マレウス妹は学園ラブコメがしたかった・後



留学期間が半分過ぎ去った今日この頃。全国魔法士養成学校総合文化祭に向けて準備が本格化していた。

発表や展示がある文化部はもちろん、設営などの裏方を担当する文化部も忙しくなる。私も陸上部のお手伝いでパープルステージの設営に関わることになった。

今日は3ーAの教室で当日の準備の流れの確認と、番号つきの座席カバーや会場の細かい装飾を作る。


「大丈夫かローズ。力仕事は俺たちに任せていいんだぞ」
「十分任せているわ。みんなで文化祭の準備って楽しいのね」


体の三分の二はありそうなパネルをひっくり返しながらジャックが気遣ってくれる。私はパープルのテープを決められた長さにカットしていく作業だ。テープ自体は軽い素材だけれど、束になって纏まると意外と重い。魔法なしで慎重に持ち上げて、必要な分だけ取り出す工程を繰り返す。こういう細かい作業は得意ではないけれど、集中するとなかなか楽しい。


「楽しいって、中学で似たような行事なかったのか?」
「うん。在校生が少なすぎてね。みんなで集まって何かやるってなかったなぁ」
「よっぽどだなそりゃあ。どんな僻地に住んでたんだ」
「うふふふ」


そもそも中学どころか学校に行くこと自体はじめてなんて言ったらどう反応するかしら。

ジャックと一緒に手も口も動かしながら作業は続く。大して動いていないのにスポーツウェアに汗が吸い込んでいく。こんなふうに汗をかくことことは今まで滅多になかった。マネージャー業の時も思ったけれど、誰かのために汗水たらして働くなんてことは初めての体験で、

……、いいえ、確か、前世の私もそうだったはず。

コウコウセイの私は文化祭でおばけ屋敷をやったわ。確か、私はおばけ役だった。夏で、気温も高くて、クーラーをつけても暑かった。服の下はずっと汗だくなのに、お客さんはどうしたらもっと怖がってくれるかなって、友達とたくさん話し込んだり、血糊を付け足したりしたり。制服に色が移って、クリーニングでも落ちなくて怒られたっけ。

あれは、確かに一つの幸せの形だった。

この妖精生も、決して不幸なことではない。むしろ恵まれている。古の高貴な血筋、潤沢な魔力、侍る優秀な臣下たち、庇護してくれるお祖母様とお兄様。これ以上の何を望むことがあるのかと、満ち足りた笑みを浮かべてこその名前・ドラコニアであるはずだ。

それが本心からできないのが、私の欠陥だった。


「ローズ。ローズ? ボーっとしてどうした?」
「いえ、少し考え事を」


ジャックの一声で浸っていた感傷が霧散する。

こんなこと今考えるべきではないのに。なんだか最近は特に沈みやすくなっている気がする。原因は、もちろん私自身にあるのだけれど。


「おいおい、お姫様には埃まみれの裏方作業は意識がぶっ飛ぶほどショックな仕事だったか?」


ちなみに陸上部はマジカルシフト部と共同で準備している。


「すいませんレオナ先輩。こんな楽しい作業中に集中しないなんてもったいないですね。親切なご指導ありがとうございます」
「うざったい口出しの間違いじゃねえか? 汗臭い野郎どもに囲まれてさぞうんざりしていることだろう」


サバナクローの寮長のレオナ先輩は、初対面から何故だか妙にとげとげしい。無意識に嫌われることをしたのか、そもそも男子校に女子が留学してきていることが気に食わないのか。まあそもそも私がここにいるのはお兄様のコネであるし、王族であるレオナ先輩は不用意に近付いてくる異性には細心の注意を払っているのだろう。

何も知らない平民のローズ・ブライアであるうちは嫌味の一つで勘弁してもらおうかしら。


「やだわ、人間は汗をかくものですよ。一生懸命頑張っている証拠です。いいですね、みんなで仲良く共同作業」
「……チッ、薄ら寒いこと言ってないで手だけ動かしてろ」
「シシシシ! ローズちゃんのいい子ちゃんごっこが一番効くんスよねぇ! レオナさんんも形無しっス」
「ラギー」
「はいはい俺もいい子ちゃんで頑張らせてもらうっスよー!」


舌打ちなんて浴びる機会そうそうないのよね。

「クソッ、トカゲ臭ェんだよ」ドラゴンはトカゲじゃないって言い返さない方がいいかしら。というかこの人、お兄様にもトカゲ呼びしてたらどうしてくれましょう。


「今日のレオナ先輩は機嫌悪ぃな」
「何か嫌な人にでも会ったのかしらねぇ?」


白々しく首を傾げてから、ジャックと一緒に作業に戻った。

準備は日が落ちるまで続いた。

二月だから以前よりは日が長くなったけれど、それでも落ちる時間はアッと言う間だ。自主練時間が朝に偏って大変だとこぼすジャックに頷きがら校舎から鏡舎への道を歩く。

校舎を出る段階になって、カバンのポケットのふくらみがないことに気付いた。


「あ、スマートフォンがない」


スマートフォン。依存症になるどころか使いこなすのに必死なのよね。

寮の友達のマジカメにいいねしたり、時々送られてくるリリアからのメッセージに反応しないと心配かけちゃう。手元にないのはさすがにマズイ。


「お前、またかよ。この前も部室に忘れて行って次の日まで放置してただろ」
「あんまり持ち歩くクセがなくて……」


あの時はたまたまリリアからのメッセージが来てて、未読スルーしたことに次の日しつこくいじられたんだったわ。


「確か、机の引き出しに入れてたはず。ジャックは先に帰ってて」
「ダメだろ、女を一人で帰らすのは。俺がリドル先輩に叱られる」
「そう、ね。じゃあここで待っててくれる? すぐに戻って来るから」
「急がなくていいぞ」
「ふふ、ありがとう!」
「だから走るなって! ……ったく」


放課後の暗い時間とはいえ、みんな準備で残っていたからそれなりに生徒が歩いている。三年生の教室まで行って戻って来るくらいなら何が起こることもないだろう。

そう、思っていたのだけれど。


「ローズ・ブライアだな」


三年生の廊下に差し掛かったところで、二人の生徒が道を塞いだ。

どちらも話したことはないが、片方の顔は知っていた。二年生の錬金術の授業で見たことがある。それでも直接話したことはもちろんない。もう片方はまず存在すら知らない。

今この場で分かることは、二人とも妖精に連なる種族であること。どちらも薄く神秘を纏っている。恐らくは妖精と人との合いの子か、その子孫だ。


「初めまして、ですよね?」


あまりいい初めましてではない。

込み入った話をしたそうではあったけど、密室で二対一になるのはさすがに困る。留学して二週間とはいえまだ女子一人は目立っていて、廊下を歩く人の目はたくさんあった。ここで話してもらったほうが安全かな、と。


「私たちは君の身に着けているネックレスに興味があってね。良ければ見せてほしいんだ」


場所を移した方が良かったかもしれない。


「見間違いでなければ、ずいぶん古い妖精の魔法が込められているね?」
「……、妖精の方に伝手がありまして。特別に作っていただいたんです」
「妖精の伝手、ねぇ?」
「わざわざ妖精族に頼んだのか? 何故? 人間の魔法士では足りないのか?」
「言いたくありません」
「──黙秘、か」


尋問だ。

口調だけは丁寧で、言い換えればそれ以外は無礼者。人間を見下しているのを隠そうともしていない。セベクのそれが可愛く見えるほど、彼らは私を冷たく嘲笑っている。

この二人は私から、ローズから何を引き出したいのだろう。


「私、友人を待たせているのでもういいですか?」
「ああすまないね。では最後に、私たちにそのネックレスを“外して”見せてくれないか」
「できません。私にとって大切なものなので、」
「それがないと、魔法を使えないから?」


言葉尻を遮る的外れな指摘。

魔法が使えない? 魔力がないと言いたいの? 何故?

黙った私に、二人は鬼の首を獲ったように表情を歪めた。


「この距離でも感じ取れる内蔵魔力、畏れすら抱くね。あの御方の魔力だ」
「そうだ、私はそのネックレスを見たことがある。昨年、マレウス殿下がリリア様と共に守りを込めていらした。ディアソムニア寮の談話室で!」
「妹君の安寧を願っておられたと聞く。世界にただ一つしかない特別なネックレスだ」


この二人を、私は茨の谷で見たことはない。社交の場でも、闇の眷属たちの中でも見たことはない。誓って、名前・ドラコニアの関係者ではない。

そして、お兄様がこの二人を目にかけているとは思えない。


「このネックレスは誓って私のものです。そこまで疑うなら、どうしてドラコニア先輩に確認を取らないのですか?」
「魔法道具で魔力を補っているとバレたくないのか? 人間が、妖精の持ち物を使ってまですることか」
「浅はかだなッ! 人間の考えそうなことだ!」


ああ、お話にならない。人間も妖精も関係なく、付き合いたくない輩はどこにでもいるものだ。

興奮した相手の大きな声に立ち止まる生徒が増えていく。

これ以上見世物になるのは嫌だった。さっさとこの場を離れてしまった方がいい。ジャックも待たせているし。


「ごめんなさい、私そろそろ」
「『トネリコを掲げよ。鉄を打て、酸漿を燃やせ、──』」


ヒュンッ!


「えっ」


親指の先ほどの大きさのグリーンサファイアは、込められた魔力の分だけキラキラと輝いている。私の首から外れて宙を舞い、相手の手の内に収まる様は綺麗な放物線を描いていた。

あのネックレスには皮だけローズ・ブライアに作り替える変身魔法と、魔力を吸い取る吸引魔法、それと他人の手に渡らないための防犯魔法がかけられている。普通の引き寄せ魔法では決して取れないはずの代物。

それが、無作法者の指の間に挟まれて、矯めず眇めず鑑賞されている。「やはり、」

周りの人間に聞かせるように、スゥッ──と息を吸った音がした。


「このネックレスはマレウス殿下が妹君の名前王女殿下の誕生日にお贈りした特別な宝物である! どうやって盗んだ人間!!」
「マレウス様の御前に引っ立ててくれる! 少しでも罪を軽くしたいのならさっさと白状しろ!!」


ざわッ。空気は揺れる。不穏な驚きの目が私たちに、私に向けられている。鉄の杭みたいに、痛いほど突き刺さっている。

私はとっさに抗議しようとして、すぐに自分の変化に気が付いた。

ネックレスに吸い取られていた魔力が行き場を失って体の内に満ちてくる。そのまま蛍のような燐光が群れて、体が、作り替えられて、頭の両側に慣れた重さがゆっくりと戻っていた。

体が、名前・ドラコニアに戻ろうとしている。

この公衆の面前で、ローズ・ブライアが名前・ドラコニアに戻ってしまえば、それは大問題だ。身分を偽って賢者の島に入国したのだ。すべての責任は学園長先生に帰属されるとはいえ、国際問題に発展する可能性すらある。何より、お兄様に迷惑がかかる。

お兄様がコネで妹を男子校に送り込んだなどと思われたら、お兄様の残りの学生生活にケチが付いてしまう。そんなの、そんな、


ああ、ああああっ!!


────パチンッ!











妖精の転移魔法で飛んだ先は、元廃墟のあの寮の一室。

人がいないところの候補として真っ先に浮かんだのがここしかなかった。ハーツラビュル寮もディアソムニア寮も鏡を挟んだ異空間にあり、瞬時に飛べるようなところではない。

先日外から見た時に明かりがなかった部屋を選んだつもりだったが、どうやら誰か人が住んでいるらしく、綺麗に並べられた荷物とベッドメイク済のベッドがあった。

暖炉の上に飾られた姿見を覗き込む。金髪に黒い瞳のローズは真っ青になって震えている。……いいえ、青褪めてるんじゃなく、これは、元の肌色だ。生まれつきの蝋燭色の肌だ。

手足の関節が軋む。一回り、二回りと膨らむ体にセーラー服が追い付かない。とっさに実践魔法で普段着のボディラインに沿った黒いドレスに着替える。ローズには大人っぽすぎるが体のサイズはピッタリだった。

内側から魔力が溢れてくる。瞳の色が徐々に緑がかってきて、光の粒がツノの形を取り出した。視覚情報として見えていないだけで、もうとっくにツノは戻ってきていた。

もうすぐ、もうすぐ、名前・ドラコニアが戻って来る。

早くネックレスを取り戻さないと、じゃないと。


──コンコンコン。


「ッ!」油断していた。誰かが近付いていることに気が付かなかった。

じわじわと金髪がまだらに黒く染まっていく。さぞや醜い髪色になっていることだろう。今は人前に出られない。出ようとも思わない。冷静に人の子と対話できる状態じゃない。

ドアノブがゆっくり回った。


「ッ、ぁ」
「誰だッ!」


ドアが乱暴に開け放たれた瞬間に飛んできた魔法。とっさに弾いたそれはロープという実態を持って床でのたうった。

拘束魔法だ。

間髪入れずに飛び込んできた少年。長い黒髪が蛇のようにしなって、死角から手が伸びてきた瞬間、床のロープを利用して相手の足を縛り上げた。

冷徹に、冷静に、相手の自由を奪ってから、見上げてくる目に目を合わせて対話を意思を示す。よく考えなくても不法侵入してきたのは私の方だ。これじゃあ居直り強盗でしかない。


「お前、」
「『瞳に映るはお前の主人あるじ、』」
「──ああ、それはいけない」


目を通して脳に入り込もうとした魔力を瞬き一つで遮断する。

その動作を最後に、もう自分が完全に戻ってしまったことを悟った。

少年の小さな瞳が私の顔を、頭上のツノを視線でなぞったことが見て取れたから。

…………もう、終わりね。



「『祝福を』」



長ったらしい詠唱をただ一言に縮めた“わたくし”の魔法。ユニークと呼ぶにはおこがましい真似事。潤沢な魔力と茨の魔女の血で無理やり形作った児戯は、人間の子供によおく効く。

目を見開いたまま動かなくなった少年。一歩も動くことなくし済ませた直後、勝手に熱を持つ眼球を止められなかった。


「ジャミル……? ジャミル!!」


今まで部屋の外で待っていた気配が飛び込んでくる。紅玉の瞳を揺らしながら“わたくし”を見て、次いでカーペットに転がる少年を見た。


「なんだ、お前……そのツノ、マレウスの家族か? なんでジャミルを、……っオレが目的ならジャミルは、ジャミルだけは!」
「──そう」


今日で三回、話を聞かない輩に攻撃された。妖精も人間も関係ない。この学校の人間を信用できない。説明しようとしたところで理解を示す頭があるか。どうして“わたくし”がそんな労力を割かねばならないの?

この寮にいる者すべて、人間魔獣ゴーストすべてを一晩眠らせて記憶を抜けば────



「これは何の騒ぎ? レッスンが終わったからってハメを外していいわけじゃない。休息だって立派なノルマなのよ?」



勝手にあふれてくる涙が頬を伝う。

表情だけは凝り固まって、きっといつも以上に彫刻みたいな顔をしているに違いない。

ボロボロと涙をこぼしながら、ドアの向こうの廊下に立つ少年たちを見やる。その中で一人だけ、燦然と輝く美しい人を見つけた。



「…………、……、ヴィル様?」



神だ。




***




ダンスレッスンを終えオンボロ寮に帰宅したNRCトライブの面々は、予測不能のとんでもない事態に巻き込まれていた。

始めに異変に気が付いたのはジャミルだ。一年生と二年生が固まって二階の廊下に差し掛かったところで、カリムを後ろに庇って立ち止まったのだ。


「シッ……なにかいる」


熱砂の闇のるつぼとも言うべきアジーム家長男の宿命。この学園に暗殺者が送り込まれることはこれが初めてで、むしろ遅すぎだと思わずにはいられない。やはり異空間にあるスカラビア寮ではなく実空間と地続きのオンボロ寮ではセキュリティに問題があった。

ドアをノックするジャミルと固唾を飲んで見守る一同。中からのリアクションがないのを見て取ると、先手必勝と言わんばかりに突入し、数分。部屋の中は静かになった。

ジャミルが刺客を確保したにしては静かすぎる。一年生たちが止めるより先にカリムが飛び出していき、慌ててついていった一年生たちはその姿を見た。

夜が閉じ込められているようだった。

濡れたような漆黒の長い髪に、生気の薄い白い肌。豊満でありながら縦にスラッと伸びる体躯。床を引きずる黒いドレスがまさしく闇を纏っているようで。

ひときわ目を引いたのが頭部。

黒く、太く、優雅なカーブを描いて天を衝くような、大きなツノ。

ジロジロと観察する目が煩わしかったのか。相手が軽く小首を傾げた瞬間、ぞぞぞっと。鎌首をもたげた蛇に睨まれている心地になった。


妖精が泣いている。


グリーンサファイアの瞳をぬらぬら煌めかせ、黒々としたまつ毛には朝露のような涙がぶら下がっている。そこからぽろぽろと真珠を産み落とすように、石膏の頬を滑らせ床にシミを作った。

カリムが声を上げるまで足元に転がっているジャミルの存在に注意がいかなかった。誰も彼もが目の前の妖精から目を逸らしてはいけないと、畏れとも魅了とも知れぬ錯覚を引きずっていた。


「何をしてるのジャガイモたち」


そこに、一階の談話室でルークと話し込んでいたヴィルが遅れてやって来るまで。


「ヴィル様?」



ヴィル様ぁ???????????




「つまり、あなたが恩人に貸し与えたネックレスが不当に奪われ、恩人は公衆の面前で謂れのない罪を着せられた。恩人の手からネックレスが離れたことを知ったあなたは瞬時にNRCまで飛んできたが、誤ってカリムくんとジャミルくんが使用している部屋に不法侵入してしまった。不幸な行き違いによりジャミルくんを攻撃してしまい、そうして悲しみの涙を流していた、と。間違いありませんか? 麗しの涙の君レーネ・ドゥ・ラルム
「……涙?」
「ルークの悪い癖よ。気にしないで」


オンボロ寮の談話室。スプリングが死んでいるソファに浅く腰掛け、優雅に足を組んだ妖精。泣き止んだものの涙の痕が赤く残った顔で一つ頷く。

見れば見るほど、この学園に通う某寮長に似ている。

監督生が気を効かせて出したお茶に視線もやらず、何を考えているのか分からない表情で虚空を見つめていた。

治安がよくないNRCで小さな諍いは日常茶飯事だが、一般水準よりも裕福な人間が多いここで物盗りの話は聞かない。故意に壊したり奪ったり、となると教師が出てくる案件ではあるが……。

わざわざ魔法で飛んでくるなんて、よっぽどのことが起こったのだろう。

その恩人は無事なのだろうか。呼びかけようとした監督生は、ふと、なんと呼べばよいのか困ってしまった。


「あの……まずは自己紹介をしませんか」
「かっ、監督生!? よくこの状況で聞けるな!?」
「クソ度胸にもほどがあんだろ!?」
「え……そう?」


エーデュースに小声で小突かれてから、そういえば初対面だったことに気付いた。

どこからどう見てもツノ太郎にそっくりだったから、緊張というものが薄かったのだ。

相手の瞳がつぅーっと監督生をなぞる。目が合った監督生よりも両隣の一年生の方がビクッと体を震わせていた。


「わたくしがこの場で名乗ることはありません」
「と、言いますと?」
「わたくしは対外的に茨の谷にいることになっている。ここで名を呼ばれれば谷の外にいる事実が確立してしまうでしょう。特に魔法士の想像力・イマジネーションは無視できませんもの。クロウリー学園長にも迷惑をかけることになる。この件はあくまで内密に済ませたいの」
「ああ、ひとかどの妖精ともなれば名前だけでも立派な呪文になるわ。アタシたちが下手に口にして良いものじゃないってことね」
「話が早いわね、ヴィル様」


沈黙。アイコンタクト。


「…………その呼び方は何? アタシ、無意識にお姫様に敬われるようなことをしたかしら」
「友人が信仰している神を無碍にはできないわ」
「なるほど! ご友人はヴィルのファンなのだね!」
「呼び方がうつったわけか……」


そこでやっと、ヴィルの姿を見て不穏だった彼女の雰囲気が変わった理由に思い至った。

友達がファンだから。友達が大事にしている人は自分も大事にしたい。共感できる考え方だ。監督生の警戒心が完全に無になった。


「はぁ…………敬う気がない形だけの呼び方なんて、逆に失礼だと思わないの、お姫様?」


それはヴィルも似たようなものなのだろう。

頭が痛いと言わんばかりの態度で彼女を見遣る。再び無表情で頷く彼女をどうしたものかと思案した矢先、想像の斜め下からとんでもない火炎瓶が投げ込まれた。



「名乗れないってんならしょーがねぇんだゾ。俺様が決めてやる。ツノが生えてるから……お前はツノ美だ!」



(((ひぇっ。)))
無音の悲鳴が一年生から上がった。



「好きに呼びなさい」



(((((いいの!?)))))
これはほぼ全員が仰天。

怖いもの知らずのネコチャンだけがニャハニャハ笑い、監督生がのほほんと「ツノ太郎とおそろいだね」と。ツノ太郎ってなに。知りたくない。

あわわわ一年生とカリム。目ん玉カッ開いた三年生。空気の断絶がすごい。

空気を現実に引き戻そうと、慌てたカリムがアッと声を上げた。


「じゃ、じゃあ、ツノ美? は、その恩人を助けにやって来たのか? なら早く行ってやらないと」


普通にツノ美呼びを採用した件でまたまた周りから仰天されていたが割愛。


「彼女は既に保護しました。問題は、奪われたネックレスをどう取り返すかでしょう。早く返してあげないと、あの子は日常生活もままならないのに」


仮称・ツノ美曰く。ネックレスがなくなり倒れてしまった恩人を安全な場所に移すのを優先して犯人はまだ捕まえられていないのだとか。


「その不届き者がどこの寮か分かるかい?」
「……一人は緑と黒、もう一人は紫と赤のリボンを身につけていたわ」
「うちの寮生が?」


キッと眉を吊り上げたヴィル。不穏に目を細めるルーク。見慣れない先輩方の恐ろしい冷気は何もしていないエペルの背筋を凍らせた。ついでにエーデュースとオンボロ寮コンビも。

ツノ美は初めて表情らしい表情を浮かべた。不機嫌で、憂うように小さく眉を顰め、持っていた扇子で口元を覆う。


「まだ何か言いたいことがありそうだね、涙の君」
「ええ……あのネックレスには引き寄せ防止魔法がかけられていた。妖精の魔法を退けるほどの強力な魔法を“あれら”が知っているとは思えない。それに、対象はネックレスではなく着用している人間に向けて放たれた。あれはきっと……」
「──妖精避け、かしら」


グッと眉間にシワが寄る。険しい表情の美しいヒトが二人、ただならぬ雰囲気で見つめ合った。

ネックレスを引き寄せられないのなら、着用者から離せば良い。着用している人間に妖精避けを施すことで、ネックレスにかけられた妖精の魔法が反応して弾かれた。


「実を言うとわたくし、彼女にかけられた魔法を肩代わりしているの。先ほどから何度か妖精の知人に呼びかけているのだけれど、一向に繋がらない。相手の知覚範囲に引っかからないと言えばいいかしら。ナイトレイブンカレッジではそのような魔法を習う機会が?」
「ノン! 妖精避けなど、よっぽど妖精に忌避感を持っていなければ学ぼうとも思わないだろうね」
「妖精に忌避…………妖精嫌いのマクモデリン?」


ヴィルの呟きにハッと反応したのはルークだけ。

周りの一年生とカリムは何の話をしているのかちんぷんかんぷんで、ツノ美も無言で続きを促すのみ。

ルーク曰く、ポムフィオーレ寮所属の四年生に大の妖精嫌いが在籍している。彼のユニーク魔法は付与した人物や物体から半径30メートルほどに妖精と妖精に関わる魔法の一切を排斥するもの。本人も無自覚に発現させてしまい、寮内の空調を司る妖精が追い出された結果、寮生全員が真夏のメイク崩れ地獄を味わうハメになったのだとか。


「でもヴィル。彼は今年から実習で学外に出ているだろう? この場にいないのなら魔法はかけられない」
「魔法を預けたと言っていたわ。無差別的で、コントロールが難しく、寮生に迷惑をかけたことを悔やんでいた。要らないものを引き取ってもらって、──良い“契約”ができたと」


“契約”。

このナイトレイブンカレッジにおいて、その単語に悪辣なイメージを付与した人物は当時一年生だった。

素早くスマートフォンを取り出したヴィルが、通話アプリを開いてツーコール。相手が名前を聞くより先に端的な“忠告”を口にした。


「ハァイ、アズール。破滅寸前の顧客二人の信頼を失うのと、マレウスの怒りを買うの。どちらが良いか30秒で決めてちょうだい」
『なんですかその分かりきった二択』
「10秒も要らなかったわね。即決ありがとう。こちらの要望は2つ。マクモデリンのユニーク魔法を貸し与えた生徒の名前を教えて、契約書を今すぐ破棄すること」
『ハ? 無茶言わないでくださいヴィルさん。僕に顧客の守秘義務を侵せと? 二人どころか全体の信用に関わり、』



────ピシャァーーーンッ!!!!


「ふなっ!?」
「雷!?」
「ビッッックリしたー!」
「か、かなり近くに落ちたな」


日が落ちて暗くなったとはいえ、うっすらと星が見える良い天気だった。

それがいつの間にか、闇に紛れて暗雲が侵食し、肉食獣の唸り声が静謐を掻き乱していた。

そうしてついに、どこぞへと大きな雷を振り下ろしたのだ。

電話越しでも聞こえるほどの、大きな咆哮であった。



「聞こえたかしら、アズール。それとも言葉にしないと分からない?」
『……な、なんっ、』

「そいつらはね、こわーい竜の逆鱗に触れたの」











「アタシのところの寮生のやらかしはアタシがケリをつける。アンタはしばらくここでくつろいでいなさい」
「あなたの涙はとびきり価値のあるビジューだけれど、美しい人が悲しむ様は見たくないものさ。もう泣いてはいけないよ、涙の君」


足早にオクタヴィネル寮へと向かったヴィルと、校舎の様子を見に行ったルーク。

オンボロ寮に残された面々は恐々としながらもぐったりソファや椅子に体を預けた。見ていただけとはいえ、レッスン終わりにこれは堪える。


「ツノ美、もう落ち着いたか?」
「わたくしが取り乱しているように見えて?」
「大事な人が大変な目にあったんだろ? 平気だと思っていても、意外とダメージ受けてることあるぜ」


「か、カリムサンすご……」「あの美女にもう慣れてらぁ」「アジーム先輩、すげぇ優しいな」一年生のコソコソが全然コソコソしていない。

グリムを膝に置いて遊んでいた(グリム曰く「遊んでやっていた」)ツノ美は、硬質な表情に淡く笑みを浮かべていたが、カリムに指摘されてまた無表情に戻ってしまった。


「わたくし、本当はここに来るべきではなかったの」


「えっ」と声を上げたのは誰だったか。

首を傾げたツノ美は、サラサラの黒髪で顔が半分隠れてしまう。けれど露わになっている方の緑の目は再びうるりと湿り気を帯びていた。

あわあわする一年生、ティッシュを取りに行った監督生を尻目に、カリムはジッと相手と向き合い続けた。


「こんなに迷惑をかけるなら、私、学校なんて、来なければよかった」


とうとう落ちかけた涙は、監督生が差し出したティッシュによって吸い取られた。

涙はそれきり、落ちることはなかったけれど。


「何でそんなこと言うんだよ。そりゃあ、急に部屋にいた時はビックリしたけどさ。ここに来るくらいならいいだろ。今度はちゃんと許可取って会いにくればいい。大事な人にも、マレウスにもさ」
「でも、でも……」


それきり黙ってしまって、あからさまに沈んでしまった夜の妖精は、儚げで、痛ましくて、何より幼かった。幼い見た目でジジイみたいに喋るリリアとは真逆だ。


(妹たちにもこんな風に泣くやつがいたなぁ。)


カリムは苦笑いしながら、ツノに触らないように髪を梳いてやる。妖艶な美女ではなく、泣くのを我慢する少女を慰めるようであった。


「カリム先輩もクソ度胸じゃん」
「こったらすげぇヒトの頭さよく撫でられるな」
「格がちげぇ」
「ツノ美さんってもしかして妹力高い?」
「ふなぁ、そんなことより腹減ったぁ」


じめっとした空気と蚊帳の外組が断絶した空間。

そんな中、ポソッと予想外の言葉をこぼしたのは、


「ヴィル様のサイン、もらっておくべきだったかしら」


項垂れているツノ美だった。

どっからヴィル様が出てきた??


「そーいや友達がヴィルのファンなんだっけか?」
「ヴィル先輩のファンとはお目が高いですねお友達!」


戸惑う一年生ズを差し置いて、これ幸いにと拳を握りしめたのはカリムと監督生だ。

迷子の女の子をあやす勢いで、両サイドからテンション高くツノ美の言葉を辛抱強く待った。


「うん……いい子だから、何かお礼したくて。ずっと仲良くしたいし、できれば名前も書いてもらえたらって」
「ヴィルは優しいから頼めばくれるぜ!」
「え、どうだろう……アでもツノ美さんのオネダリなら押せばワンチャン!」
「わんちゃんが頼めばいけるかしら……」
「おお! わんちゃんなら絶対大丈夫だ!」
「ワンチャンの意味分からないタイプの人たちだ」


ここオンボロ寮じゃなくて迷子センターだったっけ。

置いてけぼりのエーデュースとエペルは、なんだか馬鹿らしくなって半笑い。気まずーい雰囲気がじわじわゆるーい雰囲気に侵食されていった。

すっかり冷めてしまったお茶にやっと口をつけたツノ美。本当の意味で落ち着いてくれたのだろう。

それを皮切りに、ヴィルの居ぬ間にお菓子でも摘もうかと立ち上がった面々。隠していたポテチは、見つかっていなければ呪いは付与されていないはずだ。真っ先に動き出したエースは、ふと、窓際の長椅子に寝かされた第一被害者の存在に顔を引き攣らせた。


「げぇ!」
「うん?」
「ア?」
「なんだ?」
「どうしたんだゾ?」
「エース?」


「ジャミル先輩のこと忘れてた」



足をロープで拘束され、目を見開いた驚愕の表情のまま固まったジャミル。かれこれ1時間近く続いた放置がようやく終わりを迎えた。










「時止めの魔法は、身体の自由を奪うだけで意識は続いているの。長くても半年くらいかしら。魔法を解けば後遺症もなくすぐに回復するわ」


サラッと超高難易度の魔法の恐ろしい効果を説明されて肝が冷えた。意識保ったまま半年放置は精神が病む。誰か人間に詳しいヒト情操教育して。

長椅子に寝かせられたジャミルのそばに寄ったツノ美。空いたスペースに座り、ジャミルの頬を撫で、覆い被さった。

長い黒髪を尖った耳にかけた後、彫刻のように整った横顔がジャミルの顔に寄せられて、ブラックルージュが乗った唇がしっとりと褐色の頬に吸い付いた。

──その時、オンボロ寮の玄関からけたたましい足音が近付いてきて、バタンッ!!



「姫様ッ!! ご無事です、か…………っ!?」



グリーンサファイアのネックレスを握り締めたシルバーが、ジャミルにキスするお姫様の姿を目にとらえた。


そういえばツノ美ってお姫様なんだっけ。

お姫様が男の人にキスって大丈夫なのかな。

というかシルバー先輩すんごいショック受けてない?

ショックというか鬼気迫るというか。

もしかしてジャミル先輩、切り捨て御免案件?

ゴメン? 何に謝ってるんだそれ?

切り捨てられちゃうのかー、ジャミル先輩ドンマイ。

メインボーカルが消えるのは痛いな……。

ジャミルサン、骨は拾いますね!

オレが一緒に謝ってやるから、安心してくれジャミル!



「勘弁してくれ……!」


部屋に突入した時は黒い服とまだらの髪しか見えなかった。返り討ちに遭い、最後の切り札としてユニーク魔法を発動したのに。弾かれた直後に相手の頭部に茨の魔女の系譜の黒いツノが現れたのだ。茨の谷のお姫様だと分かっていれば洗脳などという荒業は使わなかったのに。

いろんな哀れみの視線を受けながら、ようやく自由を手に入れたばかりなのに、ジャミルはちょっとも動くことができなかった。


今日のジャミルはきっと厄日。




***




シルバーは人間だった。

妖精がたくさん暮らす国の、街の、お城の、偉大なる御方に仕える養父に育てられた小さな男の子だ。人間との合いの子は珍しくないが、純粋な人間が城を出入りすることは滅多にない。ゆえに、シルバーを見る妖精たちの目はどこにいてもついて回った。

厳しいヒトもいるにはいるが、優しいヒトもいる。それ以上に無関心な監視の目はたくさんあった。

いつの間にかやって来る睡魔に負けてしまい、とんでもないところで眠ってしまう体質も、監視の目を強める一因ではあったのだろう。

居心地が良いのはお仕えするマレウスと養父のリリアがいる場くらいで、幼いシルバーはあまりお城が得意ではなかった。


『お前、ここで昼寝なんていい身分ね』


ヒト目を避けてたどり着いた裏庭の死角。そこが王女殿下の住まう棟から丸見えなことを知らず、シルバーは動物たちに囲まれて目を覚ました。


『まれうすさま……?』
『お兄様をツノでしか判断していないの?』


見上げるほどの長身。天鵞絨のような黒く長い髪。煌めくグリーンサファイアの瞳。首から足の先まで覆い隠す黒いドレス。

天を衝くような黒いツノ。


『だ、れ……?』
『言うに事欠いて誰、とは。父が仕える家の縁者くらい頭に入れておきなさい』


怒られた。あんなにしつこかった眠気が霧が晴れるように消え去り、幼い顔をサッと青褪めさせる。『申し訳、』ありません、と口にする前に。シルバーの体は動物たちの毛皮から引き離された。

両脇を仔犬のように持ち上げられ、両手で抱き締めるように抱っこされたのだ。

後から考えれば、その時のシルバーは探索の途中で汗をかいていた。加えて動物たちの毛皮に触れて獣臭かったはずだ。


『首に腕を回して、もっと力を抜きなさい。抱きにくいでしょう』


至近距離から聞こえる玲瓏な声。黒いドレス越しの低い体温。押し潰された胸は柔らかくシルバーの体を受け止めた。

細い首に髪の毛ごと抱きついて、肩口にそっと頭を乗せれば、名も知らぬ花と森の木々、ボンボンの酒精にも似た陶然が鼻の奥に差し込まれた。

落ち着かないのに、体がほろりと解けてしまう。


『そう、上手ね。そのままでいなさい。人間の子供は寝るのが仕事よ。怠慢は許しません』


背を撫でる手も、耳に吹き込まれる声も、歩く振動も、高慢でありながら思慮深い言葉も。



『かあ、さん……』



記憶にない母に、無意識に重ねていた。











「夢、か……?」


ひどく懐かしく、顔から火が出るほど恥ずかしい。

敬愛するマレウスの唯一の妹にして茨の谷唯一の姫。名前・ドラコニアとの初対面は、男の子にとっては屈辱の抱っこから始まった。しかも会ったこともない母親と重ね、母性を求めて縋り付く幼さを見せてしまった。

名前様を母などと、不敬にも程がある。

丸めていた背を伸ばし、あたりを見渡すと場所は2-Eの教室だった。そういえば馬術部が担当するステージの設営とは別に、リドルの主導でパープルステージの観客の誘導役も兼任することになったのだった。

手元に揃った資料からして、居眠りシルバーは諦められてしまったのだろう。人がまばらな教室と暗くなった窓の外に頭を抱えたくなった。

シルバーは何も変わっていない。どれだけ努力をし、剣術を学び、マレウスの護衛という大任を賜ったとて、子供のように眠りこける悪癖はどうしようもなかった。


『お前は本当によく眠るわね』


初対面の日以降、シルバーに向けられる視線は驚くほどに減った。見守るヒトや叱るヒトは変わらなかったが、どうしてか以前と比べて城の空気を快適に思える。

後でリリアから聞いた話によると、名前がシルバーの睡眠の原因を勘違いして『要らぬストレスを与えて眠りが浅くなっているのよ。構いすぎで人間の子供を病気にするつもりか』と苦言を呈したらしい。後からリリア経由でシルバーの体質を知り、驚き半分・呆れ半分で見下ろしてきた。


『いいわ、眠った分だけ強くおなり。お兄様の力になるのなら、お前はいっとう良い子よ。期待しているわ、シルバー』


きっと名前にとって、シルバーはいつまでも子供のままなのだろう。

それにしても、名前の夢を見るのはかなり久しぶりのことだった。ウィンターホリデーでお会いして以来、一度も夢に出ていないのではないか。そこまで頻度が低いことはこれまでの人生で初めてのことだ。

いや、というより、シルバーはこの2週間ほど名前のことを考えないようにしていた。

考えられないようにさせられていた、ような……。

脳裏に居座る緑色の靄。ちょうど2週間前の錬金術の授業中に被ってしまった魔法薬の副作用。時間が経てば消えるとクルーウェルから言われた通り、今や薄曇りの鱗雲でしかない。だからこそ、もどかしくて早く早くと急いてしまう。この2週間の奇行もまた、この靄のせいにしてしまいたかった。

どうして初対面のローズ・ブライアに告白などしたのだろう。

金色の髪は美しい。黒い眼は美しい。背筋も伸びている。態度だって物怖じせずに言いたいことを言う。好感を抱く要素は多分にあったが、それでも。マレウスの護衛をする身として恋にうつつを抜かす気は一切なかった。

なのにあの娘の姿を見た瞬間に、どうしても。“今しかチャンスはない”と言わんばかりに体が動いていた。

まるで魅了にかけられたようで、恐ろしくて、念のためリリアに確認をしてもらったが異常はなかった。『シルバーの本心からの言葉と行動じゃ』とお墨付きをもらった。

しかし、シルバーはローズのことを愛してはいない。

マレウスと抱き合っている様を見た印象は嫉妬ではなく警戒であったし、伸ばされた白い手に触れたいとは微塵も思わなかった。ただ、己の言葉で傷付けてしまった少女の姿にどうしようもない罪悪感が降り積もるばかりで。


『告白なんてしなきゃ良かったのよ』


どうして俺は、名前様がいながらあのような……。



「…………姫様?」



緑色の靄が蠢く。瀕死の青虫のように時たま震えて、また静かに何かの上で横たわった。

何かを思い出せそうな歯がゆい気持ちのまま、廊下に出たシルバーは上階の騒めきをすぐに聞き取った。三年生の教室が並ぶ階だ。ガーゴイル研究会の展示の準備をしているマレウスはきっとその場にいないだろうけれど、決めつけで主人の危機を見過ごしてはかなわない。

そんな使命感からかけつけたシルバーが目にしたものは、



「確かにセベクの声はデカいからのぉ。聞かせる気がなくとも聞こえてしまったのは仕方ないことじゃ。わしから注意しておこう。──で、お主らが寄ってたかっておなごに濡れ衣着せて生命維持装置を強奪したのはセベクの罪か?」



折り重なって倒れる生徒二人の上に腰を下ろした親父殿だった。

曰く、はじまりは先週のこと。マレウスが夜の散歩中にローズと抱き合っていたことについてセベクが騒ぎ、たまたま聞いていたディアソムニア寮の無礼者その1がポムフィオーレ寮の友人である無礼者その2に話した。

その後、ローズが身につけているネックレスが、去年マレウスが談話室の寮長席でリリアと相談しながら魔法を込めていた物だと思い出す。妹姫に贈るのだと小耳に挟んだ宝物が、どうして人間のローズの手にあるのか。

ローズが名前からネックレスを奪い、マレウスに取り入って何事かを企んでいるのでは?

二人の中で妄想が真実に置き換わる。

どうにかネックレスを取り戻し、マレウスに妖精の裔の者として忠義を示せないかと画策した。結果が此度の暴挙だったと。


「ローズ嬢は魔力過多症での。茨の谷の水がどうにも合いすぎたのか、人の身で妖精並みに魔力が有り余っておった。多すぎて自分の体すら壊しかねないからと、マレウスと名前が二人で試行錯誤して作ったのがそのネックレスじゃ。溜め込んだ魔力は谷の力なき者どもに分配され、町興しの一貫で試験運用される手筈じゃった。あっ、今のはこの場限りのオフレコで頼む」


ディアソムニアの寮章をした生徒の手首には件のネックレスが巻かれている。リリアの手でそれを外された瞬間、苦しみ喘いでいた表情がやや穏やかに息を吐いた。あの魔法石が魔力を吸収するようにできているのは本当らしい。

只人に魔力を与える魔法道具ではなく、魔力を吸い取る貯蓄電池のようなもの。茨の谷の王族の魔法に耐えられる生徒は数えるほどしかいないだろう。


「お主らがやったことはなんじゃろな。わし法律とか詳しくないから知らんし。出るとこ出たら経歴にいくつ罰がつくかな? おお、その前に不敬罪で手討ちにできるな!」
「ひっ、お、お許しを!」
「私たちはっ、マレウス殿下のお役に立ちたく思い、」
「マレウスの施策を一つ潰しておいてか?」
「あ、ああ……」
「ここまで来てローズに対する謝罪を口にせんとは、強情すぎて感心するわい。そんなに人間が嫌いか? お主ら四捨五入すれば人間じゃろうに。自分のルーツを大事にせんか」


妖精の血が混じった人間は、当たり前に人間より魔力が高い。それでも妖精と比べれば人間とどんぐりの背比べである。なのに変なプライドが彼らの中で歪に膨らんでしまったのだろう。

妖精への崇拝と執拗な人間蔑視。自身の生まれも見下していることに、どうしてこんな年にもなって気が付かないのだろう。


────ピシャァーーーンッ!!!!


突然の落雷。薄暗い廊下を真っ白に染め上げた白光。人間は耳を塞ぎ、獣人は尻尾を股に挟む。人魚は足早に廊下を過ぎ去り、妖精に連なる者どもは静かに目を伏せた。

平静なのはごく一部の生徒だけ。


「おお、マレウスも気が付いたな。特に珍しくもなく怒っておるわ。ガチギレじゃ」
「ヒッ、ひぃぃいい!!」
「お許しを、申し訳ございませっ、ごべんなさい!」
「わしに言われてものぉ?」


ネックレスを検分しながら話半分舌先三寸なリリアは、驚くほど冷たい目で群衆の中からシルバーを見つけ出した。


「シルバー」
「っ、はい!」


不意打ちで投げられたからと取り損ねるほど柔な反射神経はしていない。


「姫を迎えに行け。この間と同じようにな」


その意味をちゃんと理解できたのはシルバーくらいだろう。

リリアの目は子を思う親のソレに違いなかったが、巣立ちを見守る親鳥ではなく仔を谷底に突き落とす親獅子だ。逃げも誤魔化しも許されない。つねづね思慮深すぎるシルバーにとんでもない蛮行を強要してくる。

もう、迷いはない。

あんなにしつこかった緑色の靄は完全に晴れてしまった。何を忘れていて、何を忘れられなかったのか。その答えを早くあの御方に聞いてほしい。

グリーンサファイアのネックレスを握り締め、風のようにその場から走り去った。




「どうして……アイツには一滴も妖精の血が入っていないのに」


運が良かった。
本当に、俺は幸運だったんだ。











『姫を迎えに行け。この間と同じようにな』


この間、マレウスとローズが密会していたのはオンボロ寮であった。

途中で呼び止められたレオナに「忘れ物だ」と見覚えのあるスマートフォンを投げつけられ、階段でぶつかりかけた慌てん坊ジャックを間一髪でかわし、校舎の出入り口で謎の「ボーテ!」を浴び、雪道を滑らないように踏みしめながらたどり着いた元廃墟。

礼儀など一切頭からすっぽ抜け、無断で押し入った談話室で見たものは──、


「姫様」


名前の手を取り、監督生の許可のもとオンボロ寮の使われていない個室に移動したシルバー。護衛なら知っておくべき防犯・防音呪文を重ねがけし、次は部屋の埃を取り払おうとしたところで、既に緑の光であたりを清められていた。使用人が、シルバーがすべき仕事を簡単に奪ってしまう困った姫様だ。

部屋にあるのはベッドが二つ、勉強机が二つ、ソファとテーブルセットが二人分。もともと二人部屋なのだろう。名前はシルバーがエスコートする前にベッドに座ってしまった。


「姫様、こちらにソファがありますが」
「この廃墟のソファが死体も同然なのは知ってる? ベッドの方がまだマシよ」


ツンと顎を上げて壁の方に顔を背ける仕草。分かりやすいほどに拗ねている。お前と話すことなどないと言わんばかりの態度。

仕方なく、ベッドのそばまで歩み寄り名前の目の前に跪いた。


「ローズは無事よ。わたくしがちゃんと安全な場所に匿っています。お前が心配することは何もないわ」


見上げた彫刻のような美貌は、赤い目元と寄った眉根のせいでいとけない。不満なのがありありと伝わってくるのに、彼女は、シルバーが心配しているであろう想い人の無事を教えてくる。

なんて、なんて優しい空回りだろう。


「姫様、まずは御身に怪我がないことを確認させてください」
「わたくしが人間に傷付けられるような軟弱者だと言いたいの?」
「では、どうして目元が赤く腫れておられるのでしょう」
「……お前には関係のないことよ」
「怖い思いをしたのでしょう?」


キッと、ドラゴンが持つ根源的恐怖を内包した睥睨が突き刺さる。人間たるシルバーが受け止めればひとたまりもない圧巻。冷汗と怖気が止まらないはずのソレは、握り締めた石の痛みで和らいだ。


「姫様は繊細で、か弱く、臆病でらっしゃる。俺やセベク、他の家臣には見えないところで、兄君や親父殿には涙を見せているではありませんか」
「……わたくしを、侮辱するの?」
「いいえ、事実を申し上げています。俺は、そんなあなたのことを慕わしく思っているのです」


どんな末路になろうとも伝える覚悟が、シルバーにはあったから。


「何を言い出すかと思えば。忠義者であると自ら主張するなど厚顔にも程がある。お前、見ない間にずいぶん増長したものね?」
「はい。あなた様にお会いできない間、軟弱な人の身では抑えきれないほど、この慕情は膨らみ続けるばかりです」
「ふん。…………ん?」


そっぽを向いていた顔がゆるりとした動作でシルバーを見下ろす。手の内にある石ころなんかよりも、この世の何よりも美しい瞳が、シルバーを見ている。

たったそれだけで、シルバーの口元が勝手に緩んでしまう。



「愛しています。心から、ずっと」



決して口にしないつもりだった。

母性を求めた初対面。
主君の妹姫として敬意を払った日々。
それらを押し退け、芽生え、膨らみ、増長した執着。

そばで見ているだけで良かった。目を向けて話しかけられるだけで、ただの人間にはなんたる幸運か。

捧げた愛を見てほしかったわけではない。
気付かれぬまま日陰で育てる日々を愛していたのに。

茨の谷から離れた遠い地で、己の慕情が人間の欲であったと思い知ったのだ。

忠誠に程遠い、叶うわけのない、手に入るはずのない湖面の月。


「人間の一護衛でありながら名前様に想いを寄せる不敬を、どうかお許しください」


触れられない月に手を伸ばしてもらえたことを忘れられない。抱き寄せてあやしてもらえた幼い自分には戻れない。きっとこの先一生、触れることも許されない。それでもいい。今この場の、この瞬間でしか名前に打ち明けることはできないだろうから。

見下ろす名前は静謐の一言に尽きた。分かりやすい拗ね顔はどこにもなく、感情のない目がじっとりと伏せられる。

そうしてゆっくり、ゆっくりと、シルバーの手を取ったのだ。

「名前、様?」困惑するシルバーなどいないものとして、青白い手が黒革の手袋を抜き取り、露わになった無骨な手にそっと指を絡める。自身の指の股から形の良いオニキスの爪が差し込まれ、ひんやりと馴染む体温を感じ、キュッと力を込められた瞬間に己の心臓がドッッッと脈打った。


「お前、ローズ・ブライアはどうしたの」
「は、────?」
「ローズには手を払いのけたくせに、わたくしには簡単に握らせるのね」


ギリギリと食い込む黒い爪。そこでようやっと、シルバーは己の愚行の釈明をまだ終えていないことを思い出した。


グリーンサファイアのネックレスを用意したのはもともとシルバーで。

魔法を付与するアクセサリーを探していたマレウスとリリアに託して。

自分ではなくマレウスからの贈り物であれば肌身離さず付けてくれるのではとシルバーの名を伏せてもらって。

それでもウィンターホリデーでお会いした名前の首にネックレスはなくて。

苦しさのあまり名前への恋慕だけを忘れてしまいたいと魔が差して。

たまたま錬金術の途中で願った効果の魔法薬を被ってしまって。

薄れた名前への意識に違和感を持たずに生活して。

愛しい御方が持っているはずのネックレスを身に着けるローズに会って、────間違えた。


きっと、忘れてしまうことを体が拒否したのだろう。シルバーは、自分が選んだネックレスを身に着ける愛しいヒトを望んでいた。ローズに向ける感情は、言葉は、行動は、すべて名前へのものだったのだろう。

シルバーでも気が付かなかった間違いを名前が気が付くはずもなく。この手の痛みこそが名前の本心からの、


「俺のために妬いてくれたんですか?」


今度の睥睨に、先ほどまでの畏れは感じなかった。


「二股をかけるなんて最低よ。いくら年頃だからって、気が多いのはいけないことだわ」
「あの、姫様」
「シルバーのばか……ばかばかばか! そんな子に育てた覚えはありませんっ!」
「あなたへの恩はありますが俺を育てたのはリリア様です」
「口ごたえするのね!? ローズを口説いた口でわたくしを弄んで、うっ、うぅ……うううううううっ!!」


静謐な彫刻が火にあぶられたように真っ赤に染まり、ブラックルージュの乗った唇を噛みしめ、目の表面にじわじわと滲んだ涙が我先にとあふれ出す。ドレスの膝にシミができるのも構わず、左手で拳を作ってベッドの上をポスポス叩く。子供の癇癪としか言いようのない動作を繰り返しながら、シルバーと指を絡めた右手だけはずっと離れなかった。

マレウスやリリアにだけは見せている可愛らしいワガママが、自分に向けられている。大粒の涙も、恨みがましい泣き顔も、ただの人間であるシルバーなんかに許している。

この特別だけで、シルバーはこの先も幸せに生きていける。


「浮気者っ、ハレンチっ、ばかばか! ねむりんぼ、朴念仁!」
「どうか、俺の話を聞いてくれませんか」
「女たらしの話なんて聞きたくない! 返してよわたくしの初恋っ!」
「あなたにだけは誤解してほしくないのです。どうか、……初恋?」


今、聞き逃してはいけない単語があったような?


「シルバーなんて、き、き、」
「初恋とは何のことですか。説明を求めます」
「違うもんっ、シルバーなんてす、好きじゃないもん!」
「本当に?」
「ひっ、うぁ、シルバーなんか……!」
「俺だけの一方的な思いではなく?」
「あ、あぅ、うううぅ〜〜!」


ぱくぱくいじらしく口を開閉しては言葉を探す名前のなんと愛らしいことか。無遠慮に距離を詰め答えを急かす臣下になど、姫として一喝すればシルバーは黙るしかないのに。握られた手に力を込めて握り返すと、耳まで真っ赤になって狼狽える。

どこまでも可愛いヒトだ。


「どうしても、名前様の気持ちが知りたい」


フッと微笑んだシルバー。泣きながら混乱の絶頂にいる名前。「しるばぁ……わたし、」ついに決定的な言葉が音になろうとした。その時。


────キィィィン……!


防音済みの部屋にどこからともなく不思議な耳鳴りがこだます。ハの字眉でしくしく泣いていた名前が急に理性を取り戻した。「解けた?」……何が? と尋ねるより早く。



「これはどういうことだ。何故名前がここまで取り乱している。説明しろシルバー」



雷雲を背負って窓辺に降り立った偉大なる御方。敬愛する主君の仁王立ちを前にして、シルバーはそっと両手を上げ無抵抗に首を差し出した。


なるほど、これが幸福の代償か。




***




「本日はモストロ・ラウンジにご来店いただきまして、まことにありがとうございます。お連れ様がすでにお待ちですよ。VIPルームまでご案内いたします」
「ウェルカムドリンクは何がいーい? 炭酸飲める? 甘いのと酸っぱいのはちっちゃいお口に合うかなぁ? アハ!」
「フロイド、今日ばかりは面白がってはいけませんよ。やらかしたアズール渾身のお詫びなのですから」
「だって分かりやすーく開いてる二枚貝の真珠に飛びついて閉じ込められたんだよ? アズール間抜けすぎぃ!」
「暖かい目で見守りましょう。アズールにだってわざと痛い目に遭いたいときもあります」
「お前たちは今すぐその口を閉じろ。後でスタッフルームまで来なさい」
「え、ヤダ」「おやおや」


入店早々コントのサービスがあるのね。

メガネが理知的な支配人さんに連れられて海をモチーフにした店内の奥へと案内される。

次の日。放課後の人がいる時間帯の騒動だったのに、今日はいつも通りの静かな一日だった。情報規制が入ったのか、ちょこちょこ挙動不審な人がいるくらいで噂は聞こえてこない。

入り口で待たせてしまっていたジャックや、陸上部で交流のあるデュースはともかく、ローズでは初対面の監督生やグリム、エースとエペルまで声をかけてくれた。名前の名前は一切出なかったけれど、あんなに泣いて迷惑をかけたお姫様のためにローズに気をかけてくれたのだろう。

放課後の時間になって鏡舎に向かう私に、リドル先輩だけじゃないくカリム先輩とジャミル先輩まで近寄って来た。カリム先輩は名前の名前を出そうとしてジャミル先輩に口を塞がれていたっけ。そのジャミル先輩といえばかなり及び腰で、敬語とタメ口が混ざった変な言葉だったし、「祝福、」でかなり反応したので私の正体に気が付いている。

他にも、廊下で会ったヴィル様が「ご友人の名前は?」と聞いてその場で色紙にサインを書いてくれた。優しい言葉と共に花束もくれたルーク先輩ともども、私の正体なんてお見通しなんだろう。それでも黙ってくれる賢明さに心からお礼を言った。

あとシルバー経由で忘れ物を届けてくれたレオナ先輩も、一応ね。


「本当にここまででいいのか? 重くはないか? 腕は折れないか?」
「お花と色紙で腕は折れないかな」
「しかし! お前が倒れれば若様とリリア様が!」
「ありがとうセベク。もしもの時はシルバー先輩に頼むね」
「そ、そうか」


ちなみに今日一日休み時間はずっとセベクが張り付いていた。

セベクは自分の大声が巡り巡ってお兄様の施策(リリアの嘘)を潰すことになって気に病んでいる。隠し事が苦手なセベクに私の事は話せないし、きっと卒業するまでこのままなのよね。うんと優しくしないと。

名残惜し気に離れて行ったセベクと、扉を開けて待っていてくれたアズール先輩。お礼を言って入室したその先に、ソファで船を漕ぐシルバーが待っていた。


「おはようございます」
「すぅ…………は!」
「寝ちゃうくらい待ちましたか?」
「ああ。時計を見る限り15分ほど待ったようだ」
「こういう時って“俺も今来たところだ”っていうのがお約束なんですけど」
「そうか、勉強不足だった。精進しよう」


返しがどうも真面目すぎる。そこがシルバーの良いところなんだろうけど。

明らかにカップルシートを意識した二人掛けソファの一番端っこに浅く座る。ウェルカムドリンクを持ってきたフロイド先輩がニタァっと笑って「ごゆっくり〜」と去って行った。

この席は私とお兄様たちに“知らなかったとはいえ”迷惑をかけたアズール先輩のお詫びらしい。お兄様たちとラウンジでお食事をしたいな、とおねだりしたのに、何故かシルバーと二人きりでデートすることになった。「放課後デートしたかったんじゃろ?」というリリアの含み笑いが目に浮かぶ。お兄様は最後まで恨みがましくリリアを見つめていたっけ。

リリアの提案にシルバーが拒否するはずもなく、こうして個室で二人きり。気まずいにもほどがある。


「そんなに詰めなくても」
「シルバー、私、言ったよね。今度間違えたら許さないって」


シルバーは、なんだか複雑なアレコレが絡んで私への気持ちを忘れていたらしい。あのネックレスを付けていただけで私だと判断してローズに告白した。あの愛の告白は、本来なら私に向けられたもので。

シルバーは私のことが好き、なんだって。


「ローズに触れないで。愛を囁かないで。浮気しないで」


ローズじゃなくて、同じ人間じゃなくて、妖精の名前・ドラコニアが好きなんだって。


「しかし、中身は同じあなただ」
「まったく違うわ。ローズは私の嘘だもの」
「違わない。ローズ嬢の姿も、人間を羨むあなたの夢だ」


真剣な顔で、銀が散った水晶の瞳で、私の皮の内側の魂まで射貫くような。


「人間を羨んで、人間の自由を手に入れて、夢を叶えた。あなたはどんな姿であれ俺が好きなあなたなのだから」


見抜かれていた私の欠陥。私の弱み。

それをシルバーは夢と呼ぶのね。


「俺は言葉を紡ぐことは不得手だと自覚している。しかし、あなたを讃える言葉を止めることはできない。触れることは、どうにか自制できますが、それ以外はお約束しかねる」
「お前は、本当に、馬鹿正直な子供ね」
「子ども扱いはやめてください。人間の成長は早いのです」
「そう、ね。そうだったわ」


※※※年生きても夢を捨てきれなかった私に比べれば、シルバーはずっと大人ね。

嫉妬でムカムカしていた気持ちがスッと晴れ、体の内側から震えるように大きな声で笑った。


「お前のそういうところ、私だいすきよ」


こんな言葉ひとつで蕩けるような笑みを浮かべてくれる。可愛くて、カッコよくて、好きすぎて憎らしい、私の初恋。

ソファに手をついて、緩んだシルバーの頬を軽くつねった。


「ローズにこんな顔見せないで。私だけに見せて」
「……ローズ嬢は俺に触れて良いのか?」
「いいの。ローズは私だもの」
「世界で一番難しい命令だな」
「叶えてくれるでしょう?」


手に手を重ねようとしたシルバーからサッと抜け出し、ソファの端まで距離を取る。困ったように笑うシルバーが、中途半端に浮かせた手を引っ込めた。


「あなたは意地悪だ」
「うふふ」


留学期間はあと一週間と半分。妖精にとっては一瞬の時でも、人間にとってはそれなりの期間だ。

最後の時まで目一杯、友達以上恋人未満の学生恋愛を楽しもうと思う。



NRCオールキャラ目指してたけど長くなったので省いちゃいました。以下書けなかったところ。

オルトくん:姫様への贈り物に悩むシルバーに「アクセサリーはどうかな! 兄さんが(ゲームの)女の人に渡して好感度上げしてたよ!」とアドバイス。
サムさん:シルバーに例のネックレスをIN STOCK NOW!!
クルーウェル先生:シルバーの被った魔法薬の解説と「バッボーイ!」
トレイン先生:無礼者二人組をリリアと一緒にマレウスから庇う&説教。

他、ジャミルがカリムのツノ美呼びに一番肝を冷やしていました。

あとシルバーは地味にほっぺキスされたジャミルにモヤッてて、順当にいけば次のホリデーで姫様に「みだりに唇を許すのは」と苦言を呈し、しっかりやきもちだと気付いた姫様から両頬にキスをもらいます。でもその前に7章が差し込まれるので実際に起こるかは微妙。シルバーが姫様に触れられるのは変身解いたホリデー中のお城の中だけなんですよ……。

かなーり長くなりましたが、ここまで読んでくださってありがとうございました!

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