※飲酒はハタチになってから



「神栖川ー」


濡れた低音の声が甘い響きを持って少女の鼓膜を揺らす。何処かの遊女か何かのようなゆるりとした動きで薄い肩に男の体が枝垂れかかってきた。


「神栖川ー、聞いているのかぃ神栖川ー」

「先輩ってお酒弱かったんですか」

「そんなわけないあろー、オレはつおいぞー」

「先輩、呂律ヤバい」


気持ち悪い、という言葉を何とか飲み込んで。神栖川冥はこのどうしようもなくめんどくさい状態になった犬牟田宝火の背をぎこちなく摩った。すると猫のように目を細めて肩口に顔をグリグリ押し付けてくる。

犬じゃなかったっけこの人。


「先輩、もう寝たらどうですか?」

「神栖川がいっしょじゃないとやら」

「気持ち悪っ」


今度こそ声に出してしまった冥。けれど幸か不幸か犬牟田はうつらうつらと幻の中だ。その様子を見て「犬に論語……」と密かに冥は呟いたとか。

なんでこんな風になったのかと言えば簡単、犬牟田が世間知らずだったからだ。

何故か誘われた食事の場所がそれほど高級ではない居酒屋で、何故か焼き鳥を頬張りながらのポツポツとした会話が続いたかと思えばいつの間にか頼んでいた液体を犬牟田ががぶ飲みし始めたのだ。

そして、この現状である。


「ウーロン茶とウーロンハイが一緒なわけないでしょうに」


いや、アルコールが加わっただけでほとんどウーロン茶だけれど。見た目は全く一緒だけれど。ウーロンハイのハイはチューハイのハイじゃないですか。

犬牟田としては、いきなり二人きりで静かな場所にいるにはハードルが高すぎると猿投山に学生でも行ける騒がしい場所を(渋々)リサーチし、妙に乾く喉を潤そうとウーロン茶を飲み干しただけに過ぎないのだが、彼の理性は既に本能町の空の彼方である。


未だ肩口に顔を押し付けられるせいで眼鏡が当たって痛い。普段なら自分から触れはしない冥であったが、酔っ払いに払う敬意などないだろうと犬牟田の顔を無理矢理あげさせてターコイズブルーの眼鏡を外す。眼鏡を外した先に、潤んだ淡い色の瞳が待ち構えていると知っていたはずなのに。


「神栖川ー」


あれ、なんか。

ここで神栖川冥の口はトチ狂った。


「犬牟田先輩の目って綺麗ですね」


本音を、ポロッと。

至近距離で犬牟田の瞳を覗き込みながらこぼす。じっくりと水色と黒の瞳が合わさって、周囲の騒がしい音が二人の間だけシャットダウンされる。ぼんやりとした二人の顔が、いきなり急接近するその瞬間まで、そこは二人だけの不可侵な空間だったのに。


「うえ!!?」


パシッと。条件反射に近いコンマ一秒の素早い動きで、冥は犬牟田の口を手で塞いだ。何故って犬牟田が冥の口に向かって口を突き出してきたからだ。

あと1cmもない隙間に無理矢理突っ込んだせいで地味に頬を引っ掻いてしまった。けれどそんなことを気にする余裕もなく冥は目の前の顔を睨みつけた。


「先輩、冗談が過ぎますよ」

「神栖川、ちゅーしよう?」

「おい酔っ払い」


ジッと綺麗な瞳で見つめられても、しないものはしないのだ。

そんなしようしないの攻防戦を繰り返すうち、最終的に負けてしまったのは恐らくは冥だった。


「ひゃ、」


なんと、犬牟田が今まで自分の口を塞いでいた冥の手を舐めたのだ。驚いて手を引っ込めた冥にここぞとばかりに押し倒す犬牟田。熱に浮かれたその顔は犬というよりは狼のようで。

上からこちらを見下ろす犬牟田に、もはや諦めに近い感情を冥は抱いた。

ベロリ。先ほど自分で引っ掻いた頬が手のひらで感じたものと同じ体温に舐められる。引き攣った悲鳴と体温の上昇を引き起こす体。前世を合わせても初めての貞操の危機である。どうすればよいかと打開策を考える余裕もなく混乱に身を震わせるしかできなかったのだ。


「……ぐぅ」


耳元でそのイビキが聞こえてくるまで。冥はまな板の上の鯉のように心臓だけを跳ねさせて犬牟田を凝視していた。



後に、本能字学園では一週間近く生徒会長と文化部統括委員長に理由あるイジメを受ける情報戦略部委員長とそのとばっちりを食らう運動部統括委員長がいたとかいないとか。

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