圭介にリロードされる



※2でリストラされた橘先輩が場地ルートに派生したif。稀咲くん出ません。




これで最後だと思ったら、言いたいことは自然と一つに絞られた。


「バイバイ稀咲くん」


ありがとうとでも言ってやろうか。
最低野郎とでも罵ってやろうか。

嫌味な自分が鎌首をもたげたところで、結局はケジメに別れの挨拶が出てきた。

東京卍會。日本最大の反社会勢力として幅を利かせる犯罪組織のNo.2。佐野万次郎を差し置いて実質的な権力を掌握した稀咲鉄太。原作で示された一つの未来を忠実になぞったこの世界で、私は稀咲の愛人として日々を過ごしていた。恋人のように甘やかすことがあれば商売女のように雑に扱われ、妻のようにプライベートスペースに招かれる日もあれば行きずりの女のように安宿で手酷く抱かれる。落差が大きすぎて大切にされているのかオモチャだと思われているのか分からない。分からないからこそ、分かってしまう。──結局私ってヒナの代わりなんだわ。

苦しい気持ちはあるものの、それでもヒナの代わりで満足していた。満足しようと努力した。こんなに縛りつけられているのだから、代わりでもなんでも重宝されているんだって。……愛されているんだって。十二年前に私に告白してくれた稀咲くんはまだ残っているんだと信じていた。どんなに薄くなっていても、それは私が好きになった稀咲くんだから。

諦められなかった。こっちからフることもできなくて、このままずっと飼われてもいいと本気で思っていた。

なのに、なのにね。


「……じゃあな、橘先輩」


君はまた先輩って呼んでくれた。あの頃の君から手を離してくれて、私……ホッとしちゃったんだよ。

────ドンッ!!

やっと稀咲くんのこと好きにならなくていいんだ、って。



「なに…………」


痛みも苦しみも不思議と感じなかった。浄化されるような穏やかな気持ちで死んだ先は、──2003年。夕日の赤が気持ち悪い帰宅途中、中学一年生の私は急な目眩に襲われた。立っていられないくらいの頭のだるさと、一気に流れ込む十四年の記憶。しゃがみ込んで、顔を覆って、誰にも見つからないまま“誰か”を見つけたんだ。

私の名字は“立花”。父に兄弟はいなくて、従兄弟ももちろんいない。ヒナともナオトとも面識がない赤の他人。姿形は以前とまったく同じで通っている中学も一緒。帰り道だって変わらないのに名字と家族構成だけが微妙にズレていた。

季節は夏。以前の私はちょうどこの時期にヒナの塾に行って、稀咲くんと出会って、ここが漫画の世界だと知った。ヒナと従姉妹じゃない私は当然塾には行かないし稀咲くんとも会わない。完全に蚊帳の外に置かれてしまったのだ。

不自然なほどスラスラと状況が理解できて、やっと実感として身に染みたあたりで涙が頬を伝った。


「なによ」


稀咲鉄太なんか忘れて人生やり直せって言うのね、神様は。

誰かのせいにしないと、このすっきりした気持ちが後ろめたくて仕方ない。泣きながら家に帰った私に母はギョッとして父は「失恋か!?」と強ち間違いじゃないコメントを寄越した。違うよ、私がフッたんだよ。

頭が良い男なんて嫌いだ。プライドが高くて性格悪いのなんてたくさん。ちょっと馬鹿でも頼り甲斐があって性格の良いイケメンを捕まえてやる。そう息巻いていたし、前と全然違うことをしてやろうと堅く心に誓ったんだ。


「圭介でいい。オフクロのことも名字呼びだろ」


前回と同じ時期に同じ理由で場地家に上がり込んで勉強を教えた。まったく同じ流れで場地が笑いかけてくる。『じゃ場地で』記憶の中の自分はそう答えたはず、だけど。


「じゃ圭介ね。よろしく」


ニッコリ笑って手を出すと、ガッシリと痛いくらいの握手が返ってきた。

場地圭介。散々稀咲くんから男女の関係を疑われた相手。私の親友。今回は嫉妬を気にする相手もいないし、もっと仲良くなっても良いんじゃないかって。思いつきで名前呼びに変えてみた。

本当に、出来心だったのに。



「オマエの中に他のヤローがいたって構わねぇ。最後にオレを選んでくれたらそれでいい。
────どんなオマエでも愛してるぜ」


こういう仲の良さを求めていたわけではないのだけれど。

アンバーの瞳が型に流す前の鼈甲飴みたくドロドロに溶けている。彼の部屋のちゃぶ台越しに観察して、ちょっとときめいた自分に絶望した。

“ちょっと馬鹿で頼り甲斐があって性格の良いイケメンを捕まえてやる。”確かにそう思っていた時期もあったけれど。というかちょっと馬鹿じゃなくだいぶ馬鹿だけど。


「前提条件として不良は却下なのよ」


学生の喧嘩で死ぬだの殺すだのはもうたくさん。「ぜ、ぜんてー?」と知らない単語に慄く親友を前に、私は人生の生き辛さに想いを馳せた。


キッカケはなんだったんだろう。場地の、──圭介の少年らしい目に男の熱を感じ始めたのは。

季節がひとつ過ぎた冬。期末テストに向けて簡単に対策を教えていたあたりだったと思う。バレンタインデーが近かったから、友チョコのノリで作ったクッキーをあげた。透明なビニールに3枚入れてピンクのリボン付きのゴムで留めたお手軽お菓子を、圭介はポカンと見下ろしていた。『オレに? 手作り?』『マジ?』『オマエ、クッキーって』予想外に動揺する圭介がよからぬ勘違いをしていると気付いて秒で『違うから』と否定した。あの時のホッとしたように冷や汗を流した圭介はちょっとレアだったっけ。……でも、思えばそれから少しずつズレてきたのかも。

折り畳み式のちゃぶ台を広げる時、率先して座布団を渡してくるようになった。麦茶とかコーラとか好きな方を選ばせてくれるようになった。ペヤング一口くれてたのがペヤング自体を食べなくなった。ふとした瞬間に視線が合ってフイっと逸らされていたのがいつの間にか見つめ合う時間が増えた。熱が、そこにはあった。

圭介は、私を女の子として見ていた。

春。2回目の一年生が始まった圭介が松野くんを連れてきた。目が鋭くて値踏みするような視線が突き刺さる。それも圭介が肘槌すると『っス』と軽く頭を下げてくる。そういえば前もそうだったよね。懐かしく思いながら『よろしく』と愛想良く返せば圭介が面白くなさそうに間に割って入ってきた。『ベンキョーすんだろ。さっさと始めっぞ』こんなことは多分なかったと思う。困ったような顔で松野くんと見つめ合ってしまい、また圭介に遮られた。


『立花先輩は、場地さんを弄んでるんスか』


圭介がペヤングのお湯を捨てに行っている間(松野くんがいる時だけペヤングをシェアしている)、松野くんが睨みつけてきたのは3人で勉強会も慣れてきた頃。もてあそぶ、なんてあんまりな言い草に飲んでいた麦茶を吹きかけた。でも確かに、圭介の気持ちを察していて家に入り浸るのはそうなのかもしれない。


『だったらどうする?』
『どうもしねえよ。場地さんのすることに間違いはない』


“──でも、今回だけはダメだ。オレは場地さんを止める。そのためにアンタを見捨てる。”

昔、正確に言うと私が死ぬ半年前に、松野くんは面と向かって非情なことを言った。私が稀咲くんに軟禁されかけて酷い目に遭うかもしれない矢先、場地が国外逃亡を勧めてきたのだ。シンガポールかフィリピンあたりに伝手があるとかなんとか。本気で私を心配して、どんな手を使ってでも逃してやると笑って親指を立てていた。本当に嬉しかったのを覚えている。反面、頷けないことがとても申し訳なかったっけ。

彼の背後に控えていた松野くんが険しい顔をしていた。私よりも敬愛する場地さんの方が大切なのは当たり前に分かっていたから。ここで私が頷けば場地がどんな目に遭うか分からないわけがない。私は黙って首を振って、それっきり。最後に会ったのは裏切り者として拷問を受けている時で、私は亡くなったヒナを想って髪を染めていた。あまりに雰囲気が違かったから、松野くんは私が誰とは気付いていない様子だった。松野くんは無事逃げられただろうか。生きていたら一生気付かないでいてほしいなあ。


『ただ、あの人に不義理なことすんなら女だろうとぶん殴る』


12歳から松野くんは松野くんだ。場地を慕う松野くんと同じ顔で圭介を慕っている。だから私は彼に対して誠実でありたいといつも思う。『せめて話し合いから始めてね』苦笑いした私に、松野くんは居心地が悪そうにそっぽを向いた。ペヤング片手に戻ってきた圭介はこの空気に気付いていたのかな。



『オマエ、心に決めたヤツがいるのか?』


突然そんなことを聞かれて、とっさに浮かんだ相手に絶望した。二年生の終わりの出来事だ。仰々しい言い回しをするモンだから少し笑ってしまったのを覚えている。実際は強がりの空元気だったけれど。『いないよ』ちゃんと答えたのに圭介は納得していなさそうな雰囲気でムッとしていた。『いたら圭介のところに来てないって』意識されている男の家には絶対行かない。親友の場地は私にそんな目を向けなかった。松野くんもいたし、友達二人に勉強を教えることを後ろめたく思うわけがない。

じゃあ、今は?

記憶の場地の髪型に近付いてきた圭介。身長も伸びた。私よりもずっと高い。笑うと見える八重歯は猫よりは虎の方が近い気がする。だから、ちょっとだけ心臓が痛かったのは怖かったせいだ。

気付かないフリをした。だって場地は14年間親友だった男で、圭介もこれからずっと親友でいてほしい男だ。居心地の良い相手でいて欲しかったんだ。

圭介は馬鹿だけど、頭は悪くなかった。直感は常人以上だ。そして、ケジメを大事にする気持ちの良い男だって。


「好きだ」


中学三年。圭介にとっては二年生の夏休みに入る直前、私は告白された。

松野くんがいない二人きりの圭介の部屋。急に手付かずの問題集を後ろに放り投げたかと思えば、肺の中の息を全部追い出すようなため息を吐いて、じっとりと私を見つめてきたんだ。


「オマエの中に他のヤローがいたって構わねぇ。最後にオレを選んでくれたらそれでいい。
────どんなオマエでも愛してるぜ」


中学生の言う“愛してる”にどれほどの重さがあるというの。なんて鼻で笑えないくらいには真剣で、恐ろしいくらいにまっすぐで。「不良は却下」と言ったわりに、心臓の音はビックリするくらい大きくなっていた。

14年だ。14年場地と友達やっていてこんな顔は見たことがない。この2年で圭介の気持ちを変えるような何かをした覚えは、……ああ、そっか。


『圭介はペヤングの一口がデカすぎるんだよ』『圭介はコーラ一択でしょ』『こういうシャツも似合うよ。カッコイイ』『喧嘩もいいけど、たまにはこっちも構ってやってね』『圭介は強いもんね』『圭介は、』『圭介』『圭介、』


14年分の友情を初めからぶつけていたからか。


「だいたい何よ、他のヤローって。いないって言ったでしょ」
「オマエ、他のヤツらになんて言われてるか知ってるか? 未亡人だぞ」


何それ。

他の奴ら、でパッと思いついたのは何度か会ったことのある東卍の幹部の人たち。中学生の彼らに会うのは新鮮で、場地の友達として紹介されるのも懐かしかったけれど。あの子達は言うに事欠いて女子中学生になってあだ名をつけているんだ。そもそも私と稀咲くんは結婚してないし、亡くしたのは夫じゃなくて私だし……ああ、もう。

わかった、わかった、認める。私はまだ稀咲くんを引きずっている。圭介に意識されて、無視している間も頭の片隅に稀咲くんがいた。でもそれは、昔みたいなトキメキとか愛情じゃなくて、──罪悪感。裏切っている感じがして、どうしても口が重くなっていた。不健全な、どうしようもない感情だった。あの稀咲くんはこの世界にはいないのに。

この世界にいる稀咲くんは、私のことなんか知らないのに。


「ほんとに」
「あ?」
「ほんとに、私でいいの?」


四つん這いでにじり寄って圭介の顔に顔を近付ける。急に距離を詰められてちょっと後退った分も近付いて、至近距離から飴色の目を覗き込んだ。


「ほんとに、忘れさせてくれる?」


鼻と鼻の先がくっつきそうな距離。首を傾げて尋ねる私に、圭介は間を置いて二度三度と頷いた。


「じゃあ、楽しみにしてるね」


息を吹きかけるように「ふふっ」と笑うと、目に見えて健康的な顔色がさらに元気になっていく。可愛いな。久しく感じていなかった感想が自然と出てきた。そう思った時点で私も落ちているのかもしれない。でも、まだ認められない。まだ、心の準備が欲しい。

「はい、投げちゃダメだよ」ギュッと目をつぶっちゃって、何を期待したのかバレバレの圭介の顔に拾った問題集を置いた。だから、拍子抜けした表情は唇しか分からなかったけれど。


「ずりぃ女」
「嫌いになった?」
「いーや? むしろ燃えるね」
「あはは。こっちにも燃えてくださいな」


パラパラと問題集を開いた私に、圭介は表情を引き攣らせた。勉強しに来ているんだから当然でしょ。

まあ、それから数日後に会った松野くんに「場地さんを弄びやがって!」て詰められるんだけど。

圭介の告白の後も、私たちは前と同じように勉強会をした。何にも変わりない空気で、でも明らかに松野くんの出席率が減ったのはおかしかった。苦情を言うわりにどうやら応援はしているらしい。さすが松野くん。むしろ松野くんへの好感度が上がってきている気がする。そうすると嫉妬されるかと思えば「仲良いな!」と笑うのが圭介だ。新鮮だと思うあたり私もまだ毒されている。

夏休み。貰い物の花火セットを持って場地家に行く。宿題をほっぽって圭介と松野くんと花火をした。大きな体ではしゃぐ圭介と去年より幼く笑う松野くん。中学生だなあ、と線香花火そっちのけで観察していたら、火の玉が落ちたのを圭介の方が先に気が付いた。「おいおい、気ぃ抜けすぎだぜ」花火にも全力なのが流石すぎる。


「あー、遊んだ遊んだ」
「っスね。先輩も、花火ありがとうございました」
「楽しかったね。こんなにはしゃいだの久しぶり」
「言うほど騒いでなかったろ」
「そっちが私の分もはしゃいでたじゃん。それで満足」
「んだそりゃ。オマエもはしゃげや」
「場地さんが派手なの全部火ぃ付けたんじゃないっすか」
「うっ」


花火の残骸が浮いたバケツを囲んで、なんてことない会話をした。浴衣なんて誰も着てない。ジャージとかジーンズとか雑な格好で雑にふざけてゲラゲラ笑って。こういうの、なんかいいなあ。学生っぽくて、肩肘張らなくて、神経使わなくて。とても楽だ。

前の今の時期は何をしていたっけ。


「あははっ」


好きだの嫌いだの。
惚れた腫れたの話も。
どうでもいい。全部ぜんぶ。
このまま、ずっと楽しく、3人で。



「立花、もうウチに来んな」



なんで、忘れてたんだろ。

秋。ハロウィンまで一週間に迫った時期に圭介が東卍を辞めた。松野くんをボコボコにして芭流覇羅に入ったらしい。ああ、そんな話があったな。もう何年も前の記憶で細かいところが曖昧だ。前世のことなんてもっと曖昧で、でも、なんだかよくないことが起こる気がした。

前の時は場地が刺されて入院したけれど、本当なら、場地は……。

突き放されて勉強会を開けなくなった。圭介どころか松野くんとも会えなくなって、宙ぶらりんのまま日々が過ぎていく。このままじゃいけないとは分かっていても、私にできることはなかった。前は稀咲くんに泣きつけばどうとでもなった。今は稀咲くんとは関わりがない。本当に赤の他人で、不良とは関わりのないまま生きてきたんだ。私って、部外者なんだ。

寂しい。悲しい。でも、どうにもならない。前だって気がついたらヒナが死んでいた。死ぬかもしれないって分かっていたくせに、稀咲さんに嫌われるのが怖くて、“死にませんように”って祈りながらビクビク毎日過ごしていた。髪を染めたのもヒナを忘れないためだったし、負い目があったからでもある。

助けられなくてごめんなさい。見殺しにしてごめんなさい。ごめんなさい。弱いお姉ちゃんでごめんなさい。ごめん、ごめんねヒナ……。



「…………そうやって、圭介が死んだら同じように謝り続けるのかな」



じわっと目が熱くなった。二年前の夏、橘夕凪が立花夕凪になった時以来流していなかった涙が勝手に落ちていく。何度拭っても止まらなくて、無意識に歩いていた圭介の家に続く道にシミが点々と連なっていく。圭介が死んだらどうしよう。もう3人で花火できないかも。しばらくペヤング食べてないよ。まだ何もしてないのに。──好きって言えてないのに。

「ひっ、ぅ、ふぅんっ、うぅ」嗚咽をこぼしながら歩いて、歩いて。ふと見上げた先の歩道橋に見たことのある3人が見えた。花垣武道と、松野くんと、圭介だ。認識した瞬間、泣きながら階段を駆け上って3人の元に走った。ちょうど松野くんたちを挟み込むように圭介と向かい合う。全員からギョッとした顔をされたのも気にせず、我ながらカスカスの声で叫んだ。


「けーすけっ!」
「ハ……立花!?」
「けーすけ、けーすけ」
「オマエ、なんで泣いて、」
「まだ返事もしてないのに、ひどいよぉ……!」


面食らっていたのは一瞬。すぐに無表情に戻った圭介が舌打ちをして背を向ける。やっぱり。突き放そうとしていることは目に見えていたから。

私でいいって言った。忘れさせてくれるって言った。全部、うそだったのね。

私は「ひどい」と言った舌の根も乾かない内に圭介が振り返りたくなるようなひどいことを口にした。



「来月まで元気じゃなかったら松野くんに“好き”って言ってやる」



「「えっっ」」間に挟んだ二人から反応が返ってくる。同じように背を向けた圭介も足を踏み出した体勢で固まった。


「デートも、チューも、えっちなことも、全部ぜんぶ圭介の代わりに松野くんにしてやる」


大事な大事な友達の千冬を人質にして、私は圭介を引き止める。最低だろうがなんだろうが目的のためなら手段を選ばない。あれだけ好意を向けてきたくせに黙って突き放して危ないことする男にはこれくらいやらないとダメだと思った。

場地圭介が死なないなら、品性だって倫理だって貞操だって、なんだって犠牲にしてやる。


「圭介にしたいこと全部松野くんにしてやる。松野くんがどうなってもいいのなら喧嘩でも殺し合いでもなんでもやればいいんだ!
────大事なものを全部大事にできない圭介なんて、だいきら、っ!」


トンッと。いつの間にか目の前にまで来ていた圭介が私の頭に手を置く。ビックリして固まった私の耳元に口を寄せて、車の音にかき消されそうなほど小さな声でそっと囁いた。


「オマエに嫌われるのは、やっぱヤダな」


ボロボロ溢れる涙をそのままに、至近距離にある圭介の顔を見つめる。冷たかった顔が解けて、仕方なさそうに眉を下げるいつもの圭介が、同じように私を見つめていた。あまりにも優しくて情けない顔を見せつけるものだから、奮い立っていた気持ちがしゅんと萎んだ。


「……危ないことしちゃ嫌だからね。喧嘩で死んじゃったらもう喧嘩じゃないよ」
「死なねーよ。オレをなんだと思ってるんだ」
「友達のためなら死ねる男」
「ハッ! 褒め殺す気か?」
「私のために生きてよ」
「────、マジで殺意高ぇな」


キュゥッと虹彩が引き絞られるのをぼやける視界で観察していた。喉仏が大きく上下するのも、眉間にシワが寄るのも、赤い耳も。


「死んで帰ってきたらホントに松野くんを襲うから」
「ずりぃ女」
「っ、わ!」


いつもの八重歯が剥き出しの笑みを一瞬浮かべて、急に髪の毛をかき混ぜられる。とっさに直している途中で小さく聞こえてきた。──「分かった」

それが、どれに対する分かったなのか分からなくて。背中を向けて今度こそ去っていく圭介に、私がしてやれることなんてなかった。

これで本当に死んだらどうしてくれよう。

その時の私は、死んだ橘夕凪じゃなく、身も心も15歳の立花夕凪になっていた。



「千冬ぅ、オレらお邪魔じゃね?」
「オレはちょっと前まで毎週こうだったんだぜ、タケミっち」




2日後、病院の個室で「コレ元気の内に入るか? 千冬まだ童貞か?」と恐々聞いてくる重傷の圭介に思いっきりベロチューをかましてしまったのは忘れられない思い出だ。






***






「好きよ、圭介」


や、やらけえ……。

病院のベッドで上体を起こしたオレの膝の上、そこを跨ぐように立花が乗り上げてオレの顔をそっと両手で挟んでくる。そのまま長いまつ毛が伏せられて、目を閉じる前に口に柔らかい何かが降ってきた。

立花夕凪の第一印象は大人しい女だった。暗いわけじゃない。愛想で笑うくらいはするが、中学にはいないタイプの女子だ。女子っつーかお姉さん? やかましくないわりに冗談は分かるし、オレの馬鹿さを知っても馬鹿にはしない。軽口も叩ける。部屋に上げても気まずくねえ。ちゃんと友達だと思ってた。

キッカケは、東卍の集会終わりにアイツを呼びつけた時だ。


『場地が連れてきたあの子、エロくね?』
『あ?』


確かスマイリーのヤローが急に立花を指して言った。ついこの前に東卍のシマでナンパされて危ないところをマイキーとドラケンに助けられたとかで、立花は礼儀正しく頭を下げてた。菓子折りでどっかのどら焼きまで持参してて、断るドラケンを尻目にマイキーは遠慮なく包装を破いて中身を取り出してた。それを上品にくすくす笑っている立花が……エロいってえ?


『なんつーの。人妻? 未亡人? 中学生には出せねえフンイキだろ』
『スマイリー、AVの見過ぎ』
『あ"ん? そういうアングリーは年上の幼馴染モ、』
『う、ウワァーー!』
『兄弟喧嘩はやめろって。まあ、言いたいことは分かるけど』
『だろ三ツ谷!』


幹部連中でガヤガヤ女の好みの話になる中、オレは妙に立花から目が離せなかった。エロい? アイツが?

じーっと観察してみる。艶々した長い黒髪。キレイだ。勉強ばっかで外に出てねえ白い肌。まあ、うん。上品に笑ってる時の困ってるみてぇな顔。口開けて大笑いしている時の方がオレは好きだな。────好き、だな?

ん?

今まで普通に言えていた好きがしっくり来ねえ。どこをどうっつーのは分かんねえし、考えれば考えるほど頭が痛くなった。頭が痛くなるのはエックスだのワイだので十分だってのに。


『はい、圭介のクッキー』


当たり前に寄越されたハート型のチョコクッキー。バレンタインデーに。オレに、手作りクッキー、て。オマエ、マジで? いつも通りペヤングの回し食いと同じノリで渡されたはず、だ。分かっているつもりで、それだけじゃねえだろって。直感で頭と心臓がグルグルした。喧嘩じゃ薙ぎ払えねえ厄介なモンがずっとずっと居座って。もう我慢なんざしてられっかって。

……“みぼーじん”ってことは好きなヤツがいたってことだよな。


『忘れさせてくれる?』


たとえ、アイツが誰か別のヤツが好きでも。オレが告白した時にすぐバレるくらい苦しそうなツラしてても。オレの隣にいればそれでいいと思った。


『死んで帰ってきたら松野くんを襲うから』


東卍のために、マイキーのために、一虎のために。

死んでもいいっつーオレの覚悟なんざアイツにはお見通しだった。千冬の名前を出されちまったら流石に死ねねえな。とんでもない女だ。


「ん、ん、ぁ、んんっ」


ズルくてキレイでエロい。オレの好きな女だ。


「ん、プハッ! おい、ここ病院」
「有言実行。やりたいことは生きてるうちにやらないと、圭介はすぐ死のうとするし」
「ゆーげん? は、いや、死ぬ気なんざ微塵も、」
「信用できないなあ」
「んぅ!?」


つーかコイツ本当にエロいな。

一虎のナイフで死ぬわけにはいかなかった。変な避け方のせいで右腕は骨折した。結局脇腹も軽く刺されたしな。まぁ、そんな感じで全身傷だらけだから、ほとんどベッドに寝転がるしかできねえオレの上で好き勝手する立花。

ちゅっちゅちゅっちゅ。わざとかって音を立ててチューしてきたかと思えば口ん中にベロが入ってきてビビった。大人のチューだ。初めてが病院のベッドってのもヤベェし、こっちが動けねえのに女の方から押されるのもビックリで。抱きしめてやろうにも左腕しか動かせねえ。その左腕はベッドの上に放置してたのをいつの間にか立花の右手が捕まえてた。オイ、指の間をすりすりしてんじゃねえ。変な気分になっただろ。

なんつーか、コイツ。


「はぁ、はっ、て、手慣れてね?」
「ハジメテだよ」


嘘だ。ぜってぇ元彼とかいた。それが口から漏れてたのか、つつつ……と手の甲や顔を指で撫でられて、見たこともない真っ赤な顔がペロリと唇を舐めた。


「ハジメテだから、圭介にしたいことたくさんあるんだよ?」


エッッッッッッロ。

病院でしていいツラじゃない。オレの家では絶対見れなかった立花。千冬に見られなくて良かったな。息継ぎの仕方が分からないチューを必死で答えながら、喧嘩で発散できない体の熱さが大変だった。



「退院してからにしね?」
「だーめ」



あーーーー、ヤベェ女に惚れちまったわ。





***





「いい加減にしてください。アンタらが喧嘩するたびに場地さんからオレに連絡くるんスよ。オレはぶん殴ってでも立花先輩とはヤらねぇから」
「すいません、本当に、巻き込んで反省しています。決して松野くんには指一本触れませんので何卒……」
「オレじゃなくて場地さんに言ってくれ。あの人に嫉妬される身にもなってくださいよ」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」



約束を破られるなり喧嘩するなりして怒った私が松野くんを襲う……なんて。未だにそう信じている圭介がソッコーで松野くんに牽制の連絡を入れるせいでかなりはた迷惑なカップルになってしまうことを、いろいろ吹っ切れてキス魔になった私は全く予期していなかったのである。






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