世界が崩れていく。

暗いばかりの宇宙にパステルカラーの折り紙でできた星が吊り下げられて、紙吹雪があちらこちらで舞ってはどこかへ消えていった。誰かの笑い声。唸り声。泣き声。怒鳴り声。悲鳴。哄笑。無味乾燥な何かが淡々としゃべる。うるさい。涙が目を覆う。手で押さえれば疑似的な暗闇が視界を隠した。やめて。お願い。声にはならない。音になんてできるわけがない。聞こえたらきっとあの子が悲しむ。私のことなんかを気にかけてくれる優しいあの子。最後に交わした言葉はなんだったかしら。何が正しくて、何が正解で、何が正義だったのかしら。手のひらに残る赤があの子の生きた証だとしたら、それは何て、何て惨い。


『まどか』


またね、まどか。きっとまた、あなたに会いに行くから。だから、お願い。


『さよなら、名前ちゃん』


私を見捨てないで。



***



大方の予想通り、突然の停電とグールによる襲撃は候補生エクスワイア認定試験のための仕組まれた事件だった。電気が復活して、屍を追って出て行った奥村燐が戻ってきたところで、見計らったようにあの男が天井裏から飛び降りてネタばらしをする。してやったりという顔が一瞬こちらを見てすぐに逸らされた。たまらなく腹立たしい。この狭い部屋のことなんてすべてお見通しだろうけれど、努めて先生方に連れられていく杜山しえみに注意を向けないようにした。あの悪魔にこれ以上弱味を握られるのは、どうしても避けなければならないのだから。


「お前って、しえみのことそんなに嫌いじゃないだろ」


強化合宿を終えて数日後の祓魔塾で突然、奥村燐が話しかけてきた。一切あいさつすらするような仲でもないというのに、突拍子もない内容が面と向かって降ってきた。思わず、持っていたカバンを落としかける。


「なんで友達になりたくねーのか知んないけどさ、別に馬鹿にしてるわけでもねーし。昨日もしえみのことチラチラ見てたのは心配だったんだろ?」


この男にはデリカシーというものはないのかしら。

とっさに相手の腕を掴んで廊下に出る。オイだの待てだのうるさい奥村燐を無視して適当な鍵で別の部屋に移動。あの男が不在の屋敷の、人通りのまったくない部屋に連れて行き、すぐさま腕を離して向かい合った。


「それで用件はなに」
「どこだよココ……」
「質問をしているのはこちらの方よ。何の用」
「用っていうか、さっき言っただろ。お前ツンツンしてておっかねえけど、まろまゆみてぇに嫌な感じはしねーし」


まろまゆって誰よ。


「なんでそんな嫌なヤツのフリしてんのか知んねーけど、しえみは良いヤツだからさ。……トモダチじゃなくても、フツーに話すくらいはしてやってくれよ」


奥村燐は、そう言ってから耐えきれないと言わんばかりに頭をかき混ぜた。あまり頭の出来は良くなさそうだから、自分が伝えたいことを上手く伝えきれているかこんがらがっているのだろう。それでも彼は、的確に私の中の嫌な記憶をかき立ててくる。

『トモダチ』それは、杏子が命を賭したモノ。

美樹さやかの為れの果てに身を捧げた魔法少女。あの時、杏子が死ぬ必要は微塵もなかった。それでも美樹さやかに同情して、自分を重ねて、好ましく思ってしまった彼女は止まらない。彼女には誰かのために自分が犠牲になることを選んでしまうような生来の人の好さがあった。それが美徳であり、致命的でもある。指摘したところで杏子は否定するだろうけれど。

いつかの杏子の表情が、目の前の奥村燐と僅かに重なる。まただ。祓魔塾に通い始めて、また誰かに彼女たちを重ねて見てしまう。もはや呪縛にも近いあの時の記憶が脳裏を過って、喉の奥が言いようのない渇きを訴えた。

ああ、もう。


「友達に、似てる、の」


杏子の馬鹿正直が、今さらうつるなんて。


「杜山しえみを見ていると、まどかを思い出して……辛い、の」


だってもう、会えないから。

自然と続きそうになった言葉に、自分で驚いて口を閉ざす。会えない、ですって? なんで私が断言するの? 私はまどかに会うために、こんな不本意なところで不愉快な男に付き従っているというのに。なんでそんな、諦めたようなことが口から出ていくの。


「だからってしえみに八つ当たりすんのは違ぇだろ」
「……言われなくても分かっているわ。もう、杜山しえみとは関わらないから」
「分かってねぇじゃねーか!!」


怒鳴られた瞬間、自分が今まで何を言っていたのか気付いた。靄がかかった意識がクリアになって、滑りそうになる唇を縫い合わせるように強く噛む。


「分かっていないのはあなたの方よ。そんなに杜山しえみの友達を作りたいならあなたがなればいいじゃない」
「それじゃ意味ねぇんだ! アイツがほしいのは女子の友達っつーか!」
「それこそあなたたちの都合でしょう。私を巻き込まないで」
「だああああッ!! ああ言えばこう言いやがって!!」


手を忙しなく動かしながら奇声を上げる奥村燐。他人が騒いでいるのを見て、やっと普段の冷静さが戻ってきた。何も、真面目に答える必要なんてなかったのよ。


「そもそもこれは杜山しえみの問題で、あなたが口を出すことじゃないでしょう」
「そりゃそうだけどよ」
「それに人目がある教室で、個人的な話をされても困るわ」
「うっ」


バツの悪い顔で冷や汗をかいているあたり、頭が悪いだけで性根が腐っているわけではないのだと思う。耳が尖っているだけであのあの男を思い出したけれど、今はあまり嫌な気持ちにはならなかった。その代り、少しだけ話すことが億劫になった。杜山しえみとは違う。誰かに重ねる以前に、優しい人との会話ほど気を遣うものはないから。


「そろそろ戻りましょう」
「あ! そういや今何時だ?」


奥村燐は時計を見せると大袈裟に慌てて見せた。この部屋の扉にも鍵穴はあるから教室まで数秒で着くのに。無駄に急かされるのを無視してゆっくり祓魔塾の廊下に出る。お向かいにはいつもの教室があって、廊下の右手からちょうど奥村先生が教材を抱えてこちらに来るところだった。


「おや、奥村君に暁美さん。お二人そろってどうしたんですか? もう授業が始まりますよ」
「雪男! 実は、」
「すみません、今入ります」
「あ、おい! 待てよ!」


待たない。関係ない。

足早に教室に入った瞬間、偶然に杜山しえみと目が合って、すぐに逸らした。



***



「兄さん、暁美さんと何話してたの?」
「あー、しえみのことでちょっとな」
「しえみさんの友達の件なら人選ミスとしか言いようがないよ」
「うっ、うっせえ! 俺だって分かってるよ!」
「はあ」


兄さんは分かってないからそんなことが言えるんだ。

ネイガウス先生につい先日襲撃されて死にかけたというのに、兄はいつも通り能天気に祓魔塾であくびをかいている。そんな兄が、あの暁美さんとどこかで二人きりになっていたという。慎重に慎重を期する僕の気持ちなんて、兄さんは分かってもくれないんだ。


「そういや雪男、お前ってアイツと同じクラスだよな?」
「え? ああ、そうだけど」
「じゃあ、まどかって名前のヤツ知ってるか?」
「……なんだって?」


それは最近、フェレス卿から聞いた彼女の探し人、鹿目まどかの名前だった。

今までフェレス卿に養女がいるという噂は聞かなかった。日本支部の最高責任者の屋敷に祓魔師でもない十代の少女が住んでいる。可能性としては彼女も虚無界の関係者、つまりは悪魔だということ。もしくはフェレス卿の企みに加担する者だ。だが、彼女の動向を見守る限りただの塾生以上のことをしていない。むしろ山田君や宝君のような非協力的な生徒よりは真面目に見える。だが、それは本当にいいことなのだろうか。

同じクラスで遠目に観察している限り、彼女は塾での態度と同じく一貫して一人を好んでいる。あの小柄な体躯を姿勢よく椅子に固定して読書を続ける様子は、顔の造形も相まって人形のように無機質に見えた。そういえば彼女の使い魔は人形ガラテアだったと聞いた。これは何か関連があるのかどうか。

怪しいと思うことはある。それでも決定的なものではない。彼女は人間だ。悪魔が聖銀をカプセルに入れて持ち歩くわけがない。確かに香った独特の臭いは僕が持ち歩いている聖銀のソレと同じだった。それもとびきり上等なものだ。フェレス卿が惜しみなく提供したと考えると、よほど彼女は好かれているのだろう。その点は少しだけ同情してしまった。


「暁美さんは、そのまどかさんについて何て言ってたの?」
「ああ、しえみに似ているらしいぜ!」
「あとは?」
「うぇっ?! う、うーん……」
「兄さん?」
「……忘れちった! めんご!」
「兄さん……」


大きな溜息。軽い頭痛を覚えて眉間を揉むと、心外だと言わんばかりに兄さんがブーブーと口を尖らせる。けどすぐに変に真剣な顔をして暁美さんのことを話し始めた。


「なんつーか、アイツって寂しいだけなんだと思うんだよなあ」
「寂しい?」
「そのまどかってヤツの話してる時、苦しそうな顔しててさ。そんだけアイツが会いたがってるってことだろ」


早く会えたらいいよな、って。

屈託なく無邪気に笑う兄さんは昔と変わらない。二人で捨て猫を拾って、内緒で育てようとしたところを神父さんに取り上げられて、結局他所に里子に出された時。泣いている僕の隣で笑顔で手を振るあの兄さんが。お別れする悲しさで泣く僕と違って、引き取られる猫の幸せを素直に喜べる兄さんが。自分より他人のことを優先できてしまう兄さんの強さが、僕は羨ましくて悔しかった。


「おい雪男! 始業のベル鳴ってるぞ!」
「あ、ああ、今行く」


教室の扉に手をかけた兄さんが不思議そうにこっちを振り返る。

その瞬間、ふと、あの日の暁美さんの後ろ姿を思い出した。


『悪魔? なんで風呂場に、』


候補生認定試験を兼ねた強化合宿初日。ネイガウス先生が差し向けた屍が女子の風呂場に侵入したあの日。神木さんたちの悲鳴の出所を突き止める前に、暁美さんは既に二人が風呂場にいることを知っていた。いや、それだけなら二人の会話を聞いていれば分かる。だが彼女は既に悲鳴の原因が悪魔であることを把握していた。それはおかしい。この学園がフェレス卿の結界によって中級以上の悪魔の侵入を防いでいることを優秀な暁美さんは把握しているはずだ。それなのに真っ先に悪魔の可能性を提示するなんて不自然すぎる。

考えられるのは、彼女が知っていたということ。その日に悪魔の襲撃があること、ではなく、悪魔が侵入できる基盤がこの学園にあること。フェレス卿がそれを使って何かを企んでいることを。

それじゃあ、やはり暁美名前は……。


「それでは悪魔薬学の授業を始めます」


また一つ増えた懸念。頭を悩ませる僕を無視して、塾生全員が候補生に昇格したという知らせがフェレス卿から届けられた。


嘘つきプッペに涙は不似合い
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