乾いた声は雲の上



パドギア共和国には有名な殺し屋家族がいる。


各々が恐ろしい力を持っているその家族は、私の部屋の窓から眺めればすぐに見つかるあの山に住んでいるらしい。

その名はゾルディック家。

会うことはないだろうけど気をつけるんだよ、と近所のおばあちゃんが会うたびに言うので何となく覚えてしまった。だけど、そう言うのはそのおばあちゃんくらいで、他の人は実在する都市伝説くらいにしか思ってない。堂々と観光業の広告塔に使ってるくらいだ。遭遇率は隕石に当たるくらい低いんだと思う。聞いた話によると顔写真にまで懸賞金が出るほどレアなんだとか。

人殺しとか、そういうのは勘弁だけど写真なら小遣い稼ぎにちょうどいいかもね。友達が笑って振ってきた言葉に上手く笑えてたか心配だった。


「ええと、こんばんは?」
「……こんばんは」


ビチャリと、粘着質な何かが足元から聞こえてきた。起き抜けのパジャマ姿の私は当然素足で、直に何か生温い水を踏んでしまったらしい。

その水がどこから来たものかというと、それは1mも離れていないところに転がっている丸いカタマリで、さらにいうならそれは今朝仕事に送り出した父親の顔にそっくりだった。

となると、ソファで肉片を撒き散らして寝ているあれが母親で、隅っこに積み重なっているブロックが弟だろうか。夜のせいで暗くてよく見えないけど、その包みがどうしても弟の愛用していた青いパジャマに見えてならない。

赤い色をしていることがなんとなく分かる水。それがリビングの大半を覆っていて、数歩歩いただけなのに私のパジャマはビチャビチャだ。けれど、私より長くここにいるはずのその人は、器用にもどこも汚さずに長い黒髪を流しながら小首を傾げていた。


「キミがナマエ?」
「そうですけど、あなたは?」
「……まあ、いっか。イルミ=ゾルディック」
「ゾルディック、さん」


どうやら、私は隕石に当たってしまったらしい。

巷で噂の有名な殺し屋が、こんな一般家庭の一家族の一軒家に不法侵入して、さらに堂々と殺人をして、さらにさらに私のような小娘の名前と顔を一致させている。イマイチ実感が沸かないことだけど、つまりどういうことなんだろう。

もしこれが彼らのお仕事の内に入っているとして、うちの家族が暗殺されるほど恨みを買っていたとは目から鱗な事実である。まあつまりは、

私もここで殺されるのか、な。

なんて思った瞬間、私は自分の重大なミスに気付いた。


「あっ、ああ、ぅ」


ぱしゃん、と。

私は盛大に膝をつく。さっき血みどろで汚いと思ったばかりの床にそのまま尻餅をついて、そして、顔を覆った。


「お、お父さっ!お母さんっひっふ、ううう、っ!」


涙は出ない。声も、言葉を紡ぐほど自由には扱えない。体の内から湧き上がってくる感情の波を必死で外に逃がすように、私は身を震わせた。

そう、装った。


「キミ、馬鹿?」


問題は、装うには遅すぎたってことなんだけど。

馬鹿と言うわりに何の感情も乗ってない言葉が降ってきて、今度は素で自分の肩が揺れる。そーっと手を顔から除ければ最初と変わらない顔のゾルディックさんが私を見下ろしていた。


「あんな拍子抜けするくらい当たり前に挨拶してきたヤツが、今さら人間ぶらないでよ」
「…………はあ、すいません」


人間ぶらないで、か。それじゃあまるで私が人間じゃないみたい。そう思ってから、じゃあさっきの反応は何のためにやったのかって言ったら一つしかないなあって気付いた。

私は、自分が普通じゃないことを見て見ぬ振りしていた。人と同じになれない自分を知られたくなくて、普通の倫理観とは外れた自分を律することで自己満足してたんだ。

本当はそんなこと、どうでもいい小さな事だったのに。

そう考えたらゾルディックさんの言うことも納得しちゃって、いろいろとどうでも良くなってしまった。ああ、これじゃあパジャマを汚した意味も何もない。さっきまで寝てたから汗とか寝癖とかでぐちゃぐちゃだったし、こんなだらしない格好で死んじゃうんだ。まあ、それでも悪くない人生だったよね、って達観しちゃうくらいには落ち着いていたわけ。

もう、なんにも感じない。


「勘違いしているようだけど、キミは殺さないよ」
「……?」
「ていうか、目的はキミのスカウトだから、殺したら無駄骨になっちゃうし」
「スカウト……ですか?」
「うん。まあ、断ってもいいけど、それこそ無駄骨だよ。キミの家族とご近所さん皆殺しにした意味なくなっちゃうじゃん」

それを聞いて私が黙ったのも、驚き過ぎて言葉を失ったとかそういうんじゃない。本当に意味を図り兼ねていたのとそれを聞いて私に理解できるのかってことがあったから。


「なんでって言葉は後で聞くよ。とりあえず外に車待たせてあるから」


そんな言葉と一緒に、私はいつの間にやらゾルディックさんの肩に担がれていた。汚いなあという呟きがすぐそこで聞こえてきたけど、私は同じようなトーンでこれから大変だなあと思った。


これが私がゾルディック家の使用人になった事の顛末である。



***



「ナマエ! 右目ちょうだい!」


ああ、死ぬな。

薄暗い部屋の中、複数のモニターを眺めながらイルミは直感した。

天使のように無垢な笑みを浮かべ、柔らかそうな小さな手をいっぱいに広げる子供は、期待したように少女を見つめている。言われた少女といえばピクリとも動かない表情のまま、顔を斜めに傾けていた。


「はい?」


それは不用意な言葉であった。気付いた時にはその右目が子供の手のひらに収まっていたのだ。

うう、と低い獣のような声を上げ、右目があった空洞を抑える少女。残った左目には生理的な涙がじんわりと滲んでいる。その一般人からすればなんとも理不尽で痛ましい様子をしばしば観察していた暗殺者は嘆息のような独り言を溢した。


「本当に何とも感じないんだ」


涙に濡れる少女の瞳は、決して感情に歪んではいなかった。

暗殺者でも盗賊でもマフィアでもない、ごく平凡な一般人であるはずのナマエには、人間らしい価値観など持っていなかったのだから。



主人公:イオリ(デフォルト)

一応一般人なはずなのに価値観倫理観が一般人からかけ離れている女の子。このあとなんやかんやでアルカちゃんに治してもらって普通に使用人やります。ゾルディック家と関わりながら。特に面白味のない話です。強いて言うならアルカちゃんとひたすらラブラブ。

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