冬の妻



時が経ち、ペロスペローは正気になりつつあった。

ペロスペローには妻がいる。

雪の結晶を糸にして丁寧に編んだような真っ白い髪に、冬島の夜に浮かぶ満月にも似た白銀の瞳。ベルベッドのクッションを敷き詰められた箱の中、傷の一つもつかないように大切に保管されたダイヤモンド。直接鼓膜を撫でるような心地良い声音も、薄い唇が綻ぶ些細な華やぎも、指先まで神経を研ぎ澄ませた優美な所作も。完璧な淑女の理想像として息衝くお人形。

同じ種類の笑みしか知らない表情筋は、誰に対しても友好的なようで誰をも拒絶している。どこを見ているのか定かではないのに、どこからでも目が合っている名画。そのくせ生きていることを忘れさせない柔らかさを常に纏っていた。

いたずらにふっと吐息をこぼした瞬間、温暖な島の空気は冬の白さを思い知る。そこにいるだけで霜が降りる冷気が漂い、瞬きの内に水飴をアイスキャンディに変えてしてしまう。人の形をした冬と言って差支えのない人外の者。

そのくせ触れれば触れただけ熱を帯びる豊満な体。たっぷりとした乳房と尻、コルセットなしでもキュッと締まった腰、長身に見合った長い手足。薄く脂肪の乗った柔らかな肢体と凹凸ラインに沿って流れる白い髪のコントラスト。淫靡ながらに清廉を両立させる、まさに男の無責任な夢を塗り込めたファムファタル。

鑑賞するにはこれ以上ないほどの美術品。
男の欲をぶつけるには極上の蠱惑を漂わせる夜の女神。
娶るには貞淑さと従順さを併せ持った超一級品。

これほどの妻を持つ男は偉大なる航路を探し回っても見つからない果報者だろう。


けれど、ナマエはまだ16歳の少女だった。


ナマエは希少種だ。ママが喉から手が出るほど欲しがっていた御伽噺の生き物。アントロギア族の“覚醒”により、娘らしい顔かたちと体型から急に現在の姿まで成長したのだと言った。

おおよその見立てでは二十代半ばだろうか。明らかに成人して年月が経った女の顔立ちに、見た目相応の落ち着いた立ち居振る舞い。もともとそういう達観した種族なのだろうという勝手な納得も手伝い、ただ一時の名ばかりの妻としてペロスペローは結婚を安請け合いした。いずれ弟たちの誰かに下げ渡されるのだと決めつけて。

しかし、蓋を開けてみればナマエの中身は実に小娘らしい幼さとおぼこさを兼ね備えていた。十代相応の価値観。十代相応の恋愛観。人売りの養母による淑女教育の賜物のせいで隠れてしまった本来の性格。歓喜という感情の昂ぶりをキッカケに、とんでもない本性が飛び出した。

好きだ。
嫌いだ。
惚れた。
腫れた。

四十の大台に突入したペロスペローには手に余る爆弾だ。

子供と結婚した。後には引き返せない段階に足を踏み入れてからの自覚。後悔してももう遅い。


「旦那様ぁ……」


温度のないビスクドールの頬がじんわりピンク色に染まり、昼中の陽光の下で毒々しいほどの恍惚を晒してくる。これで本人はペロスペローに見惚れているだけだと言うのだ。娘らしい照れいっぱいの恥じらう仕草で俯かれると、大海賊の幹部だって落ち着かない気持ちになる。

天下の四皇ビッグ・マム海賊団の幹部。単純な戦闘能力も然ることながら、指揮系統の大部分を握っている参謀役でもあるシャーロット・ペロスペロー。見目も実力も二枚目なカタクリに比べれば落ちるとはいえ、金を持っていて実力もそこそこあるのだから女が寄って来るのは当たり前だ。特に万国ではキャンディ大臣の地位と子供のキャンディ人気から老若男女に愛されている自負がある。

だがこの少女、ナマエは純粋にペロスペローの容姿だけに惚れたというのだ。


「お、重くありませんか? 腕が疲れたりは」
「なに、これでも長年兄をやっているものでね。妹たちのおかげでエスコートには慣れたものだとも。遠慮せずもっと頼ってくれてもいいんだぜ?」


ペロスペローが差し出した右腕に手を置き、控えめに体重をかけてくるナマエ。身長差の関係で腕を組むのはやや無理があるため、ペロスペローの二の腕あたりに掴まっている。すると豊満な胸が肩に乗る形になってしまうのだが、相手はどうやら気が付いていないらしい。

結婚して三週間。希少種の恐ろしさと妻の愛らしさを身をもって知った事件から一週間。二人はキャンディ島を離れてコムギ島のカタクリの屋敷を目指していた。

万国は兄弟姉妹の中でビッグ・マム海賊団への貢献度が大きい者ほど本島ホールケーキ島に近い島を領土として戴き、それぞれが相応しい名の大臣に就任する。つまり長子であり長年ママの下で海賊団を盛り立ててきたペロスペローは本島に一番近い島を、兄弟の中で最強と名高いカタクリはその次に近い島を戴いた。二人個人の居住地はかなり近い距離にあるというわけである。

ペロスペローの結婚は想定外の祝福と共に万国民に受け入れられた。キャンディ島の住民ほどではないにしてもコムギ島も例外ではない。ゆえに船は出さず妻を抱えてアメウミウシでひっそり上陸した。その時の妻も大変に可愛らしくペロスペローを気遣ってきたものだ。


『君の夫として、妻も運べない甲斐性なしだと思われてはかなわない』


『クッ、ころ……!』妻は時々変な鳴き声を上げる。恥ずかしがり手足をジタバタさせるのを窘めると、黙り込んでからヤケクソ気味に抱き着いてきた。それでも遠慮を感じる力加減に可愛いやらじれったいやら。顔を押しのける勢いで押し付けられる胸と手のひらに乗る尻の感触を楽しむ余裕もない。

他人がいれば充分に新婚のイチャイチャを見せつけている絵面を、本人たちはまったく気付いていない。

キャンディ島を立って程なくコムギ島に到着。急激な成長による体型の変化で歩くのが覚束ない妻のためにペロスペローはエスコートしているわけだ。


「私としては目的地まで抱えてしまってもいいのだがね? ペロリン」
「帰りも抱えていただけるのに、そんな……そんなの……私が死んじゃう」


小声で呟こうが至近距離なのでバッチリ聞こえる。

妻は羞恥が行き過ぎると死んでしまう生き物らしい。事後によく聞いた『殺して』『助けて』は海賊に無理やり娶られ世を儚む言葉ではなかった衝撃。こちらが見落としていただけで、淑女の所作の隙間からたびたび素を溢していた。

流石に希少種にショック死されてはペロスペローの失態になってしまう。夫としては物足りない距離感でエスコートしつつ、「クククッ」喉の奥から湧き上がる笑いを噛みしめた。

さて、人気のない島の裏側から身内専用の裏門を通って屋敷に辿りつく。勝手知ったる玄関の呼び鈴をわざわざ鳴らし、メイド人形のホーミーズが通した部屋に目的の人物はいた。


「邪魔するぞカタクリ」
「いらっしゃいペロス兄。それと、」
「ああ、結婚式以来だったか。改めて、おれの妻のナマエだ」
「ご無沙汰しておりますカタクリ様。本日はお招きありがとうございます」
「堅苦しい挨拶も呼び方もいい。おれたちは既に家族なのだからな」


ずいぶん上に頭があるとはいえ、今日は弟と目が合わない。カタクリの妻への耐性はまだついていないらしい。兄としては面白がるところなのだが、今日は何故だかもったりとしたクリームを食べすぎた気分になる。

カタクリの屋敷に妻を連れてきた理由。それは妻のリクエストを叶えるためだ。

『飴餅が食べたい』……身近なお菓子でありながら未知の組み合わせに心が揺れたのはそうだが、初めて自主的に妻が食べたいと言ったものだ。最上級の逸品を食べさせてやりたい。これまでぞんざいに扱ってきたお詫びもかねて。

ペロスペローはキャンディにおいては他の追随を許さないスペシャリストではあるが、餅は専門外。餅は餅屋。モチモチの実を食べたモチ人間に勝てるわけがない。

なので、飴屋と餅屋が集まって奇跡のマリアージュ。

記憶の倍以上華やかにセッティングされた客間のテーブルセットに妻をエスコート。しっかりと椅子にかけたのを見届け、二人は慣れたように能力を行使した。

硬すぎず軟らかすぎない、丸く平べったいマカロンサイズの餅。その上からとびきり甘いシロップ状の飴をかけ、マッチの炎で軽く炙る。香ばしいカラメルの匂いが立ち込めたところで、最後に薄く繊細な葉っぱと薔薇の飴細工を添える。もちもち、とろとろ、ザクザク、パキパキ。いろんな食感が楽しめる“飴餅”の完成だ。

ナイフとフォークで上品にいただけるパンケーキスタイルでお出しされた逸品。妻は夢見るような顔で惚けていた。


「………………」


夢見る……夢うつつ?


「何が面白い」


カタクリが急に口を開いた瞬間。

いつもしゃんと伸びた背筋がやや丸まり、テーブルの上の皿をまん丸の目で凝視している。本当に満月のような瞳が二度三度瞼の下に隠れたところで、ふっくらと情の深い唇が窄まって……「プッ」


「くくっ、も、申し訳、ありっ、ひぃ、アハハハハ! ごめんなさぁい!」


空気が甲高く震えた。

夫が触れる時以外はよくできたお人形のように薄く微笑むばかりの妻が、笑っている。哄笑と言っても過言ではない大きな声を上げて、右手で口を覆い左手で腹を抱えてテーブルに突っ伏す勢いで笑っている。ところどころくぐもった声が聞こえるのは、きっと笑いを止めようと必死なのだろう。それが一層にツボに拍車をかけているらしい。笑いながらその瞳からポロポロと小ぶりな涙を落としていった。

動揺した。急に泣き笑いする妻にも、ドッと心臓が跳ねた自身にも。

訳が分からぬままにペロスペローがハンカチを差し出す。相変わらず遠慮がちな手が震えたまま受け取り、目尻の雫をちょんと吸わせる。その所作はやはり洗練された一枚の絵画のようではあったが、白い肌は笑いすぎて真っ赤に上気している。カタクリの視線が明後日の方向に逃げた。


「あはっ、ハァ、すぅーーーー…………いただきますね」
「ちょっと待て」
「んっ、んんー! すごくもちもち、つきたてみたいですね、美味しい!」
「も、餅だけか? 私のキャンディは!?」
「歯が溶けそうなほど甘いです! 食感もトロトロとザクザクがあって楽しいですよ!」
「そうだとも! 見た目や味だけでなく歯触りまで意識して練り上げたからな、私のキャンディは世界一さ!」
「はい!! 旦那様は世界一です!!」


涙は止まったものの、まだ潤んだままの瞳を細め、空元気に近いテンションでパクパク餅を食べていく。ペロスペローとカタクリの戸惑いに何も返さず、ペロリと一皿完食し、ご機嫌に感謝の言葉を並べて立ち上がる。もちろんペロスペローのエスコートに頼りながらだ。


「ワガママを聞いてくださってありがとうございました。これからも義姉としてよろしくお願いしますね、カタクリさん」
「あ、ああ、結婚祝いを渡しそびれていたからな。なんてことはない。気にするな」
「いえいえ、このお礼はいつかさせてください。ね、旦那様?」
「そうだな、それがいい」


和やかな家族の会話を最後に二人はカタクリの屋敷を後にする。


「なんだったんだ、あの女は……」


何が面白くて笑ったのか。何が悲しくて泣いたのか。見聞色の未来視でそうなることは察知していたというのに、最後までカタクリの疑問は解消されなかった。

また来た道戻る夫婦。


「旦那様、もう一つワガママを聞いてくださいませんか?」
「うん?」
「──抱っこ」


両腕を広げ、泣いて真っ赤になった顔で待つ妻。

不意打ちで可愛いワガママを言われ、今はもう立派に姉をしている在りし日の妹たちを思い出した。

ペロスペローは快諾した。まだ海辺までは距離がある陸地を、妻を横抱きにして歩く。来た時よりも遠慮なく首に抱きついて肩口にすりすりと額を押し付けてくる様は、まさしく眠れなくてぐずる幼児のようだ。

こういう時は何も聞かずそのままにしておくべきだろう。妻の意味不明な態度の変化に内心溜め息を吐いたところで、不意に顔を上げた相手がペロスペローの耳に唇を寄せた。



「旦那様は、世界一です」



危うくヒールで足を挫くところだった。

ヒシッと妻を抱く腕に力が入る。ペロスペローの動揺を知ってか知らずか、妻は子供のようにクスクス耳元で笑い続け、おもむろに飛び出している舌と紫色の唇の境目をそっと食んだ。

片眉を上げ様子を伺えば、悪戯が成功したと言わんばかりに目が合う。


「あのお餅も、」
「“飴”餅だ」
「あ……ふふ、飴餅も美味しかったけれど、私には旦那様がいるもんね」


軽く歯を添え、隙間から舌を差し出し、ペロペロとキャンディを舐めるように。いっそ本当に食べられかねない言動はあの夜と同じだが、身も心も凍りつく冷気は一切感じられない。仔犬の甘噛みを舌で受け入れながら体中がかゆくなる感覚に耐えた。

妻の丁寧すぎる口調が解けると、遠慮がどこかへ行って積極的に触れてくる。どんなスイッチの入り方をしているのか皆目見当もつかない。

こうして見ると妹のようでもあり、娘のようでもある。本来の妻はもっとワガママな生き物なのかもしれない。海賊なんぞ無縁の箱入り生活で押し込められた感情が、己の手で引きずり出されたのだと思えば、なんて甘美なものか。

帽子のつばにぶつかりながら頑張って頬を寄せる妻。もしくは、押し込められた人恋しさを目一杯慰める少女。──可愛い可愛いおれのナマエちゃん。


「ただでさえ素敵なのに、優しくされた分だけもっと好きになっちゃう。これ以上どうしたいんですか?」
「奥さん、ここは真っ昼間の外だぜ」
「お家だったらいいの?」
「そりゃあ、

────願ったり叶ったりだな」


正気でいるのも馬鹿らしい。



「(マァ女ってのは急に泣いたり怒ったりするモンだ。これくらいの情緒不安定は許容範囲内だろう。妹たちにもこんな年頃があったな。24歳差っつったらシフォンとローラと同い年……やめておこう。ああーー屋敷まで遠いなァ、スピード上げろよアメウミウシ!)──なぁおれの奥さん、ちょっと歯が食い込んで痛いんだが」
「ふぁってだんなはま、このべろじゃまなんだもん」
「噛みちぎる気かッ!?」


おれ、いつか食い殺されるかもしれない。

色んな意味でペロスペローの命は妻に握られている。









「(そういえば飴餅ってこの世界どころか全国区でもないローカル郷土料理だったわ)」


と気付いたのは目の前でシャランラランと言わんばかりに輝く“飴餅”を出された瞬間。琥珀色の水飴にお餅を絡めてきなこをまぶした暖かくも素朴な餅と、フレンチのコースに出てきそうなスイーツ餅のギャップに変な笑いが出た。

笑いながら、どうしようもなく泣きたくなった。

私のために何かしてもらうことが、こんなに嬉しいなんて。嬉しすぎると、何も言葉が出てこなくて、取ってつけたような感想しか浮かばなくて。

そうなったらもうスキンシップしかやりようがなくて。

おっぱいとお尻とここに来てからの食生活でかなり重くなった体を持ち上げられたくはなかった。でもこの人海賊だし、この細腕でバッサバッサ海賊も海軍も薙ぎ倒してきただろうし、最悪能力でなんとかしてくれるだろうしー??

夢のお姫様抱っこ二度目のドッキドキで理性を失くして思いっきり旦那様を堪能することにした。


「ワガママはこれだけでいいのか? 私はまだ甘やかし足りないんだがね、ペロリン」
「……な、名前で呼び合うのとかは?」
「可愛いおねだりだな? もちろんだぜ、私のナマエちゃん」
「ひぇ、ぺ、ペロペロ、ペロスペローさ、…………アッ死んじゃう」


……顔が好みでも中身が最低だからなんとか耐えられたのに、優しくされたらもう終わりだよっ!!


私は私に優しい人が好きなんだ!!!!


ド好み意地悪枯れ紳士おじさんに名前呼ばれる幸せが想像以上に耐えられなくてしばらく封印してもらうことにした。あんなに、あんなに名前呼ばれなくて腹立ってたのに! 恋ってこわい! 自分がこわい!

相手の肩で顔を隠してジタバタ悶えるしかない哀れな私に、旦那様は喉の奥で「クククッ」と笑ってらっしゃる。あーーーん陰険悪人ヅラ枯れ紳士おじさんの屈託のない微笑みサイコーー!!


「しゅきぴ……」
「落ち着いてくれて何よりだよ」



ある意味賢者タイムに入った私だったが、本番はそのあと。屋敷に戻ってから旦那様が枯れたイケ紳士ではなくあらゆる方面で海賊さんである事実を思い知らされることになる。


だ、騙された!!









「ペロス兄さんがナマエ義姉さんをカタクリ兄さんに引き合わせたみたい」
「それってやっぱり、そういうことよね!?」
「皆でペロス兄さんの英断を讃えよう」
「やっとカタクリお兄ちゃんにお嫁さんが来るのかい!? 嬉しい!」
「お祝いしなくちゃ、カタクリ兄さんの春!」
「おめでとうおめでとう!!」


女の耳の早さは留まることを知らないし、女の口に完璧な戸は立てられない。

ペロスペローの血圧がぶち上がるまであと……。




***




それはナマエが初めてママのお茶会に参加した時のこと。

ペロスペローはゲストの誘導とちょっとした余興でキャンディエスカレーターを披露しなければならないので、ナマエはドレスアップした状態でパーティ会場の近くで待機していた。夫のエスコートなしで入場することは止められている。周りには兄弟姉妹たちがゲストのおもてなしや警備に当たっていたため、なんの問題もないはずだった。

折悪く、今回が初参加の人体コレクターが雪の精霊のような女に目をつけ、手癖悪くその髪に触れるなど、誰が予想しただろう。

ぶくぶくと肥え太った手が絹糸を無遠慮に撫で、分厚い唇から黄ばんだ歯が覗く。「うつくし──」続く言葉はなかった。妻を迎えに来たペロスペローが青筋浮かべて巨大なキャンディケインを掲げ……るより先に、巨大な刀が風圧を利用して不届き者を吹き飛ばしたのだ。


「ブリュレ姉さん!」
「はいよスムージー!」


ホームランさながらに飛んでいった肉だるまがブリュレの鏡にイン! そのあとをわらわらと妹たちが入っていき、鏡世界からは娘らしいきゃらきゃらとした声と野太い悲鳴の大合奏。


「コンポート姉さん、どれくらい残していい?」
「お茶会に必要なのは、フォークを持つ手と紅茶の香りを楽しむ鼻、おしゃべりする口かねぇ」
「ええー!? ナマエ義姉さんを触った手は残したくない!!」
「……片手でもケーキは食べられるだろう」
「さっすがアマンド姉さん! ──みんな、右手は切り落として良いってぇ!!」
「私も行くか」
「絶対に殺しちゃダメよ? 生きてママのお茶会に参加してもらわないと」
「分かっている。あとは任せたスムージー」
「私の分も頼んだ」


ゲストの相手をする最小限の人員を残して妹たちが暴れている。それを鏡の外から見守る男兄弟とゲストたちは唖然茫然。結局ママが入場して来た頃には、件のゲストは左腕だけ出たカラフルなラッピング姿で椅子の上に置かれた。バターの香りがするのでガレットが接着を担当したのだろう。止血もバッチリしたのか食欲が減退する臭いは一切なかった。

あまりにも鮮やかに終わった現場。しきりにスムージーから髪の心配をされ生返事しかできないナマエ。チラッとペロスペローを見下ろし、ポーカーフェイスをほんの少し困り眉で崩した。

被害者なのに被害を叫ぶ前に全てが終わっていたし、夫として妻の報復を与える前に妹たちがやってしまった。当人たちを置き去りに、血の気の多い妹たちがニコニコ褒めて褒めてと擦り寄り、落ち着いている姉たちは「義姉さんは優しすぎるから」などと小言をこぼす。そしてスムージーだけが憎々しげに触れられた髪を見下ろしていた。


「切り捨てよう、今すぐ」
「え、ええ」


スパンッ。お尻の下から切られた白い髪が瞬時に足首まで伸びる。切っても切っても元の長さに戻る上、サラサラすぎてまとめられない難儀な髪だ。あまりの即断即決にやっぱりビックリ固まるナマエ。これで満足したかとペロスペローが様子を伺えば、スムージーは切り落として残った方の髪を複雑そうに握りしめていた。


「義姉さんの髪……絞りたいが、生ゴミが触った髪……私はどうすれば……!」
「捨ててくださいお願いします」
「意地汚いぞスムージー。定期的に絞らせてやっているだろ?」
「義姉さんがもったいないッ!!」


『命がもったいない』みたいに言われても。

他の姉妹はともかく、スムージーのコレはシスコンなのか絞りたい欲なのか判断が難しい。ペロスペローは十中八九後者だろうと睨んでいる。妻と二人きりで会わせるのはちょっぴり危ない妹だ。

結局ママは妹たちの凶行になんの興味も示さなかったし、件のゲストはお茶会が終わると同時に失血死した。地獄のお茶会の悪名が増えてしまった。

それからというもの、ナマエの髪はグレープ色の透明な髪飾りでまとめられるようになった。もちろんペロスペローの能力でできた逸品。華美な蔦を模したバンスクリップにロリポップの簪がいくつか刺さっている。花の意匠がないのは『君がおれにとっての花だよ』という直球の口説き文句。ナマエはひっくり返って旦那に抱き止められ死を覚悟した。

キャンディによって髪の毛一本一本が固定され滑り落ちる心配もない。能力なので解除されなければ外れる心配もなく、いちいちお尻の下に敷いて痛がることも地面を引きずる心配もなくなった。


「旦那様、外してくださる?」
「もちろん」


外す方法は夜、旦那様の手によってだけ。

一日中まとまっていた髪が癖なくストンと滑り落ちる。ロリポップを一本ずつ引き抜いて、手櫛で優しく整えてやるのが夫婦の寝る前のルーティーンになった。

ただ、



「(このエッロいうなじが他の野郎に見られるのはなァ)」



無防備な嫁を持つと旦那は苦労する。

などと悋気を起こすくせに、いざお茶会のドレスを選ぶ際にはいつも胸元か背中が無防備なデザインを選んでしまい、絶対に妻の隣を離れないペロスペローが爆誕。おれ好みに嫁を着飾りたいが他所の男の目は喜ばせたくない。世の中うまくいかないなァ。


この嫁にしてこの男あり。




***




ヴィンスモーク・サンジとシャーロット・プリンの結婚式まであと3時間20分。

ホールケーキアイランド北西に位置するファイアタンク海賊団のアジト。慌てて走って来た部下の一人が「マダム・ナマエがおかみさんに会いたいと、玄関から押し入って来ました!」と言い終わると同時にベッジは縛られていたブリュレとディーゼルを己の城へ押し込めた。


「ぎゃあ! 助けて義姉さ、!」
「シフォンちゃーん!!」


間一髪。一人でに扉が開き、吹雪と共に半透明の女が滑り込んできた。


「シフォンちゃんシフォンちゃんシフォンちゃん!!」
「ね、義姉さん!? どうしたの急に!」
「うう、シフォンちゃん! シフォンちゃん聞いてください……!」


部屋の温度が下がる。温暖なはずのホールケーキアイランドが冬島の気候に様変わりした。

見上げるほどの巨体に合わせた、ペイルブルーの清楚な色に反して谷間が見えるほどザックリ胸元が開いたエンパイアスタイルのドレス。綺麗に編み込まれてグレープ色の髪飾りでまとめられた白い髪。アクセントに差し込まれたロリポップやキャンディリボンは水玉オレンジで、手には持ち手がキャンディケインに似たオレンジの日傘を持っていた。

全身の至る所を隈なく観察したくなるような、ともすれば思わず目を背けてしまいそうな。淫靡さと無垢さを併せ持つ美女が、子供のようにしくしくとシフォンに泣きついている。



「昨日ホールケーキ城に侵入者が出たらしいじゃないですか。ガレットさんから聞いたのですけれど旦那様の能力で捕まえたのでしょう? キャンディで拘束すればいいのに旦那様ったら水飴でべちょべちょにしたんですって。それも女性を! 若い女性を水飴濡れにしてあろうことか“キャンディちゃん”と呼んだんですよ! “甘そうなキャンディちゃん”!? 私というものがありながら初対面の若い女性にセクハラかましやがったんですやっぱり男性は妻がいても若い子の方が好きなんでしょうか10年も一緒なんですもの私なんかもう飽きちゃったのかしらどう思いますかシフォンちゃん私って女としての魅力がなくなっちゃったかなあ?」



ベピーピンクの可愛らしいリップで彩られた唇が、油でも差したのかと言わんばかりの高速詠唱。

その間に挟まれた侵入者の若い女はドキッと身を潜め、隣のルフィは呑気に鼻をほじった。が、女の眼中には一切入っていない。



「浮気、浮気されたら私、どうしたらいいの、こういう時は許すのが良い奥さんなの? 大人の女性は男の浮気を黙認して鷹揚に構えているもの? でもでも私、他の人に触った手で口説かれるなんて耐えられないッ! きっとキャンディ責めでデロデロに甘やかして無理やりその気にさせるのよだって旦那様ってば性根が捻じ曲がってるもの! キャンディケインよりグルグルグルの陰険よッ!? 私くらいしか好きにならないと思いたかったのに、もう手に入った女はいらないの!? これだから海賊ってば欲しいもののために全力尽くしちゃうんだからひどいひどいひどい!!!!」



ついには尻餅をついて顔を覆った女。部屋中に不穏な冷気が漂い、天井には氷柱ができ始める。

ベッジの部下たちは異様な空気に近寄れず、麦わら一味も呆気に取られて動かない。この忙しい時にアポ無しでやって来た小娘にどう穏便にお帰りいただくか。

ベッジが一歩踏み出したその時、「ふぎゃっ!!」シフォンの腕の中にいたペッツが寒さに震えて泣き始めた。


「────あっ」


ピタッ。冷気が止んだ。

辺りの空気が元の暖かさを取り戻す。それでもぐずるペッツを目の前に、女は顔を青褪めさせながらオロオロと指を差し出した。


「ごめんなさいペッツちゃん。おばさんうるさかったわね、怖かったですねぇ。静かにしますよ、しーってしますから。ほぅら、こしょこしょこしょー」
「きゃっきゃっ」
「んーんー、ペッツちゃんは元気ですねぇ、いい子いい子」
「……落ち着いた、ナマエ?」
「はい……ごめんなさい……」


「ベッジさんも、皆様も、お騒がせしました……」先ほどの狂乱はどこへ。涙で潤んだ瞳はそのままに、羞恥で頬を火照らせた美女がしゅんと落ち込んでいる。サンジが胸を抑え自称ガスティーノが舌舐めずりし隣のヴィトが容赦ないエルボーを脇腹に叩き込んだ。


「ナマエ義姉さん、今日のドレスも素敵ね? ペロス兄さんに選んでもらったの?」
「ええ、いつも通りママと一緒にね。一昨日は一日中着せ替え人形だったの。じっくり選んでいたわ」
「なら今頃探しているんじゃない? ペロス兄さんは義姉さんにベタ惚れだもの。ここまで乗り込んで来ちゃうかも」
「それはマズッ、大変だ!」


ビッグ・マム暗殺計画真っ最中に長男が乱入など目も当てられない。ベッジが芝居がかった口調でナマエに歩み寄った。


「マダム・ナマエ、夫君を不安にさせるのは感心しませんな。美しく着飾った妻が一人でいるなど気が気でないはずだ。私もシフォンがそばにいないなど考えたくもない」
「や、やだわ、アンタ」
「まぁ……ベッジさんは本当に素敵な旦那様ですね。海賊だから、なんて一括りにするものじゃありませんね。シフォンちゃんが羨ましいわ」
「ハッハッハッ! 光栄ですな! しかしペロスペロー氏も立派な愛妻家ではありませんか。早く安心させてください」
「ナマエ義姉さん、私が送っていくわ。ほら早く」
「ええ、ええ、本当にお騒がせしました」


泣き腫らした顔でスッと立ち上がる。座ってる面々からすればかなり上にある顔をなんとはなしに見上げていた面々。その内、サンジとナマエの目がバチっとかち合った。



「──サンジさん? どうしてここに? 今日はあなたの結婚式でしょう?」



ドッキーーン。

冷気はないのに部屋の中が緊張感で包まれる。

ベッジとシフォン、ジンベエは少なからずナマエの厄介さを知っている。本人の希少種としての能力もそうだが、ペロスペローの愛妻ということやシャーロット姉妹からの異様な可愛がられ方。傷付ければ血塗れの億倍返しが待っている。

どう誤魔化そうかと逡巡する間に、ナマエは心得たように手を合わせた。


「もしかして、お友達と内々のお祝いをしていたのかしら?」
「!! そ、そう! そうなの! サンジはしばらく万国から出られないだろうから、今のうちに短いパーティをしてたのよ!」
「じゃあ、本当にお邪魔だったのね、私……サンジさんごめんなさい。このお詫びは結婚式の後でしますね」
「い、いや、気にしないでくれ、レディ」


またまたしゅんと縮まってしまったナマエ。シフォンはこの勢いのまま外へと連れ出すことに成功した。


「本当にここまででいいの?」
「うん、シフォンちゃんにちょっと吐き出したかっただけなの。プラリネさんは捕まらなくて、シフォンちゃんしかいなかったから。まさかこんなに迷惑をかけてしまうなんて」


いつもしゃんと背筋を伸ばして優雅なナマエ。それが叱られた子供のようにおどおどと落ち着かない。珍しくはあるが、皆無ではない情緒不安定さ。


「ナマエ。兄さんは浮気するような人じゃないの、アンタがよく知ってるでしょう?」
「知ってる、けど、どうしてかここ最近落ち着かなくて……食事も美味しくないし、たまに気持ちが悪くなって、」
「……アンタ、最後の月のものはいつ来た?」

「2ヶ月前…………うそ」


「4人目?」


喜ぶべきこと、なのだろう。少なくともナマエとペロスペローにとってはめでたいことだ。けれどシフォンは素直に喜べなくて、


その時のナマエも、何故だか顔が青褪めていた。











「ナマエは、育ての親に売られて奴隷になりかけたところをビッグ・マム海賊団に救われて、ペロスペロー兄さんと恋に落ちたの。少なくとも本人はそう思っているわ」
「ということは、事実とは異なるってこと?」
「あの子ね、とんでもない希少種なの。この世界に一人しかいないってくらいとびきりの。世界政府にも海軍にも奴隷商人にも狙われて、一人で隠れるより誰かに守ってもらうしかなかった。ママは喜んで迎え入れたわ。子供をたくさん産んで、希少種をたくさん増やしたいって」
「まるで仔犬みたいに言うのね」
「同じようなものよ。ナミも見たでしょう? それに、もっとひどいのは…………モンドール兄さんのブクブクの実の能力。ピン留めした生き物は本の中で永遠に生きていける。ママはね、ナマエが子供を産めなくなったら本に閉じ込める気なの」
「なっ!? ──で、でも! 旦那さんはビッグマムの子供なんでしょう? 息子のお嫁さんなら、」
「家族だからって情では自分の欲望を我慢できない。それがママよ」


「ペロス兄さんはもう50歳。子供を作れなくなったら他の兄弟をあてがうでしょうね。自分もたくさん夫を持ったもの。同じことを他人もできると考えるわ。でも、絶対にナマエは拒む。ママは子を産まない希少種を本に閉じ込めるわ。

──ペロス兄さんは、ママに反抗できない」


「そうなる前に、ナマエに逃げてほしいの」



ローラみたいに、逃げてほしい。










「痛いのやだよぉ、3回やっても慣れないよぉ、なんで代わってくれないの旦那様あなたの可愛い奥さんが泣いて縋ってるのになんでニヤニヤしてるのぉ、1回目はちゃんとおろおろしてくれたのに陰険おじさん……可愛くない……医療整ってない出産こわい……」



ところで何か忘れてる気がするなあ?





いいふう……兄さんの日、間に合いました! おめでとうペロス兄さん!

奥さん、もはや麦わら帽子しか覚えてないのにこの時のルフィは上からハット重ねてたから全力でスルーしました。

この後右腕吹っ飛んだ旦那様のキャンディアームを胸の谷間に突っ込んで「溶けかけても私が冷やしますからね……!」て涙目でテンパる妻にデレデレ汗をかく旦那様がいるかもしれない。万国に残ってもワノ国に着いてっても地獄なんですよね……。

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