少年よ現実を見ろ



どうしてこうなったのか。

犬牟田宝火は私服のタートルネックに口元を隠しながらもひっそりと困惑していた。兆候やきっかけはなかった。はずだ。なのに彼はたった今信じられない状況に陥っている。

そう、何故か、


「……………うまいか」

「……はい」


犬牟田は自分の家で神栖川冥と年越しそばを啜っていた。


年越しを目前に控えた今日。普段から整理整頓をしているわけではないが、物が(パソコン関係を除いて)ほとんどない家は大掃除をしなくとも綺麗だった。そんなわけで犬牟田は大晦日の雰囲気に呑まれることなく普段通りデータの整理、解析、保護を思いつくまま指の動くまま行っていた。

が、しかし、今年はその普段通りに大きな予定外が組み込まれることになった。


それが神栖川冥の訪問である。


彼女はご丁寧にも年越しそばと幾つかのお節を持参して犬牟田宅を訪ねて来たのである。それも一人で、だ。突然の訪問に驚く犬牟田だが、流石に夜の寒空の下を帰らすわけにはいかないと判断して家に招き入れたのだ。本能字学園四天王の一角であろうがそれくらいの常識は持ち合わせている男である。


本来なら冒頭の台詞は持参してきた冥が聞くものだが、ポーカーフェイスの下で人生最大の混乱を起こしている犬牟田にとっては会話ができているだけで奇跡に等しい。

彼の頭の中では解析しきれない疑問が湧きだして止まらないのだから。


何故いきなり自分の家に来たのか。

食べ物を持参してきたのか。

何故、一人でこの時間に来たのか。


聞きたくても聞けない謎の不可侵空間を勝手に感じとってしまった犬牟田は黙々とそばを啜る。同じく犬牟田をこんな状態に追い込んだ張本人も無言のままそばを啜る。

ズルズルズルズルとそばを啜る音がしばらくして、どちらともなく止んでしまう。食べ物とは、食べたらなくなる物なのだ。そして始まる居た堪れない沈黙。普段の犬牟田なら誰と二人きりだろうが構わずにパソコンなり携帯端末なりを行儀悪く弄り出すのだが相手が相手である。結局毎年ほとんど見ることもないはずの某年末歌番組をかけることで沈黙を緩和する作戦に出たのだ。


出たのだったが、それも終わりがきてしまったら意味がない。


「…………今年は白組が優勝らしいな」

「そうですね」

「去年は見てないから知らないが紅組に圧勝だな」

「みたいですね」

「今年もあと少しか」

「………………犬牟田先輩」


間を持たせるための犬牟田の中身のない会話に、同じく中身のない返事をしていた冥の言葉が変わる。

その予想外の真剣な響きに犬牟田の目が眼鏡の奥で緩く見開かれた。

冥が、あの普段から人当たりのよい笑顔のポーカーフェイスを決め込んだよく分からない後輩が、必死の表情で犬牟田の手を握ってきたのだ。それも両手で、優しくしっかりと。

その黒曜の如く輝く瞳にありったけの熱を込めて、犬牟田のターコイズブルーを射抜いて来るのだ。


「私は、言葉足らずで、不遜で、あまり先輩に好かれるようなことをしてきてないと、自分でも自覚しています。でも、」



ドクン、犬牟田の心臓が大きく脈打つ。


知らない。データにない。


こんな、



「来年からは、もっと、先輩の大切な何かになれるように頑張りますから、だから」



こんな、まるで恋をしているような神栖川冥なんて、



「私を、そばに置いてください」



ドクン、ドクン、ドクン、


鳴り止まない鼓動が耳元で大合唱する。遠くから聞こえる年越しのカウントダウンが何故だか耳に鮮明に入ってくる。

それと同時に目の前の人形のように整った顔が、可愛らしく頬を赤らめた顔が近付いてきて……



「神栖川……!?」



テレビの名も知れぬキャスターが、いち、と言いかけた瞬間、



「起きろ犬牟田ァアアアアア!!!」


犬牟田は最悪の目覚めを経験した。



「寝坊だぞ犬牟田!元旦は皐月様のお付きで四天王も初詣に行くと連絡があったはずだが!」

「…………少し静かにしてくれ蟇郡。じゃないと僕は君を社会的に抹殺してしまいたくなる」

「な、なななんだとォオオオ!!この蟇郡苛の親切を仇で返すというのか犬牟田ァアアア!!!」

「果たして元旦に見た夢は初夢に入るのか……」

「聞いているのか犬牟田!!無視するな犬牟田!!!犬牟田宝火ァアアアアア!!!!!」

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