空飛ぶオカズと女神様



神栖川冥の日課といえば生徒会長鬼龍院皐月との優雅なお茶会だが、神栖川冥の月末といえばスラム街を訪れることである。

スラム街。三つ星極制服をその身に纏う冥には似合わないゴミ箱のようなその場所は、実際彼女にとってはそれなりに思い出のある場所でもあった。


「お、冥ねーちゃんじゃねぇか!今日は何持ってきてくれたんでい?」
「夕御飯まで秘密」
「ええー! 教えてくれたっていいじゃねぇかよぉ!」
「秘密ったら秘密だよ」


ふふふ、と。学園では滅多に見せない砕けた笑みを浮かべる冥。それに驚くことなくスラム街でそれなりに幅を利かせる不良小学生、満艦飾又郎はいじけたように唇を尖らせた。

冥がスラム街に思い入れがある理由。それは単純に彼女がここで生活したことがあるからに他ならない。

本来なら、神栖川冥という生徒は将来を約束されたエリートであった。

入学したその日から鬼龍院皐月直々に一つ星極制服を賜わり、一学期を終える頃には何らかの成果を上げ二つ星にまで昇格する。入学前から目をつけていた新たな逸材に、直感で有り得ないほどの高待遇を用意していたわけなのだが、それは初日で潰えてしまった。

皐月に対する無礼を四天王が満場一致で抗議したことによって、神栖川冥は劣等生のレッテルを貼られたのだ。

劣等生の行き着く先は言わずもがな。ヒエラルキーの最底辺、スラム街である。本来なら新築同様の広々としたマンションを一人で使える身分のはずなのに、彼女は高校一年目の春をスラム街のボロアパートで生活することになる。

ちなみにこれは明らかな皐月からの挑戦状であり、四天王からの意趣返しだったのだが冥には全く通じてなかった。学生の一人暮らしなんて部屋にトイレと風呂とキッチンが付いていたらいい方だろう、とボロいながらもある程度生活できるアパートに一人で納得していたくらいだ。

こうして彼女の一人暮らしが始まったわけだが、その折にお世話になったのが満艦飾家のおっとり美人、好代だった。


「あらあら、こんなにお肉やらお野菜やらたくさん! いつもありがとうね冥ちゃん。今日は何のコロッケにしようか悩んでいたところだったの」
「いや、一端コロッケから離れましょうよ」


というのが恒例のやり取り。油物ばかりのメニューにしようとする好代に冥が突っ込むというお決まりだ。またかと言いつつ、結局その日の献立はから揚げとコロッケに決まったわけで。


「冥ちゃん冥ちゃん冥ちゃあああああん!!」


日も沈みかけた夕の終わり。子供のように無邪気な声と共に慌ただしく玄関に駆け込んできた少女が冥の名前を呼ぶ。


「遅かったね、マコちゃん」
「放課後にすーがくの補講があったの! 先生に今日は冥ちゃんが来るから早く終わってってお願いしたのに信じてくれないんだよー!」
「それは大変だったね。ほら、よしよし」
「わーい、冥ちゃん好きー」


まるで犬のように冥の手に頭を擦り付けるマコと、同じく犬を扱う飼い主のようにわしゃわしゃと可愛がる冥。その二人の周りを混ぜて混ぜてと言わんばかりに満艦飾家の飼い犬ガッツが駆け回る。


「おう、そういや今日は冥ちゃんが来る日だったな」
「お邪魔してます」
「お邪魔じゃねえよ、いっつも美味いモン持ってきてくれるんだからなあ。お礼を言いたいくらいだ」


ただいま母ちゃん!と威勢よく玄関から姿を現した薔薇蔵はその光景を見慣れている風に挨拶を交わす。実際、彼女が来ればスキンシップの激しいマコが抱き着くのは必然だし、冥=餌をくれる人と認識しているガッツも当たり前のようにまとわりつく。


「あらあら、マコは相変わらず冥ちゃんにベッタリね! まるでお姉ちゃんができたみたい!」
「だったらマコ姉ちゃんと交換してほしいくらいだぜ」
「又郎! そんなこと言うもんじゃありません!」
「いで! いでででで! 痛ぇよ母ちゃん!!」


好代に頬を思いっきりつねられた又郎が悲鳴を上げる。それを豪快に笑う薔薇蔵と、未だに離れようとしないマコ。前世でも今でも自分とは違う家族のタイプに、最初は無表情の下でドン引きしていた冥もなんだかよくわからない雰囲気に呑まれて自然体に近い状態でいられるようになった。

家族ってすごい。

今も昔も、自分の家族を嫌ったことはない。けれど、こんな家族に憧れないと言えば嘘になってしまうだろう。

表立って両親に逆らうこともできず、従順に決められた道を歩みながらも反抗心を内面に抱えた前世。精神的に進退できないまま前世の年に一歩一歩と成長してきた今生。いずれもしっかりとした反抗期を迎えたことのない彼女は家族に対するコンプレックスが人一倍強かった。


「父ちゃん! マコ! 又郎! 冥ちゃん! ご飯できたわよー!」


ドンッとちゃぶ台に勢いよく置かれたから揚げとコロッケの山。米櫃から直接掬うように盛られたご飯が各自の手元に行き渡る。それが終わるか終わらないかの内に食前の例の挨拶が満艦飾家の薄い壁を突き破る勢いで響き渡った。


「「「「いただきまーす!!」」」」
「いただきます」
「ガッツガッツ!」


戦場かと思わんばかりの箸たちの動きの脇で、今日はどれだけ食べられるのかと身構える冥。毎度毎度このオカズを巡る戦争で彼女が目に見える戦績を残せたことはない。せいぜい三、四個確保できるかできないかというくらいだろう。まあ、茶碗いっぱいに盛られた白米だけで腹の容量はオーバーするから食べ足りないということはないのだけれど。

そんな算段を呑気に考えていた冥は、向かいのマコから不意打ちで弧を描いて投げられたコロッケをキャッチすることはできなかった。


「冥ちゃん! ボーッとしてたらなくなっちゃうよ!」
「は、はい……!」


今回も連敗記録は更新されそうである。



***



「へーえ、またマコちゃん家でお食事ねえ? そんなに楽しいお友達の家ならアタシも今度お呼ばれしてみたいもんだわー」
『母さんはまず仕事離れするのが先でしょ』
「やーん、そしたらパパと離れることになっちゃうじゃない。アタシはパパと一緒にいるために今の仕事にしたのよ? その努力を無駄にしたくないわー」
『無駄にしたくないのは父さんとの時間の癖に』
「よく分かってるわねー。ということで、これからアタシはパパと遅めのディナーだから、冥ちゃんはちゃんと戸締まりして寝るのよ?」
『うん、楽しんできてね』
「もちろんよ。あ、あとお肌のケアも忘れずにねー。肌汚いと隠すの大変だぞ?」
『はいはいおやすみ、切るよ』
「あ、それから、……やだホントに切られた」


薄くスマートな携帯端末から耳を離したその女は、悩ましげに暗くなった画面を見つめながら大袈裟に肩を落とした。

顎下で綺麗に切り揃えられた淡い色の髪。光に当てれば銀にも水色にも見える細い絹糸を耳にかけ、妙に派手なリングピアスを両耳に煌めかせている。派手な色のシャツと真っ黒いスラックス、それらの上から薄い体を包む白衣。その格好から、恐らく研究者か医療従事者であることが推測できる。


「と、いうことらしいわよ」


と、誰がいるとも知れない背後に目を向けることなく投げやりに話を振る。拾うこともなく消えていくだろうと思われたそれに、言葉を返した人間が一人。


「また収穫なし、ってヤツですか。やはりあなたの娘さんなだけあって簡単にはいかない」


よれたシャツと緩みきったネクタイ。普段顔を隠しているサングラスを取り去り完全に素顔を現した美木杉愛九郎が苦笑を漏らして立っていた。


「アタシよりは十分捻てなくて可愛いと思うけど」
「あなたの口からそんな言葉が出てくるとは思いませんでした。意外と親バカだったりします?」
「あら、親バカの夫バカなら喜んで肩書きにしちゃうわよー?」


ふっふっふ、と。芝居がかった動作で立ち上がった彼女は、無意味に白衣を翻しながら、高々と宣言した。


「ヌーディスト・ビーチ、ドクトル・ネイキッド・オフィサー、親バカ夫バカの神栖川アオコってねっ!」


神栖川冥は生まれながらに家族という爆弾を背負っていた。

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