馴れ合う気はない。信頼ほど脆い物などないのだから。


「嫌よ」


その一言で、たくさんのものが凍りついたような気がした。目の前で呆然と私を見る少女も。周りからの視線も。すべてがすべて、次の瞬間には曖昧な感情の靄に早変わりする。


「嫌って、お前もっと言い方ってもんがあんだろ」
「言い方? 私はちゃんと言ったつもりだったのだけれど」
「いやー、せやかてな暁美さん、」


外野がうるさい。何故私と彼女の会話に割り込んでくるのか。


「分かったわ、言い方を変えましょう」
「え」


そんな苛立ちも含めて彼女と再度向き合えば、細い肩をびくりと震わせる姿が目に入った。この際はっきり言ってしまおう。後でまた蒸し返されないように、決定的な拒絶を彼女に送ろう。


「杜山しえみ、あなたとは友達になれないわ」


信頼なんて面倒なものを、また一から築けるほど私は器用ではない。そんなことは既に分かっているのだから。



***



「色から生まれ空にはあらず、此岸の淵こそ汝等が舞台」


何故その言葉が出てきたのかは分からない。けれど確かに、ここは私以外の誰かの舞台だ。それが、彼女のものかはさて置いて。

魔法円・印象術の授業。担当のネイガウス先生から渡された簡略化された紙に自分の血を押し付けて零れた言葉。意味の分からない単語の羅列に呼び出されて出てきたのは、子供くらいの大きさの人形だった。


「それは……初めて見る悪魔だな。恐らくは人形ガラテアの類いだが、それにしても珍しい。素晴らしいぞ暁美名前」
「ありがとうございます」


小指の甘皮ほども感情のこもっていないお礼を言いながらその人形の前にしゃがみ込む。短いく切りそろえられた金髪に真っ黒い喪服。大きな赤い目と鋭く裂けた口。今にも大声で笑いだしそうなその人形は、私の耳元で無邪気な子供のような声を奏でた。


「そう、イバリね」


不思議な響きの言葉。聞いたことのない単語なのに頭の中でスルスルと意味のあるものに変換されていく。私が口にすれば、人形はその名の通り威張り散らすようなポーズを取ってから勝手に消えてしまった。

やっぱり、ただの悪魔ではないのね。なんとなく気付いていた事実に一人で納得して、あたかも誤って返してしまったという風に魔法円の紙を破った。


「か、神木さん! 暁美さん!」


と、そこで緊張を孕んだ声に名前を呼ばれる。顔を上げずとも分かる。先日かけられた声音にそっくりなのだから、また彼女の友達作りの一環なのだろう。


「私も使い魔出せたよ!」


良かったわね。そう心の内で返すに留める。そうすれば神木出雲の一方的な皮肉で私の存在なんて流れていくのだから。

でも、なんでかしらね。彼女が攻撃を受けている場面を見ると、無償に腹立たしさが湧き上がってくる。さっきまであんなに彼女を傷つけてきた張本人だというのに。眉間にシワが寄りそうになるのを堪えて終了の鐘と共に教室を後にする。深く考えてしまう前に、早くあの部屋でソウルジェムを浄化しないといけない気がしたから。


それから合宿までの数日間。表面上は変わらぬ無表情で過ごしながら、私の心は決して穏やかではなかった。

事あるごとに奴隷のような扱いを受ける彼女を見ていると、久方ぶりに感じるドロドロとした汚泥が腹の底から湧き上がってくるのだ。腹立たしい。みっともない。恥知らず。数多の負の感情を飼い慣らしながら、それでも止めようとしないのは彼等との馴れ合いを絶っているからだ。

鬱々とした感情のせいで最近はソウルジェムの穢れが早い。本当なら合宿なんてしているほどの余裕はないのだけれど、あの男の言うことには従わないといけない。制服のポケットに仕込んだカプセルの数を確認して思案する。これがこの合宿中の生命線になる。使いどころは考えなければ。


「そうそう名前さん、ちゃんと忘れず下着は入れましたか?」
「死ね」


このセクハラ悪魔。


そうして合宿は始まった。
最初は以前から言われていた学力テスト。そこそこの点数を取れた手ごたえを感じながら終了と共に筆記用具を片付けていく。


「朴、お風呂入りに行こう」
「うん」
「あ、私も!」


本当はこのまま入浴してさっさと就寝したいのだが彼女たちがいるなら話は別だ。私は信用していない他人と風呂に入れない、なんてことを言うつもりはないけれど、進んでこの体を見せることは躊躇われた。この体はあくまでゾンビで、それでいて私が人間だった頃の名残を色濃く残したものなのだ。連れたって出ていく二人の後ろを追いかけるように着いていく杜山しえみの姿にまた苛立ちが募っていく。


「女子風呂かあ、ええなあ、これは覗いとかなあかんのやないですかねえ」
「志摩ァ! お前仮にも坊主やろ!」
「また志摩さんの悪い癖や」
「そんなん言うて、二人とも興味ある癖に」


イライラが内にくすぶっていくのを抑えようと躍起になっていたせいか、いきなり始まった志摩廉造の下世話な会話に退出するタイミングを逃してしまった。


「一応、ここに教師がいるのをお忘れなく」
「教師言うたかて、あんた結局高一やろ。無理しなはんな」


ニヤニヤ厭らしい笑みを浮かべて奥村雪男に近寄る。その内容はまだ可愛らしい部類ではあるけれど、必然的に出かけにしたあの男との会話を思い起こさせて、はっきり言って不快だった。


「僕は無謀な冒険はしない主義だし、同い年の女子の前で下世話な話をするような人間でもないので」


その言葉と共にちらと奥村雪男の目線がこちらに向く。その目線に釣られて志摩廉造がこちらを見てだらけきった顔を瞬時に青く染め上げた。


「女子の前で? ……って暁美さん!? いつの間に!?」
「さっきからずっといましたよ」
「全部聞いとったで」
「奥村先生。今から女子寮のシャワー室を借りに行ってもいいでしょうか」
「気持ちは分かりますが、ここで我慢してください」


無理と分かって言ったことだけど、彼は大変申し訳なさそうな顔で言うものだから諦めるしかなさそうね。


「では、私の部屋をできるだけ志摩君から離れた部屋に変えてもらうことは」
「それなら大丈夫ですよ。幸いこの旧男子寮は空き部屋がたくさんありますから」
「ありがとうございます」
「そ、そんなあ!」
「自業自得や」


じゃれ合いのような会話をしり目に今度こそ退室しようと扉へ向かった時、指輪が急速に熱くなった。


「何か、いる?」
「え?」


瞬間、どこから甲高い悲鳴が耳に入る。扉を開けていても僅かにしか聞こえない音量。けれどしっかりと先ほど風呂場に向かった女子の悲鳴だとは分かった。


「悪魔? なんで風呂場に、」
「急ぎましょう」


私の脇を通って走っていく奥村雪男。その後を勝呂竜士たちが走って着いていく。部屋にはまだ二人ほど残っていたが、動く気配がないので私も一応三人の後を着いて走っていくことにした。ここは二階で、風呂場は一階。走ればすぐに着く距離にある。一分もしないうちに辿り着いた女子風呂は悲惨なものになっていた。風呂場のガラスはほとんど大破し、朴朔子がぐったりと倒れている。その場に残る腐乱臭から屍系の悪魔がいたことだけははっきり分かった。話を聞く限り、朴朔子は屍の魔障を受け危機的状況にあったものの、杜山しえみの応急処置のおかげで大事にならずに済んだようだった。

三人組の後ろからその様子を眺めていると、すぐそばの棚の影に隠れるように座り込む神木出雲が目に入った。普段の強気な態度が抜け落ちて、思いつめたような表情をしている。それがいつかの私とかぶって見えて、思わず追い打ちをかけるようなことを言ってしまった。言った言葉は戻っては来ないというのに。


「今まで馬鹿にしてきた人間に、自分が出来なかったことをされてどんな気分かしら」
「ッ!!」
「恥を知りなさい」


それだけ言って、私は踵を返した。今日はもうお風呂に入れそうもないから、一度部屋に戻って仮眠を取ったほうが得策だ。

ここ最近の苛立ちがどこから来るのかは分からないけれど、神木出雲に言った言葉は八つ当たりも入っていることは重々承知している。だからこそ早くひとりになりたくて、私はさらに足を速めた。


その時背に感じた奥村雪男の探るような目線なんて心底どうでもよかった。


嘘つきクレーエ独りがお好き
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