受験生に冬休みも正月もない、はずなのだけど、そこらへん私はゆるい。なにせ難関私立高校を目指そうとしたキッカケが稀咲くんに無理難題ふっかけて初恋を忘れさせるためだったし。『うちの高校来てね。稀咲くんなら余裕だよね』とハッパをかけて不良活動を妨害する気だった。

それがどうやらヒナへの恋心がなくなり、なんなら私みたいな似ても似つかない女を本気で好きになっちゃったらしい。今までの努力っていったい……って話である。そんなわけで、ぶっちゃけ難関高に受かったら御の字、落ちても今の私立中の付属高校にエスカレーター式で登っていけばいいし、という世の受験生からすればとんでもなく舐めてる心持ちで受験生やってた。

こんなゆるゆるな私に対して両親は『余裕だな』『よっぽど自信があるみたい』と別のゆるゆる思考を発揮。気分転換に、と勧められて一番近場のお寺で除夜の鐘を聞きにやって来た。……ぼっちで。しょうがないじゃん。友達みんな受験生よ。

ほとんど散歩のノリで、普段着のニットワンピにダウンジャケット、マフラーを巻いてショートブーツで歩いてきた。人混みがすごいしヤンキーっぽい人もちらほら見かけて失敗したかも。若干後悔しながらも早歩きで絵馬を書くところまでたどり着いた、ら。


「お姉ちゃん!?」
「ヒナ?」


まさか晴れ着でめかし込んだ可愛い子がいるなんてね。抱きつく勢いで近寄ってきたヒナが「どうしたの!? 何で洋服!? ヒナとオソロの着物あったでしょ!?」と。いやいや一人でめかし込んで来てもね。あとあれおばあちゃんちに置いてるよ。お着物で髪もセットしてある手前、いつものスキンシップは控えめに手を合わせてくるくる回る。可愛い。いつ見てもヒナは可愛くて、さすがヒロイン。おばさんの血筋ありがとう。私もこれくらい可愛げのある顔をしていたら良かったのに。……ん? 何が良かったんだろ?


「えーと、ヒナ、その人って」
「あっ、タケミチくん紹介するね! ヒナの従姉妹の夕凪お姉ちゃん!」
「どうも初めまして」
「ヒナの、従姉妹……従姉妹ぉ!?」


そんなに驚くこと?

殴られた痕が痛々しいタケミっちが大口開けてこっちを指差してくる。思いっきり嫌そうな顔をしてしまい、チラッとヒナを見れば可愛いキョトン顔。心当たりはないっぽい。となると一番あり得るのは、──未来の私と知り合い、とか。

なんか、いやーな感じかも。


「指差さないでくれる?」
「ああああ!! すんませんッ!」
「君にお義姉さんと呼ばれる覚えはない」
「呼んでないっスよ!?」


「ヤダお姉ちゃんったら! ヒナとタケミチくんにはまだ早いよ!」痛っ、ヒナの力強っ! ベシベシ平手で叩かれて参ってしまった私。そこに何だなんだと知らない人が集まってきて、小さい女の子たちにジッと見上げられた。「美人好きー」「ママに似てるぅ!」おっと。


「すんません! マナ、ルナ、急に抱きついたら危ないだろ」
「だってママが」
「ママみたいなんだもん」
「髪の色だけだろ」


髪の色だけかあ。

叱るお兄ちゃんとは裏腹に、もうちょっとで拗ねてしまいそうな空気をひしひしと感じる。思わず目線を合わせるように腰を折った。


「いいよ、今だけママって呼んでも」
「ほんと?」
「いいの!?」
「こらこら迷惑だろオマエら!」
「あ、すいません、不審者すぎましたね」
「いや、助かるっちゃ助かるけど……」


右手でマナちゃん、左手でルナちゃんと手を繋いで、困ってるお兄さんの後ろでつーんとしているでっかいお兄さん、クールなお姉さん。めちゃくちゃな既視感に遅れて気付いた。あっ、三ツ谷だ。八戒と柚葉の柴姉弟だ。タケミっちとヒナのカップルといい、これって東卍メンバー勢揃いイベントでは?

……大晦日になんかあった?

漫画を読んだのは十五年前。細かいところを覚えていられるわけもなく、巻き込まれる前に帰った方が良いかも。でも、ヒシッと掴まれた小さな手と可愛いタレ目が私を離してくれない。安請け合いするんじゃなかったかも。

手を繋いだままマナちゃんルナちゃんのお兄さんの三ツ谷くん、ご姉弟の柚葉ちゃん八戒くんとご挨拶してからやっと絵馬を書く。と言っても私は特に捻りもなく、『志望校に受かりますように』だ。


「受験生なの?」
「どこの大学受けるんすか?」
「大学? 高校だけど」
「「「え」」」


高校生に間違えられてたか……。

「お、お姉ちゃん大人っぽいもんね〜」ヒナのフォローがちょっと苦しい。分かるよ、浮いてるよね。特に年相応に振る舞おうとか思ってないから。ここから何気に三ツ谷くんの申し訳程度の敬語が外れたし、柚葉ちゃんの距離感が狭まった。八戒くんは相変わらずつーん。タケミっちは謎にチラチラしてくる。「浮気?」「うわきー」「へっ!? ち、ちが、違う違う!!」「タケミチくん?」「違うってヒナ!」コントしてるところ悪いんだけど、かなり怖いんだよね、タケミっちの意味ありげな視線って。

思いっきり無視してルナちゃんとマナちゃんの絵馬を覗き込む。『ママがもっとあそんでくれますように』予想よりずっと綺麗な字でいじらしいことが書いてあった。そっか、中学生のお兄ちゃんとこの時間にいるって、家に保護者がいないんだ。二人きりで残すよりは連れてきた方がまだ、ってこと。


「ルナちゃんとマナちゃんは甘酒好き? あそこで配ってるの貰ってこようか?」
「いる! いっしょいく!」
「マナも!」
「三ツ谷くん、行ってきていいかな?」
「いいけど、いいの?」
「いいのいいの」


二人と絵馬を飾ってから元来た道を戻っていく。二人とも最初はママ、ママ、と呼んでいたけれど、甘酒を貰ってちびちび飲んでいる時、ぽつり。「やっぱりママじゃない」


「ママは、もっとおてておっきいもん」
「ママはもっとお顔ちかかった」
「ママじゃない、ママは、ママだもん」


泣いても怒ってもいない。ただ俯いて甘酒を見つめる二人に、私はしゃがんで顔を覗き込んだ。


「うん、私はルナちゃんとマナちゃんのママじゃないよ。今日だけ、ママの代わりだよ」
「ママの代わりなんていないもん」
「ママがいい」


“代わりなんていない”。本当にその通り。誰かの代わりなんて無理で、そんなのなれっこなくて、なろうとした方が烏滸がましい。分かっているのに、なんだか鈍く胸が痛んだ。勝手に傷付いている自分がおかしいんだ。


「次にママと一緒に来たときの練習しよ」
「れんしゅー?」
「ママとどこに行きたいか、何をしたいか、先に考えておく。練習だよ」


甘酒を全部飲み切って、二人がのんびり飲み切った紙コップを捨ててからまた手をとる。


「まずはお兄ちゃんのところに戻ろっか。年越しのカウントダウン、来年はママとどうするか練習しよ」


二人は顔を見合わせて、難しい顔を少しだけ勇ましく引き締めた。「うん、れんしゅーする」「マナも!」あたりからカウントダウンの声が聞こえてきた。間に合わない気がして思い切ってマナちゃんを抱き上げた。「きゃー!」流石に重かったけれど、ルナちゃんと手を繋いでそのままよたよたダッシュ。目立つ集団の銀髪頭のそばまで来た時にはカウントダウンは「1!!」


「ハッピーニューイヤー!!!!」


わっ、とジャンプして、あんまり飛べなくて、腕の中のはしゃいだマナちゃんに振り回されて倒れかける。新年早々こけそうになったところで、近くにいた誰かが支えてくれた。


「何やってんだテメェ」
「わ、場地」


来てたのか。隣にはちゃっかり千冬がいて、いつもの勉強会の顔に鼻の奥がペヤングを思い出した。鼻がバカになってるのかもしれない。


「ママ大丈夫?」
「ママぁ」
「……ママ?」
「私は場地のママじゃありません」
「ぶはっ」


練習中だからかまた復活したママ呼び。釣られて怪訝な場地。場地の口からママはちょっと面白すぎたけど、私より先に千冬が笑ってしまった。「千冬ー?」「すんません!」ぶっちゃけ千冬以外にも周りの怖い方々が腹抱えて笑っているんだけども。……この人たち全員東卍の人?


「ママ、おみくじ引こう。あっちあっち」
「マナもおみくじひくぅ」


おっとっと。


「三ツ谷、あれオマエの妹だろ。オマエのかーちゃん若すぎね?」
「あれはルナとマナのごっこ遊びっつーか」
「三ツ谷のオンナ?」
「ちっげーし!」
「ムキになんなって。あやしい」
「だからちげえって! さっき会ったばっかの初対面!」
「つーか場地と距離近くね?」
「そうっスよ、先輩は場地さんのなんで」
「は?」
「あ?」


なんかおかしな空気になっている気がする。ここは聞かなかったことにして二人とおみくじ引きに行こうかなあ。そそくさとその場から離脱しようとしたその時、二の腕あたりを両サイドから掴む手が。


「お姉ちゃんどういうこと? 彼氏がいるなんてヒナ聞いてない」
「ウチも知りたい。どっちが本命?」


可愛い女の子に捕まってしまったんだけれど。顔は可愛いのに圧が怖いんだけど。

彼氏そっちのけのヒナと場地の幼馴染でもあるらしいエマちゃん、そしておみくじ引きたい二人に引きずられて私の自由は保証されなくなった。解放されたのはお寺の出口のところで、エマちゃんとメアドを交換することで決着した。勉強の息抜きにしてはいろいろありすぎた散歩だったなあ。


「あ、あの!」
「? はい」


ヒナの横にいたタケミっちが意を決したように一歩。


「オレともメアド交換しませんか!」
「は?」
「え?」
「ほー?」


彼女の前で女と連絡先交換するかフツー。

自然と胡乱な目になった私。低い声のエマちゃん。あと面白がってる三ツ谷くん。分かってるよヒナ一筋なのは。分かってるけどさあ。


「ヒナ経由で呼び出して。疑われるようなことやめた方がいいよ」
「へ? 疑われる?」


タケミっちは悪意はないけどデリカシーもないよね。私が代替案を出してもよく分かってない顔のタケミっち。こりゃヒナはやれんわ。おじさんの代わりに例のセリフを言っちゃいそう。『君のような男にうちの娘はやれん!』とか。

……私ってもしかしてかなりタケミっちのこと嫌いになってない?

いやいやいやいや違うから、あれでしょ、子供の頃よくあったアレ、『〇〇くんが嫌いなものは私も嫌い!』みたいなアレ。そういうのはちょっと違うから。私そういうんじゃないから!


「ひ、ヒナのこと、これからも、よ、夜露死苦ぅ」
「へ!? は、はい、こちらこそ!」
「皆さん今日はありがとうございました! じゃあねルナちゃんマナちゃんヒナは受験終わったら遊ぼうねエマちゃんはまたメールしますさよならさよならー!」
「あちょっと」


あーあーなーんにも聞こえないさよならさよなら勉強しなきゃ私受験生だもん知らない知らない!

挨拶もそこそこに全力で走って帰った私は、受験が終わって暇になった直後にタケミっちと一対一でお話しすることになるなんて予想もしていなかったのである。




「お、お義姉さん、オレと少し話しませんか!」
「結構です」
「えぇー!? お願いしますお願いしますお願いします!!!!」


たすけて。

受験が終わって結果待ちのソワソワした日々。久しぶりに学校帰りにヒナの家に寄って母さんに持たされたお歳暮のお裾分けを渡した帰り。見覚えのある金髪リーゼントと公園の前でばったり鉢合わせてしまった。全力でスルーして逃げるのも手だったけど、誠心誠意引き止められて頭まで下げられると断れない。ここでスルーしたところで一生同じことを繰り返しそうだし。渋々と公園のベンチに移動して話すことにした。


「ここ、ヒナとよく来るんですよ」
「仲がよろしいんですね」
「ま、まあ、よろしくしてます……」


ぎこちない。微妙な空気に勝手に指がソワソワ動く。タケミっちは上手い誘導とか無理なんだからサッサと本題に入っちゃえばいいのに。二、三言ヒナの話をして、空々しく笑って、黙ってを繰り返して、突然意を決したように大きく「あのッ!」


「稀咲と同じ中学って本当ですか!?」


……そっちかあ。


「ヒナから聞いたの?」
「はい、昔塾まで稀咲に会いに行ってたって。今でも仲良いんですか?」
「そうだね。大事な後輩だよ」


まだ付き合ってないし。たまに先輩って呼んでくれるし。

なんでもない風に軽く返しながら、胸の奥でツンと冷たい針が刺さったような嫌な感覚。

タケミっちとの初対面の時モヤっとした理由が最近になって分かった。タケミっちが過去に来ているってことはヒナが未来で死んだってこと。死んだってことは、稀咲くんがヒナにフられたってことだ。

つまり、私も稀咲くんにフられたってこと。……だよねぇ。


「稀咲と関わらないでください」


だから話したくなかったのに。

そんな善意100%ですーって顔で忠告されたって、こっちとしては今さらなんだ。でも「結構です」とか言っても納得してくれなさそうだし。

うーんと唸りつつ明後日の方向に視線をやって、公園の緑の間から見たことのある姿が。──あっ。


「アイツはヤバいヤツなんです。うまくは言えないけど、この先お義姉さんも大変なことになるかもしれなくて!」
「大変なことってなに? 死ぬの?」
「──っ!」


…………え、死ぬの?

完全に軽口のつもりで言ったのに、めちゃくちゃ蒼褪めた顔で黙ってしまった。

ちょちょちょっと待って。死ぬの? その反応は私死んじゃうの? 二十代で? 嘘でしょ。

本当はタケミっちの胸ぐら引っ掴んで問いただしてやりたかった。けれど何故かそれ以上に、さっき見つけてしまった“ふたり”に、もっと言うと片方の何とも言えない冷たい表情にビックリして、混乱がどっかに吹き飛んだ私は大きく右手を振り上げた。


「お姉ちゃんっ!」
「ッ!」


──パァンッ!!


「イッッ…………たく、ない?」


そりゃあただの猫騙しだし。

タケミっちの顔面スレスレで待ち構えてた左手に振り上げた右手をぶつけただけだ。一切相手に触れていなくてもビビらせることはできたみたい。それで心がスッと軽くなったりはしなかったけれど。


「“わたし死んでもいいわ”」
「へ?」
「I love youをこう訳した作家がいたなーって、ただそれだけ。もういいかな、帰って」
「ま、待ってくださ、」
「じゃあね、従姉妹の彼氏のハナガキクン」


引き止めようとするタケミっちを無視して、思わず走り寄ってきたらしいヒナも見ずに、何故かヒナと一緒にいた稀咲くんの腕を取って大股の早足で公園から脱出した。

ずんずんずんずん。我ながらかなり無理やり引きずって、気が付けば住宅街を抜けて河川敷まで来ていた。その間にぐちゃぐちゃした気持ちが変な方向に転んで、目がじわじわと熱くなっていた。

ギョッとした稀咲くんが、しばらく固まった後に河川敷の斜めの芝生に私を引っ張ってって腰を落ち着ける。視線はお互い遠くに流れる川に行ってて、無言のまま環境音と私の鼻をすする音が混ざり合っていた。

稀咲くんを悪く言われて否定できなかった。

だって本当に彼はこの漫画の悪役で、人を殺して、傷付けても何とも思わない人なんだ。すでに場地は一虎に刺されたし、一虎は少年院に入っている。愛美愛主に入った時にだって何かしているかもしれない。これから12年の内に反社になって麻薬や人身売買や人殺しに手を染める。絶対的な社会悪になるかもしれない悪い男の子なのは本当なんだ。

タケミっちの言うことは間違っていない。本当のことを言っているのに、違うと否定したくて仕方なかった。タケミっちは未来で“結果”を知っているのに、『稀咲くんはまだそんなことしてないよ』って、頭ごなしに反論したかった。

この涙は、言葉がなにも出なかった悔しさなのかもしれない。


「……なに言われたンだよ」
「なにも」
「橘の彼氏だから庇ってるのか? 泣かされたクセに」
「なに言われたかなんて忘れたわ。泣いたのは自分のせいだもん」
「はぁ?」


──でも、でもね、それ以上に。


「なんでヒナと一緒にいたの」


“稀咲くんの悪いところしか知らないくせに悪く言わないで”とか、“12年後の未来で死んでるってマジ?”とか、そんなことよりもまず、あのタイミングで茂みに隠れて聞いていたヒナと稀咲くんへの疑いが先だった。


「ふたりきりで、あんな近くにいて、どうして?」


どうしようもないほどの、ヒナへの嫉妬だった。

ヒナの隣にいる冷たい表情の稀咲くんが、漫画の稀咲鉄太と被って見えた。ヒナと結ばれた稀咲くんに用済みにされる私を想像してぐちゃぐちゃになった。ただそれだけ。

誰かの代わりなんていないし、代わりになろうとするのもおこがましい。分かっているつもりで分かっていなかった。──代わりなんて絶対イヤ。ヒナのフリなんて心底ムリ。私はこんなにスレててズルくて面倒くさい。男の子を殴る勇気もないし、言い返す度胸もない。それっぽく繕って、結局逃げたのと変わらない。

それを自覚しているからなんとか人当たりが良い優等生になれてる。本当はこんなにも器がちっちゃい。大人のくせしてきっとあの子たちの中で一番容量が小さい。こちらからお付き合いを保留にしてる分際で、大事な後輩が従姉妹に盗られるかも、なんて嫉妬を一丁前にしてしまった。

稀咲くんの初恋を忘れさせるお姉さんのフリは、もう無理かもしれない。

目に力を入れて、涙をできるだけ最小限に抑えて、あとは風で乾いてくれることを祈った。


「橘が、タケミっちと一緒にいるのを見つけたって、引っ張ったんだよ。何の話をしてるか気になるとか」
「ヒナが?」
「そっちがなんか喋ったんだろ。こ、こぃ、ば……なとかなんとか」


こ、こいばな……恋バナ?

『そういえば稀咲くんは元気してる? 同じ学校だよね?』
『んぐ』
『その反応は?』
『も、もしかして、』
『違う違う違う違う』
『『あやしーー!』』

年越しのあの会話を覚えてたんだ。名探偵ヒナ、名助手エマちゃん。恋愛の嗅覚が冴え渡りすぎている。稀咲くんに気がある私と彼氏が一緒にいるところに稀咲くんを連れて行って何を画策してたんだろ。侮れない。従姉妹の奇行に付き合わせた申し訳なさと、従姉妹に察せられている居た堪れなさで小さく謝るしかなかった。稀咲くんはそんな私を全然見ない。やっぱり遠くを眺めながら「いいのか?」と。心なしか皮肉っぽく聞いてきた。


「オレといると死ぬんだろ?」
「半笑いで言わなくても」
「当然だろ。根拠がない」
「……あっちは稀咲くんが私を殺すみたいな言い草だったよ」
「ありえねえ」


本当かな。とっさに出た疑問が私も稀咲くんを信用していない証拠だった。いや、むしろ信頼しているのかもしれない。だって自分のものにならなければ好きな女も殺す、“ヤバいヤツ”なのは知っているから。

沈黙。風の音。自転車が通っていく。犬の鳴き声。のどかな夕方がゆっくり過ぎていく。


「ありえねえといえば、テメェはなにタケミっちに告ってんだよ」
「こく……?」
「とぼけんな。言ってたじゃねーか。死んでもいいって」
「あ、あー。あれはある意味稀咲くんに、」


稀咲くんに、言ったようなもの、だし……。

急に途切れた会話。やっと乾いた目でそろそろと隣を見て、そっぽを向いた稀咲くんの耳が真っ先に目についた。


「“わたし死んでもいいわ”」


膝に置いていた指が電流が走ったようにビクビクビクっと震えた。頬杖で顔を支えている方の手もびっくりしている。徐々に浅黒い肌に血が上っていくのをチラチラと見ていた。可愛いは可愛いんだけど、人のことは言えないというか、私もちょっと熱くなっているというか。

別に、本気で死んでもいいなんて思ってない。むしろ死にたくないし、夢は孫に囲まれて老衰だ。でも、個人的にはこんな殺し文句に憧れていたわけで。言う機会が来たなら言っちゃってもいいんじゃないかって。まあ半泣きで言うことになるとは思わなかったけれど。


「ちゃんとしたのは、また今度ね」
「お、おう」


俯いて、二人してボソボソと喋っていると、稀咲くんの膝にあったはずの手が行方不明になっていて、どこだろうとこっそり探したら、私の背中の方に来ていた。え、ええ、えー、うそ、肩を抱こうか迷ってる? その震えは迷ってる? えー!

肝心の稀咲くんといえば相変わらず私とは逆方向に顔を向けていて、やっぱり耳とかもろもろ赤くなっていて。え、これは、いいのだろうか。いいの? ほんとに? 引かれない?

腰を上げて手のひらふたつ分の距離をすすすと詰める。そのまま肩口近くの胸にコテンと頭を寄せれば、わかりやすいくらいの揺れが伝わった。だ、だめだった? やりすぎ? 離れる? 離れよっか? こっちを見ていないのをいいことに手をグッパしながら私も震えてしまった。するとようやくと言うべきか、肩を包み込むように手が添えられて、そのままグッと引き寄せるみたいに抱かれて、さっきよりも稀咲くんとの密着が強くなった、厳密には制服しか隔てるものがないというか。あの、これめちゃくちゃ恥ずかしいやつ?


「オレが先に言う、から。まだ黙ってろよ」


恥ずかしいやつ! 恥ずかしいやつだわこれ!

頭のすぐ上でのボソボソ喋りは囁きと変わらないし、密着して囁かれるなんてカレカノの距離なんだわ。付き合ってないのこれ。付き合う前でこれなら付き合ってからどうなるの。そもそも付き合ってない? 付き合ってるでしょ? 四捨五入すれば付き合ってるって!

なんてことを声に出せたらいいのだけれど、相手から先に言うと言われてしまえば待つしかない。先っていったいいつの話だろう。それこそ身長伸びたらだろうか。……何年後?

考え事をしながらソワソワしていた私は、同じくソワソワしていた指が相手の胸元や膝をくるくる撫でていたことに気付かず、意図せず稀咲くんのキャパを上限いっぱいに引き上げていたなんてもちろん知らなくて。夕日が完全に沈みかける直前まで、ずっと変な空気のままソワソワと引っ付いていたのだった。


「そういえば私、稀咲くんのメアド知らない」
「…………」


タケミっちに聞かれた時になって初めて気が付いたんだよね。男の子の連絡先聞く考えが浮かばなくて、学校内で会うんだからと聞いていなかったなって。

無言で携帯をポケットから出した稀咲くん。この後いっぱい赤外線通信した。全然通じなくてお互いメアド直打ちしたせいで余計に一緒にいる時間が増えた。──実は赤外線出るところを指で隠してたのは秘密だったり。うん、私ってズルい女なので。その分ひっついていられたのはお得だった。


「稀咲くんデフォルトのままじゃん。打つのめんどくさ」
「ハンマにも言われた」
「だりぃって?」
「なんで分かった」


ここで不機嫌になるの? かーわいー。




***




「何をしたんですかタケミチくんッ!!」
「何ってなんだよナオト。まさか、ヒナ以外にもまた誰か死ん、」
「…………が」
「へ?」

「稀咲と婚約していたボクの従姉妹が、──懐妊しています」

「──か、かい?」
「懐妊。妊娠です。前回はそんなことなかったのに、この現代ではすでに婚姻届を提出済み。春には一児の母になるんですッ!!」
「え、ええええええええーーーッ!!?」




***




「黒川さん、そんなに距離を取らなくても」
「…………別に」


鉄太くんのマンションに出入りするようになった黒川イザナは、オールバックで生気の薄い目を晒している。黒服っぽいスーツで部屋の隅に立っていると存在感がなさすぎて幽霊みたいだ。


「何か気に触ることでもしました?」
「そういうわけじゃ、」


この人は初対面からベルリンの壁を建築している。その名の通りいつか壊れて欲しいなとは思うけれど、本家は何年で崩壊したっけ。……20年?


「この子が成人するまでかあ」
「?」


大きくなったお腹を軽くさする。思いっきり蹴られて手のひらに感触は残った。まあ、あくまで鉄太くんの会社の人であって私の友達でも仕事仲間でもない。あまり深く関わる必要はないかもしれないけれど。


「触ってみます?」
「は?」
「今日元気なんです。さっきから蹴る頻度がすごくて。黒川さんと握手したいのかも」
「……蹴りの握手、か」


断られると思ったら普通に近寄ってきた。けれど手を伸ばした時、何度か引っ込めたり震えたり。なんだかすごく緊張しているみたいで、こっちも少しドキドキしてきた。

ゆったりしたワンピースを押し上げるお腹に、大きくて濃い色の手が触る。手のひらがピッタリと添えられた途端、興奮したようにひと蹴り、ふた蹴り。「うわっ」ビックリして手を離した黒川さん。けれど怖いもの見たさみたいな感じでもう一回。ピッタリと手を添えると今度はぐーっと押すような蹴りがやって来た。うーん。痛いというより苦しい。黒川さんは私をそう言う装置かなんかだと言う扱いで、ソファの横にしゃがみこんで熱心にお腹に手を当ててた。


「生まれる前のガキってのは、こんな風なんだな」
「どうなんでしょう。この子が黒川さんのこと好きなんだと思います」
「オレを、好き?」
「はい。鉄太くんがいる時はもっと大人しいんですよ?」


まさか胎児の時点で反抗期でも始まってるのかしら、とか。思わず吹き出すと、黒川さんの生気の薄い目が初めてキラキラと輝いた気がした。あら、案外はやくベルリンの壁は崩壊しそう。

言葉少なに執拗なほどお腹を撫でてくる黒川さん。初めて弟ができたお兄ちゃんを見る気持ちでされるがままな私。それから十分後、九井さんと半間さんを連れてやって来た鉄太くんに地獄の底から響く「あ?」を頂戴した時は軽く死にそうになったけれど。


「夕凪……オレ以外の男に体を許すたァどういう了見だ?」
「言い方ぁ」
「テメェもいつまで撫でてんだクビにするぞイザナァ」
「…………」
「殺す」


洒落に聞こえないよ鉄太くん。

「ガチだな」「ガチじゃん」とこぼすお二人は早く止めてください。








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