憂いを添える



ふわふわと揺れる黒髪のその方は、驚くほど早い足捌きでこちらにズカズカと近付いてきた。

黒い上着に繊細な銀縁の刺繍が施された礼服がとても似合っている。シンプルながらも一目で一級品と分かる品々を身に纏い、不機嫌そうな顔がそこはかとない色気を醸し出している。どこかで見たことがある顔だと思いつつ観察していれば、彼はヴィンセント様に向かって口を開いた。


「ヴィンス! 女共を全部俺に押し付けて何してたんだ! お前は俺に嫌がらせでもしているのか!?」
「やだな兄さん。僕が兄さんに嫌がらせなんてするわけないだろう? こんなに兄さんのことが大好きなのに」
「そ、そうか……じゃなくてだな! 俺が言いたいのは、」
「兄さん、レディの前で大声を出すのはよしたほうがいいと思うよ」
「レディ? そんなも、の…………シエラ=リディール!!?」


会話というより言葉のドッチボールだ。しかも片方は必死なのにもう片方が余裕で避ける感じの。想像していたよりも砕けた会話だなあと静かに見ていると、彼は素っ頓狂な声で私の名前を呼んだ。「レディの名前を叫ぶのもだーめ」脇で何やらデレデレしているヴィンセント様に鳥肌が立ったのは置いといて。

もう一度二人をよく観察してみる。黒髪と金髪。眉間のシワと胡散臭い笑み。対称的な部分はいくつもあれど、二つ並んだ顔の作りはほとんど同じ。つまり、新しくやってきたこの方はヴィンセント様と近しい方で、ナイトレイ家の関係者ということになる。

…………アンとはあとでちゃんとお話しないとね。

いきなり挙動不審になった黒髪のその方は、大袈裟な咳払いを何回かした後で私に向き直り、改まった礼を披露した。


「ギルバート=ナイトレイだ。先ほどはその、大変失礼した」
「シエラ=リディールです。こちらこそ、ご挨拶が遅れて申し訳ありません」


今晩だけで慣れてしまった挨拶。だいぶ板についたんじゃないかなと思いながら上目づかいに相手の顔を窺った。黒髪の彼、ギルバート様は未だに落ち着かない様子で口を開閉させている。


「あの、先日は大変見苦しいお姿を見せてしまい、」
「見苦しい姿、ですか?」


見苦しい……はたしてそんなものを見る機会があっただろうか。心当たりが全くないため、そのことを表すように小さく首を傾げる。と、ギルバート様は心底安心したと言わんばかりに肩を撫でおろした。


「え、あ、お、覚えていないならそれでいいんだ!……リディール公爵には以前にとても有難い助言をいただいて、いつかはそのお礼をと思っていたのだがなかなか機会がなくて……よければあなたからお伝えしていただけないだろうか」
「わかりました、そのように伝えておきますわ」


私もお会いする機会がないんだけど。

そう心の中で付け足したことは内緒にしておくとして。そろそろアンのことが気になってきた。飲み物を取りに行ったにしては明らかに時間がかかり過ぎている。あの完璧人間に万が一なんてあるわけないと分かりつつも、ここ数ヶ月一緒にいたからか心配の気持ちを抑えられない。

一応……そう、一応よ?


「あの、どなたかに人を探していただきたいのですが」
「というと?」
「私の従者が飲み物を取りに行ったきり帰って来ないのです」


どうしたのでしょうね。曖昧な笑みを浮かべれば各々が各々のリアクションをする。片方があからさまに顔を反らし、もう片方がわざとらしくおやおやと呟く。多分言わなくてもどっちがどちらのリアクションかは分かると思う。


「従者とは、メリ=アンのことですよね?」
「はい」
「あ、あー、それは、だな」
「おそらくレインズワース家の従者のところでしょうね。アンは彼ととっても仲良しですから。私が案内いたしましょうか?」
「おい、ヴィンセント」
「お手数ですが、お願いしてもよろしいでしょうか?」
「ええ……もちろん」


一抹の警戒心を抱きつつ、さっきの会話の真意を聞くには二人きりになったほうがいいと思った。彼が私に何を期待しているのか、聞きたかったからこそ、私は自ら彼の差し出す手に自分の手を乗せたのだ。

そんな考えとは裏腹に、私は後でもっと危機感を持つべきだったと悔いることになる。

ヴィンセント様の必要以上に愉快そうな顔も、ギルバート様の複雑そうな顔も。ヴィンセント様にエスコートされて進む先が、明るいホールからだんだんと遠ざかっていくことも。

気が付いた時には私は鼠の幻影によって眠らされていたのだから。

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