緩やかに開幕



服とは何か。


その問は、この世界の人間において真理である。核心であり根源である。応える者の生き様を否が応でも眼前に突き付けてくる言霊に他ならない。

例えばの話をしよう。今回の話とはまた別の、とある親子の応えだ。

ある女は豪語する。服とは罪だ。遥かなる昔、始祖であるアダムとイブが赤い果実を食み得た知恵の末路。人間を裸であると知らしめた人間の原罪そのものであると。またある娘は宣言する。服とは世界だ。人間のみならず人間の住める大地、海、空……世界すらも包み込む大志であると。その者たちは人間の素肌を這う崇高なる繊維の一本一本を掌握し、その先に待つ未来を膨大な野心と共に抱く。それは正に真理。核心。根源であろう。

ここで今回の話の核となる学園において、同じ問を繰り返すとする。


服とは何か。


その問に、本能字学園の全生徒は口を揃えてこう応えるだろう。ある者は目をギラつかせながら。口元を歪めながら。眼鏡を掛け直しながら。胸を張りながら。声高々に宣う。


それは力である、と。


「でも、服は服ですよね?」


狐色のマドレーヌを摘まんだまま、神栖川冥は平坦な声音で聞き返した。

食べやすいように四等分された焼き菓子を一欠片口に含み、香り控えめのアッサムのピュアティーで静かに流し込む。バターの風味を損なわないスッキリとした飲み口が口腔を満たし、余りの幸福感に思わず感嘆の溜め息が溢れ出す。そんな冥の様子を、あんぐりと開けた口もそのままに凝視していた蛇崩が衝撃から気を取り戻して制止の声を上げる。


「ちょ、ちょっとぉ! 冥ちゃん!?」
「はい?」
「なぁに堂々とスゴいこと言い切っちゃってるのよ!?」


口に含んでいたキャンディの棒を指で摘まんで、唾を飛ばす勢いで指揮棒のように冥の顔を指す。その必死な形相に内心引きつつ、ちゃっかりもう一欠片マドレーヌを口に入れてから冥は首を傾げた。


「スゴいこと? 服が、ですか?」
「当たり前じゃない! あたしたちは皐月様から頂いたこの極制服を着てこその四天王なんだから!」
「え、そうだったんですか?」


(あれ、伊織先輩の趣味じゃなかったんだ)という信じられない言葉を声に出さなかったのは良かったのか悪かったのか。

おちょくられているとしか思えない態度と台詞。久方ぶりに感じる神栖川冥という後輩に蛇崩は歯噛みした。まあそれもすぐに冥から差し出されたマドレーヌで幾分か落ち着いたのだから、二人の関係は比較的良好である。蛇崩はふふんと可愛らしい顔に勝ち誇った笑みを浮かべる。

可愛い後輩に手ずから"あーん"されたという事実に、だ。

その場にいなくとも、情報部のモニター越しでこの映像を見ているだろう犬牟田に対しての優越感が半端なく気持ちいい。羨ましいでしょワンちゃん。

微笑みのポーカーフェイスと小悪魔的な毒舌家。珍しい組み合わせではあれど、一年以上をこの学園で生活しながらイマイチ内情を把握していない冥と、そんなこととは全く知らない蛇崩。この二人の一見して噛み合っている会話は、実のところいつまでも平行線上をひた走っているのだ。


いつもと変わらない放課後、生徒会室。指定の時間に本日のお勤めを果たすべく足を踏み入れた冥を待っていたのは蛇崩ただ一人だった。

その場には冷めても美味しい揃の紅茶と添えられた焼きたてのマドレーヌ。いつも堂々と踏ん反り返っている猿投山の姿はなく、それどころか犬牟田や蟇郡、学園の長たる皐月の姿すら見当たらない。

というのも、この日はちょうど学園のスパイを粛清があったのだ。

放課後間近の最後の授業。居眠りや内職がいつもの如く続出する時間に鳴り響いた雄叫びと悲鳴。次いで沸き起こった原因不明の煙幕。冥の教室は締め切ってあったため騒音被害だけで済んだが、隣のクラスは恐ろしいことに教室から避難してきた生徒が目を真っ赤に腫らして廊下に倒れ伏す事態になっていた。正直リアルホラーである。

そしてそれからさらに始まる雄叫びと悲鳴、プラス破壊音。コンクリートの砕ける音や見慣れた巨体や宙を舞う人間にもはや夢かと眠る体勢に入りかけたところで、件の台詞が学園中の生徒の元へと降ってきたのだ。


『恐怖こそ自由! 君臨こそ解放! 矛盾こそ真理! 服を着た豚共! その真実に屈服せよッ!!』


『(豚って……)』それ言ってる本人にも当てはまってません? とかなんとか突っ込むのも疲れるものだろう。現に矛盾も真理だと言っているのだから本人の自由か。

いろんな突っ込み所を飲み込んで、この騒ぎならば授業を続けるのも困難だろうと冥は机に突っ伏した。僅かばかりか精神的に疲労したようで、本来の時間も合間って瞼が異様に重かったのだ。もちろん、今起こっている事態を完全に理解していないが故の行動である。

そんな彼女の内心を知るわけもなく、窓際で皐月を見上げていたはずのクラスメイトたちは眠りについた彼女を恐ろしげに見やっていた。本能字学園生徒会が上に揃い踏みしている最中、生徒会長補佐という役職の彼女が、何の迷いもなくこの状況で眠ろうとしているのだから。

普通の神経じゃない。誰かの呟きは皆の意見を代弁していたといえよう。


そして現在。

スパイの粛清が完了したとはいえ、各々が各々やらなければならないことが出てくる。

皐月は犬牟田と共に情報部でスパイの詳しい動きと目的の予想。蟇郡は風紀部の警備の強化とついでの叱咤。猿投山は何故か運動部の鍛え直しをしているらしい。本当に何故だ。

そして残った蛇崩は、生徒会室を空にするべきではないと留守番に回され、冥と楽しいお茶会と会いなったわけである。


「そういえば明日冥ちゃんの隣のクラスに転校生が来るらしいわねぇ」
「へえ、ずいぶん中途半端な時期にですね」
「それも今日こんなことがあってすぐによ? 怪しんでくださいって言ってるようなもんだわ」


はい、"あーん"。

今度は蛇崩の方からマドレーヌを差し出して冥の口に収める。素直に小さな口で咀嚼する様子を満足そうに見ている彼女はまだ気付いていない。

この仲良しこよしラブラブ状態を見ているのは、何も犬牟田に限ったことではないということを。後日、彼女が敬愛し崇拝する人物から嫉妬混じりの視線を向けられ、可愛らしい顔に冷や汗を浮かべることになろうとは。

← back
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -