百合を飾る



白いドレスと白い靴。複雑に編まれた頭の上で凛と咲き誇る白百合。全身を様々な白で着飾った今日の衣装。息の詰まりそうなコルセットを知らんぷりして馬車を降りれば、そこは光り輝く舞踏会の入り口だった。


「お嬢様、御手を」


いつもより数段華やかな白い燕尾服を身に纏うアン。その胸元には私のドレスと同じく百合を模したブローチが飾られていて、いつも以上に清廉な雰囲気を作り出している。最初に見た時は一瞬止まったけど、口を開けば今日の打ち合わせやら復習の話だから色気がない。あっても私が困るだけなのだけど。

差し出された腕にそっと手を添えて前を向く。


「リディール公爵家ご息女、シエラ様!」


気を引き締めて頑張ろう。

門兵の掛け声に続いて中に足を踏み入れれば、そこは外よりもさらに輝きの増した別世界だった。

一瞬の静寂と、その後のざわめきが広いホール中からこちらに集まってくる。方々から突き刺さる視線に手が震えそうになったけど、アンのふてぶてしい態度を見ていたらなんだか落ち着いてきた。

なにより色とりどりのドレスに身を包んだ婦人たちの反応がなんだか面白い。彼女たちは最初に私を見て、次いでアンを見る。その目には皆好奇心と期待と欲に濡れている。駆け引きや腹の探り合いに慣れてない私にとってもあからさま過ぎだと思った。まあ、アンは綺麗だものね。見た目は。

幾分余裕が出てきたおかげで、その後の挨拶回りは順調に進んだ。

この国の社交界デビューは、色んな方に挨拶をして羽根を貰うことで成人と認められたことになるらしい。まるでゲームのような感覚でドレスの留め具に羽根を付けていけば、ドレスの白と合間って天使のコスプレみたいな見た目になった。流石に全員分は邪魔かもしれない。


「お嬢様、お疲れのようですのでこちらのソファで休憩なされますか」
「あ、はい」
「何かお飲み物を取ってきますね」


長い足を伸ばしてスタスタ行ってしまった白い背中をぼんやり見つめる。それにしても、甲斐甲斐しいアンには慣れない。いえ、普段も甲斐甲斐しくお世話してくれるけれど、台詞が全くそんな感じを匂わせないから気安く感じるのかも。

ホールの隅に幾つか置かれたソファ。その一つに座って息を吐く。

さっきの挨拶回りでナイトレイ公爵やそのお子さんたちとのご挨拶が一番疲れた気がする。ナイトレイ公爵は終始含みのある笑顔だし、エリオットのお姉さんはなんか雰囲気が怖かったし。エリオットはエリオットで何故か学校の時より態度が素っ気なかった。それ以上に後ろでリーオがニヤニヤしてたのが気になったけど、時間が押してたからなし崩しみたいに羽根を貰ってしまったし。

思えば、なんでナイトレイ公爵は私をこのパーティーに招待したんだろう。

ずっと見ないようにしていた疑問が不意に顔を出す。

アンの様子を見る限り、ナイトレイ公爵家に対して良くも悪くも無関心だから、きっとリディール家にとってはそんなに重要ではないと思う。けれど今回、アンはこの招待を断らなかった。お互いがお互いに何か思惑があるのかしらね。

広いホールの中央では各々がダンスを踊ったり、何人かで固まってお話をしていたりと上品ながら賑やかな雰囲気が作られている。私が座っているちょうど前の方にも二つほど固まりがあって、何やらご婦人たちの声で騒がしい。

よくよく見れば二つとも中心に男性が一人ずつ立っていて、そういう目当ての方たちなんだと一目で分かった。楽しそうで何よりです。

そう他人事みたいに思っていたのだけれど、その内の一人と目が合ったことでそうも言ってられなくなった。

その男性は、食えない笑顔でご婦人たちの間を縫ってこちらに歩いてくる。途中でさりげなくボーイから飲み物を二つ取って、片方を私に差し出してきた。


「喉は渇いていませんか、レディ」


そういえば飲み物を取りに行ったアンはどうしたんだろう。

遅すぎる白い彼のことをチラと思いながら有難くグラスを受け取る。男性は長めの金髪を揺らしながら、とても自然に、割と図々しく私の隣に座ってきた。


「シエラ様でいらっしゃいますね、今宵社交界デビューなされた。ご挨拶が遅れましたが、私はヴィンセント=ナイトレイと申します」
「お初に御目にかかります。ご存知のようですが、わたくしはシエラ=リディールです。こちらこそ挨拶が遅れて申し訳ありません」


ナイトレイ家の方でした。

表面上は笑顔でご挨拶しながら、その事実に内心では動揺する。だってナイトレイ家関係の方には一番最初に挨拶を済ませたはずなのに、目の前のナイトレイを名乗る彼に挨拶した覚えはない。ということはアンが私に誘導するのを忘れたということ?

挨拶回りのリストをアン任せにしないで私も覚えておくべきだったかしら、と弱いアルコールをちびちび消費していく。ヴィンセント様との会話に当たり障りのないように返していると、何故か彼の笑みはだんだんと濃くなっていった。


「シエラ様は、最近レベイユに来たばかりだとお聞きしました」
「? ええ、お体の具合が良くなりましたので。そのおかげで、このような素敵なパーティーにも参加できるようになりましたの」
「なるほど、それでしたらまだレベイユには不慣れなことが多いでしょう。よろしければシエラ様の都合の良い日取りで私が案内したいのですが、」


それにしても急なお誘いだわ。

少しだけ焦りながらもどうお断りしたらいいか考えていると、それは起こった。

一瞬だけヴィンセント様の姿を見失い、それがどういうことか分かるのに時間を有した。きゃあ、とどこかから聞こえてきた悲鳴。顔のすぐ近くに感じる熱量。剥き出しの肩を金髪の毛先がくすぐって、温かい息が僅かながら耳元にかかる。

至近距離まで整った顔を寄せてきたヴィンセント様は、子供の内緒話をするように静かに囁いた。


「君が"あちら"に帰ってしまう前に頼みたいことがある。それを聞いてくれるなら、僕はいつまでも君の味方でいるよ」


このことを忘れないで。

ハッとしてすぐにその綺麗な顔に目を向ければ、彼は猫か何かのような人懐っこい笑みを浮かべていた。けれど、私の頭にはその下にどんな思惑を飼っているのかという不安と恐怖しか存在していなかった。


「あなたは、何を知っているの」
「何も、」

「ヴィンス!」


外行きの敬語を外した私の問いかけに、恐らく素の口調のまま答えようとしたヴィンセント様。その言葉を遮るように、また遠くから男性が一人早足で近付いてくる。


「御髪が乱れていましたよ」


振り返らずとも分かっているとでもいう風に私から身を離した彼は、白々しくもそんなことを宣って私の髪に触れてきた。その手つきが、先ほど覚えた負の感情とは一致しない。不安と恐怖とはかけ離れた優しさから、一瞬だけ考えてしまった虫がいい話に思わず眉を寄せた。

彼が本当に私の味方かもしれないだなんて、そんなことまだ分からないのに。

私はその手を振り払えなかった。

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