白夜、あるいは極夜



その光景は、藤の花弁が自ら発光しているかのような神秘を纏っていた。

藤襲山の山裾から中腹にかけて途切れることなく自生する木。惜しげも無く咲き乱れる花々。それはそれは現実離れした美しい世界だったが……猫に小判、名前に藤の花。特に感慨もなく目に付いた花を毟ってパッと口に放り込み、むしゃむしゃむしゃ。よく噛み締めてやっと感じ取れるか否かの僅かな苦味と、口腔から直接鼻腔に上っていった芳しい香り。自然界にありがちな仄かすぎる毒性に少しガッカリした。知っている毒花と似ていたから試してみれば全くの別物だ。多量摂取することで下痢や痺れを感じる植物など、当たり前すぎて毒とも呼べない。

名前は念を習得してからというもの、絶をして夜中に家を飛び出し近所の林や山で体力をつけたり、毒物を収集・摂取することで少しでも前世の体に近付けようとした。というのも、意識の中では前世のスペックを忘れきれず、うっかり現在の脆い体に負荷をかけ過ぎたり毒物を平気で口にしてしまう可能性があったからだ。

桔梗家の家業が戦う仕事だと知らない内から念を覚えていたのはこのためだったりする。いくら今の頭がポンコツとはいえ、流石に自滅で二度目の人生を終えるのは避けたい。

毎夜毎夜と走り回ったおかげで、近場で採れる自然毒は粗方耐性をつけてしまった。けれど前世の乳飲み子から成人まで入念に付けられた耐性にはとんと及ばず、もっと強い毒物に飢える日々。初めて訪れた藤襲山に期待が勝り、山に入ってから名前の目はずっと爛々としていた。

傾斜が大きくなって来た藤の木の間を走り回り、目に付いたキノコや草花、虫を口の中で転がして、とうとう目的地へとたどり着く。紫色の簾が幾重にも咲き誇る階段を登り、鳥居をくぐった先には何十人もの子供たちがいた。

名前は二藍の振袖に紺桔梗の袴、同色の羽織を着てのんびりとここまでやって来た。葬式のような色合いの装束を着ている白黒頭の女児は、死線に程近いこの場では不吉にも場違いにも見えた。

本来なら袴は濃青色、羽織は秘色と、たいそう目にも鮮やかな組み合わせだったのだが、闇夜に紛れられるようにと母が出来るだけ黒に近い色を箪笥から引っ張ってきたのだ。

そんな母の精一杯の苦慮も知らずに、名前は襞がある長い裾の袴に履き慣れない居心地の悪さを感じていた。


「もし。元水柱の人、元水柱の人、知ってる? 知ってる人。もしもし。元水柱の教え子の人、いない?」


名前はまず、父の言いつけを守るため、その場にいる子供に端から端まで同じことを尋ねて回った。

昔と比べればかなり達者になったとはいえ、まだまだ片言で拙さが混じる。そして本人は母譲りの愛想の良さを披露しているつもりだったが、生白い肌、血色がよく見えるように紅を引かれた唇、常時絶に近い状態を維持しているが故の生気の薄さ、笑っていない目、年不相応に幼い口調で何度も繰り返す様子は不気味の一言に尽きた。

ある者は怯え、ある者は無視、睨みつける、逃げる、肩を押すなど。まともに取り合ってくれる子はなかなか現れない。

“父の言う元水柱の教え子などいないのではないか?”という疑念を抱きつつ、今度は二人で固まっている狐面の少年たちに声をかけた。


「元水柱の人、知ってる? 教え子?」
「えっ、あ、は、」
「知らない。他を当たってくれ」
「そう。ありがとうございます」


黒髪の方は戸惑い半分怯え半分といった見慣れた反応。対して、鮮やかなオレンジ髪の方は、黒髪の方を守るように二人の間に身を滑り込ませた。初めてちゃんとした返事が聞けたので、名前は少しだけ嬉しくなって、杏寿郎仕込みの正しく滑らかな発音の礼を言った。

それに面食らった少年二人が一度顔を見合わせ、またオレンジ髪の方が口を開く。「お前は、」「う?」

──ほんとうににんげんか?


「皆さま、今宵は鬼殺隊最終選別にお集まりいただき、誠にありがとうございます」



***



最終選別一日目。名前はとにかく山を走り回る。常日頃同様の緩い絶状態のまま、端から端まで見て回り、残り六日の拠点と毒物の探索に努めた。

二日目。初めて鬼を発見。瞬時に完璧な絶をし、木の枝から観察。名前の様子には気付かず通り過ぎる。元人間の魔獣という認識は、思いの外人間の原型が残っていることで改めた。人間を鬼にする鬼がいるのだと杏寿郎から聞いたので、魔獣というよりは伝染病の類かもしれない。とりあえず、と言わんばかりにコンマ数秒だけ足にオーラを溜め、跳躍。風のように鬼の背後を通り過ぎる刹那、最近やっと習得できた人体改造で手を凶器に作り変え、スリの要領で心臓を抜く。出血なしのため血の匂いはほぼない。素早く元いた枝に着地。相手はしばらく胸元を気にしていたが首を傾げるばかりで何事もなく去って行った。名前の手の内にはまだ脈打つ心臓が残っている。どうやら頸を斬らなければいけないのは本当らしい。

三日目。なかなか強力な毒物を発見。根っこが特に痺れる。嬉しい。

四日目。再び鬼と遭遇。今度は絶をした状態のまま背後に立ち、父から習った抜刀術の要領で頸に斬りかかる。突然の衝撃に短い悲鳴を上げた鬼。だが刃は弾力のあるゴムに阻まれたように頸の途中で止まってしまった。刃に触れている部分からは肉の腐った臭いがする。名前の存在に気付いた鬼が鋭い爪を伸ばす。届く前に刀全体をオーラで覆い、力任せに頸を刎ねた。今度こそ胴と頭が分離したが鬼はまだ言葉を連ねる。仕方なく頭蓋を踏み抜けば辺りは静まり返ったが、胴は崩れることなくそこに在り続けた。日輪刀と呼ばれる特殊な刃のおかげか。心臓を抜き取った鬼よりはっきりともがき苦しみながらも、結局はジワジワ時間をかけて頸から再生しているようだ。やはり呼吸なしの刃では鬼を殺しきることはできないらしい。完全に再生する前に名前は絶をして立ち去った。

五日目、六日目。粗方探索が終わってしまい、拠点にて穴を掘り地中で寝て過ごす。快眠だった。

そして、七日目。もうすぐ選別が終わる夜のこと。


「苦しめ! 苦しめ! 苦しめ! 苦しめ! お前の弟子すべて喰い殺してやるッ! 俺がッ! 俺がッ! 鱗滝ッ! 鱗滝ッ! 鱗滝ッ!」


あまりの煩さに見に行くと、大量の手が巻きついた緑の肉塊があった。

何本手があるのか。それともあれは手に見せかけた触手か何かなのか。そもそも鬼とは人型から外れるモノもいるのか。などなど疑問が尽きず、名前は木の上から黙ってそれを観察していた。

緑の手が縦横無尽に何かを追いかけては時々斬られて血を流す。その度に「鱗滝ッ! 鱗滝ッ!」と謎の呪文を繰り返している。変な光景だ。

それにしても、今まで見てきた鬼は緑の肉塊を含めて同じオーラをしていた。正確に言うと、それぞれ固有のオーラに異質なオーラが混ざることによって呼び水になりオーラの総量が増加。それら全てが身体中の筋肉に満遍なく纏わり付いている。

確かに、これは駆除しなければいけない生き物だ。何せ勝ち目がない。食事という原始的な欲求を満たすために振るわれる力は硬をした念能力者の拳のようなものだ。一般人が渡り合えるわけがなかろう。

緑の肉塊は、前の二匹と比べてオーラの量も多く、異質なオーラとの混ざり具合も進んでいる気がする。何より僅かながらにオーラの移動を覚えているのか頸回りの守りがやや厚く見えた。

じぃ、と観察すること十秒。見覚えのある髪色の少年が緑の手を足場に跳躍、頸に向かって勢いよく刃を振りかぶる。水を幻視させるオーラの塊が刃から軌跡を描き──。

駄目だ。

少年の斬撃は鬼の頸周りのオーラより弱い。頸を胴から刎ね跳ばすより先に、刃の方が耐えきれず折れてしまうことが分かった。そして、できた隙に付け込んで少年が握り潰されてしまうことも。コンマ数秒早く名前は予見した。

刃が砕ける。少年の目が刃に向く。鬼が笑う。伸びた手が少年の頭を覆って、

──あの少年は、死ぬ。


『奪われた命はどうやったって取り返しがつかないのッ! もう二度と戻って来ないのよッ!』


ひゅん。


「へぁ……?」


間抜けな声が地面に叩きつけられた。

とっさに枝を蹴った名前が抜刀と同時に刃を周。そのままスピードを落とさず刀を振るうと、周囲の腕を巻き込んで肉を抉るように胴から首が斬り離されたのだ。

あまりのスピードに、飛ばされた首はどこまでもどこまでも山の傾斜を転がり落ちていく。頸を斬られた衝撃で止まった体の隙を逃さず、今度は少年を掴んでいる腕を斬り、握り拳からどさりと落ちた体を担いで全速力で山を駆けた。

最終選別の始めに集まった鳥居へ。藤の木が乱立するあの場所へ。


「(なんだか、ドキドキ、する)」


一時間後、朝日が遠くの山裾を照らした。


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