ストラクチャーされた後輩



「私ね、もしもの未来が少しだけ分かるんだ」



付き合って二週間が経った休日。見慣れないブレザーがかかった女の部屋。勉強机と本棚とベッド。キャスター付きのデスクチェアを勧められて座ったオレと、向かいのベッドに座ったワイシャツにスカートの先輩。ほっそりとした足を見せつけるように組んでから、ガキの子守唄のように小さく囁いた。

『オレが橘に浮気するという根拠はなんだ』いつかの夜に『彼氏になったら教える』と言っていた答えを彼氏になった今尋ねた。その返答がそんな馬鹿げた内容だなんて誰が思う。

……半間にヤベエ薬飲まされたのか?


「半間にヤベエ薬飲まされたのか?」
「冤罪冤罪」


思ったことが勝手に口から溢れた。失態に舌打ちする前に軽く笑って首を振る女にムカついた。しょうがないと言わんばかりの顔で眉を下げて、そのくせ受け入れられなかったことに残念がっている。所詮オマエの信頼はその程度かと突き放されているような腹立たしさが湧いた。

腹立たしい。思えばいつもコイツと関わる時は胃がムカムカする。


『へえ、すごいんだね』


橘夕凪。橘日向の一個上の従姉妹。出会いは小六の塾。最初は急に話しかけられて煩わしかった。橘と血が繋がっているとは思えない真っ直ぐ外ハネの黒髪とか、涼しそうな切長の猫目とか、近くに顔が来た時に香ったいい匂いとか。笑い方が先生みたいにキレイすぎた。作り笑いかな、と居心地が悪くなったのを覚えている。ドキドキしていたのは急に知らない人と顔が近付いたからだ。ボクには橘がいるから……だのなんだのと自分に言い聞かせていた。それから橘が不良に憧れる花垣に憧れて、何故だか塾までボクに会いにくる先輩が残った。

不良の何がいいんだろ。あんな、うるさくて、下品で、暴力的で、社会規範を意味もなく破っては自分が強いんだと勘違いしているバカどもが。橘もバカだったんだな。好きだった橘が盗られた言い訳が胃の中でグルグル。気持ち悪い。吐き気がする。たったそれだけで終われたのは橘先輩がずっとボクを必要としていたから。ボクは神童だから。先輩はボクのことが好きで会いに来てくれる。本気で、そう、信じていた。

橘と違って先輩は完成されていた。外ハネだって寝癖というよりはそういうセットに見えたし、顔は近くで見ても産毛は生えていない。眉毛も整えられていて、匂いも汗臭くない優しい花の香りがした。中学生の制服だって目新しい。中学生は小学生と比べれば大人で、綺麗で、キラキラしていた。こんな人に好かれる自分はやっぱりすごい。そんな自己顕示欲で先輩と話して先輩の中学に入学した。先輩の、後輩になった。

神童だと持て囃されていたから、自分を変えることは一切なかった。髪も適当に切って、眼鏡は見やすい大きいレンズで、話し方も喉に負担がかからない適切な音量。勉強に齧り付いていた名残で猫背のまま。何も不都合だと感じなかった。キモイだの暗いだの有象無象に言われても気にならなかった。何故なら、誰からも綺麗ですごい先輩がボクのことを好いているから。


『マイキーとドラケンは別格でしょ』


──正真正銘のヒーローだよ。

いつも綺麗に笑う人だと思っていた。先生みたいに笑う人だと、それが当たり前だと。頬を赤く染めて、瞳を潤ませて、唇をだらしなく緩める。アニメのヒーローを見るガキみてえだ。今までの先輩は全部愛想笑いで、演技で、嘘だった。


先輩は、橘日向の従姉妹だった。


理解できない。ボクほどまでとは行かなくてもそこそこ頭の良い先輩が頭になにも溜まっていなさそうな不良に憧れるなんて。橘と同じバカとしか言いようがない。どうして、何故、不良なんか。不良は神童よりもすごいのか?

橘だけじゃなく先輩までワケがわからないものに盗られたことに、我ながらショックを受けた。先輩がヒーローだと言った佐野万次郎は日本一の不良だという。日本一の不良ってなんだ。不良ってなんだ。

不良になれば、ボクはまたすごくなれるのか。

不良の頂点に近いらしい長内をとっかかりに不良の世界に飛び込み、ポーズとして見た目を変えた。だらしない格好は不良に溶け込むには必要な所作だったし、猫背を直すのも喉を酷使するのも舐められないためには重要だ。ビビってたら喰われるのはこっち。法律なんぞ知らねえ馬鹿どもの世界は弱肉強食。強さが物を言うが、強者だと錯覚させれば弱くても勝てる。馬鹿ほど騙すのが簡単な人種はいない。想像よりも馬鹿を使って計画を進めることはオレにとって簡単なことだった。

駒を手に入れて、地位を手に入れて、あとはマイキーに取り入る。何をしてもバレなきゃいいんだ。馬鹿には見抜けないように巧妙に、慎重に、確実に。強い駒の後ろでこっそり手を回せば、あとは簡単にオレの天下だ。

────馬鹿馬鹿しい。


『稀咲くんは、私がレイプされてもいいんだ』

『私がお腹刺されても』

『トラックに押し潰されても、爆発で全身大火傷を負っても』

『稀咲くんは、私が死んでもいいんだ』


いつから目的と手段が逆転していたのか。
オレはなんのために不良になったのか。

少なくとも橘先輩のためではなかったはずだ。オレが隣にいるのに他の男に尻尾振るような女なんかこっちから願い下げだ。もう先輩になんか興味ない。どこの誰にでも股開いてろ。……数秒前まで、本気で思ってたくせに。カッとなって簡単に出てきた『オレの女』。頭が真っ白になった。その場から逃げ出して、落ち着いたところでちゃんと考えたかった。形勢を建て直すために走った先で半間に出くわすとは思わなかったが。


『オンナ呼ばわり、する、前に! 言うことありません!?』


先輩が手を握ってきたから。逃げて、半間に転がされて、コンクリートに寝っ転がるようなダッセェ男に必死で縋るから。

ダッセェのはオレだって気付いちまった。ボクが先輩と話せていたのは先輩がボクのことを好きだと思っていたからで、なんとも思われていないと思い至ってから話しかけるのが怖くなった。ビビって逃げて、見ないフリして、見限ったのはこっちだと強がった。

全部、ガキのダッセェ強がりだったのか。


『何か言われないと、私もっ、なんも言えないんだけどッ!?』



オレは、先輩が憧れるような不良ヒーローになりたかったんだ。




「そういや、なんだ。“死んでもいいのか”、だったか」
「へ」
「“レイプされてもいいのか”とも言ってたな」


何を言っているのか分からないというツラで先輩が首を傾げる。ガキの頃は大人っぽくて綺麗な人だと思っていたが、よくよく話してみれば存外子供っぽい。スキンシップが好きで、よく分からねえぬいぐるみをカワイイカワイイ頬擦りしてた。オレも含めて周りの人間はコイツを“大人っぽい橘さん”というフィルターを通してしか見ていないんだろう。

汗だくで引き止めたり、泣きながら嫉妬したり、真っ赤になって減らず口を叩く橘夕凪を、オレだけが知っている。自己肯定感じゃない、優越感にも似た心地良さが唇の端を勝手に持ち上げた。……ニヤけてる場合かよ。


「去年の春頃にオマエが言ったことだろ。ビービー喚きながら」
「…………言ったっけ?」
「とぼけても無駄だ。──で、レイプってなんだ」


さっきの余裕たっぷりの態度が一変。キョドキョドと目を泳がせる先輩は明らかに誤魔化そうと必死で、それは自分の失言に追い詰められている風に見えた。だが、重ったるく口を動かすあたりどうもそれだけじゃない可能性に行き着く。オレに言いたくない。そう顔に書いてあった。


「い、言いたく、ない」
「約束を反故にするのか? ア?」
「それでも、言いたくない」


泳ぎまくっていた瞳が腰を落ち着けてこっちを見つめてくる。反射的に身を引きかけた。我ながら、先輩に見つめられるのに弱い自覚があった。静かに見つめられても、挑発的に細められても、甘えたように上目遣いされても。背筋の真ん中から首の裏まで鳥肌が立つような、骨の奥から振動が広がるような。惚れた女に勝てねえかもしれない自分に情けなさが積もる。


「あー、えっと、期待させてたらアレだけども、もう未来は分からないの。この前ので終わっちゃったから」


この前の、がいつのことだか分からないが。


「だからね、稀咲くんにぜんぶあげちゃう」


大人っぽく落ち着いた雰囲気の先輩がたまに見せる情緒不安定な態度は、きっとこの先見ることはないんだろう。そんな確信が不思議と胃の腑に落ちてくる。それはどう考えてもいいことだ。急に泣かれてもオレに女を慰める術なんてない。コイツが楽しく笑っているなら、揶揄われるくらい甘んじて受けてやろうとすら思える。

だが、なんだ。


「全部オレのモンならその秘密もオレのモンだろ」


勝手に解決した気になっているのが心底気に食わねえ。

椅子から立ち上がって先輩の前に腰をかがめる。近くなった顔を手で掴んで固定すれば大きな黒目いっぱいにオレが映った。


「オマエの知る未来で、オレは何をした?」


何を恐れている。何に怯えている。どうして、隠そうとする。

ムカムカとする衝動。コレは場地圭介との関係を知った時と似ていて、違うのはコイツがオレを信じようとして失敗した名残を感じ取ってしまったこと。コイツにも自分にも腹を立てている。ふざけるなと怒鳴ってやりたいくらい。

中腰で凄むオレに、先輩はしばらく呆然とされるがままになってた、……かと思えば。「えいっ」「!?」自由にしていた両腕がオレの首に巻きついたかと思えば、目一杯引っ張られた。中腰の姿勢でそんなことをされればバランスを崩す。先輩の方に倒れ込んで、とっさに着いた手が硬いスプリングを押し返した。


「っ、な、な、」


こんなの、押し倒しているのと同じじゃねえか。

急いで起きあがろうとしたところで、首に巻きついていた腕が今度は後頭部に回って──むにっ。む、にっ? 鼻先に押し付けられた感触。頭上がら聞こえてきた「メガネいたっ」の声。白いブラウスが上下するのを至近距離から確認して、全身から汗が吹き出した。この、この、むにって。むにって、む、む。


「柔らかいでしょ?」
「ぁ、はッ、アァ!?」
「あったかいし、ドクドク言ってるし、生きてる感じ、分かるかな?」


何言ってんだこの痴女! なんなんだこの女は!

叫んでやろうにも余計にむ、ねに顔を押し付けられて口が動かない。唇すら相手の柔らかさを拾っちまいそうで変に身動きが取れなくなっていた。頭がクラクラする。鼻の奥まで先輩の匂いが充満して内側から弄ばれている。クソ、クソクソクソッ! 付き合って二週間だぞ!? 二週間でって早すぎねえか!? いや、この女はオレを引き止めるためにラブホに引きずり込もうとした前科がある。自室に通された時点で気を付けるべきだった。

あの日は財布に半間が仕込んでいた避妊具があった。あの野郎、水族館の受付で支払う際に発見した時はどう落とし前付けさせようかと。その後に先輩がホテルに行きたがったのはある意味で悪夢だった。カラオケボックスなんて密室に一晩二人きりとかいう拷問もなんとか耐え抜いたっていうのに。あの避妊具はソッコーで捨てちまって今は手元にない。流石に初めてでナマはまずい。この女相手にどう切り抜けろと言うんだ。

『どうせ逃す気ねェんだろ。さっさと童貞捨ててガキ作りゃいいじゃん』幻聴まで聞こえてきた。おかげで腰の重さはどうにか萎えたが。後頭部に回っていた手が耳の裏をくすぐってきて復活しかけた。──どうしてくれよう、この女。


「稀咲くんも、あったかいね」
「お、おい、離さねえならこっちにも考えが、」
「お耳も赤くて、肌もすべすべで、心臓ドクドク。──生きてる」


ぽそぽそ。柔らかい声がだんだんと掠れていって、最後はほとんど息だけみたいな声で。泣くんじゃないかと。突然のことに赤くなっていた全てがサッと引いた。



「稀咲くん、生きてる……」



……未来を知っていると、先輩は言っていた。もしも仮に万が一でもそれが真実味のある事実だとして、今の発言の意図は──────。

腕だけじゃなくスカートから伸びた足までオレの体に巻きつけて、全身でオレに縋り付いてくる。大人っぽくて、綺麗で、会話にストレスがない程度に頭が良くて、意味不明な言動で、思い込みが激しくて、情緒不安定で、スキンシップが馬鹿みたいに激しくて、知らないことがまだたくさんある、やっと手に入ったオレの女。

オレの、好きな女。


「……当たり前だろ」
「ウン、ウン」


仰向けに寝そべる先輩の胸に顔を埋めさせられて、腰までガッチリホールドされて。馬鹿みてぇに身動きの取れない状況の中、自由な手でゆっくりと髪をすいてやった。たまたま触れた頬は濡れていなくて思わずホッとした。ブラウス越しにかかった息がこそばゆかったのか、上下する胸がオレの頬を圧迫してくる。手は震えてなかったか。こんな簡単なことでも、コイツを宥める結果になったのか。さっきから感じていた先輩の震えは、心なしか治っていた。

オレは、コイツを救えているのだろうか。



「秘密はあるけど嘘はつかないよ。だって、君のことが大好きだもん」



接続詞が間違えてねえか。「大好き、好き、好き」指摘するより先にさらに腕の力が強まった。オレは好きな女の胸で窒息させられるところだった。



「私もこれからたくさん好きって言うから。好きって言って、稀咲くん」
「んむ、ん! んーッ!」
「稀咲く………………稀咲くん?」




早く気付けよ馬鹿女!!





***





「なんかごめんね、ちょっとやりすぎたかも。お詫びに下着見る? この前見せられなかったかわいーブラで良ければ」
「オマエはオレをどうしたいんだ」
「え……もっと好きになってほしいかな」



クソが。思いっきりベッドを殴ることで理性が保てるオレは、やっぱり特別すごい人間だという自負が増した出来事だった。


ちなみにピンクの黒レースだった。








← back
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -