天使さまのいうとおり



染めたとは思えないキューティクルが天使の輪っかを作る金髪。カラーコンタクトを入れた人工的な青の大きな瞳。薔薇色の頬を持ち上げれば天上の泉に住まう天使か女神のような神々しさ。アコースティックギターを小さな体で抱えて、公園の噴水前で拙い歌を奏でる唇が酷くいじらしい。

仕事帰りに車から公園へと下り立った男にはまさに目にも眩しい光景だった。肌寒さが目立ったてきた秋の終わり。寂しさと虚しさを覚える夜の淡い街灯を受け、その存在は見れば見るほど浮世離れしていたのだから。


「なんという歌か、教えてもらっても?」


涼しげな顔立ちに違わない普段通りの態度、を装いながらも、彼は声の震えを抑えきれてはいなかった。少なからず動揺した胸の震えを隠しきれるほど、その時の彼の感情は穏やかではなかったのだから。

そんな彼の問いかけに、彼女は小さく頷いた。顎を引くような最小限の動きに合わせて揺れる金髪が美しかった。


「あなたの名前を、教えてくれたらね」




***




珍しい名字だとは思っていた。

弥と書いて"あまね"。たいていの人間は読み仮名がないと難儀する。記憶の中には毎年クラス替えのたびに自分の番でつっかえて読み方を担任に聞かれるのはもはや通例だった。そのせいか、一度説明すればいろんな人間の印象に残りやすいという利点もあった。何年の弥さん。何組の弥さん。それだけでほとんどの人間が顔を瞬時に浮かべられるらしいのだ。我ながらすごい名字に生まれたものだなと、その時名前は妙に感心したのをよく覚えている。

…………現実逃避はこれくらいにしておこうか。

スリッパを履き、ビニール製の手袋を嵌めた手が慎重にマグカップの残骸を拾っていく。新聞紙に順調に集まっていくそれらが気に入っていた花柄だったことが心底悔やまれる。生来の猫舌のためにある程度冷ましていたから良かったものの、一口も飲まなかったカフェオレが床にぶちまけられている様子は、平時ならば彼女のもったいない精神を大いにくすぐったことだろう。

目視できる破片をすべて集め終え、ティッシュと雑巾でカフェオレを拭い、最後に掃除機で見えない破片を吸い尽くす。その間名前の顔は酷く真剣で、悪く言えばさめざめとした暗雲を帯びていた。

そうして元の状態に戻った床を眺めてため息をつく。それは達成感や充足感などでは決してなく、むしろ悲壮感さえ滲んでいるようでもある。ついでにキャラクターもののマグカップにカフェオレを淹れ直して再び適温まで待った。時間は過ぎていく。確認しなければいけないことも、まだそこにずっと存在し続けている。

スリッパを履いたまま毛の長いカーペットを踏んで、サイドテーブルにゆっくりとマグカップを置く。そしてつい数十分前に乱暴に投げてしまったリモコンを手に取り、恐る恐る電源ボタンを押し込んだ。

流れるのは昼のニュース。主婦向けのワイドショーにしては緊迫感を与えるテロップには、先日怪死した無差別通り魔事件の容疑者についての考察を論じるものだった。


「音原田、九郎」


名前はその名前を知っていた。別に知り合いというものでもなければどこかで名前を見かけたというわけではない。その名前は、彼女が生まれるずっと前から"識っていたのだ"。


「デスノート」


弥海砂。

そう呟いたきり、彼女は混乱の渦に投げ込まれた。久しぶりの休日すべてを棒に振るほどに、彼女はその中でずっと溺れ続けた。



***



「何かあったのか?」


艶のあるテノールが怪訝そうな音を乗せて耳まで届く。手元の鴨肉にナイフを通していた名前は、僅かに釣られてその顔を盗み見た。

全面ガラス張りの窓から大都会の夜景を一望できるタワーレストラン。ドレスコード必須の高級フレンチを目の前にして、名前は彼と向き合っている。白く涼やかな面差し。この世のすべてを理性の感情で見通すような無温の眦。長めの黒髪は常人であれば手入れに気を遣うだろうに、彼に関してはその心配すらなさそうなほどつやつやと淡い光を反射している。

奈南川零二。若くして某企業の幹部まで登りつめたという彼と彼女の関係は、友人知人という枠組みには決して入らない。


何せ彼は、名前の名ばかりの愛人なのだから。


弥名前はミュージシャンである。約二年前に京都から上京して、現在は短期の音楽学校に通いながらも事務所に所属、そして来年にはプロデビューが待っている。そう、それは音楽家という不安定な世界の中で奇跡と称されるほどの大抜擢だ。彼女の将来性が揺るがないものかどうかはさておき、一曲でも飛べば成功と言われるその業界に若くして足を踏み入れられる栄光を、彼女は既に掴んでいる。まさに希望に満ち溢れた人生だと他者は羨むだろう。

しかし、彼女がここまでの躍進を遂げたのは、偏に奈南川の存在があってこそだった。

ちょうど上京して半年経つ頃、名前の両親は強盗に殺された。彼女の家はそれなりに裕福な家庭であり、外観からも金銭に余裕のありそうな雰囲気を出していたから狙われるのは道理であろう。

当時、名前は失意のどん底に立たされていた。

生まれてこの方、箱に入れて飾るように育てられて来た。それはそれは、愛されて来たのだと分かるほどものを与えられて来た。そう分かっていたからこそ、彼女は嘆き、悲しみ、そして絶望したのだ。


驚くほど早く両親の死を"克服してしまった"自分に。


自分には親への情がないのか。今まで感じていた温かな気持ちは全部嘘だったのか。よくない思考が彼女のアイデンティティを奪って行く。両親が働いて稼いだ金銭で与えられた部屋、服、学校生活、すべてが居心地悪いものに変化した。そうして息苦しさを感じつつ学校に通い、自身の借りている部屋に寄らずに近所の公園で勝手にギターを弾き鳴らす。そうやって現実逃避を図ることでしか名前は自分を慰められなかったのだ。

そんな時、名前に声をかけたのが奈南川だった。

あの時、あの場所で。妙に綺麗な顔の男に逆ナン紛いの言葉を投げかけたのはヤケだった。この男になら遊ばれても不快じゃないだろう。そんな軽い気持ちの言葉だったのに、彼は名前を高そうなレストランに連れて来て食事を奢り、今のように相談を聞いてくれたのだ。

自身も仕事の疲れを残しているだろうに、彼は真摯に名前の話を聞き、黙って頷いて、諭した。


『そのような感情を持った時点で、君はご両親のことをちゃんと思っているのではないか』


その言葉は、今でも彼女の心に残っている。大切に箱に詰め、リボンをかけて、大事に胸の奥深くで保管されている。少なからず、それは彼女のアイデンティティを補う手助けをすることになったのだから。彼がいなければ名前はプロどころか歌手になろうという気概すら湧かなかったに違いない。

それ以来、名前は彼を信用しているし、奈南川は彼女を一定の頻度で食事に誘っている。たまにホテルに連れ立っって行くことはあれど、することといえば添い寝か膝枕。そのことを考慮して、"便宜上"愛人。そんな生々しい爛れた関係とは思えないほどの清い仲を、名前は心底気に入っていた。

相手がどう思っているのかはさておき。


「何かあったんだな」


答えないまま再び鴨肉を切り分ける作業を開始した名前に、奈南川が溜め息混じりに声を重ねる。


「良ければ私に話してくれないだろうか。いつもみたいに」
「それは、いつも感謝してますよ。でも、今回はまたちょっと厄介で」
「厄介? それはいったい……」
「ごめんなさい、まだ自分でも整理ついてないんです」


何も聞かないでほしい。その気持ちを察することができるのが奈南川の頭の良さだ。


「相変わらず、君はミステリアスだ。いくら話を聞こうとまだ本質が見えてこない」


もう一つ溜め息を吐いた彼の顔は決して呆れてはいなかった。ただ、自嘲するような、寂しそうな笑み。彼が浮かべるにはあまりに人間臭く、何より優しい表情だった。

それを目の当たりにした名前は気まずそうに鴨肉を口にする。まろやかな舌触りと歯で解れていく筋繊維に集中することで心の靄から目を逸らした。


彼女の秘密は、食事に華を添えるにはとても不粋なものだったから。



***



「君をこ、殺してっ僕も死ぬ!!!」


酷い吃音の男だった。細く頼りない手足を震えさせ、冷や汗を身体中の穴という穴から垂れ流している。名前が冷静にその姿を観察すればするほどその様子は深刻になっていく。これではどちらがどちらを殺そうとしているのか分かったものではない。


「ぼ、僕は本気だぞ! きき君があんな男の物になるくらいなら、僕が、僕が!!」


震えるたびに月光に照らされた包丁が揺ら揺らと光る。わざわざこのためだけに新しいものを買ったのかと思ってしまうほど、それは研ぎ澄まされた光だった。


「……私が、奈南川さんの物になるくらいなら?」
「ひっ、う、僕はっ!」
「私と彼がもし、愛し合っていたとしたらどうするつもりなんですか?」


揺ら揺らと定まらなかった光が唐突にピタリと止まる。切っ先は言わずもがな、名前の柔らかな丘の間を狙って上向いていた。


もし、これが予定調和だとしたら。


名前は考える。弥海砂の代わりとして生まれてしまった身として、ちゃんと思考する。

もしこれが弥海砂の運命だとしたら、弥名前はちゃんと受け入れなければならない。


例えその結末が、死でも生でも。


「僕はっ! う、うあああああああああ!!!」


名前は勤めて冷静に、その光が自分に向かってくる様子を見つめていた。

そして、その場で体勢を崩した男の姿も。

その男は驚くほど不自然な格好で包丁を取り落としたかと思えば、そのまま身を翻して夜の闇へと消えて行った。さきほどの震えはどこへ行ったのかと不思議になるようなしっかりとした足取りを眺めることなく、名前は天を仰ぐ。


何秒、何分と経てば、そこに白い影が浮かんでくることもまた、彼女は既に分かっていたのだから。


「よろしく、天使さま」


それは誰に向けた皮肉だったのか、それだけは誰にも分からなかったけれど。


名前:弥海砂(デフォルト)

弥海砂に成り代わった子。容姿は海砂そのまんまだけど性格から服やら男の趣味まで全く違う。メイクもナチュラル思考なせいで多分見た目もちょっと違う。メンタルは並だったはずなのに自分が海砂に成り代わったと分かった瞬間SAN値が跳ね上がった。ちなみにオタクではないけど軽く漫画は読んでいる。デスノートは漫画全巻読破済み。

デスノート、引いては死神が関係するまでが本来の弥海砂の運命だと考え、その通りに流されはする(といっても気付いてからストーカーに襲われるまでの数ヶ月のみ)が、レムと出会ってからは好き放題するつもり。自分一人なら速攻デスノートを燃やす子。でも原作通りなら奈南川が殺される運命を知ってるためどうにかしようと画策。本人は親愛だと思ってるけど実は異性として無自覚に好き。相手はもちろん奈南川さんです。

この後はレムと友情(?)を育みながら遅かれ早かれLと接触。仲間ではないけど協力者みたいな付かず離れずな関係で一緒に月を追い詰めていく予定。個人的にLとは悪友みたいな感じになってほしい。目標はL生存で万々歳だけど「なんでこいつに助けられた」と拗ねてもらいたい。

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