プニカif/王子様とお見合いしたら友達増えた



※女監督生出ます。



「すごい、すごいわ! うちに魔女が生まれるなんて!」



奇跡も魔法もあるんだよ?

死亡フラグを立てるような台詞がポンと頭に浮かんだ。毒々しいほどに煌びやかな美人の母と低反発クッションみたいに柔和な美丈夫の父になでりなでり可愛がられ、私は美少女にあるまじき乾いた笑い声をこぼした。

うちの国は一言で言うと金持ちの国だ。民主制で王侯貴族はいないけれど政治家が実質貴族のようなもの。実力主義と血統主義のいいとこ取りみたいな成り立ちで、家によって世襲制だったり実力主義だったりでまちまち。人口はぶっちゃけ大国の首都くらいしかいないのに個人所得の平均は大国以上。何より税金が安い。ほぼない。これ目当てで他国籍の富豪が移住してきたりする。主な財源は国営のカジノとかレースとか。イメージとしてはモナコに似ているかも。けれど何故か日本人っぽい人種が多い。四季もはっきりしているし。

そんな不思議なお国の政治家の両親のもとに生まれ変わって、お貴族さまみたいな生活を送って早15年。


「いけないわ、少し時期を早めないと」
「そうだね。寮に入る前にあらかた決めておこう」
「善は急げよ!」


まさかこれが私のお見合いの話だとは思わなかった。

父母がこんなに大はしゃぎしているそもそもの発端として、なんでも世界的に有名な魔法使いの学校から入学案内が届いたのだとか。入試どころか出願もしていないのに!?

確かにこの世界には魔法が存在するし、この国にだって魔法使いはいる。魔法使いじゃなくったって簡単な生活魔法なら誰もが使える。私だって玄関でつけ忘れたアクセサリーを引き寄せるし。でも魔法使いになれるかって言われたら首を傾げるしかない。義務教育で簡単な生活魔法は習ったけど、学問的なことは全く触れてない。それで名門校に入れられても……って話だ。不安しかない。できれば元々行く予定だった女子校に行きたいなぁ。という私の意見は、喜んでいる両親を見ればなさそう。育ててもらった恩もある。うんうんうなずいている間に、私が18歳から始めるはずだった婚活を15歳の今始めることになっちゃってた。卒業後でもいいのでは?……あ、学校が四年制、寄宿舎学校、なるほど、はい。そっかあ。

そんなこんなで比喩じゃなく山ほど積まれた釣書の、上から六番目にあった夕焼けの草原のレオナ殿下とお会いすることになったのだった。……殿下ぁ!?


「夕焼けの草原第二王子、レオナ・キングスカラー殿下」


本当に王族出てきちゃったよ。

わざわざうちの国にまでご足労願ったとか倒れそう。だって王族を呼びつけたんだよ? 貴族みたいな生活してたって我が国は四民平等の民主主義。うちは代々政治家って言えば由緒正しい血筋かもしれないけれど王族とか皇族とか神様とか妖精とかの血は一滴も入っていない。身分的には金持ちの庶民なわけ。王族を呼びつける庶民。王子様と結婚しようとする小娘。ひぇっ。手汗でベタベタしてきた。まあ顔は微笑みがデフォルトでどうにか頑張っていますが。

うちはお貴族さまと喩えられることも多いし、実際そんな生活を送っているけれども、教育はどちらかというと甘い。花嫁修行で家事を一通り習うし、奥様として旦那のいないお屋敷を取りしきれるように毅然とした態度を叩き込まれるけれど、できなくても別にって感じだ。何せうちで一番怖い母が私に甘々なので。誰にでも優しい父も甘々。すごく甘やかされている反面、家庭教師がロッテンマイヤーさんみたいな人なんだけれど、今のところ理不尽に叱られたことはない。親戚の前で恥をかかない程度に礼儀作法は仕込まれた。最低でも公の場では、と。

このお見合いは、どちらかといえば公の場になる。一切気を抜かず心を許さず本心を語らず。と、まあそんなお人形の演技をしている内に何事もなく終わった。マジで微笑んで頭を下げただけ。向こうはちょっとも笑わず目も合わさずでお人形対決なら殿下の勝利である。

駆け抜けるようにお見合いが終わって家に帰る車の中。喩えるなら真っ赤な薔薇やダリアのような母が両手を合わせてうっそり。「なかなかの美形じゃない? 気に入った?」と。


「お、王族の方は、ちょっと」
「どうして? レオナ殿下は王弟で結婚すればウチに婿入りするの。王族じゃなくなるのよ? タイプならいいじゃない」
「ヒィ」


渾身のお断りが軽くかわされてしまった。

あとレオナ殿下のお顔は好みとか好みじゃないとかすっ飛ばすような美形なので、見れば見るほど自分のタイプが分からなくなってくる。となれば性格で判断……するにしても、まずお話もしていないのだから性格もクソもない。

意味のない言葉でうじうじしていると「じゃあ熱砂の国は?」「嘆きの島なんて変わり種も」「茨の谷からもあるのよぉ!」などなど。黙っていたらキリがないくらいにオススメラッシュを食らって思わず「レ、レオナ殿下でいいでふ!」というどのツラ下げてなウエメセ返答をしてしまった。

私とレオナ殿下の婚約にはこういうアッサリとした経緯しかない。

夕焼けの草原におかえりあそばされたレオナ殿下とはそれ以降一度も会っていない。王様と王妃様、兄王子様やお妃様とは恐れ多くも何度かお会いしたのに。肝心のご本人とは一切会えていない。これって本当に婚約オッケーもらえたのかしら。首を傾げつつ、会わないなら会わないで別にいいかと横に置いた。目下の悩みは入学式が迫った魔法学校、その名もロイヤルソードアカデミーのことについてだ。

突然だが、私の顔は怖い。自他ともに認める美少女ではある。うん、でもね、他人からすれば気が強そうというか、弱いものいじめを楽しむタイプに見えるらしい。権力者の一人娘ということで色眼鏡で見られることも多く、そのせいであまり友達ができなかった。むしろよくわからない冤罪をかけられて学校を変えたこともある。美少女は美少女でも性格の悪い美少女なのだ。

ロイヤルソードアカデミーは見るからに善良そうな人しかいない。ホームページでもパンフレットでも二次元なのに三次元に飛び出してきそうなほどキラキラしくて目がビックリした。この中に悪役美少女顔。浮く。遠巻きにされる。絶対に上手くいかない。ロイヤルソードアカデミーに入学できて絶望する人間なんて私くらいだろう。シクシクする胃にグッと顔を歪めると鏡の中の美少女は凶暴な不機嫌顔を披露していた。ひぇ。

せめて、せめて目立たないように。迷惑をかけないように大人しくしていよう。


「名前ちゃんって言うんだ? 同じペアだね。一年間よろしく!」


芸能人と隣の席! 芸能人に下の名前で呼ばれる! 芸能人と握手!

いじめられるいじめられるイジメの冤罪をかけられて逆にいじめられる。

ネージュ・リュバンシェくんの純真無垢な笑みを向けられて顔を青褪めさせる女なんてかなりレアだったのかもしれない。それからちょくちょく声をかけられるようになり、お友達の小人くんたち共々仲良くしてもらえるなんて思わなかった。何より、私がネージュと仲良くしていてもなんとも思わずに声をかけてくれるクラスメイトや先輩たちは善良さが行き過ぎている。


「プリンセス、また不安がっているのかい? 花のかんばせが陰って見えるよ」
「まだ人見知りが治らないのかしら。今日の放課後にまたお茶会をしましょうね」
「先輩方ずるぅい! 僕もお邪魔するからね名前ちゃん!」
「ネージュはいつも名前と一緒だろ。たまには俺たちにも譲れよ」
「だって名前ちゃんはこの学校で初めてできた友達だもん! ね!」
「う、うん……そうだね……」


いい人しかいないのかな。

自然体でいても怖がられない。黙っていても変な言いがかりで泣かれない。イジメのIの字もない。みんな善性の塊。性善説の申し子。光の民。心が真綿で埋もれてしまうほどに優しくて優しくて。魔法士なんてもともと進路になかった私の素人に毛が生えたような成績でも笑わず熱心に教えてくれる先生方もすごい。なんでも毎年一学年に数人ほどそういう魂の資質? 性格? オンリーで選ばれた魔法に馴染みのない子が入学することがあるらしく、そういう素人の子には特に優しく接するのが慣例なのだとか。おかげで私もなんとか授業についていけているし、なんとなく得意科目みたいなものもできた。

これまでの学校はなんだったんだろうと黄昏てしまうくらい、すごく充実した、楽しい学園生活が送れている。

だからこそ、レオナ殿下の存在をうっかり忘れていたわけで。思い出させたのは兄王のファレナ様の鶴の一声、ならぬ獅子の一声だった。


『ナイトレイブンカレッジのマジカルシフト大会に私の名代として訪問してくれないか』


『お互い全寮制の学校に行ってしまったから会う機会がないだろ?』小声で茶目っ気たっぷりに付け足された方が多分本命だ。いいんですいいんですそんな下々の民にお心を割かなくても。レオナ殿下と二人きりも怖いし、ご学友と楽しくやってらっしゃる中に婚約者が割り込むなんて最悪でしょう。空気読めって話ですよ。

恐々と制服でお邪魔しようとしたところ先輩方から全力で止められ、ネット通販で吟味して購入したワンピース。落ち着いたネイビーの生地に夕焼けのようなオレンジの小花柄。このキツイ顔と合わされば高校生に見えない大人っぽい見た目になったけれど、大人すぎない可愛らしさもほんのりある。なんて恐ろしい審美眼だろう。ローヒールのすっきりシンプルなショートブーツと合わせれば来賓としてふさわしい格好になった。仕上げとばかりにネージュがペンを一振り。リンゴ色の鮮やかなリップが唇に乗った。

ありがとう先輩方。ありがとうネージュ。


「恋人さんと楽しんできてね!」
「離れたくないからってあんまり遅くなっちゃダメだよ!」


相手は恋人じゃないんだよ先輩方。婚約者なんだよネージュ。

そんなこんなで賢者の島の端から端へ。断崖絶壁に建つナイトレイブンカレッジへやって来た私。正直マジカルシフトというスポーツには興味がない。前世でもサッカーや野球観戦をしたことがないんだから、スポーツ適正の低さはお察しだった。そういう意味でも今回の訪問は冷やかしのようで気が乗らない。ちょこっと挨拶して屋台を見て回ったら帰ろうと思っていたのにいつの間にか試合が始まってしまった。選手の控室に行くわけにはいかないし、恐々と来賓席の端の端に座った。

端っことはいえ来賓席は来賓席なのか、箒に跨って縦横無尽に飛び回る選手たちの勇姿はよく見えた。バンバンピカピカ魔法の応酬が繰り広げられるグラウンド上空。私が分からなかっただけで心理戦やディスク捌きの駆け引きが繰り広げられているのを実況で知った。「すご……」と口を開けて見るしかない。だんだんそういうダンスとかパフォーマンスを見ている気持ちになったところで観客席の通路から見知った人が近づいてきた。


「名前ー!! 久しぶり!!」
「……カリムさん?」


母が懇意にしているアジーム商会の息子のカリムさんだった。

瞬時に公の顔に切り替えて上品に微笑む。ナイトレイブンカレッジの制服を見る影もなく着崩しているカリムさん。私の手を取って大きくシェイクハンドするその後ろでひっそり控える従者のバイパーさん。そっか、ナイトレイブンカレッジに入学してたんだ。従者もセットなんてすごい学校だな。……と思ったらバイパーさんもちゃんと闇の鏡に選ばれて入学したらしい。「ジャミルはすごいんだ!」「優秀なんですね」「もったいないお言葉です」すごい。私と同い年なのにうちの古株執事と似たような受け答えをする。熱砂の国ってそこら辺シビアに教育するよね。ちょっと怖い。


「そういや婚約の話はどうなったんだ? とーちゃんが名前のかーちゃんに頼んだって張り切ってたぜ」
「まあ……お返事はすでにしたはずですが。私、入学前に夕焼けの草原の第二王子殿下と婚約したんです」
「第二王子って、」


────ピシャァァァアン!!!!

突然、空間を裂くような落雷が。明るく爽やかなグラウンドの空気を一掃する。

恐る恐る覆っていた手をどけて音がした方を見る。確か、さっき選手交代で入ってきた選手で、ディアソムニア寮の二年生。あのマレウス・ドラコニア様が、腕を組んで箒に跨っていた。そうか、そういえば、あの茨の谷の王子様もナイトレイブンカレッジの生徒だったんだっけ。名門校の一言では済ませられないほど特異な学校だ。だって天候を変えてしまうほどの魔力だもの。似たような名門校に通っている私なんて魔法士の卵にも数えられないんだろうな。

指先一つも動かさずに大掛かりな魔法を連発するマレウス王子。対する相手チームはどんどん怯んで避けるのに精一杯。拮抗していた点差が簡単にひっくり返る。それでも一人だけがむしゃらに食らいついていく選手がいた。


「レオナ・キングスカラー先輩、か」


バイパーさんに言われて、初めて彼がレオナ殿下なのだと認めた。試合が始まってから「そうかも?」と思いつつ決めきれなかった。あまりに、あまりにも、──レオナ殿下が生き生きしていたから。

私が直接レオナ殿下とお会いできたのは一度きり。お見合いの時の、あのお人形のような美丈夫。時間が早く過ぎ去ってくれるのを待つ植物のような目をしていた。こんなにギラギラとした肉食獣の目はしていなかった。


「テメェらどこで寝てやがる! これしきのことで牙抜かれたか! 不屈の精神が聞いて呆れるなァ!?」


髪を振り乱して、玉の汗を流して、眉を釣り上げて、息を荒らげて、牙を剥き出しに吠える。たった一枚のディスクをめぐって腕を伸ばし、手に入らなくとも何度も突っ込んでいく。誰も後ろについて来れなくても、余裕綽々のマレウス王子に相手にされていなくても。諦めることを知らずに挑んで、挑んで、挑んで、挑んで、────試合終了。

グラウンドに溢れる死屍累々。それを一瞥して去っていくマレウス王子。軽快な実況と戸惑いが強い観客のさざなみ。全部全部、テレビの向こうの出来事のように。私は仰向けに倒れるレオナ殿下を無表情で見下ろしていた。表情を作る方に意識を割けなかった。

レオナ殿下って、人間なんだ。

混乱した。マジカルシフトに全力で挑むレオナ殿下にも、当たり前のことを分かっていなかった自分にも。私は本当の意味で相手のことなんてどうでも良かったんだって。親が決めた婚約と言っても了承したのは私だ。相手のご家族も喜んでくれたから、これで良いんだと放置していた。結婚する相手のことを知ろうともしなかった。それどころか、……人間扱いさえ、していなかった。

私は自分で思っているよりもずっとひどい人間だった。


「レオナ殿下……お久しぶり、です」


当初の目的どおり、せめて一言でもご挨拶をしなければ。カリムさんとバイパーさんに教えてもらった選手用の出入口の方で待っていると、タオルを頭にかけたレオナ殿下がのっそりと出てきた。


「……ンでお前がここにいる」


不機嫌だ。ピリピリどころかビリビリだ。誰だって負けて機嫌良く終われるわけがない。身構えていたとしても怖いことには違いなく、ギリギリのポーカーフェイスでそっと微笑んだ。


「ファレナ殿下の計らいです。連絡も入れずに失礼しました」
「へえ? 兄貴の言いなりで俺を見張りに来たのか」
「見張り、なんて……」
「失望したか?」
「えっ」


爪を立てるような声だった。微笑のポーカーフェイスが破かれる。目を丸した私に、レオナ殿下は無感動に言葉を投げかけてきた。


「婚約者が無様に負けるところを全世界に放送されたんだ。こっ恥ずかしくって隣に立てやしないだろ」


なんでそんなことを言うんだろう。会うのは2回目。初めてこんなに長く話したけれど、レオナ殿下は初対面以上に突き放した態度で私を見ない。

私はさっきの試合でやっと彼に向き合ったのに。


「私は、殿下のこと、尊敬しております」


たぶん、それが一番近い本心だったのに。


「ここには“陛下”も“ファレナ殿下”もいねぇよ」


私の言葉は単なる“おべっか”にしか聞こえなかったらしい。

鼻を一つ鳴らして去って行ったレオナ殿下。その後ろ姿を眺めて、私の胸の内では二つのことがぐるぐると渦巻いていた。


「なにか、頑張らなきゃ……」


漠然とした不安と決意だ。









自分がない人間だった。誰かの言いなりが一番落ち着く性質は、生まれ変わった今も続いている。行動原理は基本的に“誰かに言われたから”。人に褒められるような人間でいること。そこに自分の意思はあまりない。優柔不断すぎて人に決めてもらった方が助かる。そういうふうに生きてきた。

何かに熱中したことなんてない。だから、熱中できる何かを持っている人は素直にすごいと思う。どんな内容でも夢を持っている人は偉い。応援したいと手放しで思えるくらい、素晴らしいことだと思う。

レオナ殿下に対して思っていたことは、私の代わりに選んでくれる人だったらいいな。亭主関白でもなんでもいいから引っ張ってくれる人がいいという無責任な願望だった。でも、今は純粋に尊敬している。結果が伴わなくても、いや、伴わないからこそ、報われてほしいと思う。せめてその努力や志が認められてほしい。それくらい、マジフト大会のレオナ殿下は輝いていた。

そんな人の隣に、私はこのまま収まっていいのだろうか。


「すごい! 名前ちゃん古代呪文語のテスト一位だって!」
「た、たまたまだよ。今回の範囲が得意なところだったから」
「でも一位だよ、一位! 頑張らなかったら取れないよ! 名前ちゃん頑張ったんだねえ」
「うん……うん、ありがとうネージュ」


得意な教科を伸ばしてみる。文系科目は得意だから、とりあえず座学を頑張った。実技はまだまだだし、理系科目も微妙だけれど。頑張ったことが実を結んで褒めてもらえると、自分が少しは誇れる人間かもしれないと思える。ロイヤルソードアカデミーの人たちは裏表のないストレートな言葉をかけてくれるから、肩の力を抜いて受け止められた。

ネージュとも普通の友達として遊ぶ機会が増えた。芸能人として忙しい時間を縫ってプライベートで海に行ったりもした。その時に大変な事件があってお互い肝を冷やしたけれど、なんとか平穏に一年生を終えることができた。ストーカーファンのRさんについては警戒心ゼロのネージュの代わりに気を張り巡らせているけれど。平穏ったら平穏だ。

レオナ殿下とお会いしたのはウィンターホリデーとサマーホリデーの2回。夕焼けの草原に二泊三日のショートステイをした時、両陛下やファレナ殿下と妃殿下、チェカ様との晩餐会や年中行事で。一度だけ書庫で鉢合わせた時は課題を広げていた私におすすめの歴史書を教えてくださった。お礼にチェカ様と一緒に作ったブレスレットを渡した。一応受け取ってもらえたから、思ったよりは悪くない関係かもしれない。

レオナ殿下はマジフト大会で見たあの顔を王宮では一切お見せにならない。気怠そうで、面倒くさそうで、欠伸で滲んだ涙すら朝露のように美しい。この美人の隣に立てるなんてちっとも実感は湧かないけれど、そういうのは結婚してから考えればいい。お母さんからのありがたいお言葉だ。問題を後回しにすることは精神安定に役立った。ポーカーフェイスの下の一喜一憂はうまく隠し通せていたはず。

レオナ殿下が出席日数不足で留年したと聞いた時は、どうだったか分からないけれど。

え……留年て、あの留年? あの地頭が違いすぎる殿下が? 嘘でしょう?

ビックリしすぎて思いっきり殿下の方に顔を向けてしまった。目はちっとも合わなかった。

私たちの結婚はお互いの進路にもよるけれど、一応カレッジを卒業したらということになっている。私があと三年。レオナ殿下は一年で卒業できるはずだった。なのに、これは、……これは、もしかして、そういう? 私との結婚を渋っているという無言の抵抗? いや、この嫌なことははっきり嫌と言える殿下が回りくどいことをするわけが、でも、あの、……ええ?


「レオナ殿下は、……ああ、いえ、その」
「言いたいことがあるならハッキリ言え」


王宮で呼び止めた殿下が気怠げに振り返る。揺れる尻尾がどういう機嫌なのか、獣人への理解が乏しい私には分からないけれど、あまり長く引き止めるのは得策ではない。

聞け。今ここで聞いてしまわなきゃ、新学期からモヤモヤが残ってしまう。聞くんだ。“本当は私と結婚したくないんじゃないですか?”って。


「で、では…………学校は楽しいですか?」
「あァ?」


ば、馬鹿ーーーーーっ!

なん、なにそれ、仕事一筋で子供とディスコミュニケーションな父親か!? 返答に困るというか一言で会話が終わるやつじゃないの馬鹿馬鹿アホ!

現にレオナ殿下は鼻で笑って「そうだな、お気楽なオウサマと家来のツラを眺めるよりは」と。私じゃない相手への嫌味が飛んできて無事死亡した。こういうところはあけすけに言ってくれるんですよねこの殿下。「まあ」と困った顔で笑うしかない私に、興味を失ったように背を向けられてしまった。結局レオナ殿下のお考えを知ることはできなくて、そのまま新学期が始まった。

二年生に上がって、勉強を頑張って、友達や先輩方と変わらず和やかな日々を送って。

ファレナ殿下からまた名代としてマジフト大会に行ってきてほしいというお手紙を受け取ってしまった。私はまたみんなと相談しながら決めたエメラルドグリーンのワンピースとローヒールのパンプス、可愛らしい小物を揃えてナイトレイブンカレッジの門を潜った。

今年は少し早めに来て、新しく始まった入場行進を見ようと思ったのに。どうやら何かトラブルがあったらしい。仕方なく会場の方へと足を向けたところで、「名前ーー!!」と。アラビアンな衣装を着たカリムさんがこっちに走ってきた。


「お久しぶりですカリムさん。寮長就任おめでとうございます」
「おう、ありがとう! そっちも綺麗な色のワンピースだな! レオナの目の色か? 似合っているぜ!」
「あ、あはは……ありがとうございます」


ネージュに押し切られたんだよね。この色。

ちょっとだいぶ気恥ずかしい。半笑いになった私に、カリムさんはニコニコしたまま予想外のことを急に言い出した。


「何かトラブルがあったみたいでさ。大会が始まるまで時間がかかるんだ。今ならレオナと話せるんじゃないかって」
「え……でも、」
「俺もジャミルがいなくて暇なんだ。一緒にサバナクロー寮の見学に行こうぜ」
「え、えええ!?」


それって他校の生徒が入っちゃダメなところでは?

遠慮しようにもがっちり腕を掴まれていて抜け出せない。こういう真っ直ぐな善意は断りづらくて。ちょっとだけ、ちょっとだけ。そう言い聞かせて、私は引っ張られるままに鏡を潜った。


「俺は絶対に王になれない。どれだけ努力しようがなァ……!」


えっ。



「ブロットの化身……オーバーブロット!?」


えっ。


「俺が……王に…………」


えっ。

サバナクロー寮内のマジフトのグラウンドで多数に糾弾されている殿下。謎の黒いモヤを纏ったかと思えば恐ろしい姿で高笑いする殿下。色んな人にボコられて(そしてカリムさんが大量の水でトドメを刺して)倒れた殿下。目覚めて何やら大団円みたいな空気になっている。それも私には全然入ってこなくて。

カリムさんに隠れているように言われた観客席からフラフラと飛び出す。色んな人から部外者を見る視線を向けられても、仮面の不審者に引き止められても足が止まらなくて。なんとか立っている風のボロボロの殿下の前まで来た時、口が勝手に本題を叩き出していた。


「殿下……」
「お、前……どうして」
「婚約、解消しましょう」
「────は」

「私との婚約を無かったことにしてください」




***




「ひっ、ひっく、ふぅ、ぅぅ、ううううう……」
「ちょっと男子ぃ。ナントカちゃん泣いちゃったじゃんサイテー」
「男子校なんだから男子だらけだろ」
「ナントカって誰なんだゾ」
「監督生はどこポジなん?」
「シャラップ」


モストロ・ラウンジは現在、異様な空気に包まれていた。

男子校であるナイトレイブンカレッジにはいないはずの少女が両手で顔を覆い肩を震わせて泣いている。その背中をさするのは今年特例で入学した魔力なしの少女である監督生で、混乱が一周回って冷静になったエーデュースコンビとグリムがツッコミを入れている。それをさらに遠巻きに見守っているのが支配人たるアズールと用があって来店したヴィル、何故かついて来たルーク、空いたソファに座ってドン引きフロイドである。

ウィンターホリデーが差し迫ったこの時期。アズールの企みが白紙に戻り、モストロがポイントカード制を導入してしばらく。帰省に伴っていろいろと忙しない時期だからこそ、店内はどことなく閑散としていた。

今なら空いてるかも……とちまちまポイントを貯めているエースとデュース、グリムに付き添って来店した監督生は、一番水槽が見える良い席に獣人が固まっているのが目に入った。黄色いリボンを巻いた三人組は妙に興奮した様子で誰かに話しかけている。


「たかだか金持ちなくらいで夕焼けの王族に勝てるかっての」
「そうそう、金で血筋は買えねえんだよ」
「成金が勘違いしちゃって見苦しいよなァ」


話しかけて、……イチャモンをつけている?

おや?と首を傾げた監督生。チラチラと様子を伺っていると、厚い筋肉の隙間からとんでもない威圧感を感じ取った。

美少女だ。キツイ顔付きを凍てつかせた美少女がモストロの革張りソファに浅く腰掛けている。「あ」と声を上げた監督生。釣られて二人と一匹も視線の先を見遣った。

監督生にはずっと引っかかっていることがある。

異世界ツイステッドワンダーランドに間違いで召喚され、紆余曲折を経て魔獣グリムとふたりで一人の生徒としてナイトレイブンカレッジに通った。一癖も二癖もある生徒たちの事件に巻き込まれ、果てにはオーバーブロットの暴走事故を三度も経験した。そのうちの一つ、サバナクローのグラウンドで起こったレオナのオーバーブロット。闇落ちバーサーカー状態から回復したレオナに颯爽と駆け寄った迫力美少女のことである。


『私との婚約を無かったことにしてください』


硬い声で、表情で、砂塗れのレオナを見下ろして言い放った言葉。怒りで震える手を強く握りしめ、真っ赤な唇を酷く歪めて、派手な眦を強張らせて、神経質そうな眉を跳ね上げて。ブロットの化身を操って人を害したレオナに心底愛想を尽かしたと言わんばかりの態度だった。散々命の危険を感じた監督生だって「ちょっと……」と思ってしまうような冷たさ。美少女は口を挟む暇もなくスカラビアの生徒に連れられてどこかへ行ってしまった。後に残されたのは黙り込んだレオナと微妙な空気の生徒たち。

確かにレオナがしたことは卑怯だ。人に怪我をさせてまでスポーツで勝つのなんて間違っている。それ相応の罰は受けるべきだ。けれど、流石に一方的に婚約破棄だなんて大事に発展すると、因果応報とは素直に喜べなかった。

実際、サバナクローの寮生たちは自分たちの王が見も知らぬ美少女に蔑ろに吐き捨てられたことに納得していなかったのだろう。

何故彼女がナイトレイブンカレッジ内のカフェにいるのか分からないが、サバナクロー生からの悪意ある揶揄を静かに躱し続けている。それでも眉間にかすかに寄ったシワが声もなく『下々の民がアタクシに話しかけてんじゃないわよ日光なしで二酸化炭素から酸素吐けるようになって出直しなさい』と言っている。監督生は震え上がった。

紳士の社交場なのだからこういう時は店員の誰かが止めに入るべきでは、と見渡せば明らかにサボっているフロイドが暇そうにあくびをこぼしていた。ええ……。

捕捉するとこのフロイド、別にただサボっているわけではない。前日の所用で痛めつけられた足の療養のため、座っていてもできる仕事を言い渡されていた。マナーのなっていない客を注意する役である。フロイドにとって現在の状況は危急の事態ではなかった。フランクな挨拶だろうと見過ごせるギリギリのラインだったので、何より陸の獣なぞ歯牙にも掛けなそうな美少女だったので、「だる……」とぼんやりしていたのである。

そしてこの状況でアズールが出てこないのは取引相手のために約束の品を取りに行っていたからで、ちょうど戻ってきた時には化粧水を取りに来たヴィルがルークを伴って来店してきた。「なんの騒ぎ?」「……少々、元気が有り余ったお客様がいるようで」笑顔の口元がヒクヒク。客が少ないとはいえ他の席の生徒は迷惑そうだ。これは注意しなければ、と思ったところで。


「お国で好き勝手やってきたんだろ。見りゃ分かるぜ。性悪が顔に出てるからな!」
「ンな可愛げのないツラでレオナさんの隣り並べるワケねぇだろ!」
「庶民を嘲笑って楽しいか!? 俺らのことも馬鹿にしたんだろ! お前みたいな悪女にレオナさんはもったいねぇよ!」
「見た目じゃなく中身を磨いたらどうだ? マ、テメェと仲良くなりたいヤツなんて金目当てのハイエナしかいねぇけどな!」


これは、流石に……。

監督生は覚悟した。とうとう彼女の堪忍袋の緒が切れる時だと。実際にスッとソファから立ち上がったし。背骨に針金でも通っているのかという真っ直ぐ伸びた背筋。震える唇がいつ罵声を吐き出すのかと身構えた、その時。


「う、生まれつきの顔を、磨くことはいけないことですか?」


「えっ」とこぼしたのは誰だったか。


「怖がらせる気なんて、なかったのに……なんで、見た目で悪いって、決めつけられなきゃいけないんですか」


釣り上がっていた眉と眦は大人しくハの字に寝そべっていて、真っ赤な唇から出てきた声は可哀想なほどに震えている。切れそうなハープの弦を無理やり弾いているような危うさで、ツラツラと。


「自分らしく、綺麗に整えてきた顔で、どうして、普通にしているだけで悪者にされなきゃいけないんですか? どうして、イジメてるとか、性根が悪いとか、」
「お、おい……」


とうとう、俯きがちだった顔がガバッとライトに照らされる。その顔は、目は、悲壮にうるうると涙の膜が張り巡らされていた。


「もう、悪役にされたくないのにッ!」


騒音を聞き流していたヴィルがピクリと反応した。


「怖い顔だからって、金持ちの娘だからって、なんで!? イジメられて当然とか、なに!? やっと変われそうだったのに、勉強、頑張っ、て……も、もう、イジメられたくないよぉ」


足を踏み出したばかりのアズールがピタッと動きを止めた。


「好きでお金持ちに生まれたワケじゃないし、生まれたお家がムカつくからって、なんで私まで嫌われるの……もうやだ、やだやだ! 頑張ったのに、もっと頑張れるのに、いくら頑張ったって無意味なのはやだ!」


ここでカリムに付き添って今まさに来店したばかりのジャミルが軽く目を見開いた。



「帰る! こんなところいたくない! 知らない! 結婚なんかしたくない! 行き遅れでいいもん! 馬鹿にされるのやだぁーー!!!!」



──うわぁぁぁん!!!!

各方面に謎のエイム力を見せつけてボロボロと溢れる涙をそのままに大泣きし始める美少女。全てを下に見た氷の真顔は何処へやら。火がついたような真っ赤な顔を覆ってソファに座り込んでしまった。

呆気に取られたのは店内にいる生徒全員。誰も彼もがポカンと口を開けて非現実的な光景を眺めている。いち早く復活したのは監督生だった。

よくよく考えれば監督生が彼女と会ったのは二回。話してすらおらず、相手に認識もされていない。なのに、どうして彼女が性悪お嬢様だと勘違いしたのだろう。どうして、見た目で人を判断してしまったのだろう。

どれだけ溜まっていたのか。愚痴を吐き出しきった後も泣き止む様子のない彼女に近付いて肩をちょんちょん。そろりと見上げた目は真っ赤に腫れていてウサギのように怯えている。泣いているせいか全体的にキツい印象が薄れ、整った顔立ちを正しく認識できた。──かわいいのでは?


「ティッシュで良ければ……」
「ぁ、あぃ、がとぉ」


かわいいのでは!?

おずおず受け取ったタダのポケティをレースのハンカチでも持つように畳み目尻の涙を吸わせる。それでも涙は止まらず追加のティッシュを渡すとまた控えめな感謝をされた。


「今の学校以外、で、初対面の、女の子に優しくしてもらったの、久しぶり。……嬉しい」



かわいいのではァァアーーッ!?

監督生の庇護欲がオーバーブロット。理性がなかったらなでりなでり攻撃を繰り出していたが、監督生は軽く背中をさするに留めた。


「そういえば、どうしてモストロにいるんです? ここ一応校内、部外者立ち入り禁止なんですよ」
「そ、それは、カリムさん、が」


つっかえつっかえ嗚咽まじりに聞かされたのは、ご友人のカリムがポイントカードをマネーパワーで貯めて他校生の彼女、名前をモストロのVIPに招待したいとアズールに持ちかけた。カリムの友人のやんごとないお嬢様に気に入られればブランドに箔が付くと空いてる日を確保。連れてこられた彼女は何故かVIPに案内される前に水槽を眺めながら待つように言われた。止める間も無く走っていくカリムと、慌ててついて行ったジャミル。困りながらも大人しく待っていたところをサバナクロー生に絡まれたのだとか。


「私、そんなに人に恨まれること、したんでしょうか」
「あそこは難癖つけるのが趣味みたいなところあるし」
「自分たちの王様になんの不満ガーって」
「結婚したくないくらい嫌いなんでしょ? 親同士の決めたことっつっても、好きでもないヤツとは無理だって」
「そんな、好き嫌いの問題じゃなくて、」


捕捉すると、カリムが彼女を呼び出した本来の目的はレオナと話し合いの場を設けることだった。カリムが無理やりサバナクロー寮に連れて来たから彼女はオーバーブロット事件に巻き込まれ、婚約解消なんて事態に発展してしまった。本格的な決定はウィンターホリデー中に行われるらしいが、アジーム家の息子が関わっていると知られれば信用問題に関わるかもしれない。──と、ジャミルが小言を言ったのを良いように解釈したカリムが『ちゃんと話して仲直りさせたいよな!』とこのようになった。

つまり、カリムが席を外して戻ってきたのはもう一人の渦中の人物を無理やり連れてきたからで。



「私と結婚したら、殿下は王様になれないでしょう?」



背後に立つレオナに、名前は気付かなかったのである。









VIPルームに消えた二人がどういう話をしたのか監督生は知らない。知っていることは、どうやら二人の婚約解消は為されたこと。名前の卒業後に改めて婚約の話が持ち上がること。名前がロイヤルソードアカデミーから定期的にレオナのお友達として顔を出すようになったこと。


「名前ちゃん! 会いたかった!」
「私も! 会えて嬉しい!」


監督生と名前が友達になったこと。


「私、レオナさんと共通の話題できたよ」
「なになに?」
「古代呪文学! あと錬金術!」
「わぁ、真面目」


名前が殿下呼びをやめたこと。


「レオナさん、前は何を考えているのか分からなかったけど、今は正直な方だって分かって逆に安心できる。話がつまらない時はね、尻尾で私の手をくすぐってくるの。そうしたら黙ればいいんだもの、とっても楽!」
「へ、へぇ……」


……婚約解消しなくても上手くいったんじゃ、と思わなくもないこと。


ついでに件のサバナクロー生が頻繁に猛禽類の視線を感じて毛を逆立てる日々に悩まされていること、くらいである。





***




レオナは以前から薄々、自分の婚約者がチェカと同類ではないかと勘付いていた。

愛されて育ってきた。大事に育てられた。欲しいものを当たり前に持っていて、奪われることなんてない。温室育ちの肉食獣。面構えからして強かな一面が垣間見える。だとしても、どうでもよかった。婚約などという政治が絡む話に自分が口を挟んだところで。嫌われ者が役に立つのだから良いではないか、と。

面倒がって、諦めて、流した。

だからこそ婚約を解消されたとしても何とも思わなかった。温室育ちのお嬢様には砂を操る化け物は刺激が強かったか。笑えるな。その程度。


『我が国には王制はありませんし、私は、親が金を持っているだけの娘です。探せば他国に王女様はいますし、そっちと結婚すればいいんです。私みたいな庶民と結婚したら、絶対王様にはなれないじゃないですか』


いつもの澄まし顔を真っ赤に腫らしてヤケクソで答える姿はいっそガキだ。いや、16歳なんてガキだろ。四つも年下の女に気を遣われているとなれば流石の末っ子レオナも居心地が悪い。何より他国の姫とくっついて王様になってもレオナの理想ではないのだ。兄より優秀だと認められたいだけで、夕焼けの草原を継げないのならどこぞの姫も目の前の泣き虫も変わらない。

変わらないなら、まだ。


『俺の気持ちを勝手に決めつけんじゃねェよ。なぁ、お嬢様?』


裏表がないというより、他人の悪意に鈍感。悪いことをする人間なんてどうしようもない理由がなければいない。もし悪意を向けられたとしたら自分に何か非があるのでは。……そう考える態度は気に食わないが、レオナの何気ない言葉から勝手に悪意を連想して騒ぐ家臣たちよりよっぽどマシ。ロイヤルソードアカデミーの坊ちゃんと交友関係があるのも気に食わないが、浮気する度胸がある女にはちょっとも見えないから、まあ。

いくつもの“マシ”を積み上げて、口で上手く丸め込んで、適当に婚約関係を続けさせる気であった。誤算は、名前の母親である。


『うちの子泣かせておいて結婚したいってなに。ゴミ?』


泣かせたのは俺じゃねぇよ。

直球の罵声を浴びせられた。本当に血の繋がりがあるのかと疑うほど性格が違う。きっと腑抜けの父親から中身は受け継いだのだろう。肉食獣の顔と草食動物の性格。チグハグな婚約者はあと3年間、レオナの友人として婚約者を作らずに学生生活を楽しむらしい。


「レオナさん! お久しぶりです!」
「あ? なんでここに……あー、そういや研究発表に出るっつってたな」
「はい! 古代呪文学の部門で代表になったんです」


総合文化祭当日。ロイヤルソードアカデミーの白と青の制服を着た名前が歩いてくる。マジフト大会の時ののんびりした足取りと比べればステップを踏むように軽やかだ。長い髪を風に遊ばせて、肉食獣の顔を喉を鳴らした家猫にまで柔らかくする。そのくせ一目散に近寄ってくる様は犬だ。レオナはたまに飼い主の気分になる。

こういうところは、ある意味チェカに似ている。あながち間違ってはいなかったというわけだ。


「ヒマだったら見に行ってやるよ。あの難解な発音を噛まずに言えるか見物だな」
「や、やめてくださいよ。緊張してきた」
「お前が緊張するタマかよ。名門ロイヤルソードアカデミーのお嬢様が聞い、」
「名前ちゃーん!」
「あ、ネージュ」


────は?

ベレー帽を被った妙にキラキラしい男が名前に手を振っている。それに手を振り返す名前は見たこともないほど無邪気で、自然体で、柔らかくて。


「ネージュ、午後からステージでしょう? 私は見に行けないけど、配信で見守ってるね」
「名前ちゃんにならチケット融通したのにぃ。そういうところ頑固だよね」
「ネージュだってわりと頑固だよ」
「えー」
「えー?」


何を見せられているんだ。

内緒話をするようにジャレ合う元婚約者と美少年。訳もなく唸りそうになる喉や鼻の上に寄るシワの正体を、その感情を、レオナが理解するまであと────。




***




名前を初めて見た時、ネージュはヴィルを思い出した。張り詰めて、突き詰めて、見つめるほど息苦しくなる美しさ。声をかけるには勇気がいる存在だった。それでも魔法に不慣れな女の子を見過ごせなくて、笑いかけることに躊躇いはなかった。

名前は見た目に反して大人しい子だった。ネージュやクラスメイト、先輩方が優しく接するたびに宝物をもらったみたいに怯える。こんな高価な物は貰えないと言わんばかりに慌てて、最後は恐る恐る受け取る。苦笑がはにかみ笑顔になった瞬間はネージュにとっても宝物だ。

それが、庇護欲に変わったのは新学期が始まる前。

賢者の島では基本的にマスコミの入国は禁止になっている。やんごとない家の子息が集中しているのだ。下手に事実無根な情報が拡散されたら国際問題に発展しかねない。なのに、その時のネージュには厄介なパパラッチがついていた。


『ごめん、ごめんね、巻き込んでごめん』


みんなで海に行った。ロマンチックな砂浜をはしゃいで回って、二人の足元にはスニックがいたのに。バストアップだけの写真では親密な男女に見えなくもない。事務所には既に強請りの電話が来ているらしい。買い取ると言ったところで素直にデータごと渡してくれるか……。平謝りするネージュに、真っ青な顔で名前は言った。


『母に、相談してみます……』


結果、出版社が潰れた。

夕焼けの草原の王室が、出版社のある輝石の国に抗議を入れたのだと秘密裏に教えられた。理由は王族の縁者に対する名誉毀損。余罪もボロボロあったせいであっという間だったそうだ。悪いことをしたから不幸なことになってしまったんだと、ネージュは単純に受け止めた。

なのに、名前は真っ青な顔でネージュに謝ってきた。


『こんなつもりじゃなかったの、本当に、ここまで大事になるなんて……』


半泣きで、カタカタと震えて、ネージュに言い訳を繰り返す女の子。何か悪いことをしてしまったみたいに、教会で懺悔するように、名前は。


『嫌いにならないで』


ネージュは、名前の味方でいたいと思った。

だから、名前を泣かせた婚約者の人のことは好きになれない。


「レオナさん、見に来てくれるかな」


なれないけれど、以前よりも怯える回数が減った名前を見ればうまく行っていることも分かってしまって。


「きっと来てくれるよ。名前ちゃんの晴れ舞台だもん」



幸せになってほしいなぁと、ネージュは鼻歌を歌うのであった。


「そういえば、あの、Rさんはどう?」
「どうって、いつも通りだよ。すごく暖かくって面白いファンレターをもらったんだ。名前ちゃんのことも励ましてくれたし、Rさんっていい人だよね!」
「う、うん……直接窓辺に置かれてなきゃ、ね……」


ネージュのパパラッチ事件で塞ぎ込んだ名前がネージュのファンからの励ましの手紙と鈴蘭の花束を貰い、郵便じゃなく直接窓辺に置かれたことで、『ネージュにストーカー予備軍の厄介ファンがついているのでは?』と別の不安を煽られ、友人を守るべく元気にならざるを得なかった。そんな経緯をネージュは知らず、この後その本人とVDCのステージで会えるなんてもちろん知らなかった。



「(ネージュは私が守らないと)」
「(名前ちゃんの笑顔は僕が守るんだ)」

「Très bien! 白雪の君と鈴蘭の君の麗しき友愛、目にするだけで私の寿命がフェニックスになるね! いつかきっと癌にも効くはずさ!」




企画へのご参加ありがとうございます! プニカの人inツイステのifでした! 大変遅くなってしまいすいません! レオナさんメインで書こうとしたのにネージュくんとの友情が目立ったり意味もなくオールキャラ出してしまったり、ストーリーに書き手が振り回される難産でした……。長々とした話になってしまいましたが楽しんでいただけると嬉しいです。素敵なリクエストありがとうございました!

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