なかよし
「寝坊した……」
置き時計の針がとても大きな音を立てて七時を指した。
変な癖のついた前髪を払って起こしていた上体をベッドに戻す。別にこれから二度寝するとかそんなけしからんことをするわけじゃない。脱力。まさにそんな感じ。
今回の敗因はなんだったかといえば、もう一言でズバッと断言できる。黄瀬君のせいだ。
昨日、着信音だけを消したつもりだったのに、どうやら寝ぼけて全部の音を消していたらしい。おかげで五時に起きる予定が二時間もズレてしまった。学校に行く分には全然問題ない時間だし、今から歩いて行っても教室一番乗りは余裕なはずなんだけど、なんだか起き上がる気力がなかった。そう、これは気持ちの問題。優柔不断な私にはとても厄介な問題に他ならないのだ。
「学校、休もう」
ズル休みいえい。
……というのが今朝のこと。
「はい、私の勝ち」
小さな黒い札が並んだテーブル。薄いクッションの丸椅子に座った私は、我ながら気の抜けたような声で勝利宣言をした。
「青短に猪鹿蝶、雨四光だと……!?」
それに驚愕の声を上げたのが目の前の彼。木吉さんだ。
彼との付き合いは半年前くらいに遡る。私が交通事故で入院した際、病院の売店で知り合ったのがきっかけだ。おじいちゃんおばあちゃんばかりが入院している中、お互いが同じくらいの年でしかもどっちも松葉杖生活だったからなんとなくお話していたら仲良くなった。私が退院してからもちょくちょくお見舞いに顔を出すくらいには。
今回も平日の空いている時間を狙って面会に来て、なんだかんだで何故か花札勝負が始まったわけなんだけど。
すごく大袈裟なリアクション付きで顔を青褪めさせた木吉さんは、震える手つきでベッドサイドの引き出しからそれを摘まむ。さっきラス1だと聞いたばかりの、その真っ黒な包装紙のアメを、まるで身を裂くような悲痛な面持ちで私の目の前に差し出した。
「約束の黒飴だ……大事に食べてくれよ……っ!」
「んー、もう食べ飽きたんで遠慮しときます」
ちなみに本日十個目です。
「あ、マジで?」
じゃあ俺が食っちゃうわ。と嬉しそうに口にアメを放る彼。さっきまでの顔はなんだったのかと真剣に考えてしまいそうになる思考を頑張って打ち切る。そうしないとこの人とお話することが困難になってしまうから。このパターンのマイペースは人に合わせられないから意思疎通に疲れるのだ。
「そういえば今日平日だろ。この時間って学校じゃないのか?」
ギクッ
「…………今日は創立記念日なんデス」
「おお、そうだったんだな! 休みっぱなしで忘れてた! そんな日にわざわざ来てくれるなんて、やっぱりゆえはいいヤツだな!」
「いえいえ」
木吉さんちょろすぎないか。
なんか本気で嬉しがってる彼に一抹の申し訳なさが胸を過る。かといってまさかサボったとか言えないしなあ。
「誠凛には慣れたか? いい学校だろ」
「うん、校舎が綺麗ですし」
「そうだろそうだろ。俺も去年初めて入った時は感動したもんだ。天井高めで頭ぶつからなかったし」
そう言って快活に笑う彼は、いつも通りの愉快な人に見えたけど、でも少しだけ寂しそうにも見えた。確かに、たった三年しかない高校生活の半分近くを入院とリハビリで潰すんだから、辛くないわけないんだろう。
「あ、そろそろ時間なんで帰りますね」
「この後なんか用事があるのか?」
「スーパーのタイムセールがあるんです」
「ゆえはタイムセールが好きだな。確かこの前来た時もそうだったような」
「一人暮らしは油断が禁物ですからね。気を抜いたら無駄な浪費して最悪破産しちゃう可能性も……」
「なんだって!?」
「ありませんけどね」
木吉さんちょろすぎないか。
私の返事に本気で安堵した風な木吉さんに本日二度目の感想が出てくる。おちょくり甲斐があるのかないのか、微妙なところだ。
「またお見舞いに来ますね」
「おう、帰り道に気をつけるんだぞ!」
「はーい」
と、良い子のお返事をして私は病室を出た。
夕暮れ時の道を歩きながら、そういえば木吉さんってバスケ部だったなと思い出す。確か去年のあの頃にバスケの試合中の怪我で入院していたんだっけ。ただの怪我にしては一年近く病院で暮らすっていうのも長すぎるような。
そんなことをボーッと考えていた私は、不意打ちで背後から肩を叩かれ、驚いた反射でそっちに顔を向けた。
ムニッ
「……」
左頬に思いっきりめり込む指の感触。よく友達同士でやる例のイタズラ。普段なら巫山戯た調子で怒った風な態度を取るんだけど、今回は相手と場合が悪かった。
「ふ、ふろほふん」
「葵咲さん、今日学校をサボりましたね」
そこには、いつもの無表情に不穏なオーラを漂わせた黒子君が立っていた。
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