ノアにデートさせる



女の皮を被ったプニカの主人公のifのつもり。繋がりはないので単体で読めます。



前世の話。共働きの両親は先進的で自立心が高い人たちで、現実というものを幼い娘に擦り込んできた。結婚して家に入るのではなく何があっても一人で生きていけるような生き方を、ってアレコレと考えては私に進路を示してくる。

『お嫁さん? 専業主婦って無休よ?』『CAさん? ずっと笑顔で動き回れる?』『ケーキ屋さんだからってケーキ食べ放題ってわけじゃないの』

小学生の夢にマジレスするような人たちだ。記憶にある限り手放しで褒められたことはない。それでも、お行儀の良さとか、好成績のご褒美で夕飯に好物を出してくれたり、遊園地に連れて行ってくれたり、厳しいだけの人たちではなかった。

大人になれば分かる。あれはむしろ過保護ってヤツだったんだ。

娘が一度きりの人生で失敗しないように大人から見て安全な道を教えてくれた。何か間違ったことをしたら叱るし、正解を選んだら鷹揚に頷く。その時は嫌で嫌で苦しくても終わってみればいつも正しい。両親にとっての正解が私にとっての正解。いつの間にか両親の言う通りの高校に行って、両親が言う通りの食いっぱぐれのない職に就くために相応の大学に進んだ。

夢とか、進路とか、難しいからぜんぶ両親任せにした。

友達や好きな男の子とかもできたりしたけど、お母さんがあんまり好きそうじゃなかった人とは付き合うのが苦しくなって別れた。満足そうなお母さんの顔を見るととても落ち着く。

私は間違っていない。正解の道を選べたって安心感。

良かった、良かった。

お母さんが好きなブランドの清楚なワンピースを着て、日焼け止めと色付きリップだけ付けてお買い物。10代にお化粧は早いから。就職してからするものだって。そうなんだ。ならいっかぁ。

いっそ結婚相手も決めてくれたら楽なのに。『この人と恋愛しなさい』て言われたら全力で好きになれるのになぁ。

そういうことを長年積み重ねて、私は自分がどうしようもなく優柔不断で中身のない人間になっていくのに気が付かなかった。

死んだ記憶はない。生まれ変わった自覚は5歳の祖母の葬式の時。

ドイツ、フランクフルト空港から車で1時間ほどの場所にある別荘地。街を歩けば劇場や教会が立ち並ぶ厳かなそこは、日本人の祖母が馴染み深い温泉地でもあった。祖父は祖母のために別荘を建て、晩年は二人で終の住処を暖めていたらしい。

年に一度会えるか否かの祖母は、私のブルネットを愛していた。3/4ドイツ人の私が祖母に似た色彩と顔立ちをしているから、息子よりよほど親近感があると。白くての細い指でよく撫ですいてくれた。

祖母が亡くなったのはまだ還暦を迎えたばかりのこと。肺病だったと聞く。早すぎる死に祖父はずいぶんと嘆いていた。それでも祖母に似た私が形だけでも慰めになったのか、二人の別荘に呼び寄せ、遺品整理に立ち合わせてくれた。

5歳の子供には何がなんだか分からない作業で、古めかしくて壊れそうな物ばかりが並ぶ部屋は居心地が悪くて仕方なかった。

そんな中、本棚に並んだドイツ語の背表紙とは一線を画すファイルを見つけたのだ。

中身は大昔の雑誌だった。元は白かっただろうに、経年劣化で黄ばんで脆くなった紙面。藍色のインクが写し出す裸体の女。カタカナで題された文字は“ウヤジウヤミ”。──カタカナてなんだ。

1ページごとにファイルで保護された雑誌を震える指でめくる。ひらがなと漢字とカタカナ、縦書きだ。横書きじゃないのにしっくりくる。

“キミシニタマフコトナカレ”──ドイツ語でも英語でもない、なのに読める。意味不明な現象に見舞われた私は、祖母の遺品に囲まれてぶっ倒れた。

それが新しい私の人生の始まりである。

今世の話。名字にフォンがつく何の仕事をしてるのか分からないけどものすごくお顔が広い祖父。資産家の父。女優の母。祖母の死をキッカケに引っ込み思案な大人しい子になってしまった一人娘。以上。

違う。結果はそうでもなんかいろいろとおかしい。日本人からすれば私は結構標準的な人間だよ。……だよね?

日本に持っていけば記念館送りになるだろうすんごいお宝雑誌で前世を思い出した私、環境ギャップで死にかける。日本人が四捨五入でドイツ人として生まれたから、というのももちろんある。ドイツ人は日本人の気質と似ているなんてことをたまに聞いたけれどそんなことはない。

言いたいことはハッキリ言う。嫌ならキッチリ拒絶する。何も言わないということは何も考えていないのと一緒。この時点で察して文化の申し子こと私、かなり詰んだ。

何も言わなくても勝手に選んで差し出してくれる両親はいない。『何がしたいの?』と猫撫で声で聞いてくる娘溺愛の母と見守るばかりの妻子溺愛の父、選択肢全てをマネーで送り付けてくる妻と孫溺愛の祖父。三方向から可愛い可愛い言いまくる。またぶっ倒れるかと思った。

なお祖母似と譲らない祖父と自分似だと言い張る母は定期的に喧嘩している。正直かなり怖いが父曰く仲良しらしい。可愛がられているならいいことでは?と最初はホッとしていたけれど、成長するにつれ困ることが増えた。

端的に言って、慣れない。

前世の両親は堅実で現実的な選択肢をいつも示してくれた。でも今世の祖父と両親は私の意思を尊重しようとする。マネーパワーで非現実的な選択肢を並べたてさあさあと。

誕生日プレゼントに別荘はいらないよ。
未就学児にブランドメイクは分不相応だって。
顔出すだけだって普段着で行ったパーティーにテレビで見たことある人いたんだけど?
このネックレスの石はさすがにイミテーション……や、なんでもない。
海水浴場に家族以外の人が見当たらないのってプライベートビー……なんでもないったら!
プライベートジェットでハリウッド……プライベートが多すぎるな?

カルチャーショックと常識のギャップでヒィヒィ言わされた17年間だった。

けれど、今日ほどギャップで肝が冷えたことはないと思う。


「あの、なんとお呼びすれば?」
「好きに呼べばいい」


今世ではドイツ人女性の平均ほどある私の身長でもさらに見上げなければいけない位置にある頭。引き締まった体躯。オフホワイトのシャツとスラックス、黒いジャケットとスニーカーを合わせた、フォーマルとカジュアルの中間みたいなファッション。プラチナの短髪と鷹のように吊り上がった金眼、憮然とした男前がこっちを見ているようでうわ滑っている。


「では、ノアさん。本日はよろしくお願いします」
「ああ。お手をどうぞ、お嬢さんフロイライン


フランスの英雄、ドイツのスーパースター、世界一のストライカー。

ノエル・ノアが私とデートしている。

BMのスポンサーとして出資しているらしいサッカーフリークのお祖父ちゃんのワガママで、プロサッカー選手が小娘とデート……貴重なオフを一日潰して初対面の女とデート……ひぇっ。

ポーカーフェイスのまま吐きそう。

5歳で中身空っぽ日本人の前世を思い出してから17年。22歳になった現在。相変わらず中身空っぽのまま私は大学院で日本文学の研究をしていた。

今の両親も祖父も良い人だ。見た目はともかく、家族に似てない性格の私を可愛がってくれる。ただ、前世の両親みたいに何をやればいいのか教えてくれなくて、優柔不断日本代表の私は、裸で宇宙空間に放り出されたみたいに途方に暮れた。

好きなものになっていいよと言われても……。この家族ならケーキ屋さんやCAさんって言っても手放しで応援してくれる。言わなくても分かる。だからこそ下手なことは言えない。軽い気持ちで言ったら次の日には実現してそうで。あはは、と乾いた笑いで誤魔化していると、本当に笑っていると勘違いした母が笑顔で可愛がってくる。

『私に似て可愛い!美人さん!将来は女優になったりして』などと言い出して、実際にホームビデオやらインタビューの写真やらでドイツ中に自慢され、最終的に親子モデルをやらされた瞬間、ヤバいと。これは芸能界に引き入れられるアレではと。将来のことを何も考えていないとはいえ、人前で目立つ仕事はどう考えたって病む自信しかない。あの時は我ながら本当に頑張って主張しようとして、それで飛び付いたのが日本文学。祖母の遺品の詩集を抱えてニッコリと。

それからはあっという間だった。

ギムナジウムで文系科目を中心に専攻し、実家から通える由緒正しい大学へ進学。卒業しても日本文学の研究で就職できるところは限られていて、そのまま大学院で近代文学にしがみついている。実家が太いからこそできる所業。

『勉強熱心だねぇ』『時代は知的な美人よ』『働きにもお嫁にも行かなくていい』

そっかぁ。ならもう少し大学院にいよっかなぁ。

使わない言語は日々忘れるものだ。たとえ前世の母国語だとしても、5歳の私はひらがなとカタカナの違いも怪しいくらいには忘れていた。本は読む方だったのにね。今だってスラスラ読めるにしても口語がちょっと自信がない。研究にのめり込んだのも忘れないためだ。

そういえばフランツ・カフカの『変身』は原本がドイツ語だった。自分なりに日本語訳してみるのも面白いかも〜。などなど。趣味と実益と郷愁を兼ねた院生生活が始まって一年経とうとした春。


『私はね、義理でもいいからサッカー選手の孫が欲しかったんだ』


私に恋人がいないと知った祖父の言葉である。

拙いながらに論文一つ書き上げてボロボロな私。タイミングを見計らったかのような家族揃った久しぶりのディナー。ちなみにうちの家族は私以外それなりに忙しくて一緒の食事はレアだ。なので格好も簡単にドレスアップしなければならない。

ブルネットをキッチリ結んでハッキリとした赤色のドレスを着た。血のように真っ赤なイブニングドレスは前世の私なら絶対に着ない派手さを持っている。けれど今の私は色如きに屈するわけがない顔をしている。

母譲りの気が強い美人顔というか、人間社会に紛れた吸血鬼というか。

美人は美人でも迫力がありすぎて立ち眩みする。自分でも鏡を見るのが未だにちょっと怖い。こんな見た目だから友達は少ないし、時々あらぬ誤解を受けるし、家族は当たり前に恋人がいると思い込んでいた。

『そろそろ紹介してくれてもいいじゃない?』とこしょこしょイタズラしてくるお母さんに『いないよ……本当に』と返したら食卓が一気に静まり返った。

その結果が、祖父の願望大爆発である。

ドイツ人は日本人が思ってる5倍はサッカーが好きだ。富裕層にももちろんとんでもないファンがたくさんいる。祖父もその大変な人たちの一人だったのだとこの歳になるまで知らなかった。

『いくつかのチームに出資していて』『特に一部リーグのトップ2チームに』『最近はBMが』『お前も気に入るはず』

祖母の話題以外でこんなにマシンガントークする祖父も初めて知った。私のオタク気質な血はここからか?と一瞬錯覚してしまうほどのプレゼンにウンウン頷いていたら、いつの間にか母御用達のエステサロンやらブティックやらに連れ回され、数日後の今日、車から降りて近くのサロンに英雄が待っていた。

ノエル・ノアが私服でスマホいじってる。
話しかけづらいにも程がある。

今日の私の格好。ピッタリと体のラインが出るスクエアネックの黒いワンピースに、赤いクラッチバッグとソールが赤いピンヒールを合わせた。どこからどう見ても吸血鬼。真っ赤なリップと相まってこれからお食事に行くんですか?て感じ。

その場合、今日の食事はお前だ!と声をかけに行くことになるんですが。

私は、会わせたいBMの選手がいるとは聞いていたけれど、ノエル・ノアが来ることは一切聞いていない。これはいうなれば知人の紹介でデートするアレであって、ノエル・ノア並みのスーパースターが女性との出会いを求めて来るなんて微塵も思えない。サッカーに詳しくない私でも知っているスター選手だよ? むしろ女性の方から駆け寄っていくでしょう。

となると、なんというか、もう恒例になったマネーイズパワーのアレしか思い浮かばなくて。

いくら……? いくら積んで、……いや、契約? チームの方と交渉した?

生まれ変わってから私も金銭感覚がバグっている自信はもちろんあるけれど、ナチュラルボーンリッチの足元にも及ばない素人お嬢様なんだなって再認識しました。それにしたってノエル・ノアとデート。な、なにをしゃべればよろしいのかしら?

固まったのはたぶん数秒。全力で行きたくなかったけれど、これ以上待たせるのもマナーとしてどうなのかと重いヒールを持ち上げた。

初めましてのご挨拶から始まって、スッと差し出された手に手を重ねて待ち合わせ場所からラウンジへと移動する。ホテルの中にあるロココ様式のホールは家具やティースプーンひとつとっても繊細で優雅。見ている分にはとても好きで、使う分にはちょっと利便性がないのが難点。

寄って来たウェイターは、チラとノアさんを見ても特に何も言及せずに席へ案内してくれて、間を置かず白亜の円卓にティーセットが並ぶ。私は紅茶の方が好きで、ノアさんはコーヒーを注文し直していた。ドイツ人はコーヒー党が多いもんね。ノータイムで出てきたあたりラウンジ側も把握してそう。


「ノアさんはこちらのラウンジは初めてでしょうか。ここはショコラーデの扱いが絶品なんです。コーヒーにももちろん合いますよ」
「いや、コーヒーだけで結構だ」
「そうですか? ぁもしかして、食事制限ですか?」
「ああ」
「ご、ごめんなさい。不勉強でした……なら、景色だけでも楽しんでくださいね。あちらの窓から見える中庭の薔薇園が本当に見事で」


社交辞令的にそれとなく話を頑張って振ってみる。が、短く「ああ」「そうか」「なるほど」「へぇ」と明らかに適当な相槌。表情が完全にフラットすぎて感情なんて読めないし、私の被害妄想でなければやっつけ仕事感がある。というかやっつけ仕事は私も一緒だ。

お祖父ちゃんはサッカー選手の孫が欲しいとかなんとか言ってだけど、無理やり私に婿を取らせるような真似はしないはずだ。断言できる。あの人はディズニーも真っ青なロマンチストだ。私が嫌がればすぐにこの話は立ち消えるだろう。

つまり、このデートが終わったらもう二度と会うことは(社交的なものを除けば)ないということ。

なので今日のところはなけなしの外面を駆使して会話をもたせ、時間になるまでそれとなく会話を……、


「…………」
「…………」


かい、わ? ………………したことにしよう。

固まったアルカイックスマイルのまま美味しいスイーツと香り高いお紅茶をいただいて、最終的に二人してスマホをいじって時間を潰した。たかだか一時間。されど一時間。居心地悪いティータイムだった。

それから時間になるとノアさんにお声をかけてホテルの目と鼻の先にある劇場に足を運ぶ。今日の予定はティータイムでお互いのことをよく知ってからミュンヘンに公演に来ているオペラの鑑賞をしてさようなら。日が落ちる前に解散の流れになっている。

顔パスで通されたのは二階のバルコニー席。二人で貸し切り状態のそこには二人掛けのソファが一個、デデンと存在感を主張している。喉から変な空気が漏れそうになった。か、カップルシートでは? 歌劇場にカップルシートなんて聞いたことないですが?

『魔弾の射手』およそ2時間半。男女二人。密着。何も起きないはずもなく。……何もないわバカバカバカ。

立ち止まった私の手を引っ張り席に座らせるノアさん。それから自分はできるだけ距離を取った端の方にドッカリ座ってしまった。不本意感がすごい。口に出さないだけいいだろ的な。はいその通りですありがとうございます。

居心地悪い……クッションははちゃめちゃに良いのに……。気持ちひじ掛けに体重をかけて開幕をジッと待つ。この調子で二時間もつかなぁ。

なんて心配は『狩人の合唱』が始まる頃には一切合切消え失せていた。

ドイツ人に生まれてよかったと思うのは本場のドイツオペラをダイレクトに楽しめることだ。外国語のオペラってどうしても意味が分からなくて眠くなっちゃうもの。意味が分かるとちゃんと集中しようと思える。生で聴くと特にね。

別にオペラとかミュージカルの物凄いファンではないけれど、本場で聴けるって本当にすごいことだ。あと話がいまいちでも衣装とか小道具とか見るのも好き。バルコニー席だと奈落のオーケストラを観察するのにもってこい。最悪ボーッと考え事をしてても気分がいいし。

ひじ掛けにかけていた体重がいつの間にか前のめりになっていて、オペラグラスを出してアガーテの婚礼衣装を見る。こういうクラシカルなドレス憧れちゃうね。でもなぁ、この顔に似合うかなぁ。

ジーッとグラスを覗き込んでいるうちに幕が下りて、大きな拍手が劇場を内側から吹き飛ばさん限りだ。はーーーいいもん見ました。固まった肩や首をコキコキ鳴らしかけ、はたと。静かすぎる隣に目を向けた。


ね、寝ている……!


「の、ノアさん、終わりましたよ」
「…………あぁ」


かすれた声がちょっとセクシーだなとか思ってしまった。

ソファに深く座って、腕を組んだまま目を閉じている姿はスリープモードのサイボーグみたいだった。溶鉱炉に沈んでも無傷で上がって来そう。スリープモードから再起動したノアさんは、軽く姿勢を整えて凝った筋肉をほぐしてから初めて私という人間の目を見た。


「満足したか?」
「? はい、とても」


オペラの内容も時間も楽しかった。本心からニッコリと笑う私に、なんだか釈然としない顔を向けてくる。鷹が豆鉄砲を受けたみたい。何か変なことを言っただろうか。

ちょっと不安になって軽く首を傾げると、すぐに目線が外れてエスコートの手を差し出してきた。初対面から思っていたけれど、ノアさんはなんでも卒なくこなしそうに見えて、女性のエスコートは上手くない。所作が雑だし、引っ張る力が少し強い。嫌われようと思っているなら大正解の所作だけれど、こういうかしこまったところに慣れていないのかもしれない。

やや強引に立たされて劇場の外へと連れ出される。迎えの車は既に来ていた。


「本日は素敵なエスコートをありがとうございました。陰ながらノアさんのご活躍をお祈りしております。では、ご機嫌よう」


アルカイックスマイルでゴリ押ししたお別れの挨拶。向こうもこちらが手配したタクシーに乗って帰宅してくれるはず。お祖父ちゃんのミッションはこれで果たせたと言えるでしょう。

あーー疲れたけど楽しかった。チケット取ってくれたお祖父ちゃんに感謝感謝。

この時の私は、このなんちゃってオペラデート一回でノアさんとの縁が切れたと本当に信じ切っていた。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
「説明」
「はいぃ」


ノエル・ノアとデートPART2(絶望)

1回目のデート。私は楽しかったオペラの思い出だけ抱えて帰宅。書斎でまったりしていたお祖父ちゃんにご報告をしに行った。


『すごく楽しかった! ありがとうお祖父ちゃん! 素敵な席を用意してくれて、音響まで完璧だったよ。やっぱりオペラは生だよね、サイッコーだった!』
『おぉ、こんなに喜んでくれるなんて嬉しいなぁ。可愛い孫娘のためならどうってことはないさ。
──ところでノアはどうだった?』
『ノアさん? すごく良い人だったよ』


この瞬間、お祖父ちゃんの中で2回目が確定したらしい。

恐らくきっと偉い人に呼び出されてまた貴重なオフを潰されたノアさん。恐縮しきりでペコペコ頭を下げる私。ドイツ人がしないジェスチャーをしてると分かっていても止められなかった。


「居眠りした記憶しかないが……」
「興味のないオペラに連れていかれて寝てしまうのは仕方ないことですし、あの、寝てもらった方がこちらとしても助かるというか」


今までデートした経験はそれなりにある。というか告白されて断れなくてお試しで、っていうのが何人か。お互い趣味の話になって、当たり障りなく観劇だと伝えたら、じゃあ一緒に行こうとなる。うきうき気分でいざ見に行けば、何故だかいいところで隣から手が伸びて来て、イヤに手を繋ぎたがったり、くすぐってきたり。ある人はキスまでしてきそうになってやんわり押し返したり離れようとしたりしていると全然観劇に集中できない。

私は観劇デートが苦手になった。相手のことも苦手になって、どうにか自然消滅を狙っているうちにいつの間にか音信不通になっている。大学生になってからは意識的に男の人と距離を置くようになっていた。

でも、この間のノアさんは私を放っておいてくれた。当たり前だ。だって彼は私に興味があってデートに来たわけじゃないもの。


「イビキをかかないところも完璧でした。さすがですノアさん」
「そういう問題か?」
「あ、あはは……あの後、お体に不調は? 慣れない椅子で寝て、その、筋肉とか痛めたりしていません?」
「そんな柔な体はしていない」
「そ、そうですか。良かったぁ……」


いいクッションだからってその人の体にフィットするかは別の話だものね。世界一のストライカーの体を損なうデートをさせたって各方面から炎上しそうで怖かった。


「なので、あー、今日だけまたお付き合いしてもらえたら、ええ、最後にしますから、あの、何卒よろしくお願いいたします」


見栄を張っていつものポーカーフェイスで微笑んでみる。前は何を考えているか分からなかったノアさんが、分かりやすくキョトンと目を瞬かせた。わぁ、鳥さんみたい。

ちなみにその日は1時間のティータイムの後、ミュージカルを見に別の劇場へ足を伸ばした。エスコートは相変わらず雑だったけれど、なんだかんだで慣れてしまった。コレが最後なのにね。

そうしてたっぷり2時間睡眠したノアさん。野比家の血が混じってらっしゃる? 有難い。


「ノアさん終わりましたよ。帰りましょう」
「……ああ、時間か」


今度こそ、本当に最後のご挨拶をしてお別れした。私はタタラ場で、あなたは森で。今度テレビで見たらバッチリ応援しておきますからね。



ところで日本には『二度あることは三度ある』って言葉があるよね。



「…………」
「まず謝罪より説明を求めたいんだが」


飴色のアンティークテーブルに手をついて頭を下げる私。後頭部に振ってきた言葉は吐息が多めだった。世界一のストライカーに溜め息を吐かせている。え、炎上……?

違うんです違うんです。次こそはお祖父ちゃんにもう会わない宣言するつもりだったんです。ちゃんと『ノアさんとはあまり会話が続かなくて……』て遠回しに本当のことを伝えてみた。


『じゃあ別の選手に声をかけてみようか。確か下部組織の方に有望な若者がいるんだ。年もノアより近い。話が合うはずだ』
『え? そ、そうなんだ? ちなみにいくつ?』
『確か18だったか』
『ヂュッ!?』


落ち着いて考えてみればドイツの成人年齢は18なんだから22の私とお付き合いしたとして何も問題はなかった。ただ私の日本人意識が強すぎて18歳=未成年の公式が秒で成り立ってしまったバグ。

スポンサーの娘がスター選手とデートしたがるのと、未成年の選手とデートしたがるのだったら話が変わってくる。は、犯罪? 犯罪なの?


『ややややっぱりノアさんともう一回くらい話してみたい、かもぉ?』


いや、本当に私ってダメ……。


「ご迷惑をおかけして……まことに申し訳……」
「──以前から気になっていたんだが」
「はい」
「君といるとパパラッチが寄ってこない」
「はい?」


猛禽類のような目を伏せて考え込む仕草のノアさん。急な話題転換に「?????」な私。


「君が到着した途端、クソ鬱陶しいカメラを慌てて服の下に隠しやがった。ケースに入れる余裕もなく、だ。今までなら悠長にメダルよろしく首からぶら下げているくせにな」
「へ、へえ」
「それと……いつもはしょーもねぇネタでも小金稼ぎの記事にされてたが、前回と前々回も含めて一切ゴシップが出回っていない。若い女とのツーショットだけで恋人だの結婚だの騒ぎ立てるハイエナがだんまりだ。君がなにかしているのか?」


順序立てて話を聞いている内に、なんとなく当たり前だと思っていたことが異常だったと思い出す。


「少なくともバイエルン州ならだいじょうぶ、だと思い、ます」
「何が」
「私の肖像権、高すぎて、パパラッチに狙われないらしいです」


大学に入りたて頃、お母さんがドラマで共演していた若手の俳優さんと三人でお話することがあって、その時に熱愛? 的なゴシップが出回ったらしい。それでお父さんとお祖父ちゃんが怒って、それからどうなったかは詳細不明だ。でもあの俳優さん最近見ないな。今どうしているんだろ。出版社もなんかあったらしいし……この話はやめよう。

深く考えすぎたらいけない気がする。正気度が減る。


「なので、今日も写真撮影会は起きません! …………た、たぶん!」


すっごい見られてる。鷹に睨まれてるみたい。

ノアさんはそれから数秒か数分か考え込んでから、一つ頷いてから口を開いた。


「提案がある」
「は、はい」
「お前はこれ以上伯爵グラーフに男を宛がわれたくない。俺は無許可不定期開催される撮影会をキャンセルしたい。互いの目的が一致していると思わないか」
「えっ、えっ、あの、つまり」
「ああ」
「ノアさんは私とお友達になりたい、と?」
「っスゥーーーーー……そうなるな」


すごい深呼吸をされませんでしたか今。


「よろしくフロイライン」
「はい、よろしくお願いしますノアさん」


とりあえず差し出された手に手を重ねる。今までで一番しっかりとした強い握手だった。


こうして私とノアさんは仲の良いお友達としてデートを重ねる仲に至ったのである。



***



伯爵という通称は、あくまで通称であり、ドイツ帝国時代に本当に伯爵位を持っていたのかは定かではない。ただ現在において莫大な富と権力を持っている顔が広い爺さんというのは本当らしい。

無類のサッカー好き。特に珍しくもないサッカーフリークとして有名な爺さんは欧州五大リーグの気に入ったチームに善意で寄付をしているらしい。ドイツ国内ではバスタード・ミュンヘンとバーサーク・ドルトムントの2チームにそれぞれ同額。少なくない大金を道楽で積んできやがる。

額だけじゃなく顔の広さでも無視できない爺さんだ。人柄は良くも悪くも金持ちの鷹揚さであり、悪政は布かないが寄り添いもしない貴族のお手本のような男だと。

その爺さんが『孫娘をノエル・ノアに会わせたい』と抜かしてきやがった。

コーチ陣やマネージャーじゃなくオーナー直々の命令だ。世界一に輝いたストライカーもクラブチームの商品には違いない。適当にあしらって写真の一つでも撮られてやれば満足だろう。自分のような女ウケしない無愛想な男なら何度か会えば勝手に失望するに違いない。

それがどうしてこんなことに。


「え、ノアさんってスラムにいたんですか?」


まつ毛の先まで手入れされた美貌がガキ臭いアホ面を晒す。美人、なんだろう。迫力のあるアンバーの瞳と吊り上がった眉、細い鼻筋にやや横に広くて薄い唇。ドイツでは珍しいブルネットを後ろに払うだけで妙に絵になる。そのくせまん丸に目を見開いて赤い口を半開きにすると本当にガキっぽい。

箱入り娘ってヤツはここまで幼くいられるものか。とっくの昔に成人して、大学院なんてご立派なところに籍を置いている学者先生だと。

事前に聞かされていた情報は、研究に明け暮れてこもりきりのナードだと。扱いにくい人間ではなく、最低限の礼儀さえ守れば問題ない。そう言われて会った女がとんでもないクイーンズで警戒レベルを跳ね上げた。せっかくのオフが疲れる女の相手かと。

実態はこの有様だったわけだが。


「ああ、物心ついた時からフランスのスラムにいた。最初のチームに拾われるまで、確か……13くらいか」
「13年、スラムに」


実感が湧きませんと言わんばかりのアホ面で、手元の日本語の文庫本をパラパラ弄んでいる。

場所は公園。四阿がある人気もまばらな植物園でランチ。一般的な恋人たちのデートだが、流れる空気は甘ったるさよりぬるま湯の暖かさで満たされていた。

きっと伯爵が手配したどこぞのホテルのランチセットかと思いきや、フロイラインの手作りらしい。食事制限に気を使ったと言っていたが、オフシーズンが始まったばかりの今ならそこまで気にすることではない。初対面では施しを受けたくなかった拒絶のつもりだった。

施し、拒絶。
スラム生まれなら当たり前の反応。


「すごいですねぇ」
「、何がだ」
「スラムで生まれて、13年も。私ちょっとも想像つかないですけど、ノアさんがこんなに大きくなって、サッカー選手になってるなんて、子供の頃からすっごく頑張った結果なんでしょうね」


良くて、憐れみが関の山だと。


「すごい、か」
「あ、えっと、上から目線的なことじゃなくて! 私だったらできないことだろうなって!」
「それはそうだな」
「そうなんです!」


「すごいすごい」と、今まで当たり前に浴びて来た中身も何もあったもんじゃない賞賛。いや、賞賛なんて贅沢すぎる言葉じゃなく、もっと単純な──憧れ、か?


「自分にできないことをする人って、すごい人ですよ」


深く考えないまま言葉に出して、自分でも拙いと思ったのか、恥入りながらヘラリと笑う。ライオンのように気高い顔立ちが小型犬のような愛玩動物に貶められる。

良くも悪くも気の抜ける友人だ。



「すごいと思うなら次の試合を観に来い。一睡もさせない本物のサッカーを見せてやる」
「え! ノアさんはいつも寝るのに?」
「オペラよりサッカーの方が面白いだろ」
「比べるものじゃないと思います!」



サッカーに興味がない人間とこんなに長く話すこともない。それでも会って話してしまうのは、金や権力や知識とは違う、自分にはない何かをこの女に見出しているのか。


いつまで経っても、分からないままでいる。










「──お姉さんフラウ?」
「あれ、ミヒャエルくんだ」


とあるパーティーで、パートナー役に招待した友人を連れ歩いていると、下部組織に所属するミヒャエル・カイザーが呆然と立ち尽くしているのが見えた。そして隣にいたカイザーの相棒のアレクシス・ネスが「彼女はノアの恋人ですよ」と友人の表向きの肩書きを耳打ち、見開かれたブルーアイに仄暗い炎が宿るのを無言で眺めた。


「ミヒャエルくんのチームってノアさ、ノエルと同じところだったんだ? 知らなかった」
「……知らないで、俺と会話していたのか? あんなに情熱的に語り合ったのに?」
「じょうねつてき」


何をしたんだフロイライン。
恐らく無自覚だろうが本当に何をした。

ギッと睨みつけてくるクソガキ×2。アホヅラのガキを連れているだけなのに、何故自分が睨まれているのか。分かっていても一生分かりたくなかったが。


「あっちにショコラーデがあるぞ。話は後でいいだろ、フロイライン」
「エッ、あ、そう、ですか?」


一丁前に睨んでくるクソガキへの嫌がらせくらいはしておこう。

折れそうな腰を抱き、体を密着させ、乱れたブルネットの横髪をそっと避けてやる。「わっ、ありがとうございます」とふにゃりと微笑むフロイライン。瞬間、ガスバーナーで炙られる並みの熱視線がこっちに突き刺さった。


ガキにコイツは扱えねぇよ。

鼻で笑ってやる価値もない。軽く釘を刺す視線をやってから、年の離れた友人を最後までエスコートする大役に戻ったのだった。



なんだかんだで友達が大事でラブとライクを高速反復横跳びするノアvsなんだかんだ貶しながら振り向かせたいお姉さんが目の上のたんこぶの恋人だと知りぐちゃぐちゃになるカイザーvsダークライ

の矢印の強さが釣り合ってない関係にしたかった……。

こっからノア√かカイザー√の分岐が入るかもしれないし、別の人の√に行くかもしれない。ダークライが冴ちゃんかスナさんに化けるかも?

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