よりみち



ぼんやり。閉店間近のスーパーで赤札コーナーを眺めながら今日の会話を思い出す。

私が自分の感情を自覚した後、黒子君がどんな話をしていたのか思い出せない。ただただ自分の中の恐怖に戸惑って、愕然と時間を過ごす。そうして気が付けば黒子君は目の前から消えていて、外はすっかり夜の顔へと様変わりしていた。

長居しすぎて店員の目が気になり始めたところで体がノロノロと動き出す。溶けきったシェイクをなんとか喉に流し込んで、なんだか怠い頭が今日の晩ご飯を考え出した。

今日はもうお惣菜でいいや。

というわけでスーパーまで来たのはいいものの、どうしても考え事は絶えることなく沸いて出てくる。


そもそも、バスケが怖いってどういうことなんだろ。

スポーツって普通、嫌いとか苦手とか、そういう言い方をするんじゃないのかな。怖いって、そんなふうに思うようなトラウマを植え付けられた覚えは皆無だし。突き指とか顔面キャッチとか、そんな痛々しい失敗はしていない。改めて考えれば考えるほど私がバスケに対して感じているものが異常に思えてくる。


「なんだかなあ……っ!」


また、だ。

今日の夕方のように、誰かの手が私の肩をポンッと叩く。男の人を思わせる固い感触と妙に優しい手つきに知り合いであることは間違いないと予測がついた。

こ、これは、またアレが来る……!

待ち受ける憎き人差し指を思い浮かべ、先手必勝とばかりに置かれた手の上に自分の手を押す。これで指を立てることは不可能!私の柔らかほっぺたは守られたのだ!内心で勝利を確信しながら振り返って一拍、私はパチクリと目を瞬かせた。


「…………」


…………わあ。


「…………こ、こんばんは?」


やってしまった感満載のまま、水戸部先輩の手をしっかり握りながら、私は引きつった笑顔で挨拶した。ちょ、なんで固まってるんですか先輩。


そして場所を移動して、公園のベンチ。

私の手にはお惣菜の入ったビニール袋。先輩の手には牛乳の入ったビニール袋。どうやらそれを買いに夜のスーパーまで来ていたらしい。

誰も遊んでいないブランコや滑り台がなんだか虚しい気持ちにさせる。少ない街灯が点々と灯るだけの暗い景色を眺めながら、私は口を開けたり閉じたりを繰り返していた。


「あー……あの、さっきのアレはですねー」
「…………」
「えーっと、えっと、えー」
「…………」
「…………さっきの、すいませんでした」


色んな話題を考えてたくせに、出てきたのは謝罪一択。あまりにも酷すぎる。普段は、それこそ毎朝取り止めもないことをたくさん話せるのに、何も出ない。今だけは水戸部先輩が喋ってくれることを祈ってしまう。


「なんか、考え事してて、それでびっくりしちゃって」
「…………」
「というか、あれ元はと言えば黒子君のせいなんですけどね。あ、今日黒子君と会って……話して、それで」
「…………」
「わた、し、バスケが、怖いらしいんです」


水戸部先輩が声を出さないのは今に始まった事じゃない。けれど、こんな暗い時間だからかなんだか不安が増していく。声が聞きたいと、思ってしまう。

だから、だ。


「バスケが怖いって、どういうことだと思います……?」


普段は絶対にしない、答えを求めるような質問をしてしまったのは。

さっきまで夜の景色を見上げていた顔は、気が付いたら地面に釘付けになっていた。自分の足と、ベンチの木目と、街灯に照らされた私と水戸部先輩の影。どれほど経っても返ってこない返事に、当たり前だと納得しつつ、どことなくがっかりしてしまう私は勝手な人間なんだろうな。

そう考えた瞬間に、私は見た。

水戸部先輩の影が、手を私の方に伸ばしている。それで、私の影とくっついたと思えば、頭の上に何かが乗っかる感触がした。


「水戸部、先輩?」


撫でられている。そう認識するのに時間はかからなかった。

恐る恐る見上げた先にある先輩の顔は、いつも以上に優しく、穏やかで、輝いている。ゆっくりとした手つきで髪を梳く感触。固い指が時々耳や頬を撫でて行って、それがなんだか猫扱いをされてる気がした。


「…………」


さっきと変わらない無言の中、先輩の唇が音のない言葉を紡ぎ出す。

表情と、手つきと、先輩のすべてと同じものをたくさん含んだ言葉が私の心を柔らかく包み込んだ。


『だいじょうぶ』


大丈夫。大丈夫。何回も何回も、続く声なき声。ぜんぜん私の質問の答えと関係ない、繋がらない、欲しかった言葉じゃない。なのに、それは聴けば聴くほど手放し難いものへと変わっていった。

大丈夫。大丈夫。大丈夫。


「だいじょうぶ」


最後に一つ。自分の口で発音した声は震えていない。涙の代わりに零れた笑みを、先輩は頷いて受け止める。なんだかそれだけで他のことなんてどうでも良くなった。

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