冬の女



※R15程度の性描写と露骨なセクハラ。ペロスペローも主人公も変態です。
※ビッグ・マムの子供たちへの嫌な偏見強め。



私は16歳で“覚醒”した。

黒髪黒目の普通の子供だったと思う。強いて言うなら顔立ちがハーフっぽく堀が深めで華があった。前世と比べるまでもなく可愛く生んでくれて、顔も知らない両親に感謝していたくらい。育てのお母さまは貴族の未亡人らしく、寂しさを埋めて本当の娘のように私を愛してくれた。安全な一定水準の生活、教養や芸事にお金を費やしてくれて、この人のためになる人間になりたいと感謝していた。

それが、ある日突然に崩壊した。

黒かった髪の毛が一気に白くなった。黒かった瞳が一気に白銀に様変わりした。前世と同じだった身長が一気に倍以上伸びた。たぶんだいたい4m。それに付随するようにシャツのボタンが弾け飛び、長袖は半袖になり、ロングスカートはミニスカートになって、タイツが縫い目からびりびりと裂けた。手足が伸びて胸と尻が異常なほどモリモリ盛り上がったのだ。

一番の衝撃は髪の毛だろう。身長と同じだけ伸びたスノーホワイトの髪は、目を凝らすと小さな雪の結晶が川のように絶えず流れている。最新技術を使った映像芸術を見ているようだった。私はひとりチームラ〇゛か。もはやチームじゃないわ。

急激な体の変化にたまらなくなり、はしたなくも小走りで廊下を駆けて、お母さまの私室にノックもなしに入った。

私の変わり果てた姿を見たお母さまは、私が知らない下卑た表情を浮かべていた。


──ガチャンッ!!


その日、私は奴隷の首輪を嵌められた。

後から聞いた話、あの小さな港町は奴隷教育によって財を成しているのだと。領主役のご婦人が上流階級向けの侍女奴隷や恋人奴隷の教育を行い、折りの良いところで裏社会のヒューマンオークションに卸す。街中でもレストランや宿屋、商家などに卸す奴隷の教育を行っているのだと。奴隷の教育費はオークション側から支払われる上、上乗せされた代金は町の行政や修繕費、ボーナスとして分配される。教育されている奴隷は他所から仕事を紹介されてきた人間で、普通に働いているつもりなのにいつの間にか勝手に売られているのだ。

一見普通の港町の様相を呈しているそこは、人を人とも思わないクズどもの繁殖場だったのである。

連れてこられた船内。ヒューマンオークションから出向してきた男は、クッションが敷き詰められた四畳半の檻の中に私を縛り付け、町のことを楽し気に語って聞かせた。破れた服のまま連れてこられたせいでじろじろと胸や足を見られ生暖かい息を吐きつけられる。本当に最悪な気分だ。

お母さまの愛も、港町のみんなの親切も、私の努力も、全部金に換えられる商品でしかなかったのだから。


「特にお前はすごいぞ。なんせ“ロギアの子”だ。覚醒した希少種に生で拝めるなんざあの海賊王ですらなかったろうよ」


“ロギアの子”──アントロギア族。

はるか昔に実在していたという自然と人間の合いの子。自然系悪魔の実の能力の源流となった種族とも、自然系悪魔の実の能力が子々孫々遺伝し続ける特殊な種族とも言われている。卵が先か鶏が先か問題はさておき、事実としてアントロギア族は“覚醒”することで自然系悪魔の実の能力者と同じ能力が使えるようになるのだと。

私の首に嵌められているのは海楼石でできた高価な首輪であり、たとえ私が能力を使えたとしても決して抜け出せない。男はタイツの破れた隙間に指を突っ込みながら饒舌に語って聞かせる。無知な人間を嘲笑う快感に酔っているタイプだ。

両手を手錠でまとめられ、壁から垂れている鎖に繋がれてお手上げ状態。御開帳されているシャツの下から納まりきれないおっぱいがたぷんたぷん。体勢を変えるたびに揺れる脂肪が重いったらない。

少年誌に載せられないムチムチっぷりだ。青年誌のエロコメじゃないんだから。

食事やトイレ、身を清めるときに意図的に触れてくる無遠慮な手。商品だからと決定的なことはなかったけれど、人としても女としても尊厳を認められていないことがありありと感じられた。

日々すり減っていくメンタル。現実逃避をしようにもお先が真っ暗すぎてもはや考える気も起きない。

ワンピースってこんなシビアな世界だったんだ。

漫画として読んでいた物語。生まれ変わった世界が漫画の世界だと気付いた瞬間、私はアントロギアとして“覚醒”した。どんなタイミングだって感じ。

自分が希少種である自覚もないまま育って、色以外でどこが希少なのかも定かでないうちに、今さら人間扱いされません〜、なんて。意味が分からない。何なの本当に。馬鹿、ばかばかばーか。


「舌噛んでみるかぁ……」


ヤケクソでグッと歯を立てようとした、その時。

船体が大きく揺れる。鎖が擦れる音が耳障りで、揺れに合わせて振り回される体がクッションでなんとか受け止められる。遠くから響く怒号や発砲音、駆けてくる足音。これはまずいのでは、とゆったり思考が着地したところ。

扉が勢いよく開け放たれた。


「いたぞ」


健康的な肌色の足が長すぎる美女が狭そうに部屋に押し入って来た。

奴隷生活三週間目。ヒューマンオークションが開催される隠れ島に向けて進行していた船が四皇ビッグ・マム海賊団に襲撃され、私という戦利品がシャーロット・スムージーの手によって万国に持ち帰られた。








「私に人権をください。普通の人間として扱ってくださるなら、あなた様のお力になれるよう、精一杯努力します」


万国の女王。周りにお菓子が積まれた玉座にふんぞり返るビッグ・マムは私の倍以上も高い目線から歓迎の意を表した。アントロギア族はこの国にいない。世界中の種族を集めた平和な国を作ることが夢だと。特徴的な笑い声をあげる大海賊の船長に、恐れ多くも私は一つの要求をした。

殺されても仕方ないことだが、奴隷として人権が認められないくらいなら死んだほうがマシ。奴隷商人に奴隷扱いを受けただけでこんなにも疲れてしまった。本当の主人を得て奴隷生活が本格スタートしていたらきっと耐えきれずに生きた屍になってしまう。

基本的人権を、口調だけは下手に出て主張する私に、ビッグ・マムはピクリと眉を震わせてから大声で笑った。


「いいだろう。お前がこの国にいる限り国民として守ってやる。その代わり、おれのお願いも聞いてくれるよな?」


後半の低まった声に忘れていた恐怖心がドッと湧き出す。断ることはできない。目を逸らしてはいけない。ゆっくり頷いた私に、ビッグ・マムは満足そうに目を細めた。


「おれの息子と結婚しろ。できるだけガキを産め。おれの血を引くアントロギア族をこの国で増やすんだ」


えっ。


「式は明後日だ。その前に挨拶くらい済ませておけよ。──出てきな!」


いや、断れないのは十分に分かっているけれど。けれど!

ビッグ・マムの玉座の裏の扉が開く。靴音がカツカツ近付いてくる。心の準備が整わないまま、頭の中では漫画のシャーロット家の兄弟たちをザッと並べ立てていた。一番マシなのはもちろんカタクリだ。もしくは芯が通ってそうなオーブンか、それか年が近そうな誰か、カカオ島で集まった人たちの中でシュッとした人がいた気がする。……いやいやいやもうこの際見た目とかいいから性格良さそうな人! ヤバい性癖がなさそうな人!


「うちの長男のペロスペローだ。申し分ない相手だろ?」


あっ、ベロが口から大幅に飛び出たおじさん。

姿が見える前にビッグ・マムから答えをフライングされてしまった。ペロスペローって、あの、えっ?

グッと目をつむり、思い浮かぶのはやっぱりベロ。陰険そうな目つき。尖った鼻。奇抜なキャンディファッション。なによりベロ。ずっとアメちゃん舐めてる長大ベロ。そして性格もサドッ気たっぷりのヤバい男だったはず。

というか、年の差いくつ……今ってどの時代だ?

足音が目前で止まる。そこでようやく目を開けなければいけない段階になり、私は覚悟を決めてバッと顔を上げた。


「はじめましてお嬢さん」


大きなベロが鼻先をかする勢いで揺れた。それでも私は、あまりの衝撃に目をかっぴらいたまま固まるしかない。

え……陰険……ペロリンオバケ……おじさん……えっ?


「そんなに緊張しないでくれたまえ。今までつらい経験をしたんだね。これからは私が君を守ってあげよう。安心して、末永く可愛がられているといい。“ロギアの子”」


えっ、と。

陰険そうな目、というか鋭いというか。鼻は尖ってても筋はスッと通っている。目尻のシワも、まあ、うん。体型はおじさんの割にスラッとしていて、ベロはベロだけれど、慇懃無礼とはいえ、海賊っぽくない物腰柔らかなおじさん紳士というか、ベロが、でも……ええ…………?



「すっっっっ………………………きぃ」
「は?」




あのビジュの実写化がこんな好みなことあるぅ??


お先真っ暗な希少種人生が急速に薔薇色へと色づき始めた大事件だった。



***



その日の私はホールケーキ城の客室で久しぶりのベッドに感動した。誰もいない一人部屋。変な男にセクハラされることもなく風呂トイレ使い放題。常時香るお菓子の匂いはまだ慣れないけれど、そんなものプライバシーの前ではただの空気だ。

ぐっすり眠り、朝は使用人に扮したお人形さんに起こされ優雅な朝食。そしてデザートにホットケーキ。食後の紅茶まで堪能したところでビッグ・マムからのお呼び出しがあった。明日の結婚式のドレス選びだ。

ビッグ・マムは私を綺麗なお人形だと思っているのか。何十種類ものドレスを着せては脱がせ着せては脱がせ。最終的に胸元がガッツリ空いたものに決定した。腰がキュッと締まってスカートがフワッと広がっているヤツ。主役は胸ですって感じ。胸にしか目がいかない。

とはいえ黙ってお人形をやっていただけでビッグ・マムからの好感度は稼げたみたいで、「明日は結婚式だ。ゆっくりおやすみ」といたわりの言葉をいただいた。ビックリしすぎて声が裏返った。


それから、一晩明けて。



「病める時も健やかなる時も──」


本当に結婚式が始まってしまった。

出会って二日。顔合わせは五分。歳の差24歳! 40歳のベロおじさんと強制的に夫婦になる16歳! 字面だけ見ればなんたる不幸。借金のカタに売られたみたいなドン引き案件だが、現実は人権を得るための等価交換だ。納得したのは自分ってもっとシビア。はぁぁぁ人権意識のない世界なんて本当クソ。

誓いの言葉を聞いている間も、ベールを貫通して舐め回すような視線が胸に集中している。腰を抱く腕も自然を装って尻の部分をサワサワと。鳥肌が立った。このおじさん最低。最低おじさん。ベロの迫力がありすぎて服装が目に入らないが、白タキシードが悪人顔に本当に似合わない。帽子取ると顔がはっきり晒されて余計に。黒タキシードで良かったんじゃないかビッグ・マム。誰か指摘してやれよ。

誓いの言葉もそこそこに、形だけはうやうやしくベールを持ち上げられ、ちょっとばかし太陽の眩しさに目を細めた。身長差のせいで相手の顔が私の胸にくる、だけじゃなくガッツリ谷間を見られている。最低。最低ベロおじさん。


「誓いのキスを」


フワッと広がるスカートの下で軽くかがみ、高さを合わせれば相手の顔がグッと近付いた。当然だ。これから唇にキスをするんだから。私のファーストキスを……こんなベロおじさんに捧げるなんて……。


────くぅぅぅっ! 顔が、顔が好みっ!!


確かにもともとおじさんは好きでしたが!? 特に細身の神経質そうなおじさん!! プライドばり高そうな筋っぽいおじさんに優しく馬鹿にされたいし歳下への接し方が分からないおじさんをからかって遊びたいなって性癖がありましたが!!?? 何もこんなベロのオバケみたいなおじさんに一目惚れしなくても!! クッ、くやじい〜〜〜〜!!!!

白タキシードが似合ってないのもまた可愛いと萌えてしまってはもう終わりだ。あばたもえくぼ。白タキシードもキャンディの包紙。何言ってんだ。

……ところでどこにキスすればいいんですか?

誓いのキスを、なんて言われても。長大なベロは口から飛び出して垂れたまま。唇を閉じてくれなきゃキスできないのに、このベロ収納しないと無理だ。唇の端っこ? 鼻先? おでことか? 誓いのキスで正解が分からない難問に頭を悩ませる花嫁は私くらいよ。

予想外の非常事態にカチンコチンに固まった私。よっぽどひどい顔をしていたのか。相手の舌が蛇のようにペロリンと踊り、私の顔面にぶち当たった。


「今さら嫌がっても遅い。ママの決定は絶対なんだよ」


ファーストキスはアメ味のベロ。

さ、最低……!!




***



理解はしていた。ここにいたって絶対に人権が保証されるわけではない。そもそも結婚して子供を産むことを強制された時点で繁殖用奴隷と何が違うのかって。

でもさ、この世界で皇帝と恐れられるような海賊団からどうやって逃げればいいの。逃げられたとして、何が希少なんだか分からないこの体がまた人攫いにあって今度こそ奴隷にされるかもしれない。一生襲われる心配をしながら人生を終えるのかもしれない。なら、便宜上は人として扱ってもらえるここにいる方がマシ。首輪付きの室内犬よりは首輪なしの屋外放し飼いになっただけマシだと思うしかない。

それにしたってさぁ……。


「うぅ…………」


結婚式のその日に初夜迎えて即ペロリンはないでしょ。

ガッツリ。それはもうガッツリねっちょり私の処女は奪われた。見た目のイメージそのままのねちっこいエッチに加え、全身余すことなく大きな舌で舐めまわされ、体中にキャンディの甘い匂いがこびり付いている。体格は私の方が大きいから死ぬほど痛いなんてことはなかったけれど、あらぬところが取れそうなほど乳を揉まれた。尻もなんか感覚ないかもしれない。男って胸と尻が好きすぎる。たかが脂肪にしつこいったらない。

おじさんナメてた。海賊の体力もナメてた。だからこんだけ舐めまわされたんですかそうなんですか。全身の虚脱感に身を任せ、寝て起きたら早朝。4m近い身長の私も余裕で寝れるサイズのベッドで、隣には小さくイビキをかくおじさん。私は素っ裸のまま相手に背を向けて静かに顔を覆った。


「たすけて……」


一番ショックだったのは、事に及んでいる最中の相手を可愛いと思ってしまった自分だった。

人生経験豊富。女の抱き方なんて当然知っている。私の倍も生きているおじさんが、最後は必死になって私に縋りついてくる。おっぱいに直に荒い息がかかって、ギラギラ血走った目がほとんど睨みつけるように私を見上げてきて。心も体もビックリするくらいキュンキュンしてしまった。


『初めてでここまで感じられるか普通ッ! はッ、可愛いじゃねぇか! 才能あるぜお前!?』


不意打ちの言葉攻めは万国の法律で禁止してください大変なことになったでしょ私が。


「うっ、さいてい、さいていっ」


16歳に手を出す40歳はクソって言いたい。ここが基本的人権の尊重がデフォルトで存在する日本なら声を大にして言ってる。でも残念ながらここ青少年保護育成条例とかないのよね。世界政府はそこらへんゆるゆるのゆるなのよ。私だけ精神的にきつきつのきつ。このまま軽蔑できたらどれだけ楽だったかって感じ。


「ころしてぇ……」
「それは無理な相談だな」


恥ずか死にかけたところ、背後から伸びてきた手が私の顎を掴んで引っ張る。無理やり背後に向けさせられた先には極悪ペロリン顔の現夫。朝日を浴びて露わになっている体は細身ながらに引き締まっていて、私を捕まえている腕も実用的な筋肉の筋が浮いて見える。


「お前にはたんまりガキを産んでこの国に種族を繁栄させる義務がある。今死んでもらっては困るんだ」


話が入ってこない。男の腕の筋大好き芸人の血が騒いで話が入ってこないんですよ。

や、やめて、これ以上私を誘惑しないで。ギャップ萌えで私を殺さないで。死んだら困るとか言ってるわりに殺そうとしてくるよ。なにこのおじさん。

しかも昨日から薄々気が付いていたけどこのおじさん全然加齢臭しないんだけど。ずー−−っとキャンディの甘い匂いしかしないんだけど!? うんこしないアイドルか!? 嫌悪感を抱けるのが倫理の欠如しかないなんて私をどうしたいの!?


「大人しくしていれば可愛がってやる。考える頭があるなら身の振り方は分かるだろ、“ロギアの子”?」


好きになりたくない好きになりたくない未だに名前すら呼んでくれない男なんか好きになりたくない。

大きなベロが味見するように私の頬を舐める。この時浮かんだのがどういう意味の鳥肌かなんて、分かっていても精一杯無視した。




***




結婚してすぐ連れてこられたのは万国の首都があるホールケーキ島にほど近いキャンディ島のペロリタウン。キャンディ大臣専用のお屋敷の煌びやかな調度品が並んだ広い一室をもらった。形だけでも奥様としての部屋を与えたらしい。夜は夫婦共通の主寝室で子作りしないといけないから、ここにいるのは昼間の間だけ。

そこでやることと言えばほとんどなにもない。強いて言うならシャーロット家のご兄弟の顔とお名前を一致させたりキャンディの種類を覚えたり、あとなにか欲しいものがあれば常識の範囲内で与えると言われたが、すぐには思い浮かばなかった。

“覚醒”してからすぐに大きくなった体に、実のところまだ慣れていない。奴隷船に揺られていた間は九割鎖に繋がれて座っていたので、歩いたり走ったりする時の視界の高さや体を振り回す胸の大きさにビックリすることの連続だ。前の私はスレンダーな体形だったから余計に下を向くと胸で足元が見えない状況にビビる。しゃがむ時とかもなんか不自由だし、男性の視線に気疲れしてしまい出歩くのもしんどい。一番不埒な視線をしているのは旦那様なんだけれど。

椅子に座れば嫌でも床につく映像芸術の髪。サラサラすぎて結ぶと解ける。何事もやりすぎ行き過ぎは良くないという例。希少種っていったい。

溜息を小さく吐く私に、ホーミーズ入りのメイド人形がトランプの手品を見せようかと寄ってくる。いらないいらない。手を振るとちょっとしょんぼりしながら壁際に戻っていくのがなんだかね。監視だと分かっていても可愛らしいとは思ってしまう。

数日ほど夜の生活に慣れずに昼間ぼんやりしていた私だったが、そんな時間はないことは徐々に分かっていた。私がここで人権を保証されるには最低でもペロスペローの寵愛が必須なんだ。

結婚式の前日、ドレスを着せ替えるビッグ・マムはしばしば私の耳に入るくらいの大きな独り言をこぼしていた。『お前は綺麗だねぇ。一生綺麗なまま飾りたいねぇ』と。あれは、つまり、あれだ。なんかそういう能力の人がいた気がする。人間を生きたまま蝶のように標本にして本に閉じ込める能力。希少種を増やすという目的がなければ、私は死ぬことも許されずに永遠に本に閉じ込められるかもしれない。

子供を産むか標本になるかの地獄の二択。そして恐らく今後私に子供ができなかった場合『やっぱ標本にしよ』とか言い出しかねない。つまり私はペロスペローに飽きられないように、もしくは標本にしたいとビッグ・マムが思った時に庇ってもらえる程度の仲にはなりたい。

そのためにも人脈と情報収集は大事だ。


「失礼する」
「お待ちしておりました、スムージー様」
「様は結構。お前はペロス兄さんの妻だろう。これからは家族として接してほしいものだな」
「では、スムージーさん」
「まだ他人行儀だがまあいい。早速試してもいいだろうか、“義姉さん”」
「ええ、どうぞ」


年上の女の人に姉呼びされるなんて不思議。長兄の嫁だから間違ってはいないのか。

わざわざキャンディ島までご足労願ったスムージーさんが手土産に岩やら花やら果物やらをテーブルに並べ始める。私は大きめのグラスの一つを手渡すと、次に自分の髪の毛を前側に集めた。


「本当にこれだけでいいんですか?」
「ああ、初めて見た時から興味があってな。流石に肉体の方は絞らない」


私が言いたいのは“髪絞らせるだけでお礼になるんですか?”って意味であって、“体も一緒に絞らなくていいんですか?”て自殺志願ではないのよ。

スムージーさんは私の身長と同じだけあるスノウホワイトの髪の毛を軽く2、3折ってまとめてグラスの上でギュッギュと絞る。どこにそんな水気があったのか、グラスの半分ほど鮮やかなブルーの液体がちゃぷんと溜まった。


「んっ、……なるほど、リキュールになるのか。ほのかに柑橘類の味もするな。爽やかで後味も良い」
「お口に合ったのなら何よりです。不味かったらお礼になりませんもの」
「別に礼を言われる筋合いはない。ママの命令に従ったまでのこと」
「それでも、私を気遣ってくださったのはスムージーさんです」


あの奴隷船から解放してくれたスムージーさんは最初から優しかった。初っ端で上着を貸してくれたし、海楼石の首輪に触れられないことを伝えて俵担ぎになることを説明してから担いでくれた。万国への運搬も女性ばかりで固めてくれて、どれだけ嬉しかったことか。

そのお礼をしたいと旦那様に伝えて、許可が下りたからこうして訪ねてきてもらえた。本来はお礼を言う私が訪ねるべきなんだろうけれど、ジュース大臣のスケジュール的にこの方が良いのだとか。


「ペロス兄さんとは上手くいっているだろうか。私たちの世話を焼いてくれるいい兄だが、男たちだけになるとどうにも悪ノリが過ぎるんだ」
「とんでもない。毎日良くしていただいております。むしろ私の方が海賊にお会いしたのが皆様が初めてで、旦那様に気を遣わせていないが心配です」
「……待て、“旦那様”?」
「はい」


旦那様です。結婚初日にそう呼べって言われました。


「なんだその、まるで使用人のような、」
「使用人のようなものではありませんか。皆さま家族の輪の中に入っていけるほど私も図太くありませんもの」


身の程はわきまえております〜という顔で目を伏せると、ピキッとグラスにヒビが入る音がした。


「ペロス兄さんと話さなければならないことができた。……ああ、まずは手土産を絞っていくか。今度来た時に好みを聞かせてくれ。では邪魔したな義姉さん」
「はっ、あの、なにかお気に障ることでも言いましたか?」
「ああ、身内がな」


ギュっギュっと手早く果物と岩を絞ってから出て行ってしまったスムージーさん。私としてはお礼にかこつけて兄妹間の関係やペロスペローに関する情報収集をしたかったのだけれど。

残されたグラスに恐る恐る口を付けると甘いフルーツカクテルの味がした。あ、好き。

それからご兄弟の方との親交を深めたいと言えば意外にも快く旦那様がアポを取ってくれた。やっぱり陰険変態ベロおじさんとはいえ家族思いなところは本物らしい。ほっこりしてしまう自分のチョロさを何度叱咤したことか。

何故だか妹さんばかりで順調に年上の義妹が増えていったんだけれど。

結婚式の時に挨拶したとはいえ、多すぎて本当に初めましてしか言えていなかった。海賊という稼業のせいかクールなお姉さまや快活なお姉さまが多い。長男の嫁だからと気にかけてもらえて恐縮する。16年淑女になるように教育されてきた私とは思い切りの良さが違いすぎた。

そんな日々が続いて、結婚して二週間経った日。心なしかベロの威勢が悪い旦那様が私が食事中にご帰宅なされた。確か今日はホールケーキ城に泊まると言っていたのに。


「君は私がいないところではずいぶん饒舌になるらしい。嫌いな夫の陰口はさぞ楽しかっただろうなァ。…… 私の可愛い妹たちに何を吹き込んだ? ペロリン」


せっかくの美味しいビーフシチューが……。

入室と同時に私の体は引っ立てられキャンディによって肩まで固められてしまった。無理やり立たされたせいでテーブルがひっくり返って食事も台無し。持っているキャンディステッキでほっぺをぺちぺち叩かれ、下からは口ごたえを許さない鋭い目が睨みつけてくる。


「服も、食事も、寝床も、屋敷内での自由も与えている。人並以上の生活をさせてやっているだろうに、何が不満かね?」
「不満、ですか」


不満……といえば、あるにはあるけれど。以前よりマシな部分も確かにあってなんとも言いづらい。

16歳まで私を育ててくれたお母さまは、私を完璧な淑女に育て上げることに躍起だった。今思えば希少種として覚醒する保証のない娘を育てるのだから、覚醒しなくともそれなりの値が付くように必死だったのだろう。

規則正しい生活は当たり前。美しさを磨き保つために夜更かしなんてご法度。甘いお菓子は太るからと紅茶の角砂糖すら一日一個までだった。脂っこい食事もニキビの元になるからと淡泊なメニューが多く、食後は口臭があってはいけないからと最悪な味のハッカキャンディを毎食口に入れられた。

教養は確かにあってしかるべきだし、芸術に明るい方が人間的な成熟に繋がるのも分かる。話の幅も広がるし、何より、私はお母さまが私の将来を心配してあれだけ厳しく指導しているのだと納得していた。私のためだから耐えられる。口に出る言葉が自然と貴族らしい言葉使いになるまで、毎日毎日頑張って来た。

口調はすぐには変えられない。体に染みついた仕草も。それでも今、夜のお務めを果たせば強制された授業もなく好きな時間に起床就寝できて好きなものを食べられて、食後のハッカキャンディがないこの生活は満ち足りたものなのだろう。

強いて不満を挙げるとすれば、


「旦那様、」
「君の浅はかな考えなど分かっている。妹に取り入ってここから逃げ出すつもりなのだろう? 故郷ののどかな港町で優しいお母さまと一緒にぬるい紅茶でも飲んで明日のお稽古の話で盛り上がるような午後を取り戻したいんだ。だが! そんな甘い夢はありえねェ!」


この人なんでこんなにテンションが高いの。

言おうとしたことを途中で遮られた。不完全燃焼で吐き出したい気持ちがうずうずしている私なんかお構いなしに、旦那様は身振り手振りで大袈裟に不安を煽ろうとしてくる。



「お前の故郷は奴隷の教育場だったんだ!」



し、……………………ってる。


「お前は母親のフリしたババアに血統書付きの奴隷として売り払われるために育てられたんだよ!」


それも、ヒューマンオークションの男から聞いている。


「今さら帰ったところでまた売り飛ばされるだけさ! 今度こそお前の人権が保証されない世界政府の豚どもになァ!」


そう、ですね?

既に知っている情報を得意げに披露してくれる悪人面の旦那様。何故かテンション上がってらっしゃるところ恐縮ですが、私はどんなリアクションをするのが正解なのだろう。直立不動のまま、顔を俯ける形で旦那様の動向を見守るしかない。それも口を半開きにしたとぼけ顔で。

旦那様は何やらこの反応に満足しているらしく、両腕をバッと開き、さながら舞台俳優のようにソレを言い放った。


「だが安心しろ! あの港町はもうない!」


…………ハ?



「アントロギア族の居場所を突き止めた我々は船団を率いてあの港町にたどり着いた。しかし到着した時点でお前は既に売られた後で、領主館ではお前を売った金で盛大なパーティが執り行われていてね。私はスムージーに奴隷船を追うよう指示した後、海賊のお仕事を開始した。町中から金品を奪い、人を殺し、町を燃やした。今やあの港は草も生えない不毛の大地!

お前が逃げ帰ったところで迎えてくれる故郷なんざどこにもないんだよォ〜〜〜〜〜!!」



「くくくくくく!!」高笑いが、鼓膜を通して頭の中で反響している。身動きか取れないから耳を塞ぐこともできず。記憶の中のお母さまが、使用人が、先生が、町のみんなの顔が浮かんで、写真に火が付いたみたいに燃え落ちて、灰になって。

ポロリ。大粒の涙が見開いた目から零れ落ちた。

腕はキャンディで固まっている。あんまりな顔を覆うこともできなくて、私は。ニタニタと加虐的な快感に有頂天な目の前の男の視線に晒され続けた。

そんな、お母さまが、みんなが、あの町が、……燃やされてもうこの世界に存在しないなんて。


「これで思い知ったか!? お前の居場所は私の隣にしかない! 観念して大人しく、」
「旦那様」


細い喉を引き絞るように震わせる。熱を持ったのは、なにも眼球だけじゃない。体全体が火で炙られたように熱くて、苦しくて、切なくて、むずがゆくて、わたし、私は────。


「旦那様? “旦那様”ですって。あはっ」
「……なんだその目は。なにがおかしい。なにを企んでいる!?」
「うふっ、うふふふっ、……えへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへっへへへへっへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへっへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへえへっへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへっ!!!!」




────私は、正気を手放した。






***




ペロスペローの妻の部屋はいつもひんやりと涼しかった。

東向きの朝日が入る良い部屋だ。形だけでも妻を迎えるからとペロスペローの次に広い部屋を与えた。飴細工の繊細な調度品を揃えた部屋の中心で、高貴なる血筋の娘もかくやの佇まいで本を読むのが妻だった。──いつまでも人間のフリをする女だった。

“ロギアの子”、アントロギア族。生まれながらに自然系悪魔の実の能力を秘めた絶滅危惧種。いや、既に絶滅したものと思われていた希少種が実在していた。それが妻であった。実際に妻は現海軍大将・青雉のヒエヒエの実と似た体質を持っていた。“覚醒”したてだからか、本人に使いこなす才能がないのか。明確に冷気を操ることはなかったけれど、妻の肌に手を這わしたあの日、人間の体温ではないことにちゃんと気が付いていた。

アントロギア族をママが欲したのは、何も珍しい種族だからだけではない。“ロギアの子”などと呼ばれる原因となった自然系悪魔の実を食べた能力者と同じ能力を持っているから……なんて理由もある意味違う。

正確に言うなら、『海水も海楼石も武装色の覇気も通用しないロギア軍団を作りたい』、だ。

アントロギア族は遡ればワノ国原産の自然と人間の合いの子。自然と一体化した人間を祖とした種族であり、悪魔の実の能力と似た力を秘めている。とはいえ、勘違いしてはいけないのは本人が悪魔の実を食べたわけではないこと。海の神に嫌われる要素を種族としては持っていない。──ゆえに海水や海楼石は効かない。海水をかけられたところで濡れる以上も未満も意味を持たず、枷をつけられたところでただの重りにしかならず、その気になればするりとすり抜けることなど容易だ。武装色の覇気すらただの自然を前に無力だった。先人の中にはかの種族を“人の姿をした災害”と銘打つものもいたらしい。

だからこそ、覚醒の条件は厳しい。

ペロスペローは妻が覚醒した“ロギアの子”だと納得すると同時に疑う気持ちも半分あった。

幼げで可憐な顔立ちに似合わぬ成熟しすぎた体つき。男の劣情を煽るためだけにあるようなけしからん媚態。妻は常に張り付けたような笑みを浮かべていた。魔が差してペロスペローがちょっかいをかけても困ったような笑みしか浮かべない。ペロスペローがどれだけ嫌味を言い、穏やかな表情を悲しみに歪ませようとしたところで無意味だった。聖人のように受け入れる反応の鈍さはちっとも生き物らしくない。

ベッドの中でだけ、シーツの上で媚態を晒す妻だけが、女神から一人の女へと堕ちるレアケースだった。


『ころしてぇ……』


たっぷりとした胸を揺らし、腰を揺らし、髪を躍らせ、真っ白い肌をピンク色に染め上げる。楚々とした唇がいじらしく助けを求める様など極上のキャンディに違いなく。年甲斐もなくペロスペローは躍起になって妻を可愛がった。乱暴をする、という表現が似合いの夫婦の交合は子ができるまで続けられる。子ができてとしても生まれたらまた再開だ。妻にとっては生き地獄でしかないだろう。

これがママが欲する希少種の成れの果てとは、憐れすぎて涙が出そうだ。

始め、女が妻になる予定は微塵もなかった。種族を繁殖させるのが目的なのだから、なにも夫をあてがう意味はない。適当に手が空いた男兄弟が相手をする算段であった。ペロスペローは今回船を出し金品を戦利品としてもたらした功労者であり、なにより長男であったため、最初にその権利を主張しただけだ。


『私に人権をください』


それが“人権”などという弱肉強食の海には曖昧模糊な甘い夢を語り、ママが面白がって承諾するものだから。戦利品はペロスペローの妻という人権を得てしまった。……やることは何も変わらないが。


「ペロス兄まだかよ。そろそろ貸してくれてもいいんじゃねぇか?」
「おいおいまだ二週間も経っていないぞ。新婚に配慮をしてくれよお前たち」
「新婚って、形だけの結婚だろ」
「そうだよペロス兄さん。最初の約束忘れたのかよ」
「ママが推し進めた結婚だ。最低限夫婦としての体面は装っておかなくてはならないんだ。もう少し待て、ペロリン!」
「ちぇー」


希少種なぞお構いなしに妻の見た目は極上の女だ。新雪のような穢れを知らない貞淑さと淫魔のようにフェロモンをまき散らす蠱惑。指の動き一つとっても海賊稼業ではお目にかかれない気品を感じる。荒くれ者の加虐心を煽りに煽る神造物。何も知らない体に男を教えたのが自分だという愉悦がペロスペローに強烈な独占欲を抱かせた。

戦利品はみんなで分け合う、なんて。弟たちであっても許せない。

口先だけの長男の約束に聡い弟たちの何人かは疑心を抱いている。このまま一生貸さないのでは、という正解を叩き出した者はこの話題を振ることを止めた。

しかし、この会話に混ざらず聞いている妹たちはどうだろう。


「ペロス兄さん、義姉さんと別れてくれ」
「はぁ?」


いつも以上にムッスリとした顔のスムージーがペロスペローの前に立ちはだかる。その背後にはシトロンとシナモンも引き連れている。普段から戦士らしい強かさを持つ三つ子だが、それにしたってこの目はなんだ。冷え冷えと軽蔑しきった眼差しで兄を見下ろしてくる。


「“義姉さん”とはずいぶんアレに懐いたんだなスムージー。それで、なんと言ったか? 別れろ? どんな権限で私に命令している」
「義姉さんを奴隷船から略奪したのは私だ。持ち帰った戦利品をどうこうする権利の一端くらい噛めるだろう」
「だが、戦利品はすべからく船長のママのものだ。ママの許しなく私から取り上げてどういうつもりだ」
「カタクリ兄さんの嫁にする」

「──────あ"?」


コメカミにピキリと血管が浮かんだ。


「義姉さんは男の身勝手な欲に晒されていい人ではない。夫という立場で守ってやるのが筋というものだろうに、ペロス兄さんときたら義姉さんの尊厳を踏みにじることに必死じゃないか。他の兄弟まで使って女を食い物にしようなど虫唾が走る。これならカタクリ兄さんに任せた方が断然マシだ」


「不潔よ不潔」「男ってほんと最低」などと面と向かって妹たちに非難され、ブチブチと血管が切れる音がした。

スムージーは希少種の美しさを偉く気に入ったらしく、絞ればどんな味の飲み物になるのかと興味津々だった。髪の毛までなら良いとキャンディ島の屋敷への訪問を許可したが、まさか味だけじゃなくここまで心を傾けるとは思わなかった。

カタクリにあの女は無理だ。結婚式の衣装でチラ見して以降一瞬も目を向けることなく、その上見聞色の覇気で見た未来にすら顔を赤らめていた。結婚なんぞしてしまえばおそらく同じ屋敷にも住めない。あの完璧人間を演じる弟すら概念童貞に貶めた妻の魔性さにはさしものペロスペローとて戦慄したものだ。

やはりアレに弟たちを近付けるべきではない。

改めて弟たちのキャンディ島への訪問を禁止しようと決意したペロスペローだったが、それから数日に渡って「義姉さんを大事にして」「蔑ろにするくらいなら他の兄さんにやって」「カタクリお兄ちゃんならちゃんと幸せにしてくれるはずだよ」などなど。妻の魔性は妹たちへも悪影響を及ぼした。

大事な妹たちを誘惑して何をさせるつもりか。心当たりはすぐに出てきた。

あの女は、妹たちを唆してここから逃げようとしているのだ。



「もっと舌を縮めてください。お口の中に仕舞えないでしょ? ほらお手伝いしてあげるから。がんばれ、がんばれ」


果たして、本当にそうだったのだろうか。

妻の逃亡する気力をへし折るために、故郷を焼いたことを伝えてから妻は豹変した。不気味な笑い声をあげたかと思えば、氷のように透けた体がするりとキャンディのコーティングから抜け出した。雪の結晶を細かい糸にして編んだように、スノウホワイトの髪の毛がベール状に広がり、吹雪そのものになった妻がペロスペローに襲い掛かったのだ。

一陣の風がペロスペローを攫って、風によって開け放たれたドアをくぐり、寝室のベッドに押し付けられる。とっさに武装色の拳で応戦しようとしたが、それこそ雲を掴むように白い体をすり抜けた。

相手からは触れられるのにこちらからは触れられない。まさしく自然系悪魔の実の能力者。そのくせ覇気が効かない化け物。

形勢逆転。氷つく四肢の上に跨る妻は今までの貞淑なおっとりスマイルをかなぐり捨て、目に毒なほどうっとり蕩けた破顔を向けてくる。寒月を思わせる白銀の瞳には濡れ濡れと涙の膜が溜まっているのに、目尻からこぼれたそばから雪になった。

このまま氷像にされてもおかしくない。

脳裏にこの二週間の妻への態度、尊厳の凌辱、めくるめく夜の記憶が蘇り、冷や汗がタラタラと垂れて凍った。


「旦那様、私、不満があるんです」
「あ、ああ、分かっている。私が今までお前にしてきた、」
「誓いのキス」
「は……?」


つつつつつぅーー。いつも以上に冷たく、けれど皮膚の感触は変わらず柔らかい指が思わせぶりにペロスペローの舌の縦線を撫でた。


「ちゃんとしてくれなかった。ベロに顔面ビンタされて終わったの。おかしいよね?」
「そ、そうだな?」
「誓いのキスを済ませてないって、ちゃんと夫婦じゃないってことよ。そうでしょ?」
「そんなことはない。私たちはママに認められたれっきとした夫婦で、」
「こんな時までママママ言ってんじゃないよマザコン」
「マザッ!?」


ガシッと痛いくらいにベロを握られ、無遠慮な手つきで舌先から根元に向かってロールされていく。冷たすぎてペリペリと張り付く指の感触が恐ろしいが、何より蕩けた顔のまま熱心に自身の舌をいじくる女だ。生まれてから40年も癇癪持ちの母親に付き合ってきたペロスペローは、不機嫌な女の扱いに人一倍敏感であった。

下手なことを言ったらもっと拗れる。

ペロスペローは黙ることにした。

大人しくなったところで妻の手は止まることはなく、無理やりペロスペローの口の中に長大な舌を仕舞おうとぐいぐい来る。ロールでは顎が外れそうになったせいか、今度は蛇腹状に折るようになり、喉奥まで思いっきり詰められ「ぐえっ」となっても「がんばれがんばれ」と応援してくる。

最終的に数センチだけ舌先が飛び出た状態が限界だと諦めた。妻は「仕方ないなぁ」と呆れた風に息を吐いてから、ペロスペローの頬を撫で、旦那の飛び出た舌を口の中に咥えこんだ。


ちゅう。


なんて、可愛らしいリップ音。口内だけは人の熱々とした血潮を感じられる不思議さが、唇の表皮に触れられた事実で塗りつぶされる。至近距離からとろとろに蕩けた瞳を見つめ、舌先をしごくような動きで二度三度と唇を重ねられ、酸欠もあいまって意識が朦朧とした。


「唇まで甘いんですね、すごいすごい。私、癖になっちゃいそう」
「はっ、ふっ、」


やっと離れた唇。釣られて無理やり押し込められていた舌が飛び出し、新鮮な空気が急激に入ってくる。せき込む夫の目に滲む涙は、妻の指先で拭われると同時に雪に変化した。

天井に氷柱が下がり、家具には霜が降り、水分は氷の膜に代わり、キャンディの頭にアイスが付くような冷凍庫状態の部屋の中。情事の時と同じように顔中をピンク色に染め上げた妻は、それはそれは嬉しそうにペロスペローの胸板に擦り寄った。



「好き、大好き、末永く可愛がってね、私のペロペロキャンディちゃん」



──『すっっっっ………………………きぃ』

初対面のアレは幻聴ではなかったのか。

あまりに熱すぎる愛の告白を受け、ペロスペローの返事は“YES or はい”の二択しかない。おっかない女との会話はこれに限るのだから。










「ころして、たすけて、ころしてぇ……!」


翌朝のこと。貞淑な貴婦人も蠱惑的な毒婦の顔も脱ぎ捨てたおぼこい少女が自分に抱きつきながら恥ずか死んでいる。正気に戻った妻の知らない一面を見て“ギュンッッッ”となったペロスペローであった。




***




「一目惚れです一目惚れなんですよ悪いですか。吊りあがった目とか、目尻のシワとか、通った鼻筋とか、薄い唇とか、性格の悪さが隠せてない慇懃無礼な口調とか、紳士ぶってるわりに態度が荒くれ者なところとか、」
「おい待て。面と向かって言う陰口はただの悪口だぞ」
「褒めてるんです! 旦那様の好きなところ! ギャップ萌えって言葉をご存知でない!?」


昨日の記憶はなんだか曖昧で、唯一、体が軽くて口も軽くなった感覚だけが残っていて。朝起きたら旦那様の頭をおっぱいに押し付けて寝ていた。旦那様のエロい目がしょうがない子供を見る悟りの目に変わっていて余計に混乱し、諭すように昨日の大暴走を聞いて16年の淑女教育の賜物がすべて剥がれ落ちた。


「こんな、ひどい辱めです。私だって乙女ですよ。す、きな人と顔を見ておしゃべりできるような経験豊富な大人じゃないんです」
「……つまり、私の顔に緊張して無口になっていた、と? もっと恥ずかしいことを毎晩していただろ」
「あれはいいんですよあれは! おっぱい揉ませていれば喜んでくれるんですから!」
「ん"ん"、」


言葉を詰まらせる旦那様は昨日までの嫌味ったらしさはどっかに消えていて、私と対話する気がヒシヒシと感じられる。そう思うたびに、今までの態度は希少種という物扱いだったんだという気付きがモヤモヤと浮かんできた。


「君こそいいのか。私は故郷を燃やした海賊だぜ? そんな男と夫婦でいるなんて憎くて仕方ないんじゃないか?」
「泣くほど嬉しかったです。感謝してもしきれません」


ちなみに昨日ワーーッとなった最大の理由が、ずっと気がかりだったクズの繁殖地のことだった。私が人以下の辱めを受けている間に私を売った金でウハウハなあの町を想像しただけでハラワタ煮えくり返りそうだったのに、わずか1日かそこらであいつらは報いを受けた。もともと一目惚れでグラグラしていた好意が嬉しすぎて一気に身も心も陥落してしまったんだ。

まさかそれが希少種パワーの引き金になるとは思わなかったけれど。


「旦那様、あの、もし、私みたいな子供でもちゃんと奥さんにしてくれるなら、」


もじもじと照れを隠しきれないまま耳打ちすれば、旦那様は呆れたように舌を揺らした。



「今までの非礼を詫びよう。これからは名実ともに私の妻として存分に可愛がられてくれ。──俺のナマエ」



意地悪っぽさを残した低い声。筋張った手で愛おしげに髪をすかれ、念願叶って名前を呼んでもらえた。コントロールできないほど暴れ回る胸の熱に堪らなくなって、私は愛しの旦那様のベロにキスをした。










お互いに知らないことが多すぎると簡単なプロフィールの話になり、恐る恐るハッカキャンディが嫌いなことを伝えると「私もだよ」と驚きの共通点が見つかった。キャンディ好きの旦那様に嫌われるかも、なんて杞憂をほっぽって気を大きくした私は、実は前々から食べたい物があるのだと旦那様におねだりすることにした。


「私、お餅に飴がかかったものが食べたいんです。飴餅って言うんですけど」
「餅だァ!?」



何をそんなに不機嫌なんですか旦那様。





アントロギアanthologia…ギリシャ語で『花を集める』『詩集』、アンソロジーの語源なんですって。

ホールケーキアイランド編では26歳三人の子持ちマダムになっている予定。ちなみに覚醒した瞬間から見た目が変わってない。希少種設定を煮詰めたわりにあんまり重要じゃなかったことと、ペロスペローとのいちゃいちゃが薄かった反省点を今後生かしたいですね。


オマケの原作軸

「シフォンちゃん聞いてください。昨日ホールケーキ城に侵入者が出たらしいじゃないですか。ガレットさんから聞いたのですけれど旦那様の能力で捕まえたのでしょう? キャンディで拘束すればいいのに旦那様ったら水飴でべちょべちょにしたんですって。それも女性を! 若い女性を水飴濡れにしてあろうことか“キャンディちゃん”と呼んだんですよ! “甘そうなキャンディちゃん”!? 私というものがありながら初対面の若い女性にセクハラかましやがったんですやっぱり男性は妻がいても若い子の方が好きなんでしょうか10年も一緒なんですもの私なんかもう飽きちゃったのかしらどう思いますかシフォンちゃん私って女としての魅力がなくなっちゃったかなあ?」しくしく。

「俺の可愛い可愛いナマエちゃーん? どこ行ったんだいもう式が始まっちまうよ。ママと一緒に選んだドレスでほっつき歩くんじゃねぇよどこぞのVIPにエロい目で見られたらどうしてくれる触れられでもしたらソイツをぶっ殺してから白いお肌を全身俺の水飴でコーティングしてきっちりキャンディの匂いをつけ直してやるからな早く出ておいで俺の可愛い可愛い奥さん!!」

← back
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -