夏の女



※ R15程度の性描写。



私は17歳で“覚醒”した。

黒髪黒目の前世日本人を思わせる色彩で、父母がいなかったから誰に似ているのかも分からない顔立ち。困っているような、気が弱そうな表情をしているとよくからかわれた。黙っているとどんどん相手のペースに乗せられてしまうから、自分を守るためにも意図的に厳しい口調を取るようになった。日本人の事なかれ主義はこの物騒な世界には通じないんだから。

拾われた孤児院でそのまま下の子たちを世話するようになり、いずれは院長先生の後継になるか、もしくは誰かと結婚してここを出るか。冒険とは縁遠い人生計画をぼんやりと思い描いていた。

その矢先、私はこの世界がワンピースであることに気が付いた。

何がキッカケだったのかは覚えていない。ただ海軍の誰それがやって来て、政府お抱えの天才科学者が探している希少種の足取りが17年前のこの島で途絶えたとか。その話を人伝に聞いているうちに、じわじわと既視感が襲ってきて、──私は変身した。

もともと前世と比べれば長身だった身長が倍以上に伸びた。黒かった髪は青々とした緑色に、瞳は熟れた葡萄色に様変わり。身長並みに伸びた髪を持ち上げると爽やかな森の香りがした。そよそよと風になびく木々のざわめきすら聞こえてきそうな不思議な髪の毛。森林浴のようにまどろみかけ、事態はもっと深刻なことだと気付くのが遅れた。


「“ロギアの子”だ!!」
「情報だけで1億の希少種よ!!」


商店が立ち並ぶ道のド真ん中の出来事だった。

私は逃げた。孤児院に戻ることもできず、手元にあるのは夕食の買い出しのための1万ベリーと一瞬でボロ切れになったワンピースだけ。サイズが合わない靴を投げ捨て、ほとんど裸みたいな格好であてどなく走り、捕まった。海軍に首輪をつけられ軍艦の最下層で鎖に繋がれてしまったんだ。

幸運だったことは、“覚醒”したてでありながらほんの少しだけ能力を使いこなせたことと、軍艦の閉じ込められた部屋が木製であったこと。

見張りの海兵が世間話程度に話していた“ロギアの子”の概要。自然系悪魔の実の能力者と同じ性質を生まれつき持っている絶滅危惧種。“覚醒”によって見た目が変わり、ランダムに四つの能力が出現するというもの。

既に首輪と手枷が嵌めてあるからか、そもそも前線向きではない人間だったのか。気の抜けた不真面目な態度で駄弁る海兵に耳を傾けて、ふと、自分の髪の毛が青々と輝いていることに気付く。

床は木製。髪は葉っぱ。もともとはおんなじ自然だ、なんて連想ゲームが繋がっていく。なんとはなしに床についた髪の毛に意識を集中したところ、……とぷんっ。紅茶に垂らしたミルクのように違和感なく混じり合った。

あとはもう勢いだった。

髪の毛の先から顔、体、足先の順で床板に溶け込む。そのまま意識をできるだけ冷静に均すと、自分がもともと木だったような心地良さが芽生え始める。ふわっとした意識の中、どれほど溶け込んでいたか。首輪と手枷だけが残った部屋に騒ぎ始めた海兵たちが無遠慮に床板を踏んでいく。その時の私は船の底の竜骨に潜んで、じっくりじっくり、意識を手放さないギリギリのまどろみの中にいた。

ハッキリと意識が戻ったのは、軍艦がもと来た航路を逆走して私の故郷を攻撃した時だった。

逃げ出して家に帰ったと思ったのかな。
町民が匿っていると思ったのかな。
孤児院を焼き討ちにするほど私が欲しかったのかな。

ぐるぐるとした激情がどんな結果になったか。燃え盛る町を背景に軍艦まるまる一隻を樹齢千年の大樹に変えて海に沈めた。海兵のほとんどは海の底。私は偶然難を逃れた数人が操る小舟の木に身を潜めた。今思えば見聞色を使える将校が残っていたら危なかったと思う。

それでも、私は海軍から逃げおおせた。

港に着いてからは別の船の木に潜り込み、ある程度離れたらまた別の木に。所持金は1万ベリーしかないからいざという時に取っておきたくてポケットの中に入れていた。木に潜っている間はぜんぜんお腹が空かなくて、水分補給だけしていれば日光の当たる場所でうとうとして生きていられた。

自分がどんどん人間じゃなくなる感覚を受け入れていた。

どこに逃げればいいかも分からず、安住の地を見つけようとも思わず。他人の船に乗り移ってはほんの少しの食料を盗み食いして日向ぼっこ。そんな生活を一年繰り返していたある日。

潜り込んでいた船が襲撃に遭った。相手は百獣海賊団。四皇カイドウが遠征に出ていた船にかち合った。しかも相手は見聞色の覇気を標準装備している大看板付き。デフォルトで炎を操る大看板キングによって私は炙りだされ、大火傷を負った状態で甲板の上に転がされた。

生きている木は水を含んでいる分燃えにくい。それでも燃えたということは水分を一瞬で蒸発させられるほど高温の炎ということ。けれど私の体は半分人間だった。木から人間に戻り、また木に生まれ変わって、さらに人間に戻ると火傷はリセットされる。

木の中を泳ぎすぎて立つことも忘れた巨体のまま、キングによって海楼石の手枷を嵌められた。カイドウの前に引っ立てられると、どう見ても面白がっている視線にじろじろと晒される。


「軍艦一隻沈めたにしちゃァ大人しいタマだ。これが伝説のアントロギア族か。どう思うキング」
「ただの女だ」
「ウォロロロロロ! 一年世界政府から逃げ続ける女が只者で堪るかよ」


人一人溺れそうな酒瓶を持ち上げぐびぐびと飲むカイドウ。人と話すのが久しぶりすぎてぼんやりと見上げるしかない私。不躾すぎる態度だと気が付いたところでカイドウの睥睨が降って来た。


「女ァ、故郷に帰る気はあるか?」
「っ、こきょう、ない、焼かれました」
「違ぇよ。お前の種の故郷だ。アントロギア族はもともとワノ国の妖怪っつー化け物からの派生だ。おれの縄張りに来い」


それは、拒否させる気もないのでは。

回らない舌であれこれ言うのも億劫で、「はぃ」と返事した私に、カイドウは興味を失ったようにまた酒をあおった。


「ガキみてぇなしゃべり方しやがって」


どちらが言ったか分からないが、この時、私は一世一代の賭けに出ることにした。


「はい、ごめんなさい」
「あァ?」


“ロギアの子”に覚醒していろんなものが変わってしまった。最たるものは髪と瞳の色だが、他には体型がある。4m近い長身、それに見合った長い手足、そして豊かすぎるほどたわわに実った胸と尻。男なら嫌いな人間はまずいないだろう体は、海賊という無法者を前にすればデメリットでしかない。私が誰かに助けを求めずに木になり切っていたのは、そういう心配をしていたからで。

カイドウやキング、他の男たちに食い物にされない保証はない。だから私は嘘をつくことにした。


「わたし、12歳。一年前、きゅうに変わって、こうなりました」


一瞬で見た目が変わる習性を利用した壮大なサバ読み。生まれつきの気弱そうな表情とたどたどしいしゃべり方もあいまって、さぞ迷子の子供らしく映ったことだろう。

とはいえ体は抱き心地抜群のナイスバディに違いない。相手が嘘に騙されてくれるか、中身童女と分かっていても手を出す変態でないことを祈るばかりだが、果たして。


「……」
「………………」
「カイドウさん、」
「おれをそんな目で見るな」


いい年した大人の大混乱って健康にいい。

愉快すぎて忘れていた人間性を取り戻した瞬間だった。




***




私は大きな布に包まれて荷物よろしくキングに抱えられワノ国に連れてこられた。

カイドウ曰く、“ロギアの子”が海軍や世界政府に渡るのは面倒、珍し物好きの四皇ビッグ・マムに取られても面倒、他の国で囲われたところでCP0が飛んでくるのは目に見えている。だから今のうちに確保して鎖国下にあるワノ国に隠しておくのだと。


「お前の仕事は日当たりの良い部屋で飾られてることだ。逃げてぇなら逃げろ。捕まえて死ぬより酷ぇ目に合わせてやる」


死ぬより酷いことってたくさんあるね。

四皇カイドウの睨み付けにも「あい」と間抜けな返事しかできなかった。口が回らない以前に、なんだか昔よりもいろいろと鈍くなってしまったみたい。


「お前らに話しておきてぇことはコイツだ。一年前に噂になってたアントロギア族の女を捕まえた」


「“ロギアの子”?」「本物か!?」と口に出したのは赤い仮面被った人と胸にXの刺青がある人。あ、ドレークだこの人。ということはこの人たち飛び六胞か。ブラックマリアは飛び六胞だっけ。んーっと、思ったよりもたくさん忘れてる?

アントロギア族ってなんぞや、と言う人たちにじろじろと観察されて、こっちもお返しに観察し返す。緑色の人がササキさんで、水色のお姉さんがうるティちゃん、絡まれているのが弟のページワンだった。よし。


「こんなナリでも中身は10越えたばかりのガキだ。放っておけば世界政府にいいように使われるか、リンリンのところに取り込まれるのは目に見えている。ワノ国で悪魔の実の能力者として囲った方がマシだ」
「この国は情報が入りにくいからな。アントロギア族の話なんざ誰も知らない。隠すよりはいっそ堂々と出しちまった方が目立たないだろうとおれが進言した」
「お前ら飛び六胞はコイツのお守りだ。能力者としての立ち居振る舞いを叩き込んでやれ」


すごく面倒そうな空気を感じる。

勝手に自分の今後を決められるのは、妥協しなくちゃいけないことなんだろうけれど。妥協できないことはしっかり線引きしときたい。


「……ハンショクは?」
「なんだって?」
「ハンショクは私のお仕事じゃない、ですか?」


ピンと来てない顔がたくさん。ごめんなさい、ちょっと語彙が死んでて。男と女のアハンウフンってなんて言うのか。せっ、せっ、センセーショナル?

「ハンショク……繁殖?」ブラックマリアの呟きに「うん」と頷いて、改めてカイドウを見上げる。


「海兵さんに言われました。私はハンショク用で、たくさん仲間を作ってからいろいろ体を調べる? みたいで、お船の中でもその練習をしようって、海兵さんがズボン下ろして一生懸命ごしごししてました。私のお仕事はそれを見てること? なのかな? もっとしたらハンショクもするって言われたけど、ハンショクする前に逃げちゃった、です」


しぃーーーーーーん。

静まり返った広間。ブラックマリアとうるティの冷たい目がドレークとフーズ・フーに集中する。「元だ、元! 海兵はとっくにやめた!」「俺はあいつらに恨みがある側だぞ!?」必死の弁明がその通りなのに怪しく聞こえる罠。私もこの人たちに何かされたわけじゃないので、決定権のあるカイドウをじぃっと見つめる。


「ここでもハンショクするんですか?」
「しないわ。しません。しませんよねェ?」


ブラックマリアがカイドウよりも早く三段活用で答えてしまった。本当? という目をカイドウに向けると酒が不味そうな顔でそっぽを向かれてしまった。


「する、の?」
「お前が逃げたり、とんでもねぇことをしでかしたらキングがやる」
「カイドウさん!?」


すごいぞあのカイドウが部下を売った。

女性陣の冷たい眼差しがキングにスライド。キングは自己主張の激しい炎を燃え上がらせた。


「ハンショク、したくないです。わかりました」


「フラれたなキング」「可哀想に」何やら愉快そうなササキとフーズ・フー、不愉快全開なキングの反応に私はこっそり安堵した。

無知すぎて何をされたか分かっていない性被害児童は海賊の良心にも効く。ナマエ学んだ。

ちなみに海兵さんのソロプレイはガチであったことです。海軍終わってるよ。




***



通されただだっ広い宴会場のような一室は、窓の外を見るとかなり高い階だった。きっと幹部の居住区の空いている部屋に押し込めたんだろう。4mの体でも持て余す。落ち着く隅っこを確保してホッと息を吐いた。

窓に寄りかかって遠くを眺める。ジッと目を凝らすと向こうの陸地が見えて、防風林の松の群れが青々と茂っている。いいなぁと羨ましく思った。心まで植物になってしまったのかな。


「そんな格好のままじゃいけないよ。こっちにおいで」


襖の奥から声がかけられた。体の力を抜いたまま、頭だけそっちを見るととんでもない身長の金髪美女が立っている。確かにこの巨体が使う部屋ならこれくらい広くないと無理か。首が痛いほど見上げるとシャンとした所作で着物の裾をさばきながら近寄ってくる。

ブラックマリアだ。改めましての自己紹介を聞きながら私もちゃんとしなきゃと正座した。


「ナマエ、です。はじめはひて」


噛んだ。


「お名前言えて偉いわね。ナマエちゃんはお姉さんが綺麗にしてあげる」


すんごい子供扱いされた。

「ついておいで」と背を向けられ、立ち上がろうとすると足に根っこが生えていた。畳にへばりつくそれを引きはがすのも面倒だし、なにより立ち上がる気力もない。正座から足を崩してペタンとしたまま根っこをわさわさ、スライドするように動き出せばかなり上からまん丸にした目が降って来た。


「いつも根っこに運んでもらってるの?」
「からだ、変わってから歩きづらくて」


あと下手に立ち上がると身長4mは目立つ。伏せた状態で移動した方が不法侵入にはもってこいだったから。


「子供の体から急に大きくなったってのは本当?」
「うん」
「歩くのも大変なんて、今までどうやって生きてきたんだい」
「木になって、木の友達になって、避難させてもらってました。人の船の中にもぐって、ジッとしてたら死ななかったの」


根っこ移動しながらお話しているうちにこじんまりとした湯殿に到着。実はこの一年ずっと来ていたボロのワンピースを脱いでお風呂へ。ポケットに入りっぱなしだったしわくちゃの1万ベリーは、一応とっておいてもらった。

体が重い。特におっぱい。おしりも座椅子からはみ出して大変。憧れのナイスバディってこんなに日常生活が大変なんて。うまい話には裏があるって本当なのね。ブラックマリア、改めマリアお姉さんとお話しながら体中の汚れを落としていく。一年お風呂に入っていなかったのに肌も髪もそんなに汚れていない。キングに燃やされて焦げ臭くなっただけだ。

私って本当に人間かな。


「カイドウさ、様? に、能力者らしくしろって言われました。何すればいいですか?」


「さあ?」気のない返事で着物をいくつか当てていく。最終的にお姉さんの帯と同じ水色の着物に決まった。


「子供に仕事なんて期待してないよ。たまに遊びに行ってあげるから、あそこで大人しくしていてね。ああでも歩く練習くらいはしなくちゃいけないか」
「お部屋から出ないのに?」
「お人形さんでいたいなら構わないよ。総督はお前さんくらい片手で持ち歩けるもの」
「んん……?」


ならいいのか?

肩だし花魁スタイルで着付けられて、さっきみたいに根っこ移動しながら考える。考えているうちに眠くなってしまい、マリアお姉さんが敷いてくれた布団ですやすやした。実に一年ぶりの寝具は、クッション性もクソもないのに極上の寝心地だった。


「せっかく着付けてやったのに、すぐにおねむになっちゃって。本当に子供なのねぇ」


なんだか都合よく勘違いしてくれてるなぁ。むにゃむにゃ。

むにゃむにゃしているうちに朝になっていた。

お布団から上体だけ起き上がらせてうとうと。船をこいでいるうちに外からやんややんやの大騒ぎが。幹部の居住区にいるにしては若い声だ。もしかして下っ端もうろつける場所なのかな。布団の上でぽけー−っとすることほんの少し。スパンッと襖が開いたかと思えば、目にもまぶしい水色がお膳片手に仁王立ちしていた。


「おうおう寝坊とはいい度胸だな新入りぃ!!」
「襖くらい静かに開けろよ姉・きぃぃぃぃい!?」


うるさっ。

真っ赤なヒールを脱がずにズカズカ入ってきたうるティお姉さんと、マスクと帽子で顔が見えづらくても分かる赤面で座り込んでるページワンくん。


「テメェうちのペーたん誘惑してんじゃねぇよブチ転がすぞ!?」
「ゆーわく」


のろのろと下を見て、合わせが盛大にご開帳されている着物に行きあたる。わあおっぱい丸見え。


「ごめんなさい、隠します」
「ごめんなさいで済んだら海賊やってねぇんだよ!」
「お、おい落ち着けって姉貴」
「弟に血を流されて落ち着けるか!」
「鼻血だ鼻血! 勘弁してくれ!」


うるティお姉さんがドスをきかせて睨みつけるごとにページワンくんのプライドがボロボロになっていく音がする。

乱暴に置かれた膳にはおにぎりと小鉢、お味噌汁はちょっとこぼれていた。


「これ、なんですか」
「あァん? おにぎりだよおにぎり! ンなことも知らないのか!?」
「いちいち突っかかるなって」
「“突っかかるな”だァ!?」


具を聞いたんだけど。

もそもそおにぎりを食べながら愉快なコントを眺めていた。具はおかかだった。

久しぶりの固形物に違和感を感じてしまうのは、ちょっとまずいと思った。

暇つぶしにこの階だけでも案内するというのでついていったら、ちゃんと足で歩けと言われて渋々根っこ移動を卒業した。ら、フラフラのぷるぷるで何度も廊下の壁にぶつかり、お姉さんにお尻を頭突きされて弟くんにダイブ。おっぱいで窒息させる事態になりめちゃくちゃ怒られた。結局あんまり案内してもらえなかった。

カイドウにも言われたことだし、お部屋に戻って大人しくすることにしよう。









ぼうっとしていたら一週間経っていた。

……もしかしてもしかしなくても私ってかなりヤバいかもしれない。

お布団の中で寝て目覚めると一日が終わっていることなんてザラ。枕元にいつの間にか置いてあったコップのお水に根っこ入れてるだけで食事不要。起きていても天井の模様を眺めたりワノ国本島の地平線を観察しているだけで時間が過ぎる。飽きたとか苦痛とか一切ない。これは植物とどう違うのか。

流石にこれはまずいと思ったのか、マリアお姉さんがお仕事の合間を縫ってちょくちょく顔を出してくれたり、うるティお姉さんとページワンくんが何故だか歩く練習に付き合ってくれたりする。でもうるティお姉さんはいつも怒ってるし、お尻の下敷きにしちゃったページワンくんは鼻血噴いた。ちょっとめんど大変んんん。

どうにかこうにか重たい体で歩けるようになったところで、マリアお姉さんが三味線の弾き方を教えてくれた。あの巨体に合わせた大きさの楽器はもはやオブジェだ。

コントラバスみたいに三味線を抱えてバチでべべん! と鳴らす。ただそれだけで「上手よ。その調子」と褒めてくれるマリアお姉さんは素敵なお姉さんだ。

そうだ、私って前世は末っ子だった。孤児院の年長者として頑張って来た手前、いろいろと自重してきたけれど、本当はこうやって甘やかされてのんびりするのが好きだった。

お姉ちゃんになんてなりたくなかった。

海軍からの逃亡生活は、最初に逃げ出した時以外で軍艦にはち会うことがなかったせいかそこまで緊迫感はなかった。そもそも船の竜骨なんて船員でも見る機会がない場所だし、絶対に見つからない自信のせいかゆったりとした船旅をしていたと思う。それでも、こうして自分の部屋を与えられて、ごはんとお布団があって、逃げずにひとところに留まる生活をしていると、やっぱり気を張っていたんだなぁって。


「私、もっとここにいたいなぁ」
「おかしなことを言うね。ナマエちゃんのお仕事はここにいることよ」
「ならいいや。マリアお姉さん、ここの指どうするんですか?」
「ここは中指で弦を抑えてね、」


歩くより先に三味線が上手くなりそう。


ぼんやりすぎた生活に危機感が芽生えたのはワノ国の生活に慣れてきた頃。

マリアお姉さんもうるティお姉さんもページワンくんも不在で、やることもなく微睡んでいる時、マリアお姉さんが言っていたことを思い出した。

そういえば、飛び六胞の一人がこのお屋敷で“猫カフェ”をやっているんだって。

「行きたい行きたい!」分かりやすく駄々をこねた私に、うるティお姉さんとページワンくんは懐疑的だった。猫の可愛さはこの二人には分からないみたい。ねだりにねだった私の珍しいワガママに折れた二人に連れられて、初めていつもいる階から下に降りた。

長期間ぼんやりしすぎていて正常な判断力というものが抜け落ちていた。


「あッ、ァひっ、やめ、まってぇぇ……っ!」



この大海賊時代に猫カフェがあるかい。



「はぁ、はぁ、」


全身がヨダレまみれのベットベト。濡れていないところはどこもないんじゃないかって体に、腕や帯に辛うじて着物を引っかけているようなほぼ裸みたいな格好。体感三十分大型肉食獣に舐めに舐められたショックが抜けない。

初めて降りた階の開けた場所。額縁に掲げられた“猫”の文字と、提灯やら格子やら和風と中華のいいとこどりみたいな場所に踏み入れた。途端にその場にいたフーズ・フーがデッカイ猫の姿に変身したかと思えばいきなり押し倒してきたんだ。

呆然とした私と、すぐに我に返って恐竜に変身したうるティお姉さんたち。何やら罵声を浴びせながらフーズ・フーの横っ腹に突撃していたが、全然止まらなかった。もうベロンベロンに舐めまわされ猫舌があらぬ場所まで伸びても抵抗できず、ザラザラに皮膚が削られて短い悲鳴を上げることしかできない。途中からわけが分からず白目をむいたあたりで黒い足がフーズ・フーを蹴り転がした。

そのままベトベトの私を担いだかと思えばもと来た道を戻り、前にマリアお姉さんに入れられたお風呂に連れていかれる。ここってキングの個人風呂だったのかも、と思い至るのと同時にヒノキの床に放り投げられた。

それからはひたすら水責めだ。ちがう、お湯責め。


「ガキが色気づきやがって。飛び六胞を誑かすたァどんな了見だ」


お湯釜に張ってあったお湯をばっしゃんばっしゃん。体のあちこちがヒリヒリ染みる。熱めのお湯だからっていうよりは、猫舌のザラザラに私の肌が耐えきれなかったらしい。全身真っ赤になったところにお湯がダメ押し。「痛いっ、ごほっ、い、ごぼぼ」口を開くとお湯が入り、黙っててもお湯は止まらず。


「猫野郎に取り入って何するつもりだった? 言え。全身熱消毒してから躾けてやる」


ボウッ! 背後の黒い翼から赤々とした炎。怖いは怖いんだけど、こっちはそれどころじゃない。口に入ったお湯をごほごほ吐き出し終えて、やっと息を吸えたところで全身黒レザーの巨人を正しく認識した。返事を待たれている。なに、なんだっけ。張り付く髪の毛を払いのけながら、そもそもなんでああなったかっていうと。


「ま、マタタビ……」
「あァ?」
「猫ちゃんがいるってお姉さんゆってた。マタタビ、いっぱい生やしたの」
「ネコチャン」
「猫ちゃんじゃなくて男の人だった……」


生やそうと思ったら生えた。猫じゃらしも生やして摘んだ気がする。意気揚々と猫ちゃんに会いに行ってデッカイ猫ちゃんに襲われた。私の猫カフェはどこ?

エンドレス猫舌ナメナメやキングのお湯責めショックよりも猫カフェ詐欺に泣きそうな全身お湯まみれの半裸女(中身は子供)(のフリをした女)。もうわけが分からない状態で、とっさに思い浮かんだ心配といえば……。


「……ハンショクするの?」


『お前が逃げたり、とんでもねぇことをしでかしたらキングがやる』ってカイドウ言ってた。これは“とんでもねぇこと”に入る? お湯責めでさっぱりさせたのをいいことにおっぱじめちゃうの? どうなの?


「………………しねェ」


目以外ぜんぶ隠れていて分からないけど、キングはさっきまでの怖さなんかどっかに行ったみたいで、それっきりお風呂から外に出て行ってしまった。

入れ替わりに血相変えたマリアお姉さんがお湯で濡れることもいとわずに駆け寄って、私の顔に張り付く髪の毛を優しくすいてくれた。


「やだ……ナマエちゃん、これは!」
「マリアおねーさん……」
「キングにやられたのかい!?」
「うん」
「子供だと知ってるクセにあの変態、拷問だけじゃなくロリコンまで……!!」
「うん?」



なんか勘違いされてない?




***




──べべんっ!

花の都は将軍のおわすオロチ城。この世の贅を集めに集めた宴もたけなわ。国中の美女を侍らせ食を貪り酒を浴び果てたオロチの目は一人の女に釘付けだった。

結わずに降ろされた緑色は、打ちかけのごとく着物の肩を滑り畳に広がる不思議な髪の毛。三味線の弦が跳ねるごとにポンッポンッと草が生え花を咲かす。

オロチが桜と言えば桜の枝を、梅と言えば梅の枝を、椿と言えば椿の枝を。伸ばして生やして咲かせて見せる。侍や遊女たちの掛け声に合わせて菖蒲や白菊、竜胆に牡丹、朝顔やら向日葵やら。季節も時間も関係なく女の髪に咲き乱れる。

曲はこの都に“似合い”の『桃源郷』。初心者には難しいものの、腕を磨いたワノ国屈指の花魁たちにとっては素人芸にも程がある。けれど三味線の音色に合わせて多種多様いろとりどりの花々が咲き乱れるソレは、一種の芸術として愛でるにふさわしい。

小紫花魁の三味線を聴き慣れたオロチとて「くるしゅうない!」と扇を開いた。


「ありがとうございます。私のような無作法ものをお城に呼んでもらえてうれしいです」


曲を弾き終わり土下座する女はこの場の誰よりも頭の位置が高かった。オロチや侍たちよりも高く、背に比例してどこもかしこも大きい。男の視線が何度も着物のあわせに向かったのは仕方ないことだろう。

悲し気に寝そべった眉も甘やかなたれ目もぽってりした唇も、体にみあった匂い立つ艶がある。髪の隙間から覗くうなじとて噛みつきたくなる白さであった。

普段のオロチであれば無理やりにでもそばに侍らせ無遠慮に肩を抱いていた。なんなら夜の供として閨に引きずり込んでいたかもしれない。けれどコレはいけない。踏み込んではいけない一線というものは、いかに愚か者とて見極めていた。


「良い良い、此度は無礼講としよう。しかしカイドウの宝というのも頷ける。余興にはうってつけの女ではないか!」


同盟相手、百獣のカイドウの掌中の玉。先の遠征で奪ってきた妖術使いであり、鬼ヶ島でも丁重に扱われている。此度はオロチへの顔見せと花の都への観光だと聞いた。かたわらには目付け役に飛び六胞のX・ドレークがドッカリと座り込んでおり、女へ手を伸ばそうとする不埒ものを鋭い眼光で牽制している。女の地位が推し量れるものだ。

そんなに大事ならば何故鬼ヶ島から出したのだろう。

酔いが回ったフリをした狂死郎は、厠帰りの廊下で思考を巡らせた。大事ならば仕舞い込んでおけばいい。手垢を付けたくないのならば飛び六胞を連れ歩くよりよっぽど楽だろうに。それかオロチに顔を覚えさせることになにか意味があるのだろうか。

障子ごしに舞い踊る遊女の影とお囃子の音がかすかに見聞きできる。ふらふらと歩いていた狂死郎は、目の前でつい今しがた部屋から出てきた二人組に出くわした。


「すいません、あの、どこかで巾着を見ませんでしたか」
「へぇ、巾着」


ずっしりとした重みが懐に忍ばせた手に触れている。ついさっき廊下の隅で発見した誰の物とも知れない巾着。


「大したものは入っていないんです」
「と、言いますと?」
「果物の種です」


果物? 確かに金子ではないと分かっていたが、こんなにぎっしりと種を入れる意味とは。


「果物の品種改良を趣味でしていて。植えたらすぐ実がなる種っていいなって。頑張ってみたんですけど、このお城は果物を育てなくったって食べ物には困らないみたい。将軍様にも言えなくて、そのまま持ち帰ろうかなって」


困り眉で訥々としゃべる女は見目に反してずいぶんと幼い。礼儀作法がなっていないというより、内気な禿を相手にしているようだ。


「植えたらすぐってェとどれほどにござるか?」
「次の日には」
「そりゃまた、」


嘘くさい話になった。


「そんなに一気に生えちゃ熟しているのか分からないねェ」
「味は良いはずですけど。私は美味しかったです」
「へぇ」


話半分で聞きながら、懐の手に力が入る。


「どこに落としたのかなぁ」


困った顔で首を傾げた女が礼もそこそこに元来た廊下を戻っていく。最後まで無言だったドレークが不気味ではあったが、懐の巾着にじっとりとした汗が染みこんだ。

さて、その日の晩に帰宅した狂死郎。遊郭の中庭の目立たぬ隅っこに拾った種をこっそり植えた。中庭の中でも日当たりが悪く、水気なんてないカラカラの土壌だ。水さえ与えずにいて、一晩。翌朝見に行くと自分の腰ほどの高さの若木が、重そうな桃を四つばかり抱え込んでいた。

こんなことがあるのだろうか。毒でもあるのでは。それこそカイドウが持ち込みオロチがばらまいたあのSMILEのような……。

ひとまず遊郭のネズミ捕りに小さく切った桃を置く。捕まったネズミは元気にチューチューないている。次に小鳥や野良猫、借金を踏み倒そうとする小悪党で試し、最後は自分だ。すぐに吐き出す心づもりで一つもぎ、皮をむいて一口。この世の物とは思えぬ瑞々しい甘味が口いっぱいに広がった。

種は狂死郎の片手いっぱいにあった。









「あ、狂死郎さんこんにちは!」
「これはこれは、奇遇で」


カイドウの宝は一月に三度の頻度で花の都にやってくる。かたわらにはドレークがいて、気安げに肩に手を置いて歩いているのを見かける。見目は成熟しきった女のくせして中身は世間擦れしていない童女だ。


「今日はどんなご予定で?」
「桜が綺麗だからお花見をしに。あとお姉さんたちに桜餅のお土産買うんです」
「桜なんざ自分で出せるでしょうに」
「自分の髪の毛見ててもつまらないです」
「そういうもんですかい」


結わずに下ろした緑の髪。ゆらゆら濡れたように輝く紫の瞳。まさに葉の隙間から覗く萩・夏萩のようだ。

ぶんぶん手を振って去って行った女。しばらく見送ってから懐にある巾着をそっと確かめる。女に会うたびに毎回似た柄の巾着が狂死郎の目の前に落ちている。中身は何かの種。桃や林檎、梨、無花果、蜜柑の他にサツマイモやジャガイモ、小麦、稲なんてこともあった。

これは確信犯だろう。

何の意図があって狂死郎にこの種を預けるのか。カイドウやオロチの手引きか。女の思い描く展望に関わっているのか。……純粋な善行か。

疑ってかかるしかないとしても、これのおかげで食い繋いでいる町人は都の外にたくさんいる。あばら屋の土間でさえ一晩で実ってしまい、また一晩を置けば二度三度と同じ実が育っている。桃源郷の果実だと町民たちは拝んだ。

女とは近すぎず遠すぎず、今のままの関係を保つ。カイドウの所有物とはいえ、本人は海賊ではないのだと知ってからは特に。あの化け物に魂を握られている女を巻き込んではならないと、堅く堅く、狂死郎の笑顔の仮面を被った。

光月トキの予言の二十年後まであと半年に迫った時分だった。




***




「人は腹が膨れれば生きていける。大志があれば生きていける。どちらもなければ生きていけない。何にでも頼る。神にも、悪魔にも、何にだってなる。だったら手っ取り早く腹を膨らませて大人しくさせればいいよ」


「例の種をわざと落とすのは何故だ」というドレークの問いかけに女はこう答えた。

半年前にカイドウが遠征帰りに拾ってきたという希少種の女。種族柄、“覚醒”した瞬間に見目が変化し種族として完成するという情報は管轄外のSWORDにも流れてきていた。この女は、実のところ十を過ぎたばかりの子供が急激に大人の体を手に入れたちぐはぐな存在であるのだと。

訝しんだのはなにもドレークだけではない。紹介された飛び六胞全員がそれぞれに疑念を持った。だが、時が経つにつれ妙な真実味を帯びていくのを誰もが感じ取っていた。

この女、警戒心が死んでいる。

フーズ・フーのネコ科フェにマタタビ装備で乗り込んで体中ナメつくされ、すぐにすっ飛んできたキングによって拷問を受けた話は知っている。

猫科ゆえに抗えなかったフーズ・フーはカイドウからお仕置き雷鳴八卦を一発お見舞いされ二度と女に近寄らなくなったし、逆に女はキングに近寄らなくなった。それでも顔を見ればのんきに「こんにちは」をするし、カイドウ相手の方がいくぶん柔らかく笑う。それも見た目不相応に(年相応というべきか)ニパッと愛想よく。普段の吹けば飛んでしまいそうな儚さなんて本当に吹き飛んでしまうのだ。

過去に捕獲・護送を担当した海兵に辱めを受けたというのに女は男を恐れない。キングは恐れているがどちらかというと炎を怖がっているのだろう。数m以上近付くと逃げる程度で、距離を置けば目を見て話せるのだから本気で恐れてはいない。拷問された相手に挨拶するびっくりメンタル。

これは外に出したらすぐ捕まる。

女がドレークに懐いたのを良いことに、「都歩きくらいさせてやんな」「あちきも行きたい行きたい!」と口うるさい女幹部たちに押し付けられ花の都まで監視役として赴くことになった。カイドウもいつまでも希少種を隠し通しておくよりは堂々と歩かせた方が逆に紛れると頷いた。緑髪に紫の目はそこまで珍しい色彩ではなかったのも都合が良かった。

ちなみに懐いた理由がドレークの異名が“堕ちた海兵”だったことから「私も海軍きらい。一緒ですね!」無邪気なdisりが余計にこたえた。

ドレークより1m以上高い位置にある頭が幼げに揺れ、呼応するように長すぎる髪がそよ風に揺れる。風なんぞ吹いていないのに、女の髪にだけ地に付く前に不思議とそよぐ。“ロギアの子”とはなんとも奇妙な種族である。

最低限オロチに面通りさせ、ほとんど都で散歩や観光、買い物ばかりの目的のない訪問であったが、徐々にそれだけじゃないことをドレークは察していた。それが意図的に落としていく例の種。

ドレークとて都の外の人間たちを痛む心はある。飢え死にする人間が減るのなら良いことだとは思う。半面、生き永らえたとて長く苦しむだけではないかというエゴもあり、何より女が見ず知らずの人間にわざわざ身を切る理由も不明だった。

それが、あっさり。「反乱分子が出ないように飼い殺すため」と。自称12歳の子供が為政者の言い分を口にした。

以前から数回、子供らしからぬ言説を唱えることがあった。どこからそんな考えが浮かぶのかと尋ねれば「誰かが言ってた」と返すばかり。そもそも自分が言ったことを覚えていないフシがあり、疑惑はより色濃くなる。

動物系悪魔の実には意志が宿る。自然系悪魔の実の能力を受け継ぐという話が本当ならば、この希少種は悪魔の実と同じように先人の記憶も継いでいるのではないか。


「人が死ぬのは悲しいもん」
「そう、だな」


本心からなのだろうことは理解できる。ただ実感が伴っていない。

みんながそう言うからそうなんだろう、という投げやりさを感じる。これもアントロギア族を逃がした失態の証拠隠滅のために故郷を燃やされたショックによるものなのか。当時11歳だった少女の心にどれほどの傷ができたのか。ドレークはゾッとすると同時に、本気で突き放せない弱さを実感してしまう。女にも、己にも。


「ドレークさんつかれた」
「おい、その寄りかかり方はやめろ!」


肩に手をつくのは良いが頭に胸部を乗っけるのは勘弁してほしい。

「ドレークさんもおっぱいデカいからわかるよね? 重いの」と謎の言い分でドレークのトサカを巨大な胸で押し潰す大きな体の子供。「おっぱ……!? バカモン!!」と絶叫してしまうのは仕方ない。

これがキングに見られれば、燃やされるのはドレークなのだから。




***



キングにお湯責めを食らったあの時。レザーの隙間から覗いた目を見て私は思った。

あ、ここにいたらまずい。

マリアお姉さんは優しいし、うるティお姉さんも可愛いし、ページワンくんも可愛い。カイドウはなんかよく分からないが不干渉を貫いている。他の幹部もそう。怖い人は近寄らなくて、ジッとしているだけで良い子良い子してもらえる環境って天国では、なんて。

でも、キングはダメだ。なんか、こう、期待している目をしていた。何をかは分からないけれど、少なくとも性欲ではないのは分かる。なんだろう、同族意識?

ワンピースのストーリーはかなりあやふやで細かいところは覚えていない。でもワノ国で百獣海賊団と戦うなら、きっとカイドウは負ける。負けたらこの国から出て行く。その時私はカイドウについていくかワノ国に残るかの二択になるだろう。なら、私はワノ国に残った方がいい。

非政府加盟国で鎖国してる国なら世界政府の目も届きにくいだろうし、負けて国を追われる海賊が今みたいに私を匿ってくれるとは限らない。戦力増強とか言って海軍みたいにハンショクの方向に舵を取られたら堪ったものじゃないから。


無責任に子供を作る男なんて滅びてしまえ。


孤児院でお姉さんしながら日常的にキレまくっていたことを思い出し、私のやる気は大噴火した。

ワノ国に住み着くなら最低限、カイドウの被害者枠に納まりつつ、ワノ国の人間に受け入れられるように恩を売っておく必要がある。日常的に餓死が出るような国だ。食べ物が一番喜ばれるに決まっている。思い至ってすぐ、身を削って即席食料を生産する修行を始めた。

文字通り、身を削っている。

マタタビを無意識に出していたあの事件から、知ってる植物は簡単に生やせることが分かった。着物の下の目立たないところであれやこれと実験を繰り返し、即席の種を作ったら今度は味がクソまじぃ。ガチの生産者顔で品種改良するハメになり、ワノ国に来て半年でようやく安定供給に至ったわけ。

あとどれくらいで麦わらさんたちが来るのかは未知だけれど、そう遠くないだろうとも思う。予言とかそういうのってだいたい主人公組が関わってる。光月おでんの奥さんが残した予言が今年らしいし。それまでカイドウや幹部の皆さんを誤魔化しながらワノ国の人間に恩を着せることにした。

狂死郎さんから町のみんなへのラインを確保しつつ、ドレークさんに懐きながらそれっぽいことを並べ立て、「私って詐欺師の才能ある?」と自画自賛していた。ありがとうナントカ魔王。

唯一の不安材料は、キングだ。


「…………」
「こんにちは」


遠征から帰ると何故か私の部屋に来る。一声かけてからズカズカ入ってきて、窓際の壁に寄りかかる私から三畳分離れたところで立ち止まる。そしてジッと見下ろしたり、座って見つめてきたり、お土産置いて帰ったり。ほぼ無言なのが怖い。マスクで表情が読めないから余計に。自分が絵画か何かになった気分。

私は、あくまでお仕置きを恐れる子供のようにお決まりの質問を投げかけた。


「ハンショクするの?」
「しねェ」


これもお決まりの返答だ。おかげで気楽にダラダラできる。カイドウの指示で、私にそういう意味で手を出せるのはキングだけだ。手を出されないということは例の種のことがバレていないか、バレていても黙認されているかだ。


「お前に種族の誇りはないのか」
「種族のホコリってなんですか? 知らない人に追いかけられるだけで、みんなとの違いってよくわかんないです」
「──自覚以前の問題、か」


あれ、なんだか今日は話が続くな?

足を崩して体の力を抜くと、自然と壁からずり落ちて畳に寝っ転がることになる。頭を上げるより寝っ転がって見上げた方が巨人と目が合わせやすい。

この状態だとキングの顔は6m上にある。もう二階とかそんな距離感だわ……とか思っていたら間違い探しみたいなゆっくりさで顔が大きくなってきている。あれ? となった時には両腕で私を閉じ込めるように畳に縫い付けられていたし、レザーの質感がくっきり分かるほど近いところに顔があった。

すごくハンショク5秒前。


「ハンショクしないってゆった」
「繁殖じゃねェ」


ここまで近いとマスクの隙間と眼のフチの間からほんの少し肌が見えた。健康的な色、という表現はちょっと適切じゃないかもしれない。人種柄なんだっけ。ここらへんもうろ覚えだ。こうも厳重に顔を隠さないといけない理由はだいたい察しが付くけれど。

同族意識。あながち間違いじゃないのかも。ぬっるぅ〜い視線を直視しないようにアレコレと考え事をしていたら、無視できない決定的な言葉が無慈悲にも降って来た。



「お前が頷けば愛ある行為だ」




なるほどセンセーショナル。





***




女の肌はどこに触れても柔らかかった。労働を知らない。戦闘を知らない。申し訳程度の筋肉の上に甘い脂肪を乗せた魅惑の肢体。指に力を入れれば程よく沈み、水を弾く張りを感じる。若い女の瑞々しさを余すところなく堪能できた。

青々とした森を思わせる髪を絨毯のように広げ、その上で艶めかしい裸体を晒す女。熟れた葡萄のような目は、きっと朝露を帯びたように潤んでいる。直接見ることができないとは、惜しいことだ。


「目隠し、まだつけとく?」
「もう少し……」


赤く腫れぼったい唇をもう一度ねぶる。発声するために開けられた隙間。舌を捻じ込んで溺れるほどに熱い口腔をかき回す。漏れ聞こえる甘い吐息はどう考えたって子供のソレではなかった。

キングは、女が12歳の子供ではないことに気付いていた。

女の故郷、今や焦土になった町にアントロギア族の目撃情報があったのは18年前。それから6年も同じ場所に潜伏して子を産み落とすだろうか。もしくは、他所で産んだ子を捨てに同じ場所に戻って来たか。その行為になんの意味がある? 18年前に子を産んで置いて行ったと考える方がまだ妥当だ。自己申告でしかない女の年齢に信憑性などあるはずもなく。キングは早々に別の可能性に行き着いた。

心を壊した女の幼児帰り。部分的な記憶喪失。大海賊時代以前から海賊をしているキングには珍しくもない悲惨さであった。

そこらへんはカイドウも理解している。飛び六胞の一部も察するものがあるのだろう。12歳相応の幼い言動と18歳相応の知性が歪に組み上がった女を刺激しないように持て余した。

アントロギア族の面倒さは、自然系悪魔の実の能力が使えることだけではない。覇気による攻撃が通じないことも厄介だ。だがそれ以上に、ワノ国の古い文献でさらに厄介なことが分かった。

“ロギアの子”は殺せない。老衰でしか死なない、不死の化け物だと。

初邂逅でキングの火炎を受け、瞬時に植物として生まれ直したあの再生能力からその一端を垣間見ていた。だが、不死などという眉唾な情報をどう信じろと?

一度死ぬまで殺してみるのはどうかとクイーンからの提案があったが、カイドウがすぐに却下した。今は大人しく囲われているから良いが、下手に刺激して女に逃げられたら厄介極まる。何せ木に潜れるのだ。鬼ヶ島の城の中か、百獣海賊団の船のどこかに潜り込まれれば、最悪全て燃やすことになる。燃やして炙り出したとして、本当に不死だった場合どう捕まえておけば良いか。

海軍も、世界政府も、ビッグ・マムも。希少種を繁殖させて軍隊を作る気満々のヤツらだ。こんなことで敵に武器を与えるのは避けたい。

動物系こそ至高の百獣海賊団とは相容れないが、考えることはだいたい予想がつく。(肉体的に)娘を持つカイドウはそういう非人道さは苦手だった。意外と繊細な男なので。

結局具体的な方針も決めぬまま、あまりトラウマを刺激しない女子供を中心に関わらせて保留していた。ちなみにクイーンとジャックは除外された。マッドな変態と強面の巨漢は刺激が強すぎる。クイーンの「お前ぇも変態だろうが!」は身に覚えがないのでしっかりスルーした。



『ハンショクするの?』



真っ赤に茹った肌。張り付く濡れ髪をそのままに、まっすぐ見上げてくる女の瞳。キングは確信した。


この女、正気でサバを読んでやがる。


例のネコ科フェマタタビ襲撃事件。本気で女がフーズ・フーを誘惑したとは思っていない。躾けに必要なのは恐怖だと知り尽くしていたからこその恫喝だ。それを、あの女は。

葡萄のような紫色が毒の沼に見えた。子供らしい無垢な声音で語りかけてきたくせに、見上げてくる目はこの世のすべてを突き放している。“どうせお前も”という諦めと、軽蔑と、無関心が透けて見えた。ただの子供がこんな目をして堪るか。


──『お前は世界を変えられるか?』


鎖に繋がれた子供は、きっとこんな目をしていた。

はじめは憐れみ。それからどうしてこうなったのか。



キングがナマエを抱いたのは、“愛ある行為”を迫ってから三ヶ月ほど経ってからだった。

『いや』たった二音の簡素な拒絶ながら、その目は相変わらずの毒沼。このまま事に及べば取り返しのつかないことになるのは目に見えていた。だから退いた。退いて、衝動のままに抱こうとした己に首を捻る。同情や憐れみで愛を盾に手籠めにしようなど意味不明にもほどがあるだろう。

ブラックマリアに世話をされ、うるティとページワンに連れまわされ、ドレークに過度なスキンシップを取り、ササキに都の花形文化について盛り上がり、フーズ・フーに全力で避けられている。そのくせ、なにがしかを裏でコソコソやっていたり、口調の緩さ以外で子供らしさを演じる努力が見えなかったり。

生きているようでちゃんと生きようとしていない。これが半分自然に溶け込んだ種族の特異性か、女個人の特殊性かはさておいて。キングはそれがひどく我慢できなかった。

希少種だからなんだ。
自分以外絶滅しているからなんだ。

生まれ故郷で同種に囲まれ種族としての誇りを育んだ自負があるキングと、はじめから人間に囲まれて途中から爪弾きにされた女とでは価値観が違った。違うからこそ、知りたくなった。

欲しいものは奪う海賊でも手段は選ぶ。

三ヶ月通って体を許された。女の心境の変化をキングは知らない。ならばまず体に聞くべきだろう。

肌はともかく髪くらいは隠しておこうとしたキングに対し、ナマエは妙に心得たように自ら目隠しをした。寝巻の細い帯でしっかり目に巻いて両腕を広げられた時には思わず喉を鳴らしたものだ。どんなマニアだ。我知らず身も心も背中も燃え上がってしまったのは完全な誤算だったが。

生まれたままの姿で抱き合い、睦み、言葉を交わす。レザー以外で久しぶりに触れた人肌は予想外にキングの情というものを満たしていった。


「キングさ、キングさん」
「なんだ。体がつらいか? もう少し動けるようになった方がいいぞ」
「ちがう。見えないのちょっと不便かも。できるだけ手つないでて」


キュッと縋ってくる手が愛おしかった。

自分から口に出しておいて、キングは“愛ある行為”を分かってはいなかった。




***



変な扉を開かせてしまったかもしれない。

あまりにもキングの通い妻()が板につきすぎていろんな人から「何か悪いことした?」と聞かれすぎたのと、置いてったお土産に一週間気付かなくて次回訪問したキングをしょぼんさせたのがあり、流石に居た堪れなくなった。四十越えのおじさんのしょぼんにうわっとなっちゃったのもある。引いた六割キュン四割。これは逆転するのも時間の問題か。

可愛想(誤字じゃない)だと思った時点で、“愛”ある行為になるんじゃないかって。

まあ風の噂でユースタス・キャプテン・キッドがワノ国に捕らえられたのを知って、カイドウの敗北秒読みだなって気が付いたからなんだけれど。あとちょっとくらいならまあ、愛人ごっこでもしていいかな。

何たら族のことは知らないていでいたくて自主的に目隠ししたら目隠しプレイがデフォルトになった。目が見えない分音や感触が露骨なのと何が来るか分からないぞくぞく感ですぐに失敗したと思った。今さらやめようとは言えなかった。もうおじさんのしょぼんに萌えたくない。


「キングさん、どこ触ってるの?」
「湯に落ちないように支えているだけだ」
「ふぅん」


お尻の際どいとこイタズラしてるんだよなぁ。

半身浴以下の深さのお湯にキングに抱えられたまま浸かる。当然目隠しなので手探りで相手の体に掴まっている。ロープみたいなのを引っ張ったら三つ編みだったこともあったっけ。ぜったい痛がっていない「こら、引っ張るな」は鳥肌ものだった。それ以降用がある時は引っ張ってあげている。やっぱり嬉しそうな声だった。

“愛ある行為”の後で私の体を洗うのもごはんを食べさせるのもキング。暗闇の中「口を開けろ」と唇に指を添えられ、実際に開けるとごはんが入ってくる確率は三分の一。のこりはキングの舌だ。このおじさん意外とキスが大好きである。

体は大人、頭脳は子供、えっちの時は目隠しの女に良いように使われることに快感を感じる体にしてしまった。責任取ってカイドウが負けるまでは変態プレイに付き合うことにしよう。


「ナマエ、喉が渇いただろう。何が飲みたい?」
「りんごじゅーす」
「分かった。口を開けろ」



それはあなたの舌でしょ。





可愛いキングおじさんを書くために遠回りしすぎました。

以下、思いついたは良いものの人によっては即死級のあのブツブツ恐怖症について触れてるので隔離した会話。絶対に大丈夫な自信がある方のみ見てください。検索もお勧めしません。私は一応検索してまだぞわぞわしてます。






「最初におれが迫った時、お前は口では拒絶していたが逃げるそぶりを見せなかった。そのまま襲われるつもりだったのか?」
「世の中には触ったら肌がかぶれる草がたくさんあるんですよ」
「おれの肌がそこらの草でダメージを負うとでも?」
「それか見たら死ぬ草の裏とか?」
「なんだそれは」
「ん」



火災のキング、集合体恐怖症になる。






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