ハーブ



「おハーブ生えましたわ」


いやお嬢様煽りじゃなくリアルに草生えてんだわ。

ズッシリ重かったはずのジョウロの中身はいつの間にか半分以下に減っていて、我が家の家庭菜園が鬱蒼とした山に変わっていた不思議。しかもよく分からんところに草が──おハーブがこんもり塊で群生してらっしゃる。

思い出しだけでもムカつく。というかついさっきまでキレ散らかしてたんだが。ちゃんと分けて置いたミント鉢が倒れてて地面に立派に繁殖してたんだもん。ミントテロかまされた気分。このままじゃお野菜全滅しちゃうって、呆然からの怒髪天のところで今この状況。

ナニコレどこココ。


「とりま燃やすか」


ポケット探ったらライターあったし。焼き畑じゃ焼き畑。くせぇ煙ぶち上げてやらぁ。


「な!? や、やめてください! 流石に山火事はまずいですって!」


カチッカチッと鳴らしたところで背後から幸が薄そうな叫び声。突然羽交い締めにされてライターとジョウロが地面に落ちる。は? なに? 人いたの?

ビックリして後ろを見れば、サラリーマン風のメガネの男の人。必死こいて背中に張り付いてるもんだから、不審者かなんかかとビビった。ひぇっもしもしポリスメン?


「この前ボヤ騒ぎ起こしたばかりじゃないですか! 通報されたら火消しが大変なんですよ!」
「ボヤだけに? ってか離してくれません、」


か、で思いっきり振った腕がブォンとすごい音で動いた。予想外の可動域で男の人を剥がして、というか突き飛ばす感じになって、今度は自分自身にビビる。え、肩凝りまくりなクソ雑魚腕力どうした?


「ご、ごめんなさい。お怪我は?」
「いえ、こちらも取り乱しまし、……名前さんが謝った?」


失礼では?
というかなんで名前知ってるの?

イラッとした空気が伝わったのか「すいませんすいませんデコピンは勘弁してくださいこれから運転するんです」と早口で腰を折ってくる。怖い。


「あの、質問いいですか」
「は? はぁ」
「ここはどこであなたは誰?」
「……ああ、今日はその日でしたか」


どんな日? ねぇねぇ何に納得したのねぇ。


「一級呪霊の祓除任務お疲れ様です。申し訳ないのですが、すぐに次の任務に当たっていただきます。同行者に一級術師が付きますのでご理解のほど」


待って待って待って。

すごい勢いで聞き慣れないのに聞いたことがある単語が聞こえた。そんでもって男の人の既視感も。メガネで、スーツで、幸薄そう。


「……伊地知さん?」
「なるほど、助かります」


本当に話通じねぇな。

森の出口の方へ歩いて行く背中。置いてかれたくなくて、とりあえずライターとジョウロを拾って走った。足場が悪いのにすぐに追いつく脚力。やっぱりおかしい。伊地知さんって、他人の空似じゃない、よねぇ……?

そのままなんて聞けばいいか分からず、公道っぽいところに停めてあった車に着く。そういえば私、なんか黒いジャージになってるな。土汚れ目立たなくていいけど。

伊地知さんが扉を開けてくれて、汚れたまま入っていいものか悩む……より先に、中に座っている人に目が行った。


「お疲れ様です」
「は?」


七海建人がいる。

白スーツに謎サングラスかけたリアル七海建人が足組んで座っている。


「なんでいるの?」
「次の任務の同行です。聞いてませんか」
「知らん」


伊地知さんが「えっ」と声を上げる。いや「えっ」て言いたいのは私の方なんだが。


「ナナミンさん、私ってなに?」
「なにって……はぁ、またですか」


わざわざサングラスとって眉間モミモミしよった。


「あなたは貴重な特級術師なんですから、しっかりしてください」
「とっきゅう」


トッキュウ? ────特級?


「うっそだー」
「はいはい本当です。伊地知くん出してください」
「は、はい」


シートベルトを締められ、膝にジョウロを乗っけたところで扉が閉まる。そのまま滑るように車が走っていって、無言になった車内でもハテナがゲシュタルト崩壊を起こしていた。


「あの、なんのドッキリ?」
「ドッキリはそちらの専売特許でしょうに」
「や、あの」
「記憶喪失も大概に」


なんじゃその厨二病みたいな設定。

車の外へそっぽ向いてしまった七海と無言の伊地知さん。ジョウロを抱える置いてけぼりの私。もしかしてコレ新手の誘拐では?と思い始めた頃に、車が停まった。

潰れたラブホだった。


「たすけて」
「あなた日本で五指に入る術師でしょう」
「なにそれ」
「重症ですね。私は西へ行きます。あなたは東を。では」


ねえねえ話聞いてよねえ。

ボヤッとしている間に黒いじゅるじゅるがラブホをすっぽり覆っていく。リアルな帳ってこんなに気持ち悪いの。残されたのはジョウロを片手に立ち尽くすジャージの女。七海の姿はとっくにない。本当に置いてかれた……。

なんで、どうして。私はミントテロの予感に怯えて焼き畑しようとしただけの一般人。こんな怨の霊が出そうな廃墟を歩かされる謂れはない。どころか、リアル伊地知さんにリアル七海とお仕事してるってなに。漫画の読みすぎ? ミントテロに頭ヤられて見た白昼夢が友情・地獄・死のお呪い泥仕合て。あとガチガチに出入り口を塞ぐように帳下ろした伊地知さんは許さん。逃さねえという強い意志を感じる。

仕方なくロビーから見て右側をとぼとぼ歩く。夕方までまだ時間があるのに帳のせいで薄暗くて夜っぽいんだわ。ヤダヤダ幽霊もヤダし呪霊はもっとヤダ。ラブホのヤベェプレイ部屋覗いて草生やすしか、────ボファッ!


《おおくおぐぅの部屋へやべやァァおぐ部屋ァアアアギャャッ!!》


本当に草生えたんだが。

振り向く前に足元に転がった全長2メートルの肉塊。見る見るうちに灰色の筋肉が緑化委員会されていくのを何故か見つめてしまった。草、草生えて、ええ?

怖いとか以前に困惑が勝った。執拗に奥の部屋を勧める呪霊……呪霊か? が、ものの5秒で動かなくなって廃墟の床に這うど根性雑草と一体化してしまった。ちょっと縮んでるし、あとなんか手のひらあたりが熱いんだけど。チラッと見たら青いオーラが立ち込めていて、なにも仕込む場所がないはずのジャージの袖から黒い種がジャラジャラジャラジャラ……。


「なんなの!? 呪霊より怖いんだけど!? 死ぬの!?」


ジャラジャラ落ちた割に砂鉄マグネットみたいに戻ったんだけど!? 戻ったとこ覗いても手首しか見えなかったんだけど!?

帰りてぇーーおうち帰ってサラダ和えてぇーー。元来た道を戻ろうとすればなんか草だの枝だので道が塞がってた。緑化委員会働きすぎ! たかが委員会でしょもっとゆるく活動して!

仕方なく奥の方へ進めば、耳をかすめるように《生焼けェッエッアッ!》《盗み聞きィピッギィッ!》《お皿はお皿皿そこここゴッォオッ!》とひっきりなしに悲鳴が上がって、全自動で廊下が自然に還っていく。地球温暖化が解決してしまう。

悲鳴のたびに体が熱くなるし、なんか小学生以来の元気いっぱいだし。青いオーラは吹き上がってくし……コレ呪力吸いとってる? 呪霊からゴチになってるパターン? 分からん誰か説明して。今日何回これ言ったかな。

ズンズン大股で突き当たりの階段までやって来て、ヤケクソで3階まで駆け上がる。フロアにたどり着いた瞬間に何か飛びかかって来て「っ!」避けることもできずに目を瞑ってしまった。《ぁやぢゃば、ッ、ッ》で、目を開けたらカマキリのお化けが大穴空けて死んでたわけ。死に方が違うくらいでもう困惑しなくなって来た。死体の脇を通ると、袖から黒い種が一粒カマキリの上に落ちた。──ボファッ!


「あっ」


緑化委員会、私のジャージから量産されてたんすね。へぇ……このジャージ脱いでいい?

とりあえず上着を脱ぐと中は黒いタンクトップだった。──ボファッ! また呪霊が近付いていたのか、今度は影になっている手首から黒い種が発射されたのをバッチリ見てしまった。どっから出てんのスパ○ディーなの。

フルオートで迎撃する黒い種。呪霊は死ぬ。私呪力ウハウハ元気元気で、じゃあラブホ中駆けずり回ったら緑化委員会完了で帰れるのでは?

そっから高校以来の大爆走を披露した私が、青筋浮かべた七海と合流したのは一時間後のことである。


「横着して術式の無駄撃ちをしないでください」
「えへ」


蔦だらけで廃墟度50年増しの建物を前に可愛こぶってみる。七海は疲れたように息を深く吐いた。居た堪れねぇ。らしくないと分かってるぶん余計居た堪れねぇ。結局何がなんだか分からないまま再び車へ。ジョウロの中身はほとんど底をついていた。あれ、こぼした記憶ないけど。


「このまま直帰します」
「あ、お疲れっす」
「あなたもですよ」
「え」


どこに? と聞くとまた深々と息を吐かれた。

誰もなんも説明してくんない。伊地知さんも無言。七海も無言で、ラジオとか付けてくれないかなあと窓に寄りかかる。疲れてないのに妙に頭が重くって、うとうとしている内に外は森から市街地に様変わり。しばらくして車が小綺麗なマンションの前に停まる。七海が降りたから多分七海の家。えーなんか予想通りのちゃんとしたとこ住んでる。興味津々で見上げてると、寄っかかったままだったドアが外から開けられた。


「なにしてるんですか、降りますよ」
「は?」


は?

腕を引っ張られる。車が出る。エントランスに連れてかれる。オートロックが解除されて、エレベーターに乗って、7階で降りて、703号室の扉に鍵を差し込んだ七海。どんなシャレ?と思う間もなく一緒に中に引き入れられる。後ろ手で内鍵をかけられた。

見覚えのある玄関だった。いや、細かいブランドやマークは違うんだけど、色合いとか。うちの玄関に似てるなぁ、とぼんやりしていると、掴まれたままの腕を引っ張られて鉄板みたいに硬い何かに頬がぶつかった。

七海の胸板かっっった。

…………七海の胸板?


「せっかく同じ家にしたのに、まさかこれほど時間が合わないとは思いませんでした」


背中を温めるように大きな手が往復してる。
辛めの香水が鼻先をかすめた。


「やっと明日は休みが被ったんです。ゆっくりしましょう」


カリカリ、と。ジャージを脱いでタンクトップのままだった背中の、ブラのホックあたりを意図して引っかかれてる。

というかほぼ外れ、はずっ、──はっ!?


「相変わらず、二人きりだと別人のようですね」


フッと吐息が耳にかかって、熱くて、お互い汗をかいているのがなんか、エッッッ……。


「可愛い人」


むりむりむりむりむりむり。鳥肌立った。あの声で口説かれるのむりむり分からんナニコレなにテロお色気テロこういうキザっぽいのは苦手なんだむりむり分からんむりむりむり。


「むり」
「ウッ」


全力で押し除けたら逃げられるって流石特級だなって思いました。

……特級術師って冗談じゃないんけ?











まーじで特級やんけ。

段ボールが半開きで放置されまくってる私室の、妙に綺麗なテーブルの引き出しから社員証みたいなのが出てきた。目が死んでる私の証明写真の左上についてる○特。こんなん乙骨パイセンでしか見たことないよ。恐々摘まんでいろんな方向から眺めてみてもやっぱり本物っぽい。綺麗すぎて持ち歩いてないのが丸わかりだった。警察手帳みたいに携帯義務ないのかな。補助監督さんに丸投げとか?

よくできたコスプレグッズを見てる気分でいじくり回していると、あるところで指の先がピッと切れる。「いっ」傷からカードに血がついた瞬間に、ブォンッと青い呪力が吹き上がった。カードを摘んでいた手のひら。ゆるく握り込まれてできた影から、丸めた茶色い紙がニュッと生え出した。は?

出てきたところをペタペタ確認してもなんもない。タネも仕掛けもない普通の手のひらだ。カードどころじゃねぇ。

一か八かで拾い上げた紙をゆっくり広げる。触り心地はゴワゴワ。脆そうな繊維質。まるで世界史の教科書で見たパピルスみたい。つかパピルスって植物の茎でできてたような?……種以外も出せる?

ヒエログリフだったらどうしよう、なんて不安は杞憂だった。普通に日本語というか私の字。汚ねぇ走り書きが我ながら通常運転って感じだ。


「取説……」


内容がすごくアレだったけども。



【術式:七種幻草術(ななくさげんそうじゅつ)(おかゆじゃないよ)】

【術師にはまず種が一つ与えられる。品種改良された現存種に類似しているが実在しない呪力でできた植物である。】

【種子が収穫できるまで育てることで調伏したと見做される。】

【調伏した種は呪力による実体化が可能になる。】

【種は全部で七種。それぞれ別の術式を持つ。】

【全ての植物は実体化とともに呪力を吸収し術師に供給する役割を果たす。】

【呪力のみならず血肉も好む。呪詛師以外の人には向けないこと。】

【絶対に人に向けないこと。】

【媒体は術師の体にできた影。地面にある影は媒体にはなり得ない。】

【七種といいつつ複数種交配したり実在する植物と掛け合わせたりするとなんか拡張術式みたいなのできる。がんば。】

【ジョウロは縛りみたいなもん。邪魔でも一応持ってて。】

【影が媒体なだけで禪院ゲロウザシャンシャンタンバリン。】

【五条悟が呪詛師落ちした場合速やかに領域展開すること。心中しとけ。】

【スギ花粉は全てを解決する。】

【ぶっちゃけゆーはくのクラマだよ伝われ。】

【ゆーはくはヒエイ派なんだわたしゃ。】

【いや、シシガミ様かも。】

【狐か鹿かハッキリして。】

【むり。】

【死ねねぇ。】

【疲れた。落ちます。】


──────【※※※、七海建人】



途中で飽きてんじゃないよ。

いろいろツッコミどころがありすぎてもうワケ分からんのだけど、あえて一つ言うとしたらアレしかない。


「自分、領域展開できるんすか?」
「まだ忘れてるんですか」


ビクビクッ。ガチで床から数センチ飛び上がった。部屋の入り口に髪を下ろした七海が立っていたんだ。しかも見たことのない上下黒スウェット。首にかけたタオルでガシガシ濡れた髪を拭いている。完全に風呂上りです有り難くございませぬ。

慌てて見ていた紙を丸めて手のひらに押し付ける。普通にヌルッと入って引いたけれど、もっとヤバいのに退路を絶たれている。こちとら片手でブラ外しされたんだぞ。

ヒシッと両腕で自分の体を掻き抱く。さっき逃げられたのはマグレで、相手が本気になったら私なんてまな板の上の鯉かもしれない。


「お風呂先にいただきました。次どうぞ」
「そう言って乱暴する気なんでしょ! 薄い本みたいに!」
「知らない構文を使うのやめてください。新書がどうしたんですか」
「うががが!」


薄い本が通じねぇ一般人!
一般人相手にオタクネタを振るアホ!
ハァ消えたい!
この場から消えてなくなりたい!

さっきとは別の理由で体を掻き抱く私。七海が本日3回目の深々としたため息を吐いた。


「あなたがリクエストしたんですよ。“今度頭がおかしくなったら全身に鳥肌立つようなことをしてくれ”と」


……なんですと?


「は、あ? それでブラ外すか?」
「前にハグで済ませたらあなたなんて言ったと思います? “この程度で正気に戻れたら苦労しないわ。七海は社会に出て何を積んできたわけ? 童貞なの?”」
「すいませんっした」


煽りよる。私じゃないけどクソ失礼のクソ煮込み。性格悪いよ私じゃない私。


「しかし、やりすぎたことは否めません。ムキになった方が負けと言いますし、露骨に性的接触を匂わせたこちらも大人気なかった。──すみませんでした」


俯き気味に目礼されて、もう見てられなかった。前の私と七海、人としての格が違う。無茶苦茶なリクエストに真摯に答える七海すごい。ホントすごいよ。

ポーズじゃなくガチで膝をついて土下座しかけたところ、「まあ」と続いた言葉にまた顔を上げた。


「私とあなたが先月から同棲を始めたのは事実ですが」
「ほへぇー」


そーなんだ。しらなかったなあ。

正座のまんま首を傾げてぼんやりする。同棲。一緒に住むこと。厳密には恋人同士が一緒に住むこと。

風呂上りの男性。タンクトップの女性。一つ屋根の下、何も起こらないわけもなく。


「乱暴される、乱暴される、エロ同人みたいに乱暴される……!」
「人を犯罪者扱いしないでください。ちゃんと甘やかす甲斐性はありますよ」
「童貞って言ったことゼッタイ根に持ってる!」
「当然でしょう」
「ひぇ」


幼女みたいな声しか出せなくなった私を、七海は問答無用でお風呂場に放り込んだ。

……本当に、私と七海は恋人同士なのだろうか。

というか今の状況ってなに。イセカイトリップ……なら七海と面識あるのはおかしいし、いきなり特級術師になれるのなんて乙骨パイセンくらいしかいないわけで。じゃあ私高専通ってたんか? 記憶にございませんが。その記憶がゴッソリ消えてるってこと?

トリップして高専通って、ってなったら十年くらい経ってるんじゃね。アラフォーにしては見た感じ歳取ってないし。今さらだけど七海に対してタメ口がなんか妙にしっくり来る。同級生? じゃあ十年来の付き合いか? 私、じゅじゅちゅかいしぇんに生まれ変わって前世と同じ歳まで生きたってことでFA?

風呂場で髪をワシワシ洗いながら考え事。捗りすぎてなんとなく正解に行き着いたっぽい。じゃあ、なんだろ。今まで生きてきた記憶がサッパリ消え去ってる理由って。鏡を見た感じ、ちゃんとスキンケアしてたんだろうなって美肌の割に目の下にクマがあるし、脂肪が落ちて筋肉質なのに肋が浮いてたりする。ニキビ痕とか毛穴がなくて肩凝りから解放されたのは非常にありがてぇのにね。ちゃんと飯食ってなさそう。ドラッグストアで買ったっぽいコンディショナーを髪に塗り塗りしつつ、七海に聞くしかないかぁと放り投げた。にしても七海の詰め替えボトルがインテリアで買ったお洒落な無地なの腹立つな。

どこを見ても七海のと自分(?)のが並んで置いてある空間。際限なくソワソワする。居心地悪いにも程があるでしょ。全身スッキリして使用済みタオルを洗濯機に放ったら中に七海の青いシャツが見えたし。生々しい……一緒の洗濯機で洗うの……どうして……。

数時間前まで漫画の存在だった人間と同棲て。そもそもじゅじゅちゅかいしぇんって最近一気読みしたばっかなのよね。ファンっていうほど詳しくないというか。あのメロンパンは絶対許さねぇけど。あ、特級なら心ゆくまでぶん殴れるのでは? よっしゃちぎって牛乳漬けにしてやっぺ。

適当にパッと髪を乾かすつもりが、妙にぶ厚い前髪に手間取られた。前まで適当に眉上まで切ってたのになぁ。特級の仕事忙しいんかな。

なんとか乾かし終わってスウェットにTシャツでリビングに行くと良い匂いが充満していた。お腹が鳴る。外は夕方で晩ご飯にしては早い。けど一仕事どころか任務二連チャンしてきたこの体にはご飯が必要らしい。


「作り置きですが」
「イイ男な上にイイ嫁じゃん……」
「前半だけ受け取っておきます」


人のご飯って久々。なんか感動しちゃった。いそいそと椅子を引こうとしたところ、テーブルの上に並ぶ皿に「ん?」と思考が停止した。


「七海さんや」
「なんですか。食べれないものでも?」
「イジメですか」
「は?」


本日のメニュー。赤身魚と香草のカルパッチョ、桜海老とキャベツのペペロンチーノ、ベーコンとモヤシと玉ねぎのコンソメスープ、フランスパンにアボカドトマトチーズのソースを添えて。ただしそれは七海だけで、私の方には赤身魚しかないカルパッチョに、桜海老オンリーのパスタとベーコンオンリーのスープ。使い切りの小さいバターまである。


「なんで野菜抜きなの……」
「あなた野菜嫌いでしょう?」
「は!?」


大好きだが!? 塩振った野菜で白米いけるくらい大好物だが!? ビックリ仰天な私に、同じくらい目を見開いた七海。しばらく呆然としてから、たまらずキッチンに足を向ける。冷蔵庫の中身は、作り置きタッパーの群れと、異質なオーラを放つ一角。ビタミンミネラル食物繊維を合わせたゼリー飲料。私の栄養源コレか?「肉もあまり食べないじゃないですか」嘘でしょどんな偏食なの。浮いた肋の理由が分かった気がする。魚介類だけで満足な栄養が取れるか。

漬物が一切見当たらない冷蔵庫。悲しい。

常備している浅漬けもそろそろ食べごろだった辛子漬けも、私が毎日かき混ぜてた糠床の壺だって見当たらない。シクシクと冷蔵庫を閉めると、次にキッチンにあるべきものが見当たらないことに気がついた。


「炊飯器は……?」
「白米食べるんですか?」
「我日本人ぞ!?」


白米のない生活なんて耐えられない!

しおしおとキッチンに座り込む私を、七海は憐むように見下ろしている。食生活は人生を豊かにするんだぞ。日本人の食に対する執着舐めてるのか。

お漬物が恋しい……私の糠漬け……。


「名前さんは、」
「糠漬け白米……豚汁……大根サラダ……」
「灰原のことを覚えてますか?」
「ごめん誰?」


急に記憶力チェックするんだもんな。ビックリしちゃうでしょ。

泣き真似を中止して見上げた先、七海はリビングの電気を背にしていて、逆光で顔が見えない。けれど口元がなんだか、なんだか……?


「一度家入さんに診てもらった方が良さそうですね。こちらの方から連絡しておきます」


──嬉しそう?

片膝をついて私を立たせた七海は、困ったような、戸惑っているような、なんかモニャッとした顔をしていて。よく分からないけど、テーブルに着くなり自分の分のキャベツとか玉ねぎとかをこっちによそってくれた。恵み、感謝、美味。うまうま食べる私。もそもそ食べる七海。最初は「七海って本当スペック高杉くんだな」て上機嫌だったのに、チラチラと向けられる視線がぬるいと言うかかゆいと言うか。いわゆる“好き好きオーラ”?ちょっと違う? まあそんな感じの好意的なものをいただいて、最終的に食事に集中するしかなかった。


「伊地知くんが確か糠床を持っていました。今度会った時に分けてもらえるか交渉しましょう」
「えっ、それは悪いのでは」
「美味しいらしいですよ」
「うわー悩むー」


あからさまに話題を逸らされた気がする。とりあえず乗っかっとくのがマナーな気がして、適当にヘラヘラ笑っておいた。

食べ終わった皿を私が洗って片付けて、緊張したわりに本当に何もなく寝る準備をして自室に戻ってきた。アッサリ別れたなぁ。やっぱブラ外しは巧妙な仕返しだったんだわ。疲れて重い頭を枕にダイブ。おやすみ3秒の2秒目あたりでフッと思い出したこと。


「ハイバラって、七海の死んだ同級生……?」


高専時代に任務で死んじゃったんだっけ。渋谷が強すぎて過去編飛んでるなぁ。漫画一回読んだだけじゃそこまで覚えてられないわ。

……私にとっては漫画でも、ここじゃ本当のことなんだ。

じわっと来た重みが睫毛にぶら下がって、おやすみ3秒ゆっくり目を閉じた。


明日はなんか思い出せてたらイイなと、気楽に。





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呪霊が見える人間は少なくて、呪術師になれる人間はもっとマイノリティだ。その縮図のように、見えるからと高専に入学した僕の他に同級生は一人しかいなかった。


「初めまして〜、よろしく伊地知さん」


茂餌木もえぎ名前さん。入学時点で既に二級術師だった彼女は、僕をさん付けで呼んだ。理由を尋ねれば「伊地知さんって顔してるから?」と逆に首を傾げられた。老け顔だって言いたいのかな。ほんの少し落ち込んだものの、悪意のないさん付けに何を言えるわけもなく。以降僕は「伊地知さん」と呼ばれ続けた。

名前さんは何か思うことがあるのか、名字で呼ぶと振り向いてくれない。「なーんかしっくりこないんだよね。下の名前で良いよ」と返され、自然と僕も名前さんと呼ぶようになった。

名前さんは微妙な立ち場の家の出らしい。呪術界の三つある古い血筋のうち二つがかけ合わさった家の末端で、ほとんど一般人に近いのに目を付けられているのだとか。


「加茂寄り派閥なのに術式がなんか禪院のパチモン臭いからね。やだねぇシーソーゲーム。ブランコ乗りてぇ」


この時の僕は、古いお家も大変なんだなぁとしか思い浮かばなかった。

大した術式も恵まれた体格も持たない僕は、早い段階で補助監督の道を決めた。同じ術師にはなれないと分かっても、名前さんはフレンドリーに話しかけてくれた。課題を一緒にやったり、お互い談話室で落ち合ってテレビを見たり、その日1日こんなことがあったと報告会をしたり。普通の高校生みたいなことを二人で体験した。二級術師と補助監督見習いでは任務が被ることなんて滅多になかったけれど、たまに一緒になった時は彼女の飾らない態度に励まされたものだ。


「あんね、見て見て。ウケるから」


最初にハードルを上げた後に重めの前髪を持ち上げた名前さん。自身の体にできる影から種を召喚する。前髪を伸ばしているのは影を増やす意味合いがあるらしい。現に持ち上げた前髪の裏から黒い種が落ちてきて、すぐに名前さんが右目でウィンクした。

種が吹っ飛んだ。

すごい勢いで飛んでった先に呪霊がいて、被弾した瞬間に大量の蔦が呪力でできた体を覆い尽くす。二級だったのに僅か1秒での祓除。圧巻だった。


「ウィンクで攻撃とか夢があるよね〜。イイオンナ気分ってやつ?」


なのに言ってることは暢気の一言で。強力で規格外な術式を持っていても、遊び心を忘れない人だと思った。

そんな名前さんは、僕よりも二年の先輩方と組むことが多い。


「あれ? 伊地知たちのおかず多くない?」


寮の食堂でご飯を食べていた時、二年の灰原さんが僕たちのそばまでやってきた。遅れて七海さんがトレイを持って歩いてくる。お二人も食事をしに来たらしい。四人がけのテーブルの、名前さんの隣に灰原さん、僕の隣に七海さんが座った。


「僕らのにその漬物ないよね」
「あの、コレは名前さんの糠漬けで」
「え! 名前漬物作れるの!?」
「えへん、マイ糠床持ってんすよ」
「すっごー!」


「騒がしくしてすみません」七海さんに謝られて恐縮してしまう。いえいえと首を振ると、一つ頷いて味噌汁をすすった。落ち着いている人だ。向かいでは名前さんと灰原さんが白米に合うオカズについて白熱している。対照的なお二人だな、と糠漬けを一口。はじめはあまり食べ慣れない味だったのに四ヶ月で舌がコレを求めるようになってしまった。


「良いなぁ。ちょっとちょうだい」
「灰原、後輩にたかるなんて卑しいですよ」
「あーそっか。ごめんね名前」
「んー、今度にしましょっか。今とっておきの漬けてるんですよ。トぶぜ?」
「なにが?」
「白米が」
「最ッ高ー! たのしみー!」


隣からため息が聞こえて苦笑する。デコボコな二人で、それは僕たちも同じかもしれない。けれど不思議と上手くいっていて、楽しかった。

ここがどんな世界なのかも忘れるほど、楽しかったんだ。

それから程なくして、名前さんと灰原さん、七海さんが任務に出かけて行って、二人しか帰ってこなかった。灰原さんは任務先で殉職した。遺体すら残らずに、僕たちは空っぽの棺に手を合わせた。


「約束守れなかったなあ」


名前さんはいつも通り、暢気にお漬物の話を振ってくる。灰原さんが亡くなる前と変わらずにヘラヘラ笑って、課題を片付けて、談話室でテレビを見て、ご飯を一緒に食べて。七海さんは人がいるところに来なくなった。食堂に姿を現さなくなって、名前さんが任務で積極的に話しかけに行っているらしい。

気不味くないのか、と尋ねた僕に、名前さんは心底不思議そうだった。


「こういう業界じゃないの?」


そんな覚悟もないの?と呆れられているみたいで、被害妄想だと分かっていても彼女の顔が見れなくなった。

親しい友人だった。
たった一人の同級生で、善い人だと思っていたんだ。

──呪術師にとって、善い人とはなんだろうか。

件の任務で名前さんは一級術師に推薦され、準一級に昇級。それから学年が上がって一級術師になった。その間に三年の先輩が呪詛師に認定されたとかで高専内の空気は重々しい。僕にできることなんてたかが知れていて、それでも何かしなければと躍起になった。

僕が補助監督の仕事を覚えている間にも、名前さんは特級が抜けた穴を埋めるために忙しく飛び回っていた。高専に戻ってきても、四年の先輩の元に足繁く通っていて時間が合わない。課題もしない。テレビも見ない。一緒にご飯も食べない。

名前さんの糠漬け、食べたいな。

ふと恋しくなった気持ちが通じたのか、ある日、大事そうに壺を抱えた名前さんが男子寮を訪ねてきた。


「しばらく海外に行く。適当にかき回しといて。毎日ね。中の腐る前に食べて。よろしく」


久々に面と向かって話した。名前さんは朗らかだったり軽薄だったり多様な笑顔を持っている人だけれど、その表情を笑顔だとは思いたくなかった。

僕はやっと、やっと理解した。

名前さんだって傷付いていた。ただ表に出さなかっただけで、誰かの死を悲しむことができる人間だ。傷付いてないと誤解したのはあまりにもいつも通りだったから。悲しんでいるはずだと決めつけて心配していた人がヘラヘラ笑うのが、ショックで、グロテスクで、──気持ち悪かったんだ。

だって、僕はずっと、彼女は灰原さんのことが好きなのだと思っていたから。

糠床をかき回す。茄子を取り出して、水で洗って糠をとる。おっかなびっくり包丁で切って、ヒョイとつまみ食い。しょっぱい。酸っぱい。何が違うんだろう。同じ糠床で作ったのにどうしてこうも味が変わるんだろう。

この茄子みたいに、彼女の気持ちも漬けすぎてしまったのか。

誰も気付かなかったから、しょっぱくて、酸っぱくて、誰も食べれなくなってしまった。

放って置かれた彼女の気持ちは、歳を経るごとにじゅくじゅくと崩壊して行った。海外任務から帰ってきた名前さんは僕に預けた糠床のことを忘れていて、久しぶりに食堂で一緒に食事を取ったら、白米が食べれなくなっていた。「食欲なくてさぁ」ヘラヘラとしている割に、青白い顔をしていた。あんなに食べることが好きだった彼女が、乱雑に箸を置く。

僕は彼女と食事を取るのが怖くなった。



>>>>>>>>



彼女を避けた。



>>



補助監督としての仕事に慣れてきて、五条さんの無茶振りにもどうにか対応できるようになった頃。私は久しぶりに彼女の担当になった。


「……お久しぶりです」


特級術師、茂餌木名前。四人しかいない特級。二人目の女性。実質日本呪術界を支えている二人のうちの一人。


「久しぶり〜。卒業して以来? スーツ似合ってんじゃん。よろしく伊地知さん」


薄らと化粧を施した彼女は、ずいぶん静かな人になってしまった。一見タートルネックのようなピッタリとした上着にゆったりシルエットのジャージ。手には見覚えのないジョウロを持っていてどうにも邪魔そうだった。それでも懐かしい呼び名で私に微笑みかけてくれる。

詰めていた息がゆっくりと抜けていく感覚。良かった、あの頃の面影が残っていて。糠床のように自分も忘れられていなくて。車を運転して、帳を下ろして、帰ってきた名前さんに「お疲れ様です」を言って、その日は無事に終わった。

だからこそ、その後のインパクトが大きかったのだろう。


「誰?」「アレ? 伊地知さん若返った?」「……?」「話しかけんなや」「ぅぁぇあぅあえぁいいいあぅ」「この資料なんすけど。……なにか?」「ぶはははッ」「伊地知さんおつおつ。今度飲み行こうぜ」「あ"?」「じゅれーのじゅはじゅれのじゅ」「たーまやー」「えっと、人違いでは?」「たひゃなーこるみつ」「伊地知さんの若白髪みーっけ」「誰だっけ?」

「ごめん誰?」



突然笑い出したり、表情がゴッソリ抜け落ちたり。私の名前が分からない、私のことが分からないくらいならまだ良くて、それどころか言葉を話すのすら覚束ない時もあって。なのにこちらの話す言葉はちゃんと理解できている。母音しか喋らない、意味が通らない言語を喋っても、任務はちゃんとこなすのだ。

いっそ全て狂っていたなら諦めもついたのに、時々昔のヘラヘラとした彼女が帰ってきて私を食事に誘う。相変わらず白米を食べれず、最近ではあんなに好きだった野菜もダメになったとかで、刺身とビールばかり口にしていた。こちらが吐きそうだった。

灰原さんの死が、どれほど彼女を追い詰めたのだろう。







高専の頃よりも莫大に膨れ上がった呪力。謎のジョウロ。呪力を食べて術師に供給するばかりだった植物たちが“いつの間にか”獲得していた術式。頭がおかしくなった名前さん。

無関係とは思えないアレコレ。特級として忙しく飛び回る彼女にカウンセリングを受ける時間はない。だから仕方ない、と見て見ぬふりをしてきた。それも潮時だ。

どうにかしなければ。どうにか、とは?

煮詰まった思考を打破すべく、私は思わず七海さんに相談してしまった。


「分かりました。私がどうにかしましょう」


まさかどうにかの仕方が同居だなんて思わなかった。

だって名前さんは灰原さんが大切だったわけで、七海さんは灰原さんの友人だった。その二人が同じ屋根の下なんて、それは、──善いことなのだろうか。

破れ鍋に綴じ蓋はフィクションの中の話だ。たとえ双方に疾しいことがなかったとしても、心配してしまうのは止められなかった。今までのとは別の意味でハラハラソワソワしてしまう。いや、ちゃんとした七海さんに限ってそんなこと……しかしお二人も大人だし……はわ……。

気になるのは止められないが、二人が同居してから名前さんの遅刻が減り、顔色も少しマシになってきた。人の名前や関係性を忘れることはあっても前のように暴れたり攻撃的になることも減った。とても良い傾向だ。久しぶりに諸手を上げて歓迎できる変化が、嬉しくて嬉しくて。

二週間が経って、二人の同居に対する不安はほとんど消えかかっていた。

糠床をかき回す。どんなに忙しくとも一日一回。毎日かき回しに家に帰ってくる。白くなったり黒くなったり、カビが生えたかけた時の対処法だってもう完璧だ。名前さんのあの糠漬けの味だって再現できる。再現できるうちは、あの思い出が都合の良い夢でないことを実感できた。

名前さんと七海さんの任務後、諸々の書類を提出して一時帰宅した時間にちょうど電話がかかってきた。──七海さんからだった。


「名前さんが、糠漬けが食べたいらしくて……伊地知くんはまだあの糠床を持ってますか?」


駆け巡る。一年生の頃、無邪気な名前さんが灰原さんと並んでご飯をモリモリ食べる光景を、鮮明に、酷薄に。そういえば灰原さんは米が好きだったな。元気な二人を目の前に、私はゆっくりお味噌汁をすすって、七海さんは綺麗に魚の骨を取り除いていた。


『よく噛めば食べれますよ〜、カルシウムカルシウム』
『あなたほど強靭な喉はしてないもので』
『七海、ご飯と一緒に飲め込めばいけるよ!』
『それは……むしろ骨が抜けなくなって危険だと聞きました』
『マジ? 伊地知さん詳しいね。骨シャリスト?』
『ベシャリストみたいな?』
『黙って食べれないのか』
『食事はコミュニケーション!』
『そーだそーだ!』
『はは……』

「────はは、」


そんなことが、あったなぁ……。

思い出を噛み締める。走馬灯のようにたった一瞬で頭の中が暖かいものに満たされた。

私こそ、いっそ全部忘れてしまえれば楽になれると思ったのに。たったの一言、されど一言。彼女の口から糠漬けの話が出たと聞いただけで──。



『今とっておきの漬けてるんですよ。トぶぜ?』

「もちろん。 とっておきの・・・・・・を漬けてますよ」



悪いことばかりじゃないと、簡単に希望を持ってしまう。




***




朝だ。せっかくの全休にいつもの時間に目が覚めてしまった。

頭をかきながらのっそりとベッドから抜け出す。二度寝をするにはなんだか落ち着かない。昨日から心臓あたりが特に。その原因は分かっている。


『ごめん、誰?』


名前さんが、やっと灰原を忘れたから。


「……何してるんです」
「あ! ぁ、おお、おはようございます」
「おはようございます」


何を動揺しているのだろう。いや、動揺しているのはお互い様か。

引っ越してきて初めて名前さんが私より早くリビングにいる。ジャージでもスウェットでもない、ちゃんと外に出られる格好をしていた。緩いシャツワンピースにスキニーを合わせたなんてことない普段着。前髪をピンで留めて、髪はちゃんと梳いて結んである。どこにでもいる女性のように、オーブントースターの前で中のトーストを真剣に見つめていた。


「高そうなトースター買ってんのねー。高そうついでに高級なトースト作ってやろっかなーと」
「市販の食パンしかありませんよ」
「高級にする魔法があるんだよ。じょーずに焼けましたぁってね」


ふふんと得意げな声を出す名前さん。

ああ、今のはこっちを見て言ってほしかった。こんなに気が置けない会話は高専の時以来で。二十代の半ばを過ぎた大人二人が、肩を寄せ合ってオーブントースターの小窓を覗き込んでいるこの瞬間が、──堪らなかった。


堪らなく、幸せだった。




群生pH1.5
読み方は「ぐんじょう/ぺーはー/いってんご」
勘違いギャグのつもりで書き始めたんですが、あまり勘違いしてないような?


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