赤い実、断面



※名字は勘解由小路かでのこうじさんです。
※京都弁偽物でも大丈夫な方専用。
女の皮を被ったプニカの主人公のifのつもり。繋がりはないので単体で読めます。


男女平等が唱えられる社会の中で、母は強い女だった。共働きだったのは家計が苦しいからではなく仕事が好きだから。バリバリ働く自分が好きで、女でも男と同等以上にやり合えることが楽しかったらしい。

『アンタも手に職つけなきゃだめよ。男に養ってもらおうなんて考えないで』

小学生からそんなことを言われてきた。父は母よりも自己主張は少なかったが、ここぞという時には厳しい人だった。公序良俗に即して叱ることはあっても褒められることはない。二人は夫婦という形を取ったビジネスパートナーで、家族は血縁のある会社。私はさしづめ平社員かパート従業員に違いなかった。母が言う勉強を頑張って、父が言う心構えを理解して、父母が望むように振る舞って。二人の選択に間違いはなくて。分かりにくい過保護の元で、食うに困らない生活のレールを用意してくれていたんだと思う。

私は選ぶこと、決めることが苦手になった。父母に選択肢を委ねて甘えて、言うことを聞いていれば上手くいく生活に慣れきってしまったんだ。

だから、いつの間にか死んでいて、いつの間にか知らないうちの子になっていた今。私はものすごく戸惑ってしまう。

新しい母も気が強いし、新しい父も自己主張が少ない。けれどパワーバランスは確かにあって、父が偉くて母は偉くない。家の中では偉くない母も、外では偉い人らしい。父は言わずもがな偉い。偉いがゲシュタルト崩壊するくらい偉い家の偉い人たちに手放しで可愛がられる子供として生まれてしまった。こちらの父母は前世と比べてわかりやすく親バカだった。

何が欲しいか。
何が嫌か。
何をしたいか。
何をしたくないか。

いちいち聞かれて選択肢がたくさんあることがとても疲れる。

そしてもっと戸惑ったのは4歳の時。勝手に自分の影が蠢いて、白い仔犬がワンとじゃれついてきたのだ。


「十種影法術……!」


なんて?




***




白玉しらたま玉黒ぎょくろ


狼みたいに大きくなった白黒の二匹が仔犬の時と同じように擦り寄ってくる。手のひらに鼻を押し付けたり、腕の下に入ろうとしたり、ほっぺを舐めようと肩に前足をかけてかけてきたり。お化粧を舐められるわけにはいかないと抵抗。最終的に押し倒されそうになったところを、背中を誰かが支えてくれた。

ハッとする。ここは私の住んでいるマンションでも実家のリビングでもない。


「えらい元気なワンちゃんやなぁ」


これから婚約者になる人のご実家だ。


「す、すみません。ぶつかってしまって、すぐに戻しますね」
「ええよ、出せ言うたのはコッチや。出しとき」


そうは言っても……。迷っていると白玉も玉黒もクゥンと悲しそうに鳴くので、お言葉に甘えて出しっぱなしにする。絵に描いたような日本家屋の廊下に爪の音が響く。大丈夫かな、弁償しろって言われないかな。

禪院さんというおうちは私の遠い遠い親戚に当たるらしい。ひいおばあちゃんかそのお母さんが禪院さんちから嫁いできて以来のお付き合いだとか。禪院さんちの家業関係でうちが口利きをしているとか。じゃあ禪院さんちの家業は何って話で。

どうやら呪いやお化けは実在するらしい。

なんというか、フィクションの忍者は実は世を忍んで生きているんだよと言われた気分だ。そしてその忍者みたいな存在が禪院さん含む呪術師の皆さんで、そのくくりに私も入ってしまっているらしい。

カチカチ爪を鳴らしながら廊下を歩く白玉と玉黒。この子たちも呪いが形になったモノなんだって。こんなに人懐っこいのに。白玉はお腹を上にヨダレ垂らして寝るし、玉黒は骨のおもちゃを壊してしょげる子なのに。

影から出てくる動物に呪いのお化けを倒してもらう能力、術式? は禪院さんちの血筋でたまに出るもので、これがあるから私は禪院さんちに嫁ぐ。決定事項だとお母さんには泣かれてしまった。お父さんもめちゃくちゃ怖い顔してた。

『隠し通すことは難しい。バレた途端に誘拐よろしく連れて行かれて人権侵害を受けるかもしれない。ならばいっそ、初めから存在を明かしてこちらに有利な条件を取り付ける。オマエが苦労することはない』

待って誘拐とか言った? 人権侵害? 平成の世にそんな家があるの? そんなところと繋がりがあるうちってなに?

ゾッとしたものの、決定事項なのは変わらず。私は短大を卒業後に二十歳で禪院さんちに婚約者として花嫁修行に行き、二年後に正式に嫁入りすることになった。

私は今日、初めて禪院さんちに足を踏み入れた。


「遅いと思えば……何故お前が勘解由小路かでのこうじさんと一緒にいる」
「案内してたんよ。迷子になったら可哀想やろ。な?」
「は、はい、とても助かりました」
「ほら」


ずらぁーーーーーーっとサイドに並んで座る袴姿のおじさんたち。一段高い上座に座るのは赤ら顔のお爺さんで、そこから四畳分離れて置いてある座布団が私の席らしい。今日はお見合いで、私の婚約者の人との初対面という話だったのに。大河ドラマで見たことがある将軍様の謁見みたいになってる。おじさんたちからの視線が刺さる刺さる。一番刺さっているのが隣のお兄さんなんだけども。

「ほな」と軽く手を振られてお兄さんは空いてる座布団、上座から一番近いところに座ってしまう。え、偉い人だったの!? 玄関で会ってから普通に道案内をさせてしまった。なんて失礼なことを……。

際限なく落ち込みかけたけれど、ここが一応お見合いの場であることを思い出す。「戻って」流石にこの畳の上を歩かせるのは躊躇われて、二匹を影に戻した。部屋中からじっとりと見られてる感覚。鳥肌が立った。

大丈夫大丈夫。親戚のおうちにお呼ばれした時だってポーカーフェイスができたんだし。禪院さんちも親戚の家だし。敷居を跨いで座布団の横に移動。その場で正座して深々と頭を下げる。顎でしゃくる形で座布団を勧められてやっと腰を落ち着かせた。

成人式の時とは別の、落ち着いた赤い振袖と、完全武装状態のバッチリメイク。黒髪は清楚に見えるようにまとめてある。今の私はお母さんからの遺伝が強すぎて、美人だけどどうもキツイ印象が抜けない顔立ちだ。だからなるべく緊張せずに、怖い雰囲気にならないよう表情を緩めて、母直伝のお話するときの笑顔を浮かべる。


「勘解由小路名前と申します。本日はお招きいただきありがとうございます。ご当主様におかれましては、直々にこのような場を設けてくださったばかりか、わたくしなどにお時間を割いていただき望外の喜びに、」
「堅っ苦しいのは無しだ。本題に入れ」


本題に、入れ? 入れって……。


「本日は禪院家と勘解由小路家のお見合いだと聞き及んでおります。わたくしの婚約者はどなたでしょう」


見合いってか見せ物なのよね、これ。

ジロジロジロジロと見られっぱなし。なんでも鑑定団じゃないんだが。


「好きなのを選べ」
「……わたくしが、ですか?」
「そのための場だ。選べ」


え、えーーーーっ! 困るーー! 選べ言われるのが一番ツライ。たくさん人いる中で一人選ぶのとか拷問。むりむりむりむりむりむり。勝手に向こうがマッチングしてくれるんじゃないの? それがお見合いでしょうお見合い詐欺だお見合い詐欺!


「わたくしが選ぶなど、とても……」


動揺をなんとか抑え、絞り出すようにやっと返事した。ご当主様は大きく息を吐く。離れているここからでも酒臭くてビックリした。


「勘解由小路の条件は、次期当主の歳が近い男なら誰でもと聞いている」
「歳が近い、といいますか……。母より歳下ならわたくしは気にしません」
「は? じゃあなにか。甚壱くんみたいな顔でもええんか?」
「直哉」


半笑いの声が横から入ってきて、さらに別の誰かが咎める声を上げる。直哉と呼ばれたのはさっきまで一緒にいたお兄さんで、初対面のにこやかな雰囲気とは別の、なんだか嫌な感じのする表情をしている。というかジンイチくんだれ。


「容姿は関係ありません。……そうですね。暴力を振るわない、話が通じる方ならどなたでも」
「ほぉーん」


なんだろう。本格的に居心地が悪くなってきた。

すごく近代文学の世界っぽい。明治大正の文豪の小説。推理小説とかあのあたりの空気。やだ人が死ぬじゃん助けてお母さん。穏便に誰かに当てがってくれ頼む……頼む……。


「フン、まあ良い。──勘解由小路のとこの一人娘だ。丁重に扱え」


室内をギョロっと見渡してからご当主様は出て行ってしまい、それに続くようにぞろぞろとおじさんの列が出て行く。残ったのは私一人と、後から入ってきた知らない女中さんだけだった。

……結局、私の婚約者だれ?



***



花嫁修行とは?

首を傾げる毎日が続いている。

真っ先に思い浮かべたお料理や掃除やお洗濯はお手伝いさんがたくさんいて必要ないと言われた。花や琴や舞踊も、呪術師の家系として必須ではない。なら必須である武道みたいなことをやるのかと聞けば「怪我をさせるわけには……」と渋られる。やることがない。

用意されてたお着物を着てボケーッとお部屋で本を読む日々。テレビもないし、スマホはなんだか電波が悪い。たまにお庭で白玉と玉黒とお散歩して良い日もあるけど稀。お食事だって一人だし、女中さんは年嵩の方以外は話し相手になってくれない。やることといえば禪院さんちの家系図とお写真を見比べて顔と名前を覚えることくらい。これで驚いたのはお手伝いさんが連れてきてると思っていた下働きの子供が禪院さんちの子だったこととか。本家分家のアレかと思えば、実力があるかないかの話だった。弱肉強食ぅ……。

上げ膳据え膳で尻の座りが悪い。女中さん以外に誰も会わないのにちゃんとお化粧して綺麗な着物着て崩れないように気を使っている。これが結婚してからも続くのかな、と思うと憂鬱になった。

そんなある日。


「俺と結婚しろ」
「はい?」


知らない人に腕を掴まれて知らない部屋に押し込められた。

いや、知らない人ではない。確かご当主様の御子息で、直……なお……忘れた。直毘人様の直の字を受け継いでらっしゃる兄弟だらけで覚えきれないのもある。最初に覚えたのに後から詰め込みすぎて抜けたパターン。とにかく禪院さんちの人なのは確定なのだけれど。


「お待ちください。わたくしの一存で、そのような、」
「俺の一存なら通るんだよ。大きい顔して家にいたいなら俺のモノになれ」


こんなときめかない求婚ある?

無遠慮にすりすり顔を触られて、気が付いたら着物の合わせに手を入れられてる。帯がギチィッ!て変な音が出るほど無理やり開かれて両肩が晒されてしまった。なにこれ、なに、なに? 貞操の危機? 昼間っから? ここで!?


「あらら、どないしたの兄さん。とうとう人間やめて猿になる練習始めたんか?」
「な、直哉」


パニックになる間もなく固まる私。
パッと向かいの襖が開いて、初日に会ったお兄さんが。


「偉くなったもんやね。兄さんの一存で勘解由小路のお嬢さんを傷物にできるんか」
「いや、なんのことだか俺はさっぱり、」
「禪院が勘解由小路の恩恵を受けれんくなったら、全部ぜんぶぜぇーんぶ兄さんのせいやんな。

────おどれが死んで責任取れるか?」


直……様の背中で見えない顔が絶対にヤバい怖い顔だということだけは分かった。馬乗りになっていた体がぶるりと震えて、ほとんど這うように部屋の外へ逃げていったから。


「堪忍な。兄さんには俺からちゃーんと言い聞かせとくから」


か、軽い……。

語尾に星でもついてそうなテンションで形だけ謝って来る。こっちは胸見えかけてるのに。いそいそ着物を引き上げても帯は元に戻らず。どうしようか途方に暮れていると、「誰か呼ぼか」と踵を返した。その一歩目で、私は思わず袴の裾を引っ張ってしまった。

あ。


「す、すいません。急に、失礼しました」
「……怖かったんか?」
「へ」
「よぉ知らん男に乱暴されて、女の子は怖いやろな。それもあんた、暴力きらいやろ」
「え、あ、あの……?」


目の前にしゃがみこんでニッコリと笑みを作る。近くで見ると整ったお顔立ちで、でもピアスだらけの耳がちょっと怖い。なにより雰囲気が謎に圧がある。小学校のいじめっ子を思い出して背筋が勝手に震えた。こっちが先に引き留めたのは重々承知で、ちょっと離れてほしいなあ、なんて。言えるはずもなく、戸惑っている間にもゴツゴツした手が私の顎を鷲掴みした。


「名前ちゃん、綺麗な顔しとるね。こりゃ兄さん方どころかうちのおっさん共が放っとかんわ。こういうことがこれから何度もあるやろね。かわいそうになあ」


さっきの直……様といい、このお兄さんといい。すごくナチュラルに人の顔を触って来る。日本的なお屋敷とは反対にスキンシップ激しいおうちなのかな。私としてはファンデーションが手につかないか心配なんだけれど。キョドキョドしてしまう私に、許さないと言わんばかりに手の力が強くなる。

顔は笑っているのに目は笑っていないお兄さんは、名案とばかりに一つ頷いた。



「俺が守ったる」



「よろしく、おねがいします……」しか言えなかった。




***



お兄さん、改め直哉様が頻繁に会い来るようになったのは夏に差し掛かった最近だ。

守ると言ったわりにあまり守ってもらえるような場面には出くわさない。良く知らないお姉さんに怖いこと言われるか、ご当主様のご兄弟らしきおじさまの世間話に付き合うくらい。それも最近はぱったりなくなって、直哉様と二人でお庭で白玉と玉黒の散歩をしたりする。


「ほんまになぁーんも知らへんね」
「お恥ずかしながら」
「ええよ。禪院の相伝秘術がほいほい喧伝されなくてホッとしたわ」


影から動物を出すことくらいしか知らない私に、直哉様は分かりやすく説明してくれた。順番に出せる動物が決まっていて、戦って勝ったら仲間にできるポケモン方式らしい。「ワンちゃん以外に何が出せる?」と聞かれ、「でっかい蛙なら……」と言った時の爆笑はすごかった。涙が浮かぶくらいお腹抱えて笑うんだもの。「蝦蟇止まり……二番目やん……ッ!」でっかい蛙怖くない? 蛙は大丈夫でもでっかいのはちょっとってならない?


「可哀想にな。男に生まれてたらいいとこまで行けたかもしらんのに」


ひとしきり笑って、目尻に浮かんだ涙を払った後の御言葉だ。

なんというか、直哉様はちょくちょく含みのあることを言ってくる。プライドが高い方なのかな、と首をひねったのは一瞬。大きなおうちのご令息ならプライドは高くてなんぼだろうと納得もする。私なんてそこらへんは前世から変わらず底辺だしね。


「いやぁ、男とか女とか関係ないですよ」


軽口のつもりだった。


「、どういう意味?」
「いえ、私はこういう性格なので、性別が違うくらいじゃ変われないと思います。結局何もできないんじゃないですかね」
「そやね」


思いの外あっさりと肯定され、納得半分悲しさ半分。やっぱり自分の駄目さを人に分かられているのは恥ずかしい。たとえ本当のことだとしても。「あはは……」なんて自虐的に笑っていた私は、


「でも、名前ちゃんは女やん」


思いの外至近距離から聞こえてきた低い声に、喉からヒュッと変な息を吐いてしまった。


「男にはできなくて女にはできることあるやろ。それ頑張ればええねん。なぁんも卑下することないで。そこら中に落ちとる論外とは比べられんくらい、君はすごいんやから」


…………ああ、なるほど。

直哉様が言いたいのは、お母さんが言っていたアレだ。嫁いだ女の身の振り方。幸いお母さんは私しか産めなくても、お父さんの家系は実力主義で、従兄弟がたくさんいたから許されたけれど。禪院さんちは男の子を産むことが絶対で、強い子ならなお良しってことなんだろう。本当に大正時代の小説みたいな価値観で逆に面白くなってきた。

そもそも、私って前世からこういう政略結婚っていうのに憧れてたんだよね。楽そうでいいなあって。前世のお母さんが『一人で生きていけるように』って人だったから、逆に誰かに寄りかかってもいい関係というか。誰かに言われたことだけ頑張ってればいいって環境がいいなって。恋愛とかあんまり得意じゃなかったし、旦那さんや義実家の言う通りやってくのが性に合ってそうだなあと。

だから禪院さんちは、やることがないのさえどうにかなれば結構私の願望に合ったお家かも、と最近思い始めてきたんだけど。

一個だけ不安なのは。


「直哉様に褒めていただけるのは嬉しいんですが、もっと根本的なところといいますか」
「ん?」
「私の婚約者ってどなたなんでしょう?」


そこなのよね。

春先にお邪魔してから季節が変わってもまだ教えられてない。一番話しているのは直哉様とお世話係の女中さんっていう良く分らない生活。早く決めてほしいけれど、女中さんに聞いて困らせたのは反省したし、ご当主様に直接聞きに行くのも失礼だしなあ。


「そんなん一人しかおらんよ」
「えっ、直哉様はご存知なんですか!?」
「ご存知って。言わんでも分からん?」
「ご当主様から正式な御言葉をいただけていないので、私が勝手に言い出すのは筋違いかと」
「筋違いも何も、そういう話を持ち掛けたのは勘解由小路やろうが」


急に強くなった語気。直哉様はビックリするくらい冷たい目をしていた。


「あんたが早よ決めんから家中の男どもが面倒臭なってんねん。“次期当主の許嫁”をええように解釈して、あんたと結婚すれば禪院継げる言うアホが湧いとる。ええ加減にしてほしいわ」


そ、そんなことを言われても……。

禪院さんちで直接お会いした男の人って、初日を除いたら直哉様と直……様と、使用人さんや庭師の方くらいしかいない。

そもそも父母が出した条件に“次期当主”が入ってたから、私はてっきり最初から決まっているものとばかり思っていた。


「じゃあ、あの、まだ次期当主の方は決まってないんですか?」
「俺や」


即答。おれや……直哉様が?


「禪院家の次期当主は俺。あんたは俺のお嫁さん」


「分かったか?」と聞かれても、素直に頷けない自分がいる。じゃあなんで初対面の時にご当主様から紹介されなかったの?って話で。正式に言っていただかないと分からないというか。あと圧が強すぎて怖いというか。


「なんで“はい”が言えへんの?」


秒速で頷いてしまったのは仕方ないと思う。




***




季節は秋になっていた。

相変わらずやることもなく、たまの散歩で気晴らしをしつつ読書にふける日々。……と思いきや、やってもいいことが少し増えた。お料理とお茶だ。直哉様の口利きで女中さんと厨房の人にお願いして細々と習っている。実家では最低限の嗜みとしてでしか学べなかったので、興味深くもある。まあ、今まで習っていた家庭料理や洋食と和食は結構な異次元だったので、まだ四苦八苦しているけれど。たまに直哉様がやってきて、味見してくれる時もある。ちゃんと感想を言ってくれるのでちょっと嬉しい。

問題は、直哉様が本当に婚約者なのか分からないことだけれど。

ご当主様と直接の謁見は難しい。一度上の立場だろう女中さんに「直哉様は私の婚約者ですか?」と聞いたら黙りこくって帰ってしまったし、夏休みで帰省中の娘さんを紹介しに来た扇様に同じ質問をすれば、やっぱり押し黙ってしまった。扇様も娘さんも目を合わせてくれなくって、地雷を踏んだんじゃないかってしばらく震えて過ごした。杞憂だったんだけど。

どうすればいいんだろう。

春にやって来てからもう半年経った。花嫁修行が四分の一過ぎてしまっている。もしかして花嫁修行が終わるまで相手が分からないパターン? 結婚初日にお相手と対面? サプライズなんて私には荷が重いです。タスケテ……タスケテ……。

慣れと怯えが交互にやって来る。女中さんとちょっと仲良くなって楽しくお料理したり、最近テレビやスマホを見ない生活に慣れてきたなと実感したり。そんな中、いつも静かな禪院さんちが騒がしくなった。十一月に入ってから廊下をバタバタ走る音が聞こえる。何かあったのかと聞いても首を振るばかりで教えてくれない。私ってまだ余所者判定なんだ。どこかで「それはそう」と納得してしまったのはちょっと寂しかった。



「オマエは誰のモンや」



久しぶりに顔を見た直哉様は、私の部屋に入るなり積んでいた本を蹴り飛ばした。それどころか飾っていた掛け軸を破ったり、ちゃぶ台をひっくり返したり。見る見るうちに部屋が荒れて、私が座っている周りだけがぽっかり綺麗なまま。肩で息をするようにふぅふぅ言うのが、怒りを逃がそうと必死なようにしか見えなくて。見たこともないほど血走った目と目が合った瞬間、ゴツゴツとした拳が私目がけて振り上げられた。

殴られる。こういう時どうすればいいか分からなくて反射で目をつぶる。痛みはいつになってもやって来なくて、大きな音が廊下の方へこだましていくのを耳だけが理解していた。

背けた顔を元に戻す。始めに見えたのは直哉様の背中。次に歯抜けになった襖。廊下には大穴が開いた残骸が散らばっている。


「誰のモンや。早よ答え」


だれのもの?


「禪院家のもの?」
「ちゃうやろ」


もう一枚襖がダメになった。


「な、直哉様の、ものです」
「そやね。なんですぐ言わへんの」


もう一枚吹き飛んで、とうとう残り一枚になり、とっても解放感溢れるお部屋になってしまった。


「死んでも忘れるな」


こんなに余裕のない直哉様は初めてで、怖い怖い怖い心配の比率で頭の中がパニックになった。なんだったんだろ。

嵐が過ぎ去った後に扇様がいらして、部屋の様子なんか見えないと言わんばかりの無表情で話されたことは、ご当主様がお亡くなりになったことと、次期当主が直哉様ではない方に決まったことだった。

……えーっと、私はお父さんお母さんに次期当主に嫁ぐように言われていて、次期当主じゃない直哉様に嫁ぐことはできなくなったけれど、直哉様的には私は直哉様のモノで、つまり、その……?



「私、どなたと結婚すればいいんですか?」



誰も答えてくれなかった……ええ……。




***




平安時代の随筆に『歯痛で苦しむ美人は最高』などと記した女がいた。こういうことか、と妙に直哉は納得してしまった。

それとなく煽ってけしかけたポンコツの兄がまんまと襲って見せた後。自分のひと睨みで逃げていき、残ったのは着物を裸させた女一人。神経質そうな細い眉に、しっかりくっきり形が整った目鼻立ち。薄い唇は塗ってか塗らずか赤く艶めいていて、人の生き血を啜った後のようにも見える。

禪院家には不要な気の強さを伺わせる女が、訳も分からずアホヅラを晒している。きっと目尻に浮かんだ涙すら気付いていない。それが妙に幼くて、たわいない。えも言われぬ痺れが首筋に走った。

勘解由小路は禪院、引いては呪術界に置いてなくてはならない表社会とのパイプである。政界に直接口利きできる強いコネクションを持った旧財閥出身の勘解由小路氏と、警察上層部に顔が利く夫人。呪霊狩りや呪詛師との交戦で出た公共施設や公共交通機関などの被害補填、予防線の設置、一般市民への表向きの理由作りなど。数えればキリがないほど呪術界に貢献している家の一つだ。ゆえに、その一人娘が禪院家相伝秘術を持っていると知った時は、流石の禪院家もしばらく手をこまねいて見ているしかなかった。

程なくして勘解由小路家が条件付きで娘をやると言ってきて、老人たちは安堵したものだ。無理やり連れ去るには損害が大きすぎる。嫌がられた場合、相手を納得させるだけの材料がこちらにはない。『おたくの娘さんを優秀な母胎として引き取りたい』などと、流石の禪院家でも口に出して良い相手ではなかったから。最悪何人か呪って脅し取ったとして関係悪化は免れない。

とにもかくにも相伝持ちの女は禪院家に迎えられ、直哉の婚約者として二年滞在、後に正式に嫁入りする算段だったのに。


『好きなのを選べ』


クソ親父の戯言で話がおかしくなってしまった。

勘解由小路は『次期当主で娘と歳の近い相手を』と条件を付けてきたのだ。次期当主になれる実力があり、歳が一番近いのは直哉しかいない。ならば自分だろうと静観していたのに。固まった女が振り絞るように『誰でもいい』とか宣うので、余計に話はこんがらがった。

直哉は自ら女に選ばれる努力をしなければならなくなった。


「はぁ、めんど」


気に食わない。
女に選ばれるというのが特に。

ポンコツを使って恩は売れたが、気が進まないのは変わりない。初対面から下手に出た態度をしていたが、顔立ちから気の強さを隠せていない。いつかどこかで化けの皮が剥がれてマウントを取ってくるのではないか。そうなったら力で分からせるのが一番だが、初対面で面と向かって『暴力は嫌だ』と言われればそれも難しい。

どうやって女の立場を分らせてやろうか。


「私なんて、とても呪術師にはなれません。こんなに非力ですもの。直哉様と並ぶなんて考えたこともありません」


予想外に、女は見た目通りの女ではなかった。

気が強いのは顔だけ。迫力のある眦をしょぼしょぼと伏せ、細い眉をハの字に寝そべらせると、印象はガラリと変わった。生き血を啜るどころか血を見ただけで卒倒する勢いだ。何より自分の非力さを知っている。いや、知らなすぎているという方が正しいかもしれない。

十種影法術という禪院家の落伍者どもが喉から手が出るほど欲しい術式を、寿命が長いペットが出せるくらいにしか思っていない。しかも最初に無条件で与えられる玉犬だけ連れ、他は一匹とて調伏できていないという。これが笑わずにいられるかという話である。

二十歳の女の子らしい肌艶、一度も染めたことがないだろう射干玉の髪、痩せすぎず太りすぎないちょうど良い体型。直哉としてはもう少し乳が出ていた方が好みだったが、それはそれ。

いい母胎が手に入ったものだ。爽やかな笑みの下で冷静に品定めをしていた。そのはずだった。


『いやぁ、男とか女とか関係ないですよ』


打ち解けた頃合に、幾分か砕けた口調で女は言った。

それが女の本音で、正体だった。

あれは負け犬根性……ならぬ、飼い犬根性。躾けられて庇護されるのに慣れきったペットの思想だ。直哉の婚約者は男の三歩後ろを歩く女ではなく、先導する飼い主についていく犬っころだったのである。

伸び伸び育ったんやろな、と生温く見た。味も見た目も良い餌を与えられて、ドッグランで血統書つきの犬と遊んで、腕の良いトリマーさんに身綺麗にしてもらって、人間様と同じベッドですやすや眠る。そんな高級犬なのだろう。

直哉が思う女とは違うが、これはこれで良いのではないか。その日から直哉はペットを懐かせるように女の元へ通った。

どこからズレていったのだろう。


「直哉様、お仕事お疲れ様です。お怪我はありませんか?」

「直哉様、こんにちは。禪院家はお庭が綺麗ですね。うちでは見たことがないお花があって楽しいです」

「直哉様、今日は煮物の作り方を習ったんですよ。お腹に空きがありましたら、一口味見しませんか?」


俺が一級呪霊ごときに遅れを取るか。

花なんて放っとけばそのうち枯れるやろ。

味が濃い。もっかい始めから覚え直せ。

途中から普通に返事することが増えた。その度に眉をハの字にして、気が強い顔で気が弱い表情を作る。困ったような雰囲気のまま、決して嫌がらずに「はい」と返事する。それでもたまに、ほんの数回。邪気のない子供のような笑みを浮かべる時がある。


「庭師の方に菊とミナヅキを分けてもらって、実家でかじった生花をしたんです。ほとんど忘れちゃってたから、なかなか剣山に刺さらなくて……大変だったなあ」


幼さなんて微塵もない顔が、幼子のようにふくふくと頬を上気させて。柔らかく盛り上がった涙袋を親指で触りたくなった。「ふふ」と吐息が抜ける唇を、直に感じてみたくなった。どこでって、そんなん、


「直哉様?」
「……そりゃ、よろしいな」


なんも、どうでもよくないよろしくない









「伏黒恵を禪院家に迎え、同人を禪院家当主とし、全財産を譲るものとする。加えて勘解由小路家との約定をただちに執行すること」


「──────あ"?」




本誌138話だけの知識で書いた直哉夢でした。絶対に今後解釈が違ってくるので続きは未定です。以下申し訳程度の両想い時空。





「なにその格好」


アホか、と出かけた言葉を直哉は余裕で飲み込んだ。

許嫁が近場に散歩に行きたいと言うので、時間を作って玄関で待っていた直哉。男を待たせる女など、と一瞬イラッとしたが、廊下の角から現れた生っ白い足に「ぇっ」と珍しく意味のない声をあげてしまった。


「姉さん、あっ、親戚の姉さんが見立ててくれた服なんですけど、着ていく機会がなくて。せっかくだから直哉様に見てもらおうかと。えへへ」


えへへ、じゃないが。

上から、普段のまとめ髪と違ってゆるく巻いて下ろした黒髪、デコルテ全開のゆるふわニット、レザー地のタイトなミニスカート。そして生足。両手にはアイスピックかと疑うほど細長いピンヒールのパンプス。上半身はゆるい代わりに下半身がピッチリしており、お尻や足の形が丸わかりである。それが生まれつきの気が強そうな美人顔にドンピシャでハマっていた。

ドンピシャなのに、表情はやっぱり気が弱そうな仔犬というギャップ。


「ど、どうですかね?」
「えっ(っっっっろ)」
「えっ?」


アホは飲み込めてもエロは半分飛び出した。

普段着の袴に立襟シャツの自分と並ぶとアンバランスどころではない。たとえ一般人は通らない禪院家の敷地内とて浮くものは浮く。


「その靴、歩けるんか?」
「あ、あはは……」


なんやその笑い方。

いつもより濃い目のアイシャドー。キラキラした眦がキョドキョドと泳ぐ。直哉が軽く圧をかければ観念したように「歩けません……」と答えた。


「歩けへん靴履くなや」
「ぁの、姉さんが……腕に抱きつく口実にしろって……」


なんで正直にぜんぶ言ってしまうん?
口実じゃなくなるやろアホか?

内心では頭を掻き毟りたくなった直哉だったが、禪院家次期当主はポーカーフェイスなどお手の物。むしろ普段より聖人のような悟りの表情で「いこか」と囁いた。名前は犬のようにとてとてと玄関まで近付いてきた。

見れば見るほど、目に毒な足だ。あまり日の下に晒したことがないのか、それとも直哉の目がバグったのか発光して見える。これは人の目に晒して良いものか? むしろ俺は自分以外に見せてもええんか?


「姉さんの趣味どないなっとんの」
「あ、あの……えへへ……」


嫌な予感。やっぱり今のなし、と言いかけたところで、名前は上目遣いで直哉にトドメを刺した。


「直哉様、お胸が大きい方が好みなんですよね? 私、もう成長期は終わってるので無理ですから、せめて勝負できるところは見せときなさいって、姉さんが……」


『俺、乳デカい女が好きやねん』

言ったね。かなり前に言ったね。

直哉は黙って天を仰いだ。因果応報とはこれこのように突然背後から刺してくるものか。


「あ、履けました! 行きましょう!」
「おう」
「あ、あの……」
「なに」(身構える)
「う、腕、お借りしてもいい、ですか?」


照れいっぱい耳まで真っ赤な上目遣いの可愛い美人からのおねだり。

直哉は生まれて初めて、『女って怖い』と思った。


この後めちゃくちゃ散歩した。






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