あまねく新生



バッグワームの下で息をひそめ、スコープを覗き込む。オペのカウントダウンを頭の片隅で聞きながらトリガーに添える指に力を入れた。

狙うのは手。弧月を持つ手の甲。弾き落とすつもりで、よん、さん、にぃ、

いち、ファイア!


────ドォォオンッ!!


「あ」


ほんのコンマゼロゼロ秒“遅らせた”イーグレットの弾が男の子の頭を吹き飛ばした。


『?』
『え』
『は』
「はあ!?」
『……!』


《な、なんと、鳩原隊員のイーグレットが笹森隊員の頭部に炸裂! 緊急脱出 ベイルアウト! 二宮隊に四点目が追加されました! 驚くべきはランク戦での鳩原隊員の得点が今回で二点目ということ! 二宮隊がB級に降格してから初戦の今日までに心境の変化があったのでしょうか!?》


『鳩原先輩!?』オペの亜季ちゃんの悲鳴が鼓膜に突き刺さったがそれどころじゃない。なにせ命令違反をしたので。場所が割れてしまった危機感からサッと現場を離脱する。できるだけ建物の影になるところを探しながら、頭の中はわりとパニックだった。

武器。武器を撃ち抜く指示だったのに、近くにいた犬飼くんが相手を仕留める算段だったのに! チームメイトからポイント泥棒しちゃったよ。ごめん犬飼くん。許して犬飼くん。

謝ったから庇ってくれないかな犬飼くん。



「二宮さんに怒られる……!」



目下の最重要案件がこれ。この半年で私はすっかり二宮さんに体の芯まで躾けられていた。

漫画のキャラに躾けられるってなんだろね。









ことの始まりは去年の5月。病院のベッドで目を覚ましてから私の混乱の日々は幕を開けた。

病院に来る前の記憶は本当の本当になにもない。車に轢かれたか不治の病が見つかったかと戦々恐々とする私にお医者さんはアッサリ「脳震盪だね」と。なにやら転んで当たり所が悪くきれいに揺れたらしい。レントゲンでは異常なしと言われたものの、引っかかったのは「私、ハトハラじゃないですけど」お医者さんがどこかに電話をかけ始めた。レントゲンだった。

改めて異常がないと分かったら次は精神科。逆行性健忘症、記憶喪失の診断書を持ってぼんやりしているところ、病室に彼らはやって来た。

メロンを持った辻くん、花を持った氷見さん、ジュースを持った犬飼くん、ポケットに手を突っ込んだ二宮さんだ。

この時の私からすれば“謎の若者集団が病室に押し入ってきた”としか思えなかった。完全に困ったまま固まる私。話は聞いていたのか、各々が簡単な自己紹介をしてくれた。どうやら彼らはハトハラさんの仲間なのだとか。ボーダーという民間組織でゲートを潜ってやってくる異界の化け物・ 近界民 ネイバーと戦うヒーローなのだとか。

それどんなワールドトリガー?


「私がその、ボーダーの隊員……ですか? 本当に? 50m走で毎回ビリのデッドヒートだったんですよ?」


二宮さんの未知の生物を見るあの目はいまだにこびり付いている。漫画でも見たことがない顔すぎてもはや恐怖だった。

「本当に忘れちゃったんだ……」という爽やか犬飼くんのつぶやきとショックですという顔の辻くん。痛ましげな氷見さんの態度にこれはいけないと話題を振ることにした。


「お手数ですが、なにかこう、昔のことを思い出せそうなものはありませんか? あとで自分で調べてみます」
「……過去の対戦ログを送ろう。だが確認するのはそのベッドでだ。また転ばれてはかなわない」
「はあ、お気遣いありがとうございます」


素で偉そうなんだなこの人。

こうして病室にはメロンと氷見さんが活けた花とジュースだけが残された。いや、それから三十分で氷見さんから端末に映像がいくつか送られてきたっけ。早すぎる。

黒いスーツを着てネクタイを締めている猫背の女の子はコスプレ感がすごかった。そこにスナイパーライフルが合わさると余計に。それにしても狙撃手スナイパーか、わかるー。私もやるなら狙撃手だと思っていた。しかもすごい命中率。シールドで防がたのを除けば百発百中なんじゃないかな。ふむふむ。

二宮隊の、狙撃手の、鳩原さん、と。


「……勝手にあちらに行った人?」


ちなみに私がワールドトリガーを読んだのはたった一回だけだ。

話が始まった時点で既に過去の人として扱われていたキャラを思い出せただけでも褒めてほしい。へー、鳩原さんの下の名前は未来ちゃんっていうんだ。そのレベル。

もう一度対戦ログを見る。急に自分のことのように思えてくるから不思議だ。

そういえば私も学生の頃はワケもなくヘラヘラしてた気がする。困ったように笑ってばかりで内心は変なことが気になって傷つきやすかった。変わったのは社会人になってからか。


“あたしやっぱりダメなやつなんだ……ごめんね……。”


急にふんわり浮かんだイメージは、きっと本当にあった過去の自分。

わかるわかる、卑下しているうちは少なくとも“身の程知らずの自分”から逃げられるよね。現状が変わらなくてもちょっと楽になるよね。うーん、思考回路に覚えがありすぎる。

完全に十代の私だわ。

実はほんのり心配していた“本当の鳩原さんから体を奪ってしまった説”が一気に消え失せ、前世の記憶を思い出した私にシフトしていく。タイトルをつけるなら【転生したら鳩原さんになってた件】になるのかな。ちょっと古い?

まあ、それで病院に運ばれる前の記憶が鮮明になったりはしなかったんだけど。




「記憶封印措置は施されておらん。戦闘体も正常。トリオンも以前と変わりなし。健康だな」


退院後一週間かけた検査結果、鬼怒田さんからお墨付きをいただいた。

これで現場復帰かと検査の大人たちが口々に言い合う中、私はそろりと手を挙げた。


「あの、あたし・・・辞めます」


二宮さん、を差し置いて東さんがすっ飛んできた。

この一週間、ボーダー職員の皆さんに混じって一番よくしてくれたのが東さんだったから。あと鳩原さんの師匠なんだとか。あー、あった気がするそんな設定。


「単刀直入ですまん。やっぱり上層部に思うところがあるのか?」
「思うところ?」
「そこも覚えていないんだったか。……遠征部隊から外されたことだ」
「あたしそんなに素行悪かったんですか!?」
「違う違う。鳩原はびっくりするくらい手のかからない自慢の弟子だよ」
「えー、じゃあ誰かに嫌われていたんですかね。世知辛い」


遠征っていうくらいだ。きっと何日か何週間か狭い空間で共同生活になる。隊員同士の不和は最初から除いておいた方が良いだろう。よし、自分が傷つかない理由みっけ。以上。

東さんのが閉口する。東さんは時々こういう何か言いたげな顔をするので困る。心配されている感じがひしひしと。人ができている。さすが東さん。

私は前の癖で誤魔化し笑いしそうになるのをなんとか止めた。真面目な話でヘラヘラするのもね。


「根本的な問題なんです。トリオンの使い方もきれいさっぱり忘れちゃって、こんなの隊にいたらお荷物じゃないですか」


どんな理由か、鳩原さんはとんでもない違反だと承知の上で近界に一般人と旅立ってしまった。残された二宮隊は隊員の不始末を問われてB級に降格。二宮さんは隊長の責任として鳩原さんの動機を探っている〜みたな話だった。たぶん。

現在の私は普通に本部に出入りできているから、(記憶はないけれど)少なくとも罰せられるようなことはしていない。このまま二宮隊にいれば華々しくA級隊員として活躍できる。はず。

でも、漫画の二宮隊に鳩原さんはいなかった。

二宮隊B級降格の未来は変わってしまうけれど、これ以上筋書きから外れるのはなんとなくまずい気がした。

あとトリオンで強化されているとはいえ人外の動きで駆け回って戦う私が想像つかない。


「誰がそんなことを言った」


あれれぇ、東さんの声じゃないなぁ?

大真面目に自分の役立たずっぷりを力説していた最中。振り返った先に我らが隊長が仁王立ちしてらして、今度こそ苦し紛れのヘラヘラをしてしまった私である。お、お許しを。


「答えろ。簡潔にだ」
「あたしです……」



そこから二宮さんに躾けられる日々が始まった。

すごいよ二宮さん。近界遠征選抜試験の課題みたいなドリルを持ってきた。しかもコピペとはいえ問題は二宮さんチョイスっぽいのがまた。

ガチさと申し訳なさで問題解きながら猫背が進行。
最終的に机と顔がゼロ距離になりかける。
ジンジャーエールをお供に読書中の二宮さんがテーブル指トントン。
慌てて背筋を伸ばす私。
再び読書に戻る二宮さん。

躾けだ。犬の躾け。

ある程度トリオンやトリガーの基礎知識を吸収すると、今度は狙撃手用訓練施設まで東さんに頭下げについてきてくれた。むしろ二宮さんも頭を下げてた。申し訳なさポイントが倍増した。

「お手数おかけします」「何度も言うな。聞き飽きた」お礼も言わせてくれないんですか。こういう時はお礼言わないと落ち着かないんですよ二宮さん。

躾けのおかげで二言目には二宮さんが出てくるようになってしまった。こわい。鳩原さんの二宮さん漬けはなんだかブラック企業だと誤解されそう。違うんです。世話焼きの仕方が圧迫面接一択なだけなんです心配そうな顔しないで東さん。


「二宮は真面目に心配しているだけで、お前が嫌いなわけじゃないからな」
「骨身に染みて分かってます」


東さん、前世の私と同年代だからか話しやすい。実家のような安心感。中身的に年下しかいないから余計に。

恩も好感度も圧倒的に高いのは二宮さんだけどリラックスできる相手は東さん。私は裏切り者かもしれない。

ニコニコと東さんの手解きを受けながらイーグレットを構えた。

それから半年。宣言通りボーダーを辞め、再び入り直してからB級に昇格した私を二宮隊は威風堂々待ち構えていた。

辞めると言った私と頷かない二宮さんと東さん、あと何故か鬼怒田さん。数回の攻防の末、私は口から出任せで『ボーダーを辞めるんじゃなくA級辞めてC級からやり直すって意味です……』と宣言したら、二宮さんのドリルと東さんの狙撃訓練を続けながら有言実行しろとばかりに手続きが済んでいた。1日で除隊と入隊をしたのは私くらいじゃないかな。

それからB級に上がるまで1ヶ月。全ポジションの中で狙撃手がポイントを稼ぐのは 特殊工作兵 トラッパーの次に難しい。それでも東さんや二宮さんに見てもらったのにこのありさま。落ち込んでも仕方ないけど。

ちょうど12月のシーズンが終わる頃だった。

私は知らなかった。二宮隊が私にランク戦を経験させるために自主的にB級に降格したことを。


のせいじゃないですかやっぱり辞めます足引っ張りたくない帰りますありがとうございました」
「鳩原」
「粉骨砕身させていただきます」


二宮さん の プレッシャー。
鳩原さん は うごけない。


「鳩原ちゃん元気になって良かったよ」
「はい」
「二宮隊完全復活ね」


犬飼くん辻くん亜季ちゃんはなんでのんきでいられるの。A級じゃなくなったら固定給がなくなるし、そもそも降格って不名誉なことでは。

無限に冷や汗が噴き出る。もはや頭を下げたまま固まるしかない私の頭上に、チッと。


「二宮さん、ちゃんと話し合いましょ。鳩原ちゃんの胃に穴が空きますって」
「鳩原先輩、隊長は真剣に隊の在り方を見直してるだけなんですよ」
「頭上げてください鳩原先輩」
「そうそう。まだ頭のふんわりが抜けきってないのにこれ以上悪化したら、」
「犬飼」


ちなみに私がこうなる前の記憶がふわふわしていることは顔見知りならみんな知っている公然の秘密だ。本気で心配してくれる人とネタに消化している人が半々でいる。犬飼くんはネタで辻くん亜季ちゃんは心配、二宮さんはフラット。バランスが取れた二宮隊だ。

体幹ばっちり二宮隊は私の再入隊祝いで焼肉に連れて行ってくれるらしい。誕生日会も焼肉。戦勝会も焼肉。お祝いは基本焼肉。急に学生感が増す。

トリオンで構成された戦闘体を解いて生身に戻る。光が一瞬あふれて消えると、辻くんの目線が明後日の方向へ逸らされた。


「鳩原ちゃん変わったねぇ」
「その色似合ってますよ。明るく見えます」
「ありがとう。予定よりちょっと明るくしすぎちゃった」
「確かに、おれの髪と似てる?」
「染め直そうかな……」
「なんで? お揃いっぽくていいじゃん。ね、辻ちゃん」
「ふぁ、っふぁい」
「まだ慣れないのね」


辻くんの苦手センサーに引っかからない程度にするべきだったかな。

傷つきやすいいたいけな十代の私が図太くなれたのは百パー見た目だ。自分の容姿を卑下するのを一旦やめて、とりあえず髪色を変えた。そこからはトントン拍子でイメチェンを繰り返し、メイクの武装でやっと猫背が治った。

鳩原さんの顔はぼんやり前の私と雰囲気は似ているようで似ていない。表情筋の使い方はまんまだったけれど。他人の顔ほど長所が良く見える。高いとは言えないが鼻筋は通ってるしたれ目の二重は可愛らしい。自まつ毛も長い。

とりあえず適当に自分で切っていた髪を半年以上伸ばしてから染髪ついでに整えた。肩上から鎖骨下くらいまで伸びた。その間にもちょっとずつ眉毛を整えたり、産毛を沿ったり、色付き日焼け止めクリームをつけたり、学校にバレない程度に色付きリップやアイラインを軽く引いて、私服のドシンプルパンツスタイルにパステルカラーや柄物やアクセサリーをほんの少し差し込む。訓練の一環で猫背を矯正していった結果(対二宮さんを除けば)背筋も伸びた。意外と姿勢って気分に直結する。

十代の卑屈なあたし・・・は二十代の人並のになった。


「すみみゃ、……なんか、し、知らないひと、みたいでっ」


そう思われるのも仕方ない。

戦闘体は以前と変わらず鳩原さんだから余計に変身感がすごいんだ。逆ムーンプリズムパワーメイクアップ。

真っ赤になってもじもじしちゃう辻くんと、イジるの楽しい犬飼くん。私は亜季ちゃんの隣を確保して当たり障りのない会話に勤しむ。その髪どんなお手入れしてるのとか。

焼肉屋さんに入ってからは飲み物で乾杯してから無礼講。二宮さんは安定のジンジャエールだ。唯一“この人大学生なんだよなぁ”と実感できるポイント。ニヤけたところでサッと目を逸らした。危ない。

好きな肉を好きなように焼き、食べたいものを食べたいように注文する。クッパ美味い。タレにつけたカルビをトッピングして味変するのも楽しい。

ところでなんでみんな私が育ててる肉をかっさらって行くの? 焼肉奉行だと勘違いしてる? やぶさかではない。


「あ、いい感じ。二宮さん私のハラミをどうぞ」
「…………」
「グロいよ鳩原ちゃん。言い方気をつけて〜」
「今のは犬飼先輩が戦犯です」
「はい辻くん私のカルビ」
「ぁひ、……ぃがほ、ざます!」
「ザマス?」
「肉ばかりじゃなく野菜も食え」


二宮ママ……?

クッパで口が塞がってて本当に良かったと思う。



それから年を跨いで2月。とうとう運命のランク戦が始まった。

大規模侵攻? えーと、緊急脱出の誤作動で目覚めたら全部終わってたんだよね。実戦の誤作動ってあるんですね〜ボーダー続けるの怖いな〜、とちらっちらっしたのに鬼怒田さんは心配しかしてくれなかった。優しさが別ベクトルなのよ。

コスプレ感満載の黒スーツに黒ベスト。お揃いの隊のマークが入ったネクタイをつけているのは、猫背じゃない鳩原さん。


「鳩原は目標地点に到着後潜伏。合図と同時に相手のトリガーを狙え」
「了解」


二宮隊に復帰して初試合。
私としても初めての試合。


──── ドォォオンッ!!



《な、なんと、鳩原隊員のイーグレットが笹森隊員の頭部に炸裂! 緊急脱出! 二宮隊に四点目が追加されました!》


武器じゃなくて頭を撃ち抜いてしまった。

撃っちゃったのである。

……い、言い訳を、前世の私がゲームセンターに通っていた名残というか。悪癖というか。

全国大戦できるアクションゲームで、私が使っていたのはスナイパー。身の丈ほどのスナイパーライフルを背負って疾走するライダースーツのお姉様を愛用していた。近距離アタッカーに詰められたら大変だけど、その分遠くからヒットできた時の喜びは一入。スナイパーでMVPのS評価をもらった瞬間の感動は今でも忘れられない。基本的に見つけ次第潰されることが多いからね。忍者は許さない。

東さんとの訓練では特に、コツをつかみやすいと思ってゲームの感覚を頼りに頑張って来た。おかげで技術評価は14。死ぬ気で頑張ったのに「やっと感覚が戻って来たな」と東さんに撫でられ、ついでに同じクラスで世間話する仲の当真くんにチョップされた。褒められたことよりも鳩原さん化け物さに怯えた。

その訓練で使っていたのは主に生きていない的。防衛の時はトリオン兵。大規模侵攻の時もラービットばかりでアフ、ア、アクトシアトル? のトリガー使いとは戦わなかった。

本当に初めての対人訓練で、当たり前のように前世のゲームのノリを持ち出してしまった。

近接から先に殺せ。
おのれ忍者。


《驚くべきはランク戦での鳩原隊員の得点が今回で二点目ということ! 二宮隊がB級に降格してから初戦の今日までに心境の変化があったのでしょうか!?》
《心境の変化っつーか、まあ》
《当真隊員は何か知っていますか? 鳩原隊員とは同じクラスでしたよね》
《めちゃくちゃ頑張ったってことで》
《尋ね損でしたー!》


『西方から諏訪隊長が来ます。鳩原先輩に接近。……その、』
『──鳩原、離脱しろ』
『は、鳩原、離脱しますぅ』


怒ってる。無傷なのに命令違反したから退場させられるんだ。無傷なのに。私の忍者への殺意が抑えきれなかったばかりに。おのれ忍者。

緊急脱出して黒いベッドに戻ってきてもしばらく起き上がれなかった。二宮隊の勝利宣言が出てすぐオペの席から立ちあがった亜季ちゃんが半泣きで駆け寄ってくる。


「は、鳩原先輩、大丈夫ですか?」
「不甲斐ないです」
「吐き気は? 我慢しないで言ってください。私トイレまで付き添います」
「そこまではさすがに」
「無理しないで! 行きましょトイレ!」


亜季ちゃんがこんなにも大きな声を出すので、不甲斐なさよりも戸惑いが増した。先に落ちていた辻くんは声も発さずに青白い。なにを心配しているんだろう。


「ううん、本当になんともないんだけど」
「え……」


そうこうしているうちに犬飼くんと二宮さんが戻って来た。


「鳩原ちゃん気持ち悪くない?」
「特には」


いつも柔らかい犬飼くんは珍しく真顔。ジッと笑ってないたれ目を向けられて、嘘は許されないという強い圧を感じた。黙って腕組みをする二宮さんには負けるけども。


「鳩原」
「に、二宮さん、この度はとんでもないミスをしてしまい、」
「いつから人を撃てるようになった」
「すいませ、……?」


なんだろう。まるで撃てないのが当たり前、みたいな。


「去年の10月くらいでしょうか。冬島さんと当真くんに誘われて、人型仮想エネミーの試作を何度か」



人を撃ったら鳩原さんじゃない、みたいな。











「そういうの早く言ってよー。作戦変わってくるから」
「まさか前の私がそんなだったなんて知らなくて」
「誰も教えてくれなかったの?」
「こっちから“撃てるか?”って聞くのもおかしいからな」
「聞いて荒船くん。本当になにもかも無知なんだよ」
「悪かったって」


ジュージュー焼ける鉄板の音。焦げたソースの匂い。火傷に注意しながらはふはふ食べるお好み焼きは格別だ。

犬飼くんに誘われたタイミングが荒船くんと世間話しているところだったから、ノリで私たちはお好み焼き屋さんに行くことになった。

訓練でたまに相手をしてくれる荒船くんは、犬飼くんと同じ学校らしい。そこらへんの設定は全然知らなかった。というか高校生の数が多すぎて誰が何歳かなんて覚えられないまま読み飛ばしていた。あとみんな大人っぽくて年上に見える。

最初はみんな平等にさん付けしていたら、出水くんに「先輩にさん付けされるの新鮮」と言われてしまい、大混乱だった。「混乱しすぎて風間さんを“風間くん”って呼んでたよね。やー笑った笑った」出水くんと並んでいたから……決して身長のせいではなく!


「俺はいいと思うぞ。なにはどうあれ、やっと狙撃手として正当に評価されるようになって。東さんも褒めてたじゃないか」
「そうだよ。ここだけの話、前は優しすぎて心配してたんだから」
「犬飼の心配は額面通りに受け取るなよ」
「受け取ってよー」


鉄板を挟んでやり取りする二人。どちらの言葉も額面通りに受け取っておこう。二宮さんも何も言わなかったし、隊の力になれるのなら、

“人を撃てない狙撃手なんて、必要ないんだから。”


「店で騒ぐんじゃねえ。出禁にするぞ。特に犬飼」


目の前に置かれた豚玉。何を考えていたのかさっぱり忘れてしまった。

びっくりして見上げると、長い前髪の下から覗く狼みたいな目。


「あ、え、かげ、」
「だれだこいつ。犬飼の姉貴か?」
「え」


影浦くんは、ボーダーよりも高校で見ることが多い。とはいえわりと不登校気味っぽいし、視線に敏感なサイドエフェクトがあるとのことであんまり見ないようにはしていた。こんなに間近で見るのは初めてで、何より生身で話すのも実は初めて。

確かに今の私は犬飼くんと似たような髪色だ。さらに今日は初戦だからと目元のメイクをガッツリしてきた。あの鳩原さんの雰囲気は薄れているかもしれない。


「ちが、私、」
「おれの従姉妹。最近こっちに引っ越して来たんだ」
「えっ」
「無意味な嘘つくんじゃねぇ」
「バレた? もともと三門に住んでるんだー。ねえミキちゃん」
「えっ、あ、はじめまして!」


鳩原さんの下の名前ってミキだっけ。

鳩原と呼ばれすぎてまだ下の名前に馴染みがない。なによりまだ犬飼くんのお姉さんと間違えられたショックから抜け切れていないし。メイク盛りすぎ? 年上に見えるくらい?


「い、従兄弟がお世話になってます……」
「……ちっ。豚玉焼くぞ」
「おー、頼むわカゲ」
「荒船もなに変なの連れ来てんだよ」
「いいだろ、ここのお好み焼き気に入ってんだ」
「チッ」


渾身のノリの良さを精一杯頑張ったのに無視。相性が悪そうだとは思ったけれど。私に優しい隊長は狙撃手しかいないのかしら。


「っく、くく、……ふぐ、くっ!」


しょんぼりお好み焼きをほおばる私に、何故だか犬飼くんだけ肩を震わせて呻いていた。いつにも増して不思議だ。










「鳩原」
「はい二宮さん」
「自分の名前を言ってみろ」
「? 鳩原です」
「下の名前もだ」
「えーっと、ミキ、ですけど」
「…………」



最近人殺しみたいな顔の二宮さんばかり見るなあ(遠い目)





***




二宮隊の鳩原未来が民間人にトリガーを横流ししたという重要規律違反の容疑がかかったのは、犬飼の誕生日祝いに焼肉屋に行った直後だった。

門の中に消えていったトリガー反応が三人分。ボーダー職員ではない未確認の人間がいたはずのその場所に風間隊が駆けつけると、残っていたのは倒れ伏す鳩原未来であった。

緊急搬送された病院で、鳩原は42時間も目を覚まさなかった。


「私、ハトハラじゃないですけど」


目を覚ました鳩原は記憶喪失になっていた。

もちろん、根付も鬼怒田もはじめは信じていなかった。密航直前で仲間割れをして置いていかれたのではないか。今すぐに拘束して尋問するべきだと。しかしセカンドオピニオンもサードオピニオンもフォースもフィフスも診断は覆らない。ならばトリオンによる記憶封印措置かと調べても不発。

鳩原から情報を搾り取る術がない。そもそも本当に密航者たちの仲間だったのかも確定できない。完全に手詰まりだった。

娘を持つ鬼怒田は徐々に糾弾する口を重くした。彼には娘がいる。気性が穏やかな娘とぼんやり大人しくされるがままの鳩原に思うことが増えたのだろう。なにせ彼は、彼らは、鳩原へ厳しい勧告をした事実があった。


“人が撃てない人間に遠征の枠を割く余裕はない。ボーダーは慈善活動団体ではないんだよ。人が撃てるようになってから選抜を受けたまえ。”


今でも、その決定を覆す気はない。近界探索は命と隣り合わせの危険な任務だ。人が撃てないということは、いざというときに自分も仲間も危険に晒す可能性がある。

鳩原未来は善良であり、平凡な、優しい女だった。
優しさを捨てきれないままA級に登り詰めた驚異の隊員だった。

その美徳はボーダーにとって産廃以下だった、というだけのこと。

それでも鳩原の功績は決してなくなるものではない。技術力でA級二位の当真を上回る実力だ。人が撃てなくともトリオン兵ならば撃てる。利用しない手はないだろうと、師である東春秋と隊長である二宮匡貴を監視につけることにした。すぐに処分しなかったのはある程度泳がせて尻尾を出す可能性に賭けたのだろうか。

アフトクラトルによる大規模侵攻の際、鳩原が敵と繋がっている可能性を考え、ラービットの間引きが程よく進んだタイミングで東が無理やり緊急脱出させた。そのまま眠らせた後、折を見て空閑隊員のサイドエフェクトによる尋問を執り行った。

こうして鳩原の記憶喪失が真実であることが証明された。

尋問の記憶を封じられた鳩原の監視は緩められ、自主的に・・・・B級へ降格させた二宮隊のランク戦参加資格が復活。晴れて二宮隊の活動が本格始動した。


その間、


「当真くん遠征に行ってきたんだっけ? お疲れ様」
「おう。お前の分まできっちり仕事してきたぜ」
「ん? どういう意味?」


鳩原は、当真の気まずさに気が付かない。


「なんだか前のあたし・・・っていろいろ無頓着だったんですね。お給料にぜんぜん手を付けていなかったみたい」
「鳩原は真面目だったからな。きっと弟のために貯金していたんだろう」
「あたし弟いたんですか?」


鳩原は、さらわれた弟のことを忘れていた。


「鳩原、み、みらい? みきだったっけ。あれ」


鳩原は、自分の名前さえも。


「命中です! ハートショット! 心臓一発! やりました東さん!」


鳩原は、人を撃てるようになって。


「二宮さん。、ガンガン撃って隊に貢献できるよう頑張ります。絶対A級に戻りましょう」



鳩原は、東や二宮が、誰もが、



「え、遠征? あんまり興味ないですし……行きたい人に譲っていいんじゃないですか」



“もう少しこうなってくれたら”、という無責任な願望を十全に叶えていった。










鳩原がああなってから二宮は狙撃手の面々や女子隊員(主に加古)から苦言を呈されるようになっていた。

(主に加古)曰く、隊員のメンタル度外視隊長。焼肉ですべてを解決する男。冷血漢。

不名誉なことこの上ないが、元上司の東や妙にすわりが悪そうな鬼怒田にフォローを頼まれれば否やは言えない。実際、言う気も起きなかった。

鳩原が遠征部隊を志願する理由も、合格したにも関わらず外された理由も知っていた。ボーダーは所詮縦社会だ。上から言われれば従うのが部下の役目。とりわけ鳩原は聞き分けの良い女だった。

記憶を失うほど思い詰めていたなんて気付かなかった。二宮の隊長としての監督不行届に違いない。

二宮匡貴はアップデートできる男だ。


「な、なにかしましたか私」


部下のメンタルケアくらい。


「え、こわ……あっ、なんでもないですすいませんすいません」


信頼を勝ち取る、くらい……、


「お手数おかけしてすいませんすいません頑張ります死んでも頑張ります」


可能な、はず…………。


「二宮さ、部下とはいえ高校生を泣かせるなよ。流石に大人気ないぜ?」
「そうよ。二宮くんであることはパワハラの免罪符にならないのよ?」


危うく場外アステロイドを撃つところだった。太刀川はどこから生えてきた。



「鳩原さんって本当はあんなふうに笑うんですね」


眉間に渓谷を築く二宮の耳に、辻の寂しげな声が届いた。


「前より全然明るいよね。心配事がなくなって余裕できたのかな」


続く犬飼の軽薄な声。思い当たるフシがあった。

誰がどう見ても鳩原は生き急いでいた。四年前にさらわれた家族を探すためにあちらへ渡ろうと、不安そうな顔で毎日毎日。死に物狂いで身に着けた狙撃技術は二宮の目に留まり、待望の遠征まであと一歩のところまで迫っていた。

生き急ぐ目標がなくなった鳩原は、二宮たちが知る鳩原とは少し違うけれど。家族を失うことなく普通に生きていればあんな風に笑う女だったのかもしれない。


「お前は今、なんのために戦っている?」


ちょうど作戦室に足を踏み入れた鳩原は、東や荒船ら狙撃手と有意義な訓練をしてきたのだろう。健康的に上気した頬が以前の青白い顔を余計に深刻に思い出させる。


「二宮隊に、お世話になってるから、力になりたい、です」


治って来た猫背を再発させるほど照れが垣間見える鳩原。二宮は「そうか」とだけつぶやく。部下の信頼を疑いようもなく感じる答えだった。表面上は当然そうな顔をして、内心では妙な満足感が広がっていく。

鳩原の新しい目的に自分たちがなれたこと。それが珍しく、──素直に嬉しかったのだと。二宮にそんな自覚は一切ない。


「(恩を仇で返すような薄情者にならないようにって釘差しかな)」


鳩原がボーダーを辞めたがっていた事実は彼の中からとっくに消え失せていた。









「マジでさあ、辻ちゃんも今度お好み焼き食べに行こうよ」
「いや、そんな面白がるようなことは失礼では」
「でも一応危険はないか確認しておく必要はあると思う。鳩原先輩にその気がないなら余計に」
「今はなくてもあとあと出てくるかもだよ。っていうかおれたちがいない学校でいい雰囲気になってるかも」
「そもそも影浦先輩にそんなつもりはないんじゃ?」
「いーやあるある。鳩原ちゃんのことバレないようにガン見してたもん。逆にお好み焼き持ってきた時はほぼ見ないようにしてさ。腹筋つるかと思った」
「影浦先輩は鳩原先輩のことよく分かりましたね。結構大胆なイメチェンなのに」
「気付いてないよ」
「「え」」

「カゲ、戦闘体の鳩原ちゃんはスルーなのに生身の鳩原ちゃんの視界にはわざと入ってる。完全に別人だと思って態度変えてるんだ。よっぽどニュー鳩原ちゃんの顔が好きなんだね」


「…………顔、だと?」


「「「……あ」」」



“手塩にかけて育てた娘をどこぞの馬の骨に奪われそうな父親。”


なにも始まっていないはずなのにすべてが終わった気がする二宮隊の三人だった。





この鳩原さんは頭打って前世と今が混ざった感じなのでちゃんと同一人物です。憑依とかではなく本人がアイデンティティバグってるだけ。半年以上かけて一人称あたし→私に変化していきました。

二宮さんのことを推してるのに二宮さんの夢を見たいような見たくないような不思議なジレンマに陥った成れの果てでした。原作で鳩原さんの掘り下げが来る前に駆け込み乗車した次第です。成り代わり久しぶりに書きましたね。


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