まるで光明



※ブス、ブサイク、美少女、美形など容姿に対する嫌な言及があります。嫌な予感がした瞬間読むのをやめてください。
※自虐強いコミュ障主人公。
※パラレルワールドだと思って読んでください。



彼が隣に座った瞬間、私は息を止めた。

とっさに気配を消そうと必死になった。顔はまっすぐ黒板を向いて、ガッチガチに体が固まっていた。

今までだって、男の子が隣に座るたびに反応しないように気を付けていた。もともと異性というものに免疫がない人間だ。そのくせ近くに来られると過剰に反応してしまう。自意識過剰だと嗤われるのはなんと恐ろしいことか。私みたいなブスに初対面で近付こうと思う人はいないって。思い上がって恥をかかないように他人にも自分にも言い聞かせられてきた。

でも、今日ばかりは別だった。なんというか、本当に。隣の席に座った彼は、今までの人生で見てきた中で一番────。


「隣のヤツとペア組んで。自己紹介してから担当区域を割り当てるぞ」


ひ、ひぃ、うそ、うそでしょ……?

固まった体はさび付いたみたいに動けなかった。全身から汗が噴き出るほどパニックになって。せっかく昼休みに直したメイクも流れてしまいそうで。周りがちゃんと話を進めている中、私たちのところだけが浮いていた。

今日から始まった委員会だった。委員会決めの時、私は学校を休んでいて、勝手に決められたのは面倒くさい当番がある美化委員会。ただでさえ面倒くさいのに早くしないと面倒くさい区域の見回りをさせられてしまう。

だ、だめだ、だめ、むり、ちゃんとしなきゃ。

いろんなものがだくだくのまま、勢いをつけて体ごと隣の席に向く。私の決意なんてどうでもいいみたいに、つまらなそうな男の子が毛先の枝毛を探していた。


とんでもない美形だった。


射干玉色とか、黒曜石とか、烏の濡れ羽とか、いろんな誉め言葉があてはまる黒い髪。腰まで伸ばしてとぅるんとぅるんに栄養が行き渡っていた。これだけでめちゃくちゃに尊敬できる。

前髪は長いけれど、顔を隠す意図なんかないみたいで、分け目からは細く長く凛々しい平行眉と涼し気で黒目がちな二重まぶたな目がある。それだけでアンニュイな色気が爆発しているのに、続いてスッと真っすぐ通ったスマートな鼻。形が良すぎてどんな口紅でも似合いそうな唇。上が薄くて下が厚め。完璧な比率だった。

それに、座っているのに手足がとんでもなく長いのが分かる。机からはみ出ちゃうから椅子に横座りして足を組んでいる。通路挟んで私の椅子まで届いているもの。長い、細い、でもヒョロく見えない。モデルさんみたいな細マッチョだ。

ていうかモデルさんだ。もうモデルさんが隣にいる緊張感だ。

ひぃひぃ名前を言おうとして、自分の名前なんて聞いても向こうさんの利にはならないだろうなどとネガティブが嫌でも湧いてきた。違う、落ち着け、これは委員会のお仕事、だから。


「はじっ、めまひて、わたっ、三年の、」
「二年の蟻生。“俺”が仕事を全部引き受けるから先輩は来なくていい」


めちゃくちゃ早口で遮られてしまった。

えっ、と思わず俯いていた顔を上げる。枝毛を探している目は一切こっちを見ていなかった。


「“俺”と一緒だと仕事にならないだろ。分かっている。ここは効率的にいくのがオシャだ」
「お、しゃ……?」
「“俺”が言うのはおかしいか?」
「は、え?」


オシャってなに?

オシャ、おさ、長? なんの?

混乱しているうちに、周りはすっかり席を立って担当区域に移動し始めている。私たちも行かなきゃと慌てていると、あ、ありうくん? が委員会の先生が持ってきたプリントをサッと奪って一人で出て行ってしまった。え、ええ!?


「悪い、お前なら見た目で差別しないから任せられると思ったんだが、やっぱり無理だったか」
「えっ、あ、むり? っていうか」
「気に病まなくていい。こう言っちゃなんだが、見た目を差っ引いても変わったヤツだからな」


同情したような、無理強いをさせてしまったと言わんばかりの先生の態度。ちがうそうじゃない。口に出したくて、できないことをこの人生で何度も経験した。


「今日のところは蟻生に任せてお前は早めに帰れよ。ただでさえ不審者に狙われやすいんだから」


私みたいなブス誰も襲わないですよ。

なんてことを言っていられないのがこの世界だった。

筆で一本線を引いたような細い目。大きくて潰れた団子鼻。上下ともタラコかってくらい分厚い唇のおちょぼ口。どの角度から見ても分かる二重アゴ。胸の高さとお腹の高さが同じ寸胴ボディ。平均身長でもチビに見える手足の短さ、下手すれば五頭身。

前世から付き合いがあるこの顔と体で“高嶺の花”と呼ばれる私の気持ち、誰か分かってほしい。




***




前が見えているんだか分からない細目は奥ゆかしくて神秘的。見開いたときに黒目がチラリズムすると色っぽい。

大きな鼻は個性の象徴で、顔の真ん中を占有するほど華がある。鼻だけに。

薄い唇は慎ましやかで可愛らしく、厚い唇は愛を与えたり受け止めたりと情熱的。

低身長ぽっちゃり体型は親しみやすさと包容力。あと触り心地が良くて肉感的なんだって。巨乳とかいいお尻とかそういうくくり。つまりセクシーってこと。

髪はサラサラツヤツヤがいいとか、肌は色白で滑らかなのがいいとか、眉毛とかヒゲは整えた方がいいとか、体臭は薄い方がいいし好みで香水とか振りかける人もいるとか、清潔感が大事なのは前世と変わらない価値基準だった。

つまりこの世界的に言うと、おかめ顔で平均身長で寸胴五頭身の私はエロ可愛い女子高生となる。

そんな馬鹿な。

前世、さんざん見た目の自尊心をポキポキ折られて卑屈なブスに成長した私には劇薬みたいな世界だった。

生まれ変わった先で両親がまんま前世と同じだった時は、ひどいことだけれど、とてもガッカリした。

お父さんは普通顔のぽっちゃりで、お母さんは私と同じおかめ顔。性格の相性と料理でお父さんの心と胃袋をガッツリ掴んだの、と力説されて前世の私は本気で料理を頑張ったものだ。学校の好きな男の子はそもそも私の手料理なんて受け取ってくれないのに。

名前も見た目も同じまま、地方都市の住宅街ではなく東京都心のマンションで家族三人暮らし。前世と比べて生活水準が違うものの、幼いながらに崩れている顔を鏡で見ては溜息をついた。

なのに、お父さんはいつも可愛い可愛いと抱きしめてくれるし、お母さんは必要以上に洋服を新調する。ピンク色のふわふわワンピースとか、水色のアリスみたいなエプロンドレスとか、ギンガムチェックのフリフリスカートとか。着替えるたびにお父さんはカメラを構えてデレデレしていた。

前世の祖父母は、小学生の頃までは可愛い可愛いと褒めてくれていたから分からない。でも親戚もこぞってお年玉をくれたりお菓子やおもちゃを押し付けてきてお母さんが途中から丁重に返していたっけ。あれも少しおかしかった。

転機が訪れたのは小学三年生の時に起こった事件。

私は誘拐された、らしい。

らしい、というのも、私にとっては親切で子供好きなお兄さんだったからだ。なんというか、大人に甘やかされるのに慣れすぎていたことと、前世から続く『私みたいなブスを誘拐する物好きはいない』という思い込みがあった。

実際に、そのお兄さんは私が可愛いから誘拐したわけではなくて、お母さんがお手伝いさんとして出入りしているお金持ちの家に私もついていったのを何回か見ていて、そこのうちの子だと勘違いしたそうな。

始めは縛って身代金をゆするつもりだったけれど、私が可愛すぎてひどいことができなくなり、普通にアイスを奢ってしまったところを警察に取り囲まれた。だからか、怖い思い出というよりは魔が差してしまった根は良い人のイメージしかない。

まあ、そんなのん気な私の内心なんかお母さんは知らない。警察に保護された私を抱きしめながら身も世もなくおんおん泣いていた。細い目が涙でくっついてしまうくらい。


『こんなに可愛くて純粋な子、治安の悪い都会になんか置いておけない。のどかな田舎でのびのび育ってもらった方がマシだわ』


うちのお母さん親馬鹿かな?

流石にドン引きした私だった。けれどそこに親馬鹿お父さんも苦渋の決断で頷いてしまい、私は栃木の祖父母のうちに引き取られることになった。

転校初日の反応は『東京の美少女がやって来た』転校生が珍しいから以上に構われ囲まれ、子供にしたってちょっとぽっちゃり率が多いと思ったらほっそりした子は教室の隅に固まっていた。

月一で様子見にやって来る両親と、母セレクトの可愛すぎる服。複数持たされる防犯ブザー。繰り返される『あなたは可愛いんだから、変な人についていっちゃダメよ』『お前は可愛いから心配だ』ああ、そう。

どうやらこの世界は美醜の感覚が狂っている……というか、古風なままで、自分がかなりカースト上位の見た目をしているのだと、嫌でも認めなくてはいけなくなった。

平安の絵巻物とか、浮世絵とか、そういうので描かれる美人が世間一般で美しいんだって。

アレはあくまでそういう絵柄であって実際にそういう顔をしていたわけじゃないでしょ、とかツッコミたくても言える相手がいない。その価値観で可愛い可愛い褒められても肯定しづらいし。

あの……平安美人ってかぎ鼻と薄い唇じゃない? 私は団子鼻とおタラコおちょぼ口だよ? あっ、イマドキの顔立ち……タレ目とツリ目くらいの違い……好みによるって? へえ……? 古風なのか現代なのかもう無茶苦茶だよ。

ハハッ……と乾いた愛想笑いを覚えると控えめで遠慮しいな美少女の称号が与えられた。もう怖い。

いくら可愛いと褒められたって私の美醜感覚だとブスだ。まぎれもない崩れ顔。生まれ変わったらもっとマシな顔になってオシャレしたいって願いは叶わなかった。

そうしてカルチャーショックに怯えながら成長して、おばあちゃんちから通える私立の高校に無事合格。高校最終学年に突入した春のこと。


私はオシャレをしていた。


大きな白い襟が付いたボタニカルな白いワンピース。柄のピンクの花に合わせたピンク色のカーディガン。足元はレースアップの白いスニーカーで歩きやすく、カバンは白いポシェットで、財布とスマホとメイク直し用の細々とした物しか入れていない。

メイクは日焼け止めとフェイスパウダーを叩いたら眉毛を描いてピンクのアイシャドーとリップを塗る。以上。素材(笑)がいい(笑)と時間がかからないメイクでした。肌と髪の毛に気を使っていたおかげで、そこだけは昔より誇れる。本当にそこだけ。

でも楽しい。自重しないオシャレって最高。

お母さんがいつも送ってくれる服は、前世の私からしたら勇気が要る可愛い服だった。基本的に黒か白しか着ない私だ。パステルカラーなんて膨張色の悪魔は蛇蝎の如く嫌っていたし、ボリュームのあるフリルや甘ーいレースはサーカスの豚にするアイテムでしかなくて。

でも、羨ましくて。一回くらい着てみたくて。

ブスが着飾ってウケる、なんて被害妄想についぞ勝てず死んでしまった。

この世界で可愛い部類の私なら、オシャレしたって嗤われない。

好きな恰好して遊んでもいいんだって。

小学校から徐々に慣らしていって、中学で友達と遊びに行く時に私服を褒めてもらえて、それから私はオシャレにどっぷりハマった。コンビニに行くのですら可愛い服にわざわざ着替えて行った。眉毛描くだけじゃなく好きな色のアイシャドーを塗って、好きな色の口紅を塗って──。

なんかもう、それだけでテンションが上がった。表情だってブスにしては陽気で、ほんの少し可愛らしいかもしれないと錯覚できた。

オシャレって楽しい。

そう、あくまで自分のためのオシャレだ。



「すみません、これから用事があって、その、ごめんなさい」


と断ったナンパがずっと後ろをついてくる。

前世の引っ込み思案でコミュ障で友達少ない族は、可愛い可愛い褒められてちょっとだけ改善した。とはいえ前世のクセで一人で買い物は普通に出かけてしまう。好きとか嫌いじゃなくクセだ。思いっきりオシャレして、おすまし顔でさっさと歩くことに慣れ切っていた。

問題は、この世界では私は美少女であり、美少女が一人で歩いているのは“声をかけてほしい”の合図だと勘違いしている輩が一定数いるってこと。

バスを降りて数分のところにあるショッピングモール。友達の誕生日プレゼントと、時間が合ったら何か映画を見て、本屋で立ち読みして、ついでにスタバの新作でも飲んで帰ろう。意気揚々とバスを降りたところ、急に話しかけてきたのが一緒に降りた男の人。

こういう時は目を合わせずきっぱり一言断って後は無視。それで引き下がってくれるのがいつもだったんだけど。

隠す気もなくついてくる。もうすぐショッピングモールにつくのに、このまま一緒にショッピングすることになる。ここら辺に交番ってあったっけ。それとも防犯ブザー鳴らす? 17歳の女子高生が?

ぐるぐると対処法を考える。考えているのに実行に移すとなると躊躇ってしまうのが私だった。答えを引き延ばしてスニーカーの底を引きずるように歩いていたら、数m前を歩く綺麗な黒髪が目に入った。じょ、女優さん?

スラーッとしてて縦に長くて、あれ、でも、結構背がデカいというか。横断歩道の赤信号で隣に並んでしまい、チラッと相手のお顔を見てしまった。

この前の委員会で隣に座ったありうくんだった。

…………わッ、ありうくん!?

チラッとのつもりがガン見してしまった。黒いつば広帽子がこんなに似合う男子高校生がいるだろうか。こんな体のラインが出るシャツとスキニーを着てバッチリ決まるのはもうモデル。スーパーモデルのありうくんだ。

と、となりに並ぶのもおこがましい……!

ギュッと心臓が縮まった瞬間、背後にいや〜な気配がした。というかすぐ後頭部になんか、あの、あのあのあの。「すぅぅ」嗅がれている、ような。


ぞぞぞぞぞぞぞッ!!


「あ、ぁ、ァありうくん!」
「────は?」
「ごめん、気付かなかった! 待ち合わせ場所つく前に会っちゃったにぇ!」


むりむりむりむりむりむり。

飛び上がって隣との距離をゼロに詰めた。というかちょっと掴まるところが欲しくてありうくんの腕に寄りかかった。「ごめんごめん!」と軽く謝りながらギューーッと手に力が入る。首が痛くなるほどありうくんを見上げて、ギョッとしている顔も美形で一瞬現実を忘れかけた。

青くなればいいのか赤くなればいいのか。


「早く行こ! あー、え、え、映画! 始まっちゃう、よ〜」


ひ、ひぇぇぇ…………。


「……映画までまだ余裕があるだろ。慌てる時間じゃない」


恐怖と羞恥で涙目。何か察してくれたのか、ありうくんは私をひっつけたままでいてくれた。そのまま青信号になっても一緒に歩いてくれたし、目と鼻の先のショッピングモールにも誘導してもらった。


「う、うしろ、誰か、ついてきてない、ですか?」
「急に敬語使うんだな。見たところただの女子の群れだ」
「(ホッ)ごめ、馴れ馴れしく、すいまえん」
「先輩だろ。別にいい。というか“俺”によく話しかけたな?」
「がっこの人、だからっ、不審者ちがう、あんしん」
「……とりあえずどこかで落ち着くか?」
「よよよよろしくおねがいしもす」
「(もす?)頼まれた」


人たくさんいるし、ありうくんがなんか美形だし。──いやほんと美形だな。

この美形にしがみついているのか。タダで。タダで!?


「す、スタバ! なんかおごりゅます」
「結構だ」
「はひゅ、で、アッ! この前の委員会、も、ひとりでやってもらっちゃった、ので、お礼」
「もともと一人でやるつもりだった。気遣い無用だ」
「、と、謝罪を」
「────なに?」


ゆっくり歩いていたありうくんが急停止。

ジッと見つめられて、また汗がだくだくに噴き出す。


「委員会、で、気分悪くさせちゃってごめんなさい。お、とこのこ、接し方わからなくて、きんちょ、しました」


さらにじっくり見られている気がする。

無視するのもまた失礼の重ね塗りなので、ちょっとずつ顔を上げると、黒々としたまあるい目と目が合った。ブワッ、と顔中に熱が広がった。

ムッとした顔じゃなくて、キョトンとした幼い顔をしていた。そうすると美形より可愛いが勝って、それを近くで見ている自分を客観視してしまって。

サッと俯いた先で、ありうくんの指のマニキュアが目に入った。黒いマニキュアが似合う男子高校生、すごぉ……。


「“俺”も、」
「っふぁい?」
「“俺”も、女子とは滅多に会話しない。あの対応はノットオシャだった」


のっとおしゃ……?


「今回の新作はクラシックティーだったか」
「おッくわしい、ですね?」
「機会があればとは思っていたんだ。それと敬語じゃなくていい。そうだろ先輩?」
「お、おぉ」


流し目が高校生の色気じゃない。

さっきの恐怖がもはやありうくんの美貌に塗り替えられてしまった。美形ってすごい。

余りにすごすぎてスタバのレジに並ぶまでありうくんの腕に掴まったままでいてしまった。


「ごめんなさい」
「落ち着いたそばから落ち込むな」
「べたべたは嫌だったでしょ?」
「、まあ」
「だよねぇ」
「怖い思いをしたんだろ。それくらいじゃ怒らない」
「やさしい……」


コミュ障まる出しでも話してくれるありうくん、中身までイケメンだ。

緑のストローを向かい合ってチューチュー。ありうくんは、やっぱり窮屈そうに足を組んで座っている。一番奥まった二人席は人目が気にならなくて良い席だ。

美形にはまだ一切慣れていないけれども、会話を続けてくれるそぶりがあるとちょっとずつ慣れても来る。


「それで、美化委員会、なんだけど、次からは一緒に見回ってもいい、かな?」
「この奢りは仕事を押し付ける対価じゃなかったのか?」
「エ!? フラペ一杯で!?」
「違うのか?」
「ちぎゃ、います!」
「また敬語」
「はい、アッ、うん」


だって、そんな、人に仕事を押し付けるとか、ただでさえブスなのに中身まで最低のブスになってしまう。

せめて、人に迷惑をかけない人間に。


「この前持って行ったプリント、見せてもらえる、お時間ある時に、昼休みとか……」
「ああ、昼休みならいるな」
「何組?」
「二年二組」
「来週の月曜お迎えに上がります」
「敬語」
「は、う、うん!」
「何度目だ、このやりとり」


クスリ、と。初めてありうくんが笑ってくれた。

後光が差しているのかと思った。

綺麗な二重の目を細めて、形の良い唇を緩めて。とても自然で、柔らかくて、ほんのりイタズラな、イケメンが浮かべるべくして浮かべた笑顔で。


「…………かっこいい」
「は?」
「あ」


…………私いま何て言った?

イケメンの笑顔がキョトンとした惚け顔に変わっている。私の全細胞は沸騰した。羞恥で。


「いま、」
「お、おおオシャレな服、着てるよね! かっこいい、ね! ありうくんオシャレでかっこいい!」


気が大きくなりすぎた。

「あ、あぅ、」こんな美形が優しく話しかけてくれて、勘違いしたんだ。めちゃ仲良しの友達みたいな。コミュ障のくせにすぐ距離感間違えて、だからコミュ障といえばそれはそうなんだけど。


「ご、め、」
「“俺”のオシャが分かるのか!?」
「ひゃ!」


身を乗り出してキラキラとしたオーラを振り撒くありうくん。至近距離まで近づいた美しさに慄く私。それでもありうくんは勢いが止まらず喋り続ける。


「このあふれ出るオシャの可能性! “俺”の類まれなる美学の体現を、先輩は分かってくれるのか!?」
「へ、お、オシャ……」
「そうか、やっと“俺”の理解者が現れたか! さすが顔面オシャなだけある!」
「が、がんめんオシャ」


オシャってもしかしなくても誉め言葉かな?

初対面で枝毛探してたのが嘘みたいにありうくんは喋った。なんなら握手までされて、男の子の手のひらの感触にまた変な汗が出た。自意識過剰よくない。よくないよこの状況。


「ところで先輩は何の映画を見るつもりだったんだ?」
「へ、ぁ、ティム・バートンの新作を」
「“俺”もだ!」


残りのクラシックティーを飲み切ったありうくん。私も遅れて飲み終わって、何故だかそのまま手を繋いで映画を見ることになってしまった。

テンションが高いありうくんは、変わった人なんだなぁというのは分かったけれど、とにかく顔面が美しかった。美人はどんな顔でも絵になるが、笑っていると破壊力が違う。当たり前にポップコーンとコーラを買ってガチ映画鑑賞スタイルを確保しているのもギャップがあって面白かった。

この美形、クセが強すぎる。

狭い映画館のシートで後ろの人の邪魔にならないよう、浅く座って背中を丸める姿勢をしていた。


「腰、痛くならない?」
「“俺”の映画スタイルだ」


慣れている、って言いたいのかな。

へ、へえ、と流してしまい、それって結局痛いは痛いのでは? と気付いた頃には映画の予告編が流れ始めていた。

邦画の俳優さんはみんな触り心地がよさそうなふっくらとした人が多い。たまに脇役で背が大きかったりほっそりしていたり。コメディには主演以外がムキムキの時とかあったり。

洋画も全体的にそんな感じで、でもアクション映画にもムキムキさんが多いので、日本ほど体型のイメージはマイナスではないのかもしれない。顔立ちは、うん、宗教画の人たち。まぶたが厚めで全体的にのぺーっとしている。

平安絵巻物も宗教画も美術的にはとっても美しいし好きなんだけど、実写にされるとちょっとね……。


…………ん?


下を向く。隣の足は細くて長い。ズボンもスタイルを引き立てるほっそりスリムな黒色スキニーだ。上の服もサイズのあった白シャツに黒いカーディガンを羽織っていた。黒に黒の緻密な刺繍が日に当たると分かってオシャレだった。

低身長ぽっちゃり平安貴族顔がモテるこの世界で、高身長イマドキ美形のありうくんはもしかしてめちゃくちゃ“ブサイク”の部類なのでは?

あまりにも堂々と前を向いてモデルウォークしているので気付かなかった。この世界の“ブサイク”な人って、ぶかぶかのオーバーサイズの服を着て、猫背だったりマスクしてたり伊達メガネで顔を誤魔化している人が多い。

そんな中、自分の長身を惹きたてるすっきりシルエットを堂々着こなすありうくんって、ありうくんって…………、



「(メンタル激強ッ)」



見た目だけじゃなく中身まで格が違う。




***




一緒に映画を見てなんだかんだ感想で盛り上がった結果、ありうくんと私は友達になった。


「よお先輩。今日の“俺”はどうだ?」
「あ、ありうくんだ。ナイスオシャ」
「うん、苦しゅうない」


友達というか太鼓持ちかもしれない。

廊下ですれ違うたびに挨拶がてら「オシャ」と言う。これが円滑なコミュニケーションになるのだから不思議な美形だ。

ありうくんとは週一で放課後に校内の掃除の状況や石鹸とか洗剤とか、黒板のチョークとか、そういうこまごまとした備品のチェックをして回っている。その時の会話はもっぱら映画とファッション。

ぽっちゃり平安顔が乱舞するこの世界のエンタメに胸やけして、あんまり見ないようにしていた私。その中でもティム・バートンみたいな不気味ファンタジー系? ホラーロマンス? は結構スリムで美形な俳優さんが出演することも多く、私にとっては親しめる部類だ。ありうくんは私よりそういう映画が詳しいのでオススメを教えてくれる。

ファッションの話も楽しくて好きだ。スマホでいつも見ているブランドのページをよく教えてくれる。

この世界のアスリートは当たり前だけど前と同じで筋肉質でスリム(ぽっちゃりではないの意)なので、一般人の服だと入らなかったり不格好になってしまう。そういうアスリート向けの服は海外ブランドが多くて、よくお小遣いを貯めて買っているんだって。

のっぺり宗教画のスリムさんが幾何学模様のシャツを着ている画像は、確かにありうくんに似合いそうな雰囲気だった。

『これかっこいいね。ありうくん似合いそう』思ったことをそのまま伝えたら、忘れた頃に『買ったぞ』と報告されてビックリした。買えとは強制していない。慌てる私に『先輩の審オシャ眼は確かだからな。実際、着て見たら分かった。あの服は“俺”に着られるために作られた服だ』と言い切られたらもう反論できなかった。審美眼……ならぬ審オシャ眼、過大評価されてない?

ありうくんは、周りからはおもしろオシャ男としてネタ枠でクラスメイトや部活内で親しまれているらしく、本人は真剣なのにファッションの話ができる友達がいなくて苦慮していたのだとか。そこに颯爽(?)と現れた同じオシャセンス(?)を持つ私を重宝している、と。

私としては突如できてしまった美形の後輩に毎回慄きながら精一杯会話しているのだけれど。

素晴らしいキューティクルの黒髪を靡かせて歩いていくありうくん。去り際に後ろ手で手を振ってくれるのも様になっている。こういうのをオシャと言うのだろう。

見ていないと分かりつつ、低めの位置でヒラヒラ手を振っていると、隣の友達から呆れたような声がかけられた。


「男嫌いのアンタがよくあんなのと話せるね」
「あんなのって、逆に私が相手してもらってるというか」
「ハイハイ、自信ないのも大概にね」


自信なんか持てるはずがない。

可愛い可愛い言われたって、前世からブスなのは変わっていない。

私自身は何も変わっていないんだもの。


「夏なのに暑くないのかな、あの髪」
「ねー、髪だけは綺麗だよね、あのオシャ男くん」
「だけはって」


全部綺麗だよ、とっても。

なんて言えない自分は意気地なしクソブスだった。

委員会で初めてありうくんと会ったのは春で、今はもうすっかり汗ばむ夏になっていた。そろそろ夏休みが始まる。私たちは受験生で、夏期講習はどこに予備校に行こうかと話し合っていた。

ありうくんとも、しばらく会えないんだなぁって。素直に寂しく思ってしまった。




「えっと、なに?」


じわじわと近付いてきたクラスメイトの良く知らない男子がついに同じベンチに座って来た。

時期は夏休みド真ん中。しばらく学校に来れないと思っていたけれど、部活の後輩が『ケーキパーティーするから来ませんか?』と可愛いお誘いをしてくれたので久々にやって来た。ちなみに私の部活は家庭科部。料理に裁縫になんでもござれな自由部で、今回はお菓子作りをしているらしい。私はご飯ものは得意だけれどお菓子作りはそんななのでもっぱら刺繍とか小物とかを作っている。インドアでちまちまやるのが一番性に合っているからね。

二週間ぶりに制服を着て部室で楽しくパーティーを終え、帰宅しようとしたところ、騒がしいグラウンドが目についた。サッカー部がミニゲームをやっていた。

そっか、夏でも外で走り回るなんて大変だな。

立ち止まってじぃーーっと見ていると、ユニフォームの集団の中でひときわ背の大きなありうくんを見つけてしまった。そういえばありうくん、サッカー部だった。

はたと、手提げ袋の中身を思い出す。さっき部室に寄った時、忘れていた自分の作品をいくつか回収した。その中にはシュシュがあった。白地を黄色い糸の蔦模様で埋め尽くした、ぱっと見黄色にしか見えないシンプルなもの。自分で図案を考えて見様見真似で縫い付けたそれは、普段使いにしようと思っていたんだけれど。

動き回って顔や首に髪が張り付くありうくんが、とても頑張っていて。

休憩時間になったらダメ元で渡せないかなぁ、と。グラウンドの間にフェンスがある木陰のベンチで英単語帳を赤シートで隠しながら待っていた。

そうしたら、視界の端にサブリミナルでクラスメイトの男子が映り込んできたんだ。

気分は心霊写真だった。単語帳を見て、ありうくんを見て、を繰り返すたびに近づいてくるんだもの。でもここで立ち去って私じゃなく別の何かが目的だったら自意識過剰で死んじゃう。ブスが何を期待してるのって恥か死ぬ。そんなちんけなプライドで、今とんでもなく困っているんだけれども。

私ってほんとバカ。


「や、なにしてんのかなって」
「何もしてない、けど」
「なんもないのにこんな暑いとこいないっしょ」
「お、お構いなく」
「俺が構うって」


膝に頬杖ついて下から覗き込んでくる。目が細いから、多分イケメンの部類なんだと思う。


「誰か待ってんでしょ。サッカー部に彼氏がいんの?」
「えっ」
「あ、マジ? ショックー、狙ってたんだけどな」


なに、なに、やめて、そういうの。


「俺だったらこんなところで待たせないけど、どーかな?」


そういう、好きとか惚れたとかでからかわれるのが、本当に無理。ニヤニヤって嗤ってきて、話のネタくらいにしか思ってないくせに、人の気持ちを踏みつけにして、気付かないで。

怒りとか、腹立たしさとか、そういうのを表に出すのが苦手だった。どう怒っていいか分からなくて、そうすると勝手に目に涙が滲んで来て。ああ、やだな。ほんとに、何も変わらなくて嫌になる。

覗き込んでくる目が、本当に嫌すぎて、サッと顔を上げたその先で。「蟻生!?」「まだ練習終わってないぞー!」「どこ行くんだ蟻生!」グラウンドを爆走してこっちに向かってくる綺麗な黒髪が…………え?

めちゃくちゃ長い手足がグングン距離を詰めたかと思えば、目測3mのフェンスをジャンプとともによじ登ってそのままこっち側に降りてきた。な、何を言っているか分からねぇと思うが以下略。

なにその身体能力。最近の男子高校生はここまで人外じみているの?

滲んだ涙がすぐに乾いた。ポカンと口を半開きにしている間にも、長い手足でずんずんと目の前まで近寄って来たありうくん。息は荒くて汗だらけ。ボサボサの髪を手櫛で撫でつける動作だっていつもより雑で。

何を考えているのか分からない美貌が、アホ面の私を見下ろして二、三度口を開閉した。


「あ、ありうく、」
「日傘も無しにこんなところにいては肌が焼けるぞ。ノットオシャだ」
「は」


まさか、そのためだけに走って来たとは言うまいな。

もうほとんど真上を見るくらいに顔を上げていた私は、走って来て落ち着いたはずのありうくんの顔が、画用紙に水彩絵の具を落としたみたいにじわじわピンク色になっていくのを見た。

は…………え、なにこれ。

何とも形容しがたい緊張感が流れる。小さくトクトク鳴る自分の心臓が、それから変な音を立てて引き絞られる。

勘違い、いくない。自意識過剰、いくない。


「…………は? もしかしてこんなロン毛ムキ男と付き合ってるとか言わないよな」


ちなみに“ムキ”は“デブ”的な悪口です。

空気を読まずにブッこんでくれたのは私的にはありがたかったかもしれない。だって忘れていた怒りみたいなものが変な空気をあやふやにしてくれたから。


「そ、ういうこと、面と向かって言うの、どうかと思う、よ」
「エッ」
「私は、筋肉ある人、好き、だし」


恨みがましい目で言い返せた達成感。

それが、自分の気を嫌な方に大きくさせて。それが、どんなに私をダメなヤツにするのか。いつまで経っても学習できない。



「ありうくんは、かっこいいから」



ピシッと固まったのは、隣の相手だけじゃなく、目の前で立っているスラッとスリムな美形くんもそうで。信じられないものを見るような目がナイフとなってバシバシ刺さってきてて。

…………や、やらかしたぁ!!!!


「アッ、アッ、ちが! わ、ないけど! ちぁ、ぁ、ああのごめ、すいませんです」
「……慌てる人間を見ると冷静になるとはこういうことか」
「あああああり、ありくん、」
「“俺”は蟻ではないな」
「しっっっ、てるぅ!」


こんな美形な蟻がいてたまるかい!!

全身カッカさせながら慌てることしばらく。ありうくんの黒いマニキュアが美しい両手が、スッとタイムのジェスチャーをした。



「…………あと一時間で今日の練習が終わる。図書室で待っていてくれないか?

──その気があるなら」



大恐慌の脳内が一瞬で静まり返った。

その木、なんの木、気になる木……ふざけてる場合じゃなく……ああ、もうふざけておいた方が楽なのかも。優しく言い聞かせるみたいな美声のわりに、ありうくんの顔はまだピンク色だし、Tの字を作っている手は震えているし。なんか、早く安心させてやりたい気持ちになって。

コクリと、大きく頷いた。


「はっ、はいです……」
「また敬語になってるぞ」
「う、ぁ、っ、……うん」
「よし。“俺”は練習に戻る。オシャわがせしたな先輩」


こんな時でもオシャなのか?

急に緊張感が途切れた。

グラウンドの方からの怒声を受けながら、マイペースにフェンスを迂回して戻っていくありうくん。さっきはフェンスをよじ登ったのにね。

嵐が過ぎ去った木陰のベンチ。隣に座っていた男子はブツブツと何かを言ってからどっかに行ってしまった。私も、しばらく惚けていたらありうくんがジッとこっちを見たので、慌てて図書室に移動することにした。


なんだか、変な夢でも見ていた気分。


図書室でノートを広げて一時間。ふとシャーペンが止まってはありうくんの言葉が浮かぶ。『その気があるなら』──その気って、その気だよね。

あの美形の隣にこのブスが並ぶ……ってコト!?


「つ、つりあわねぇ……!」


外見はもちろん、中身も。

お顔がものすんごい美形なのはもちろんのこと、長身のモデル体型で日本人離れしているのもすごすぎる。神が作りたもうた芸術品って感じ。この変な世界じゃなかったらどれほど輝かしい人生を歩んでいたんだろうって、はじめの頃は思っていた。

でも、今は、この世界でだってありうくんは輝かしい人生を歩いて行けると思っている。噂に聞いたところ、うちのサッカー部は強い方で、ありうくんは二年なのにその中でもトップクラスのストライカーだって。面白オシャ男だと言われてるのは学校の中だけで、スカウトとかも来たことがあるすごい選手らしい。

それに、あの自己肯定感の高さ。黄金の精神ってああいうことなんだと心で理解できた。周りから心無い言葉をかけられても自分を確立していて揺るがない。自分が自分をオシャだと認めていればそれでいいって感じ。

私が持っていないものを全部、ありうくんは持っている。

ここまで来ると憧れとか尊敬に混ざって嫉妬が出てきてしまう。なんであんなに真っすぐ自分を信じられるのか。私は17年可愛いと手放しで褒められてきて“こんな”なのに。

ありうくんは、人間としてのレベルが違うんだ。


帰ろう。


その気、が思い上がりじゃなくガチでそうだったなら、ここにいたらいけない。私はありうくんの隣に相応しくない。ありうくんの邪魔をしちゃいけない。太鼓持ちならいくらでもできるけど、彼女はさすがに無理だ。

ノートと筆記用具を片付けて立ち上がった。そのまま図書室の入り口に手をかけようとして、──ガラッ!

ありうくんが、たった今図書室の扉を開け放った。

身だしなみに気を遣うありうくんが、制服のシャツのボタンを上まで留めていなくて、ネクタイも見当たらない。なのに髪の毛はグラウンドの時よりツヤツヤサラサラに梳かされていて、目の前にいるとシーブリーズの独特のシトラスの匂いがした。最低限の身だしなみで急いで来てくれたのを察してしまって、…………胸がきゅぅぅぅっ、と。


「待たせた。行こう」


判断が遅かった。
私ってほんとバカ。




「こんな暑い日にあのベンチに座っていたのは何故だ。先輩の肌には毒だろう」


ありうくんの肌にも毒だと思うよ。

なんて軽口はいつも以上に言えなかった。

あれから校門を出て、人がほとんどいない道を並んで歩いている。行先はどこにしようかも決めずに、『歩きながら話そう』とだけ。

あまりにも手持ち無沙汰すぎて、私は手提げから黄色いシュシュを取り出した。


「これ、良かったらもらって」
「シュシュ、か?」
「ありうくん、髪の毛綺麗だけど、暑そうだったから、まとめたい時に使ってほしくて」


当初の目的を果たせてホクホクしたのは最初だけ。ありうくんがしげしげと検分しているのを見て徐々にドキドキに変わっていった。一応、糸の処理は綺麗にできていた、はず。


「綺麗な刺繍だ。それに、“俺”の好きな色だ」
「黄色すきなんだ?」
「ノー。シャンパンゴールド」
「おお、好きな色までオシャだね……」


タンポポみたいな色だなって思った糸だったんだけど。そんなにオシャレな色かしら。


「いらなかったら、つけなくても……」
「先輩くらいなんだ、俺をオシャだと認めてくれたのは」
「…………?」


言葉尻を遮られたから、とかだけでない違和感。


「俺が俺をプロデュースすることに、何の疑問も抱かず、そのままの俺を受け入れてくれた」


決して私を見ない。前だけを見つめて、歩みはのろのろで、心なしかいつものシャンとした姿勢がちょっと猫背っぽくて。カバンの肩掛けを持っていない方の手がギュッと拳を作っていた。

ああ、そっか。



「そんな先輩が、俺は欲しい」



『俺』に、覇気がないんだ。

自己肯定感バカ高いありうくんが揺らいでいる。

それくらい、私なんかに緊張してくれているんだって。


「他の男を褒める先輩は見たくない。俺だけを見て、褒めて、受け入れてほしい。これは、そういう感情だろう?」


そのセリフの最後にこっちを向かないでほしい。

立ち止まって、私の頭よりはるかに高い位置から見下ろされて、なんだか、またおかしな気分になる。


「そういう感情って、わからない、よ」
「先輩は俺より経験豊富じゃないのか?」
「誰かと付き合ったこと、ないし……」
「なるほど、初めて同士か」
「ありうくんも?」
「当然だろう。この顔だぞ」
「この顔って、かっこいい顔だけ…………やっぱなし! なしなしなし!」


私ってほんとバカ。


「なしはなしだ」


マニキュアが美しい手が伸びてきて、私の肩にそろりと置かれた。手首には私があげたばかりのシュシュがつけられていて、なんだかありうくんが私の物になったみたい、とかバカげた思考が一瞬よぎった。


「やはり先輩の審オシャ眼に狂いはない」


それは私が前世の価値観を持っているからで、ありうくんは誰が見ても本当はとんでもない美形なんだってば!

私みたいなおかめ顔のぽっちゃりなんて相手してる場合じゃない!


「あ、ありうくんがいう理解者は、その、友達のままでもなれるんじゃないかって、思うんだけど、私」
「先輩は俺が嫌いか?」
「だって、あの、あの、つまり、カレカノっていうのは、そういうことするわけで。ありうくんは、私とき、ききききっ、す、……とかできるかって話で!」
「…………………………ずっと言おうと思っていたんだが、」
「は────」


グッと腰を折って覗き込んできたありうくん。思わぬ至近距離に体を離そうとして、肩に乗った手がそれを許さない。

黒々と丸くて綺麗な瞳が私を、私の唇を、み、見ていて。


「俺の名前は蟻生だ。“ありゅー”。“ありう”じゃない」
「…………へ? あっ、そ、それは失礼を?」
「先輩が“ありう”と俺を呼ぶたびに、“う”の形に唇が盛り上がって、ずっと食べてしまいたいと思っていた」

「なっ、ありうく、」


突き出した“う”の唇は、きっとダメ押しの起爆スイッチで。

むに、と。知らない他人の体温と感触。焦点が定まらない位置にあるふさふさと並んだ長い睫毛。シーブリーズのシトラスと、それだけじゃ隠しきれなかった汗の匂い。肩を掴む痛いくらいの手。私の盛り上がった頬肉に突き刺さる高すぎる鼻。

唇と唇がくっつくのは、それってキス。



「俺を受け入れてくれ、名前」



これを拒める人間が、どこにいるんだって話。




己の妄想を噛み締めすぎた結果、己の妄想の蟻生くんに沼りました。美醜逆転書いてみたかったんですけど自己肯定感MAXの蟻生くんほど相性悪い人選はなかったんじゃないかと後から思いました。お粗末さまでした。

・先輩
 こっち風に言うと発育がいいタレ眉癒し系美少女。幼少期から可愛いと言われまくって前世より自己肯定感が上がったものの、コミュ障がちょっとマシになった程度の筋金入りの自虐ブス。本当に仲が良い友達には『昔誘拐されたトラウマで男が怖い』と説明している。美形は好きだがお近づきにはなりたくない。ありうくんの黄金の精神に憧れと嫉妬と何かが芽生え始めている。

・ありうくん
 誰に何と言われようと己がオシャと思う美しい自分をセルフプロデュースし続けるゴーイングマイオシャ。でも人並みに傷付くし人並みに壁を作って自己防衛してきた。ありのままのオシャを認めてくれる可愛い先輩に出会い、当たり前のように気になって年相応に好きになった。思わせぶりな態度を取り続ける先輩に我慢できなくなってオシャじゃない対応をしてしまう。その日は一人反省会の後オシャすみなさいした。

・一応幼馴染の坊ちゃま
 たまにねえやが連れてきてくれる二つ上の可愛いお姉ちゃんがどこかに行ってしまい、中学に上がってから自分と間違えて誘拐された事件があったことを知った。トラウマになっていないか心配と罪悪感で胸を痛めている。ねえやからの年賀状の家族写真でお姉ちゃんの成長を確認している。無自覚初恋未満。

原作軸の話も書きてぇです。

← back
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -