昨日の事件から間を置いて一晩。

シャワーを浴びていない気持ち悪さに耐えかねて魔法を使ってしまったのは仕方ないとして、さっそく一つカプセルを消費したのは痛いところね。

あの男が作った特殊なカプセル。ソウルジェムに充てればグリーフシードのように穢れを浄化してくれる。中にどんな聖水や聖銀が入っているのかは全く分からないけれど、これがなければ私は生きていけないのだから使わない手はない。

余り眠れた気のしない朝。それもいつものことで、気怠い体を引きずって制服に着替える。やっぱりまだ慣れないニーハイソックスをいやいや履いて軽く髪を払った。これから一時間ほど昨日のテストの質疑応答をして、また無意味な勉強を学校でするのだ。なんて面倒な生活なのか。

紫色のソウルジェムを指輪に戻し、木製の古びた部屋の扉に手をかけた。



***



神木出雲は終始勉強に身が入らないようで、教師の質問に窮しているようだった。普段の優等生然とした彼女にしては珍しい失態。その後に代わりに当てられた勝呂竜士の完璧な答えを聞いてとても悔しそうにしていた様子から、彼女も不本意なものなのだろう。

他人事ながらに推察して、どうでもいいわねと次回の予習箇所を付箋でマーキングしていく。そんな私の作業の最中、唐突に喧嘩の火種が室内で弾け飛んだ。


「詠唱士なんて詠唱中は無防備だから、パーティーにお守りしてもらわなきゃなんないし? ただのお荷物じゃない」


神木出雲が言う。確かに一理ある。


「人の夢を笑うな!」


勝呂竜士が言う。これも一理ある。


どちらも一理ある。けれどはっきり言って今のこのやりとりは、


「うるさい」


騒音でしかないのよ。


「はあ? あんたには関係ないでしょ?」
「いいえ、残念ながら関係あるのよ。第一に、私も称号の一つに詠唱士を志望している。確かに詠唱士にはあなたが言っている欠点があるけれど、他の称号にはない利点はある。突き詰めれば他の称号、例えばあなたが目指している手騎士にだって欠点はあるわ。他の称号を見下していい理由にはならない。それと第二に、休み時間をどう過ごすかは個人の自由だけれど、私の邪魔をするならば誰であろうと許さない」
「そ、そうや、暁美さんの言う通りや。分かったかコラ」
「あなたもよ勝呂君」
「あ?」
「自分の夢や信念を貫くことは立派なことだろうけど、それを他人に聞かせたり押し付けたりすることは感心しないわね。あなたにとってどんなに大事なものであろうと、所詮他人にとってはどうでもいい他人事なんだから。そのことを理解できないようなら、あなたはただの夢見がちな子供のまま。サタンを倒すなんて一生無理でしょうね」


ふぅ、と一つ溜め息を吐いて、カラカラになった喉をミネラルウォーターで潤す。こんなに長々と語ったのはとても久しぶりに思えた。


「あ、暁美さんがこんな喋らはんの初めて見ましたわ」
「ほんまですね……」


志摩廉造と三輪子猫丸が何やらボソボソと喋ったようだけど気にならなかった。ただ教室が静かになったのをいいことにもとの作業に戻った。けれど、その静けさは長く続かないもので、二人はまた似たような内容で言い争いを始めてしまう。付き合いきれないわね。


そうこうしている内に途中から乱入してきた奥村雪男の一声でまた教室内が静かになる。不穏な一言に嫌な予感を感じていれば、案の定合宿所でそれは待っていた。


「僕が戻るまで三時間、皆で仲良く頭を冷やしてください」


冗談じゃないわ。

正座の上から重くのしかかる囀石が憎たらしい。本当なら魔法で軽くするか、いっそのこと爆破させたいところなのだけど、こんなことでソウルジェムの穢れを溜め込むなんて馬鹿げている。

三時間もの間耐えられるか不安になってきたところでまた神木出雲と勝呂竜士の口論が始まる。


「いい加減になさい、神木出雲、勝呂竜士」
「ッあんたも前々からムカついてたのよ! いつも他人を見下すような目して! だいたいなによそのリボン! そんな子供っぽい色、ぜんぜん似合ってないわよ!」
「ッ!」


パン!


「昨日も言ったわよね、恥を知りなさいと」


右頬を抑えて呆然としていた顔が、何をされたのか分かった瞬間キッとこちらを睨みつける。


「何に苛立っているのか知らないけれど、他人に八つ当たりするのは筋違いよ」


そう、それは私にも言えること。

ここ数日の苛立ちの正体が徐々に頭の内で姿を表す。まったく似ていないはずなのに、私は神木出雲の姿から美樹さやかを連想してしまっている。どの時間軸でもどんな世界でもまどかと時間を共にし、私の障害になり続けた少女。その存在は、気付かない間に私のコンプレックスとなって胸の内に生まれ出でてしまっていたのだから。

そう、そして彼女もまた、


「きゃあ!」
「て、停電!?」


その思考を打ち切るように世界が暗転する。突然のことで軽いパニックになった面々が徐々に落ち着きだした頃に、志摩廉造が軽い足取りで入り口まで足を伸ばす。その手がドアノブにかかった瞬間、急速に熱くなった指輪を感じて私は身構えた。悪魔が、いる。

弾け飛ぶ扉。再び上がる悲鳴。昨日嗅いだばかりの硫黄の臭い。また屍。間を置かずに来るなんて計画的な犯行としか考えられない。誰かの筋金か、それとも。


「!」


あの男しかいない。

あの悪魔が何度も中級以上の侵入を許すはずがない。これはアイツの企みの内の一つに違いない。皆が屍に気を取られている隙に、指輪を使って辺りを探る。すると天井裏に一際強い反応を示した。恐らく、そこにマーキングをしたのだろう。ふと、合宿が始まる前にあの男に言われた約束を思い出した。

極力塾生のみで問題を解決させること。つまり、これは"手出ししてはいけないこと"だ。

そうと分かればあとは簡単で、私はただ彼等が屍相手に右往左往する様を眺めていた。杜山しえみが緑男でバリケードを作った時も、奥村燐が屍を一匹おびき寄せて行った時も、勝呂竜士と三輪子猫丸が詠唱を開始した時も、志摩廉造と神木出雲が屍に必死で応戦している時も、

杜山しえみが倒れた時も。

そう彼女と私は何の縁も所縁もない。ただ傷付いた者と傷付けた者。それだけのはずなのに、その時だけは妙に胸が痛んだ。ここ数日抱いていた複雑な感情は、彼女によるものが大半を占めていたのだから。


彼女の姿に鹿目まどかの姿を重ねてしまった私のミス。


天然で、どこか抜けていて、無邪気な笑みで、気が弱そうなのに、誰かのために自分を投げ出せる。私の大切な友達。たった一人、会いたいと希う友達。

衝動的に魔法で治療したくなる体をなんとか抑えて、事の成り行きをただ見つめる。いつ不足の事態が起こっても大丈夫なように、変身の準備だけはしておく。すぐにでも時間停止と銃火器の取り出しが出来るように身を固めて、勝呂竜士がギリギリで詠唱を終えるまで、私はただ見つめ続けた。


『名前ちゃん』


私は無力だった。まどかのためと思いながらも止まることもできずに進み続けた。その結果一人の女の子を犠牲にしてしまった。友達を、失ってしまった。


倒れ伏す杜山しえみの姿は、私の後悔と哀憐の情を揺さぶるには充分なものだった。



***



「奥村先生は"Law of the Cycle"という言葉をご存知ですか?」
「Law of……? なんですか、それは」
「そうですね、和訳するなら彼女曰く、"円環の理"と言うそうです」
「ですから、それが彼女とどういう関わりがあるというんですか」
「この"円環の理"は、二百年ほど前に騎士団の機密文書としてヴァチカンに保管されていた文献の一概念です。現在では何者かの手によって破棄され、存在を知っているものは一部の上級祓魔師に限られてくる」
「…………」
「奥村先生は、暁美名前の何かしらの行動に疑念を抱き、保護者である私の元に直接聞きにきた。"彼女はいったい何者なんですか?" 私がそうやすやす自分の養い子の情報を教えるとお思いで?」
「……いいえ、あなたはそんな優しいものではない」
「そう、私の事を理解いただけていたようで安心しました。では、ご褒美に一つだけヒントを差し上げましょう☆」


ニタニタと底意地の悪い笑みを浮かべたその悪魔は、グリーンの瞳を爛々と輝かせながら宣った。



「彼女は探しているのです。その"円環の理"と、鹿目まどかという少女を」


嘘つきツァーンはただただ無力
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