埋没と逸脱のメランジュ



生まれた時から何かがズレていると思った。


転生というあり得ない体験をしてから、私は今まで慣れない環境の中を必死に生きてきた。

大財閥の娘として、教養、作法、友人関係までにおいて管理される日々。それに対して前世の記憶は邪魔でしかなかった。嫌気が差すこと、ノイローゼになること、一時期は不登校にまで陥ったりもした。今ではなんとか乗り越えられた過去だから、それは苦い黒歴史に他ならないのだけれど。


そんな私に、神様はもう一つの苦難を寄越してきた。



「……美味しくない」


ずっと我慢していた。

家の名に恥じない優秀なシェフが作った美しい料理たち。その一口一口に離乳食の時からお世話になっていた私は、シェフたちに多大なる感謝をしていた。世間一般の水準以上の食事が毎日できるのだ。それは当たり前のことだと思う。

けれど、小さな頃から感じていた違和感は、成長するごとに顕著になる。そしてとうとう、私はその言葉を口にしてしまった。


「お、お嬢様……?」
「今日は体調が優れないのでもう寝ます」


ショックを受けたような料理長の顔が辛かった。その顔を見たくなくて早々に口を拭いて席を立つ。

本当はもっと柔らかい表現を使いたかった。けれどそれ以外だと味付けのケチが始まってしまう。私のような専門家でもない小娘が言うには生意気すぎて、結局は直接的な言葉になってしまった。


ごめんなさい。


そう言いたかったけれど、不用意に謝ることのできない自分の立場が歯痒かった。



私の舌は、おかしい。



生まれてから今に至るまで、ずっと狂い続けている。私のこの生のようだと思った。



あの日から私の箍は外れてしまったらしい。

一流シェフのフレンチ、イタリアン、和食、洋食、中華、その他いろいろ。何を食べても口から零れるのは"美味しくない"の一言。その度に絶望で顔を歪める料理人たちが私を苦しめる。

違う、たぶんこれは美味しいはずなんだ。彼らは本当なら世界中の人間に賞賛されるような素晴らしい人たちなはずなのに。私の一言でここまでの傷を負わせてしまう。


私はだんだんと食事というものが怖くなっていった。もしかしたら自分は味覚音痴なのかもしれない。ならば彼らの食事が口に合うはずもない。


「お嬢様、本日のお食事はミシュランの……」
「もういいです」
「は、しかしお嬢様……」
「ファストフードのハンバーガーを買ってきてください」
「ファ、ファストフード!? お嬢様にそのような物を口にさせるべきでは、」
「いいですから、お願いします。至急ですよ」
「し、承知しました」


これはもはや最終手段だった。数十分ほどで届けられた、恐らく作りたてであろうハンバーガー。その包みを開いて、意を決してかぶり付いた。


「うぅ……」


懐かしい味だ。前世で食べていた店は存在しないものの、それと然程の変化はない。塩っぱ目の歯応えのあるハンバーグに大味のケチャップ。蒸気で少しだけふやけたバンズ。個性も何もない埋没した味だけど、前世の記憶のおかげで懐かしさのほうが際立つ。


これなら作り手の顔を見ることもなく、懐かしさで味を誤魔化してお腹に入れることができる。なによりファストフードはいつかは食べに行こうと決めていたのだから一石二鳥だ。


「これから私の食事はファストフードだけにしてください」
「お嬢様、それではお体に悪うございます」
「ならば今までのサラダを生の状態で出してください。絶対に料理をしないで」
「し、しかし!」
「お願いします。私のためを思って」


長年お世話になった執事は私の弱りきった言葉に渋々と頷いた。彼にも随分と心配をかけさせてしまったと思う。けれど、私だってこれは死活問題なのだ。意地でも押し通さなければならない。


こうしてその日以降、私の食事はファストフードと生野菜というお嬢様にはあり得ない内容へと変わった。


その話はどこからか漏れて、名前お嬢様は偏食家という噂が広まっていった。



***



「っう」


そのスープを口にした時、私は椅子から転げ落ちた。




その日はお父様が久しぶりに海外出張から帰国した日だった。私は変わらずファストフードと生野菜ばかりの食生活を送っていたのだけれど、どうやら娘の偏食の話は海外まで聞こえていたらしい。家族にはそれなりの優しさを持つお父様は私のことを心配してか外食を勧めてきたのだ。連れて来られたのは有名なフランス料理のお店。シェフがとある有名な料理学校に在籍していた方で、なんでも食べたら幸福になれる料理を作ると最近噂の店なのだとか。きっちりとしたドレスコードで入店し、品の良いテーブルに案内される。

正直私はこの店に全く期待をしていなかった。これまで生きてきて最近ようやく理解したこと。それは私がどうしようもない味覚音痴なことだ。あんなにも美味しそうな料理の数々を食べておきながら決して満たされることのない自分の舌が酷く憎らしい。

この店の料理も、一般的に大人気ならば私の舌に合うことはないのだろう。

雪ぎようのない無念を心の内に潜ませて、スープを一匙口に流し込んだ。瞬間のことだった。


私が倒れたことによって店内はパニックに陥った。


全てのことが遠くに感じる。

誰かの甲高い悲鳴も。椅子を蹴倒す音も。私に駆け寄って泣きそうになっているお母様も。冷や汗を流しながらも冷静に脈を測るお父様も。

全てが私にはどうでもよく感じた。ただ僅かに喉を湿らせるばかりの量でさえ、私の味覚をダイレクトに刺激したそのスープが頭の中を駆け巡る。食べたことのない味。未知の匂い。それらが一時だけ私の理性を凌いで言葉を紡ぎだす。

その店を破滅に追いやる、言ってはならない呪いの言葉を。



「こんなの、人間の食べ物じゃない」



後に、病院のベットで目を覚ました私が聞いたのはその店が潰れたこと。そして私に面会したいという人物の存在だった。






「これを食べてみなさい」


病室のベッド。無機質なテーブルの上に乗せられた葛籠のようなランチボックスに納められた三つのおにぎり。見たところ海苔すら巻かれていないシンプルな塩むすびだ。

突然のことに驚いて、私は思わず相手の顔を凝視する。

すごい迫力だと思った。右目にある一本の傷もさることながら、顔に刻まれたシワ一つ一つが生きた年月の重みを背負っている。まさに百戦錬磨と言わんばかりの大きな老人だった。

その方の名は、薙切仙左衛門というらしい。

薙切。確か美食業界の頂点に君臨する御家だと誰かが言っていた気がする。この迫力からして、彼は恐らくその総元締めに違いない。

美食業界の首領。

そんな彼がどうしてこんな偏食持ちの小娘におにぎりを持って見舞いに来たのか。彼の神経を逆撫ですることぐらいしか、私にできることなんてないというのに。


「安心しなさい。それは儂が握った塩むすびだ」
「は、はあ」


どこに安心するポイントがあるんだろう。

そんな疑問と共に、恐る恐るおにぎりの角を一口だけ、口にした。

そして、泣いた。


「美味し、い……」


それはまさしく、感動だった。

舌触りも弾力も心地良い甘い米。強烈な印象を与えながらも辛過ぎずまろやかな塩のコーティングが絶妙の力加減によって一つに集約されている。シンプルだからこそ誤魔化しの効かない恐るべき逸品。

生まれてこの方、恐らく一度も満足していなかった食事を、今やっとこの手に掴むことができたのだ。


「私は、このおにぎりのために生きてきたんですね……」


そう、心から思えるほどにそのおにぎりは至高であった。


「いいや、違うな」


感動と食欲のまま、掌の限られた白米をゆっくりと味わっていると、深みのある重低音が私を否定する。それはまるで歴戦の武将のような、戦いを心から望み歓喜する武者震いを思わせる獰猛な笑みだった。

涙で濡れる視界から垣間見た、果てなき荒野の世界の住人。


「名前君、君は究極の玉になるために生まれて、これまで生きてきたのだ」


その獣は、私を荒野に放たんと牙を剥いた。



主人公:宮代珱鞠(デフォルト)

元一般人現お嬢様。究極の神の舌を持つ。
一般人であった頃とお嬢様生活とのギャップで心身共にボロボロの幼少期を過ごす。その後いろいろと割り切った小学校高学年あたりで今度は自分の舌のことで悩むことになる可哀想な子。あまりに満足できなさ過ぎて味覚音痴だと誤解するが実際は敏感すぎるだけっていう。

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