王子様if/もしも王子様♀だったら



※時系列めちゃくちゃすっ飛ばす。
※スケアリーモンスターズの話あります。




ヴィル・シェーンハイトは柳の眉をついと跳ね上げた。

名門ナイトレイブンカレッジに入学を果たし、敬愛する美しき女王の奮励の精神を掲げるポムフィオーレ寮に組み分けされた。順風満帆な初日であった、はずだ。

同室の男の顔を見るまでは。


「ジョークのつもり? 全然面白くないわよ」
「どういう意味だ」


濁ったアルトが怪訝な音を含ませた。

声の持ち主は小柄な少年だ。ザックリと刈られた黒髪。座った大きなブルーアイ。背筋はシッカリと伸びていて見苦しくないが、大股でベッドの上に座る足は下品で仕方ない。何より許せないのはその顔だ。

髪と同じ同色の眉は最低限整えられているものの、整えた意味はあるのかと思うほど太く長い。濃い目に入れられたノーズシャドーは眼光を威圧的に見せる割に、肝心の目にはアイシャドーがなく、アイラインは舞台メイクもかくやと言わんばかりの跳ね上げキャットアイ。頬や唇はファンデーションで意図的に血色を殺しているフシがあるし、首の色と比べてずいぶんベースが濃い。無理やり日焼けしているように装っている。

メイクは雰囲気を変えるとはいえ、本来の魅力を隠してしまっては元も子もない。しかもこの場合隠すどころか虐殺だ。美しい女王の精神に大手を振って反抗する男が、ヴィルのルームメイトだったのだ。


「メイクの仕方を知らないの? それとも鏡も見ずに塗りたくったのかしら」


初対面の相手にメイク指導をしてやるほどヴィルは親切ではない。しかしこの顔を毎日拝むと思うと憂鬱にもなる。堪らずメイク落としのシートを手袋よろしく顔面に投げつけた。何やら抗議の声が上がったが構わずに拭き取っていく。眉毛だけでもシートが真っ黒になり、ヤケクソ気味にシートを追加。結局計三枚も使ってしまった。


「どれだけ塗り込めてるのよ。化粧は欠点を隠すためにあるんじゃない。パーツの美しさを引き立てるためにあのよ。これじゃ本当の芋洗い、じゃ、な…………!」


沈黙。絶句。汚れたシートが滑り落ちる。

分厚いファンデーションの下に隠されていた肌が見る見るうちに青褪めていく。シミそばかすニキビひとつない陶器のような白肌。無駄に太く大きく高く見せていた鼻はスッと通って慎ましやかに。形の良い唇は上品にピンクを含んで潤ったロイヤル・ハイネス。半開きの唇から覗く舌さえも薔薇の香りがしそうで。溜まらず目線を上げれば、くっきり二重目蓋にマスカラもアイラインもなしに黒くたっぷり睫毛を育てるアーモンドアイ。その下の丸々と濡れた瞳は日が昇る直前の冬の湖面。誰も足を踏み入れたことのない神聖を宿してヴィルを見つめている。

なんたる至高。
なんたる極上。
なんたる美。

神に祝福されているとしか思えない。聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。天使の歌声が聞こえてきそうなほどの被造物は、けれども。



「アンタ、女?」



牙剥く狼を前にした仔兎の如く、体を震え上がらせていた。

名前・フェルツマン。風光の湖の第一王子にして王位継承権第一位。人に厳しく自分に厳しい。頭脳は申し分ないが融通が利かないことがあり、言葉をオブラートに包まない言動が多い。それでいて礼儀作法は合格点なのだから誰も彼も声を上げるのは憚られる。手放しでは褒められない人柄であるが、それでも将来を期待される湖の王子様。


「黙っていて、くれませんか……」


蓋を開けてみれば弱々しい美少女。

本物の湖のように瞳を潤ませ、芸能人だとしても輝石の国の平民でしかないヴィルに必死で懇願する。濁ったアルトは無理やり低い声を出していたのだろう。落ち着いたソプラノが優しく空気を振動させ、聴く者の耳を喜ばせた。誘拐され手篭めにされる生娘のようで、何もしていないのにこちらの方がヴィランになった気分だ。


「ナイトレイブンカレッジでの四年間が、僕に残された最後の自由なんです。女とバレれば強制的に帰国させられます。だから、どうか」
「異性と同室で最低一年過ごすなんて有り得ない。スキャンダルは嫌よ」
「決して、決してご迷惑はおかけしません。あなたの視界にも入らないようにします」
「そうじゃなくて、」
「僕にできることならなんでもしますから」


胸元で指を組んで上目遣いをする美少女。声を捲し立てたせいか白い頬は赤く色付き、細い眉は悲しげにハの字になっている。目が肥えたヴィルですら胸を掻き毟りたくなるほどの切実さ。演技ではない。心からの言葉に免じて、ヴィルは譲歩することにした。



「なら、アンタの顔はアタシのものよ」



ヴィルと名前のルームメイト生活は、こうして始まったのだ。

王子様のフリをしたお姫様との生活は拍子抜けするほど順調だった。というのも名前が前評判を裏切る素直な性格だったからだ。ヴィルがアレコレとコスメを並べて説明するたびに的確な質問が飛んできて、答えれば一発で使いこなしてしまう。アイラインは流石に無理だったが。きっと男らしさを履き違えた演技が傲岸不遜な態度だったのだろう。

練習熱心で、コスメにもスキンケアにも興味津々。なのに時たまハッと思い出したように距離を置いたり黙り込んだり。


「王子様は化粧をしてはいけないの?」
「……綺麗になっても、意味がないじゃないか」


ヴィルの眉が思いきり吊り上がった。


「ここまで手を尽くしているアタシの前でよく言えたわね」
「シェーンハイトはいいだろう。美しくなればそれだけ結果が返ってくる。僕が美しくなったところで何の価値も見出されない」


努力して努力して努力を重ね、どれだけ美しくなってもネージュに勝てないヴィルにそんなことを言うのか。

名前が言いたいことは分かっている。芸能人と違って王族に美しさは必須ではない。女の身でありながら男のフリをしている彼女は、化粧をすることで女らしさが前面に押し出されないか危惧している。だからちゃんとした化粧をしたがらない。分かっていても、はらわたが煮えくり返る心地は治らなかった。

ヴィルが見立ててヴィルが手ずから施した中性的なメイク。本当はもっとアイシャドーを付け足してグラデにしたいし、マスカラだって重ね付けしたい。眉毛もシェーディングももっと薄くして、偏光チークをトップにサッと掃きたい。形の良い唇に色を乗せれば老若男女すべての視線を釘付けにできる。何を言っても陶然と頷く木偶人形を作り出すほどの完璧な美になれるのに。

名前・フェルツマンというだけでそれは不可能になるのだ。


「どんな言い訳を並べ立てようとその顔はアタシのものよ。四年間、毎日完璧なメイクでナイトレイブンカレッジに通ってもらうんですから」
「ああ、約束は違えない」


男らしい言葉遣いに戻っても、その瞬間の名前は困り眉の可哀想な女の子だった。

美しさを侮る輩に目をかける筋合いは一切ない。本来のヴィルならばすぐにでも同室の厄介事から目を背けたはずだ。けれども本当に厄介だったのは、名前が美しかったことだ。ヴィルのような強烈な存在感とネージュの柔らかい純朴さを綺麗に混ぜたような美。目が離せず手を伸ばさずにはいられない。ヴィルのように拝みたいタイプではなく、ネージュのように守ってやりたいタイプではない。

触れて、汚して、壊してしまいたいタイプ。ここまで危うい美しさは、世が世なら権力者に囲われ一生日の目を見ない芸術品に等しい。

この、自身の美を知りながらもひた隠しにしてしまう自己肯定感の低い少女を、ヴィルはめちゃくちゃにしたくなったのだ。



***



ヴィルと名前は友人ではない。あくまで同寮のルームメイトで学内で二人きりでいることは珍しい。ただその日はたまたまヴィルと名前で参考書の貸し借りをしようと中庭で待ち合わせしていた。

芸能人のヴィル・シェーンハイトと一国の王子様である名前・フェルツマン。目立つ二人が並んで立っているところ、お約束とばかりに上級生の不良に絡まれたのだ。

やれ金を出せだのグラビアアイドルのサインもらってこいだのと意味不明に喚く生徒を相手に、制止する間も無く名前はヴィルの前に躍り出た。

濃すぎず薄すぎないキリリとした眉。単色アイシャドーとアイラインでスッキリ見せたアイメイク。通った鼻筋と艶が消された薄い唇。シェーディングである程度輪郭の丸さをカバーした顔は、可憐でありながら少年的な凛々しさも併せ持つ。

ヴィル直伝の中性的なメイクを施した名前は、見る者を圧倒する美しい少年に違いなかった。


「君たち、自分が恥ずべき行為をしていると分からないのか」
「は?」


舞台俳優直々に仕込まれた発声法は、高いソプラノでも十分に少年らしい声音に聞こえる。直で食らった相手が気圧されるのも仕方ない。完璧な出来だ。


「は、ハズベキだってさ。ハズベキって何語? 湖語ですかー?」
「風光って人属じゃなくて人魚の国だっけ? ギャハハ!」
「オレたち魚じゃねーから分からないですー!」
「本当に? 胸に手を当ててよく考えてみてくれ。──『髪長姫の涙タングル・イン・ヘア』」


魔力を乗せた舌が歌うように紡いだ呪文。

名前がロイヤルソードアカデミーと間違えて入ってきたのか? と疑われる由縁。ユニーク魔法、『髪長姫の涙』。


「お、れたちは、」
「なんてひどいことを……!」
「人に物をたかるなんて!」
「すいませんでした! もう二度としません!」


相手の良心を無理やり引きずり出す精神攻撃である。

次々と膝をつき謝罪を口にする上級生たち。中には地面に額を擦り付けたり、慟哭一歩手前まで顔を濡らす者もいた。


「こう言っているが、どうする?」
「どうもこうもないわ。二度とアタシに関わらないでちょうだい」
「だ、そうだ。お引き取り願おうか」


美しい女王の如き迫力のヴィルと、絶対零度の視線を浴びせかける名前。身長で言えば170cmもない少年に怯えて、転がるように上級生は去っていった。


「助けてほしいなんて頼んでいないわ」
「僕が我慢ならなかったんだ。ダメだったかな」
「……ま、手間が省けて良かったわ。ありがとう」


嫌味っぽく言ったにも関わらず、名前は上品に胸元に手を当てて微笑んだ。「どういたしまして」仕込んだ側であるはずのヴィルすらハッとするような、発光するほど完璧な表情筋の有効活用。中庭にいた他の生徒から「うっ」「目がッ」「ひぇぇ」など悲鳴が上がった。

こうして“ポムフィオーレの姫騎士”は誕生したのである。


「姫騎士じゃん」
「姫騎士だ」
「姫騎士キタコレ」


ちなみに発信はイグニハイド寮。




***




「僕が姫騎士と呼ばれているのは何故だろう」


三年に上がってからようやく知ったらしい。

ザンバラだった黒髪を顎下で整えた美少年。小柄な体にポムフィオーレの美しい青を纏う名前・フェルツマンは、一年の頃と比べてずいぶん柔らかくなった。


「アタシが知るわけないでしょう」
「騎士はともかく、ヴィルは姫というより王子様じゃないか」


どうやら姫を守る騎士と勘違いしているらしい。

アタシを守っているつもりなのかしら。ヴィルは内心驚いた。確かに名前のユニーク魔法に助けられたことはあったが、それも二年までのこと。寮長になった今絡まれることは減ったし、絡まれたとしても一人で対処できる。それに名前が人を助けるのはヴィルに限ったことではないというのに。ノブレスオブリージュと称した善行は“間違えてNRCに入ったRSA生”説を強めている自覚はないのか。

しっかりと両足を地につけ、ソファに浅く腰掛けて、上品にティーカップを摘んで舌を湿らせる名前。言動は騎士のように男らしいが、表情は深窓の姫君のように憂いを帯びている。ポムフィオーレ談話室にいた寮生の何人かが倒れた。「うわまぶしっ」直撃したエペルなんて腕で目を覆ってしまったほどだ。はしたない。

今はマジカルシフト大会に向けて会議をしているというのに、名前の個人的な話題に移行してしまっている。視線で釘を刺しかけたところで、隣のルークが大仰に胸に手を当てた。


「それはもちろん、君が姫のような愛らしさと騎士の如き勇敢さを併せ持っているからさ! 姫君プランセス!」
「その呼び名はやめろ! 姫じゃないと言っているだろう!」
「大声を出さないで。見苦しい」


大袈裟に否定すれば意識しているのがバレバレだ。

すぐに「すまないヴィル。皆も驚かせたな」ヴィルだけじゃなく談話室の寮生にまで気にかける。これも素の彼(女)の性格なのだ。男のフリをしようと、他人を気にかける善人っぷりが板についている。王子という地位が邪魔をしているだけで、誰からも愛される女の子になっただろうに。

この学園の生徒で名前が女だと知っているのはヴィルだけなのだ。



「言い訳くらいは聞いてあげる」


件の傷害事件の犯人が女の顔に傷をつけたのだと知るのも、ヴィルだけ。

マジフト大会の有力選手を中心に起こっている事故。寮生が階段を踏み外すのを見た名前がとっさに庇い、顔を擦った。今は大きなガーゼで右頬を覆っている。


「すまない。君のモノに傷を付けてしまった」
「記憶力は悪くなかったのね。アタシのモノを雑に扱うなんていい度胸じゃない」
「ああ、ヴィルの騎士失格だ」
「ごっこ遊びもほどほどにしておきなさい」


ヴィルと名前は友達じゃない。元ルームメイトで現在は別室。ただの寮長と寮生の関係だ。それでも副寮長に名前じゃなくルークがなったのは一部で驚きの声が上がった。それくらい二人は同じ時間を過ごしてきたし、他人から見ればまさに主人と騎士だったのだろう。

寮の自室のベッドに腰掛ける小さな体。少年より丸みを帯びた少女の体。誰も気付かないのは、認識阻害の魔法がかかったブレスレットと香水で隠しているから。初日にヴィルが女だと見破った時、それらは付いていなかった。何らかの手違いで手元に来るのが遅れたのだと名前は言ったが、きっと実家の軋轢に違いない。国は王子様の帰還を待ち望んでいる。たったの四年も待ってくれない国から彼(女)は逃げてきたのだ。


「まだ綺麗になっても無意味だって思ってる?」


凪いだ目がゆっくりと斜め下を眺める。「ここを卒業したら、結婚するんだ」沈黙。震える唇が第一音を発音し損ね、かすれた。


「相手は公爵令嬢の可愛い子でね、僕の秘密を知っている。結婚後、二年以内に大公令息の子を産まなければいけない」
「大公令息って、王族じゃないの。ソイツに継がせればいいじゃない」
「従兄弟だ。父は大公閣下に実権を握らせたくないんだ。従兄弟に継がせれば摂政になってしまう。本人はいいヤツなのにね」


苦笑がこぼれ、傷に響いたのかやや眉根が寄る。小鳥の羽ばたきに掻き消されるほど、何もかもが幽かだった。



「本当は、綺麗なお姫様になりたかったんだ」



シーツに埋もれて消えてしまいそうな儚さ。きっとそれが、王子様の分厚い鎧から引きずり出された彼女だったのだろう。

普段のヴィルなら、きっと聞かなかったことにできた。けれどその日は、その時ばかりはどうにも聞き逃せなかった。忘れてしまえなかった。

それは初めて名前が垂らした金の髪だったから。




***




「そうそう、謝罪の際は是非フェルツマンくん立ち会いの元で行ってくださいね! きっと誠意が伝わりますよ!」
「ふざけんなクソ鴉」
「ぜってぇいやッス!」
「というかもう呼んであるんですけどね! お願いします!」
「はい、『髪長姫の涙』」


ボロボロの姿で号泣土下座するレオナとラギー他サバナクロー生の写真が被害者生徒を中心にNRC内で拡散された。




***




「名前ッ!」


事件はハロウィーンウィークの6日目に起こった。

マジカメモンスターの対策に追われたヴィルたち運営委員や先生たちの疲れが溜まっていたのか。魔法薬の授業中に、貧血を起こした生徒を助けて名前が薬品棚にぶつかったのだ。そこで複数の薬品が落ち、頭から被ってしまった。

毒薬劇薬の棚でなかったとはいえ、混ざることで凶悪な効果が出るかもしれない。真っ先にクルーウェルとヴィルが、近くにいたポムフィオーレ生が駆け寄って──時が止まった。


「お、おんな?」


名前の髪が伸びていた。

俯き座り込んだ背に沿うように、黒い艶やかな絹糸が濡れて床にまで垂れている。クルーウェルが薬品を洗い流すために放った水魔法で全身びしょ濡れ。白衣の上からでも少女の柔らかなラインが丸分かりだった。

いや、髪が伸びたり服が濡れたりした程度ではバレるはずがない。薬品を被ったことで認識阻害の香水が立ち消えてしまったのだ。ではブレスレットは? 水没で壊れるような代物だったかしら。


「毛生え薬と、痩せ薬と、眠り薬と、なにがしかが混ざって変身薬と同じ作用が出たのか」


事情を知っているクルーウェルのとっさの機転により、名前は薬で女に変身してしまった男子生徒ということで難を逃れた。

腰まで真っ直ぐしっとり伸びた黒髪。肌の白さを引き立てこの世のものとは思えない美しさを持った少女。中身が同級生だと知っているクラスメイトたちもソワソワチラチラ。「姫騎士が本物の姫騎士になった……?」イグニハイドは何を言っているの?


「助かった……本当に、良かった……」


普段の上品な尊大さはなりを潜め、普通の女の子のように背を丸める名前。実際に認識阻害の魔法はすべて解いているので誰がどう見ても女の子でしかないのだが。初日に正体を見破ったヴィルにはずっとこの名前しか見えていない。

ほっそりとした手首をさすり、「ブレスレットは点検に出していたんだ。今日は半日授業だったから、夕方に戻ってくるよう調整していたのに」と珍しくしどろもどろに言葉を並べる。言い訳を言っているようで、名前が申し訳なく思っていることがありありと分かった。

男らしく、王子らしくあることにこだわる少女が、不特定多数に少女と認識されるのは生まれて初めてのことらしい。廊下を歩くのも、教室で授業を受けるのも、寮にいるのも落ち着かなく、ヴィルを見かけると小走りで近寄って来る。今までだって大股で近寄って騎士のように横に立っていたのに。まるで飼い主を見つけた仔犬のよう。

ヴィルがある物を手に寮の部屋を訪ねた時なんて、雨に濡れた捨て犬の目をしていた。ここまで気を許されている事実に、当然だと流し切れないほど気分が良かった。

何を差し置いても、ようやく待望の時が迫っていたから。



「アンタの衣装はコレよ」
「へ」



──アタシの手でめちゃくちゃにしてあげる。









ハロウィーンウィーク最終日。

無事開かれたパーティーで、一際目を引いたのは運営委員長のヴィルと、その隣に寄り添う小さな人。

金色の装飾が所々に施された純白のドレス。無垢さの象徴とばかりのプリンセスラインを着こなす華奢な体躯。長い黒髪をゆるい三つ編みで垂らした、青い目が神秘的な少女だ。

揃いの金のヒールをコツコツ鳴らし、二人はステージの真ん中に立つ。正しく演劇が始まったかのように不穏なフルートの主旋律が響き、次の瞬間ヴィルが少女の首筋に顔を埋めた。「あっ」誰かの、もしくは複数の生徒の悲鳴がティンパニロールに掻き消され、稲妻のようなシンバルが空間を引き裂く。場面転換の合図。

ヴィルの腕の中でぐったり仰向けに天を拝む少女。白い首筋の血(糊)が鮮烈に目を引いた。しばしの沈黙。再び場面転換のシンバルがピシャンシャンシャーンッ! ……少女がやにわに意識を取り戻した。その時、突然四方八方からの魔法の光。誰も彼もが目を白黒させているうちに少女は変貌していく。

純白のドレスは美しい女王のディープロイヤルブルーに。
三つ編みが解けてゆるく背中にかかる黒髪。
楚々とした顔に乗った濃いダークメイク。

純真無垢な少女はたった今、ドラキュラに生き血を啜られて、──怪物の仲間入りを果たしたのだ。



「ハッピーハロウィーン!!」



マジカルペンから花火が打ち上げられる。夕方から夜に移り変わる、境界が曖昧な化け物の時間にパーティは始まった。パレードでも流れた怪物たちの音楽が会場中に流れて、ステージはダンスをする影が行き交う。スケルトンが、海賊が、マミーが、狼男が、ドラキュラが、顔無し騎士が、龍人が。その中心で美しくも楽しげにくるくる回る男女。初めからそう作られたペアドールのように黒いマントとディープロイヤルブルーを翻して、気の向くまま愉快なステップを踏んでいる。

ヴィル・シェーンハイトが美しいのは当たり前のこと。美しい女王の精神の体現者が美しい怪物になりきっているのだから、手落ちがあるわけがない。その手にかかった少女が美しくない道理も、この世界のどこにもなかった。

毛先まで行き届いたウェーブがターンのたびに空気を撫でる。アップルを主体とした香水が近くを通るたびに華やかに舞い、続いて頬を紅潮させた表情が見る者の目を奪った。なんて可憐で、美しくて、綺麗なんだ! 語彙を考える暇もない。何せステージ上は絶えず怪物がおどろおどろしいリズムに身を任せているのだ。誰一人立ち止まることはせず、故に満遍なく皆が少女の美しさを目の当たりにした。美しい、美しい、美しい!


「みんなアンタの美しさの虜よ」


くるりと回ってリフト。高くなった視界でたくさんの学友たちの目が少女を見ている。一人は頬を染め、一人はため息を吐き、一人は食い入るように凝視し、一人は口笛を吹き、一人はあまりの美の暴力に気絶し……とにかくたくさん、たくさんの目が、王子様で、姫騎士で、ナイトレイブンカレッジの男子生徒であった少女を讃えている。──ゾゾゾゾッ! 背筋を駆け巡った快感。歓び。感動。この気持ちを、彼女は一生忘れないだろう。


「ヴィル」


本当はここで一つ尋ねる気だった。『どうしてここまでしてくれたの?』パレードのために全生徒分の衣装を用意して、迷惑な客のために奔走して、最終日のパーティの準備にギリギリまで心血を注いでいた。そんな中、わざわざ名前のためにドレスを用意して、メイクまで施して、こうして衆目の中に名前の美しさを証明して見せた。

名前にとって、これは突発的なことに思えただろう。けれどヴィルにとって、これは以前から準備していたことだ。

いつか、名前・フェルツマンという少女の美しさを世に広めたい。必死に取り繕って来た王子様としての皮をめちゃくちゃに剥ぎ取って、美しく着飾って満足させるだけではなく、誰かの目に触れて美しいと認められる舞台を作りたいと。マジフト大会での負傷、彼女の本心を聞き出したあの時から、ヴィルはこっそり準備をしてきた。いつか自主制作の映画でその美しさを永遠に閉じ込めたいと。

けれど、変身薬のせいで女の子になったと誤解されている今、より良く美しさを広められる手段を見つけた。それがこの短すぎる寸劇とダンスパーティだった。

ヴィルは、名前が垂らしてくれた金の髪を登ってやりたかった。


「ヴィル」
「なに」
「おかしなことを言っていいかな」
「今ならどんな世迷言も聞いてあげるわ」


少女は、名前は語る。

美しい人になりたかった。美しい自分でいたかった。美しい自分は、きっと女の形をしている。求められる男の姿では美しくいられない。女の自分が好きなのに、男である自分でしか生きられない。ならばどうして美しく生まれてきたのか。──美しくたって意味がないじゃないか、と。

「でも、けれどね」繋ぐ。紡ぐ。綻ばせる。塔の上まで登って来てくれた王子様を迎えるように、お姫様は涙ぐみ、そっと微笑んだ。



「私、ヴィルの隣に並ぶこのために生まれてきたんだね」



──美しいヴィルと並べるように、美しく生まれてきたんだ。


そんなことを、こんな場所で言ってのける。

ここは由緒正しい舞踏会ではない。シャンデリアが吊るされたホールではなく、屋外の仮設ステージで、周りは上品に着飾った貴族たちのワルツではなく、怪物の仮装をした男子高校生たちの馬鹿騒ぎ。お姫様に似合いの場では決してなかったけれど。名前は確かに、美しいお姫様だった。

ヴィルが初めてメイクを施した時。新しいアイシャドーをひと塗りした時。可愛らしいケーキをこっそりつついていた時。植物園の薔薇を眺める時。ヴィルが遠回しに褒めた時、──ヴィルが好きな笑みを浮かべる。

その何倍も、何千倍も、比べられるわけもないくらい、涙を流して笑う名前は美しかった。


ヴィルが見惚れるほど、美しかったのだ。


もう少ししたら魔法薬の効果は切れることになっている。明日には、名前はヴィルを守る姫騎士の役に戻るだろう。そして卒業までの一年半を、男子生徒としてこの学園の庇護下で過ごす。それが終われば彼女は一生、王族としての人生を送るのだ。愛せもしない令嬢と結婚して、近親者の男に抱かれ、子を産み、王として国民を騙し続ける。



「ありがとうヴィル。一生の思い出にするよ」



ゆえにこそ、その言葉の重みたるや。

ヴィルと名前は友人ではない。一年から二年まで同室で、メイクの仕方や男装のノウハウ、流行りや美容を教えた。代わりに名前はヴィルを不埒な輩から遠ざけてくれた。課題を一緒にこなした、食事をたまに一緒にとった、教科書の貸し借りをした、上流階級の人間からの目線としてアドバイスを乞うた。

たったそれだけの、友人ではない何か。
これからだって友人にはなりたくない。

もっともっと、特別な、深い関係を望んでしまう。

無意識に拭った涙が手袋に染み込んでいく。そのまま頬を撫で、まろい輪廓を確かめて、唇を寄せてやりたかった。

結局パーティは終わり、魔法は解けてしまうのだけど。


『アタシのものになって、プリンセス』


なんて、誰かのものになる彼女には口が裂けても言えなかった。金の髪を登って塔の上までやって来ても、ヴィルではお姫様を自由にできない。

何せヴィルは王子様ではなく魔法使いなのだから。


「ふふふ、忘れられない夜になったよ」
「そうしなさい。アタシが全身プロデュースするなんてレア中のレアよ」
「うん、ありがとうヴィル。大好き」
「はいはい」


ポムフィオーレ寮に帰る道すがら、ヒールを鳴らす音が月明かりをドラマティックに彩る。会話なんていつもと変わらない軽口の応酬で、それでも普段よりも柔らかく少女めいた声音が名前から発せられる。居心地が良いのか悪いのか分からない。ちょっとだけ跳ねた心臓は、どうせすぐに凍り付いてしまうのだろう。



「本当に嬉しかったんだ」

──ぜったいに忘れないよ。



『思い出になんてしないでちょうだい』なんて。鏡に映らない怪物は、言葉だって残せやしないのだ。




***




風光の湖での王の急死、大公の謀略により偽りの第一王子が国を追われ、中立国である賢者の島に亡命することになるのは、三年生最後のサマーホリデーのことである。



「こんな時に、こんなこと……言うべきではないんだろうけれど」



ポタポタと涙を流しながら、歪に、不格好に、王子様でもお姫様でもない少女は笑っている。それでさえ美しいのだから、タチが悪いにも程があるだろう。



「嬉しいよ、ヴィル。──だいすき」



今度こそ、魔法使いは少女にキスをした。






企画へのご参加ありがとうございます! 「汝よ我が身をうつし給え」の王子様が女として転生して男装する話でした。男装は男装で息苦しいだろうと妄想した結果性格が変わり、ヴィルと友情未満恋愛未満を目指した結果駆け足でハッピーな感じに……無理やり締めた感じが否めませんが、少しでも楽しんでもらえてたら幸いです。素敵なリクエストありがとうございました!

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