黒いドレスはいらない



なんだかすごく自信がなかった。

元々そんなに自信過剰な人間ではなかったけれど、成長するごとに妙に毎日が落ち着かない。ソワソワと指遊びでいじっているうちに手は細かい傷まみれになったし、腕は体質のせいでもっと傷だらけ。自分で抉っているのだから当たり前のことよね。でも一生消えない傷っていうのは、なんだか見ていて気持ちが沈んでしまう。もっともっと落ち着かなくて爪を噛む癖ができてしまった。ああ、また手が醜くなる。だって呪術師のひとって女性の体に傷があるのが嫌いなのよ? いけないわ。いけないわ。結婚できなくなってしまう。私ったらもっとしっかりしないと。一年中長袖を着て、出来るだけ爪を覆う手袋を着けて。これで醜いなんて思われなくて済む。素敵な殿方に大事にしてもらえる。幸せな結婚をして、お父様やお母様に褒めていただいて、私も素敵な奥さんとして頑張っていくんだわ。──なんて。

ずっと自分を誤魔化していたの。


『大丈夫ですか! お怪我はッ!?』


剥き出しの腕を、手袋をしていない私の手を、あなたが取ってくれるまで。




***




「彼ってね、本当に優しくて素敵なの。スラッとしてて、スーツが似合って、眼鏡が色白の肌に映えるの。ああいう人のことをクール系っていうのかしら。眉間にシワができるとちょっと神経質そうなお顔になって、なのにね、私がお名前を呼ぶと眉を垂らして笑ってくれて、本当に堪らないわ。あらやだ私ったら彼の見た目しか褒めてない。勘違いしないでね、彼って内面も素敵なのよ。私なんかの手を取っていつもエスコートしてくれるし、躓きかけたら優しく肩を抱いて引き寄せてくれるの。人目があるところなのに体をぴっとりくっつけて……うふふふふふふふふふふふふふふふ。細身だけどとても力強いの。私なんて簡単に腕の中に閉じ込めてしまえるくらい。心臓がいくつあっても足りないわ。こんな気持ち生まれて初めてで、とっくに成人してるのに、私ったらいつまでも高校生みたいな気分になってしまって。年甲斐もなく恥ずかしいわ。ううん、高校生の時なんてこんなに素敵な恋をするとは思わなかったもの。恋なんて口にするのも烏滸がましかった私なんかが。ふふふふふふふふ、ふふ! やだ、学生に聞かせていい話じゃなかったわ。ごめんなさいね、つまらない話を聞かせてしまって。でも彼は本当にかっこよくて魅力的な人なのよ? 本当よ? あなたたちだってひと目見たら彼の素晴らしさが分かるはず。ええ、そうよ、初対面でも分かるはずなのに、うふ、うふふ──」


お化けがいる。

いっそ呪霊だったなら祓ってしまえて楽だった。しかし、彼女が来店した時、店内中の視線が集まったのはしっかり見ていたし、今もこっちを見る人目は絶えない。

ファミレスのボックス席で、窓側から釘崎伏黒虎杖の順で座っていた高専一年三人組。はじめはこんな並びではなかった。向かいに虎杖と担任の五条が座っていたのだ。それが注文を終えてすぐの段階で『僕ちょっと用事思い出したから席外すね、もうすぐここに来るやついるけど呪霊じゃないから祓わないでね。足止めよろしく』と早口で席を立ったのだ。足止め、などという言葉が出た時点で三人も逃げれば良かった。

五条が店を出てすぐに、ファミレスの入り口にお化けが現れたのだ。

まず初めに、虎杖はコスプレだと思った。体を覆うほどの縮れた黒髪。白いワンピースと袖から覗く腕の包帯、白い手袋。隙間から見える肌は蝋燭みたいに生気がない。俯いているせいで髪に覆われた顔の、部分的に見えるパーツは爛々とした目。ガサガサに乾燥した青紫の唇が何事かの呪詛を吐いていた。有名なホラー映画の井戸から出てくる彼女にそっくり。

両手でワンピースを握りしめ、俯いていた顔を上げてぐるりと店内を見渡し、虎杖は目が合った気がした。

歩くたびに金属が擦れる高音がする。アクセサリーか何かかと思えば、自分たちのボックス席まで近寄ってきた瞬間に分かった。包丁だ。柄に紐を通した複数の包丁を体に巻き付け、長すぎる黒髪で綺麗に隠している。銃刀法違反。あまりにも猟奇的な格好の女が虎杖伏黒釘崎、また虎杖を見て、さっきまで五条が座っていた席に腰を落ち着けたのである。


『はじめまして。にきゅ、二級術師の、西比しべ名前、よ。ここに五条悟がいたはずなんだけど』


三人は五条がばっくれた理由をすぐ知ることになる。ドン引きしている店員にコーヒーを頼み、すぐに届いたカップに砂糖をドバドバ入れ、飲むことなくかき回しながら件の恋バナ()をノンストップで語り出したのだ。

釘崎が伏黒を肘で小突き、伏黒も虎杖を肘で小突く。理解した虎杖が腰を軽く浮かせたところで足元に飛んできた包丁。スニーカーのすぐ横に完全に突き刺さったソレは逃がさないと言わんばかりの呪力がこもっていた。こ、こえええええ。虎杖が堪らず腰を落ち着けると、釘崎からあり得ないというガン付けを食らった。前門のお化け、又隣の釘崎である。


「うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ────」


こっわ。
こわい。
こわいな。

震わせる唇の隙間から同じ音ばかりが聞こえて来る。笑いすぎてやっと飲もうかと持ち上げたカップからコーヒーがこぼれた。


「なのにね、聞いて、なのにあの男、五条悟、いっつもいっつもいぃっっっっっつも私達の邪魔をしてぇぇぇぇ! 何が最強よ、何が特級! 事後処理も一人でできないくせに彼に頼りまくってぇぇぇ! そりゃあ彼は頼りになるわ彼は彼であるだけで素敵よ最高の人よそれでお仕事ができるなんて欠点はどこにもないんじゃないかしら? 流石私の恋人、あっ、言っちゃったわ! きゃ! 子供の前でのろけるなんてはしたない! 恥ずかしいわ、ごめんなさいね、こんなこと言って、あ、あっ、でもね、あなたたちには良くしてほしいって彼言ってたわ! ここは私が奢るから、好きなもの頼んでいいの。本当よ? 遠慮しないで? 学生にお金を出させるなんてそんな甲斐性なしじゃないわ。なのに、あの男は学生だけ残してどこかへ、どこ、どこ、どこっ、どこに行きやがったあのクズがァ!!!!」


ダンッッッ!!


「用事を思い出したわ、帰ります。さようなら」


持っていたカップを叩きつけ席を立ったお化け。どこからともなく取り出した1万円をテーブルに置いてファミレスから走り去ってしまった。嵐どころの騒ぎじゃない。それこそ呪いのビデオを押し付けられた気分だ。店員が恐る恐るカップを片付け終えた頃、意気揚々と担任は戻ってきた。


「どう? ヤバかったでしょ」
「言うに事欠いてソレ?」
「説明してください」
「五条先生めっちゃ恨まれてね?」
「ねー、困るよねー。逆恨みだよ。僕なんにも悪くなぁい」
「ダウト」
「説明」


ビシッと人差し指を突きつけた釘崎伏黒。虎杖は足元に残された包丁をどうするべきか悩んだ。コレ置いてったら俺らが銃刀法違反で捕まらね?

長い足を組んで頼んでいたパフェが到着し、イチゴを一口。うまうま上機嫌の五条がお行儀悪くパフェスプーンを振った。



「まあ簡単に言うと、伊地知の彼女」



満場一致で納得の恨まれる理由だった。




***




いろいろあって死んだフリをすることになった虎杖。潜伏先として暮らしていた地下室は、五条が出張する関係でしばらくお別れ。今身を寄せているのは都内某所にある伊地知のマンションだ。

読める漫画も本もなく、映画もなければ面白いテレビ番組もない。伊地知は持ち帰った仕事でなんだか忙しそうだし、どうしたものかとソファに溶けていたところ。マンションの玄関からガチャリと音が聞こえた。


「え、だれ」
「ああ、まあ、はい」
「歯切れ悪っ」


そうこうしているうちに「ただいまぁ」という柔らかい高音とともに一人の女性が姿を現した。

美人だった。

キャラメルベージュの長い髪。細い眉に黒目がちな丸っこい眼、通った鼻筋、程よい厚さの唇が綺麗と可愛いの間で絶妙なバランスを取っている。色白の肌はほんのりと色づいて、化粧だけでは出せない色気を放った。スラッと長い肢体で花柄のマキシ丈ワンピースを着こなすモデル体型。

芸能人かと見紛う美人が伊地知のマンションに入ってきたのだ。


「潔高くん、今晩は中華ですよ。春巻きの皮を見たら中華の口になったの。ついでに麻婆豆腐も食べたくなって! いいかな?」
「ええ、もちろん。辛くない物なら私も好きですよ、中華」
「きゃっ、好きだなんて! もう、潔高くんったらお口がお上手なんだから!」
「あははは……」


なんだろう。自分の存在をスルーされてるのは別に構わないが、照れ照れの美人と苦笑いの伊地知という組み合わせに違和感がある。普通逆じゃ、なんて失礼なことが浮かんだところで、以前に遭遇した嵐の存在を思い出した。サッと顔から血の気が引く。


「伊地知さん、彼女いるんじゃないの?」
「え!? 誰から聞いたんですか?」
「五条先生。それに俺会ったことあるよ。長い黒髪の、えーっと……」


お化けみたいな人と正直には言えなかった。それでも聞かずにはいられなかった。ストーカーの妄想だか伊地知の二股だか知らないが、釘崎のとは別の藁人形に五寸釘でどこぞの神社仏閣の木にご迷惑をかけそうなお化けだったから。口ごもった虎杖に察する伊地知。未だもじもじしている美人に手を向けて、そっと爆弾を投下した。


「紹介します。私がお付き合いしている西比名前さんです」
「へ」
「お久しぶりね虎杖くん。潔高くんのかの、彼女の名前です。きゃっ、言っちゃったわ!」


赤らめた頬を両手で挟んで破顔する美人。
虎杖の足元に包丁を投げつけてきたマシンガントークお化け。


「別人じゃん……」
「同一人物ですよ」


伊地知の冷静な返しが余計に響いた。


「お恥ずかしながら、私って呪力が見た目に出やすい体質で、ちょおっっっと嫌な気持ちが昂ると髪や肌に出ちゃうの。気をつけてはいるのだけれど、ふふ、うふふふふ、潔高くんのことになると気持ちを抑えられなくって。困るわぁ、ふふふふふふふふふふふふ」


あ、この喋り方は似てるな。

テキパキと春巻きの皮に餡を包む名前。長い髪を纏めて、クリーム色のエプロンをつけた美人はそれはそれは可愛らしくて、まくった袖の下から現れた包帯が痛々しかった。

見れば見るほど別人の様相も、呪力の関係と言われれば虎杖は納得するしかない。何せこの世界に入ってまだ二月ちょっとの人間だから。


「伊地知さん愛されてんね」
「ええ、疑う暇なんてありませんよ」


まあ確かにこんな美人に迫られれば言動に難ありでも受け入れてしまうかもしれない。真面目で押しに弱い伊地知は好意を向けられて断ることもできなさそうだ。

そうこうしている内にリビングにまでいい匂いが届き、テレビのニュース番組はそろそろバラエティに変わりかけていた。

柔らかい高音が晩ご飯の完成を告げる。


「お口に合えばいいのだけれど」


美人がほんの少し自信なさげに微笑む様は胸がキュンとする。この前の強烈な嵐など全部幻にして伊地知が羨ましくなった虎杖。ダイニングテーブルにこれぞ中華な料理が並んでいき、さあ次はご飯を盛ろう。──という頃に伊地知のスマホが鳴った。

五条からだった。


「はい、お疲れ様です。出張とうかがっていましたが、……えっ!? 今からですか!? 資料と言いましても文献としては一部の図書館でしか、ええ、あ、いや、はい、やりますやりますマジビンタは勘弁してください!……あッ!」


相変わらず顎で使われてんなぁ、と苦笑いを浮かべられたのはそこまで。途中で何事かを察知した伊地知が顔を上げる。釣られて見たその先に、ちり、ちりちりちり。キャラメルベージュを黒く焦がしていく名前の姿が……「ごじょう?」あっ。


「待っ、すいません五条さん! 後でかけ直します! えっ、ダメ? 今ちょうど彼女が来てまして、公私混同!? そう言われてしまうと、はい、はい……」


ダダダダダダダッ!

下の階の住民が苦情を入れてきそうな足音を立ててどこかへ走る名前。虎杖がとっさに追う。たどり着いたのは脱衣所の洗面台。どこから取り出したのか、ドンと置かれたのは不気味な呪具。大きな水晶玉とそれを支える干からびた人形の何か。名前はビリビリと腕の包帯を剥ぐ。その下にはおびただしいほどの引っ掻き傷と刀傷ととにかく傷傷傷。いつの間にやら鋭く尖っていた爪が立てられ、見てるだけで痛いことが為された。

手首の血がミイラ化した何かの口に滴り落ちる。途端に膨大な呪力が噴出するのを肌で感じ取った。



「可愛い可愛い人魚さん。
クソ野郎五条悟はど〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜こ?」



ぼやんと水晶玉の中に見覚えのある目隠しの不審者が。もしかしてこの前のファミレスの時もこうやって居場所を突き止めたのだろうか。


「いたいたいやがったわあのクソ馬鹿目隠しが私と潔高くんの時間をまた穢しやがって今度こそぶっ殺してやる覚悟しとけよケケケケケケケケケッ!!」


美人の面影はほとんどなく、以前と似たり寄ったりのお化けに変貌していく名前。見ているしかできなかった虎杖は、通話を終えて駆けつけた伊地知が横を通るまで呆然と突っ立っていた。


「名前さんッ!」


振り返った名前は見る影もなく。目を見開き口裂け女のごとく笑っていた顔が中途半端に固まる。強風に煽られまくった後のボサボサ髪で、伊地知が両肩を掴み目線を合わせるのをされるがままになっていた。


「私のために怒ってくれるあなたは素敵な人です。私にはもったいないくらい、素敵な女性なんです。けれど怒りに任せて血を流すなんてことは許容できません」
「ぁ、だって、業務時間外にあの目隠しが、あの目隠しクソ野郎がぁ、」
「名前さん」


まだ呪詛を撒き散らそうとした口が震える。伊地知の右手が青褪めた頬に添えられたから。肩に置かれていた左手が腰に回ったから。蝋燭色の肌に健康的な色が戻っていく。お化けから人間になっていくタイムラプス。どんな術式よりすげぇと感心してしまった。


「あなたの血は誰のものですか?」
「は、はひ、きょたかく、潔高くゅのものでふ」
「そう、あなたの血は最後の一滴まで私のための血です。決して無駄にしないよう、大事にしてください。分かりましたか?」
「は、はひぃ、もひろん……」


洗面台で血を落とし、常備しているらしい消毒液を塗り塗り、ゆっくりと包帯を巻く伊地知。全ての動作を目をハートにしたまま眺める名前。漂う匂いは鉄臭いのに空気は桃色一色。虎杖は足音を立てないようにリビングに戻り、美味そうな中華を前にしてお腹いっぱいの自分に絶望した。



「俺、ぜったいお邪魔虫ぃ……」



五条先生はやく帰ってきて。





***





晴天の霹靂が現実に起こった。

突然なんの前触れもなく崩れた屋根。久しぶりに見た青空に紫色の光が走って、窓から見えた本邸がものの見事にぺしゃんこになっていた。

あそこに入ったのは数えるほどしかない。この家に引っ越してきた時、初潮を迎えた時、義務教育を終えた時、それから、いつだったかしら。曖昧になるほど私は離れにずっと引きこもっていたわ。中学までは学校に通えてたのに、高校生になってからは一回も行けてない。通信教育でどうにか勉強して、お見合いをしたり、お父様のお手伝いで人を探したりして、もうすぐ18歳。

私の血は特別だ。お母様の家系に人魚の血が混じったのだとかで、時々特別な血に目覚める。私の血を特別な呪具に与えることで、肉眼で見たことがある人の居場所を水晶玉に写すというもの。とても便利な力だと。だから私は下手に外に出れないし、この血を残していかなければならないみたい。

血以外は価値がないと言われた。引きこもっているとどうしても肌が傷んで髪は燃やしたようにうねる。乾燥が酷くて唇もガサガサ。お薬を塗っても無駄(これは私の情緒不安定と呪力操作の練習をしたことがなかったせいらしい)。ただでさえ引っ掻き傷が残る腕は醜いのに、見目で言えば私は最悪の醜女だった。

醜い。それは認めます。私は醜いんです。分かりましたから。


『いつか、可愛い格好で好きな人とデートしたいわ』


どうか、夢を無理だと決めつけないで。



「五条さん! 今回の任務は呪詛師殲滅の他に軟禁された重要人物の保護も含まれると伝えましたよね!?」
「えー? ソイツも術師なら自分の身くらい自分で守れるだろ」


その通りだった。私はとっさに髪の毛に呪力を流し、最低限急所にあたる部分を保護していた。ドレスのように体に巻きつく髪が強固な鎧になってくれる。血は血であって術式ではない。私の術式は防御に特化していたから。

ああ、でもこの術式は使いたくなかったわ。なんだか喪服みたいで、醜女がもっと不気味になってしまうもの。


「相手は戦闘訓練を受けていない十代の少女ですよ!」


誰かが近付いてくる。瓦礫を避けて、悪い足場に足を取られながら。術式を解いた私は、自分が人に見せられない格好をしていることに気付いた。だって、今日はお見合いも両親との顔合わせもない日だったから。

血を流すために何度も抉った腕。乾燥でヒビ割れた手。化け物のように伸びた黒髪と紫の爪。上着も手袋も瓦礫の下。パニックになり、思わず涙目で蹲った私の前に伸ばされた手が。


「大丈夫ですか! お怪我はッ!?」


私に敬語を使ってくれる人なんていなかった。だって私は醜いわ。血しか役に立たなくて、遠くから見たって近付きたいとは思わない。そうでしょ?

なのにその方は、黒いスーツを着たメガネの男性は、私がそろりと伸ばした手をしっかりと握り返して、引き寄せて、肩を貸してくださったの。私なんかを、私、私のような、血だけの女に、なんで、なんで、声に出なくて、でもずっと聞いてしまった。

彼、なんて言ったと思う?



「助けられる命がそこにあるなら、私は助けます」



醜い私を、人と同列に扱ってくださったの。


「ぁ、ぁの、」
「はい?」
「あのあの、あの、あのあのあのあのあの」
「えっ、ど、どうかしましたか?」
「好きです」
「は」

「好きです。デートしてください」



(伊地知潔高23歳。17歳の未成年に告白され社会的な死を覚悟した瞬間である。)




***




呪詛師の動きが巧妙になったのは、内部にスパイが紛れているだけではない。恐らくこちらの動きを探れる術式持ちがいるからだろう。当たりをつけて探ってみれば本当に出てきたのだから、勘も馬鹿にできないと五条は笑った。

西比名前は三歳の時に両親が他界している。引き取った呪詛師は本当の両親だと偽り、普通の家庭でございという顔で徐々に洗脳教育を施した。簡単に言えばアイデンティティを痛めつけ使い勝手の良い道具にすること。誤算だったのは本人の我がめちゃくちゃ強かったことだろうか。


「嘘、ついてたのね……」


これが15年間洗脳教育を施された子供か?

膨大な呪力が肌を舐め、空気に逆らい髪が逆立つ。術式柄、呪力が身体的特徴に出やすいせいで怒りに呼応してメデューサもかくやな動きをするのだ。


「お父様も、お母様も、私に嘘を、うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、うそつきぃぃぃ」


青白い唇がボソボソボソボソ。聞き取れない程度に並べ立てる支離滅裂な呪詛。感情の抑揚が強すぎる。そのくせ普通の怒り方を知らないローティーンの子供じみていて、「僕カウンセリングは専門外なんだよね」と茶化すしかできない。

名前の術式は呪力を流した髪を鎧にする防御一辺倒……に見せかけて、真髄はその身体能力。耐久は普通の少女と変わらないが呪力を帯びた拳は並の術師を遥かに凌ぐ。無限を纏った五条でさえ無限ごと吹っ飛ばされかけた膂力だが、同時に彼女の拳も壊れてしまう。それを防ぐための鎧。筋肉の代用で髪を纏うのだ。

ただ本人がその術式に否定的なため、使いこなすのは難しい。『まるで化け物みたいなの、人じゃなくなるみたい、私まだ人でいたいわ』六眼で見る限りその直感は当たっている。使い過ぎれば呪霊に近付く、進化する可能性を秘めたそんな術式だった。だから表向きは特別な血の方を術式として上に報告している。

まあ、術式を使わなくともたった今人外みたいな見た目になっているけれどね。


「ゴー伊地知ゴー!」
「ええっ!?」


なんか知らんが囚われのお姫様に王子様認定を受けた伊地知でご機嫌とっとけ。

五条は伊地知の背中を蹴り飛ばす。特級キックで哀れにも体勢を崩した伊地知は、そのまま押し倒すように名前と共倒れした。


「きゃっ、……ぁ、あわ、いじじじいじちさんっ」
「すいませんすいませんすぐ退きます!」
「あ、あ、やだ、ごめんなさい、ごめんなさいぃぃ」
「な、何故あなたが謝るのです?」


髪がシュンと萎びて、まだ呪いの片鱗が残る魔女のような手で顔を覆う。


「みにくく、て、近くで見られたら、嫌われ、ちゃ、ごめ、なさ……」


先ほどまでと打って変わって、吹けば飛ぶ手弱女のようにさめざめと泣き出した。なるほど、こうして見ると自己肯定感は根こそぎ奪われている。部分的には洗脳教育は成功したらしい。こりゃ硝子に紹介するべきかと考えながら、五条は伊地知の尻をゲシゲシ蹴った。


「泣いてる女の子くらい慰められるだろ〜?」
「あ、え、は、はい」


這う這う少女の上から飛び退いた伊地知。未だ転がって泣く名前の横に正座して、上から覗き込むようにしばらく沈黙した後、冷や汗とともに落とした慰め。



「私は、あなたを、み、醜いと思ったことはありません、よ」



かっ可愛らしい、と、思います……。

社交辞令の取ってつけた褒め言葉に魔女の手がズレる。飴をとろとろグツグツじゅわじゅわ煮詰め過ぎて焦がしたような瞳が、それはそれは甘ったるく蕩けた秋波を伊地知に贈った。


「ほん、とぉ?」


あ、コレ使えるな。

傷付きやすく繊細な少女の扱い方に目処が立ち、人知れずニンマリした五条。まさかそれから2年後、名前が二十歳になると同時にガチで伊地知とくっついたのは予想外だったが。



「ふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがって────」



そんでもって一応命の恩人であるはずの自分に包丁振り回すようなメンヘラ女に進化するなんてもっと予想外だった。




***




名前は伊地知と二人きりになると少し無口になる。

不機嫌なのではなく、どう話しかけていいか分からずオロオロしてしまうのだ。はじめは伊地知も年下の女の子になんて話題を振って良いか分からなかった。彼女は高専を出ていないし、学生ではないので一定の距離を取った喋りは通じない。むしろ距離を取れば泣き出してしまうかもしれない。こういう時は無言で手を握ってやるのが一番だと伊地知は学んだ。

両親のフリをした呪詛師にお人形のように軟禁されて過ごした15年。無邪気な親愛を裏切られ、我慢に我慢を重ねた人生は彼女の情緒を狂わせた。

周りはよく伊地知に心配の声をかける。

ヤバいメンヘラ女に捕まって大変だな。
同情で付き合ってるの? それともセラピー?

最初はそうだったのかもしれない。


『通信教育のパソコンのセキュリティが甘かったから、こっそりネットで漫画を読んでいたの。試し読みできるのばかり。それで、女の子が好きな男の子に、片想いする話ばかり、読んでて、試し読みだから最後まで読めなかったの。お付き合いしたらどうするのかとか、よく分からなくて、でもでもでも殿方を想う間の女の子は、みんな可愛らしくなるのよね……私もそうなりたいわ』


付き合う前の彼女の拙いアプローチは、伊地知に同情以外の情を抱かせた。

伊地知の社交辞令を真に受けてオシャレの仕方を学んだ彼女は見違えるように綺麗になった。髪はツヤツヤ、肌はふわもち、唇うるうる、笑うと可愛い年頃の女の子。けれど一番輝いて見えたのは伊地知に恋する一途な瞳。なんの変哲もない伊地知の日本人顔をこの世の何よりも素敵なものだと信じて疑わない無垢さ。

守ってあげたいな、と思ってしまった。

彼女は自分よりずっとずっと強いのに。


「寝てていいんですよ、まだ時間がかかります」


右手だけでできるエクセル操作をしながら、左手で彼女の手をあやす。名前は腕の傷や色素沈着が目立つ手を人に見せたがらない。自分の醜さの象徴だと信じて疑わないから。けれど伊地知の前では躊躇いながらも半袖を着るし、こうして自ら触れてもくれる。

ぴっとり伊地知の腕に懐く名前は、俯きがちに「もうすこし」と囁いた。


「……ぁ、いえ、違うの本当はね、もっとずっとずっとずっと一緒にいたいわ本当なの、でもでも潔高くんのお邪魔になるのは嫌よ、そこは分かっているわ私だって大人だもの。でもねとてもとてもとぉっっっても寂しいから、あと少しだけ、二時間だけでもおそばにいたいの、ほんの少しよ、我慢する、わ……」


そう言うと、さっきよりも強い力で伊地知の腕に抱きつく。はじめの頃は力加減が分からず青痣ができて泣かせてしまった。今はギリギリ痣にならない力を学んだのだろう。お互い学ぶべきところが多い二人なのだ。

伊地知はキーボードから右手を離して、名前の手の上に重ねて、握った。


「あと一時間で終わります。そばで待っていてくださいね」
「っ、っ、はいっ!」


耳まで真っ赤になって伊地知の腕に顔を埋めた名前。眼精疲労が蓄積した目には眩しすぎる。健気な可愛らしさ全開の恋人に、慌ててブルーライトで己を律した伊地知だった。





伊地知さん夢が書きたかったんです!!!!

・西比さん(22)
パーム=シベリア→西比利亜→西比さんです。強化系特有の単純一途。あくまでパームっぽい人ってだけでパーム本人ではないつもり。成り代わりではない、はず……。ハンターの『暗黒の鬼婦神ブラックウィドウ』は改造後に発現した念だったので呪術でも人外にならないと真価を発揮できないのでは、と思いました。フラグじゃないです。

・伊地知さん(27)
「あなたの血は誰のものですか?」は五条に言わされてる。正直言いたくないけどコレが一番彼女に効くので渋々。仕事以外での自傷はやめてほしい。年下メンヘラ彼女に絆されまくって手綱を握っている。


← back
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -