「私もとうとうリストラか」


何がなんだか分からない。

椅子に縛りつけられて、脚を撃たれて、極限状態のままオレは稀咲と女のやりとりを見るしかできなかった。

場地くんが一虎くんに刺された事件で、場地くんはしばらく東卍を離れることになった。理由はオフクロさんを安心させるため。流石に今回の件で暴走族を続けるのは難しくなったらしい。『ほとぼりが冷めたら戻ってくる』笑って千冬の髪をぐしゃぐしゃにかき回していた。壱番隊隊長の席はそうして空白になった……はずだった。

千冬がオレを代理に推薦したことで、オレは東京卍會壱番隊隊長代理の花垣武道になった。

これがキッカケで未来が変わった。十二年後の現代、オレは最高幹部として東京卍會に籍を置いていたんだ。

それからは知ってる顔も知らない顔も交えた幹部会を終えて、諸悪の根源の稀咲に連れられて来た店で酒を飲んで、『一虎に場地を襲わせたのはオレだ』というカミングアウトを最後に混ぜられていた薬で寝こけた。そうして目覚めたら隣で千冬は殴られた後の血塗れだし、しばらく裏切り者の尋問が続いた後に入ってきた女に銃が向けられた。

『オマエもグルだろ』稀咲は何とも思っていない顔で女を蹴り転がした。


「オレだけじゃなくコイツのも咥え込んだのか? ええ?」
「下品なこと言わないでください。稀咲さんらしくもない」
「ああ、場地の方か? そういや長い付き合いだったな」
「そういうんじゃないって」
「信じると思うか?」


銃口がゴリッと額に押しつけられる。淡い色の柔らかそうな髪が揺れて、冷静すぎる目が稀咲を流し見た。一瞬、ヒナとダブって見えたのはオレの気が動転していたからか。全然似ていないのに髪の色は似てるなと頭のどっかで気付いていた。


「あの子の代わりはもういいの?」
「黙れ」
「殺したくせに、後悔してるんでしょ」
「オマエはいつから死にたがりになった」


噛み合わない会話。張り詰めた空気に似合わない気の抜けた声がポツリと呟いた。


「私もとうとうリストラか」


軽やかな笑い声が響いたのと、銃の引き金に指がかかるのは同時だった。


「バイバイ稀咲くん」
「……じゃあな、橘先輩」


────ドンッ!!

その女がヒナとナオトの行方不明だった従姉妹だと知るのは、千冬ともども一虎くんに助け出されて逮捕された後の拘置所の中。ナオトの警察手帳に挟まっていた写真。涼やかな顔にまっすぐな黒髪が似合う、ヒナと正反対の雰囲気の綺麗な人がヒナと腕を組んで笑っている。

あの髪はヒナの真似をしていたんだ。

何も知らないのに直感でそう思ったのは、どうしてだろう。


ナオトと握手して戻ってきた過去。八戒の兄貴殺しを止めるために稀咲たちと組むことになったオレと千冬。四人で並んで東京の夜景を眺めている時、ふとあの女のことが頭をよぎった。

『じゃあな、橘先輩』


「橘先輩って人、知ってるか?」
「なんでタケミっちがセンパイのこと知ってんだ?」


稀咲に聞いたつもりだったのに、返ってきたのは千冬の素っ頓狂な声で。ビックリしてそっちに顔を向けたから逆隣の稀咲の反応は見ていなかった。


「えっ!? 千冬の知り合い?」
「知り合いっちゃ知り合い。オレよか場地さんの方が長いかな。勉強教えによく場地さん家に来るんだよ。オレもついでに教わってる。頭良いんだよあの人」


『ああ、場地の方か? そういや長い付き合いだったな』

確かそんなことを現代の稀咲は言っていた。


「もしかして、場地くんの彼女?」
「あー、どうだろ。オレはお似合いだと思うけど」


千冬の感じからして、付き合うのも秒読みってヤツなのか?

ヒナの従姉妹が場地くんの彼女で、現代で稀咲に殺された。情報はたくさんあるのに繋がりが意味不明だ。なんであそこに場地くんの彼女が来るんだよ。千冬は一虎くんと繋がってたけど、場地くんの彼女のことは何も知らなかったみたいだし。わっかんねー。

ガチで頭を抱えたオレは、クリスマス一週間前の大事な時に事故ってナオトと握手しちまって……。



「ヒナが生きてる……?」
「それどころか東京卍會はただの暴走族として残ってますし、元メンバーもみんな生きてます。稀咲なんて表の一流企業の社長ですよ」
「はぁ!? なんだそれ!? 今回オレ何もしてねーぞ!?」
「いったい何がキッカケで……」


戻ってきた現代でみんな生きてると知って別の意味で頭を抱えた。


「そういえばナオトの従姉妹の……」
「…………生きてますよ、無事に」


めちゃくちゃ間があった。なんだ、辛うじて生きているだけでめっちゃヤバいことになってるのか? ザッと血の気が引くオレ。負けず劣らず顔を蒼褪めさせたナオトは、飲み込みにくいモノを無理やり押し込めた後みたいな詰まった声で、酷な現実を口にした。


「稀咲と婚約しています」
「…………へ?」
「あの稀咲が、将来僕の家族になります」
「は?」
「今後姉と結婚するならタケミチくんとも義理の従兄弟ですよ」
「…………ぇえええええええ!!?!?」



過去で何をしたらこうなるんだ!?

ヒナの葬式の時と同じような悲痛さで項垂れるナオト。そのつむじを見つめながら、ヒナが生きているのに過去に戻るべきか真剣に悩んだ。




***




はじまりは私が中一の時。まだ生徒会に入っていなくて、週一で稀咲くんの塾の席にルーズリーフを届けるだけの生活を送っていた頃。


「母さんの友達がね、息子さんの勉強見てほしいんだって」
「へえ。小学生?」
「中一。アンタと同い年」
「教えられることなくない?」
「実はね、もう留年決まってるんですって」
「え」


まだ秋なのに?

びっくりしすぎてオーケーしちゃった。友達って言っても、母さんがお世話になってるパート仲間の先輩だ。頼み事の一つ二つ聞いておいた方が心象いいもんね。まさかずっとってわけじゃないだろうし。

留年かぁ。大怪我負って入院して出席日数足りなかったとかそんな感じかな。


「よろしくな先生」


まさか場地圭介とは思うまい。

お邪魔した団地のお部屋に折り畳み式のちゃぶ台をセット。オレンジジュースを出され背筋が伸びた。正座だ。相手は崩れたあぐらで長い黒髪をガシガシかいている。ナイフのような人相もさることながら、眠くなったら人を殴り腹が減ったら車を燃やすような男だ。正直マイキーの方がヤバいと思うが、結局どっちもヤバいんだから比べたところでって話だ。


「とりあえずコレ解いて、クダサイ」
「うっす」


数学の問題集の各章の一問目だけまとめた雑なテストは驚異の4点で返ってきた。当たったところの解き方を聞けば「勘」、と。おお……。


「空欄一個もないのはすごいよね」
「あ?」


4点に私よりドン引きしていた場地が凄んできて……いや顔が怖いだけで別にそんなつもりではないんだろうけれども。


「ぶっちゃけ義務教育なんて出席日数足りててそれなりのやる気見せれば勉強できなくても卒業できるのよ」


場地がなんだそりゃって顔をした。我ながら元もないこと言っている自覚はある。


「私立だったり良い高校行きたいとかだったら別だけど、場地くんは違うでしょ」
「お、おう」
「じゃ、基礎だけできるようになっとこっか」


数学のプリントを避けて、次は国語のテストをスッと差し出した。5教科あるんだからサクサク行こう。


「オマエ、クソ真面目なツラしてイイ性格じゃねーか」
「場地くんも、留年決定してる割に真面目に勉強する気あるじゃん」


軽口に軽口を返してから、アッと。口から変な声が出かけた。途中から同級生と話すノリでナマ言っちゃった……ガソリンまかれたらどうしよう。努めて冷静に相手を伺うと、ナイフみたいな人相が木刀くらいには物騒じゃなくなっていた。


「圭介でいい。オフクロのことも名字呼びだろ」
「じゃ場地で」
「なんでだよ」


漫画読んでた時の癖でね。

「つぎ国語行くよ」「おー」国語は12点だった。文系、かなぁ。

これが生徒会に入るまでの半年間のことである。まあ、稀咲くんに避けられるようになった中二の後半からまたお邪魔するようになったんだけど。伊達メガネに一本縛りのクソ真面目ルックになった時は飲んでたオレンジジュースが気管に入って大変だったっけ。真面目アピールが露骨すぎる。思いの外文系が伸びなくて「誰かに手紙とか書いてみたら。実戦は練習に勝る」「おー」で原稿用紙を持ち出された時はちょっとツッコミ待ちかなと悩んだ。天然だった。


「ドラケンの野郎がまぁたマイキーを甘やかして」
「そんなん言えるの場地さんくらいっスよ」
「あんなんでも総長だしな」
「場地、ここ、組織の織がごんべんの方になってる」
「おーマジだ」
「センパイ、ここなんで答え違うのか分かんねー」
「んー。お、松野くんにしては珍しいケアレスミス。ここ十の桁おかしい」
「ああー! やらかした!」


気が付いたらペヤング臭い部屋で場地と千冬に教えることになってたわけだ。

初対面で『場地さんのヨメっすか』って言われた時は二人で腹抱えて笑ってしまった。笑いすぎてスカート捲れたら千冬が慌てながらキレてた。ごめんてオカン。

そっからなんとなくついでに勉強見るハメになっている。本当についでにね。私が地味に東卍の内部事情に詳しいのはこの二人が私の存在を忘れてペラペラ駄弁ってるからだったりする。静かに課題したり生徒会の仕事したりしてるけど、そんなに影薄いかな。

目の前でペヤング一個が行ったり来たりするのには慣れてしまった。半分こってヤツだ。


「最近新宿のヤツらがきな臭え」
「新宿って愛美愛主っスか」
「おう」
「メビウス? メビウスの輪? 永遠とはずいぶん大きく出たね」
「「は?」」


会話が噛み合わないこともしばしば。英語の説明してる時と同じ顔されても。


「ヴァルハラ? 女子の不良チームとやるの? 強いヤツみんな連れてかれそう。マイキーくんとかドラケンくんとか」
「「????」」


ちなみに芭流覇羅でも似たようなやりとりが待っていたのは予想外だったな。私は日本語喋ってるのに……。

まあ、私と場地の付き合いなんてそんなもんで。



「ペヤングは流石にやめといたよ」
「ンだよ。気が利かねぇな」


芭流覇羅との抗争後、刺されて入院した場地の病室に母さんから持たされたゼリーを置く。「ぬるい」文句を言われたので缶コーラと一緒に冷蔵庫に入れておいた。


「学校にさ、“入院中に勉強したいんですぅ”とか言ってプリントもらっといた方がいいよ」
「やる気アピールか」
「そう。流石に1ヶ月で留年はないだろうけどね」
「冷てぇな。心配の一つもないのかよ」
「心配だから見にきたんだよ」
「……おう」
「母さんが」
「おい」


座っていた椅子を傍に退けて立ち上がる。そろそろ日が短くなってくる時期だ。前みたいに怖いヤンキーに絡まれてもヤダし。


「次はペヤング買ってこいよ」
「松野くんに頼みな」
「アイツが来ると独り占め出来ねぇんだよ」
「それが好きなんでしょ、ツンデレさんめ」
「つん……?」
「なんでもなーい」


ツンデレって通じないのか……こわ……。ある意味カルチャーショックを受けながらヒラっと手を振った。


「また来いよ」
「暇だったらね」


…………っていう。ほんとに、ただそれだけの関係なんだけれど。



「東卍のバジに取り入ってるんだってな」


言い訳させてもらえる雰囲気じゃない。

クリスマスイブ。恋人の気配が濃すぎる夜の街で、私服の稀咲くんに詰められてる私服の私。壁ドンだ。時代的にはまだ早いのにさすが稀咲くん。時代の先を読む男。ポケッと相手の額に青筋が浮かんでいるのを観察してしまった。あ、もう一個増えた。


「稀咲くん私服そんな感じなんだ。襟がモコモコで可愛いね。触っていい?」
「馬鹿にしてるだろ」


馬鹿にしたのではなく話を逸らそうとしました。

初めて見る私服姿は小学生の彼とは想像がつかないくらいオシャレの足し引きができていて、こういうところも手を抜かない性格が現れている。勉強したんだね。


「こんな時間にそんな格好でほっつき歩いていいご身分だな。誰と一緒にいたんだ?」
「塾帰り。これでも受験生よ」
「…………」


忘れてたんだ。

中三の冬休みなんだからそりゃあ勉強するよ。そんな格好の“そんな”がどういう意味なのかちょっと分からないけれど。スカートは制服でもそうだし、タイツ履いてる時点で制服より露出少ないしなあ。

……コレは言外に“私服が可愛いね”って言われたのかな?


「場地とデートして来たと思った? 嫉妬したの? 私なんてただの先輩なのに?」
「……オレのオンナだ」
「予定ね」
「確約だ。反故にするのは許さねぇ」
「契約書もないのに? 強気だね」
「馬鹿にしてるだろ」


してないしてない。

馬鹿にはしてないけども、我慢する暇もなく口が勝手にニンマリしてしまった。

盛大な舌打ち。その後しばらく何かを考えてからポケットをゴソゴソ。稀咲くんが取り出したのは青い石が嵌ったゴツい金の指輪で、無理やり私の左手を引っ掴んだと思えば薬指に無遠慮に通した。


「つけとけ、よ……」


私の指にはゆるかったわけだけども。

身長が変わらなくても指の太さは違うらしい。これでは格好がつかないと気付いた稀咲くんがまた盛大な舌打ちをした。


「クリスマスプレゼントかな、サンタさん?」
「別の買ってやる」
「年下にたかるのもなあ」
「…………」
「ウソウソ。私はこれがいいの。ありがとう」


勝手に親指に嵌め直して、見せびらかすように掲げた。稀咲くんは納得してなさそうに眉間にシワを寄せる。完璧主義っぽいもんね。


「じゃあ、お返しね」


いつもより近くにある稀咲くんの顔。両手で頬を挟めば、眼鏡の下の鋭い目がまあるくなった。本当に、目だけは分かりやすく動くなあ。


「私、橘夕凪は、稀咲鉄太くんが身長伸ばすまで誰とも付き合いません。誓いのチュー」


──チュッ、と。

口じゃなくて鼻先にかるーくくっつけただけで、稀咲くんはめでたくキャパオーバーで銅像になった。稀咲くんって(アレが本当に愛かはともかく)、愛するのは得意でも愛されるのは不得意だよね。可愛いさ余ってもう一回オマケのチュッと。壁ドンがものすごい速さで解除された。逃げ癖は治してほしいなあ。


「大人になったらピッタリなのを嵌めてね」


約束ね。

上げたままだった手には、想像より柔らかかった頬の感触がまだ残っている。うん、柔らかかった。中学生男子のほっぺってあんなにもちもちしてるんだ……うん…………、うん?


──私、中学生の後輩に何をしているんだろう。


いつの間にか浮かれていた気分が一気に冷静になる。稀咲くんがあまりに可愛かったから、思わずチューしちゃったけれど、ただの後輩呼ばわりしてるくせにコレはない。誓いのチューて。チュー……ただの後輩にチュー!? 何やってんの!?

クリスマスイブの気に当てられすぎたのか、指輪がそんなに嬉しかったのか。ジワッと遅れてやってきた照れが顔中に広がって、めちゃくちゃ居た堪れなくなって、ずるずると壁伝いにしゃがみ込む。冷たい空気と正反対に顔が熱くて熱くて。可愛い後輩を揶揄うのに夢中で墓穴掘っちゃったよね。“大人になったら〜”とかまさに、あの。


「もしかしてプロポーズしちゃった……?」


頭の中だけのつもりが思いっきり声に出ていた。口を閉じてももう遅い。ゆっくり顔を上げると、見下ろしていた稀咲くんとバッチリ視線が合った。見つめ合って、バッとお互い逸らす。なにこれ恥ずかしい。無理。

正直なところ、私は流されて稀咲くんに好かれている先輩をやっていた。ヒナの代わりだとしても、そうじゃなくなっても、“好きな女がすぐそばにいる稀咲鉄太”なら漫画みたいに酷い未来にはならないんじゃないかって。相手に好かれてるなら同じだけ好きになればいいやって。

身長差を条件に出したのだって、ちょっと心の整理のために時間が欲しいなってだけ。別に低かろうが高かろうがどうでも良かったのに、『早く大きくならないかなあ』とか『今さら条件取下げたら怒るかなあ』とか、心のどこかで思っていた。思えば私は稀咲くんとの関係を軽く考えていたのかも。──今この瞬間まで。

私、ちゃんと稀咲くんのこと好きになってたんじゃん。


「か、解散! 解散!」
「は?」
「もう夜だし真っ暗だし帰ろう! 稀咲くんさよーなら! じゃあね!」
「待て。駅まで送ってく」
「結構です!」
「オイ!」


いやいや勘弁してください。

しゃがんだまま、顔を隠すように両腕を構える。茹だった頭に震える唇では冷静な会話ができるはずもなく。


「今日は、その、……フライングしちゃったので!」


フライングってことはスタートする気満々だったってことよねー、よねー、ねー、……待って、待って、違うの、ちょっと口が滑って、今日はダメなの、待って稀咲くん!

無理やり腕を取られ真っ赤な顔が白日ならぬ電灯に晒される。くぅ眩しい。反射する眼鏡も眩しい。そんでもってめちゃくちゃ歯並びがいい口が見えた。稀咲くん、嬉しいとすんごいイキリ顔になるよね。誤解されるよその顔。私いま不良に絡まれてるみたいな絵面だよ。


「駅まで歩こう。顔を冷やす」
「オレはそのままでも構わないぜ?」
「私と手を繋ぎたくないの?」
「…………」


素直に言えないんだね。言えないけど体は正直なのね。差し出された手に指輪がはまった手を重ねて、クリスマスイブの浮かれた街を静かに歩いた。


「家帰ったら顔洗ってね。特に鼻」
「………………ああ」
「洗わないことになんの意味が!?」
「頷いただろ!」


間が怖いのよ! 間が!




***



…………なーんてことがあったのを、キーホルダーにしていた指輪を眺めて唐突に思い出した。毎日見てたはずなのに。


「稀咲鉄太ぁ……!」


勝手知ったる億ションの一室にズカズカ踏み込めば、リビングで何やら書類を眺める婚約者と、その向かいに座る黒髪スーツの男。


「奥様じゃないですか。どうもお邪魔しています」
「その呼び方やめてください九井さん」
「結婚なさるんだから奥様でしょう?」


九井一。黒龍の金庫番だった彼は紆余曲折を経て鉄太くんの会社の経理部門の重要ポストに収まっている。黒髪で編み込みなしのサラサラストレートなのに何故かカタギに見えない。目つきが鋭いからかな。まあ、それは九井さんに限ったことじゃないんだけど。


「お仕事中なら出直しますよ」
「ああ、いえ。社長とは雑談をしていただけですから。どうぞ」
「なら遠慮なく」
「オイ。オレは良いと言ってない、」


ぞ、のところで例の指輪を掲げる。

『大人になったらピッタリなのを嵌めてね』

『鉄太くんの趣味悪ッ。なんで婚約指輪に金?』
『いいだろうが。資産価値があって』

あの言葉を覚えてたから、婚約指輪が金色だったんだ。


「言ってよー! 私鉄太くんよりぜんぜん記憶力ないんだよ!? 趣味悪いとか言っちゃったじゃん!」


とっくに買い直してシンプルなシルバーリングが左の薬指に収まっちゃってるよ。

だから最近機嫌悪かったのね。資産価値なんて最もらしいこと言っちゃって、私が覚えてなかったのスネてたんだ。

「ごめんなさいー!」ひんひんオーダーメイドスーツの袖に縋り付く私と、煩わしそうな溜息を吐く鉄太くん。向かいでニコニコ興味なさそうな九井さん。すみませんね、ラブラブで。


「新しく買いに行こう。私のボーナスでペアリング買う。婚約指輪なんていくつあってもいいですから!」
「無駄遣いするな。自分のボーナスは自分のために使え」
「無駄じゃないですぅ。ちゃんと嵌めてもらうんですぅ」
「いいんだよ、オレは」


中学生の時とは比べるまでもなく大きな手が私の顎を持ち上げた。日焼けしてない肌に金色のカラーを差した黒髪。ゴツいフレームの眼鏡の下で肉食獣のように目を細めた。口元は歯並びを見せつけるようなイキった笑み。変わったんだか変わらないんだか。

スリ……と、指の腹が確かめるように私の輪郭をなぞった。



「欲しいものは手に入ったからな」



──それくらい許してやる。

鷹揚に、でも指先には熱を残して。大人の余裕たっぷりに手を離す。色っぽい空気は一気に霧散した。良く言えばクール、悪く言えば冷徹な稀咲鉄太の面で書類をペラペラめくる作業に戻っていて、惚ける私だけがその顔を見上げていた。

所詮一歳差なんて大人になれば同い年のようなもの。むしろ社会経験で言えば向こうの方が豊富だという何度目かの気付き。「うー」いつの間にか子供っぽさが逆転していたのをいいことに、肩口に頬を寄せてひっついておく。視界の端で『社交辞令に決まってンだろガチでイチャつくな』という空気が見えた気がしたけどきっと気のせい。空気は見えないし。


「あ〜、またココちゃんが新婚の餌食になってやがる」
「遅ぇぞ半間。もっと早く来い」
「やだね、急ぐの嫌い」
「仕事の話じゃなかったのかよ」
「今度こそ席外す?」
「別にぃ。一言で済むし」


九井さんの隣にどっかり座って長い足を組んだ半間。もとい半間さん。ストライプのスーツに丸眼鏡のインテリ風だ。ゆるい雰囲気が仕事になると見た目相応のカッチリとした顔に様変わりした。


「うちの管轄で一人雇いたいヤツがいるんです。いいですか稀咲さん」
「オマエの裁量の内だろう。わざわざ言いに来る意味はなんだ」
「稀咲さんにっていうより九井へのお伺いですね」
「なんだ」
「ソイツ、元黒龍の総長なんですよ」


…………は?


「黒川イザナ。ホームレスに混じって腐ってたのを拾いました。うちで使っていいですか?」


尋ねてるわりに断定的な言葉。しばらく考えた後に頷いた鉄太くん。「社長が言うなら」となんてことなさそうな九井さん。置いてけぼりの私は、なんだか既視感のあるメンツに謎の冷や汗をかいた。稀咲鉄太に半間修二のコンビと、お金担当九井一。ここに黒川イザナを入れたら…………四天王省いた天竺?

鉄太くんは東卍を追放されてないので天竺発足は阻止されているはず。だから黒川イザナは死んでない。それは分かるんだけど、十二年後にこのメンツが揃うって、まさか。


「て、鉄太くんの会社って本当にクリーンなんだよね?」
「なんだいきなり」
「…………犯罪はいけないからね?」
「は?」



本当に大丈夫だよね!?

式まで2ヶ月を切ったこのタイミングで反社フラグが立つってどういうこと。






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