫。大丈夫。大丈夫。

この虚ならばすぐ死ねるはず。前世では長々と痛い思いをしたから、今度は一瞬で消えてなくなりたい。


「また諦めんのかよ、名前」
「諦めるとはなんだ。潔いと言わんか馬鹿者」
「馬鹿者って、久しぶりに会えた刀に対する言い草かよ」
「うるさい、わたしは今それどころではないのだ」
「なんでだ? 今こそやるべきことがあるんじゃねえのか」
「何を、やることがある。わたしは今からこいつに屠られるというのに」
「だから、それを諦めるって言うんだよ」
「なにおう、」

『なあに一人でくっちゃべってるんだあ?』


生臭い息が顔にかかったことで現実に引き戻される。白昼夢でも見ていたかのようにぼやけた視界が大きく開けた。


『幻でも見たかあ? 夢でも見てたのかあ? そんなに俺が怖かったのかあ? いひ! いひひひひひひひ!』

「お前が練る奇策は、ここで諦めるような柔なもんだったってことかよ」


夢? 白昼夢? そんなわけがない。こんなにも絶望が満ちた戦場の中、夢を見るほど奇策士は呆けていない。

わたしは奇策士。弱きが強きに一矢報いるため、すべてを賭して編み出す特別な物。まさに、今がその時ではないのか。

構えていた斬魄刀の切っ先を地面に向ける。ゆっくりと瞼を伏せ、感情という感情を平らに慣らす。己の深淵を、広く見据えるように。

言え。早く、その言葉を、その名を。

懐かしい声が、大きな掌が、逞しい胸板が、わたしの五感すべてに訴えかける。体中を血液の如く巡っていた霊気が心臓に集まり、戻り、実感する。


「虚ろに流せ、七花」


わたしの刀が帰ってきたのだと。


「呼ぶのが遅いんだよ、名前」


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