マレウス妹は学園ラブコメがしたかった・前



※偽名「ローズ・ブライア」が全体的にたくさん出ます。
※7章の内容を加味していません。時間軸は主に5章です。オリジナルの女子校とか出てきます。



銀色が散った水晶のような目が好きだった。幼子の頃から変わらないこの目は、どんなに成長しても、歳を取っても、変わらずに輝いているんだろう。


「会ったばかりで信じられないとは思うが……」


勇者の宝剣を思わせる銀色の髪を靡かせ、やや俯いたのはきっと照れているから。初めて見る仕草。表情。トドメに再び上げられ交わった目はただの石にはないトロリとした甘さを含んでいて。

わたくしは、……私は、これを求めていたはずなのに。



「ローズ嬢、俺はあなたのことが好きだ」



風が吹く。髪が靡く。一瞬視界を隠したソレは金色。元の黒髪とは正反対の柔らかな髪質と、今はないツノと同じ黒曜石の瞳。名前に相応しい薔薇色の唇はきちんと笑えているかしら。

お兄様の従者に告白されて初めて自分の気持ちを自覚した名前・ドラコニアは、ちゃんとローズ・ブライアになり切れているかしら。




***




かの茨の魔女は黒曜石のような立派な黒いツノが頭から生えていたらしい。ゆえに、茨の魔女の系譜を継ぐ私にも真っ黒いツノがニョキニョキと生えている。


『やあ! やっまぁ!』
『ひっ、姫様ッ!?』


小さい頃。本当に何にも覚えていない頃。私はこのツノを自ら折ろうとしたのだとか。というか折った。有り余った魔力に任せて根本からボッキリ。幸いなことに乳歯ならぬ乳角? で生え変わる時期だったから片ツノの不恰好なお姫様にならずに済んだけれど、それでも。横を向いてベッドに寝れる爽快感は今でも忘れられない。枕に頬擦りして丸まる心地よさはあれがピークだった。

なにせ私には人間だった記憶があるのだから。


『りぃあ、りぃあ、そとはおなじでなかみだけ“とりかえっこ”されることってある?』
『最近の幼な子は想像力豊かじゃのぉ』


特殊なチェンジリングではないらしく、ではこれは何かしら。回らない舌と子供扱いしてくる美少年にイライラが募る。堪らず緑の炎を吐いたところでひらりと避けられてしまった。

子供扱いしないで、とは言えなかった。だって私は正真正銘、妖精の女の子なんだから。そう諭してくる私ももちろんいて、何も言えずに地団駄を踏むしかない。おかげで私は聞き分けのいい幼女の称号を得ている。何故ならもっと大変な幼児が過去にいたらしいので。


『そやつはな、シャツがツノに引っかかって着れないからと癇癪を起こして部屋中黒焦げにしよったのだ。おかげでせっかくの生誕タペストリーが灰になってしもうて。それに比べれば姫はお淑やかよのぉ』


自分のツノを折ったことは無かったことにされたらしい。都合が良いので私も大袈裟に驚いておく。


『そんな“こまったさん”がいたの? びっくりね、おにいさま』
『……そう、だな』


振り返った先には物静かな美丈夫のお兄様。いつもの無表情をほんの少し不機嫌そうに崩している。きっとビックリしているのだろう。お兄様は誤解されやすい人だから、見た目がそのままの感情を表しているわけではない。優しく抱き上げられれば目の前に来る黒いツノ。私とお揃いの大きなツノ。お兄様にも生えているから私は大っぴらにツノを嫌がらなくなった。

本心では、今でも邪魔だと思っているけど。

長い時間をかけてリリアの身長を追い越し、お兄様と同じくらいの年代まで成長した今なら分かる。

私の人間の記憶は前世の記憶というもので、きっと私は妖精に馴染めないって。

リリアはきっとそれを見越して彼らを連れてきたのね。


『お初にお目にかかります、王女殿下!!』
『お会いできて光栄です、王女殿下』


緑色の雷のような人と妖精の合いの子。
銀色の剣のような人間の子。


『セベク、シルバー、面を上げて』


その時から、私はワガママな小娘になった。



「私だって学校行きたい行きたい!! リリアとお兄様ばっかりずるい私も行くもんずるいずるい!!!!」



場所、お兄様の私室。
いるヒト、お兄様とリリアと私。
目的、寄宿学校からご帰還されたお二方にご挨拶しに来室。の、はずだった。

………………べ、弁明させていただきたく。

私は気が付いてしまったのです。たとえ体がハリウッド女優ばりのナイスバディになろうと、顔つきがお兄様似の彫刻のような美女になろうと、※※※年生きようと、中身は人間換算したらお子様……ローティーン? な思春期の女の子なのだ。

初めに失敗したと思ったのはこれだ。妖精は見た目と中身にギャップがある。外見美少年だって中身は人間のお爺さんダースで寄り集まったくらいの年齢もいれば美青年が急速に成長しすぎた幼稚園児の可能性もある。

実際私の幼少期は妖精にしてみればかなり短かった。それこそまだ子供と言っていい年齢なのに、見た目は若い男の正気を吸って生きる年齢不詳の魔女。お兄様と頬を撫であってうっそり笑えば立派なお耽美系の出来上がり。まあお兄様にほっぺすりすりしたらツノでチャンバラすることになるのだけれど。……やっぱりこのツノ邪魔ね?

とにかく、幼かった私自身が自分の見た目に騙されてしまった。大人の姿を取っているのだから相応の態度を心がけないと、なんて。気を張ったおすまし顔でワガママ盛りの幼少期を消費してしまった。そりゃあリリアもお淑やかだと褒めもする。何せ私の中には成熟した人間の意識がそっくりそのまま入っていたのだから。

その勘違いに気付けたのは人間のシルバーと混血のセベクに出会ってからだ。

人間は見た目と中身が釣り合っている。混血のセベクだって人間と同じように齟齬なく育っている。彼らが初等教育を受けている時から現在まで近くで見てきて、より妖精として育った自分の違和感が強まってしまった。

私だって年相応になりたかった。

久しぶりの甘えていいヒトを目の前にそんな気持ちが爆発した結果、私は外面もハイヒールも忘れて地団駄を踏んでしまった。


「姫や、そう大きな声を出すものではない。せっかくの玲瓏な声が枯れてしまうぞ」
「小鳥の声の方がいいもん」
「レディがもんとか言うんじゃない」
「リリアももんって言う」
「わしはいいんじゃ。こんなにプリティじゃもん」
「あーーまた言った!」
「……名前も学校に行きたいのか?」


リリアの棚上げにポコポコしていた私に、今まで黙っていたお兄様がお尋ねになる。お兄様、とっつきにくい風に見えてマイペースがすごいだけなのよね。毎日はお会いできないけれど鏡で見ている自分と似ているから親近感は湧く。緊張も不思議としない。

今はお兄様とリリアがホリデーで帰省している時期。ナイトレイブンカレッジの一年生を終え、二年生になる新学期まであと一月もない。こんな直前に泣き喚かなくても、とは思ったが、二人が谷にいない時間はたったの一年だって辛かった。

そこにシルバーが加わることで堪忍袋の緒がプッツン。


「私だってお兄様みたいに学校でお友達作りたいもん……」


放課後テスト勉強したりクレープ食べたりプリクラ撮ったり恋バナしたり学校行事で一喜一憂したりしたい。


「…………」
「ぶふっ」


何故ここで笑うのかしら。
そんなにおかしなお願い?

じとーっとリリアを見下ろすも、ラズベリー色の目はお兄様の方に向いている。釣られてお兄様を見るとどことなく不機嫌そう。瞬間、熱っぽかった体がサッと冷たくなっていく。


「も、申し訳ありません! 詮なきことをいつまでも」


流石に煩わしすぎたのだろう。お兄様だって茨の谷の王になるための教育の一貫として留学している。リリアはその付き添い兼護衛だ。わかっている。わかっている上で私は彼らに甘えていたんだ。許されているからと境界を見誤った。

さっきまでのワガママなお子様を引っ込め、膝を軽く折り顔を俯けて謝罪のポーズを取る私。お兄様が何か言う、その直前にリリアが余った袖を振った。


「とにかく、あと一月では入学式には間に合わん。もっと早く言ってくれれば準備できたものを。のう、マレウス」
「……そう、だな。人間たちの決まり事は存外多い。思い至ったからとすぐに成せるとは限らないんだ」
「はい、申し訳ありません……」


朗らかに笑うリリアとやっぱり気難しい顔のお兄様。忘れていた外面を整えて臣下の礼を取る。そのまま私は茨の谷の王族として振る舞った。


「姫様、少々お時間よろしいでしょうか」
「シルバー」


お兄様の部屋から出たところで控えていたシルバーが目礼した。銀色が散りばめられた不思議な水晶の瞳がまつ毛の下に隠れる。もったいないと心の底から思ってしまった。


「来月から俺もナイトレイブンカレッジに進学することになりました。兄君をお守りできるよう、親父殿と一緒に精一杯尽力いたします」
「ええ、期待しているわ。まあリリアがいるのだから万が一もあり得ないでしょうけれど」
「おっしゃる通りです。俺も一助になれるように精進します」
「いい心がけね。けれど、お前も学生として日々を楽しまなければ損よ。人間の年頃はすぐに過ぎ去ってしまうのだから」
「はい、お心遣い感謝いたします」
「……話は終わり? なら、わたくしはこれで」
「お手間を取らせてしまい、失礼しました」


ツンとした顔でいつも通り。手を振ると心得たように一礼してお兄様の部屋に入って行った。今のと同じご挨拶をするのか、それともとっくに済ませていて護衛の任務に戻ったのかは分からないけれど。しばらく閉まった両開きのドアを眺めていると、廊下の向こうから「姫様!!!!」と大股で近寄ってくる気配が。


「セベク」
「不肖セベク、シルバーがおらずとも姫様の御身は誠心誠意お守りいたします!!!!」
「そうね、寂しいわね」
「さッ、寂しくなど!!」


寂しい。私だってシルバーと学校に行きたい。

「寂しいわね、お兄様もリリアもいないのに、シルバーまで」「っ、っ、う、……はい」重ねて念押しすると、渋々というか、恥ずかしがりながらも本音を捻り出したセベク。こういうところが妖精族にない可愛らしさで微笑ましい。見た目相応の若さというか、気を抜くと頭を撫でたくなる。まあ、私が撫でると“若様の妹君に手を出してしまった!!”とでも言うように表情が赤くなったり青くなったり。逆にシルバーは無言で固まるんだっけか。


「お兄様たちがいない間もよろしくね、セベク」
「はいっ!!!! 承知しました!!!!!!」


元気なのはいいことね。

使命感に燃えるセベクがお兄様のお部屋に入っていくのを見送った。

セベクとシルバーの成長を見守ってきたけれど、同じように育つことはできなかった。お友達になりたかった。でも彼らはお兄様の護衛なので、妹姫はオマケでしかない。だからこそ、ツンとした外行の顔で接したし、たまに気を引くみたいに悪戯をした。セベクは面白いくらいに真面目に取ってしまうから、実際のターゲットはシルバーだった。


『やだわ、本物のお姫様よりも茨が似合うのね』
『俺には無用ですよ。姫様を飾り立てた方が花も本望でしょう』
『ふぅん。素敵な騎士様だこと』


中庭で寝こけていたシルバーの周りに茨を生やして花を咲かせた。気付いた彼は水晶の目をパチクリさせた後、棘を慎重に避けて花だけを私の髪に差し込んだ。寝惚けていたせいで何度もツノに引っかけていたわね。

ああ、いけない。たった一年会えないと思っただけでこんな懐古をしてしまう。これが四年も続くと思うと余計に。妖精にとっては瞬きの時でも、人間にとっては長い青春だ。シルバーはきっと充実した日々を過ごす。そこに私はいない。

ずるい。

お兄様やリリアには言えても本人には言えない。だって相手は※※※も下の人間だもの。

うだうだもだもだ寝れない夜を繰り返して、ついにお見送りの日。


「姫様、行って参ります。どうか息災で」
「ええ、お前もね。せめて安全が確保された場所で居眠りしてちょうだい」
「お心遣い感謝します」


いつも通り、お兄様の護衛として同行する時と同じ挨拶をしてシルバーは黒い馬車に乗り込んで行った。アッサリしたところが“らしい”彼だった。




***




私の手元には二つの贈り物。賢者の島から速達で届いたお兄様からの誕生日プレゼントとリリアからのお手紙。小箱を開ければ小ぶりのグリーンサファイアのネックレスが。お手紙の中身は黎明の国にあるナイトレイブンカレッジ系列の女王と魔女を信奉する女子校の入学許可証だった。宛名は“ローズ・ブライア”。逆じゃない? とっさに違和感があったのは何故かしら。

私は首を傾げたまま、よくよく見なくても立ち登るほどお兄様の魔力がこもったネックレスをつける。途端にゴッソリ抜けていく魔力と反比例するように体中が輝いて、光の粒が落ち着いた後で覗き込んだ鏡には見知らぬ人間のお姫様が映っていた。

黒いツノなんてどこにもない、金髪黒目の利発そうな女の子。

お兄様とリリアは、私に人間としての青春をプレゼントしてくれたのだ。


「姫様! 姫様! 僕にも入学許可証が届きました! ナイトレイブンカレッジに入学できます!」
「あら、良かったわね」
「……アッ、も、も、申し訳ありません!! 姫様を差し置いて進学など、なんとお詫び申し上げれば良いか!!!!」
「ああ、違うのセベク。わたくしも自分のことのように嬉しいわ。おめでとう」
「おお姫様……なんと寛大なお心を……不肖セベク、マレウス様の護衛として恥じぬ働きをして参ります!!!!!!」
「護衛もだけれど学園生活を楽しんできなさいね」
「はい!!!!!!」


ちょっと上の空が過ぎたかもしれない。

人間として茨の谷を離れて進学することはお兄様とリリアや理解ある上の者しか知らない。たった四年のことですし、その方が混乱も少ないと考えたのでしょう。セベクに黙っているのは心苦しいけれど、曖昧に微笑んで黒い馬車に乗り込むのを見送った。帰省したお兄様には久しぶりにハグしてしまった。一際大きな雷を落とされていたわ。隣にいたリリアにもハグをして、流れでシルバーにも仕掛けたのは流石に浮かれ過ぎている。


「なんじゃ、シルバーは仲間はずれか?」
「そ、そうね、それはいけないわ」
「親父殿、姫様を困らせてはいけません」


にべもなく拒否されてしまった。勢いでしなくて本当に良かった。

荷物と共に鏡に消えていった姿を見届けて、私も準備に取り掛かる。有り余る魔力で物を転送するのなんてわけないけれど、普通の人間はそうではないもの。大きなスーツケース四つにワンシーズン分の用意を詰めて、シンプルな襟付きワンピースに着替える。最後にネックレスをすれば人間の良家の子女、ローズ・ブライアの出来上がりだ。

そうして鏡をくぐってしまえば、あとは目まぐるしく日々が過ぎていった。

トワイライトスワンカレッジはグレートセブンの魔女や女王を信奉する寄宿学校。私が組分けされたのは厳格の精神に基づくハーツラビュル寮。……やってしまったかしら。

ハートの女王は個人的に好ましく思っている。法律で国民を鎮める理性的な手腕もさることながら、意外と感情豊かな女性だった記述をよく見かける。感情豊かなのは妖精もそうだけれど、感覚じゃなく理性で人を変えようと働きかけるのは好感が持てる。こう考えていると“そうかなあ?”という気もしてくるのが不思議だ。とにかく尊敬できるならそれでいいじゃない。

人間の比率がほぼ100%の寮生活は想像していたよりも穏やかだった。良家の子女が揃った学園だから、厳しかったりガサツだったり気位が高い子がいてもお嬢様の域を出ない。何よりハートの女王の法律を覚えるよりも学ぶ方に重きを置いているため、お茶会を通してディスカッションすることが多い。そこで縦にも横にも繋がりができて寮内の空気は非常に良かった。


「ローズはホリデーに帰省するのよね」
「茨の谷出身なんでしょ? 珍しいよねえ、人間が住んでいるの」
「そうかな? 結構いるよ、妖精に混じって」
「うふふ、ローズってちょっと妖精みたいよね。魔法史や錬金術でも妖精みたいなこと言ってるし」
「“この薬いつの間に名前が変わったのかな? 五十年前?”でしょ? 妖精ジョークのテッパンだよぉ」
「妖精と混じると人間も浮世離れするんだって初めて知った」
「あははは……あんまり揶揄わないで」
「バレた?」


ドキッとした。バレた?は私のセリフだったから。

大きな口を開けて笑ってもクスクス笑っても誰も何も言わない。求めていた人間の友人たちとホリデーの予定を聞き合いながら談話室で過ごしていると、規則的なヒールの音が入り口からこちらへ近付いてきた。


「ローズ・ブライア」
「はい寮長。ローズです」
「学園長がお呼びです。私に同行してください」
「はい? 何でしょう」
「さあ?」


困ったふうな寮長に連れられて学園長室で聞いたのは、予想外の申し出だった。


「ナイトレイブンカレッジへの短期留学生として我が校の代表にローズ・ブライアを推薦しました」




***




ナイトレイブンカレッジが誇る闇の鏡が鎮座する鏡の間。グレートセブンの精神を尊ぶ七つの寮の寮長がズラリと居並び、学園長のクローリー先生が一人一人紹介してくださる。顔の名前を一致させつつ、改めて私も背筋を伸ばした。


「トワイライトスワンカレッジから参りました。ハーツラビュル寮一年のローズ・ブライアと申します。一月の間よろしくお願いします」


金糸のラインが入った黒いワンピースタイプのセーラー服は膝小僧を隠す程度の長さしかない。たとえ黒タイツを履いていたとしても裾をつまむカーテシーは太腿が見えてはしたない。何よりローズは一般人の女の子なので、軽く膝を折ってニッコリ微笑めばそれで良い。

ナイトレイブンカレッジと違って寮章は腰のベルトのバックルに、赤と黒のリボンは胸元のタイとして結ばれている。模範的な女学生の着こなしで、強いて言えば頭の黒いカチューシャと制服の下に隠したネックレスが個性だろうか。


「ブライアさんは身体的なハンデを負っているため補助として魔法具を身に付けています。学園長の私自らが許可を出していますので留意してくださいね」


身体的な(人並みまで魔力を吸い取る)ハンデ。
補助する(妖精の体を表面だけ人間に作り替える秘術/禁術スレスレの)魔法具。

モノは言い様……。


「先生、質問よろしいでしょうか」
「はい良いですよローズハートくん」
「身体的なハンデとはなんでしょう。寮生活を送る上で注意すべき点があるのなら、“あらかじめ”配慮できたのですが」
「詳しいことはプライバシーの関係で伏せますが、ネックレスさえ着けていれば問題なく過ごせることは保証しましょう。運動だって人並みにできますよ!」


“早めに言ってくれなきゃ困る”というチクチク言葉を華麗に無視したわね。

クロウリー先生から漂うリリアに似た曲者のニオイ。見たところ彼も妖精のようですし、私の正体を知っているからこそなのでしょうけれど。

申し訳なさそうに眉を下げて首を傾げる私に言われた義理はないってことね。

殊勝な後輩を意識しつつ、1ヶ月お世話になるハーツラビュルのローズハート寮長にダメ押しでご挨拶しておく。さすが厳格の精神と言うべきか、マナーを弁えていれば悪く扱われないのはうちの寮長に似ていた。


「ハーツラビュルに行ってしもうたか」


ところでハーツラビュル寮に組分けされたことはまだ報告してなかったのだけれど、たった今思い出したことにしたらなんとかなるかしら。

直前にあったホリデーで帰省した際にお話ししたところ、この短期留学はお兄様が提案しクロウリー先生が快諾したものらしい。もっと言うと『我が妹とも同じ学校に通えたら良かったのだが……』という独り言で勝手に忖度されてしまったのだとか。なるほど一年生のローズが選ばれるわけね。心なしかソワソワしていらしたお兄様と楽しそうなリリアに釣られて私も落ち着かない気持ちになった。

シルバーとも学校で会えるかも、なんて。


「谷の者だと聞いておったから歓迎会の準備をしてたんだが、早とちりじゃったか」
「お! ディアソムニアでも宴か?」
「スカラビアに比べれば地味なパーティーじゃよ。無駄になってしもうた」
「ちょっと、内緒話は聞こえないようにするものよ。本人に聞かせたいってことなら止めないけれど」
「おお、失礼した。お口にチャックじゃな!」
「はあ」


何故かお兄様の代理でいたリリアの当て擦りに全力で知らんぷりを実行した。お兄様、雷を落さないかしら。

ローズハート寮長の先導の元、薔薇の迷路を尻目に寮内に入れば内装も迷路のようだった。すぐには覚えられなさそうな道順をローズハート寮長は「初めのうちは僕がエスコートしよう」と。可愛らしい見た目とは裏腹に紳士的で裁判官のように正義感が強い。

寮生全員とご挨拶し、クローバー副寮長も加わった寮の案内をしてもらった。終われば中庭でなんでもない日のお茶会に招待され、代わる代わる自己紹介していく。同い年の一年生との交流がメインではあったけれど、私はこれから1ヶ月ローズハート寮長に付いて二年生の授業に出ることになっている。


「はああ? 一年が二年の範囲聞いて意味あんの?」
「それは僕も思った。まだ入学して半年も経っていないのに、他校に来て上級生の内容なんて」
「こらこらエースもデュースも不躾だぞ」
「そうだよ、ローズは既に一年の内容を前倒しで終えている。君たちと違って優等生なんだよ」
「げ、マジ? 半年で一年分詰め込んだの? ローズちゃんってリドルくんタイプかー」
「入学まで時間があっただけです。ローズハート寮長と比べるのはおこがましいですよ」
「良かったなデュース、お前の目指すべき優等生の手本が目の前にいるぜ」
「半年で一年分か……僕にできるか……」
「おーい真に受けんなって」
「デュースには順を追ってコツコツ積み重ねるほうが向いているよ」


サーブされた紅茶もイチゴのタルトも薔薇の王国で愛されるフレーバーや味付けだった。周りには年頃の男の子たちが思い思いの話に花を咲かせている。課題が大変だとか部活に力を入れたいだとか今日のパーティーの改善点とか。こういう賑やかさを私は求めていたんだ。

トワイライトスワンでも初めのうちはこんな感動をしていた。若い年頃の娘たちが集まってお互いの主義主張で不和を作りながら共同体としてまとまっていく。国の縮図、もっと言うとツイステッドワンダーランドの縮図。上流階級限定だとしても、こうして人間たちは多人種多種族がより合わさっていくのだろうと。茨の谷の王族としての意識が多大に引っ張られ、人間の娘らしい欲求は少し後ろで遠慮してしまった。

課題を持ち寄って勉強会。お菓子を持ち寄ってパジャマパーティー。食堂での朝の情報交換。楽しい楽しい学園生活。唯一足りなかったのは異性の存在──恋バナ。

何せあそこに通う女子はみだりに異性と接触しないし、婚約者がいることも珍しくなかったから。せいぜい芸能人のマジカメを見てきゃーきゃー言ったり、なんならカッコいい上級生のお姉さまにきゃーきゃーしたりもした。それはそれで楽しい行事だったけれど、人間の女の子として過ごすうちに押し込めてきた欲が湧き上がってきた。


やってみたいな学生恋愛。


一時の気の迷いでいい。いっそ短期間だけ効く愛の妙薬でもかがせて擬似体験でもいい。廊下ですれ違ってきゃっきゃしたり目があってきゃっきゃしたりたまたまノートの受け渡しで指が触れてきゃっきゃしたり事故で体勢を崩してのハグできゃっきゃしたい。卒業してからいい思い出だったなあと思い返せるような青春、あったらいいな。

ハーツラビュル寮の寮長室にほど近い奥まったゲストルーム。しっかり施錠魔法をかけた後、久しぶりの胸の高鳴りでなかなか寝付けない夜を過ごした。

次の日。


「はじめましてリーチ先輩。私のことはどうぞローズと」
「ではローズさん。僕のこともジェイドでいいですよ。リーチでは兄弟と被りますし」
「ご兄弟がいるんですね! 良ければ後で紹介、」
「止めるんだローズ、悪いことは言わないから」
「でしたら是非、我が寮自慢のモストロ・ラウンジへ。僕の兄弟も幼馴染もいますので」
「ローズ、行きたい時は僕かトレイが同行しよう。決して一人で行かないように」
「まるでサメの海に稚魚を送り出す言い草ですね。僕はただ善意で招待しようと思っただけなのに。しくしく」
「口元が笑っているのは見えているねローズ。こういう男の群れなんだ。注意すること」
「おやおや」

「シュラウド! まーた機械に頼って引きこもっているのか! 今日こそ俺様の授業には生身で参加してもらうぞ! 筋肉! 筋肉をつけねばな!」
「いや学園長に遠隔授業の許可もらっとりまして筋肉なんて生活するうえで最低限あれば事足りますですああ急に腹痛が拙者離席しますねさようなら」
「はっはっはっ! 早口すぎて聞き取れなかったぞシュラウド! 声帯は必要以上に育っているようだな! その調子で全身も鍛えてバランスの良い筋肉を、」
「(Sleep mode)」
「リドル先輩、あれは」
「イデア先輩のタブレットだね。ぶつからないように気を付けること」
「は、はい」

「可愛らしい駒鳥が止まり木を探しているようだ。是非、我らが探求の城サイエンス部で羽を休めてはどうかな? 今ならランダムでフレーバーが変化する玉虫ハーブティーが体験できるよ。ああもちろん玉虫というのは言葉の綾で、」
「ははは、落ち着けルーク。それは昨日クルーウェル先生に没収されたばかりだろう。生意気な一年坊にならともかく女の子にサーブしていい劇薬じゃないぞ?」
「オーララ! 彼女なら美味しく楽しんでくれると思ったのだけど、トレイくんが言うなら止めておこう。引き留めてすまなかったね」
「……いえ、またの機会に是非」
「そうするといい」


濃い。シンプルにキャラが濃い。

本心では“まあ、面白い人間”と笑える反面、ときめきもきゃっきゃもない。こういう初対面を繰り返すほど恋の予感も萎んでいくというもの。

想像していたよりナイトレイブンカレッジは名門校というより普通の高校っぽい雰囲気で、男の子が集まってワイワイガヤガヤしているのが目立つ。こういう中にお兄様やリリアが混ざっているなんていまだに信じられない。お兄様にはまだ会えていないから余計に。

目新しい新鮮な空気の中、リドル先輩の先導で今度は部活動の見学に行くことになった。持ってきた黒いジャージに着替えて赤い髪についていく。

私が留学する期間は1ヶ月。一月の半ばから二月の半ばまで。ちょうど全国魔法士養成学校総合文化祭の最終日まで参加して終わることになっている。そのため一月前の今は着々と文化祭に向けての準備が進められている。リドル先輩の所属する馬術部を含めた運動部は運営側に回るらしく、後二週間したら部活動は休止になるらしい。


「馬術の心得はあるのかい?」
「心得というほどかは。昔に少々、経験したくらいです」
「そう。僕に気を遣ってついてきたのなら申し訳なく思ったけれど」


リドル先輩はやっぱり我らが寮長みたいに真面目でキビキビとした人だけれど、話してみると知識豊富で妖精の生き字引のようだ。私が昔の名称で魔法史の話を振っても瞬時に言い換えられてしまうから。さすが名門校の優等生だわ。

1日で懐いてしまった私にリドル先輩も悪くは思っていないらしい。明日の講義の予習についてお話ししながら厩舎に入ると、何やら聴き慣れた言い争いが。


「何をしているんだい。ここで騒いだら馬が驚くだろう。特にセベク」
「グッ、す、すまないリドル先輩。だが、シルバーが!」
「とにかく、話は厩舎の外で。二人ともいいね?」
「何故僕が叱られなければ……。くっ、貴様のせいだぞシルバー!! 何を他人事のような顔で、……シルバー?」
「シルバー? また寝ているのかい?」


ああ、やっぱり。見知った二人組がいたことに安堵半分、バレてしまわないかドキドキ半分で自然と笑顔になった。ホリデーの時にセベクも馬術部に入ったと報告を受けていたし、ここに来たら会えると思っていたから。

私が名前・ドラコニアであることはきっと言えないけれど、人間として対等な関係を築けるかもしれない。期待で胸を膨らませながら口を開いた。


「はじめまして、一年生のローズ・ブライアです。今日は馬術部の見学に、」
「────ローズ・ブライア?」
「、はい?」


中途半端に膝を折った体勢で、急に名前を呼んだ相手に目を向ける。


「ローズ嬢とお呼びしても?」


熱心な水晶の瞳と目が合った。


「え、ええ、どうぞ」
「おいシルバー! 人間の女にそのような、」
「どうか俺の話を聞いてくれまいか」
「し、シルバー?」


厩舎だ。清潔に掃除されているとはいえ、馬の蹄から落ちた土や干し草やいろんなものが落ちている。そこに堂々と膝をついて、まるで騎士様のように、──わたくしに最敬礼する時と同じように、うやうやしく手を取った。

きゅっ、と。痛くない程度の力加減で握られた瞬間、私は堪らなくなって、空いている手でネックレスの石を握ってしまった。

じわじわと早くなって行く脈拍。体温も上がっている。きっと顔も真っ赤に違いない。こんな気持ち、シルバーに手の甲に口づけを贈られたってならなかったのに。なんで、ローズの姿で手を握られると堪らなくなるのだろう。



「会ったばかりで信じられないとは思うが……、

────ローズ嬢、俺はあなたのことが好きだ」




私は逃げ出した。

人生、いや妖精生においてはじめての敵前逃亡だった。



「リリアリリアリリアりりあぁ〜〜〜〜!!!!」
「おお、だれかと思えば留学生のローズ・ブライア嬢じゃったか」
「たすけてリリアどうすればわたくし、わたくしこのままじゃ、どうすれば!!」
「……珍しい。取り繕う余裕もないか」
「えっと、どうしたのローズちゃん」
「リリアの知り合いだったのか?」


探索魔法と転移魔法でリリアのいる教室に飛んだ私。出迎えたのは目当てのリリアとケイト先輩、スカラビア寮の寮長がお菓子を食べていた。

思いっきり妖精の魔法を見せてしまったしくじりよりも抑えきれない熱を発散することに精一杯で、ローズ・ブライアの顔で半泣きになりながらリリアの上着に縋りついた。


「シルバー、先輩が、変なの」
「おお、ちょうどその話をしていたところじゃ。のうカリム」
「おう! 今日の錬金術でな!」


膝をつきかけた私が、ケイト先輩の誘導で椅子に座ったところで聞いた話。今日の最後のコマの錬金術の授業中、例によって居眠りしてしまったシルバーが予期せぬ材料を処理せず鍋に投入してしまい、未知の魔法薬が完成。発生した緑色の煙を無防備に吸ってしまったのだとか。


「それで錯乱していたのね、なるほど」
「錯乱? っていうか、クルーウェルが言うには記憶が曖昧になる? らしいぜ。特に昔の記憶のほうが虫食いみたいになってるって」
「わしらとの学園生活は一番濃くて、それ以前がマーブル状になっとるんだとか」
「普通逆じゃない? って感じだよねぇ」
「わしの見立てではもうちと限定的だとは思うんだがなぁ」
「なんだそれ、リリアはあの薬知ってるのか?」
「意味深〜。けーくん気になるなぁ」


では、あれは素面で……?

素面で告白してきたってこと?

あのシルバーが?


「あのシルバーが?」
「そのシルバーがなにしたらお主がそうまで混乱するんじゃ。そろそろ説明せんか」
「ていうか、リリアちゃんとローズちゃんが仲良さげなのもけーくん気になる」
「俺も俺も! 最初の挨拶の時に教えてくれよ!」


「仕方ないのう。あれはわしが第二次魔法大戦で人員不足の憂き目に遭い情報将校も兼任して初めて指揮を執ったときのこと、」「そういうのおなか一杯」「お、今回もスケールがでかいな!」とかなんとか微妙に嘘は言っていない小ネタを挟みつつ。私は妖精生で初めて頭を抱えていた。


「初対面の相手に対する“好きです”はナイトレイブンカレッジで流行っている自己紹介だったりする?」
「しない」


急に真顔になるリリアはまずいし、口に手を当てて“キャー!!”って顔をしているケイト先輩たちを見て自分のしくじりに今さら気付いた。もう遅い。


「「「その話詳しく(!)」」」


こういう形で恋バナしたかったわけじゃないのに!

たった二、三言しか話していない状況説明にかなり時間をかけてしまい、妖精の魔法でリドル先輩を置いてきてしまったことに青褪めるまで三十分も経ってしまった。









「リリア先輩と旧知の仲ならはじめに言ってくれればいいのに」
「す、すいません。でも家族ぐるみでお世話になっているだけで、仲良くというほどでは」
「えー? 昨日の感じだとかなり仲良さそうだったと思うけど」
「ケイト先輩、勘弁してください」
「あれ、昨日はタメでしゃべってくれたじゃん。けーくんはあっちのローズちゃんの方がいいなあ」
「勘弁して……」
「ケイト、後輩を困らせるものではないよ。何より親しき中にも礼儀ありだ」
「ちぇー。はい寮長」


「ローズもだよ。昨日は混乱していたとはいえ、付き添いの僕から無断で離れることのないように」「はい、すいませんでした」「よろしい」と三日目にして打ち解けた会話をしながら食堂に入る。トレイ先輩は部活動の関係で席を外していて、私たちは三人でランチセットを持ってテーブルに着いた。


「ご機嫌麗しゅうプリンセス。隣の席にお邪魔してもよろしいか?」
「はい、どう……ぞ」


リ、リリア!! ナチュラルにシルバーを連れてこないでリリア!!

昨日の真顔が嘘みたいにいつも通りの食えない笑みのリリアといつも通りの凛々しい面差しのシルバー。とっさに返事してしまったせいで大義名分を得て堂々と座ってしまった。私のすぐ左隣にリリア。私の向かい、ケイト先輩の隣にシルバーがいる。右隣にいるリドル先輩がムッとした気配を感じた。


「昨日は同寮の後輩が失礼した。真っ直ぐ過ぎてこちらが困るような男でな。ローズ嬢も困ったじゃろ」
「いえ、私こそ話もせず逃げてしまいました。おあいこですよ」
「寛大な女子で助かったわい。ほれシルバー、まずは挨拶から」
「──はい、リリア先輩」


たった一言。ただの返事。それだけで胸の奥に変に強張る。


「昨日は不躾なことをしてあなたを困らせてしまった。初対面の男にあんなことを言われて怖かっただろう。この場を借りて謝らせてほしい。……すまなかった」


つむじが見えるほど深々と下げられた頭。サラサラの銀髪を見つめていると思考が形もなく蕩けてしまう。


「事故で魔法薬を吸って、混乱していたと聞きました。あの時も本調子ではなかったんですよね? なら、今の謝罪だけで十分です。ええと、シルバー先輩と呼んでも?」
「ああ、重ねて申し訳ない。あなたの寛大さに甘えさせてもらおう。俺のことはシルバーでいい」
「ではシルバー先輩で。昨日のことは忘れて仲良くしてください」


テーブル越しに仲直りの握手。これで手打ちにしようと、ほんの少し触れる勇気を捻り出して握った。きゅっと力が入った大きな手。心臓を直で握られた心地になった。


「それは困る」
「……あの?」
「無かったことにされては俺が困る。行動に関しては配慮がなかったと反省しているが、言葉は本心からのものだ」


サッと引っこ抜いた手でグラスを倒すところだった。それでも食器にぶつかって大きな音が出てしまったけれど。混乱させた相手といえば何もなくなった手のひらを見て、不思議そうに着席していた。

こ、ここで話を終えるってアリなの?


「これこれシルバー。最後まで言わねばローズ嬢も困ってしまうじゃろう」
「? 他になにを言うことが?」
「朴念仁も大概じゃな〜」


こわごわ着席した私。リリアに促される形で何事かを考え始めたシルバー。まとまらないなりに答えをひねり出したのか、本当に、とんでもない言葉が淡々と飛び出してきた。


「あなたを一目見た時、相反する感情が自分の中で渦巻くのを感じた。気持ちを伝えるべきだという意志と、決して伝えるべきではないという戒めだ。俺には何を置いても優先すべき主人と恩人がいるのだから、おそらくは蔑ろにしてしまうだろうあなたへの申し訳なさがあったのだろう。つまり、俺はあなたを好ましく思ってはいるが、明確な答えは必要ない。俺がただ言いたかっただけなんだ」
「あなたその恩人からありえない目で見られている自覚はあって?」


言われた内容よりも隣の美少年が気になって仕方ない。あのリリアが珍しくマジなのが本当に怖いの。


「? どうして恩人がリリア先輩だと知っているんだ?」
「……ヴァンルージュ様とは家族ぐるみのお付き合いをしていまして、先輩のお噂はかねがね」
「そういえば、ローズ嬢は茨の谷出身だったな。世間は狭い」
「そうですね。ええ本当に」


もはやのんきにランチどころではない。涼しい顔でリゾットをすくっているシルバーだけが普通で、よく周りを見れば少なからず留学生に注目していた生徒たちが漏れ聞こえた内容に目を白黒させていた。話す場所を間違いと遅まきながら理解した。


「わしの育て方が……すまん……」
「いえ、別に」


手のひらに現れたメモを確認。一瞬で燃やす。

リリアとの小声のやり取りはリドル先輩も聞こえていたのか、「部活動は他のところに行くかい?」と心配そうに提案された。気遣いができる寮長で本当に素敵。

総合文化祭の準備に追われる文化部は除外した方が良いとのことで、結果的にデュースがいる陸上部のマネージャーを体験することが決まった。最後までハンデがある設定のローズを気に掛けるリドル先輩には少し申し訳なかった。


「ローズ、困ったことがあったら俺に言ってくれ! 俺が焼き入れてやるからな!」
「やき?」
「おいやめろ。たちの悪い噂を信じるな」
「私の噂なんてあるの?」
「ああ。……シルバーって二年の先輩に遊ばれているっつー根も葉もない話だ。お前もしっかり否定しといた方がいいぞ」


根っこがある噂というか、天然でもてあそばれたことは事実なのよね。

曖昧に頷いた私にジャックは息を吐いた。デュースはまた変なスイッチが入ってしまったみたい。良くも悪くも裏表のない二人はかなり接しやすくて新鮮だった。マネージャー業の大変さも学べたし、女の子に慣れていない生徒の照れは見ていて楽しかった。そうそうこういうのよ。タオル渡して指が触れて照れたのは私の方だけれど。

講義もナイトレイブンカレッジに在籍する功名な教授先生の話が聞けて満足だし、リドル先輩をはじめとした先輩方やデュースやジャックたち一年生のみんなとも、女一人の私が困らないようによくしてくれている。

順調に一週間が過ぎて、夜。私はさびれた廃墟の前に魔法で飛んできた。リリアから受け取ったメッセージの時間と場所だった。

お兄様がナイトレイブンカレッジに入学されてから定期的にお手紙はもらっていた。この廃墟の話題も良く上がっていたけれど、最近は廃墟に住み始めた人の子のことに触れていた。実物を見ると廃墟というには人の手が入りすぎている。二階の窓からは仄かに明かりが漏れていて、かすかに笑い声が聞こえた。

ああ、お兄様。私みたいに、寂しい思いをしていたのかしら。


「来たか」
「お久しゅうございます、お兄様」


集まる魔力を嗅ぎとる。目を伏せ膝を折り敬意を表すると、楽にせよと手を振られた。

お兄様はまだここを散歩コースにしている。なら、寂しさに傷付くことはもうないのかしら。


「僕はお前がハーツラビュルに組み分けされたことを知らなかった」
「申し訳ございません。すでに存じているかと」
「ディアソムニアでアイスケーキとやらの準備をしていたのに」
「わたくしよりもお兄様に食していただいたほうがアイスケーキも望外の喜びでしょう」
「そういう話じゃない」
「……お兄様」


ああ、心配していらっしゃる。お兄様はお兄様の学業に専念されるべきなのに。私のワガママでこんなに煩わせてしまって。


「シルバーがお前を煩わせていると聞いた」


ドキッとした。


「その様子では本当のようだな」
「あ、いえ、なんと申しますか、」
「なんだ。僕に言いにくいことなのか?」
「言葉にするのは、あまりにも……」


だって、気にしているのは私だけなんだもの。

廊下ですれ違った時。錬金術の講義が同じになった時。飛行術で箒に乗っているのが見えた時。中庭で動物たちに囲まれて眠っている時。

彼はローズに想いを寄せている。叶える気もない好意を、実在しないローズに。

ローズの姿の私が、中庭で眠る彼に駆け寄って揺り起こしたとして。シルバーは驚いて、自分が寝ていたことに反省して、優しい顔で笑うのだろう。“ありがとう、おかげで次の授業に遅れなくて済む”起き上がる彼に手を差し伸べれば、お礼と一緒に重なる。ほんの少しの照れと熱い水晶の眼差しで、中身の私は熱されて形もなく蕩けてしまう。

名前・ドラコニアが手を伸ばしたとて、“姫様の手を煩わせるわけには”と固辞する。私にかしこまった目礼をして、反省を口にして、鍛錬に足を向けてしまう。

ここまで想像豊かに思い描いては、シルバーのそばに寄るのが恐ろしくなった。

シルバーはお兄様やリリアのために人間の娘に手を伸ばすことはないだろう。だから安心、なんて簡単な思考には至れない。青春が終わり、学園を卒業してからも美しい思い出として残るローズ。それは私だと言ったところで思い出は思い出。手に入らないからこそローズはシルバーの中で瑞々しく生き続ける。

私が軽々しく体験したいと思っていた学生恋愛はこんなにも重く、醜い嫉妬にまみれていた。


「シルバーの魔法薬の後遺症はどうなりました?」
「うん? ああ、しばらく様子を見てはいるが完全に効果が抜けきるまでまだ時間がかかるらしい」


まだ……。


「シルバーを僕の護衛から外し、お前の護衛にするのはどうだ」
「そ、そんな、それでは、」
「僕はいい案だと思うのだが、リリアは否定的だった。どうやらお前も同じ意見らしい」
「はい、それではあまりに、シルバーが不憫です」
「そうか、お前に侍ることはシルバーにとって不憫なのか」
「……はい」
「名前」
「はい」
「ん」
「はい?」


広げられる両腕。思慮深い眼差しをジッと注がれて、私はおずおずとその内に納まった。ちょうどお兄様の肩口に耳がぺったりついて、低い体温でも外気で冷えた皮膚がじわじわ暖まる。ツノがあったらできないことだった。人間だったらできることで、お兄様の妹じゃなかったらできないことだった。

私は生まれた時から錯綜している。


「若様! マレウス様!!」


言葉もない抱擁を続けてうとうとと微睡み出したところ、聞き覚えのある高声にハッとする。


「若様、こちらにいました、か……」
「きっきき貴様ァっ!!!! なんと破廉恥な!!!!」


急いで離れようとした私の背を撫でるお兄様。そのまま力入って私はくたりとお兄様にもたれかかる。このまま何もかも忘れて眠ってしまいたい気持ちと、ローズの姿でこの場にいることの複雑さが頭の中でぐるぐるぐるぐる。ああ、今ならリリアの料理で昏倒してしまいたい。生死の境をさまよったらどうにかならないかしら。セベクとかセベクとかセベクとか。


「お、ドラコニア先輩、離れましょう」
「苦しかったか?」
「人間の分際で若様に指図するとは無礼千万っ!!!!」


もうどうすればいいのかしら。
リリアが来てくれるのを待つ、とか?


「マレウス様。もうすぐ消灯時間です。このような時間まで婦女を連れているとなると双方の利になりません」
「そうなのか?」
「特に女性は良からぬ邪推をされかねないかと」
「シルバー! 若様ではなく人間の小娘の心配をするなど!」
「セベク、人間呼びは控えろ。彼女はこの学校の来賓だ」
「若様以外を慮る必要がどこに、」
「セベクは僕の供を。シルバーはブライアを送ってやれ」


そう指示をしてすぐに歩きだしてしまったお兄様。するとセベクは護衛として追うしかなくなり、私とシルバーだけがその場に残された。


「行くぞ」
「はい」


セベクの声が遠く鏡舎へ消えていくと、私たちもゆっくりと歩き始めた。寮は違うとはいえ、同じ鏡舎を通るのだから一緒に行けば良かったのでは。

チラリとシルバーの顔を盗み見る。不思議な水晶の目は夜の薄暗い中でも輝いていた。


「マレウス様は茨の谷の次期王、決して余人に手の届かない高貴なお方だ。人間の娘では釣り合いが取れないだろう」


剣を鞘から抜き去るような。牽制するようでいてやんわりと避けるような、何とも言えない声音。

まあ、シルバーったら。


「それは、嫉妬ですか?」
「いや、忠告だ」
「そういうことにしておきます」
「だから、そうだと言っているだろう」
「……ふふふ」


好きな子にはそんな顔を見せるのね。

顔では笑って心で泣いて。高貴なるものとしての立ち居振る舞いとはかくあるべしと染みついていた。

夜風が急に弱くなった。

ハーツラビュル寮の鏡をくぐると、むせかえるような薔薇の香りが全身を包み込んだ。

黒い棘に覆われた茨とは違う、愛でられるために品種改良された麗しの白い薔薇。ペンキでも魔法でも簡単に赤く染まってしまう。まるで人間のローズ・ブライアのよう。

名前・ドラコニアの茨はこの手にはない。


「シルバー先輩」


足を止める。隣のシルバーの手を有無も言わせず捕まえて、革手袋の指先をつまむ。わずかな摩擦の後するりと脱げた先にあった大きな手。ローズの華奢で、健康的で、丸いピンク色の爪が輝く手を、剣を振り慣れた手に沿わせて、手のひらを合わせて、そっと指を絡ませ────、


「どうして逃げるの?」


ゾッとした顔のシルバーが私を見下ろしてくる。大袈裟に後退って、触れてはいけないものに触れてしまったみたいに慄いて。


「付き合う気もない相手に気持ちを伝えて一人でスッキリしたつもりですか? そのあとの私の気持ちなんて考えていなかったんでしょう」
「……あ、ああ」
「好きだと言われて、あなたのことで頭がいっぱいになって、胸が苦しくなって、泣きたくなった。だってあなた、私に返事もさせてくれない。残酷ね」
「っ、本当に、すまないと思っている」


お兄様は卒業後、茨の谷のお祖母様の元で治世を学ぶことになっている。護衛であり近衛騎士になるシルバーもお兄様について城勤めになるだろう。茨の谷出身とはいえ、ただの人間の小娘が城の近くに居付けるほどあそこは開放的な国ではない。

ローズと親密になるほど、つらい別れはすぐにやってくる。

気持ちが大きくなる前に距離を置きたいのだろう。好きになることが怖くて、好きな女の子を傷付けることがもっと怖い。


──そんなにローズのことが大事なのね。


可愛くて、利発で、愛嬌があって、同じ定命の人間ローズ・ブライアの微笑みは、どれだけあなたを傷付けるのかしら。



「告白なんてしなきゃ良かったのよ」



この世すべての正しさで塗り込められた笑顔を浮かべて、踊るような軽やかさで薔薇の迷宮に姿を隠した。追ってくる気配はない。しばらく立ち尽くしてからよろよろと鏡舎の中へと消えていく魔力をひっそりと見送った。

涙の一筋だって浮かびはしなかった。

どんなに隠していたって私の頭にはツノが生えている。
傷付けるための茨を、ずっと心に纏っているの。


「あーあ」


お兄様を理由に恋を諦めるシルバーなんて、知りたくなかった。





***




グリーンサファイアのネックレスが宙を舞い、見知らぬ誰かの手の内に収まる様をただ見ていた。


「このネックレスはマレウス殿下が妹君の名前王女殿下の誕生日にお贈りした特別な宝物である! どうやって盗んだ人間!!」
「マレウス様の御前に引っ立ててくれる! 少しでも罪を軽くしたいのならさっさと白状しろ!!」


吸い取られていた魔力が行き場を失って体の内に満ちてくる。そのまま蛍のような燐光が群れて、体が、作り替えられて、頭の両側に慣れた重さが、ああ、ああああっ!!


────パチンッ!


学校なんて、来なければよかった。



企画へのご参加ありがとうございます! マレウス妹とシルバーの学園ラブコメっぽいものでした。長くなったので途中で切りました。もうちょっと続く予定です。長く待ってもらったのにまた待ってもらうことになってしまいすいません……!良ければまたお付き合い宜しくお願い致します!

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