光に翳す
「学校ぉ?」
膝の上の本をそのままに、変わらない鉄面皮を見上げた私は素っ頓狂な声を上げた。
「はい、学校です。全寮制の由緒ある学園ですが、特別にこの屋敷から通うことを許可していただきましたのでご安心ください」
「うわあ……」
それって絶対に権力を使ってるわね。もしくは寄付金とか?
口に出さずとも私の反応で思っていることを読み取ったのかアンはとてもニコニコだ。正解という意味かしら。
「なんで今さら学校なの?」
「私は、お嬢様に、同年代のご学友に囲まれて心身共に健やかな生活を送っていただきたいのでございます」
「教える気はないということね」
分かっていましたとも。
私の反応が薄かったことに、アンは無表情のまま残念がって見せた。相変わらず器用な執事だ。
膝の上の本。アンがパンドラの図書室からいくつか見繕ってきてくれた本を読む作業に戻る。突然学校に行くことになったのはよく分からないけど、どうせ決定事項なのだから私が騒いでも仕方ない。
なんだかここに来て流されてばっかりな気がするわ。
私は細く息を吐いた。
それが、一週間前のこと。
「こちら、ミス・シエラ=リディール。本日付けで我がラトウィッジ校に編入学なされました。では、ミス・リディール、皆さんに自己紹介を」
「はじめまして、シエラ=リディールと申します。どうぞよろしくお願いしますね」
少し膝を曲げ、スカートの裾を少しだけつまみ、小首を傾げてにっこり。淑女の礼はこれで完璧、のはず。薄目で周りを見渡せば怪訝な顔は一つもないから多分大丈夫。うん、乗り切ったわ。
ほう、と心の中で一息ついて指定された席につく。それにしてもこの学校の制服はスカートが短い。俗に言うニーハイソックスの着用も義務付けられているし、中世ヨーロッパの世界観には浮いているように思う。そこらへんどうなってるのかしら。
悶々と考えを巡らせている間に一日の授業は過ぎて行く。今までのお嬢様修行は大変だったけれど、羽ペンや万年筆を上手に使えるようになったからそれだけは良かったわ。
聞いたこともないこの国の歴史や、この年で習うにしては簡単すぎる算術に新鮮さを感じながら、支給された鞄に教科書を詰めていく。ほとんど午前しか授業がない上に、三時のティータイムまであるとくればさすがとしか言いようがない。一日の時間割がゆったりしているのはやっぱり貴族の学校だからかしらね。
「あの、シエラ様、少しよろしいでしょうか」
「はい」
そんなことをつらつら考えていると、隣から可愛らしい声をかけられた。
条件反射のように返事をしてから相手に目を向ける。すぐに目に入ったのは声と同じ可愛らしい顔……ではなく、失礼なことにその凶器に近いサイズの胸だった。
お、大きい。私のより大きいわ……!
何故だかそこはかとない敗北感が頭の中を埋め尽くす。私も標準よりはあるはずなのに……いやいや、まずは相手の話を聞け、聞くのよ私。
「私、エイダ=ベザリウスと申します。先生にシエラ様のお世話を頼まれました。何か困った時は私に言ってくださいね」
頬を淡く染め、可愛らしく小首を傾げる彼女は紛うことなき美少女だった。
光のように輝く長い金髪に、翡翠をはめ込んだような潤んだ瞳。少し緊張しているのか眉を僅かに垂らす様子はなんだか守ってあげたくなる雰囲気を出している。
まさに、正統派美少女。
「はい、よろしくお願いします、エイダ様。それで、私のことはそのままシエラと呼んでくれませんか」
「え、えと、では、私のこともエイダと呼んでください」
「じゃあ、エイダって呼ぶわね。あと同じクラスメイトなら敬語もいらないわよね?」
「う、うん!じゃあシエラちゃん。これからよろしくね」
えへへ、と屈託なく笑うエイダ。その顔に癒されつつ、なんだか既視感が頭の片隅を掠める。
金髪。翠玉の瞳。甘い顔立ち。それらはどうしても彼と彼女を結びつけてしまう。
もしかして、彼女は、
「ねえ、エイダ。もしかしてあなたの親戚に、」
「お話のところ失礼いたします。ミス・リディール、表に迎えの馬車が来ております」
尋ねようとした声は見知らぬ誰かに遮られる。多分、この学校の使用人の方だろう。不思議そうにこちらを見つめるエイダを誤魔化して、私は鞄を手にとった。
「それでは、また明日会いましょう」
もしかしたら彼女はジャックと関係があるのかもしれない。
そう思ったけれど、見た目だけで決めつけるのはよくない。よく考えればこの国にどれだけ金髪碧眼がいるのかも分からないのに。他人の空似というやつかもしれない。
気のせいだ、と。自分の中の確信をなかったことにして、私はリディール邸に向かう馬車に乗り込んだ。
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