りふじん
人間、生きていればそれなりの理不尽をいくつか経験する。
第一印象で他人に嫌われること。勘違いでこっ酷い目に合うこと。思い通りに物事を進められないこと。すべての努力が無駄になること。
小さいものから大きなものまである様々な理不尽。
人間はそれらをある程度乗り越え、またはある程度諦めながら生きていくものである。成長と足踏みを繰り返して変わっていくものである。
ならば、と。ここで本末転倒なことを言うのが許されるならば。
理不尽を理不尽と捉えられない人間がいたとしたら、彼は、彼女は、どうやって変わればいいのだろうか。
「というようなことがこの前読んだ小説に書いてあったんです」
ズズズ
目の前の影の薄い彼は独り言のようにそんなことを呟いてから手元のバニラシェイクをすすった。独り言、といっても彼はこの微妙な空気を埋め合わせたかっただけかもしれない。水色の髪の毛の合間から覗く同色の瞳が、一瞬でもこちらから外れたことに少なからず安堵してしまった。そんな自分がいて思わず眉が下がる。
彼、黒子君のことが苦手なわけではない。むしろ仲のいい部類ではないかと自負できる。そこそこの友情は築いている。否、いたというべきか。
彼との付き合いは遡れば中学二年からになる。
同じ部活の選手とマネージャー。
主役と脇役。メインと補助。有体に言ってしまえばそこまでの関係の私たち。卒業式ですらお互いの姿を確認できなかったほどなのに。どうしてか私たちは今、夕暮れ時のマジバで向かい合ってシェイクを飲んでいる。同じ高校に入学して漸く落ち着いてきた四月の終わりに再び会い見えることとなった。
その理由はこの透明な瞳しか知らない真実なのである。
「率直に言います」
黒子君にしては随分と唐突に、前置きもなく飛び出してきた台詞。
その言葉だけで、次の言葉が自分が望まないものであることがなんとなく察してしまった。分かりたくなかったことを、我ながら回転の良いほうの頭ではじき出してしまったのだ。
「バスケ部のマネージャーになってください」
「ごめん」
何故ですか、と私の謝罪が違う言葉になって返ってくる。
この感じからして黒子君のほうも私の返事の予想は的中したらしい。何故ですか、なんてこっちが聞きたいくらいなのに。
「バスケに関わるのはやめたの」
「だから、それが何故だと聞いてるんです」
「さあ」
「僕は、君がいたからあそこまで強くなれたんだと思います。君が僕たちに本当の強さを教えてくれたから……」
「ふぅん」
「葵咲さん」
「なに?」
「あの頃みたいに、今度は誠凛の皆さんに力を分けてください。僕は、君に手伝ってほしいんです」
「必要?へぇ?」
「だから、」
「結局みんなバラバラになったのに?」
黒子君の口が音のない空気を吐き出す。
彼にしては珍しく、自分が無理矢理なことを言っている自覚があったんだと思う。けど、それ以上に、その無理矢理を呑み込んでくれるという信頼のほうがあったのだ。
だから、私は黒子君との話が居心地が悪くて仕方なかった。
「また、あんな思いをするのもさせるのも、私はいやだよ」
突き放すようなことを、言わなければいけないと分かっていたから。
「私はマネージャーにはならない」
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