始まらない放課後



本能字学園生徒会室は、学園が全て見渡せる塔の最上階にある。白い壁面に覆われた外装は、まるで戦艦か何かのようなフォルムをしており、遥か上空から有象無象を見下ろす城であった。

とはいえ、そこは最上階。

生徒会長鬼龍院皐月の側に侍る四天王ならいざ知らず、学生の本分として教室で授業を受ける身の上としては、大変に行きづらい場所である。

遠い。ひたすら遠い。

毎日の日課その2を義務として果たすべく、冥は遠い道のりを歩く。スタスタ歩く。背筋を伸ばし、無駄のない動作で長い手足を動かす様子は大層美しかったのだが、本人としては勝手に生徒が道を開けてくれる意味不明なモーゼの十戒廊下をただただ早く抜け出したい一心でしかなかった。

そこを抜けても次に通るのは部室、委員会室のエリア。今度は一つ星生徒たちが跪いて迎える新・モーゼの十戒が待ち構えているのだから、冥は自分の席に座るまで落ち着いて思考する暇もない。


無心無心無心無心無心……!


と、脳内無心カーニバルをエンドレスリピートしながらエレベーターに乗る。視線が消えた束の間の密閉空間の中で長めの浮遊感を味わった後、レッドカーペットの廊下を早歩きで踏みしめながら生徒会室の赤いベールを突破したのだ。


「(神栖川選手、ゴールイン!)」


おふざけが入ってしまうのはご愛嬌として。


果たして、生徒会室には四天王が揃い踏みであった。

各々が各々の場所で待機するなりくつろぐなり好き勝手している。この光景は放課後にしか生徒会室に訪れない冥とっては当たり前のことで、誰かが欠けていることなど一度も見たことがなかった。

この人たちちゃんと授業受けてるんだろうか。

まさか生徒会長の権限で免除とか馬鹿なことはあるまいな、と常々疑問に思っていることをおくびにも出さず所定の位置に足を進める。


そう、ここからが神栖川冥選手にとっての一番の難所である。


先ほど見事ゴールインしたかに見えた神栖川選手にはまだラストスパートが残されていた。生徒会室の奥、階段を数段登った先にある生徒会長の椅子の向かって右側。一人がけの学生には過ぎたアンティークソファと小さなサイドテーブルが鎮座した冥の居場所。


現在地から約数メートル離れたその距離を、如何に四天王との会話を躱わしながら通り過ぎるかが、毎日の憂鬱に他ならないのである。


「お勤めご苦労様です」


まず第一声の挨拶。これは欠かしてはいけない。

先輩の支配する空間で一人だけ(身体的には)後輩が溶け込むには関係を円滑に進めなければならない。挨拶とはその第一歩と言えよう。そして、それを欠かそうものなら蟇郡苛からの容赦ない叱責が飛んでくるのだ。冥は真面目な彼を尊敬はしているが、得意とはどうしても言えない。

やはりと言うべきか、こちらに視線を向けていた蟇郡の厳めしい顔が心なしか解れ、「うむ」という短い返事がくる。第一関門突破の合図だ。

皐月に認められ、且つ礼儀さえ弁えていれば公平に接する男。それが風紀部委員長蟇郡苛という人間である。案外ちょろい人だよな、と失礼なことを考えながら蟇郡の脇を通り過ぎる。


「ずいぶん早いお着きのようだけど、今日の最後の授業はなんだったのかしら?」


次いで第二関門。たくさんのぬいぐるみに囲まれ、リビングチェアに寝そべる愛らしい少女。蛇崩が指揮棒を片手で振りながら冥に声をかける。


「世界史ですよ。今はドイツの独裁政権について習っています」
「ああ、あの教師ね。ずいぶんと長くその範囲をやるわね。今時ヒトラー信者なんて流行らないわよ」
「流行る流行らないは別として、魅力ある人には付き従いたいという欲求は誰にでもありますからね」
「あらー?じゃあ冥ちゃんにもそんな可愛らしい思想があるっていうのかしら?」


来た。冥は内心身構える。

蛇崩は普段は冥に対して優しい先輩として接してくれるが、たまに妙に含みのある言葉を投げかけてくる。

最初はその違いがよく分からなかった冥だったが、会話の途中から変に睨まれたり怖い笑みに変わることから、付き合いが一年以上経った今ではすっかり判別できるようになってしまった。

とはいえ、判別できたからといってどうこうできるわけではない。ただ、内心身構えながらも相当テンパるだけである。


「今日はマカロンの気分、ですかね」


本音をまんまぶっちゃけるくらいにはテンパっていたのである。


「釣れないわねえ」


まあ、この場合は釣れなく流されたと解釈した蛇崩に助けられる形で会話が終わった。

相変わらず手強いわー、と指揮棒を弄りながらリビングチェアにもたれかかる蛇崩。その対応によく分からないまま、第二関門を突破した冥は止まった歩みを再開しようとして、


「おい、神栖川」


第三関門にまた足止めをくらうのだった。


「俺に何の挨拶もなしとはいい度胸だなァ」


テーブルに行儀悪く足を乗せ、ソファに堂々とふんぞりかえる男。猿投山が冥をニヒルに見つめていた。

ここで神栖川冥選手の心の声を聞いてみましょう。


「(めんどっ)」


その一言に尽きてしまう。

この不良だか番長だかに分類されそうな見た目と態度は冥にとって正直一番苦手であった。


「こんにちは、猿投山先輩」
「こんにちは、ねえ?またとってつけたような挨拶だな」
「はあ」
「ちょっと猿くん、冥ちゃんにいちゃもん付けてんじゃないわよ」
「そうだぞ猿投山!毎度毎度会うたびに神栖川に突っかかるのは辞めんか!」
「おいおいお二人さんよ、ずいぶん神栖川の肩を持つじゃねぇか。こいつにされたこと忘れたわけじゃねぇだろうなァ」


それを合図に四天王の三人が騒ぎ始める。これもいつもの風景というヤツだ。

猿投山の意識が蟇郡と蛇崩に向いた隙に静かに歩みを再開する。三人は言い争うことに精一杯で冥のことは眼中にないらしい。チャンスには代わりないが複雑な気分も否めないことが悲しいところだ。

有耶無耶に突破した第三関門を背に階段を登り終える。冥の席は向かって右側であるが、その正反対の位置にあるカウンターには彼が座っている。


「こんにちは、犬牟田先輩」


ターコイズブルーのデザイン眼鏡をかけた犬牟田が、我関せずとばかりに愛用のパソコンを操っていた。

毎日毎日、四天王の中で彼だけが言葉少なにこの(勝手に)恒例選手権を見送っている。そのことに、冥は関門が一つ減ったという意味で感謝の念すら抱いていた。

猿投山のように文句を言われたわけではない。しかし、その感謝の念を無駄にはできないだろう。なにより、どんな理由であれ挨拶をしないということも不作法だろうと冥は笑顔で会釈する。


「…………、ああ」


短い返答。これもいつも通りだ。

自動で開いて瞬時に閉じた謎の襟がとても気になるが、それもいつものこと。冥は気にすることを放棄してすぐに席に向かう。


そして、神栖川選手、ついに本当のゴールイン。


ゆっくりと腰を下ろせば体に馴染む程よい弾力のクッション。背を預ければ今日のすべきことをすべて終えたかのような安心感が体を包み込む。あとは揃の紅茶を待つだけだ。

皐月とその執事の登場を待つ間、すべての音をシャットアウトして冥は一息つく。

これにて第……何百回。通称『毎日恒例無事にソファで紅茶が飲めるかな選手権』は冥の中で静かに終わりを迎えるのだ。


「集まっているな」


そして、生徒会長の凛とした声が生徒会室を支配した時、生徒会長補佐である神栖川冥の本日二度目のお勤めが始まるのであった。


「(ミルクティーさいこー)」


……紅茶を飲むという、簡単なお仕事が。

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