そのさぁん



紙皿に乗った薄っぺらいパンケーキ。着色料をぶちまけたドリンク四種。デフォルメされたカラフルな髪色のキャラクター。プラスチック製のキーホルダーが並び、その向こうで小さな爪が銀色の袋をペリペリと引っ掻いている。

黒いだけの液体で静かに喉を潤しながら、七海は何度目かの“どうして”を頭に思い浮かべた。

発端は去年のクリスマスに遡る。呪詛師夏油傑による新宿京都の百鬼夜行。東京京都の術師はもちろん、北海道のアイヌの呪術連まで駆り出された呪霊狩りに七海も参加し、首謀者である夏油の死亡によって事態は終息した。直属の先輩であり、今は亡き同級生が慕っていた夏油について思うことがないわけではないが、万年人手不足の呪術師として上から数えた方が早い立場の七海である。淡々と呪霊を狩り呪詛師を殴り日々は過ぎた。

そして二月。実に一月半の間を置いて、七海は涼木名前の元へと訪れた。

名前の能力は混戦向きではない。下手すれば敵に塩を贈り味方に被弾する可能性がある使い勝手の悪いモノ。七海のここ最近の任務は複数の術師と協力して行う内容が立て続けに入っていた。故に顔を見るのは久しぶりで、いっそ向こうは休日だらけで毎日趣味をエンジョイしてるのだろうと思っていた。


『ナナウミ、おそい』


名前は、白いボンボンがついた赤い三角帽子を被って待ち構えていた。アパートの中では眼鏡を外しているから、赤い木苺のような目が潤んでいることはすぐに見て取れる。あからさまに恨めしげな上目遣いはきっと睨んでいるのだろう。


『クリスマス、サンタさん、来なかった』


一月半前の話を今されても。


『こんなにお仕事がんばってるのにどうしてサンタさん来ないの? いい子はみんなガッコーに行ってるから? わたしもガッコーいきたい!』


サンタのために義務教育に縋るんじゃない。

フグのように頬を極限まで膨らませた幼女はバカわいいが、中身が千年越えの呪物だと知っている七海はイラッとした。こちとらクソ仕事漬けの毎日にクソ疲れているクソ煮込み状態なのに。部屋には本棚に収まりきれない単行本が床に積んであるし、五条が買い与えたであろう見たことのないDVDボックスがテレビの前に置いてある。クッションに放られた後のスマホ画面にはソシャゲのゴミガチャ。どこをとっても趣味エンジョイしてる。未読本タワーが積み上がっている七海とはえらい違いだ。

なんでなんでと罪悪感を煽る悲しげな表情をする幼気な皮を被った幼女に、七海は苦肉の提案をした。


『今日の任務が定時より早く終わったら好きなところに連れて行きます』


期間限定コラボカフェ。推しが出るまでドリンク注文。BGMに聴いたことがないオープニングとエンディングソング。圧倒的女子率。「娘さんの付き添いで来たのね」と言わんばかりの店員と近隣席の視線。いつものスーツでやって来た七海にとって地獄の空間だった。


「お目当てのものは出ましたか」
「んー……ん。まあ、ハズレはないかな」


銀色のゴミを端に避け、無言でパンケーキを詰め込む幼女。ハムスターのように頬を膨らませる様は確かに年相応に見える。享年6歳のまま成長するはずがない子供。既に二年の付き合いである七海は、仕事をこなすための手段として幼女を連れ歩いている。

だが、たまに、ふとした瞬間頭を過ぎる。

アニメが好きなのも、漫画が好きなのも。パンケーキを頬張るのも、サンタを待つのも。全て阿久田ひな子の残滓なのでは、と。

親に愛されなかった子供。愛を誤解して手を上げるばかりの母親から逃げた幼女。その先で呪いに取り憑かれて死んだ命。中身はともかく身体は阿久田ひな子のモノで、脳味噌だって阿久田ひな子のものに違いない。

千年以上も昔の呪物が現代にすんなりと適応できているのは、身体に知識が残っているからではないか。


「おなかたぷたぷ。ナナウミこれ飲んで」
「嫌です。青は食欲減退色ですよ」
「水分補給に食欲カンケーなくない?」


押し出されたミント付きのソフトドリンクを見下ろして、はぁ、と深々ため息を吐いた。


七海建人は幼女を連れている。




***




「ピッチャービビってる!」
「あれピッチングマシーンよ」


カキーン!

天高く飛んでった真希の白球が西宮のミットに収まる。東京校からブーイング上がり、京都校が素知らぬ顔をする交流会二日目。無邪気に「らんとうだぁー!」とはしゃぐ名前は言葉の意味を分かっていなさそう。たぶん釘崎の暴れっぷりが面白かったから。

東京校のベンチに座る名前は、たまに誘拐される形でパンダの膝の上に座る。よっぽど魔女っ子西宮に幼女を盗られたのが堪えたらしい。


「俺ら一緒に任務に行った仲じゃん? 俺のことはちゃんとパンダって呼ぶしぃ?」
「だってパンダはパンダだし……」
「人種差別ダ!」
「種族差別では?」
「しゃけしゃけ」
「しゃけおにぎり〜」


二年生は任務でちょこっとだけ交流があった名前である。ゆえに初対面のお姉さんお兄さんに興味津々。なにせ好奇心いっぱいな幼女なので。思ったことが素直に口から出てしまうのも仕方ないわけで。箒に乗って空を飛ぶお姉さんには思い出すたびにキャーキャー手を振るし、バットすら振らずにアウトになったお兄さんには「ダサッ」と言っちゃったわけで。


「アイツがダサいっつった補助監督、二週間ジーパンシャツインで過ごすハメになったんだと」
「は?」
「財布は三つ折りのビリビリはがすヤツで、カバンは赤チェックのリュックサック。そういやシルバーチェーン腰からジャラジャラさせてたな」
「は?」
「全部無意識に買って身につけたらしいぜ。ご愁傷さま」
「私はダサくないがーーーーッ!?」


ちなみにイエスロリショタタッチ上等しようとした呪術師は年上の良さを知ってもらおうと男女問わず七十代以上の生足じゃないと興奮しない性癖にしたのだとか。楽巌寺学長逃げて超逃げて。

呪術師の学校とは思えない和やかな空気の中、野球の試合は東京校の勝ち。お互い『これでいいのかなぁ』という微妙な空気のまま、交流会は終了した。


「あ、今度の任務一年三人と一緒にいってもらうから。よろしく」
「えぇー!」


五条はいつも突然だ。




***




補助監督新田明は助手席に座る小さな女の子に冷や汗が止まらなかった。

柔らかそうな黒髪を二つ結びにし、黒いワンピースに白いカーディガンを羽織っている。茶色いローファーもどきをプラプラ揺らして、時折外の景色に目を奪われる瞳。大仰な黒縁眼鏡をかけているのを確認してホッと息を吐く。その繰り返しだ。

この幼女と一緒に任務に行った補助監督が数世代前のオタクファッションに目覚めて人間関係が壊れかけた噂は今年の春だし、先週に至っては京都から送られて来た上層部の息がかかった補助監督は彼女と破局したらしい。死にはしないのがせめてもの救いだが、精神的な死は免れない場合もある。賢明な人間ほど近付きたがらない地雷原。もしもの時は七海一級術師を呼べとは共通認識である。

死にたくない。(社会的に)死にたくない。彼氏はいないがいつかは欲しい。この歳でシワシワの安物甘ロリに汚ねぇクロックス履いて首輪したゴーヤを散歩させるなんて嫌だ。やけに具体的なのは実際に去年あったことだから。呪術界は闇が深い。


「そういやさ、名前って俺と同じで呪物取り込んだんだろ? どういうの?」


おいバカやめろ。

後部座席で仲良くタブレットを覗き込んでた虎杖が名前に話しかける。せっかく外の景色に夢中だった意識が車内に戻ってきた。


「おはなしゃん」
「花ぁ?」
「人間の指よりはマシね」
「マシじゃねーだろ。花粉やら虫がくっついてる」
「うっわ、喉に張り付きそう」
「ちゃんとうがいしたんでしょうね?」
「あんまり覚えてない」


お花はお花でも名前に花が入ってるだけの人骨なんスよね〜〜!

特級呪物『不語ヶ花いわぬがはな』。元は死人に口無しと言わんばかりの誰かの遺骨。屍蝋化した指とどっこいどっこいの不衛生クレイジー。知らないってすごい。新田は無心で車を運転した。

それから地道に聞き取り調査をしたり、伏黒の中学で不良バレイベントがあったり、実際に八十八橋で検証したり、あちこち行っても進展はなく。


「イタメシ、多い」
「だからおにぎり二個は余計だって言ったでしょ」
「いいじゃん。俺まだ食えるよ」
「梅干かよ、渋いなオマエ」
「クロちゃんはハムサンドかわいいね」
「ハムサンドかわいいか?」
「その呼び方やめてくれ」
「いいじゃないクロちゃん。玉犬とお揃いで」
「くぎゅ分かってる〜」
「混乱するだろ……」


あるとすれば一年生三人組と幼女のほのぼの空間と胃をキリキリさせる新田の図である。

いいなあ何も知らないって。ゼリーをちゅるちゅる吸う新田のズボンをクイッと引っ張る誰か。下を見てゼリーが気管に入りかけた。


「新米〜、アメちゃんあげる。何味?」


ちなみに幼女は新田を新米と呼ぶ。実際そうだけれども。


「ぐぇ、げほっ、あ、アメちゃん!?」
「……アメちゃんイヤ?」
「イヤじゃないっす余ったのでオネシャス」


ハッカ味は本当に余ったやつじゃん。

別に新田とて心の底から幼女に悪感情を抱いているわけではない。呪物なんて猛毒を口に入れて生き残った悪運。幼いうちから呪術界に入り浸り、他の選択肢なんて与えられない人生。一昨年の使い潰さんばかりの酷使具合を見れば、圧倒的被害者でしかない。けれど、こんな子供を使わなければ平和は成り立たないのだ。それを静観している大人も加害者だと糾弾されて然るべきだろう。

せめて。歳相応に甘えられるお兄さんお姉さんとの空気くらいは、守ってやりたいと思う。


「名前ちゃん、美味しいアメちゃんありがとう」


引き攣った顔の新田に、幼女は年相応の笑顔を向けた。口の中は嫌にスースーしていた。









「どこ行ったあのガキ共ォ!!!!」


八十八橋の調査が暗礁に乗り上げ、ホテルで一泊後にまた一からと決めた途端にコレである。飛び上がって車に走ろうとした新田のスーツが突然背後からクンッと引っ張られた。


「ねえ」


可愛らしいピンク色の小さな爪。幼女のふにふにお手手。眼鏡なしのカッ開いた瞳孔と目が合って、新田は意識が遠のいた。



「私も連れてって」



死にたくない。(社会的に)死にたくない。




***




涼木名前は前世の記憶を持ったまま生まれた女……の遺骨を元にした呪いである。他の呪霊と比べるまでもなく理性と知性を持ち、人間と一緒に暮らせる程度の常識を持った異質な呪物の成れの果て。

虎杖らは幼女が呪物を飲み込んだと認識しているが、実際は呪物が幼女の体に這入った。意志を持った骨格標本が小さな口を入り口として足から潜り込んできたと言うべきか。全長1メートルちょっとの肉体に成人女性の骨が内臓を裂きながら詰め込まれるグロ。某悪魔兵器のハッピーバースデーと酷似した方法で呪いは受肉した。

受肉した呪いは、呪いでありながら中途半端に人間らしい部分も残して幼女のフリをしている。その際たる思想として『働かざるもの食うべからず』……ほど崇高なものでないにしろ、『適度に働いた後の方がオタ活楽しい罪悪感フリー』的なアレでソレ。正確に言えば『週一働いて週六遊びたい』精神で現在呪術師のお手伝いをしている。

さて、五条悟に一年生三人組と任務に行って来てほしいと言われ、おにぎり食べたりアメ舐めたり新田に怖がられたりしただけの幼女は働いていると言えるだろうか。名前は首を振る。五条が恐らく三人と仲良くしてほしいという意図で同行させたのだろうな、と理解していても。運動不足の不完全燃焼でお仕事したい欲が高まっていた。

新田に八十八橋まで送り届けられた後。幼女は止められる前に橋の下へと向かった。街灯すらない暗い森の中を走って、腐った臭いとあちこちに撒き散らかされた残穢を辿って、奇跡的にソレを見つけた。

寄り添って眠る肉塊2つ。

モヒカンのほとんど裸みたいな格好の男と、緑色の肌をした本当に裸のボール。モヒカンが抱きしめるようにボールを腹に乗せて目を伏せる様は、どれだけ血濡れていてもひどく安らかで、穏やかで。


「眠ってる赤ちゃんみたい」


今すぐにでも・・・・・・起きて来そうだな、と。


「……、…………っ、つぅ」
「あっ」


起きた・・・

モヒカンは白目がない瞳を二、三度瞬き、残っていた涙がポロリとボールに落ちる。するとボールの方も体をふるふると震わせて「……じゃァ」と小さく声を上げた。


「け、ちず?」
「たぃ、ぃたいよあにじゃ」
「けちず、けちずぅぅ……」


ヒシッと筋肉質な腕で弱々しくボールを掻き抱くモヒカン。なんだか感動の再会じみていて、幼女はちょっと場違い感を感じていた。


「おじゃま虫しました」
「、? ッ待て、待ってください!」


モヒカン──壊相は、この三人の中で一番頭が良かった。女に殺された血塗と宿儺の器に殺された壊相。生きているはずがない致命傷は未だに己の身に残っているのに意識がはっきりしている理由。それは目の前の幼女しか考えられないということを。

このまま幼女を逃せば、また死んでしまう可能性を。


「たすけて、くださっ」
「あにじゃ?」
「たすけて、しにたくないんです、けちずは、私の弟で、」
「あにじゃ、どうしてなくんだ」
「けちずのために、私は生きてるんです」


情けなくも壊相は涙が止まらなかった。兄との誓い。弟との誓い。兄弟を守る使命を果たせなかった自分は、またみすみす死んでしまうかもしれない。目の前にいる幼女からは自分たちと同じニオイがする。そして、己と血塗の首に纏わりつく呪いの気配。どう考えても相手の術式で自分たちは一時的な蘇生をされ、死の淵から引き上げられたのだと確信した。ゆえに、ここで放り出されれば再び消滅し、兄には二度と会えない。自分たちがいない地獄を兄に歩ませてしまう。それだけはどうにも我慢ならなかった。

一方、縋られた名前といえば、相変わらずのぽやんとした頭で物を考える。小動物のようなとぼけ顔の下は、ちょっとした興奮を覚えていた。


「(命乞いって初めてされたあ。新鮮〜)」


幼女、物理的にも精神的にも舐められてばっかで意外とこういう経験が少ない。ワクワクドキドキハラハラ。命乞いされたらヤバい条件ふっかけて苦し気な顔させるのがテッパン、とかなんとか思案していた最中、すぐに「あれ?」と首を傾げる。


「でもさ、お兄さんたち呪霊でしょ?」


これに面食らったのは壊相の方である。何せ、人間ならともかく同じ呪物が受肉した仲間であろう存在が、呪霊と呪物を根本的に全く見分けが付いていないのだから。


「呪霊ならちょっと休んだら動けるようになるんじゃない?」


自分は反転術式が使えるんだから、そっちもできるはずだよね?
そんな傲慢な押し付け。

きゅるきゅる、しゅるしゅる。呪いが肉の体に巻きついていく感覚。そう作り換えられていく感覚。失った体が徐々にゆっくりと盛り上がり再生していく予感。死の足音が遠ざかっていくのを耳が聞いていた。

私たちは、運に見放されていなかった。


「わたし、イタメシとね、くぎゅと、クロちゃん探してるから。しばらく休んだら逃げてね。また会えたらいいね」


そんなことは露知らず、幼女は肉塊二つに手を振って背を向けた。



「呪術師とケンカしたらダメだよ。殺されちゃうもん」


「え」



──きゅるきゅる、しゅるしゅる。

首輪が嵌る。壊相と血塗の首に巻きつく縛りとは違う制約。破ればどうなるか分からない狂気。肉に食い込み仮初の脳に達した悍しい洗脳術。

ああ、己は頼る相手を間違えたのかもしれない。けれど縋るしかなかった。それは仕方のないことだった。たとえ呪術師と戦えなくなったとしても、逃げるしかできない弱者に成り果てようとも。弟を助けるために致し方なかったのだと。壊相は咽ぶ心を自ら慰めた。それでも声に出して叫びたかった。

ああ! 兄さん! ごめんなさい兄さん!
私たちは足手纏いになってしまった!


「くっ、う、ぅうぅぅぅっ!」
「あにじゃ、なくなよォ」


とことこと仔犬のような足取りで川の方へ向かう背中を眺めながら、壊相は弟と共にどこへ逃げようかと思考を巡らせた。











「名前! 一人でどこ行ってたんだよ! 心配したんだぞ!」
「新田さん困ってたわよ。謝んなさい」
「いいんスよ大丈夫ッス無事に帰ってきてくれたんならそれで!」
「甘やかしはよくないです」
「(死にたくない社会的に死ぬ死ぬ死ぬ)」
「ひとりで走ってってごめんなさい新米」
「……ぇ、あ、こちらこそ!?」
「今度は新米とおててつないで走るね」
「(勘弁してください)」



補助監督って大変。




***




「げ。イノシシマン」
「イノシシマン参上! ぶひひひひ!」
「今すぐやめないと他人のフリしますよ猪野くん」
「やめますやめました!」


補助監督に店の前まで送ってもらった名前。そのままそそくさと走り去った車を無視して喫茶店の中に入る。手ぶらで入ってきた幼女に店員さんが腰を折って対応したところ、割と近くから見知った顔が手を振った。

猪野琢真。一級術師昇級査定のために七海にべったりついているこの男のせいで、名前は七海との任務を制限する運びとなった。術式が混戦に不向き、というのは前提として、何せ猪野は終始名前を親戚のちっちゃい子よろしく構い倒す。構われるのが好きな名前ですらうんざりするほど構ってくる。なので自然と距離を置くし、顔を見れば嫌そうに逃げるのだ。

今日顔を合わせたのは、猪野との任務が終わり解散後に七海と別の任務に行く予定だったから。好きで顔を合わせたわけじゃない。


「名前ちゃん何食べる? パフェ? ケーキ?」
「いらにゃい」
「ドリンクバーあるよ? 頼もっか?」
「いらにゃい」
「あー心配だなァ、俺も次の任務ついてっていいッスか?」
「いらにゃい!」
「はぁ……」


トントン指でテーブルを叩いた七海。


「猪野くん、名前を揶揄うのはその辺で。解散しましょう」
「えー! もっと名前ちゃんとお話ししたいです! 具体的には七海さんのバディとしての心得とか!」
「そう言って建設的な話ができた試しがないでしょう」
「そんなことないっすよ! なー名前ちゃん!」
「いらにゃい……」
「ちょっと傷付いた」


割りかし本気でションボリしている猪野は、いくつかお疲れ様の挨拶をして、ついでに名前に手を振っていなくなった。名前は素知らぬ顔で猪野がいた席に座り、七海に苺のタルトを強請った。「先ほどいらないと言っていましたよね?」「ケーキはね。タルトはいる」屁理屈に肩を竦めて七海は呼び鈴を鳴らした。

作り置きのタルトなんて皿に乗せればすぐに出てくる。ものの数分でやってきたツヤツヤの苺にフォークを刺し、パクリ。酸味が強い苺とサクサクタルト生地をむさぼる幼女は可愛い生き物でしかない。口の端に食べカスをつけてるのだって可愛いポイントだ。けれど七海は無言で紙ナプキンを差し出すばかりで拭ってはくれなかった。

こういうところが気に入ってるのだろうか。名前はふと頭の中に過ったひとり言を反芻する。

七海建人とは誤って幼女の皮を被ってしまった時からの仲で、人間呪霊問わず一番長く関係が続いている。最初から最後まで冷たすぎずぬるすぎない。侮ってはいないが、敬ってもいない。幼女扱いせず、あくまで有用な呪いとしての扱いを自分自身に強いている。きっと何度だって幼女の見た目と体の持ち主に対して絆されかけたのに、生真面目に呪いに対する距離感を保ち続けていた。

絆されてしまえばいいのに。
見下してしまえばいいのに。
内側に入れてしまえばいいのに。
突き放してしまえばいいのに。

全部から距離を置いて中立であり続ける。呪われた世界においてどこまでも真っ当に生きる男が、生き辛そうで仕方ない。

だから、隣で見ていたかったのかもしれない。真っ当な視点で世界を見れば、呪いじゃなかった人間の自分を真に取り戻せるのかも、────なぁんて。そんなおセンチな感情はとっくのとうにどうでも良くなっている名前である。


「ねえ、ナナウミ」


だって名前は人間じゃない。



「阿久田ひな子が生きてるって言ったら信じる?」



とっくのとうに特級呪物『涼木名前』なのだ。





次回予告


扉が開いた。誰かが呪力を流さなければ開かない、名前を閉じ込める扉が。

そろりと足を出す。誰も来ない。誰も咎めない。幼女はパッと立ち上がって裸足のまま外へ駆け出した。

呪力とは恐怖と怒りと恥辱。負の感情が煮凝ってできる呪霊の元で、エネルギーで、餌に違いない。その日の夜は空気がどこもかしこも美味しくて、美味しくて、美味しくて。

ふと、名前は両腕を見た。何の気なしに眺めて、首を傾げる。これ、もっと長くならないかな。

芥ヒナコってもっと大きかったよね。

ぎち、ぎちぎちぎち、にゅるっ、パキャッ、ぐぐぐぐっ、ビリリリリ。────ばちゃん。

生まれた。生まれた。生まれ変わった。足首までのワンピースはお尻が隠れるくらいまでに縮んで、脇下の縫合が破れて豊満な乳房が覗いて見える。否、服が縮んだのではなく、名前が伸びたのだ。

スラリと伸びた生足。両腕。髪の毛。長い前髪をかき上げ、そのたびに服が悲鳴を上げ、押し上げる乳房と尻肉に糸が食い込んだ。

もはや名前は幼女ではない。


「渋谷ってあっちかな」


赤い目を爛々と輝かせ、女の形をした呪いは征く。

人も呪いも呪い合う戦場に、新たな混沌を巻き起こすため。



次回最終回です。


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