サッちゃんと○○○○



赤ちゃんが可愛いのはなんででしょう?
ひとりで生きられないからだよ。

なんてことを知ったのは前世のことだ。テレビか新聞か、SNSだったかな? まあそこらへんの適当な媒体で掻い摘んで知った。ひとりで生きられないから可愛さで大人を籠絡して世話をさせる。見返りは可愛さで既に払ってるでしょ。自惚れ屋などと言うことなかれ。何せ私、まだ生後半年の赤子なんだもん。顔貌に寄らず誰だって可愛い時期だ。ひとりじゃ生きられないんだから可愛いに決まっている。どうせ大人になれば削られるんだ。今のうちに自己肯定感を高めに養っておいて損はない。ばぶばぶおぎゃあと泣いて喚いてお乳を吸って。ねんねんころりよおころりよ。寝る子は育つよすくすくと。昼夜問わずに寝こけていると不思議な夢を見るようになった。


「へんなまえがみ」


一つに纏めてるのになんでそんな中途半端な余りが出るのか。

ボサッと立ち尽くすボンタン履いたロン毛のヤンキーと向かい合って立っている。高校生くらいかな。細い目をかっ開いてこっちを見ている。まるで幽霊にでも会ったみたい。そもそもこんなに身長高そうな人と目線が合うのもおかしな話だわ。首を傾げてからチラッと下を見る。プリーツスカートと黒タイツ、ローファー。学生です、って格好だ。自立したい願望が強すぎて未来の自分を妄想しちゃってるのか。あーあーヤダヤダ。赤ん坊の内から鬱ってるのヤダ。今生は伸び伸びワガママに育ってやるんだい。前世なんてもんがあるからこんな謎の夢を見るのか。記憶の整理なんてするほど日常生活に刺激もない。パパママくらいしか登場人物のない世界なのにね。となると前世関連の人なのかも。生き別れの恋人とか? 改めて矯めつ眇めず顔を拝見。スッキリ切れ長一重や真っ直ぐ通った鼻筋はイケメンの部類に入る。でもなーなんだかなー。胡散臭いというかなんというか。


「うそつきのかお」


初対面では信用できないかもしれない。初対面でクソ失礼なことを抜かすが。肩からずるりと滑り落ちた三つ編みを後ろに払う。イマジナリー未来の私は三つ編みっ子らしい。古風な趣味ね、嫌いじゃない。気持ち前に出ていた体を元に戻すと、距離を置いた分だけ相手の手が追いかけてきた。


「Qの残党か、盤星教の報復か」


大きくて節が目立つ手。無遠慮と言う言葉がピッタリな乱雑さで私の首を締め上げた。……締め上げたぁ!?


「○○○○の姿を取れば私の油断を誘えるとも? 当たっているよ、だからこそ腹立たしい」


ジタバタともがきながら相手の腕を引っ掻き回す。既に地面から足は離れていて、なんとか足で攻撃してやろうとがむしゃらに振り回した。我赤子ぞ、0.5歳ぞ!?イマジナリーの姿に騙されるな!赤ん坊簡単に死ぬ!

ふんぬふんぬ蹴りを入れようにも届かず、ついに最終手段として食らえ靴飛ばし。それなりに固いローファーがすっぽ抜ける感覚。「ギッ」発射成功、と同時に手の力が弱まった。暴れまくって何とか手から抜け出せば、股間を押さえて中腰のヤンキーくんが……あっ。


「ご、ごめんなさい」


本当ごめん。腕を構えつつジリジリと距離を取ると、よほど痛かったのか涙目でこっちを睨んでくる。ごめんて。


「なんなんだ……っ」


それこっちのセリフなんだけどもー。

ようやく落ち着いて周りを見れば、なんだか不気味な場所だった。奈落まで続いてそうな穴に巨木が生えている。それを取り囲む廃墟と螺旋状の通路。いかにもオカルトチックな場所が自分の夢とか。ホントにあった怖い話より世にも不思議な話系の不気味さを感じる。私ホン怖より世にもの方が怖くて苦手なのよね。よくよく観察すれば今立っている通路の壁には別の通路がポッカリ暗く開きまくっていて、いつ何時オバケが飛び出してきてもおかしくない。

……もしかしてもコレ、怖い夢では? もしかしなくてもそう。きっと怖い夢。首掴まれた時点でソレ。い、いやァーー! 早く目覚めて! ほっぺた抓っても何してでもいいから目覚めて! この際鬼をkillする少年みたくダイナミック自殺でもなんでもいいから! 刀持ってこい!


「かえる!」


──パァンッ!

破裂音。衝撃。横から思いきり頭を押されたような力が入って。私は固い通路の床に体を投げ出していた。ドクドクと変な振動がして、目の端に赤黒い液体が広がっていく。えっ、と……はい?


「サッちゃんどうしたんですかぁ? うんち? お腹空いちゃったかなぁ?」


寝起きのママが私を覗き込んでいた。

ボケッとしてたのは中身の私だけで、怖かったりビックリした感情は全部赤ちゃんの夜泣きになって消化されていく。良かったぁ、助かったぁ。あそこでオバケとか出られたら一生オムツ離れできない。寝不足のママに申し訳なさ半分安心半分でばぶばぶ甘える。もう変な夢は見たくないなぁ。









「目的を吐け」


やんわりと握られた右手。初対面のように乱暴な感じではない。至近距離から見たヤンキーくんはなんだかやつれている。多分アレだ、うっすらクマがあるから。人の夢に出てるのに本人は寝れてないなんて……いや、そもそもこの人なんなんだ?イマジナリー未来の友達?


「質問もなく拷問するヤツがあるか」


拷問て。ヤンキーくんには一切触れてないし、むしろ首掴まれたのはこっちの方なのにさ。私がしたことと言えば右手の拳銃でダイナミック起床かましてるだけだが。

この不気味な夢でヤンキーくんに理不尽な態度を取られる現象は結構な頻度で起こっている。その度に時間切れですぅと言わんばかりのパァンッ! バタッと。ヘッドショットオーバーキルで目覚めて大泣きがセットになっている。ママごめんね。不意打ちでヘッドショットが本当に無理すぎて自分のタイミングで死なせてくれぇと叫んでたらいつの間にか拳銃所持がデフォルトになった。ママに迷惑かけることが減った。オムツびっしょりも回避。やったね! それからはこの変な夢が始まったらソッコーこめかみに拳銃押し付けてパァンッしてる。最初は怖かったけど痛みも何もないので両手の指の数を超える頃には何とも思わなくなった。今日もヤンキーくんと対面しているのを確認してこめかみに押し当てたところ、すげぇ速さで詰め寄られて右手を掴まれた。は?


「恨んでいるんだろ」


トリガーにかけていた指を片手で器用にどかされて、気が付けば拳銃は下に落ちていた。カチャンと軽い音と同時にヤンキーくんが向こうに蹴飛ばしてしまう。そうするとほぼ手を握られている形になった。恨む?なになに何の話。


「そう言ってくれよ、○○ちゃん」


○○ちゃん誰ぇ?

初対面の時といい、どうもこのヤンキーくんは私のことを誰かと間違えているらしい。それにしても、○○○○ちゃんとは不思議な名前だ。覚えづらいし、何と発音すれば良いのかも分からない。冒涜的なニャルニャル関係のだったらどうしよう。さんちぇっく今されたら失敗する自信しかない。右手もそろそろ離してほしいし。


「うらんでないよ」


知らんけど。私が恨んでないのは本当だし。

落ち着いてもらうためにも会話を試みる。ヤンキーくんは、それはそれは泣きそうな顔で目元と唇をぶるぶると震わせた。雑巾でも絞るような、ツライ苦しい悲しいをごちゃ混ぜにした声で一言。「うそだ」と。


「君には恨む資格がある」


いやそんなこと言われても。


「私を責める権利がある。こんな搦手を使ってまで、何故、私を呪ってくれないんだ。当たり前の顔をして死ねる? 何故、なぜ!」


ギリギリギリ。初対面の時と違って今度は右手が嫌な音を立て始めた。痛っ!いたただだだ! ちょっとタイム!


「君は、普通の女の子なのに」


──パァンッ!

あ、時間切れ。

頭の強い衝撃と倒れる直前にとっさにささえられた体。目の前の黒い学ランに抱き締められて、いつもより遠い地面に赤黒い点がポタポタと落ちていく。ヤンキーくんの体温がじんわり温かくて、目覚めるのに眠くなってきた。頭よりまだ握られたままの手が痛くて痛くて……。


「許してくれ」


頭上でボソッと聞こえた声に寝ぼけながら答えた。


「いいよ」


最後に見上げた顔は、許された人間の顔じゃなかった。なんて答えれば正解だったのか。ほぎゃぁぴぎゃぁと目覚めてママにあやされながら無理難題に頭を悩ませた。

それにしても、ヤンキーの思春期にしては闇深そうだったな。









変な夢を繰り返して気付けば春。ベビーカーから桜の花びらに手を伸ばしてママにクスクス笑われる季節だ。夏になったら一歳だね、とパパと話してるところを見た。そろそろつかまり立ちじゃなくて普通に歩けないかなぁ、無理かなぁ。夢の中では一人で立てるせいで現実でも手を離してしまう事故が起こる。テーブルから手を離して立った瞬間にパパママから悲鳴を上げられ、べちゃっと床に転んだっけ。ついでに大泣きした。もう少し先になるのか。寝っ転がってるのは暇すぎて、ヤンキーくんの悩みについて私が悩んでしまうってのに。やることがないとずぶずぶ沈んじゃうでしょ。


「なんで簡単に許すんだ」


ヤンキーくんは許されたいのに許されたくない面倒くせぇジレンマに陥っているらしい。あと私のことをイマジナリー被害者だと勘違いしてる。イマジナリーだから自分の想像力で作り出した偽物。私が何を言おうと都合の良い自問自答してる気分になるんだとか。しかも優しい言葉をかければかけるほど病む。

詰みでは?


「私が弱かったから君は死んだんだ。聞こえの良い言葉ばかり並べて、君に希望を与えるだけ与え、行動は理想に追いつかなかった。私は君に何もできなかった。私は、何も見えていなかったんだ。君が死ななければ、私はこの世界がこんなに歪んでいることに気付けなかった。なんて愚かなんだ」


ここは懺悔室か。

身に覚えのない話ばかりをさも知ってるテイで聞かされる。それで締めは「許してくれ/許さないでくれ」だ。どないせいっちゅう。返事は期待していないと考えてうんうん頷くしかないのか。まだ赤ちゃんなのに。もうすぐ一歳のぷりちぃな女の子なのに。ヤンキーくんに釣られて病みそう。

ヤンキーくんがイマジナリーな存在じゃなく、きっとどこかに実在している鬱っぽい青少年なことはなんとなく分かってきた。ここが夢の中だから我慢せずにベラベラひとりごと言えてるんだろうなぁ。許されない自覚がある高校生ってヤベェな。即急なカウンセリングが必要じゃん。誰かに話聞いてもらえよ。まあ、勧めても聞いてもらえなかったわけで。ここはイマジナリー被害者のつもりでなんか言ったほうが早いと思った。


「わたしね、いま おかーさんとおとーさんと すんでるよ。ふつうのこなの。ふつうのおんなのこだよ。しあわせだよ」


……なんで普通を強調しちゃったのかイマイチ意味不明だけども。


「もう、いいんだよ」


ニッコリ笑ったら死にそうな顔が返ってきた。傷付くぅ。絶対“許されたいがためにイマジナリー被害者に都合の良いことを言わせてしまった”みたいな思考に陥っている。というか口に出してた。どんだけ自罰的なんだ。責任感つよつよマン、慰め方が未知すぎる。

困った末の最終手段で一つ、口から出まかせの約束をすることにした。


「もしもわたしがこまったことがあったら、こんどこそ たすけて。そしたら ゆるしてあげる」


条件付けは意外と効くってなんかで読んだな。何にどう効くのかはサッパリですが。ヤンキーくんが一瞬虚をつかれた顔して、次の瞬間にくしゃりと笑ったから。しばらくこれで行こうと内心ガッツポーズしたわけ。

まさか本当に助けを求めることになるとは思わなかったけども。



「たすけて……っ」


九月。一歳になってちょっとずつ掴まらないでよちよち歩きができるようになった頃。私は緊急事態に陥っていた。

家の中に誰もいない。
ママがいない。
パパもいない。


「まんま。まーまぁ」


今日の夢は変だった。いつもの不気味な通路で私ひとり。ヤンキーくんは見当たらなくて、サッサとパァンッしたらいつもそばで見ていてくれるママがいない。お買い物はベビーカーで連れてってくれるからなし。トイレか宅配便、……は時間が経てば違うと分かる。電気ケトルが鳴って、お湯を沸かしてる最中にどこかに行くなんてあり得ない。パパは今日と明日はお休みだって、水族館に連れてってくれるって言ってた。そのパパもいくら呼んでも来ない。とりあえず掴まり立ちで部屋を散策してみる。休み休みよちよち、はぁはぁ。ついに脱走防止の柵まで辿り着いて、それが見えた。ママだ。

キッチンと廊下の境目にママが倒れていた。

慌てて近寄ろうにも柵が高すぎてキッチンまで行けない。よじ登れるかと聞かれれば絶望的な高さ。一歳児からしたら絶壁でしかない。ひとしきりママを連呼しながら泣き叫んでも、ママはピクリともしなかった。次にパパを呼んでも全く反応が返ってこない。誰も。誰も、助けてくれない。救急車を呼ぼうと思い至ったのは結構時間が経ってからだった。真っ赤な顔でよちよち歩いてやっと家電の前までたどり着く。置いてる棚は柵よりも高い絶壁だった。嘘だろ。一歳児の体力はすでに限界。とにかく台になりそうな近くのタオルだの玩具だのを片っ端から積み上げていく。受話器、せめて子機だけでも。全然届かないから手持ちの玩具を投げて投げて、ギリギリ届くところまで子機が転がってきた。やった、と思った瞬間に、住所が分からないことに気付く。適当なところを探して、電気料金の葉書を発見。いざいちいちきゅー、のところでもう一度手が止まる。


「おあーうーぅ」


東京都、が言えない。
住所が言えない。


「ぅうううああぁあいやぁーー!!!!」


パニックだった。頑張って頑張って冷静に努めてたのが嘘みたいに泣いた。さっきの比じゃなく泣き叫んで、暴れに暴れて、それでも誰も来なかった。ご近所さんすら来ない。助けてくれない。

パパがいない。ママが死んじゃう。ママ、パパのばか、ママ死んじゃイヤ、ママ、パパどこ、ママ、ママ、ママ、ママ!

泣いて泣いて、疲れても休んで泣いて、喉がおかしくなっても泣いて、午前中だったのが夕方になっちゃって、重いまぶたがうとうとしてきた。たっぷりと夕陽の光が部屋に差し込むのを眺めて、私は──いつもの夢にいた。

いつもの夢に、いつもと違う姿。きっちり上まで留められた学ランはなくて、腕まくりしたシャツだけで、表情が凍りついていて、

背後に龍を連れている男の子。



「“夏油”」



呪術廻戦の、夏油傑だ。



「たすけて……っ」



なんで今さら気付いたんだろう。
なんで今まで気付かなかったんだろう。


「まま、しんじゃう、まま、いやだ、まま、まんまー! まましんじゃやだ! たすげでげどう"ぅぅぅ!!」
「え……は」
「ぱぱもいないの、ばかだからいなくて、まま、ままいなくなっちゃうのやだよぉ!!」
「待ってくれ、ママ?」
「だずげでま"ま"あ"あ"あ"あ"あ"!!」
「私はママじゃないんだが……」


鼻水垂らしてわんわん泣いてる私にドン引きしながらティッシュ渡してくれるとか本当に夏油だろうか。紳士的すぎてビビる。ビビるついでに赤ちゃんだった思考がほんの少し落ち着いてきた。いや二言三言目には「まま」と「ぱぱのばか」が来るんだけども。パパのことは普通。ママの方が好き。

暗記した住所を言い終えた頃、とっくに龍をしまった夏油が私の両手を取り、目線を合わせるために屈む。真剣な目つきでジッと私の顔を眺めて、さっきの凍りついていた表情が嘘みたいに柔らかい。それでいてなんだか嫌な予感がするのは気のせいか。

でも今の私は夏油に縋るしかなくて。


「絶対に助けるから、待っててくれ」
「う"ん"」


──パァンッ!

いつもの衝撃とともに、いつかと同じように身体中が温かくなった。

それからどれくらい経ったか。夕方から夜になって、多分テッペンを超える前まで。誰かが我が家の玄関から押し入ってきて、パチン。急に明るくなった部屋にビックリしていると、すぐそばに立っていた巨人と目が合う。



「天内……?」


高専の五条悟がアホヅラ晒して赤ん坊の私を見下ろしていた。……天内?



***



記録 2007年 9月
東京都■■区■■■ハイツ

任務概要
 アパート内の住民8名及び近隣住民4名(計12名)の集団昏睡事件
 その原因と思われる呪霊の祓除または呪物の確保

追記
 通報者(高専3年 夏油傑)に対する意識介入の疑い有り
 生得術式の暴走事故として一般呪術師(■■理子 1歳1ヶ月)の確保及び保護

・別件で■■県■■市(旧■■村)にて任務中の通報者より担当者(高専3年 五条悟)への緊急要請

・午後10時、アパート内に呪術師の残穢を確認
 208号室の玄関で■■■■、廊下で■■■■が昏睡状態で発見される

・同室の居間で■■理子を発見
 残穢から■■理子の術式によるものと断定

・■■理子の生得領域内にて精神体(※別記参照)の状態で被害者12名の生存を確認、保護
 ■■区立病院へ緊急搬送後5〜39時間後に意識を取り戻す

・──────────────
 ────────────
・────────────────────
・────────────────
 ──────────

特記事項
 術式の安全性及び操作性に難あり
 早急な改善が求められる
 一定期間内に改善が認められない場合は■■理子の処刑を検討する



先日提出した書類に見覚えのない特記事項が追加されている。

臆病が透けて見える内容に笑いも出てこない。五条はしばらく考えて、紙飛行機にして高専のグラウンドに飛ばすことにした。ひゅーん。放物線を描いて木の上に引っかかる。きっと誰かが見つけて捨てるだろう。すぐに紙の存在を頭から抹消した。

最初の違和感はなんだったか。最たるものなら、春頃から夏油が立ちくらみを起こすようになったことだろう。数秒ほど目を閉じたまま立ち止まって、しばらくすると荒い息を吐き出す。3年に上がって単独任務が増えたからだと言っていた。確かに今年は食品メーカーの偽装や年金問題に対する批判、災害など、人々が呪いを生むに相応しい事件がたくさん起こった。比例して呪霊が蛆のように湧き、去年ほど悠長に遊ぶ時間はない。それにしたって夏油の目の下には絵に描いたようなクマがぶら下がっている。珍しく家入が他人を心配するほど深刻な状態に見えた。

いかに天上天下唯我独尊俺様何様五条悟様と言えど気になるものは気になり、何度か尋ねては「お気に入りの作家の新刊が出てね」「深夜番組で見たいものがあったから」「四国まで夜通し車で移動して帰ってきた」などとはぐらかされ、黙るしかなかった。

そんな夏油があの時、──灰原が殉職した時、ポツリとこぼしたのだ。


『天内理子が夢に出る』


本格的にヤバい。五条は珍しく買ったばかりのコーラを渡そうか悩んだ。夏油は本人が言うほど品行方正くんではないが、お堅いところがあるのも知っている。一年経ってもまだ引きずっているとなるともう手遅れに違いない。いっそ人思いに一発殴っておくかと拳を作れば嫌な予感を察知して距離を取られた。

だから言いたくなかったんだと苦笑された。


『Qも盤星教も今はないだろ。残党か』
『どちらも調べたが空振りだった』
『じゃあオマエがあいつのことを忘れられないだけか』
『かもしれない。自分でもビックリだ』


軽口が徐々に重たく閉じていく。押し黙って数秒後に、もっとヤバいことが飛び出した。


『理子ちゃんは生きてるよ』


──夢の中で、縛りが結べたんだ。

あの時の会話が、今になって重く意味を持ち始めた。

県外に任務に出ているはずの夏油から急な電話が入った。知らない住所を叫ぶだけ叫んで早く行けとがなり立てる。先日のことがあったから、珍しく優しい言葉をかけても早く早くと急かすばかり。呪霊か呪物か呪詛師案件かも分からず、夜蛾に適当に電話し任務帰りに寄ったアパート。その近隣までべっとりとこびりついた残穢。特に濃い部分を辿り、部屋に土足で押し入った。

玄関と廊下に倒れている男女には息があった。しかし肩を叩いても反応がない。完全な昏睡状態だ。

とにかく呪術界の息がかかった病院から救急車を回してもらうよう連絡し、携帯を仕舞った後、リビングの方からじわじわと感じる呪力を見た。──まさか。一歩一歩、踏み締めるようにフローリングの上を歩き、手探りで電気をつける。物が転がって酷い有様のリビングに、赤ん坊がコロンと横たわっていた。

天内理子だ。

天内の呪力が小さな身の内に廻っている。元々彼女には呪力はあれど術師になれるほどの技量はなかった。その呪力に上乗せされる形で未知の呪力と混じり合い、絶えず身に刻まれた術式を循環させ続けている。三人分だ、と咄嗟に浮かび、意味不明すぎて頭がパンクしかけた。

潤沢な呪力。既に成熟した術式。一歳児にあっていいものではない。何故だ?

サングラスを外し、直に六眼で見定め、そして気付く。


夏油の呪力が宿っている。


天内の呪力、赤子の呪力、夏油の呪力。併せて三人分だ。

天内と赤子の呪力は、五条の憶測が真実ならギリギリ分かる。だが夏油のは? どんな奇跡にミラクルを重ねてそうなる。

“天内理子が夢に出る”
“理子ちゃんは生きてるよ”


「俺の親友食ってんじゃねーよ」


この赤子は、夏油の呪力を取り込んだのだ。

顔中をカピカピにした赤子。泣きすぎてグッタリ脱力している体を抱き上げ、近くのタオルで適当に拭う。そのままぐるぐるに巻きつけて外に待機している車に乗った。遠くから救急車のサイレンが近付いてくる。術師も同乗しているはずだ。一命は取り留めるだろうが、心身共に回復できるかは被害者の運次第だ。


「おい、俺に術式使ってみろよ」


赤子はほとんど開いていない瞼を震わす。ほとんど体力が残っていないのだろう。仕方なく、五条は人差し指を額に押し当てた。運転席から悲鳴が聞こえたが、それがどうしたという話だ。人が見れば、それは子供に乳を与える母の仕草だ。赤子は無意識にゴクゴクと喉を鳴らし、五条は優しさのカケラもない顔でただ与え続ける。そして、その時は来る。

とぷん……っ。

とろみのある水の中に落ちる。母の胎に這い入った幻想。もはや記憶にない生命の誕生。その再現。頭蓋は柔らかく圧迫され、狭い産道をずるりと通り、外気に触れた瞬間、五条は薄暗い通路に立っていた。

天内理子が、立っていた。

セーラー服を身にまとい、長くコシのある黒髪を三つ編みに、意味があるのか分からないヘアバンドをつけた、十四歳の女の子。

天内理子が、生きている。


「馬鹿か」


生きているわけがない。天内は死んだ。盤星教から死体を回収したのは五条だ。護衛をしていた時に持ち上げた体よりずいぶんずっしりとしていた。ソーキそばの食いすぎじゃねーの、なんて茶化す気も起きなかった。

これは天内理子じゃない。
その先にある別の人間だ。

ほんのり熱を持った六眼。きっと働き詰めで疲れてるんだ。埃っぽいせいでムズムズする鼻をすすり、五条は天内の姿をした赤子に詰め寄った。


「飲み込んだ人間はどこにやった」
「……ふぇっ」


問題は、俺様何様五条様に赤子の接し方が備わっているわけがないこと。


「まま」
「は」
「まま、ままぁ」
「お、おい、まさか」
「ま、まぁ、まま、まま、ままぁ! まましんじゃやだーーーー!!!!」


キィーーーーーン

十四歳とはいえ女の高音は耳に痛い。肉体から解き放たれ体力という概念のない世界では、全身を使った絶叫などやりたい放題だ。母を求めて身も世もなく泣く赤子はその場に尻餅をついてしまった。

自他共に認める最強五条悟。
天敵は話の通じないガキ。

その後どうにかこうにか言葉を尽くしてなだめすかしてたまにキレてまた泣かせて、落ち着いたのは現実世界で五時間経過した頃だったらしい。通路の下に広がる廃墟を一つ一つ覗き、ワケも分からず神隠しされた状態になっていた一般人を(無理やり押さえつけ)拳銃で頭パァンッして回ったのだ。

天内の死因は銃殺。拳銃で頭を撃ち抜かれ即死。その後伏黒甚爾によって遺体が回収され盤星教の元に届けられる。──ここから外に出た。結果論として、天内は拳銃で撃たれることで天元と同化せずに帰ることができたのだ。

拳銃と帰還。縛りを無意識下で課したなら、自他共にここから出るために従うしかない。

死ぬ瞬間にそばにいた夏油は、なんの因果か来世の赤子にまで縁を引き継ぎ、この生得領域に引き摺り込まれた。そして天内の姿をした赤子が拳銃で撃たれるところを見たのだろう。何度も何度も、守れなかった子供が死ぬ様を見せられ続けた。なんて地獄だ。そりゃあ寝不足にだってなるし、クマもできる。普通に任務を続けられたのが不思議なくらいだ。

天内のために戦えなかった五条でさえ、最後に自ら頭を撃ち抜いた姿に吐き気を催したというのに。

さて、常時無下限発動しっぱなし沖縄旅行と母親と引き剥がされて恐慌状態の赤子と二人きりの任務。どちらがマシかと聞かれれば即答で前者を答える。いつの間にか高専の保健室で赤子と並んで寝かされていた五条は、家入すら心配するやつれ顔だった。中学生の護衛をガキのお守りなどと愚痴った昔の自分を殴りたい。本当のガキのお守りナメてんのか。

十二名の被害者を生得領域から追い出す作業を終えても、残った問題は山積みだった。

被害者へのアフターケア。保護者への説明。赤子の術式に関する調査・報告。赤子に呪術的な教育を施す方法。天内の生まれ変わりという情報の取り扱いなどなど。挙げればキリがないが、直近で一番面倒なのは、


「悟! 理子ちゃんは!?」
「おー、遅かったな。天内なら俺の隣で寝てるぜ」
「は?」


冗談を心底冷たい声で打ち返した親友の対応……ではなく、初めて赤子の姿を認識した夏油への説明である。


「正確には天内だったガキだ」


■■理子。リコと書いてサトコと読む名前の赤子は、五条に対してよそよそしかった。五条の名前は知っていても知り合いではないといった態度。きっと天内の時の記憶はほとんど薄れている。むしろ覚えている方がおかしな話だ。それでもところどころの生意気さは天内に似たものを感じる。これに夏油は引っ掛かったのだろう。


「お父さんとお母さんと一緒にいられて幸せだと、私に言ったんだ」


夏油の手が赤子に伸びる。直前で少し離れる躊躇いを見せた後、そろりと頬に触れた。輪郭のぼんやりした皮膚は、人も呪霊も殴り飛ばしてきた指を簡単に受け入れてしまう。


「本当だったんだなぁ」


五条はそっと布団を被った。









五条が今まで親友を放置してきたツケを払うのは、それから一月後の話である。


「私がこの子のママになる」
「待って」



***



「オマエの術式は、生得領域に呪力を引き込んで自分のものにする」


大変なことになった。

一年経って初めて知る事実。私は呪術廻戦の世界に転生したらしい。しかも呪力があって術式もある。しかもしかも夢だと思っていた不気味な通路が私の心の中で、そこに闇堕ち前の夏油傑を連れ込んでいたのだとか。知りとうなかった。

そもそもどうしてヤンキーくんが夏油だと気付かなかったのか。いや、二次元存在が三次元になって現れられても困るでしょ。私は漫画の彼しか知らないんだから。


「人間なら呪力に引きずられる形で体から心──精神体を取り出し、腹の中でゆっくりと消化する。さながら蛇の丸呑みだな。現実に残るのは体だけ」


そして漫画でしか知らない高専の五条が丁寧に私の術式について説明している。蛇の丸呑みって結構なグロ画像じゃないっけ。グロ画像に例えられる私の術式。エグいよぉ、怖いよぉ。


「呪霊なら体も残さず全部オマエの中だな。アイツら呪力でできてるし」
「ふぇっ」
「うおっ、泣くな泣くな!」
「ふぇぇ……」


怖いと思うとすぐ泣いちゃう赤ちゃんクオリティ。だって想像しただけで怖いんだもん。呪霊ってあの目ん玉とか腕とかが無駄に生えまくってるオバケでしょう? 漫画でも無理だったのに現実にいるなんて無理。しかも赤ちゃんの無垢で繊細なハートにinするなんて正気の沙汰じゃない。怖いよぉ。


「ままぁー!」
「はいはいママですよ」
「ほにゃぁ!?」


お前じゃないんだよなぁ!?

無骨な手で脇を持ち上げられて足がぶらんぶらん。そのまま固い胸板に寄せる形で抱っこされ、思わず赤ちゃんパンチを繰り出した。いちゃい。


「ふふ、サッちゃんは元気だね」
「フツーに嫌がられてるだろ」
「怖いお兄ちゃんに話しかけられて可哀想に。ママの腕でゆっくりおやすみ」
「オマエの顔の方がキモい通り越して怖いわ」
「ほぎゃっ、びぇぇええ!!!!」
「どうしたのかな……お腹空いた?」


今一番怖いのがゼロ距離にいるんだよ。

作り笑いじゃない素のふにゃふにゃとしたスマイルを浮かべる夏油。夏油はそんな顔しない。子供好きとかいう設定はないはずだ。ガキのお守りは嫌がるはずでしょ。もうメロンパン入ってます?

あーあーうーうー手を伸ばすと「ん?」と嘘つきの顔を近付けてくる。どう見てもスベスベな天然物の額ですありがとうございます。闇堕ちの代わりに子供堕ちかい。ワケガワカラナイヨ。


「悟、サッちゃんの術式について2つ疑問なんだが」
「なんだよ」
「拳銃で頭を撃ち抜くことで術式を中断し、生得領域内の人間も現実世界に帰還できると仮定して」


夏油が片手で私を抱きつつ、空いた手で指を二つ立てる。


「1つ、私の時はサッちゃんの意思と関係なく時間経過で弾丸が飛んできて自動的に私も帰還できたこと。2つ、サッちゃんが帰還しても領域内に取り残された一般人十二名の存在。矛盾しないかい?」


また難しい話が始まってしまった。自分の術式なのにちんぷんかんぷんで困る。


「言っただろ、蛇の丸呑みだって」
「……ああ、なるほど」


なになになに? 頭良い人だけで納得しないで。赤ちゃんにも分かるようにゆって。


「消化できなければ吐き出すのか」
「そ。術者のキャパが超えると自動的に追い出される。スグルの呪力は消化不良で、一般人の呪力は消化しきった。残るのはただの精神体だ」
「──まずいな」


なにが。

頭上で繰り広げられる会話に、聞けば聞くほど不安になってくる。不安になると泣きたくなる。「ふぇぇ」と声を上げれば五条が耳を塞いで距離を取り、夏油が下手くそにゆらゆらあやしてくる。こんなん嫌だ。早くママのところに帰りたい。

ママに会いたい。


「まぁま、まま、ままぁー!」
「何度も言ってんだろ、しばらく会えねーって」
「悟、サッちゃんはまだ一歳だ」
「一歳児よりかは話が通じるだろ。たまに」
「それでもだよ。だから代わりのママが必要なんだ」
「こんなママは嫌だ」
「それを決めるのはサッちゃんだよ」


こんなママは嫌だッッ!!!!

ママは柔らかくって良い匂いするもん。こんな固くて制汗スプレーとワックスが混じった男子高校生みたいな匂いしないもん。みたいなじゃなくて男子高校生だわ。

声を大にして言いたいのに出てくるのはほぼ母音だけ。泣くしか意思表示できねぇ。赤ん坊って無力だ。やっぱり可愛さを武器に生きるしかないんだ。

一月前にここに来たのもある意味無理やりだった。助けが来たと思ったら五条で、よく分からないまま言う通りにしてたら、流れでママとパパと離れて暮らすことになっていた。頭では納得していても体が追いつかないからどうにもならない。結局補助監督のお姉さんがやって来るまでぐずりまくってしまった。

あの日、ひとしきり泣いて落ち着いた後、私は五条と一緒に心の中を歩き回って──人を撃った。みんな精神体? ってヤツでとっくに気絶している状態だったから、気絶させることもできなかったみたい。『殺される!』と暴れる体を五条が押さえ込んで、泣き叫ぶ大人の頭に銃口を押し付けて、パァンッ。バタッと倒れて、血がドクドク流れて、そのままスゥーッと消えていくのを12回見た。そのうちの2回はママとパパだった。

私はママとパパを殺した。

『子供がいるんです!』『まだ赤ちゃんの娘が』そんなことを私に言ってきた。私が『ママ』『パパ』って呼んでも分からない。当たり前だ。だって領域内の私はイマジナリー未来の私で、赤ちゃんにはどうやったって見えない背格好だったもの。ママとパパは見知らぬ女の子に拳銃を突きつけられて、撃たれて、病院で目覚めた。命に別状はないと聞いても、心はどうなのか分からない。知りたくないとも思ってしまった。

ママとパパと一緒に暮らすには術式をコントロールしなければならない。そこら辺の目処はまだ立っていない。逆に、どうやったら暴走するのかは夏油がなんか言っていた。曰く、夏油の呪力を食べ過ぎて私の領域がエネルギー飽和状態になっちゃったんだって。術式に呪力を流して発散しないといけなくて、でも食べ過ぎるのもいけないからと近場の呪力が弱い一般人を引きずり込んだ。他人からすればふざけてるのかって巻き込み事故だ。


『サッちゃんの術式が暴走した責任は私にもある』


これだけ聞くと、なんて責任感の強いできた人なんだと素直に感激できたのに。『だから』で続いた夏油の言葉が異次元すぎてスペース赤ちゃんになってしまった。



『私が君のママになるよ』



たすけて。

こうして闇堕ち前なのに様子がおかしい夏油と原作よりなんだか苦労してそうな五条、子供が苦手らしい家入さんと、真っ当な大人夜蛾先生に囲まれて元気に一歳児してる私である。昼間は夜蛾先生のブサカワイイぬいぐるみを使って術式コントロールの訓練。飽きたら寝たり遊んだり。夜は呪術に理解のあるシッターさんに寝かしつけられたり。夏油の精神攻撃を受けたり。五条に泣かされたり。夏油に精神攻撃されたり、されたり、……夏油をどうにかしてくれ。どうやったら塩顔イケメンがママを名乗る不審者に変貌するんだ。漫画読んでて思ったけど高専はもっとメンタルケアに力入れろ。

二度目の人生。鬱とは無関係に頭ふわふわハッピーライフを目指していたのに、現実は前途多難である。イケメンに囲まれてコレはない。ママに会いたい。勝手に溢れた涙でぴぎゃあと泣いて、またいつもみたいに深く眠った。

普通に寝た気だったんだけどなぁ。


《あ……ゃ……ぃ……》


丸くて黒いモヤが目の前に浮かんでいる。手のひらに収まるくらいの小ささで、冬の寒い日に布団から出たくなくて引きこもる体勢に似てる。


《……じゃぁ、ぁ……た、よぉ……》


呻き声に近い。男か女か、子供が年寄りかも分からない。不気味で危険な、何か良くないものなのかもしれない。でも、でもね。


《あにじゃ、あいたい》


誰かに会いたい気持ちは、分かるなぁ。


「わたしも ままにあいたい」
《ま、まぁ……?》
「ぱぱにも ちょっとだけ」
《あにじゃ……あにじゃぁ……》
「おにいさん、どこにいるの? つれてきてあげよっか?」
《ほんとぉ?》
「あえないのは つらいもん ね」
《う"ん"……さみしい……》

「いいよ、おにいさんにあわせてあげる」


約束ね。
う"ん"。

──パァンッ!









「ほゎ……」


なんでクリスマスプレゼントみたいなノリで枕元に呪胎があるんです?




***




伏黒恵は、五条理子のことを可哀想なヤツだと思っている。

まず名前だ。あの人として尊敬できない男、五条悟と一音違い。端的に言って可哀想。途中までどっちを読んでいるのか分からないから、二人して同時に振り返るのが最悪の絵面だ。「「はーい」」とハモッた時なんて鳥肌が立つ。なので伏黒は、理子のことをリコと呼んでいる。そうすると五条と夏油が揃って苦虫を噛んだ顔をするのが不思議だった。

次に生い立ち。理子は一歳という驚きの年齢で術式を発現させた。結果一般人を巻き込んだ事故を起こし、非術師の両親と離れ離れになった。それどころか、術式の凶悪さから呪術界の上層部に目をつけられ、実験の名の下に特級呪物を送り付けられる嫌がらせを受け、特級相手に縛りを結ぶなどという最悪の事態に陥ってしまった。五条家に養子に入ったのはその時期らしい。

伏黒が初めて彼女に会ったのは七歳の時。二歳の理子はどこもかしこもふわふわとした御伽話の生き物のようだった。伏黒とも津美紀とも違う芯のない黒髪が作り物みたいだ。実際に触ってみると本物の子犬のようで、無心で撫で回してしまったほどだ。


『ちょっと君、うちの子にベタベタ触らないでくれ』


さらに可哀想なことに、特級術師のモンペがいる。

五条よりはよっぽどしっかり人間している夏油傑は、理子が絡むと途端に周りを置いていく。五条の瞬間移動も目じゃない。爽やかに胡散臭い笑みをとろとろにして『ママがついてるからね』などと囁く。こっちの方が事案では、と五条を見上げると全力で目を逸らされた。『あ! あの雲ソフトクリームに似てる〜』うんこじゃねーか。

なんでも理子が術式を暴走させた一端に夏油が絡んでいるらしく、責任を感じて親代わりになっているのだとか。それにしたってパパの間違いじゃないのかとか、親代わりは五条がするべきだろとか、もしかして五条がパパで夏油がママのそういう関係? とか。真っ当なことから嫌なことまでいろいろと巡ったが、全部懇切丁寧に否定された。最初のだけは否定しないでほしかった。

理子の術式の中には理子じゃない誰かがいる。黒髪を三つ編みにして、ヘアバンドを巻いたセーラー服の女の子。五条曰く、アレも理子の一部らしい。理子の生得領域なのだから、それはそうだろうと納得した反面、理子はあんな考えの持ち主なのだろうかと疑問にも思う。


『嫌いな人の嫌いなところを考えるくらいなら、好きな人の好きなところを考えて、幸せになりたい』


その方が建設的だよ、とアレは笑った。理子に似た無邪気な雰囲気を、ちょっとだけ大人の型に嵌めた表情だった。一瞬、津美紀のような偽善者の妄言だと勘違いしたが、よくよく聞けば、それは冷たい突き放しだ。自分の世界には好きな人しかいない。嫌いな人間などそもそも目に入っていないのだと、柔らかい口調でシビアに提示してくる。

伏黒はその言葉に共感を覚えた。同時に、理子の中にいるアレに愛着を覚えた。もう一人の姉のように、記憶にない母のように、もしくは────

もしかすると、もしかして、


「伏黒くん、サッちゃんのお迎えありがとう。もう帰ってもいいよ」
「こんにちは、夏油さん。お気遣いどうも。もう少しリコと話すことがあるんで大丈夫ですよ」
「そーだよ夏油。今日は恵くんとね、ケイくんの話してたの。よーりょーが大きくなったからエッちゃんと会えるようになったし、もうすぐチョーさんも呼べそうだねって」
「うんうん良かったね。その話はママと悟と三人でしよっか」
「えー」
「リコは嫌そうですが」
「それを決めるのは君じゃないよ」
「夏油いや」
「ほら」
「サッちゃん?」


理子は今年十一歳になる。

“黒い”ランドセルを背負って(何故黒なのか尋ねたところ、『そばにいると安心するから』との返答をもらった。何故か五条と夏油が顔を覆った)、伏黒と手を繋いで高専の階段を登っている。

理子の術式は使いどころが難しい。弱い呪霊なら跡形もなく消せるが、強い呪霊だと中途半端に弱体化させてから外に吐き出してしまうし、並の術師がずっと中にいれば呪力を吸い取られ、最悪非術師になってしまう。上層部に目をつけられたのは、自分たちが呪力なしのクズにされるのを恐れたからだ。

訓練や縛りを増やすことで現在は呪物の運搬に役立っているらしく、小学生なのにもう任務に駆り出されていた。

十年経ってやっと人の役に立つ術式になったと、理子は喜んだ。『もう少しでママとパパと一緒に暮らせるね』と。屈託なく笑う子供を、伏黒は可哀想だと思った。

生まれた時から記憶を持っていて、父母から赤子への見返りのない愛情を覚えているからこそ、無害になった自分が無条件で受け入れられることを信じて疑わない。幼稚園の卒園式も、小学校の入学式も、毎年の運動会や学芸会も、そして来年の小学校の卒業式も。ずっと父母が会いに来てくれることをワクワクしながら待っている。一度だって彼らが来た試しがないというのに。

十年間、一度も連絡がない時点で察してしまえばいいのに。

可哀想で、察しが悪くて、可愛い子供を、伏黒は守ってやりたいと思う。善人か悪人か判断がつかない、自分と同類であろう子供が、いつか真実を受け入れて傷付く日にそばで慰めてやりたいと思う。



「本当に、伏黒くんは年々似てくるなぁ……」



とりあえず、ことあるごとに目つきが怖くなっていく自称ママの三十路術師をどうにかしたい今日この頃。





・サッちゃん
ママとパパが好き。“黒い”ものも好き。天内理子だった記憶は99%消えてるし、領域内では天内理子の名前を認識できない。夏油の自称ママ発言に引いてるだけで夏油のことは好き。天内理子の時は前世の記憶を忘れてるから原作通りの行動取った。天内理子の自覚は一生できない。

・夏油
ママ。親の仕事はだいたいしてる。最初は義務ママだったけど途中からガチママになってる。サッちゃんから緊急呼び出しされたのは村人killする0.5秒前。一応ミミナナ保護済み。こっちは兄として接している。

・五条
年々父親に似てくる伏黒と前世の享年に近付くサッちゃんのツーショットで初めて胃痛を経験した。

・伏黒
夏油が若紫計画してんのかと疑ってる時期があったけど、歳の差的に自分の方が光源氏ポジだと気付いてない。

・ケイくんとエッちゃん
サッちゃんの心の中でお話しできたよ。

・チョーさん
呼ばれるまでスタンバってる。


← back
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -