迷彩につぐ



※ネタバレ:五条悟落ちではありません。





『京都には絶対に行くな』


我が家の家訓。というかお約束。何故? 神社仏閣に恨みでもあるの? 何度聞いても父は『祖父の遺言だ』の一点張り。その祖父も理由を教えてくれなかったらしい。変なの。働くようになったらこっそり行っちゃおうと、その時の私は気にも留めていなかった。


「君、見えてるでしょ」


来なきゃ良かった。

天国のおじいちゃんに謝りたい。前世でどんな悪行を積めばお土産の漬け物を見てる時に不審者に声をかけられるのか。いくつかの前科を思い浮かべてはいやいやと首を振った。

──私には前世の記憶がある。

と言っても断片的でうろ覚え。高校くらいで途切れているのは、そういうことなんだろう。何をどうってことはない、受験勉強そっちのけで漫画を読んでいるような頭ゆるゆる女子高生だった。だから、生まれ変わってからオバケが見える体質だと知った時は『わわっ、死神だいこー!』くらいの認識だったし、切り傷から血が枝のように生えて傷口を塞いでも『NY沈んだ!? 秘密結社に入れる!?』だった。まあ、転生とか生まれ変わりとかでよくあるお約束を信じていたのは高校までで。前世の享年より上になって、現実が忙しくなってからは全部ゴミ箱に捨てた妄想だ。

生まれ変わって22年。大学の卒業旅行は海外じゃなく京都を選んだ私に、友達は呆れたような顔をした。就活終わったんだからいいじゃん。海外は去年行ったし。暇なのは今のうちだけだから、と。結局人生はじめての一人旅になった。東京から新幹線でバビュンと一本。便利な時代だ。駅の案内所で目についた神社仏閣巡りをして二泊。さあ帰るぞ、と祇園で京野菜のお漬物を見ていたのに。


「……」
「あれだよ、あそこ。マスコットじゃないよ、あんなキモいの店先にいたら売れる物も売れないでしょ」


知ってる。

お店と私有地の境目くらいの薄暗がりに立っている影。目玉で無駄に装飾されたイソギンチャクのようなオバケは、ギリギリ聞き取れる言葉で《あめがふりそうですね》と呻いている。今日の予報は晴れなのに。天気なんか関係なくいつも無視してるのに。


「君いくつ? 二十歳は超えてるよね?」
「……」
「すごいなぁ、その年まで誰も声かけなかったんだ? 頑張ったんだね」


ナンパみたいな口調がちょっとイラッとする。むしろ私がイラッとすることでアクションを起こすのを待っているみたいで、なんだかそれって、


「変態」
「へ?」
「ぁ、いえ……へ、変なこと聞くのやめてください。警察呼びますよ」


人生で初めてそんなこと言ったな。目隠しの下でパチクリしてそうな銀髪の巨人にスマホを掲げてみせる。京都の色味を抑えた厳かな町に昼間っから出歩いている黒づくめ不審者。ギリギリ東京ならコスプレイベント会場が近いのかなと自分を誤魔化せた。しかしここ京都。ここ祇園。浮きまくってる、のに堂々としている。


「そうだな……じゃあこうしよっか。すいませーん、お土産用の漬物買いたいんですけど!一番高いセットで!」
「は」


気付けば和紙風の上品な紙袋が手に提げられていて、私の目の前に突き出された。


「せっかくの旅行を邪魔したお詫び。京都にはもう来ない方がいいよ。呪いより厄介なことになるから」
「え、困ります。もらえ、」


ません、と言う前に「じゃ!」と押しつけられた紙袋を見て、再び顔をあげたらそこには誰もいなかった。まるで私が独り言を言ってたみたいに。むしろあの人こそがオバケだったんじゃないかとすら思えてくる。え、でもさっきお漬物買ったよね。お店の人とお話ししてたよね。キョロキョロあたりを見回しても京都の古風な街並みと外国人観光客の姿しかなく、伏見稲荷じゃないのに狐に化かされた気分になった。近くにお稲荷さんの神社があるのかな。

釈然としないまま帰りの新幹線に乗って、家に帰ってお漬物を冷蔵庫に入れる時になってソレに気付いた。


「ごじょう、さとる?」


名前と、肩書きと、住所と、連絡先。仕事用のちゃんとした体裁の名刺が紙袋の中に入っていた。え、教師なのあの人。どんな学校が採用しているのか興味本位で見て、しょっぱい気持ちになった。

呪術、高等専門学校……。

あからさますぎる名前に引いた。呪術て。呪いて。しかも東京校ってことは他にもナントカ校があるわけで。現代日本にこんな漫画みたいな怪しい学校がいくつもあって、たまる、か……。

………………漫画みたい、ね。

冷や汗と一緒に頭の中の錆び付いた記憶になんとか鞭打つ。なんの漫画だ、掲載誌はなんだ。もしくはアニメ? オリジナルアニメ? 思い出せない。掲載誌によって死亡率がグンと上がる。目隠しの教師が出てくる漫画。忍者くらいしか思い浮かばない。でもあれ絶対異世界。ここ現代日本。もしくは本当に死神だいこーとか。キャラデザ的に目隠しをオサレと言い切って街ブラさせてもおかしくない漫画だ。あのナンパっぽい感じもそれっぽい。ん? それにしてはオバケの雰囲気が違うような、穴空いてるヤツとか見たことないし。え、本当にどこだここ。

呪術を扱う漫画……呪術……呪い……えぇ、地味に難しい。どの漫画にも脇役に意外といる呪術使い。呪術の学校も登場してないだけであったりしそう。もしくは知らない漫画に転生した? こ、困るぅ。もういくつ寝ると社会人なのに、社会の裏側がオカルトファンタジーだなんて。おちおち社会の歯車にもなれないよ。どうしよう。

それから一週間くらい、ビクビクしながら過ごした。気がする。後から考えてみればものすごく無駄な悩みだった。何せ私の将来って京都に着いた時点で修正不可能なほど歪められちゃったんだ。


「名前、春から高校生ね」
「は」


一週間ぶりに会った“ごじょうさとる”は、血の海の真ん中でニッカリ笑った。


「ついでに僕の彼女」
「はぁ!?」


少女漫画の可能性が急上昇した。









十四歳。厨二病全盛期の私は浮かれまくっていた。天狗だ。人生二回目でなんとなく勉強のコツも知っていたし、友達関係に悩むようなメンタルでもなかったし。何よりいつ超能力者だの未来人だの宇宙人だの神だのが来訪して部活やっても良いように、血を操れる謎体質の研究に勤しんでいた。

血って、あればあるだけ筋肉が動くんだと思ってた。血を固めれば体も硬くなって、ボールを遠くまで弾いたり蹴ったりできる。体育が苦手だった私は過去のもので、この裏技があれば頭も良くて運動神経抜群のスーパー優等生になれるねって。かるーく考えていた。

夏、初めて救急車に乗った。心筋梗塞だった。

十代の患者なんて珍しくて、難治性の疾病とか先天性の体質とかいろんな検査をされた。何も異常はなくてお医者さんは首を傾げていたけど、私の中では理由なんて明らかだ。血を固めたから。固めるのを不用意に繰り返したから。血栓になって、心臓まで流れて、血流を止めてしまったんだって。これが脳に行ってたら脳梗塞で麻痺が残ったかも、なんて言われたら余計に怖くって。私は体質の研究をやめた。運動神経も音痴に戻ったし、血を操るのは紙で指を切った時くらいになった。


「──ぶっは! 由緒正しい血の術式を絆創膏扱い! ナニソレ最ッ高! 血筋馬鹿どもに直接聞かせてやりたいね!」


長い足を組む“ごじょうさとる”、五条さんは腹を抱えて笑っている。手足が長くて動きがオーバーだと車内が狭くなって最悪だ。

運転手付きの黒い車に乗せられて、スーツケース1つで引っ越すことになった私。内定もらっていた会社はいつの間にか辞退したことになっていて、本当の本当に高校生をやり直すハメになったらしい。

端的に言うと、昨夜初めてオバケに襲われた。

わざわざ墓地や廃ビルにも行っていないのに、向こうは明らかに私に狙いをつけて走って来てた。両生類のラスボスって感じの巨大サンショウウオにストーカーされてパニックになり、逃げ回った先の高架下で思いっきり血をぶちまけた。ちょうど紙で切ったばかりだった指から掌に血を溜め、お風呂で遊ぶ水鉄砲の要領で大サンショウウオの鼻っ面に打ち出してみた。威力なんて本当に水鉄砲程度しかないのに、不思議パワーで痛かったのか鉄臭くて無理だったのか、これが意外と効いてしまい、パニックついでに撃ちまくった私。背後から五条さんに肩を叩かれる頃には失血死一歩手前だったらしい。私の血に沈む大サンショウウオと、目隠しのせいで胡散臭く見える笑顔の五条さん。私の血でできた海の真ん中で、高校生やり直し宣言をされたわけだ。


「オバケを日夜倒しに行くヒーロー活動は分かりましたけど、なんで彼女?」
「んー…… ハンザキって知ってる?」


勿体ぶっているのか、言葉を探しているのか。指でトントン頬を叩きながら出た言葉は、全く聞いたことがないものだった、


「はん、はんざわなおき?」
「あはっ、倍返しって流行ったよねー。ま、今は君が倍返しされそうなんだけどね」
「はあ」
「ハンザキは、サンショウウオの別名さ」


なんでも昔、巨大な人喰いハンザキを度胸試しで退治した若者が、後に毎晩すすり泣く何者かに家凸されまくった結果、家族もろとも変死した伝説? 逸話? があるんだとか。


「ハンザキの祟りってことで、ちゃーんと祀られて今じゃ神社持ちの神様扱いだよ」
「サンショウウオが神様」
「そそ。曲がりなりにも神の使役は無理だから、今回のはハンザキって言っても仮想の偽物なんだけど」
「へえ……ん? え、倒しちゃいましたよ私。倒したら、その、祟られるんですか?」
「そだねー。家族もろとも変死まっしぐら。よくあるブービートラップさ」


即死トラップをブーブークッション扱いとは。あまりに軽すぎるノリに頭の中でクエスチョンが飽和する。えっと、つまり、私がサンショウウオを倒したから、お父さんお母さんもろとも死ぬ……死ぬ!?


「ま、名前は倒してないしトドメは僕が刺したんだけど」
「それ早く言ってくれません!? というか五条さん大丈夫ですか!?」
「だいじょーぶ。雑魚の対処くらい慣れてるって」


ツッコミが追いつかない。追いつかなすぎて口をハクハクしながら中途半端に座席に沈むしかなかった。


「問題は、トラップが君に発動した原因なんだよねぇ」
「まだ何かあるんですか」


ぐったり行儀悪く背もたれに懐く私。隣の五条さんは長い足を組み替えて人差し指を立てた。


「あれって御三家、呪術界のまあ偉いお家への嫌がらせ目的で京都に放たれた呪いだったんだけど」
「へぇ、どこの業界も偉い人は大変ですね」
「そのうちの一つの名前が加茂家なんだ」
「偶然。私と同じ名字……まさか名字で間違えられました?」
「いや? 漢字が違う。君のカモはこっちだろう?」


祝賀の“賀”に喪服の“喪”で賀喪かも。めでたいんだか悲しいんだか分からないこの名字とは22年の付き合いだ。対してもう一つ示されたのは、確か神社か川の名前で見たことがある漢字だった。ふむふむ頷いた私に五条さんは訳知り顔で「こんなこともあるんだねぇ」と笑っている。相変わらず胡散臭い。


「じゃあこれは完璧事故ってことで……あれ、結局彼女の説明は?」
「まあまあ、ここからが本題だよ。──君のご先祖、この加茂家の人間なんだよね」
「へえ。……え?」


ニヤリ。唯一あらわになっている唇が痩せ細った新月のようだった。



「君の加茂家の血に釣られて、呪いは正常に発動したんだ」



「へ、へえ」捻り出した感想はそんなもんだった。

父親、もしくはご先祖様がすごいタイプの血筋。すごく少年漫画っぽい。問題は掲載誌だな、青年誌は怖いなぁ。目的地に着くまでの短い間、私は現実逃避に勤しんだ。

結局、なんで五条さんの彼女なのかは聞けなかった。


「お、御社を希望する動機といたしましては、」
「就活じゃないんだから楽にしてよ」


五条さんの距離の近さにはいつもビビる。今だって学長の夜蛾さんの前で肩を抱かれてカチンコチンだ。なんでなの。入学動機を急に聞かれてテンパった私をさらにパニックにしてどうするつもり。


「京都で一目惚れしたから告って付き合うことになったんだ。よろしく」
「その設定で押し通す気か?」
「やだなぁ、本気ですよ」
「……まあ、仕方ないのは認めるが、その代わりフォローはちゃんとしろよ」
「もちろん! 任せてください」


野良犬拾ってきたみたいな会話しないで。


「賀喪です。よろしくお願いします」


このセリフに対しての反応は大抵「あの!?」だ。同じ女子寮の禪院真希ちゃんには身構えられたし、補助監督というサポートの方々が詰めてる事務所では座ってる人全員が秒で起立した。敬礼でもされるかと思った。なので自己紹介では「祝賀の“賀”に喪服の“喪”と書きます」が必須になった。その瞬間に緩む空気というか、「脅かしやがって」みたいな拍子抜けな空気もまたツラい。真希ちゃんに至っては声に出てたし。パンダくん狗巻くんは「お、よろしく」「こんぶ」で終わったのがむしろ意外だったくらい。

私は呪術初心者だから一年生のクラスに入れられるらしいけれど、普通の高校を卒業済みなので呪術以外の教科・座学は補助監督の皆さんと一緒に事務のお仕事をすることになった。とはいえやることと言えば書類整理系の雑用だ。まあ高専一年のお給料にプラスして報酬が支払われるので文句はない。

まだ新学期前で同級生は伏黒くん一人しかいない。遅れてもう一人女子が入学するらしい。伏黒くんは才能があって中学の時点でお仕事をしていたから、初心者の私と一緒に行動させるのは邪魔になるんだとか。まあ、私ってまず体力作りから始めなきゃいけないレベルだしね。


「ハイハイあと十周! もっと足上げて!」


しんどい。二十歳超えて全力疾走したことがない大人にグラウンドでぼっち長距離はしんどい。

しかもたまにやって来る五条さんの掛け声がドSっぽくて余計に無理。とっても楽しそうにいじめてくるんだもの。

呪力操作の訓練、とかでぬいぐるみを抱っこしながら映画を見るのはかなりスムーズだった。自分の気持ちを他人事にするのが上手いらしい。「すごいすごい」と手放しに褒められてちょっと鼻高々になっていたのが、今になって粉々に殴られた気分。


「本当に軟弱だな。パンダ、水」
「はいよ、水」
「あり、がと……」
「ツナツナ」


二年生の年下の先輩は優しい。年上のプライドとか持つ暇もなく甘やかされている気がする。「なあ、」とろとろと水分補給している私の隣に真希ちゃんが座った。


「あの野郎と付き合ってるってマジか」
「え……」


ものすごく神妙な顔で急に尋ねられた。あの野郎って、……どの野郎だ。酸欠状態から落ち着いて“あの野郎”に思い至る前に、突然後ろから抱き付かれて頭に顎を乗っけられる。真希ちゃんの綺麗な顔が前衛的に歪んだ。


「マジだよ大マジ。僕ら相思相愛なの。真希も恋バナとか興味あったんだ? 馴れ初め聞く?」
「テメェにゃ聞いてねーよ! サッサと離れろ!」
「なんで? 恋人同士なんだからこれくらい当たり前だよ。ねー、名前?」
「ひっ」


最後だけ小声で耳に息を吹き込まれ、とっさに逃げる。恐ろしく低くて、艶っぽい声だった。


「名前の感じからして、付き合ってる風にはちっとも見えねー」
「しゃけ」
「生徒にセクハラはいかんだろ悟」
「えー、ひどくない?」


そうは言っても、やっぱりみんな気付いている。五条さんが人目があるところでしか私に引っ付いて来ないことを。今だって力を入れなくてもすぐに外れた。本気じゃない。入学前のやりとりといい、学長との会話といい。なんだか目的があって私を彼女にしておきたいのは明らかだ。少女漫画の俺様ヒーローよりは青年誌のスパイものっぽい。いや、今やってる修行編とかまんま少年誌のお約束なのは置いておいて。


「体力作りが終わったら戻ろっか。恵も帰って来てるし、久しぶりに三人でご飯行こう」
「伏黒くん帰ってるんですか? 怪我は?」
「ないない。元気だよ」
「良かったぁ」


伏黒くん、クールに言いたいことはズバッと言うしっかりした子だけど、なんだか闇深そうというか溜め込んでそうというか。忍者風に言うと里抜けしそうな雰囲気がして怖い。やだよ語尾にちっちゃい“エ”付けて呼ぶなんて。“伏黒ェ”とかどうやって発音するんだ。


「やっぱりご飯、二人っきりで行こうか?」
「え」
「妬けるなぁ、恵より僕の方が君のことちゃんと好きなのに」
「ひえ」


この人ホントなんなんだろ。

固まったところをパンダくんに回収され、真希ちゃんが竹刀でボコボコ叩いても「あははは」のんきな五条さん。「明太子」狗巻くんの肩ポンは慰めだと信じたい。

遠い目をしたその先に、黒いツンツン頭がゆっくり近付いて来ていた。


「五条先生、飯まだっすか。時間かなり過ぎてますけど」
「ごめんごめん! 今行く!」
「え、手……」


さっきまで滅多打ち状態だった竹刀を華麗に避け、サラリと私の手を取って歩き出す五条さん。ちゃんと私に合わせて速度を抑えるあたり、流石としか言いようがない。近付くにつれ伏黒くんの目がジトーっと座っていくのも見えた。


「本当に気ぃ付けてくださいよ、この人なんでも都合の良いように利用しますからね」
「お、おお。了解です。伏黒くんおかえり」
「……はい」
「あはは、照れてやんの。相変わらずこういうタイプには弱いよねぇ」
「うっさい」


こうしていると、五条さんと伏黒くんは仲が良い兄弟のように見えなくもない。からかい上手な兄と反抗期の弟的な。うん、微笑ましい。あまりニコニコしてると伏黒くんに「なに想像したんですか」て怒られるんだけど。

兄弟……お兄ちゃん、か。


「五条さんってお兄ちゃんみたい」


ピタリ。二人の動きが止まる。五条さんはそのまま、伏黒くんは舌を出す勢いで顔を顰めている。


「こんなのが身内にいたら波乱万丈どころじゃないだろ」
「いやぁ。全然似てないんだけど、なんか思い出すものがあって」
「どっちなんですか」
「どっちだろうね」


そもそもお兄ちゃんとはずっと会えていない。たまにメールでやりとりするくらい。今どきガラケーだったのが去年やっとスマホに変わって、何の天変地異かとビックリしたっけ。


「去年の冬かなぁ、もともと不定期だったのがさらに連絡取れなくなって。ちょうどクリスマスが近かったから彼女でもできたんじゃないかな」
「へえ」
「……お兄さんとは会ってないの?」


ん?

かなり上にある顔を見る。首が少し痛くなるくらいの高さで、静かに笑っている五条さん。気のせいかな、と思いつつ記憶を漁ってみる。


「んー。会ってないですね、おばさんたちにも顔見せてないみたい」
「おばさん?」
「お兄ちゃんのお母さん……あ、お兄ちゃんって言っても近所に住んでるお兄ちゃんで、血縁ではないんだけど」
「ああ、なるほど」
「……最近、お兄さんと連絡取ってる?」
「取ってる、かどうかは微妙ですね。メール送ってから半月後とかに返ってきたりするし。仕事が忙しいんでしょうね」


なんだろう。五条さんが五条さんらしくないというか。なんとなく、



「お兄さんのこと、好きなんだ?」



──────怖い?

気のせいかな。目隠ししているから勘違いしたのか。一人で納得して、気を取り直してお兄ちゃんのことを思い出す。


「えっと、はい。私にとっての呪術師みたいなものっていうか。陰で頑張るヒーロー、なんです」


ちょっと臭いかな、とは思ったけれど、これほどピッタリな名称もない。転生したてでハッスルしまくっていた私にとって、お兄ちゃんは少年漫画のキャラクターみたいな人だったし。


「ヒーロー? 今は直接会えてもないのに?」
「私のじゃなくても、きっと誰かのヒーローになってますよ。真面目で責任感が強い、優しい人でしたから」


どんな風にカッコ良くなってるんだろう。仕事が忙しいのかな、やっぱり彼女できたのかな。ほんの少し寂しくなりかけた気持ちを振り払おうと、今度は伏黒くんに話を振る。


「伏黒くんは兄弟いる?」
「ああ、まあ、姉貴が」
「お姉ちゃん! いそう!」
「どういう意味っすか」


え、なんか怒るところあった?

ムスッとしてしまった年下の同級生にギョッとしていた私だったが、五条さんの「お寿司行こっか」で全部どこかへ行った。他人の金で食うお寿司! 最高!

三十分後、五条さん行きつけのお寿司がまさかの回らない寿司と知り、再びギョッとすることになるなんて予想もしていなかった。時価……時価って何円……?









始めの頃は「なんで高専に入らなきゃいけないの」「今まで普通に生きてきたのに」「あと十年早かったら楽しめた」とかお気楽なことを考えていた。でも、自分の術式の使い方を学ぶうちに気付いたことがある。──危険だ。血を操る術式。体内に流れる血に刻まれた術式に呪力を通すことで攻防に転じられる。カッコイイ! 当たり能力! とかミーハー丸出しでどうにかなるものじゃなかった。

どの血管から血を流すか。動脈は命に関わるから論外としても、静脈だって肺や脳に血を行き渡らせるには重要だ。失血死のリスクを抑えられても脳や肺に血が行かなくて失神・呼吸困難なんてことになりかねない。

いろんな術式に詳しい五条さん曰く、私のは血液の中でも特に赤血球が主体となったもので、術師は輸血パックを持ち歩くのが一般的らしい。一般的と言えるほど数はいないが。「いちいち指切って出してたら戦闘ごとに失血死するでしょ」とのこと。赤血球の寿命は大体四ヶ月。でもこれは体内にいる場合で、採血して保存するとなると大体10℃以下で三週間くらいしか保たないらしい。持ち運びが大変。期間が短い。しかも女には生理があるから、貧血を避けるためにも月の四分の一は採血できないことになる。というか定期的に血抜いてたら常時貧血一歩手前で生きろってことでは? 誰だ当たり能力とか言ったの。

世の中カッコいいだけじゃ回っていかないんだなぁ。渋々と一日何mLの決められた量で術式の研究をしながら、たまにお使いみたいな任務に駆り出されては補助監督の方と世間話して、また地下の秘密部屋に戻る日々を送った。

六月になっても伏黒くんとの共同任務はやったことがない。私のフィジカルがまだまだ一般人なのもあるし、五条さんから術式を秘密にするように言い含められているから。なんだろう、ヘボすぎて見せられないよ!とでも言いたいのかな。そのくせご飯にはよく連れて行ってくれるし、未だに謎の彼女扱いは続いている。人目があるところで手を繋いだり、ハグしたり、「好きだよ」「可愛いね」「食べちゃいたいくらい」「あいらびゅー」と口説いてきたり。それになあなあで流せるようになったのが、高専に入学してからの最大の進歩かもしれない。悲しい。

二年生の先輩に体術を教わったり、伊地知さんのスーパー書類整理を学びながら新田さんに手の抜き方を吹き込まれたり、ついでに家入さんから「呪力操作の方が向いてる。反転術式極めてよ、私の仕事も減るし」とか褒められ……褒められたってことで。高校とも大学ともつかない謎の生活が日常になりつつあった頃。宮城県に一人で出張していた伏黒くんが、何故か五条先生と見知らぬ男の子を連れて帰ってきた。


「一年生に編入する虎杖悠仁くんです。仲良くしてね」
「虎杖悠仁っす。おなしゃす!」
「どうも、賀喪です。あ、祝賀の“賀”に、」
「あー、悠仁はこっちの人じゃないから説明不要! よろしく!」


じゃあ私と同じ一般家庭出身の子かぁ。

頑張ろうね、と握手してその日は別れた。程なくして元々途中で編入することになっていた釘崎野薔薇ちゃんも合流して、一年生四人が全員揃った。


「え、名前さんって事務の人じゃなかったの!?」
「一年!? 俺らと同じピカピカ!?」
「言ってなかったんすか」
「言ったよ。仲良くしてねって」
「「言ってねーじゃん!」」


同時に人差し指を突き出した虎杖くんと野薔薇ちゃん。会って数日なのに息ピッタリ。二人してヘラっとしている五条さんに振り回され始めている。


「ま、まあ、私もあんまり任務に加われてないし、五条さんだけのせいでもない、と思う」
「ソレよソレ」
「ん?」
「なんで五条先生のことさん付けなわけ? 補助監督の方がまだしっくり来るわ」


確かに。


「んー、五条先生?」
「わぁ新鮮! 何かな賀喪くん」
「……先生って感じしないねぇ、出会いがナンパだもん」


漬物押し付けは多分ナンパ。きっとナンパ。


「うげ、ナンパで高専に誘導したの? キャッチかよ」
「名前さん、俺その話聞いてないです」
「五条先生ってほんとに教師?」
「僕って生徒からの信頼ゼロかな」


しょうがないでしょ、と五条さんが唇を尖らす。


「恋人になってから高専入ったんだから、ノーカンだよノーカン」
「「……………………」」
「彼女に先生呼びされるような趣味は、……今のところないしね!」


沈黙。首振り。ムンクの叫び、二つ。

この二人、前世で親友だったんじゃないか? 伏黒くんがジト目で「部屋戻っていいですか」と聞く頃には、私は二人の中でしっかり変わり者認定を受けていた。「男の趣味、考え直した方がいいですよ」野薔薇ちゃんって本当に真っ直ぐね。

もう彼女云々の否定をするのが面倒になっていた私は、「まあ悪い人ではないから」と後方彼女面をしておいた。野薔薇ちゃんからの評価が下がる音が聞こえる。きっと幻聴だと信じたい。

ちなみにこの後五人で行った回るお寿司は回らないお寿司よりかなり盛り上がった。新幹線デリバリーとか、お皿を投入するゲームとか。いちいち歓声あげたりしちゃって、楽しかったなぁ。


…………楽しかった、なぁ。


七月。一年生が三人になった。

伏黒くんと野薔薇ちゃんは二年生と合流して、京都校との交流会に向けて本格的に鍛えている。私も参加しているけれど、真希ちゃんの口ぶりからして私は数に含まれていない。分かる。足手まといというか子泣きジジイになりそう。東京と京都は仲が悪くて毎年殺し合い一歩手前みたいになるらしいし。去年圧勝した乙骨くんは一般家庭出身で、高専に入学してから半年も経たずに交流会に出たらしい。「比べんなよ、ありゃ例外中の例外だ」真希ちゃんの御言葉を有り難く頂戴する。乙骨くんは天才、私は前世があるだけの一般人。

そう、一般人だ。


「五条さん、なんで人前で術式使っちゃダメなんですか」
「まだ使いこなせてないから?」


任務で忙しい五条さんを捕まえたのは、前に使ったことのある地下の秘密部屋の前。現在使用中で一月くらい空いているのを見たことがない。何か隠し事でもあるのかな、と思い至っても詮索するのはやめておいた。


「使いこなすのレベルが知りたいんですよ。そろそろ呪具回収やら補助監督のお手伝いやら以上のことさせてください」


採血した血液パックは、いつか来る任務を待っている内に赤血球の寿命が来る。その分術式の研究に思いっきり使えるけれども、練習のためだけに定期的に血を抜いていると思うと馬鹿らしい。

役に立たなきゃ意味がない。


「虎杖くんは、術式もなくて、呪力もよく分かっていない。私よりそこらへん素人なのに、任務に行って……なのに私は高専で書類整理ばっかり。おかしいじゃないですか」


虎杖くんが、何かヤバいものを飲み込んで後天的に呪力を得たのは知っている。偉い人に嫌われているのも、伊地知さんの態度でなんとなく。嫌な世界だなって思った。漫画でもドラマでもよくある話は、現実にだってあり得る話なんだって。

まだ会って一ヶ月も経っていないクラスメイトが死んだ。人が死んだのに、なんだか悲しくない。

漫画じゃ良くある話だから?
青年誌ならもっとバタバタ死んでいる?
いやいや最近の少年誌だって結構エグイよ?

そんなことを考えて気を紛らわせている。自分の気持ちを紙の向こうの読者に置き換える作業をしている。そうすると、安全な自分は何をしているんだろう。この脇キャラ、すごい力持ってるくせになんで戦わないわけ? みたいな。いや知らんがな。五条さんがやらせてくれないんだからどうにもなんないでしょ。でもさ、というか、しかし、ふにゃふにゃ。

そんな自問自答、もう疲れた。


「悠仁が死んだのと名前の件は別だよ。そこをはき違えちゃいけない」


五条さんの手が私の頭に乗っかる。そのまま、目線を合わせるようにかがんで、至近距離で薄い唇が優しく弧を描いた。あ。


「そうだね、次の交流会で名前は見学しよっか。それが終わったら一緒に任務に行こう」
「交流会って、九月?」
「そ。それまでちゃんと鍛えるんだ。最低でも真希から一本とれるくらい!」
「それなんて無理ゲー」
「頑張りましょう!」
「……はーい」


わしゃわしゃと髪をかきまぜられ、慌てて手櫛で整えている間に五条さんは消えていた。お兄ちゃんはこんな雑なことしないけど、やっぱりどことなくお兄ちゃんっぽいなぁ。

その日の夜。ベッドに入る直前にお兄ちゃんから久しぶりに連絡が来た。絵文字もなにもない。『何か吐き出したくなったらメールしてくれ。君の精神衛生のためなら読むくらいはするさ。』そっけないような、茶目っ気があるような。そんな字面を眺めて、何回か読み返して。胸の中身を全てぶちまけるように息を吐いた。


「お兄ちゃんは私のこと、“君”って呼ばないんだよ」









「私と結婚を前提にお付き合いしてください」
「ごめんなさい彼氏いるんで」
「どもー彼氏の五条悟でーす五条家の人間でーす」


このための五条さん。春からずっと疑問だった謎がようやく解けた。

九月。京都校との交流会の集合場所にて、死んだはずの虎杖くんが箱から飛び出してきて(は?)、全部五条さんは知っていて(はぁ?)、野薔薇ちゃんが泣きそうなのを尻目に「賀喪名前さんはいますか」と聞かれて思わず手を上げれば求婚された(はぁぁぁぁ?)。

とっさに近くにいた五条さんの腕を取った私は冴えていた。真希ちゃんとの特訓の成果が瞬発力に現れている。


「申し遅れました。私は京都校三年の加茂憲紀。加茂家嫡流で、貴女の遠縁に当たります」
「は」
「え」
「ほ」
「マ?」


騒ぐな騒ぐな。

東京校からも京都校からも視線が突き刺さる。あと京都の袴のお姉さんが昔の野薔薇ちゃんと似たような顔をしていてとてもツラい。「男の趣味悪ッ」って言ってる絶対言ってる今声に出して言った。

「マ?」多分“親戚なんだーへー”くらいの軽い感じで確認してくる虎杖くんにやんわり頷くと、京都の人たちの視線が余計にまとわりついた。「タッパはないが尻はあるな」誰だ今尻がデカいって言ったの。スーツっぽいデザインにしてもらった制服は、上はみんなと同じ詰襟だけど、下は膝下丈のスリットが浅く入ったスカートだ。お尻の形もプリーツスカートよりは分かりやすい。それにしたって尻がデカいって。デカいって!

恥だか怒りだか分からないまま顔が熱くなる。そこですかさず五条さんが「僕は好きだよ、触り心地がよさそ、おっと」「黙れ目隠しの変態」ナイスチョップ。真希ちゃんありがとうありがとう。勢いで抱き付いた五条さんの腕を投げ捨てたくなったけど、今私が立っていられるのもこの腕あってこそ。何故ってこれを離したら目の前の男の子とタイマンで話さなきゃいけないから。


「彼氏、とは。五条悟と男女交際をしているということですか」
「そうだよ憲紀。僕ら愛し合ってる男と女。そんでもって君は急に降って湧いたお邪魔虫」
「…………」
「それともなに。加茂家は五条家の人間に指図する権利でもあるわけ?」


その一言で加茂くんの涼しい顔がグッと歪む。あ、そういう? お家の利権的な? 良かった色恋じゃなくて、高校生に手を出したとか思われなくて。ホッと気を抜きたくても開いてるのかいまいち分からない細い目はずっとこちらに向いている。


「たとえそれが真実だとしても、加茂家の術式を継いだ人間を五条家には渡しません」


なんで私に言うかな。

それっきり背を向けて京都の人たちの輪に戻った加茂くん。微妙な空気のまま、両陣営は各々のミーティングルームに移動した。


「カモ違いだっつってただろ」
「名字が違うのは本当だよ。私もご先祖様が加茂さんだとしか知らないし」
「結局加茂じゃねーかッ!」
「まあまあ落ち着け真希。名前が嘘ついたわけじゃないし」
「しゃけ」


なんか真希ちゃん、怒ってない?

近くの野薔薇ちゃんに視線を送ると、良く分ってないオーラと謝っとけオーラが絶妙に混じった顔をしていた。良く分ったな私。


「真希ちゃん、」
「術式秘密にしてたのは、加茂の人間だってバレないようにしてたんだろ……」
「え、なんで?」
「あ?」
「血操れる人って加茂さんだけなの?」


真希ちゃんと、パンダくん狗巻くん、ついでに伏黒くんもギョッとしていた。え、なに。五条さんが知っているってことはそこそこメジャーな術式なんじゃないの。


「……あー」
「真希、怒るだけ無駄だって」
「すじこ」
「なになになになに!? なんか変なこと言った!?」


ぐったり項垂れる真希ちゃん。すごい、こんなに疲れているの初めて見た。これから団体戦なのに大丈夫なのかな。あわあわしている私に見かねたのか、伏黒くんがコメカミを抑えながら補足を入れてくれた。


「血を操る術式、赤血操術は加茂家相伝の術式で、呪術界ではレア中のレアです」
「……マ?」
「マジです」


マジかー。

術式を使うような任務に行けなかった謎も解明された日だった。バレたら今日みたいな加茂さんアタックが飛んでくると。

私がガチのマジでなんも知らないことを察したのか、真希ちゃんが「悪かった」と謝ってきた。結局なんでこうなったのかも分からず、「世間知らずで恐縮です……」と謝って引き分けにしといた。パンダくんと狗巻くんが何故かサムズアップしている。分からない……。

それから見学の私はミーティングだけ参加して、開始前には教師用のモニタールームに移動した。長い前髪で前が見えなそうなお姉さん、冥冥さんに「よろしくね、将来的にも」と異様に手厚い握手をいただいたのが強烈だった。


「ああいうことがあるから、だったんですね」


彼女だのなんだの。お家騒動に巻き込まれないためなら初めから言ってくれればいいのに。

小声で話を振ると、五条さんは「なんのこと?」ととぼけて一番いい席に座ってしまった。あ、ここで話すことではないか。


「泣かなかったね」
「はい?」
「悠仁が生きてて。名前なら安心して泣くかと思った」


五条さんはこっちを見ない。まっすぐ前を向いているし、私はうしろの壁に立っていたから、真っ白い旋毛しか見えなかった。


「何が言いたいんですか」
「いやぁ、名前って意外としっかりイカレてるよね。流石僕の生徒。優秀だ」
「普通に悪口じゃない?」
「いいことだよ、コレが終わったら呪霊相手の任務が始まるんだから」


ちゃんと見て学ぼうね、と五条さんは言ったけれど。実際加茂くんと伏黒くんの戦闘は勉強になったけれど。

特級呪霊との戦闘が参考になるかい。

先生方が外に駆り出されたのとは逆方向、私は医務室の家入さんのところへ駆り出された。任務で外に出ない分、ちょっとだけ他人に対して反転術式ができるようになってたから。運ばれてきた中でも重傷の人を家入さんが診て、トリアージから外れた中傷以下の人を私がちょっとだけ手当てする、という寸法だ。まあ、保健委員が消毒とか絆創膏貼るような感じ。

京都の女の子二人(西宮桃ちゃんと、真希ちゃんの妹の真依ちゃん)はかなりジロジロ見てきたし、なんなら話しかけてもきた。「五条悟と付き合ってるってほんと?」「加茂家の人間ってほんと?」「加茂くんフッたのマジうける」諸々をうんうん適当に流していたら、家入さんの治療とトントンの時間が過ぎていた。


「名前、加茂を男子寮まで送ってくれ。道分かるだろ」
「え」


女子は野薔薇ちゃんが送って行ってしまったし、とっくに治療を終えた伏黒くんと狗巻くんはもういない。自力で歩けるくらいに回復させた家入さんは流石だ。けどこういう時くらい保健室で入院とかさせてほしかった。

チラッと見ると例の細目とバッチリ視線が合ってビビる。正直二人きりになりたい相手ではないけれども、イヤだとごねるほど子供でもないので。就活で培った人当たりのいいスマイルで乗り切ることにした。



「加茂く、さん。こっちです」
「加茂くんで結構です。敬語も、そちらの方が年上なのですから」
「え、そう? じゃあ加茂くん、左側見えないだろうから気を付けてね。不便だったら支えよっか?」
「いえ、お気持ちだけありがたく」


すごい、いいところでちゃんと育てられた子っぽい。呪術師の子はみんな大人っぽくてしっかりしていると思っていたけど、加茂くんは別格に大人っぽい。狩衣の制服も相まって芸事の人にも見える。すっきり端正なお顔に姿勢も良くて雰囲気が落ち着いているとかこの人こそ漫画のキャラじゃないか。気持ち一人分距離を取って先導する。後ろからの足音だけが加茂くんが着いて来ている証拠だった。

高専は生徒数が少ないし、古い建物はだいたい平屋だ。階段もないし、片目がなくてもギリギリいけるかなぁと思っていた。

ゴンッ。


「……加茂くん、だいじょぶ?」
「はい」
「大丈夫に見えないんだけど」
「心配無用です」


物干し竿にぶつかったんだよ。大丈夫じゃないでしょ。

建物を出てすぐのことだったから、余計に心配になった。そういえば特級呪霊と戦って死にかけたんだった。モニターで見てるだけの私でも怖かったのに、冷静な判断をしながら走り回っていた加茂くんが疲れていないわけがない。加茂くんの左側に移動して、「失礼します」と手を取った。


「っ賀喪さん、気遣いは、」
「頭を打ってまた家入さんのお世話になりたくないでしょ。男子寮に着くまでのほんの数分だけだよ」
「ですが、恋人がいる女性と手を繋ぐなど!」


何言ってるんだこの子。


「怪我人の介抱した程度で浮気疑う男性ってどうかと思うなぁ。加茂くんは人命救護で女の人を抱き上げる前にいちいち恋人に確認する?」
「それは、確かに」
「目的地までほんの数分、三分もないよ。大丈夫だって」
「……では、よろしくお願いします」


今時の高校生にしては古風なのか素直なのか。改めて手を繋いで歩き出した私たち。可愛いな、と一瞬思ってしまい、苦手意識が払拭されたせいか、口の動きが滑らかになっていく。軽口を叩けるくらいには調子が掴めてきた。


「そもそも加茂くんって私と結婚を前提にお付き合いしたいんだよね。これってチャンスじゃない?」
「チャンス、ですか」
「ここには五条さんも誰もいないもの」
「──恋人がいる女性を乱暴に娶るなど、品性が下劣な人間のすることだ」


引いていた手が引っ張れなくなる。前に向けていた目を後ろに向けると、思ったよりも近くに細目があることに驚いた。


「それでも、私は貴女と結婚しなければならない」


心臓のところからドッと大袈裟な音が聞こえた気がする。なにそれ、『下劣な人間だと思われてもいいから結婚したい』と言っているようなものだ。しかも覚悟決めちゃってる雰囲気なものだから、加茂くんにとって本意じゃないんだろうなって。


「なんのために?」


あ、口が滑ったかもしれない。

いやだよ知りたくないよ偉い人ん家のドロドロは。遠縁、血が繋がってる者同士だって知ってるのに結婚させるなんて、よくあるアレじゃないの。加茂さん家のレア術式関連だと察するくらいにはその手の話を読んできた。

けれど、加茂くんの口から飛び出したのはもっと純粋な、素直すぎる理由だった。


「大切な人を迎えに行くためです」


たいせつなひと。


「恋人?」
「違います」
「友達?」
「肉親です」
「ああ」


なんだか余計に複雑なところに突っ込んでしまった。パッと思いつくのが恋人なあたり私も俗だ。

でもそっかぁ。肉親のために望まぬ結婚。人質、ほどは切羽詰まってなさそうだから、本人同士の約束系かな。応援したいのは山々だけど、そこに私が巻き込まれるのはなぁ。多分加茂さん家のアレコレを解決しないと、五条さんとのカレカノごっこもしばらく続くんだろう。それはちょっと大変だ。


「加茂くんは私のこと好き?」


…………なんだこの勘違い女みたいな質問。


「努力します」


加茂くんもキリッとした顔しないで。ツッコミかなんかして。


「今は好きじゃないんだよね」
「異性としては見ていません」
「会ったばかりで当たり前だよ」


これは私個人の考えだけど、と前置きして、加茂くんの手を両手で包む。おばあちゃんとか、カウンセラーさんとかの気分になって、優しく優しく言い聞かせるように意識した。


「加茂くんの大切な人が、加茂くんのことを本当に大切に思っているなら、好きな人と結婚してほしいんじゃない?」


加茂くんの手がピクリと反応する。心当たりがあるんだろうな。今度の私はズルイ大人、お姉ちゃんになったつもりで、優しく優しく────。



「幸せになってほしいじゃん」



伏せていた目を再び加茂くんに向ける。相手も感化されてくれたのか、細目から初めて小さな黒目が見えて、白面に健康的な血色が増し、て…………なんか赤くない!?


「け、怪我人だったね、長話しちゃった。早く男子寮で休んだ方がいいよ」
「賀喪さん、私は、」
「ほらほら早く行こうすぐ行こう。大丈夫、伏黒くんも虎杖くんも狗巻くんもパンダくんも優しいし楽しいし賑やかだよ。東堂くんも交えてみんなでババ抜きとかウノとかやったらいいんじゃないかな。楽しいよすっごい楽しい。この前みんなでやったのは楽しかったなぁ。私弱々で負けっぱなしだったから罰ゲームで伏黒くんにこちょこちょの刑を執行されちゃっ、」
「──伏黒くんに嫁入り前の体を触らせたのですか?」
「え!? いや、」


正確には伏黒くんの兎ちゃんたちになんだけど。他人の術式言っていいのかな、てところで口ごもった。そしたら加茂くんの片目が男子寮の方を睨みつけて……この子ムッツリなの? 想像力豊かなの?


「自分を大事にしてください。貴女だけの体ではないのですから」
「ひえ」


妊婦さんの旦那みたいなこと言い出した。こわっ。

私じゃなく術式目当てなんでしょ! そうなんでしょ! 声に出さず心の中で叫ぶことで精神を保ちながら、最速で男子寮まで加茂くんを送り届けた私は偉いと思う。

女子寮に帰って、真希ちゃん野薔薇ちゃんへの挨拶もそこそこに自室に駆け込む。スマホを取り出して、とっさにお兄ちゃんへのメールを打ちかけ……男の人にこういう相談って恥ずかしいな。やっぱナシ。

じゃあどうすればいいんだろ。


「気のせいってことでいいかな」


加茂くんは照れてただけ。照れ屋さんってことで。ニコポは二次元だけ、ここは三次元。おっけー。無理やり納得して、スマホを置こうとした瞬間にメールが届いた。──お兄ちゃんからだった。

最近、前より頻度が高い気がするなぁ。すぐに開いて、2、3度読み直して笑ってしまう。


『今年も仕事が忙しくて家に帰れそうもない。お盆に顔を出せなくてすまないね。名前は就職してもうすぐ半年になるのかな。そろそろ職場にも慣れてきたかい? 慣れてきた時ほど油断しやすいものだ。体調に気を付けて、君らしく頑張ってくれ。』

「誰なんだろ、この人」


お兄ちゃんっぽくて、お兄ちゃんっぽくない。そんなメールでも、心の拠り所にしてしまう自分がいる。ほとんど反射で保護をかけてから電源を切った。

明日交流会が終われば、もうすぐちゃんとした任務に行けるんだ。そう思うと体中が謎に震えてしまう。武者震いかな。ふふ、と笑って今日見た戦闘の学びをノートにまとめ始めた。



今、すごく転生ものっぽい。





***





「なーにが“真面目で責任感が強い優しい人”だ。近所のガキにまで猫被ってどうする気だったんだよ。お兄ちゃん・・・・・


適当に打った文章を何度か読み返し、すぐに送信。去年のクリスマスから続く、決まり切った作業だ。

なんの感情も乗せない。
そんな“余裕”はないと、ずっと割り切ってきた。──今年の春までは。



「オマエのフリは大変だよ、傑」





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