羽の夢
「……はあ」
その男はただひとり、気だるげな溜め息を吐いてそこに立っていた。
あらゆるものを一瞬で無意味に変えてしまうような、そんな深い闇を孕んだ溜め息。それは見ている側が逆に息を呑んでしまうほどに、その男の様相にしっくりと馴染んだ。
「……天才というものは、随分とまあ、輝かしいものですよね」
男は小声で呟く。
「才能とか、素質とか、天命とか、人の手から離れた場所で固定されたものを骨組みに、周りを努力で肉付けして実体とする。そういうのを天才っていうのでしょうね。僕にとっては羨ましい限りです。なんて、素敵なんでしょう。なんて、いいものなんでしょう」
いえ、悪いものかな。
ダム ダム……
気だるげな動作で手の中のボールが手のひらと地面を行き来する。枯れ枝のような指がしなやかに表面を撫でる度、まるで鞠付きでもしているかのような、ゆったりとした動作に似合わぬ動きをボールが披露する。指と同じく、触れれば折れてしまいそうなほど頼りない細腕に、まるで自ら懐いて戯れるかのように繰られていく様が妙に鮮やかだった。
その魔法か魔術かと言わんばかりの時間、男の顔は終始変わらない。ただただ青白い顔を凍てつかせてぼんやりとこちらを見遣るばかり。それだけでのことで、決して彼は下を見ようとはしない。道端の草をわざわざ視界に入れてやるような感心など、端から持ち合わせてすらいないのだ。
「でも、」
男は小声で呟く。
「僕にとっては一押ししただけで、一撫でしただけで、ここまで簡単に崩れ去ってしまうものでもあるんですよね。脆くて、弱くて、ありふれている。ここまでくるとさすがの僕だって羨望を通り越してしまいます。正真正銘、罪悪感が湧いてくるくらいには」
ダム……−−
ドリブルを放棄されたボールが、狙ったよう彼の足元から遠ざかって行く。
すると、つい先ほどまで暗がりのようだった足元に新たな存在が浮かび上がった。赤、青、黄、緑、紫の頭を持つ少年たちが、彼らが、青白い足の周りに倒れ伏す光景。一歩踏み出せばぶつかることが必至の足元には目もくれず、男は逃げていくボールを見つめていた。そして、初めてその顔に表情らしい表情を作ったのだ。
「見たところ、あなたは天才ではないようだけれど、天才にはなれないようだけれど、僕にはどうでもいいのです。どうでも悪いのです。だから、ねえ……黒子テツヤ君」
薄い唇に歪んだ三日月が浮かび上がる。
生まれてきてはいけなかった化物は、恐怖に顔を染め上げる彼の影に微笑みかけた。
「あなたは僕を殺してくれますか」
「なに、これ…」
緊迫した空気の中、呆然と声を漏らした相田リコ。声に出さないものの、皆一様にその試合を信じられないもののように見つめていた。
WC一回戦。
その試合は、特に注目するものではなかった。毎年IHに出場している名門校と今大会初出場の無名校の試合。ただ目当ての試合の開始時間より早く来てしまったという理由で、誠凛バスケ部はその試合を観戦することになったのだ。
最初に彼らが来た時には既に第3Qが終了しており、点差は順当にトリプルスコアで無名校が負けている。もう試合は終わったも同然だろう。誰もがそう思ったその時に、その選手は投入された。
背丈は小さく、その体躯はまるで少女のように華奢で頼りない。筋肉というものが全くついていない手足が細長い影を作っている。それらを覆うのは透き通るような白い肌で、遠目でも分かるほどに青白い血管が浮いて見えた。
不健康。その一言に尽きる。
スポーツとは無縁そうな印象しか受けない少年が、絶望的なこの局面でコートに踏み入ったのだ。
「今更、選手交代って遅すぎないか?」
「温存でもしてたんじゃね?」
「えー?温存するにしたってあんな不健康そうな奴使うかよ」
「確かに。体も温まってないっぽいし」
周りで上がる不思議そうな声。中には馬鹿にする者もいた。けれど
「そんな……っ」
ただ一人、黒子だけが、驚愕の表情を浮かべて声をあげた。その選手を食い入るように見つめて、冷や汗を流す。
「どうした黒子」
「知り合いか?」
誠凛の面々はただならぬ黒子の表情に心配そうに尋ねる。普段なら顔色一つ変えない彼が大袈裟なほどの反応を示した。それだけで驚愕するには十分なことだったからだ。
「……彼は、中学時代に対戦した選手です。見た目通り身体が弱くて、ほとんどベンチに座っていたのを覚えています」
「はぁ? じゃあアイツ何で出てきてんだよ。もう勝負を諦めたってことか?」
「いえ、そうじゃない。そうじゃないんです」
怪訝そうな火神の言葉に焦りを滲ませた声が否定を繰り返す。その間も、視線だけはセンターラインに立ち尽くす小さな体を逃さない。
「確かに彼は1Qもコートに立っていることはできません。しかし、彼はーー」
ビーーーー
ガコン
「え?」
それは誰の声だったか。
会場は静寂に包まれて、観客席どころかコート内でも声を発する者はいない。ただ、ゴールネットを滑り落ちたボールが虚しくバウンドするだけだった。
誰も今何が起こったかすぐには理解できなかった。ただ、第4Q開始のブザーと共にセンターサークルから片手でノーマルシュートが投げられただけ。それだけだったにも関わらず、誰も反応することなどできなかったのだ。
「……はあ」
小さくため息をついた、この不健康そうな少年に。
しばらく瞠目した誠凛の面々が、先ほどの続きを促すように黒子に視線を向ける。
「……彼は、出場したたった数分の間だけ、キセキの世代全員を圧倒したんです」
その試合は、第4Qに出場したたった一人の選手が121得点したことによって勝負を決した。
***
これは彼らがまだ中学生だった頃の話。
桜井良には誰にも言えない秘密があった。
淡い水色の可愛らしい弁当箱を持って昼時の屋上に足を運ぶ。普通なら生徒の溜まり場になっていそうなそこも、前日の雨のせいか水浸しでどこからか飛んできた草木で散らかった惨状で人の気配はなかった。
誰もいない。一人きり。でも、もうすぐ二人になる。
そんな緊張が弁当を持つ手に伝わる。中身は普段作るキャラ弁に違いはないが、ラインナップは野菜を中心とした油っこくないものをチョイスした健康的なものである。それは、特定の誰かを思って作ったと一目で分かるものだった。
桜井良の秘密、それは報われない恋をしていること。
「良くん」
「へ、ははは花宮さんッ!!」
背後からかけられる声。屋上の扉が開かれる音はしなかった。足音も、気配も。もともと生気溢れる人ではないと分かっていても、あまり気の大きくない桜井には心臓に悪いものだ。
「花宮じゃなくて名前でいいのに」
拗ねたようにゆっくりと伏せられた目蓋に緑がかった黒いまつ毛が釣られて下を向く。同色の長めの髪が湿気を含んだ風にさらされてふわふわと揺れ、滑らかな頬が剥き出しになった。血管の浮くような白い肌や枯れ木のような手足は不健康さそのものだったが、その人物の儚さを引き立てることには一躍買っているのだろう。
花宮名前。桜井と同い年の彼は、桜井にとっては王子様でありお姫様であった。
誰にでも物腰柔らかで丁寧、まるで王子様のような対応。それでいて病室のベッドから窓を眺めるのがとてもよく似合う薄幸さ。誰かに守られるために生まれてきたのでは、と思えてしまう華奢で繊細な作り。少女漫画から抜け出してきたのだと幻想を抱いてしまうほどに、彼は理想的な人物だった。
しかし、事実とは残酷なもので、彼は決して少女漫画に登場するような薄幸の美少年でも騎士に守られるお姫様でもなかった。
彼の暴力的なほどの才能はチームメイトまでもを恐怖させ、プレイ前後にその薄い唇から吐き出される鮮血と猛毒は柔い少年たちの感性にはグロテスクなほど強烈に刺激する。それは桜井も例外ではなく、つい最近までは同じ部活にいながら接点は試合中にしかなかったくらいだ。
それが、何故ここまで彼に心を奪われることになったのか。
「あ、の、えっと、っ名前!さん!」
普段なら、遠慮して言えなかったであろう名前の名前を桜井は叫んだ。
珍しく驚いた名前が目を見開いた先には、耳まで真っ赤に染め上げた桜井の顔。見ているほうが赤面してしまいそうな茹で上がった顔いっぱいに照れの感情を浮かべた桜井は、バッと頭を下げ弁当を名前の目の前に掲げた。
「良かったら、お弁当、食べてください!!」
顔は見れなかった。普段の、他の部員に向ける無感動な目で見られていたら桜井は生きていける自信がなかった。
というより、これは失敗だ。桜井は今日、告白しようとしていたのだ。中学卒業までいくばくもないこの時期、お互い違う高校に行ってしまうからと、当たって砕ける覚悟でこの弁当を作ったというのに、ここにきて意気地ない自分が酷く恨めしい。
「ふ、ふふふ」
「は、花宮さん?」
「ふふふふ、」
くすくすと。上品に笑う声が頭上から降ってきて桜井は顔を上げる。そこで、名前は笑っていた。稀に見る屈託のない笑顔だった。無論、桜井はその顔に見惚れていた。まるで少女のような可憐さだった。
「良くん、お弁当渡すだけなのに必死すぎだよ」
「え、あ、だって、花宮さんに渡すものだし」
「また呼び方戻ってる」
「あ、あ! 名前さん!」
咄嗟に言い直した桜井の様子に、まだ笑いを収めないままに名前は言う。
「僕、料理はそんなに得意でないから、良くんの手作り弁当はとても嬉しいし、尊敬するよ。ありがとう。大事に食べるね」
嘘だ。
そう口から出そうになった言葉を桜井は押しとどめる。嘘も本当も入り混じった言葉だと、既に知っていたから。
花宮名前は天才だ。だいたいのことは自分でできるし、できなくとも教われば二三回で物にできる。化け物のようだと言えば聞こえは悪いが、人間離れした才能はまさにその通りなのだろう。
けれど、だからこそ。彼が心底、努力する人間に対して様々な感情を持っていることを桜井は知っている。知ってしまったのだ。努力することへの憧れ、善望、嫉妬。彼は、名前は紛れもなく人間であり、自分たちと変わらない少年であるのだと。
だから、桜井は彼のことが好きになったのだと。
「名前、さん」
「はい?」
「高校生になっても、また会ってくれますか?」
だから、この想いは報われないかもしれないけれど、捨てたくはないのだ。
「もちろん」
その言葉で、一つ頷くだけの仕草で桜井の心は満たされていく。
「その時は今日言えなかったことを言ってくれるかな、良くん?」
「え!!?」
そんな捨て台詞を置いて屋上から出ていった名前。桜井はさっきの比でないほど顔を赤く染めながら、彼に勝てる日は来るのかと頭を振った。
「おい名前……って、お前が長々とスマホいじってんの珍しいな」
「真くん、勝手に見ないでよ」
「へえ、桜井って桐皇のSGか。変な繋がりだな」
「自分に友達いないからといって僕の交友関係をチェックしないでくれないかな」
「バァカ、俺にだってトモダチくらいいるっての。つか、それ本当にお前の友達かよ。舎弟とか駒とかじゃなくて?」
「そっくりそのままお返しするよ、WC予選敗退のゲス眉毛くん?」
「殺す」
名前:花宮七実(デフォルト)
最凶主人公。天才の一言では表せない神童であり人外。刀語の七実姉ちゃんをモチーフにしていますが知らなくても大丈夫です。七実姉ちゃん同様、最強で最凶。趣味草むしり(意味深)です。体が弱く、なんで生きているのか分からないほどにいろんな病気を併発していて運動をするとすぐに血反吐を吐く虚弱体質。高校生になって体できてきたから試合時間も長くいれるようになったけどせいぜい1Qくらい。
名字から分かるように花宮君の従兄弟です私の趣味です。花宮君とは仲良いような悪いような。でもバスケを始めるキッカケは花宮君なのでそれなりには特別な関係だったらいい。学校は花宮君直々に霧崎第一以外と決められてたけど(才能<病人のお守りが面倒)。
この人入れたら誠凛そっちのけで優勝してしまう可能性があるのでオリジナルの学校に所属してます。でも桜井君とは同中でした。天才で冷たい印象の主人公に心のどこかでは怖がっているけれど、オールマイティでSGも普通にできちゃうあたりに負けず嫌い発動して主人公に珍種扱いされればいい。もしくは普通にボーイズラブってくれても可。
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