無為は騙り語る



『どういうことだ、お前、なんでソイツらのところにいる……!』


本能字学園中に纏流子の困惑した声が響く。

亡き父纏一身の仕事仲間であるという女の一人娘。父が死んで初めて交わった遠い縁の女。決してその存在を忘れていたわけではない。ただ、この時この瞬間に、この殺伐とした学園の頂点に君臨する女の背後に控えていたなどと、誰が想像できようか。


『答えろ、神栖川冥ッ!!!』


姿の見えない、それでも確かにそこにいるであろう女に力いっぱい吠える。必要以上に流した血のせいでクラクラと目が回るのも構わずに。だが、そんな中大声を出せばどうなるか、興奮状態の流子に冷静さを取り戻させたのは鮮血の忠告。誰にも聞こえない。流子にだけ聞こえる落ち着いた声に従って、朦朧とする意識の中、彼女は学園からの逃亡を果たした。

その姿を冷たく見下ろしていた生徒会長鬼龍院皐月は、背後の少女に振り返ることなく問いかける。


「いいのか、“友達”なのだろう?」
「友達だからって、何でも手を貸すもんじゃないでしょう」


皐月の視線と同じくらい、友人に対しての発言にしては淡白すぎる返答。その実、冥の心中ではもやもやとした困惑が霧のように渦巻いていた。何故なら彼女が今起こっていることについて把握しているのは、流子が転校初日にダイナミックな自己紹介と喧嘩を始めたということくらいなのだ。何故自分が非難めいた声で名前を呼ばれたのかすらよく分かっていない。

高校生なんだから、自己紹介の仕方くらい自分で考えるだろう。

そういう意味で言った内容は、悪戯に別の思惑が含まれたような音でその場にいた者の耳に届く。


「あら、意外と冷めてるのね」
「神栖川にとってはいつものことじゃないか」
「でも、仮にも友達相手よ?」
「ええ? そこまで面倒見きれないですよ」


礼儀作法は各家庭の教育方針に寄るわけで。間違っても友達が口を挟むことではないだろう。冥は目を丸く瞬かせてから、少しだけ眉を下げる。


「友達甲斐のないヤツだ」


シレっとした会話を交わす蛇崩と犬牟田たちとは違い、蟇郡は僅かばかりの軽蔑が混じった目つきで困り顔の彼女を見やる。彼は冥の言っている内容と人畜無害そうな微笑みのちぐはぐさに薄ら寒いものを感じたのだ。

そして、それは何も蟇郡だけの印象ではなかった。

いつも通り噛み合わない雰囲気を終え、帰宅しようと昇降口に向かった冥に近づく者がいた。


「何を考えてやがる、神栖川」


鋭い光を持った垂れ目。頭一つ分以上も上にあるそれを見上げて瞬き一つ。そこには本能字学園四天王が一角、運動部総括委員長猿投山渦が仁王立ちで彼女の進路を妨げていた。


「皐月様が自由にさせているからと大目に見てきたが、もう我慢ならねえ。あの転校生と関係がある時点で反逆者だと決めつけてやってもいいくらいだ。何か下手な真似してみろ。今度こそお前の胡散臭いツラすり潰してコンニャク芋と一緒にコンニャクにしてやる」


ずんずんと迫ってきた筋肉質な体に壁際まで追い詰められ、大きな背を覆いかぶさるように曲げる。ついには腕で冥がどこにも逃げないように行き場を塞いだ。定石通りの壁ドンである。乙女の憧れるシチュエーションそのままだというのに、ここまで嬉しくない壁ドンもそうそう無いだろう。

いつもよりも近い。パーソナルスペースを完全に侵害した距離に、しかし冥は怯えなかった。それは彼女が何事にも揺るがない完璧な冷静さを持っていたから……なわけではない。


「ええ……」


ただ単純に引いていただけだった。

流子が四天王や皐月にどんなことをしたのかは分からない。だが、何か失礼なことをして怒らせたのは知っている。それで猿投山が他の運動部の部長と共に流子に喧嘩を挑み、そして負けたことも何となくは理解していた。

だから今目の前で凄味を聞かせている猿投山が、年下の女の子に負けた腹いせに相手の身内にいちゃもんを付ける輩に映ったのだ。

猿投山先輩にはプライドがないんですか!

そう叫びたいのを寸でのところで抑え込む。もともと冥の知り合いの中で話が通じない相手ナンバーワンである猿投山だ。感情的になったところでこの先輩と会話ができる可能性はゼロに等しいだろう。

深く息を吐いて気持ちを落ち着ける。その息は傍目に見れば溜め息にしか見えないのだが、冥が気づくことはない。


「(私と)話す必要なんて、何もないですよ」


事実、冥は流子の保護者ではないし、他人の喧嘩の後始末をしろと言われてもそういうことに慣れていない彼女には無理な話だ。喧嘩云々の話は流子と猿投山の当人同士がして初めて納得の行く結論に辿り着くことができるだろう。それを冥に求められても困るというものだ。できるだけ目を合わせ、「通じろ」と念を飛ばすように言葉を返した。


「っなんだ、その態度はァ!」
「事実ですから」


至極当たり前のことを言ったつもりだったのだが、猿投山はこれでもかと垂れ目を見開いて冥を凝視してくる。もしかすると、後輩の女の子に図星を突かれて固まっているのかもしれない。そう気付いてから冥は罰の悪い気持ちになった。

彼女は少しだけ彼らよりも人生経験が豊富であるという自負がある。そのことを忘れて大人気ないことを言ってしまったのではないか、と。どこか居心地の悪さを感じたのだ。その現れからか、さっきまで堂々と見ていた相手から瞬時に目を背ける。そして猿投山の腕の下を潜って、今度こそ家路へと急いだのだった。

これも流子が喧嘩をしたことによるとばっちりのせいだ。大人になろうと思った矢先に子供っぽい言い訳が浮かんだ冥。

そんな彼女を見つめる影が、猿投山の他にもう一つ。


「やはり、あの人に似て辛辣だ」


青いサングラスの奥。懐かしさを帯びた流し目が、少女の長い黒髪を映していた。

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