金蘭たちの末世と一途



遡ること二次選考1stステージ。


「青原ガビの弱点は武器が多すぎることだ」


モニタールーム。ブルーロックマンシステムに翻弄され、食らい付き、ひたすらゴールをもぎ取る選手たちをリアルタイムで監視する目。絵心甚八は、100ゴールに最も近い男の解析を始めた。


「? 多いのっていいことでは? 絵心さん言ってましたよね、“武器を持てエゴイスト! 自分だけの武器を鍛えろ!”って」
「言ったけど、限度ってものがあるよ」


ピンと来なかった帝襟アンリの疑問も然もありなん。世界一のストライカーには世界一のとびきり唯一の武器が必要だと、一次選考で演説を垂れたのは絵心である。

しかし、あくまでそれは武器を一つも持っていない丸腰の勇者Lv.1に対する賢者の教えだ。


「アンリちゃんはさ、料理する?」
「しますけど。というかこの前夜食に野菜炒め差し入れたじゃないですか」
「じゃあ野菜炒め作るのにフライパン選びから始めるタイプ?」
「へ?」


腹の上で組んでいる指がわきわきとリズムを刻む。話すことを筋立てて構築する絵心の手遊び。対する帝襟は、急な話題の転換について行けず大きな胸が不安げに揺れた。


「いろいろあるよねぇ。ガスかIH対応かもだし、ステンレス製、アルミ製、テフロン加工とか。ああ、中華鍋って手もあるか。火力高めで仕上げたい派にはピッタリ」
「え、と。急にどうしたんですか? フライパンとサッカーになんの関係が?」
「喩えだよ喩え。じゃあとりあえずテフロン加工の良いやつにしとこっか。焦げ付きにくくて便利らしいし」
「はぁ」
「で、次は油だ。これも結構種類があるよね。サラダ油やオリーブオイル。ごま油は調味目的だっけ? 他にもナタネ油とか亜麻仁油とか。ウン、とにかくたくさんだ」


口も動かしながら目も動かす。今まで何度も腐してきたドイツからのイレギュラー、青原ガビの一挙手一投足を。それは羽化する瞬間を見逃すまいと釘付けになる子供の煌めきを内包していた。

ブルーロックマンシステムの難易度は現在Lv.MAX。危なげなくゴールを量産してきたストライカーが徐々に崩れ始める。


「次に野菜だ。野菜と一口に言ってもたくさんある。ニンジン、タマネギ、キャベツ、モヤシ、ピーマン。野菜炒めとは言うけれど肉が入ってる場合も多々ある。ビーフorチキンorポーク? ソーセージとかベーコン入れるタイプもいるよね。あ、野菜にはキノコ類も入りますか?」


59ゴール目。障害物の隙間をスプリントさながらのドリブルをして通過。最後の障害物の突然の急転換に巻き込まれかけ、転倒しながら危なげに左足で超低空シュート。

不可。


「んで次に食材の切り方だけど、ざく切りがメインになるのかなぁ。ニンジンは短冊切りとか、千切り……と、マァここまで言えば分かるよねアンリちゃん」
「は、はいぃ?」
「つまり、コレが青原ガビの弱点だ」


65ゴール目。GKの急な前進によるシュートの中断。とっさのループボールによる不格好な右足シュート。

不可。


「たくさんあって選べない」


70ゴール目。非合理的なDFの動きに気を取られ体勢を崩す。目いっぱい伸ばしたつま先で押し込むようなラッキーシュート。

不可。


「ゴールという料理を作り上げるためにしなくてもいい思考タスクを挟みまくっている。そりゃあプレイが一辺倒で読まれやすいよりは遥かに良い。贅沢な悩みってヤツだけどさ」


72ゴール目。

不可。


「一つの動作に選択肢5個。仮にドリブルとパスとシュートだけに絞ったとして5^3で125。さらにインターセプトの処理やら周りとの連携やらゴール前の駆け引きやらも入れると15625通り。加えて、現実のワンプレイではさらに選択肢は増え複雑化する」


74ゴール目。

不可。


「もちろん、これは青原ガビに限ったことではない。瞬間で無意識に選択をし続けるのが生き物だ。一流のプロどもはさらに速く反射で選択し続けている。問題は、青原ガビは律儀に一つ一つ取捨選択の時間を設けていることだ」


77ゴール目。

不可。


「兄に指示されたプレイの再現。実在するプロの動きを研究しそのままインプット、プレイのためにトレースしアウトプットしている。アレンジせず、そのまま。普通は途中で頭がパンクするか、体に見合わない技のトレースでボロが出る。普通はね」


79ゴール目。

不可。


「プロの技は当たり前に有用な武器だ。ゆえに、選択肢が多すぎて選択するだけでタイムラグが発生する。タイムラグ、すなわち余分。変幻自在なんて言い様で済ませてはいけない。アレはもはや駄肉と変わりないお荷物だ」


80ゴール目。

不可。


「これは断捨離だよ。駄肉を削ぎ落として青原ガビのプレイスタイルを先鋭化させる即席ダイエット」



82ゴール目。

青原ガビの動きが変わる。

これまでの彼のプレイは、見るものが見れば分かってしまうプロフットボーラーの有名なワンプレイをかき集めて切り貼りした不気味なパッチワーク。この二次選考1stステージでは、あえてそれらが再現不可能なシチュエーションを作り出し、理不尽を強い、無理やりな再現性ゼロのゴールを量産させ続けた。

何度も何度も、ゴミゴールを産ませ続けた。

ここまでやれば、自分がどれだけ非効率的で非合理的なプレイをしていたのか、馬鹿でない限り気付くはずだ。そして大方の目論見通り、81ゴールの犠牲を費やし、青原ガビは変化した。

ここには忠誠を強いる兄はいない。歪さから目を逸らすチームメイトたちも、甘やかすコーチ陣も、諭すノアの目もない。外界から完全に隔絶された青い監獄の中で、青原ガビは、ガビ・ブラウは、


ガブリエル・カイザーは理想を諦めた。


誰のものでもないトラップ、ドリブル、シュート。テクニックを下げ、パワーを上げた絶妙な塩梅のプレイスタイル。王侯貴族の優雅さなんぞ投げ捨てろ。素材そのままの機能と合理性とアドリブに特化した動きで、ブルーロックマンの反応速度より速くボールが通過した。


「ずいぶん軽くなったな、Dickerchenおデブちゃん


スピード&パワー。なるほど、単純であるからこそ脅威である。本来ならば彼のプレイスタイルは恵まれた運動神経のセンス優位でゴリ押しするタイプだったのだろう。兄貴の趣味に付き合わされて中途半端に個性が死んでいたわけだ。与えすぎることもまた虐待だと、あちらさんは知らないのかねぇ。

走って飛んで滑り込んで、シュートを打つたびにゴールネットに見せかけた壁がベコベコに凹んでいく。どんなアホみたいなパワーがかかっているのか。さっきまでギリギリを攻めていたのが嘘のように、青原ガビはフィールドを駆け巡った。

こうなると、ハーフコートほどの人工芝が狭いケージに見えてくる。本来の大きさのピッチに立った時、この男はどれだけイカしたバケモノになってくれるのだろう。


「これが、本来のガビくん……」
「そうかもしれないし、違うかもしれない」
「まだ変身を残しているんですか!?」
「それを決めるのはあのドイツ人でしょ」


バコッ!

容赦なく蹴り込んだラストシュート。100ゴール達成のファンファーレと共に、2ndステージへの通路が出現する。頬に滑る汗をピッと払って歩き出す背中。結局ノーミスでステージクリアされてしまった。他のモニターを確認しなくても分かる、堂々とした一位通過だ。

とんでもない、規格外の成長。

遠くない未来で日本代表はこんな怪物たちと戦うことになる。

そうなった時、胸を張って『日本が勝つ!』と宣言できるストライカーを、このブルーロックが作り上げてゆく。

モニターを見上げ心ここに在らずのまま、帝襟はポツリと呟く。


「なんというか、凄まじいです、ね……」
「うん」
「装甲の破損が……」
「ウン……」


ちゃんとボールを回収するために押したら開く形式になってるんだぞ。力を逃す仕様の壁にどんだけのパワー込めたらボール型の凹みができるんだよ。


「次が詰まってるんだが」
「ただでさえ予算オーバーなのにぃ……」


バスタード・ミュンヘンに請求したら払ってくれねぇかな。

絵心はわりとガチでノエル・ノアにたかろうか迷った。


それから数時間後のライバルリー・バトル。

思い切り踏んだボールが人工芝ごと土に押し込まれて完全に取れなくなったり、DFの際に目一杯蹴り込んだボールがまたまたフィールドにめり込んだり。とにかく人工芝にダメージが残る形で馬鹿力を発揮しまくる青原ガビは、試合妨害でイエローカード2枚による退場が言い渡された。

絵心と帝襟の目は死んでいた。



「暴力の化身……」
「予算……」



別の怪物ができちゃったナ。




***




納豆、沢庵、ご飯、味噌汁。


「……………………」
「質素質素。かなしい食事」
「うん」


ねちゃぬちゃ納豆を軽く混ぜ、糸引くソレらを白米と一緒に無理やり喉の奥に流し込む。おかずをトレードしてくれるアンドリューはいない。そもトレードするおかずが最底辺の食堂にはなかった。

二次選考2ndステージ。ライバルリー・バトル初戦でヒオリ・ツルギ・ニコチームに負け後退することになったクロナ・ガビチーム。その日は新しい施設に慣れつつゆっくり休み、本格的に再始動することになった次の日。朝食がてら反省会が始まった。

昨日の敗因は言わずもがな。イエローカード2枚で即退場したガビである。


「Training、たくさん、した……」
「やりすぎて困るトレーニングがあるのか」
「きんにくん」
「? ヤー?」
Jaヤー??」


マグマスパゲティも粉チーズもないんだなココ。

思わず空いてる左腕でヤー!のポーズをするクロナ。真似て同じポーズをするガビ。話も食事も一時停止した。どうあがいてもゆるい。

もう一戦も負けられない後退者チームの食堂。入念にディスカッションする者や頭を抱えて嘆く者、慰める者、対戦相手の品定めに熱心な者、とにかく張り詰めた空気が蔓延する中、マイペースに納豆ご飯をかき込む二人組。余裕そうというかやる気がなさそうというか。「アイツらで良くね?」「奪っても使えるか分かんねーだろ」「どっちもチビだしなぁ」ちなみに座ったガビは座高が低くてチビに見える。クロナと目線が一緒である。


「とにかく、飯を済ませたら練習行くぞ」
「Ja」


ガビがぼんやりしているだけで巻き込まれるクロナはちゃんと真剣だった。

……ガビだっていつもマジだけど。

味気ない食事を終え、いつものボディスーツに着替えてちゃっちゃか練習を始めた二人。次の試合まで最低24時間以上のクールダウン時間が設けられている。チームアップしてすぐに試合を組んだ彼らが連携不足だったことは否めない。連携の確認をしようとクロナから打診があり、ガビは承諾した。

昨日の試合でのガビの暴走の理由は二つ。身体的な変化と精神的な変化。ブルーロックに来てから毎日オーバーワークギリギリまで鍛えたおかげで急成長した筋力と、ついさっきインプットしたばかりの新しい思想への挑戦だ。


『《サッカーは“兄貴”をぶっ潰すための道具だ。誰かのためにするもんじゃねぇよ》』


“兄貴”──“my brother”。
つまりリィンの兄弟の話。

あくまで彼個人のサッカーの目的であって、ガビのサッカーとは違うのではないか。殺気未満の闘争心に塗れた八つ当たりを受け一時は納得してしまったが、いざ“潰すサッカー”を意識した結果ボールコントロールに支障をきたした。結果イエローカード2枚。殺気のお漏らしを避けられただけマシだと思いたい。

通路から三対二の数的不利に苦しめられる味方を眺めてから、ガビはぼぅっと思案していた。

“潰す”……どの程度だ?

身体的に潰すことは造作もないが、そういうこっちゃないのはドイツでのサッカー人生で知っている。兄のサッカーを間近で見てきて、レッドを貰ったところを見たことがない。なら、それは精神的な加害であることは分かる。ただ他を圧倒することではダメなのか? それなら今まで何度もしてきたことだが。

ミヒャエルとサッカーをするためにミヒャエルを潰すサッカーをする。この矛盾にヒントがあるのではないか。

障害物にぶつかりかけたクロナからのパスを右足のダイレクトシュートでゴールに叩き込む。ブルーロックマンが棒立ちのスピード。ゴールに見立てた壁には辛うじて凹みはない。“潰す”ことを考えなければそれなりに加減が効くと分かっただけ良い収穫だ。


「それがお前のエゴか?」
「うん?」


お互いの長所を意識しながら連携にも慣れてきた頃。三つ編みを揺らしたクロナがガビに体を向ける。


「試合中、俺とも西岡とも目を合わせなかった。名前呼んでもフル無視だっただろ」
「?」
「慣れ合わない主義のソリストかと聞いている」


転がっているボールの一つを足ですくい上げるクロナ。何度かリフティングを繰り返してから、ポーンとガビにパスを出した。放物線上にスポッと足元に収まったボール。同じようにリフティングをしながら、質問の意図が分からずちょっと悩む。


「クロナ、ニシーカ、いるとこ、見ないわかる。呼ぶ聞こえる。問題ない」
「こっちはお前に伝わっているか分からないんだ。何かリアクションが欲しい。返事をするとか」
「????」


こてり。首を傾げる。


「しゃべていーの?」
「? もちろん」
「しゃべるダメ、言われた」
「だれに」
「兄」


絶句するクロナ。

ガビはガビでマイペースに必要最低限の説明を付け足していく。


「試合しゃべらない。Halftimeは良い、言ってた」
「一言も、喋ってはいけないのか?」
「兄ちがうひと、ダメだって」


一次選考ではアンドリューとギョーザという例外があったが、基本的にしゃべらないスタンスは継続中だ。

リフティングしていたボールを再びクロナに返す。ボールは受け取られることなく芝生の上を転がった。


「クロナ?」
「…………俺の名前は覚えているな、僥倖僥倖。とりあえず、今は兄のことは忘れて試合中もコミュニケーションを取ってくれ」


兄を忘れる。
コミュニケーション。

ノアが命令した内容と被る。


「俺たちは即席チームなんだ。名前を呼ぶくらいはしてもらわないと困る。分かったか?」
「……うん」
「よし、重畳重畳」
「ちょじょ?」
「嬉しいってことだ」
「ふぅん? じょーいオシャご?」
「おしゃ……?」


心なしか先ほどよりも目が座ったクロナと「ちょじょちょじょ」日本語インプット中のガビ。そうして日中を過ごし、シャワーと夕食を済ませ、対戦相手が決まらないまま夜になった。

自由時間は個々の課題に取り組むことになり、ガビは一人ブルーロックマンシステムを利用して力加減をより精密に覚えることにした。そうしているうちに23時が近付いてきたので、日課のストレッチと瞑想に移るためにシャワールームを目指す。

二次選考に移る時、皆手ぶらで伍号棟を出た。なのでドイツから持ち込んだヘアケア用品や基礎化粧品は手元にない。髪はともかく、十代後半の肌は皮脂の分泌が多い。特に激しい運動後の汗はこまめに流さなければニキビや悪臭の原因になる。しかしこうも頻回にシャワーを浴びて皮脂を流しすぎるのもバリア機能低下のリスクになる。ブルーロックからの支給品が肌に合うか検証する必要が…………ない、か。

モデルは休業中だ。肌や髪のコンディションを常に万全に整える仕事はない。

ガビ・ブラウの美しさを誇示したいミヒャエルもいない。

視界を狭める金色の前髪。ガブリエル・カイザーは生まれつき白い髪の毛をしていた。前世と同じまっさらなシルバーブロンド。夏の光を含んだブロンドに染めたのはミヒャエルに言われたから。血の繋がった家族だと一目で分かるように、モデルを始めた10歳の時から染め続けている。

その金髪も根元が数ミリほど白くなってきていた。

ドイツにいたならすぐに染め直していた。でも、今はガビの自由意志で決めていい。必要ならまた外出すればいいし、不要ならこのままでいい。

自分の、好きなように。


『自分のしたいことはないの? 好きなことは? ないなら探しに行けばいいんだよ!』


したいことってなに。


『自分の気持ち、もっと大事にしてよ』


大事にするってなに。


『おまえ、そんなこともわからないのか?』


突然にガブリエルを襲った無重力。宇宙空間に一人放り込まれて、永遠にくるくると回り続ける不安。孤独。絶望の種。踏みしめる床が砂場のように揺らぐ。

どうして足の力が入らない。
どうして、どうしてこんなにも、くる、



「いちばん!?」
「うおっ」



思考の宇宙を揺蕩いながらも、通路の向かいから歩いてくる二人組を知覚していた。真っすぐ前を向いていたはずの青色が何とはなしにガビを視認し、左腕のナンバーを確認したところもバッチリ。

そのまま通りすがる直前に足を止めて、大声で指を差されたのは予想外だったが。


「なに潔。急に大声出して」
「お、おまっ、ランキング一位! 凛より上!」
「おー、コイツが蟻生が言ってた天使くん?」
「なんで負けてんの!?」


明らかにこっちを見て話しているが、明らかに知り合いではない。ガビはひとしきり観察してから、ふっと興味を失って歩みを再開した。

「まっ……へ、へい!」が、向こうはそうじゃないらしい。


「? Hi there」
「うぉぉぉ英語……! ぐ、ぐっどないと!」
「Good night」
「俺も早くおやすみしたい」
「あーーーちがうちがう! ノー! ドントゴー! 凪も行くな!」


どういうこっちゃ。

白い髪の男のボディスーツを掴んで引き留める黒髪の男。男子高校生のじゃれあいを慈しむ情緒はガビにはない。


「What's up?」


時間が押している。手早く済ませたい。

シンプルにそれだけの理由で無表情のまま問いかけたガビ。美人の真顔は迫力があることを知らず、相手の黒髪の男がヤケクソになるまで秒もかからなかった。


「〜〜〜〜〜レッツプレイサッカーサッカーやろうぜ!!」


えーー。

時間は22時37分。軽く汗を流すだけとはいえ、髪を乾かす時間を入れると23時までギリギリである。ここで無視してシャワー室に駆け込んでしまいたかったが、コミュニケーションを取れというノアの命令が頭で反響する。

仕方ない、か。


「Only once」
「おんりー?」
「1on1, okay?」
「! オーケー!」
「じゃ俺先行ってるね」
「お前も来るんだよ! 俺じゃ練習にならないんだろ!」
「うぇー」


白い髪の男のボディスーツの首根っこを掴んだままフィールドの方へ連行していく黒髪の男。その後ろを歩きながら、ガビは一人首を捻った。

さっきまで何を考えていたっけ。

パサッと揺れる髪が急に鬱陶しく感じた。汗を吸って重くなっている。邪魔だ。

それから、ブルーロックマンシステムを起動した状態で行われた1on1×2。爆速で終わらせてガビはシャワー室に急いだ。

二人とやって特筆することはなかった。白い髪の8番との奪い合いは少し長引いたような気もする。黒髪の16番が何かを言っていたが、あまりに片言すぎて聞き取れなかった。自分の日本語もそういう風に聞こえているのかもしれないと微妙な気持ちになったくらい。

問題はその後。シャワー室に行く目的は分かっているが、シャワーを終えてからも16番だけがついてきたことだろうか。


「ワッツ、ドゥーイング、ディス?」
「Stretch」
「ストレッチ! なるほど。サンキュー!」


空いているトレーニングルームの床に支給品のマットを敷いてゆっくりと足を伸ばす。酷使した筋肉を労り、関節を労り、全身の凝りを伸ばしていく。視界の端で同じように見様見真似で伸ばす16番は何をしに来たのだろう。


「Why are you following me?」
「わい、ふぉろ?」
「Why are you here?」
「ひぁー? ここにいる、か? んんー、アイ、……アイウォンチュー」
「──Huh?」


お前が欲しいとか言ったかこの男。

突然口説かれたガビの動きが止まる。股関節を伸ばすために座った体勢のまま、もごもごと何事かを言い淀む16番に顔を向けた。


「Seriously??」
「エッ、しりあす?」
「A joke??」
「じょ、ジョークじゃねぇよ! ノー! アイムシリアス!」


マジか。

ヤケクソで叫ぶ16番は、今までモデルのガビ・ブラウに玉砕覚悟で突っ込んできたファン(男女問わず)の姿と被る。信憑性がぐんと増した。

……あ。ライバルリー・バトルのマッチングの話か? そういう意味で欲しがられている可能性も?

どっちか測り兼ねたガビ。ここで初めて相手の顔を認識する気になった。

アジアンらしい黒髪に彫りが浅い子供のような顔立ち。唯一目を惹く丸くて澄んだ青い瞳は、ミヒャエルが持つ地中海の爽やかさではなく、宇宙から見た地球の神秘性というものを持っている気がした。

直感。

凡庸の中の特異。何も持っていないようで表皮を隔てた内側に潜む狂気。ここまで近寄らないと感知できないかすかな脅威。先ほどの1on1では分からなかった何かがこの男にはある。

これは、孵化する前の捕食者だ。


「What's your name?」


まず観察すること。
相手との力量差を計ること。
勝てる戦いしかしないこと。
勝てないと思ったら逃げること。

暗殺者として敵と相対した時の基本事項が脳裏を駆け巡る。


「世一・潔」
「Yoichi. I'm Gabi Aobara. Call me Gabi, okay?」
「が、ガビ?」
「Yes. Good boy」
「はぇ……?」


届く範囲にあった黒髪にそろりと手を伸ばす。つむじで逆立つ毛を撫でつけるように二度三度と行き来させ、雑誌撮影のカメラマンの指示を思い出しながらゆるりと眦を下げた。


「What made you to play soccer? Why play soccer?」


ミヒャエルが美しいと言うガビの微笑み。鷹揚に弧を描くアーチ眉、ふっくらと盛り上がった涙袋、薔薇色の繊細な唇。瞳ばかりが石のように冷たい、紛うことなき天使像の微笑み。非現実的すぎる光景でヨイチから思考力を奪っていく。ヨイチの英語力がゴミだからこそ、欲しい答えはより純粋でシンプルなものに限定させたかった。

そうまでして聞いておかなければいけないと思った。



「ビコーズ、サッカー、ぃ、ず、

……たのしー、から」



誤算は、ガビの微笑が想定外に効きすぎたことだろうか。

至近距離で浴びせかけた神々しいまでの美貌。眩しすぎて焦点が定まらない視線。正気のおぼつかない唇が、ゴミ英語すら取っ払った本音の日本語を紡ぎ出す。


「たのしいから、もっともっと勝ちたい」


黒髪に乗っかっている手をガシッと掴まれ、手首から引き寄せられる。心ここにあらずな惑星の瞳に、恒星の恩恵が降り注がれていく。力で、意志で、欲で、初心。


「お前や凛みたいな強いヤツと戦って、勝って、強くなりたい。勝ち上がりたい。ここで終わりたくない。ずっと楽しいが続いてほしい」


────サッカーが楽しいから?

そんな子供みたいな戯言が聞きたかったわけじゃなかった。

でも、それは、ガビが逆立ちしても思い浮かばない予想外の理由だった。


「お前はどうなんだよ、ナンバーワン」


ギリリと握られた手首が軋む。眩んだ視線が徐々に力を取り戻して、ガビという眼前の獲物を品定めしている。

微笑を取り払った無表情に戻ったガビ。爛々とギラつく捕食者の瞳孔を見つめ返しながら、なんだか妙に関心してしまった。


「つまんなそうな顔でスーパープレイ連発しやがって。俺が、お前の本気のサッカーを引きずり出してやる!」


自分のためにサッカーをする。
利己主義──エゴイスト。

この監獄に入ってからさんざん聞かされてきた啓蒙が、やっと実像を結んだ。

つまりノアは、ガビにこういう人間になってほしいのか。

しん……と静まり返ったトレーニングルーム。手首を握られたまま熟考するガビ。始めに我に返ったのは、無表情の天使を間近で睨みつけていたヨイチの方だった。

「…………ぁ、うぉっ、わ、わりぃ!」パッと両手を上げてしどろもどろに謝るヨイチ。それをぼんやり観察するガビ。いや、それはもう監視と言っていいほど執拗な視線だったかもしれない。ヨイチが顔の前で手を振っても、ガビは固まったまま思考を続ける。そうして満足したのか、一つ頷いてから再びストレッチに戻った。


「手、大丈夫か? 痛めていないか?」
「うん、だいじょぶ」
「そっか……ほんとゴメン」
「いーよ」


気まずくても一緒にストレッチを続けるヨイチは、見た目よりもかなり図太い神経をしている。まあガビも同じようなものなので、気まずい空気は錯覚でしかないが。

それからゆっくり10分ほどストレッチを続け、瞑想は寝室で行うことにした。マットをくるくる片付け、小脇に抱えて軽く手を上げる。


「オシャすみ、ヨイチ」
「あ、うん……おやすみ」


ペタペタと裸足で自室に向かうガビ。遅れて投げかけられた「日本語しゃべれんじゃん!!」という驚愕も自分事だとまったく思わなかった。ガビは英語で話しかけられたら英語で話す。そういう生き物である。


「遅かったな。オーバーワークじゃないか?」
「んーん。Stretch、ゆっくり、だけ」
「そうか。無茶しなけりゃいい」
「うん。オシャすみする」
「ああ。おやす……おしゃってなんだ?」


オシャはオシャだよ。

二段ベッドの上段をクロナに譲り、下段で瞑想をしつつ、24時ピッタリに就寝したガビ。瞑想はいつもより10分短かった。駆け込みコミュニケーションも考えモノだなぁ。

翌日。朝食の終えた食堂で声をかけられマッチングが成立。24時間後に2ndステージ2vs2のライバルリー・バトルがキックオフされ、見事勝利を収めた。


「クロナ、Nice play」
「おお、グッジョブグッジョブ」


コツンと拳を突き合わせて検討しあう。それなりにコンビネーションが様になってきた。ガビがやりたいことはこれからだ。

というわけで。


「よろしくキョーラ」
「清羅な、清羅」
「き、きよ、ラ」
「そうそう」
「ん、よろしく」


クロナ・ガビ・キヨラチーム、始動。









「ガビ、髪邪魔じゃないのか。俺の予備で良ければゴムやるぞ」


まずは一勝したことで、クロナは余裕というものができたらしい。

キヨラを交えた三人の連携を深めていく最中、金髪をはらったガビに目ざとく気付いて黒い髪ゴムを渡してきた。ドイツにいた時は髪の美しさを強調するためにあえて下ろしていたが、もう自慢する長さの髪ではない。前髪をかき上げ後ろと合わせて無造作に結ぶと、思いのほか広い視界に目を細めた。

これは、楽だ。


「ありがとぉ、クロナ」
「どういたしまして」


ということで練習を再開し、夜は各々の自主練に移行したわけだが。ガビがシャワーしか浴びないことにまたしてもクロナが声をかけてきた。どうやらこの施設には大浴場があり、体のメンテナンスの一つとして有用なのだと。

他人と裸の付き合いをする文化がなく、そもそも前世の性別的に男と風呂に入る発想がなかった。筋肉疲労に効くと言われれば試さないわけにもいかない。もう浴びてきてしまったらしいクロナに場所だけ聞きだし、一人大浴場に向かったガビ。

周りの様子を確認しながら服を所定の場所で脱ぎ、いざ侵入したそこは想像していたよりも広い空間だった。

湯気がむんむん漂う視界。洗い場を通り過ぎ、何人かが体を沈めている湯船に足を向けた。

確かに、全身を一気に温めれば疲労回復や新陳代謝に良いだろう。

納得とともに足をズボッと入れ…………ようとしたら。


「オイそこ! 身体洗ってから入れ! 汚ねぇだろ!」
「お」


腕を引っ張られ後ろを振り向く。黒髪をしっとり濡らした男が青筋を浮かべてガビを見下ろしていた。


「公共の場だぞ! 汚れを落としてから入るのがマナーだろーが!」
「Manner? どする、いー?」
「あァ!?」
「ここ、はじめて。どする?」


頭身が高くてヒョロく見られがちなガビだが、不安定な体勢で引っ張られても当たり前にビクともしない。引っ張った方といえば、大樹のようにどっしりとした重心と外国製金髪美少年の真っ直ぐな眼差しにコメカミを引き攣らせる。

「なんで俺が」とイライラを隠さず腕を引っ張って洗い場に突き出される。


「風呂はなァ、まずここで全身洗ってから最後に入るもんだ。最低でもシャワーかかけ湯だろ。オラ洗えクソ金髪キンパ
「おー、わかた」


衛生的なアレか。ただの芋洗いではないらしい。

飛沫ができるほどドスドス床を踏みしめて自分の洗い場に戻る背中。ガビはとりあえず目の前のボディソープを手に取っていそいそと肌に滑らせた。

そうしてひとしきり綺麗に洗い流すと、今度こそ湯船に向かう。

ふちのところにしゃがみこみ、さて。マナーが明確化しているらしい風呂文化。湯に浸かるだけでもマナーがあるのだろうか。

そろりと手を浸し、ぴちゃぴちゃすくっては落としてを繰り返す。無表情ながら心なしか困っている雰囲気が漂っていた。わたあめを洗ったら水に溶けて消えてしまったアライグマ的な。

むーん、と頬を膨らませるガビ。湯気を顔面に浴びながら固まること数秒。湯面に浮かぶ黒い目と目が合った。「あ」「?」


「サイボーグ天使じゃん。風呂入ってだいじょぶなの? 防水加工してる?」


白い髪の8番だ。

3rdステージの大浴場にいるということは、誰かとマッチングして勝ち上がったということだろう。

ふわふわの白い髪を浸してボートのように湯面に浮かんでいる。「それ、manner?」「うーん? んー、そう」なるほど。アライグマから人間に戻ったガビ、遠慮なく湯に飛び込み、見様見真似でプカプカと浮いた。


「ちょ、目に入ったんですけど」
「はいる、だめ?」
「ダメでしょ。あー、鼻にも入った。いったぁ」
「ふーん。マナー違うた?」
「そんなマナーはありません」
「おすえて。ここ、はじめて」
「えー、外国に温泉くらいあるでしょ。どっから来たの天使さん」
「Germany」
「じゃーまにー……じゃーまんぽてと」
「Hungry?」
「のぉー」

「おい面倒臭男……と、クソ金髪。てめェら公共の場で泳ぐな」


腕引っ張り男PART2。


「えーーいいじゃんちょっとくらい。見て、忍者」
「ブクブクするな! 湯船にツバ入る!」
「ニンジャ? Skinheadちがうのに?」
「おめぇは何を異文化してんだ! 出ろや!」


8番と一緒にお湯から引っ張り出されたガビ。ガビの唯一知っている忍者はつるつるハゲのおしゃべりクソ野郎だった。8番はつるつるでもおしゃべりでもない。

ふたたびむーんと頬っぺたを膨らませるガビ。マナー云々の話を八割聞き流していたところ、こちらを見やる三人組に意識を向けた。


「ヨイチ」
「ガビ!」


ニパッと笑ったのは一瞬。今は凡庸な青い目がすぐに拗ねたようなジト目になって「お前なぁ」と。


「日本語しゃべれるなら最初から言ってくれよ! 俺の英語の成績なめんな!」
「大声でいうことか?」
「誇るなサッカー小僧」
「だってサッカー並みに頭使ったんだからな!」


などと盛り上がっているところ恐縮。ガビはゆっくりと中腰になり、湯面から飛び出ていた局部を湯舟に隠す。警戒しているピンとした空気を感じ取り、口論していた8番と引っ張り男がこちらを見た。

ガビには一つ、確認しておかなければならない疑惑があった。


「ヨイチ、おれとsexしたい?」
「──せッ!?」
「は?」
「お?」
「なっ!?」


先日の『アイウォンチュー』の意図である。


「ヨイチ、おれほしい、言った。Playほしい、か、おれのsexほしい。わからない。ヨイチどっち」


しつこくリマインド。ガビは美少年である。

決して女に見えるタイプの顔ではないが、なんというか、性別なんてどうでもいいよねっと言わんばかりの中性的で作り物めいた美しい造形をしている。男女問わずそういう目で見られることもドイツで経験済みなので、これはただの確認でしかない。全裸同士という格好での再会ということで警戒心を持つのは必然であった。

ただし、ここはそういうカミングアウトに忌避感が強い日本。多感な十代の男子高校生ばかりの異空間。もちろんガビには大勢の前で性的指向を尋ねることの無神経さなど無自覚である。


「ち……がう、マス」
「ん?」
「レッツプレイサッカーの方、デス……」
「おー。わかった」


の一言でアッサリ警戒を解き、力が抜けた引っ張り男の腕から逃げ、ざぱざぱとヨイチのところまで近寄っていく。「ひしゃしぶり」「お、おう。ガビさんもお元気そうで……?」と普通の会話を繰り広げるヨイチとガビの周囲は、しばらく無言の緊張状態に陥っていた。



「…………クッ」


混ざるタイミングを失した人もいるよ。




***




『あの害虫野郎も俺が潰す。お前らが気にすることじゃねぇ』


『あれれ、凛ちゃんが2位なんだ? 1位の人は? なんで1・2・3でチームアップしなかったの?』という蜂楽の純粋な疑問が開戦ゴングだった。


『おい凛。何度も言うが“俺”のベストオシャ天使フレンドを虫呼ばわりするな』
『アレが天使だぁ? 脳みそ腐ってんのかオシャ野郎』
『お前こそ目玉が腐っている。オシャグリーンの瞳をしているくせにもったいないぞ』
『はん。腐った目玉に負けた気分はどうだ?』
『ああ?』
『ちょちょちょっと! 試合前に喧嘩しないでぇ!』


勝手に仲間割れしだしたトップチーム。糸師冴の弟として注目されていた糸師凛が2位。二次選考開始直前に見せつけられた超絶コントロールを知っているからこそ、コレが2位という事実に戦慄する。

現在のブルーロックランキングは1stステージをクリアした速さ順。純粋な強さとは言えない理屈は分かってはいるが、どうにも気になってしまうのは仕方がないことだ。

天使ってなんのことだ。どんな強者がここにいるんだ。

ゴクリと生唾を飲み込んだ。期待と恐れのどちらが成分比率的に高いのか、もちろん自覚できなかった。


その天使と出会ったのは、2ndステージに後退した次の日のこと。


センターサークルからの強烈なシュート。

凪ボールで始まった1on1。凪がしたいプレイをさせてやらない動き。ボールに触れないままボールの動きを制限する確かな足さばき。日本人よりも長い脚が踏み込み、退き、踏み込み、伸ばされ。やっと凪お得意のトラップで背後のヒールに保持された。──瞬間。

ズドンッ!!

まるで凪のヒールがもともとボールを支えるためだけの台座であったかのように。凪の目の前にいたはずの体が背後へと回り、無慈悲なほど精細にボールの芯を捉えた。

天使。確かに天使だろう。この世に実存していたはずの姿がかき消え、シュートの瞬間、天界から舞い降りたがごとく。音もなく飛び跳ね着地した八頭身。空気を含んで左右に靡いた金髪が天使の翼に見えるほど。


非現実ファンタジーを啓示する者。


それが青原ガビの第一印象だった。



「俺は女の子が大好きです。彼女が欲しいです。モテたいです」
「コイツを彼女にしたいわけじゃなく?」
「ちげぇって! しつこいぞ千切!」
「不安がらせたお前が悪いだろ……」
「國神まで!? 俺の味方はいないのか!?」
「天使さんかわいそー。潔とトレードしたい。マッチングしない?」
「凪……」
「チッ。髪の毛が湯に入ってるぞ。タオルに仕舞うなりしろ」
「うー、manner?」
「ったりまえだボケ」


なんなんだろうな、コレ……。

千切と國神に挟まれ風呂場で必死に弁明することになった潔。

金髪青眼の白人美少年。どっからどう見ても外人。本人曰くクォーターらしいが、見た目からして英語しか通じないと思い込んでいたために、潔は知っている英語を手あたり次第駆使して対話を試みた。“唸れ俺の脳細胞!”した結果が例の『アイウォンチュー』である。『トゥー』が抜けたことと、続く言葉があっているのか自信がなくて小声になったのがとんだ大惨事に発展したものだ。


「“お前みたいに強くなりたい。秘訣を教えてほしい”って言いたかったのー!」


簡単な単語が何故かとっさに出てこないあるある。ブルーロックを出たら真面目に英語を学ぼうと固く心に誓った。

先日の1on1では、潔とガビのマッチングは秒で終わってしまい、何も分からないことだけが分かる力量差に戦慄した。たった一回のマッチングでは何も分からない。だからこそ、凪とのマッチングを目を皿にして観察して、ただ、格が違う畏怖だけが潔の中に刻印された。

知りたい。コイツの本当の強さはなんだ。

『Seriously??』『A joke??』

凛に完全敗北し、間近に迫った馬狼戦に勝てる秘策もない。手詰まりな中で出会った圧倒的強者に『ジョークか?』とマジマジ正気を疑われたら煽りだと思うだろう。

なまじぼんやりとした表情と薄い気配、反比例するような燦然と輝く天才プレイ。一次選考のチームZvsチームV直前のサッカーなめてる凪と重なった。焦りと不安からカッとなったのは否定できない。広い視野が武器のクセに視野狭窄に陥っていた。

……あのタイミングで急に口説かれたら“マジで?”ってなるよなぁ。

ブルーロック支給のタオルで頭をぐるぐる巻きにしたガビ。顎下ギリギリまでお湯に浸かると、隆起した肩や喉仏が隠れて中性的な顔だけ残る。千切とは違う方向で男らしくない顔。ぼんやりとした表情とゆるゆる日本語も相まって、同年代の野郎というよりは小さい子供を相手にしている気分になる。


「お前ものぼせてないかソレ」
「のぼ?」
「熱いなら出ていいんだぞ」
「うー、あちゅない」
「無理すんなよ」


というか國神がなんだか過保護になっている気がする。面白がっている千切はともかく、潔への当たりも前よりもキツイし。


「ヒーローの血が騒いだのかよ」
「兄貴の血じゃね? なんか世話されんのに慣れてるよなコイツ。兄弟いんの?」
「うん。兄いる」
「弟かー」
「んーん。いもーと」
「いや男は弟であってるよ」
「いもーと」
「ちゃんとついてたよ。俺見たし」
「凪それ以上はダメだ」
「事実でしょ。ね、おとーとくん」
「むーーん」


ガビの頬っぺたをしきりにポスポスつつく凪。コイツはコイツでガビに負けたことを根に持っている。が、あの日は面倒と疲れでいったん寝かせたらしく、今ではつっついたら鳴るオモチャくらいの扱いだ。


「じーーーーーーー……」


それはそれとして、頼む凪。後ろの玲王の視線に気付いてくれ。お前がスルーするから俺に刺さっている。いつかガビにも被弾するぞ。

日本に来て初めて体験したという大きな風呂。肌が白い分赤くなるのも早くて分かりやすい。のぼせやしないかハラハラしていたが、長話が過ぎて軽くのぼせたのは潔の方だった。

こういう時に助けてくれるのは國神だが、ガビは率先して潔に手を貸した。無表情で、迫力があるツラをしていて、プレイは別次元のブラックボックスのようなヤツだが、嫌なヤツでは決してなかった。

不思議なヤツだ。

この印象は、どれだけ潔が強くなり、ガビの強さを知っていっても変わらない不文律だった。



「お前、いいヤツだな」



張り付いた金髪をかきあげ、瞳を瞬かせる天使。“越えるべき壁の一つ”という認識の横に“いいヤツ”が追加された瞬間だった。











「いい夢を見られて良かったなぁ世一。生涯触れることも叶わない高嶺の花と同じ空気を吸えたんだ。これからの負け犬人生を慰める極上のよすがだぞ? クソ有難がれ」



そんな“いいヤツ”の兄貴がこんなクレイジーマウントクソ皇帝だと誰が予想できただろう。


「女装世一! ヘンタイ世一! クソ世一!」
「うちのブラウを返せー!」
「サラピンのままカイザーに献上しやがれ!」
「ブラウを穢すなブルーロック!」
「訴訟も辞さないぞゴラァ!」


ブルーロック第二段階として始まった新英雄大戦。開始早々なんかすごいヘイトを買っている。

バスタード・ミュンヘンの面々とは初対面だ。もともとサッカー後進国である日本の選手を嘲る雰囲気はあったろうが、それにしたってイヤに潔を集中砲火してくる。しかも女装だのヘンタイだの穢すだのあらぬ誤解まで。

心なしか距離を取るブルーロックの仲間たちに必死で違う違うと首を振る中。ドン引きの雪宮が何かを思い出したようにハッと顔を上げた。「もしかして、」


「コレを見てもまだ知らぬ存ぜぬで通すつもりか?」


雪宮が明言化する前にずずいと突き出されたカイザーのスマホ。引き延ばされ中途半端なところで切り取られたソレは、プリクラで、ピンクのメイド服で、つい先週仮釈放中の罰ゲームで撮らされたもので。

切り取り付近に移る黒い袖の指は紛れもなく────。



「────あ。あおっ、お、お、おわ、ぁっ、あっあっ」



完全に理解した。
弁明の言葉が出てこない。

遥か海と国境を越えて自分の黒歴史が世界を巡ったことに対する羞恥も、それを初対面の金髪イケメンに指摘される屈辱も、説明する言葉が喉の奥で渋滞して出てこない焦りも。


「ちなみにノアのスマホに送られてきた画像だ」
「ッ!?」


バッと首がねじれる勢いで顔を向けた先で、8歳からひたむきに憧れ続けたストライカー・ノアがゆっくり頷いたことも。

すべてがすべて、潔世一が奈落の底へ滑り落ちるためのワックスでしかなく。


「ひっ、ひぃ、ア、あがっ」
「一時でも俺のローゼの隣を占有した対価は準備できているんだろうな?」
「ぁ、あっ、ああ……!」
「? おい、聞いているのか世一。いつまで屠殺される七面鳥の真似を続ける、」
「がっ、が、がッ、がが、」


がっくり膝をつき、拳で床を叩き、



「ガビのバッッッッカ野郎ぉーーーー!!!!!!!!」



完全敗北の姿勢にくずおれた。

突然の絶叫に固まるお育ちのよろしいカイザー。自分のマウントボキャブラリーが全スルーされ、ただただ“妹”の名前で慟哭する日本人を前に、夏の終わりの蝉ファイナルに出くわした都会人の呆然を露わにした。

同時にバスタード・ミュンヘンの面々もジャパニーズの肺活量にざわっと引く。それくらい身も世もない絶叫だった。

BLTVのカメラが回っていることを知らず、わりかしエグイ慟哭でガビ(と元凶の蜂楽と千切)の名前を連呼するブルーロックの英雄。たった今チャンネル登録をして見始めた視聴者は「カイジ?」「ライアーゲーム?」「イカゲーム?」とあらぬ炎上が起きたとか起きなかったとか。

ガビはブルーロックの中では“いいヤツ”だけれど、だけれども! 悪意がないからと許せる範囲から逸脱しているんじゃないかなぁ!?

カイザーが“妹”以外の部分をトリミングしてくれたおかげで完全体の呪物がネットの海に流出する最悪を防げた。この件に関して潔は神に感謝した。決してカイザー本人には感謝を捧げないところがミソ。



「原物なら今も俺のスマホに残っているが……」
「ころさないでください」


古式ゆかしい土下座によるお手本のような命乞いだった。




***




3rdステージ。

ガビがアンドリューと別れてまで試してみたかったこと。クロナと二人では難しいが、キヨラが加わった三人ならできそうなこと。次の試合がある意味ガビにとっての挑戦になる。

クロナにもらった髪ゴムで前髪をかき上げ後ろと合わせて無造作に一つに結ぶ。広い視界と入浴によってほぐれた筋肉。コンディションはブルーロックに来て一番良かった。

変わらなければいけないガビのサッカー。

新しいガビのサッカー。


『ずっと楽しいが続いてほしい』


加えて、ヨイチが言っていたことも頭の片隅に残っている。

楽しいとは、勝ち続けることで見えてくる付加価値だろうか。

楽しいという感情は、ミヒャエルが望むフットボーラーを構成する条件に必要不可欠だろうか。


「まずいぞガビ。対戦相手が見つからない」
「なぜ?」
「俺とお前がランキング一桁だからだ。負ける試合はしないんだと」
「へぇ」


キヨラは無口な男で、ガビと無言で見つめ合って眉を顰めている。とにかく試合相手を見つけるのに難航しているらしい。

練習と対戦相手探しを並行して、その日の午後。どうにか捕まえた相手とマッチングが成立した。

良かった良かったと安堵した翌日。開始した試合は、ガビが考えていた挑戦をする暇なんて一切ない戦場だった。




「ハイ不発弾処理いっちょあが、……ッ!?」


不意打ちの背後から迫るかかと落し。瞬時に反応したガビは半身を翻して最速で踏み込む。振り上げられた足の脹脛を掴み、そのまま一本背負いの要領で男の体を引き倒した。

うつ伏せに倒れ込んだ体。暴れる暇も与えず両腕を背中でひとまとめに。肩に膝を乗せ軽く体重をかけると、男は顔だけ振り返って芝生に頬を擦り付けた。


「あぶない、ダメ」
「なァに〜〜? 火薬未満のシケモクがなんか言ってるぅ」
「? にんげん、だよ?」
「日本語しゃべれよ煙野郎」
「むーー?」



爆発の悪魔と暴力の天使。

ブルーロックで相対する。




***




「おあ。変なとこ触っちゃった。何語だろ」
「英語……ドイツ語か? プロにしちゃ若いな。どっかの下部組織の試合だろ」
「さっきの動画また探さなきゃ。めんどくさー」
「……ちょっと待て凪」
「なに?」
「コイツ……」
「どれ? うーわ髪バッサバサじゃん。蟻生みたい。邪魔くさそー」
「ガビじゃね?」
「んぇ?」


「このBlauってヤツ、ここに来る前の青原ガビだろ」




「I want you.」に性的な意味が含まれるか否か自信がないんですけど、ガブリエル自身も母国語が英語ではないので変な勘違いしてるんだなってスルーしていただけると助かります。というか外国語のところは全部ふわっとニュアンスで読んでくださいますようよろしくお願いします。

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