月に叢雲花は咲く
"I was born with a silver spoon in my mouth."
直訳すると"私は銀の匙をくわえて生まれてきた"となる。いきなりなんなんだと思ってしまうかもしれないけれど、正しく訳せばこれほど私の現状に当て嵌まる文章はないだろう。死んだ覚えもないまま赤ん坊になって、そのまま記憶を持って成長してきた、この状態に。
「名前お嬢様、旦那様がお呼びです」
「分かりました」
"私は裕福な家庭に生まれた"
裕福、の一言で片付けられない規模だけど。
城のような屋敷、丹念に手入れされた庭、バランスよく配置された数々の調度品、柔順に仕事をこなす使用人。
その中で私は息を殺して育った。
子供とは言え権力者の血を引く私には、一般人だった頃には味わったことのない息苦しさがついてまわった。私が生まれた家の名は絶大だ。たいていの大人は私に取り入ろうとしてくるし、子供たちは親の言い付けで私と仲良くなろうと近づいてくる。
私だって中身は高校生だ。最初のうちは相手をしていたけども、だんだんと疲れてきて、結局おざなりな態度になってしまう。
「名前ちゃんは怖いけどね、一緒に遊ぶとたくさんお土産をくれるんだ。だから、仕方なく遊ぶの」
影で言われている内緒話でその台詞はよく聞いた。帰りにメイドが持たせるお菓子やアクセサリー。子供たちはそれを目当てによく私の家に来たいとせがむ。
小さい子供の純粋な欲望が決定打。
しばらくして私は学校に行かなくなった。
「お父様、名前です」
「入りなさい」
失礼します、と扉を開くと柔らかな笑顔を浮かべたお父様がそこには立っていた。
お父様に会うのは久しぶりだ。
金持ちの主人、といえば傲慢で厳格な偏見があるが、お父様は違った。確かに仕事の時は厳格で怖い雰囲気を漂わせているけれど普段はひょうきんな人だ。私が学校に行かなくても何も言わずにそっとしておいてくれる。もしかしたら見放されただけかもしれないけど、それでも楽になったことには変わりない。
「お父様、なにかご用でしょうか」
「ああ、名前に会わせたい人がいてな」
背を押されお父様の横に並ぶと、目の前には知らないおじ様が立っていた。お父様とは比べものにならない引き締まった筋肉が手や首から見える。仕事関係の人ではないことが一目で分かった。
「トラ、娘の名前だ。名前、挨拶しなさい」
「名前と申します。初めまして、おじ様」
「名前ちゃんかあ。初めまして」
ニカリと太陽のように笑ったおじ様。久しく見ていなかった類の表情。ただ純粋に眩しいと思った。
彼はいったい何者なのだろう。
「オレは相田景虎。名前ちゃんのお父さんの友達だ。それでこっちが、」
相田さんが一旦言葉を切る。視線の先…彼の後ろからひょっこりと顔を出したのは私と同じ歳くらいの可愛らしい女の子。
「オレの娘のリコたんだ!」
初対面の時、リコは私に笑いかけた。
「名前はリコちゃんと遊んできなさい」
お父様の言い付けで私はリコちゃんと自室に追いやられた。
一人で使うにしては広すぎる部屋。高級すぎる家具。見る物すべてが珍しいのかリコちゃんはしきりに見渡してはすごいすごいと連呼している。
それを聞く度に私が苛立っていることも知らないで。
「ねえ名前ちゃん。何して遊ぶの?」
期待の篭った目を向けて私を見詰めるリコちゃん。
大方、なにかすごい遊びでもするんだと思っているんだろう。金持ちの家ということもあって必要以上に想像が膨らんでいるはずだ。
だから、私はその期待を裏切るようにいつもの行動に出た。
「じゃあお絵かきしましょう」
「え?」
「お絵かき。私、スッゴく好きなんだ」
すべて棒読みで言い切った私にリコちゃんは予想外だと言わんばかりの顔をしている。心の中では心底落胆していることだろう。
何を考えていたのか、しばらく頭を傾げた後にリコちゃんは元気な声で返事をした。
「じゃあリコもやる!」
それからは長くつまらない時間だった。私じゃなくてリコちゃんが。私はもくもくとクレヨンでお絵かきをするし、リコちゃんの言葉も生返事で流すし。マシだったのはおやつの時間くらいだろうか。とにかく私の部屋は静かだった。
「リコ様、お父様がお帰りになるそうです」
「はーい!」
二時間くらい後。リコちゃんは帰ることになった。
「リコちゃん、これあげるね」
「なあに、これ?」
帰り際に画用紙を一枚渡す。不思議そうに開いたリコちゃんは大きな目を真ん丸にした。
「リコちゃんだよ」
クレヨンでぐちゃぐちゃに描かれた、かろうじて人と分かるような絵。もちろんわざとだ。
二時間もつまらない遊びに付き合わせて、お土産も汚い紙きれとくればリコちゃんはもう来たがらないだろう。
「これリコだ!スッゴーい!ありがとう名前ちゃん!」
だから、その返事は予想外だった。
心から嬉しそうな顔。演技じゃない。明かな本心だ。本当だったら泣くなり怒るなりして親に泣きつくだろうに。なんで私にお礼なんて言うんだろう。
また遊ぶ約束をさせられて、リコちゃんが相田さんと車で帰って行くのを窓から眺める。
「お嬢様の作戦は失敗だったようですね」
さっきとは別のメイドが私に言った。
表情という表情が削げ落ちた顔は、どこか私を責めているように思える。そう言えば彼女の名前は何と言ったか。考えても考えても思い出せない。
それどころか使用人の名前を誰一人知らないことを、私はその時初めて気づいた。
何週間か経った後、リコちゃんはまた家に来た。
「久しぶり名前ちゃん!」
初対面と変わらない笑顔での挨拶に、私は戸惑いを隠せない。たいていは初対面で嫌われるからどう対応していいのか分からないのだ。
前回と同じように私の部屋に通されたリコちゃんは他に目を向けることなく私に笑いかけた。
「この前はね、名前ちゃんの好きなことで遊んだから、今度はリコの番だよ!」
そう言ってメイドにDVDを渡したリコちゃんは強引にテレビの前に私を連れてきた。メイドがDVDをセットするのを見ながら私はその内容について思考を巡らせていた。何を見るんだろう。ディズニー?ジブリ?それともアンパンマン?
セットされたDVDが再生される。画面に映し出されたのは紛れも無い実写だった。
「バス、ケ…?」
「うん!ずーっと前のプロリーグの決勝戦なんだよ!パパが出てるんだ!」
キュッキュッとなる靴の音。ボールが跳ねる。走る。跳ねる。飛ぶ。揺れる網。汗。笑顔。涙。
画面の向こうの景色がすべて輝いて見えた。
「名前ちゃんの絵ね、ホントに嬉しくってね、リコの部屋に飾ってもらったんだ!だから、名前ちゃんにもリコの好きなこと教えたくて、でも、上げられるものがなくて、だからリコ、名前ちゃんにもバスケが好きになってほしかったんだ!」
えへへへと照れたように笑うリコちゃんは、本当に純粋で、眩しくて。心の底から思ってくれてることがよく分かった。
私って馬鹿だ。
最初からみんな私にお金目当てで近づいてくるなんて、そんなの、自意識過剰すぎる。そんな考え持っている時点で私は周りを見下していたんじゃないか。そんなの、あいつらと一緒だ。
今さら気づいて、自分がものすごく汚く思えた。すごくすごく恥ずかしくなった。
「名前ちゃん?なんで泣いてるの?」
心配そうに手を握るリコちゃんに私は力無く笑う。こんな私でも、この子ならきっと。
「リコちゃん、私ね、リコちゃんと友達になりたい」
一緒にいてくれるんじゃないかって思ってしまう。リコちゃんならって思えてしまう。
だってこの子は、私なんかの言葉にこんな愛しい笑顔を浮かべてくれるんだから。
「うんっ、リコと名前ちゃんはお友達だよ!」
その日、私はやっと最初の一歩踏み出した。
「名前、俺と一緒にアメリカに行かないか」
それは唐突な提案だった。
リコと友達になって1年ほど経った時、お父様はその話を切り出した。
お父様は仕事の関係で数年ほどアメリカに住むらしい。本来なら一人で行くはずだった仕事に何故、私を連れていくのか。
私がまだ学校に行っていないからだ。
リコと友達になってから、私は周りの人に目を向けるようになった。使用人の名前も覚えたし、ちゃんとした関係を築けるようにもなった。
けれど学校の子供たちは話が別だ。
私は未だに彼らを許せていない。否、怖がっているのかもしれない。またあの不愉快な視線を浴びせられると思うと震えと吐き気が止まらないのだ。
だから、お父様は私に学校に行かせるために最終手段を行使した。
「アメリカのパブリックスクールに通ってみないか」
私のことを誰も知らない場所。しかも私立ではなく公立ということは、金持ちも血筋も何もない一般人として、一般人の中に紛れて生活できる。
また昔のように戻れるのかもしれない。
温かな希望がむくむくと顔を出す。
けれど、
「リコ……」
リコのことがどうしても気掛かりだった。
彼女とはまだやりたいことがたくさんある。遊ぶこともバスケのこともトラおじ様の話もまだまだ足りないし、同じ学校に通うのは無理だとしても、一緒に成長して思い出を共有したい。
この一年の間に、私はこんなにもリコに依存してしまっていた。
「無理にとは言わない。名前の好きにすればいいさ」
優しく頭を撫でるお父様の顔が困っているように見えた。
私は昔に戻りたいけども、
私はリコと一緒にいたい。
矛盾する気持ちが頭の中をぐるぐる掻き回す。どうするべきか分からなくって、ぜんぶ投げ出したくなった。
「悩んでおられるようですね、名前様」
「スズキさん…」
「スズコです」
鈴木(スズコ)さんが無表情で私に話し掛ける。丁寧な口調とは裏腹に涼しげな目元はいつも私に答えを迫ってきて、たまに苦しく感じた。
けれどその行動によって私を成長させようとしてくれていることは明らかだったから、私は堪えられる。
「名前様がご自分のためになるとお考えになったことを選ばれればいいのです。それが一番ですわ」
それが一番。
念を押すように繰り返された言葉はゆっくりと頭の中に染み渡っていく。
私のためになること。
私は、私は…――
次の日、私はお父様に返事を出した。
私はアメリカの学校に通い始めた。
お国柄というべきか、こっちの子供たちは予想以上に陽気だった。
自己紹介でちょっと自分アピールしたら色んな子が私に話しかけて来たし、日本人ということで興味も持ってくれた。心配していた自分が馬鹿らしくなるほど普通に友達ができて、毎日が充実している。
来てよかった。
空港で泣いて縋ってきたリコと別れた時はもうやめてしまおうかと真剣に悩んだけど、後悔はそれほどしてはいない。リコとも定期的に文通をしているし、私たちの関係が簡単に切れることはないんだと思うとアメリカでの生活に不安はなくなった。
『ナマエ!向こうでバスケの試合やってるんだって!見に行こうよ!』
『うん!』
友達に連れられてコートに走ると同い年くらいの子たちが汗を流して駆け回っていた。コンクリートを打ち付けるボールの音は聞き慣れないけれど不思議と心地好い。
しばらく見守っていると試合はだんだんと混戦状態になってきた。ひしめき合うインサイドから一人が素早く一歩引いて、綺麗な3Pを決めた。
『ナイシュ!』
『タツヤすげぇ!』
仲間とハイタッチを決めたのは艶やかな黒髪の少年だった。多分、日本人。嬉しそうに試合を再開した少年のバスケに、私は釘付けになっていた。
すごく上手い、かも。
素人目だからよくは分からないけど確かにそう思えた。
『君、日本人だよね?』
どれほどそうしていたのか。
気が付けば試合は終わっていて一緒に来ていたはずの友達の姿もない。目の前にはさっきまでボールを操っていた少年が私を見詰めていた。
『ずっとそこに立ってたけど、どうしたの?』
いきなり現れたように思える少年に一瞬だけ目を見開く。友達が帰ってしまったことにも少年がこちらに来たことにも気づかないほどに集中していたみたいだ。
それほど少年のバスケには惹かれる何かがあったのだ。
「タツヤ?誰だそいつ」
「タイガ!実は……」
目の端に赤い髪の少年が写ったが、そんなの気にならなかった。私は衝動のまま黒髪の少年の手を握り締め、ありったけの思いを込めて口を開いた。
「私とお友達になってください!」
デフォルト:宮代珱鞠(みやしろ えまり)
前世一般人現お嬢様。食戟のお嬢様主の元はこの子です。
この後普通に氷室と火神と仲良くなって中学上がると同時に帰国。お金持ち学校に編入します。地味に桜蘭高校ホスト部と混合。鏡夜と悪友になります私得。
で、高校上がってからは夏休みと冬休みだけ誠凛のヘルプ(主に料理)で活躍。リコちゃんラブな子に図太く成長する予定。普通にヘルプに入る程度だったのにお父さんがバスケ好きすぎてWCのスポンサーなっちゃってあまつさえ娘の婿探ししてるとかいう噂が立っちゃう話とか考えてました。主人公に話がいく情報源は確実に鏡夜くんからです。
最終的には氷室寄りの緑間落ちになります。
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