聖ならむノエル



※キャラ崩壊注意。
※時系列ぐちゃぐちゃ。
※英語は適当です。



ノエル・ノアには理解しがたいモノがある。

16歳になったばかりだというガビ・ブラウは、コーチに呼ばれて入室した先でノアが待ち構えていたと言うのに全く動じていない。ただ疑問には思っているようで、わずかばかりに首を傾げてノアを見上げている。その瞳は晴れやかな空色のクセして工場の煙突から吹き出る排気ガスを思わせた。

一般家庭でぬくぬく育った子供がしていい目ではない。同じ環境で育った兄を知っている分、余計に異質だ。

しかし、理解しがたい──分からない、という言葉は思考を停止した非合理的な諦念である。ノアの怠慢、などとされては心外でしかない。


「後半32分、センターラインからペナルティエリアまで三人抜き、カイザーへの縦パスは見事だった。カイザーの指示はなんだった」
「シュートにつながるパスを出すこと?」
「当たり前だろ。シュートできないパスなどゴミだ」


コクリと頷く素直さが、子供の動きを学習させたロボットのようであった。

図体は華奢ながらそこそこ縦に育っているのに、相対するとどうしても小さい子供の相手をしている気分になる。ノアと小児の相性は基本的に悪い。つまりどうしても苦手意識が表層に浮かび上がってしまう。


「お前が思うあの場での最適はなんだ」
「ネスにパス。ネスが私にパス。私が、」
「ここにカイザーはいない」


子供のような柔らかい発音と言葉選びは、きっとカイザーの趣味だ。あの兄は“妹”のことを無邪気で可愛らしい猫のように保有したい欲を隠しきれていない。まだまだ幼稚なガキなのだ。

そのせいで“妹”が己にどんな枷をかけているのか。


「中継にネスを使い、3番と6番を十分に引き付けたところで再び私がボールをキープ、4番と戻って来た8番を引きつける。1秒後カイザーがシュートレンジ内で跳躍した瞬間にロブパス。カイザーインパクトでフィニッシュ」


滑らかに、簡潔に、よどみなく、ノアにストレスのない口調で話すブラウ。これが本来の口調なのか、はたまたノア用に調整された別の口調なのか、底が見えない。

子供への苦手意識はなくなり、一人の独立した人間とのコミュニケーションに集中できる。だのに、ノアの眉間に自然とシワが寄った。欲しかった答えではなかった上に、あえてその答えを避けられてしまったからだ。


「違う。お前がシュートを撃て」


妙に艶のある唇が閉口する。

座っているブルーアイが一度瞬いた後、ほんの少しの嘆息を混ぜた吐息がノアに吹きかけられた。


「いじわるクイズ?」
「最適解だっつってんだろ」


珍しく分かりやすい表情を浮かべたと思えば、理解不能なハラスメントでも受けたかのような怪訝なソレ。ノアも呆れて半目になった。


『ミヒャエルが私のお世話をする。かわりに、私はミヒャエルの言うことを聞く。母さん父さんよりもゆーせんする。やくそくした』


どうしてカイザーを立てるサッカーしかしないのか、と尋ねたノアに14歳のブラウがした返答。ノアの頭が一番最初に理解を拒んだブラウの言動でもある。

その後何度も何度も合理性とかけ離れた言動を繰り返しては『コイツ追い出せねーかな』と真顔でイラっとしたこと限りなく。けれどクラブのオーナーはブラウの可能性とカイザー兄弟で売り出したい意向で決して見放そうとはしなかった。世界一のスーパーストライカーとはいえ、オーナーに雇われた一選手でしかないのは身に染みていたので、ノアは渋々とこの生き物に目を向けなければならない。


「昨晩の睡眠時間は」
「4時間」
「一昨日」
「4時間」
「一週間前」
「4時間」


“最低4時間寝ろ”というノアの指示をキッチリカッキリ4時間睡眠でクリアしやがる。いっそ破ってくれればまだ叱りようがあるものを。


「リミットが近いことは分かっているな」


間髪入れずにコクリと肯定される。


「この機を逃せば一生俺を超えられないぞ」


コクリ。やはりすぐに頷いてきやがる。


「分かっていてソレか」


理解しがたい、と口に出しかけたのをグッと堪えた。

ガビ・ブラウの身長は180cm。ドイツ人男性の平均とほぼ同じだ。しかしそれはブラウが成長期から睡眠時間を制限して得た人工の“華奢”だ。

平均睡眠3時間。成長期の13歳から15歳まで、……ブラウがクラブチームに所属してからノアが指摘するまで、ブラウは慢性的な睡眠不足だった。それも誰かに強制されたわけでもなく自主的に。

事務所からはキッズモデルのイメージを保つために子供らしく小柄で中性的な風貌を求められていたらしい。『もう少しこのままのイメージで行きたい』という何気ない意向を純度100%の指示として受け止めたブラウが、勝手に己の成長期を犠牲にしたのだ。

もちろん事務所側は虐待や人権侵害を働こうとした意図はなく、普段から無口無表情でキビキビ動くブラウが慢性的に体調不良であることに気付いていなかった。ブラウがどんな自虐行為を行っていたのかなんて、なにも。

手足の筋肉を付けてはいけない。モデルとして服を美しく着れなくなるから。

サッカーの練習を止めてはいけない。カイザーが求めるプレイができないから。

結果、ブラウは観察に重きを置いた。削った睡眠時間を使い、あらゆるプレイを見て、見て見て見て、実践はほぼ一回。自分の肉体がどのように動くのか熟知していなければ成せない荒業だ。加えて鬼気迫る集中力と執念でアウトプットによる筋肉の消耗を極限までゼロにした。

何も知らなければ“見ただけでできる天才”と恐れられても仕方ない。実際に一言で説明するとそうなってしまうのだからタチが悪いことだ。

そこまで節制した上で15歳で175cmまで成長したのは本人も予想外だったらしく、これ以上大きくならないよう2時間まで縮めようとしたところでノアが待ったをかけたのだ。

180cmまで伸びたのはカイザー家の血筋のおかげか、本人の才能なのか。


「お前死ぬ気か?」
「死なない」


ブラウの無表情はいっそふてぶてしさすら感じるが、本人に一切他意がないことはノアも知っている。だって自分がそのタイプらしいので。


「大人になりたくないガキかよ」
「16歳はドイツにおいて未成年」
「メンタルの話だ。最大の欠点をいつまでも放置しやがって」
「プレイに支障をきたしたことはない」
「チームメイトにきたしている」
「? していない」
「ガキ」


サッカーをする上で邪魔でしかない長い金髪を結ばず下ろし、隙間から覗く耳たぶには鈍く光るピアス。誰が見ても分かるあからさまな所有印だった。

幼い頃に交わしたたった一つの約束でブラウは人生を棒に振ろうとしている。

兄が言ったことは絶対で、カイザーがシュートするという目標を過程はどうあれ必ず叶える。他にどんな合理的な選択があったとしても、カイザーのゴールのために一目散に突き進んでしまうプログラミング済みの機械。

それがガビ・ブラウのサッカーだ。

これが次代のノエル・ノアと期待されるストライカーの卵なのだ。


──今のままでは孵る前に死ぬ、腐った卵。


「そろそろ本気で鍛えないと成長が止まる。俺のプレイを再現するなら最低でもあと5cm伸ばせ。筋肉量と身長が相関するのは自明だろう」


その代わり、ブラウはモデルの仕事を続けられなくなる。正確には、他のプロプレイヤーと同じように本業ではなく副業としてオフシーズンの暇を埋める程度のモデルになるということ。それでも今までのキャリアは消えないはずだ。


「さっさと選べ。答えは決まっているはずだ」
「もう選んだ。…………のに、」


そこで初めて。ブラウが分かりやすいほどに口ごもった。こういう時、本人にとっては非合理的で不可解な事象にぐるぐると悩まされている。その大元は、決まって兄であるカイザーだ。


「ミヒャエルが、自分で決めろと言う」
「お前を認めていないからだ」
「ミヒャエルのために働くつもり。でもダメだって」
「他人のためのサッカーなんぞ反吐が出る」


これだ。だからコイツは腐っている。

ブラウのことを、ノアは非合理的で意味不明なクソガキだと思っている。が、非合理を取り除いた会話はいっとう合理的で話しやすい。感情や理想を押し付けてこず、淡々と事実を並べ立てる様は好感すら持てた。

カイザーさえいなければ、ブラウは合理的なストライカーとして完成する。

しかし、カイザーがいなければブラウはサッカーをしようとは思わなかった。

カイザーのためにしか頑張れない。カイザーのためなら命を削れる。献身的で自己犠牲的。そのくせ他者によって曲げることはできない、ある意味でとんでもないエゴイストだ。


「お前の将来だ。お前が決めればいい。が、せめてカイザーに認められるフットボーラーになってから選べ」


そうして取り出されたのは青いペンタゴンのシンボルが印字された資料。

極東の島国、サッカー後進国で行われるプロジェクト。300人から一人のストライカーを作り上げるバトルロワイアル。日本のサッカーレベル、それもティーンのスキルなどたかが知れている。ドイツでフットサルでもやっている方がマシだろう。

ノアが期待しているのは環境の変化。いわゆる啓蒙だ。

カイザーがいない環境で、自分で考えてサッカーをすることをブラウに学ばせる。ある意味うってつけの場所ではないか。


「レベルは期待するな。その薄っぺらい体を鍛えるのにちょうどいい合宿だと思え。最低でも一週間は帰って来るな。それ以降は自己判断で帰国していい」
「その間、」
「この場で命令権があるのは俺だ」


カイザーとの約束事。クラブチームでは教えを乞う立場として、命令権はカイザーからコーチ陣に一時的に譲渡されている。定期的に参加するバスタード・ミュンヘンの選手もそこに含まれる。実の兄弟間で命令ってなんだとは思うが、ノアはここぞという時にカードを切ることを厭わない。

日本一のエゴイストを作るだとか、ワールドカップ優勝のためのストライカーだとか、そういう趣旨はノアには一切関係ない。

ノアは指導者ではなくストライカーだ。朝起きた瞬間からサッカーに対して真摯にアプローチする根っからのフットボーラー。子供にサッカーの楽しさを教えろと言われても『ボールを蹴ろ』としか言えない。

教えを乞うならまず中途半端をどうにかしろという話だ。


「来月あちらの仕事で日本に行くだろう。そのままブルーロックに行け。命令権は一時的に施設責任者の絵心甚八に委譲する。日本にいる間は絵心に従うように。これは命令だ」
「、分かった」


素直に頷きながら、前髪の隙間からわずかに寄った眉間のシワが見えた。そんな顔をしたってこれは決定事項だ。

クソガキのお守りを他国に全投げしたとも言える。


「向こうについたらちゃんと絵心の指示に従え」
「うん」
「三食きっちり出された分を食べろ。カイザーがいないからとサプリメントとプロテインだけで済ますな」
「うん」
「夜も決められた時間いっぱい寝ろ。目が覚めても目を閉じてジッとしているんだ」
「うん」
「トレーナーの指示に従って筋トレを欠かすな。最低10s増やしてこい」
「うん」
「周りとコミュニケーションを取れ。ルールを逸脱しない範囲で私語も積極的にしろ」
「うん」
「それから、」


矢継ぎ早に命令を重ねがけしていくノア。
心なしかムッとした空気のままウンウン頷くブラウ。

実は一緒に同席していたコーチ陣が揃って(口うるさい母親?)と戦慄したのは誰も気付いていない。

ここまで言っておいてナンだが、ノアはブラウの意識変革に関しては全く期待していなかった。この非合理的なエゴイストがそんな簡単に変わって堪るかと。カイザーがいない環境でのびのび生活態度を一変させ体力トレーニングに勤しむ方面を期待していた。

ノエル・ノアが理解しがたいモノ。精巧な少年の形をした非合理ロボットは、こうして日本に旅立っていった。











一週間後に帰国すると決めつけていたブラウから、一ヶ月経っても音沙汰がない。この時点でノアは「お?」と片眉を上げた。

あの兄を指標にしか生きられないフットボーラー未満が、兄を放って一月海外。これはもしや、と全くしていなかった期待が鎌首をもたげたところで入って来たのが例の一報。ブルーロックスvsU20日本代表の試合。ブルーロックのベンチに座る変わり果てたブラウの姿。

短くなった髪を邪魔にならないように結んでいる。
ちゃんと筋肉が付いている。

これだけでちょっと、いやだいぶ目をみはった。

あるのでは。あるんじゃないか。勝利の余韻に湧く選手たちにもみくちゃにされ、鈍いながらに反応を返すブラウを見て、見て見て見て…………。


曇ったブルーアイに帯びた熱を幻視した。


あの小さな島国の、サッカー後進国の、プロではなくアマチュアの高校生ばかりが集められた青い監獄で、ガビ・ブラウは────。



「………………、ふ」



その後、ノエル・ノアは真顔でブルーロックプロジェクト第二段階“新英雄大戦”に参加することを即決した。見る者が見ればわりとテンションが高い時の珍しいノアである。

(機嫌が良い日の母親……)
(子供が初めて友達連れてきたお母さん……)
(ノエルママ……)

とんでもない幻覚がコーチ陣を襲う。

ついでにカイザーの「クソお邪魔します!」も。


「俺の“妹”を、可愛い可愛いローゼをあんなむさ苦しい野郎の檻に放り込むなんて……!! ノアは可哀想だとは思わないのかッ!?」
「お前にマウントされ続けるよりはいくらかマシだろう」
「はーー!? この兄の庇護よりクソ快適な場所が地球上に存在するとでもッ!?」
「そういうところだぞカイザー」


この兄は、弟を“妹”扱いすることで日々余念なくマウントを取っている。

お前は兄に世話されなきゃ生きていけない赤子だと、一人の男だとは認めないと、否定され刷り込まれた結果があのガビ・ブラウなら、それは。

ここ数年のノアのストレスの原因はカイザーだということになる。


「弟の世話くらいマトモにしろ……」
「“妹”と引き離した元凶が何言ってんだッ!!」
「そういうところだぞカイザー」


言ったそばから本人がいなくともマウンティングをやめないカイザー。これのどこがマトモなのか。

やはりノアに指導者は向いてない。ちょっとブルーロックに行くのを早まったかも。返事をしてしまった手前、すぐに反故にするのは無理なことだが。というか絵心が許さないだろうが。

その後、アスリートの切り替えで淡々とカイザーを説き伏せ、チームメイトたちに無理やり押し付け、粛々と出国の準備を始めたノア。

日本へ立つ数日前、一度も連絡をくれて寄越さなかったブラウから突然メールが届いた。カイザーとは連絡を取っていないらしい。恐らくノアが『カイザーがいない環境に身を置け』と命令したからだろう。命令に関しては恐ろしく真摯で律儀な人間なのだ。

特に気負わずメールを開いた瞬間、目に入った情報の奔流。ノアはしばし固まった。

基本的にメールは読んですぐ返信する派だったが、ブラウに返信するより先に転送の文字をタップしていた。送る相手はもちろん決まっている。

お前の“妹”は元気にやっているようだぞ、と。

視線を画面から無理やり剥がし、遠くを見上げたノアは空の青さに目を細めた。



「確かに、“妹”だったな……」




***




さて、無題で転送されてきたノアからのメールを開いたカイザーと、ついでに近くにいたネスを始めとするチームメイトたちが見たのは、変わり果てた“妹”の姿だった。


「なっ、なん、な、ァア!?」
「マジ……?」
「うおっ」
「ああ……なんてこと……」


日本にはプリント倶楽部、略してプリクラと呼ばれる機械がある。古来より中高生が遊びのついでに特に理由もなく撮り過剰にデコってプリントしてはメモ帳に張り付けたりお揃いで持ち歩いたり死蔵したりする。ドイツにはない日本文化だ。

プリクラを知らないと言うことは、コスプレをして撮るコスプリというクールジャパンももちろん知らない。

ハートが乱舞するフレームの真ん中で、黒いメイド服を着た純朴そうな少年と、ピンクのメイド服を着た中性的な美少年。肩幅が広すぎてスリーブが醜く盛り上がっている。ヘッドドレスまでつけている徹底ぶりのくせしてサイズが全く合っていないパツパツのシワシワ。

片や引き攣った顔で左手を出し、片やほんのり滲むような微笑で右手を出し、頬がくっつく距離で二人仲良くハートマーク。



『BIG LOVE FOREVER YOICHI & GABI』



ブラウに女装させたあげく変なポージングを吹き込んで辱めやがった。

悪質なファウルによる一発レッドカード退場。


「YOICHI……潔、世一、ブルーロックの……」
「距離ちっっっっっか」
「ブルーロックがブラウを女の子にしやがったッ!」
「FOREVER? 永遠を誓っている、だと?」
「(ピーーーー)が(ピーー)してマジで(ピーーーーーーーーーーーー)!!」



普段はブラウにいい顔をしていなかった面々すら顔を真っ赤にして怒っている。「泥棒世一、変態世一、クソクソ世一」頭に血が昇って世一ラップを踏んでいたネスも、(いや心の性別的には何も間違ってないな……)と落ち着いた頃。ふと、この場で最も過敏に反応するだろう人物が静かであることに気付く。


「か、かいざー?」


ピタッと喧騒が止む。各々の視線が皇帝陛下に恐々と注がれた。

そのカイザーといえば、衝撃写真がデカデカ映ったスマホ片手に、空いてる方の手は自分の顎をさすりさすり。時たま顔を拡大したり(潔世一を真ん中でスパッと切り捨てた)全体を確認したり。すべて真顔でしげしげ観察してから、関心したようにポツリ。



「俺の“妹”、このクソ安物クオリティで可愛いのは流石すぎるな……」



あ、いつものおかしいカイザーだ。



「……ところで、俺の可憐な薔薇を勝手に摘もうとは、身の程知らずの盗人がいたもんだなァ?」



いつもの様子がおかしいカイザーだァ!!!!


「日本に着いたらどーする、カイザー?」
「死刑」


「然り然り!」カイザーはそうこなくっちゃね!

ブラウ不在で表面上は落ち着きつつも、細かいところでは調子が狂いっぱなしのカイザー。悲しいことに、チームメイトはカイザーのシスコンに慣れすぎてしまった。










「罰ゲームっつたら女装っしょ!」
「どこのルールだそれ」
「ほらほら後がつっかえてますよお嬢さん方」
「お嬢は千切だろーが!」
「ガビ、ゴー」
「うん」
「うわっ、ちょっ、ガビさん!?」


ゲーセンのエアホッケーダブルスチャンピオンシップ。数々の悪ふざけによる妨害で見事最下位に輝いた潔・青原コンビが隣接するコスプリコーナーでメイド服の刑に処された。「ガービーも読めるやつがいいよねー」という蜂楽のありがたい気遣いによりハートマシマシ英語スタンプが多用され、わざわざ現物とデータで手元にやって来た忌まわしい呪物。

ちゃんと男に見えるのに何故か妙に似合う完成し尽されたメイドさんガビのせいで潔だけが辱めを受けるハメになったそれが、まさか遠く海も山も国境も越えて憧れのノア様のスマホに送られるとも知らず。

ブルーロックの面々は久しぶりのシャバの空気を堪能していた。




***




蟻生十兵衛はその日、オシャに出会った。

JFUからの招集を受け、世界一のストライカーを日本に誕生させる試みに興味を惹かれ、即断即決で監獄に足を踏み入れた。

指定された部屋は伍号棟のZ。当たり前に初対面の高校生ストライカーたちと共に部屋に閉じ込められ、あまりの悲劇に天を仰ぐ。Zだ。最下層のチームで294番。そんなに自分の価値は低かっただろうか。

長い黒髪をなびかせながら己の悲劇を嘆く蟻生。周りがあからさまに距離を取った。


「さあ、“オニごっこ”の時間だ」


絵心の説明と同時に天井から降って来たサッカーボール。始めのオニは最下位の300番。制限時間終了時にあたったヤツの負け。一生日本代表にはなれない。

突然羅列されるルール説明とショッキングな内容に、狭い室内は軽くパニック状態に陥っていた。ボールを持っている人間は、さながらウィルスを持ったゾンビだろうか。ゾンビに噛まれたら終わり、と言わんばかりに300番から目を離さず距離を取る一同。

そんな中、ぼんやりと立ち尽くす金髪の少年が目立っていた。

第一印象、オシャ。毛先までツヤツヤに手入れされた金髪にブルーのメッシュ、日本人とは色味の違う白磁の肌。ピッタリスーツを着ているからこそ分かる手足の長さ、ボディラインの美しさ。だらんと伸ばされた手の先にメッシュと同じブルーのマニキュアを見つけ、オシャポイントが上昇した。

何より、顔がいい。堀が深く目と眉の距離も短い。緩やかに吊り上がった目をしているのに、儚げで柔らかいイメージが存分に伝わってくる。スッと通った高い鼻も、半開きの薔薇色の唇も、下界に来たばかりで慣れていない天使のようだった。

オシャ。圧倒的なオシャに釘付けになっていた蟻生は、オシャ天使の足元にボールがある事実に遅れて気付いた。

モニターのオニは、青原ガビになっていた。

顔かたちからして日本人ではないが、ハーフだろうか。気を引き締めて相手の出方を伺っていた蟻生だったが、どうもおかしい。裸足から繰り出されるボールは、確かに正確無比の軌道を描いて選手に放たれるが、どうにも威力が弱すぎる。当ててやろうと言うよりパスを出しているような。


「アイツ、ルール分かってねんじゃね?」
「ガチ外人じゃん。日本語通じてないのか」
「じゃ、じゃあ、このまま黙ってたら勝手に脱落してくれるわけ!?」
「やりぃ!」


そんな。まさか。

改めて動きを見ていると、確かに青原は避けられ続けるボールに無表情ながら首を傾げている。一言も口を利かないのは無口なのではなく日本語が話せないからでは。

堪らずモニターを見上げても絵心はうんともすんとも言わない。せめて英語で説明してやれよと思うが、もしかしてそれも込みで選抜なのか。

蟻生は息を吐いた。モニターに映る制限時間は残り20秒を切っている。このまま黙っていれば確実に青原は脱落するだろう。残った蟻生たちは楽に次の段階に進める。無駄な労力を費やすのは賢くない。これからどんな試練が待ち受けているのか分からないのだから、体力は温存しておくべきだろう。

それが一番スマート。…………だが、


「ディシィズタグ」
「?」
「ふむ、……タッチ、ウィズボール、オニチェンジ。オーケー?」
「OH,I see.」


────“俺”が美しくない。

「なッ、ふざけんなテメェ!」「この偽善者!」とノットオシャな言葉が投げかけられたが、蟻生の脳には一切届いていなかった。

時間は10秒を切っている。周りは壁際に寄ってどこにでも逃げられるように青原を凝視。ストレートにボールを蹴ったところで当たる確率はかなり低い。

それなのに、彼は。


「Thanks」


トンッ、と。

軽く蹴られたボールが、どれだけの回転を込められていたのか。

壁と天井にぶつかって跳ね、一瞬で予想外の方向に飛んで行った先で、「ぁ」蟻生を罵倒した選手の一人に背中からぶつかった。

──プァーーーーン!!

タイムアップだ。


「お疲れ、才能の原石共よ」


一人のサッカー人生が、たった10秒で終わった。

何が起こったか分からず、絵心の言葉に追い出される形でトボトボと去っていった背中。終わらせた張本人はやはりぼんやりとした顔で、何を言っているのか分からないであろう日本語に耳を傾けている。サラリと揺れた金髪の隙間から、薔薇のシルバーピアスが鈍く光っていた。

オシャ。ベリーオシャ。


「What?」
「ユーアー、ベリー、」
「ちなみに299番の青原ガビは最近日本に来たばかりのドイツのクォーターだ。ヒアリングはマシ、スピーキングはゴミだ。英語で話しかけるのは構わないが、本人には日本語をしゃべらせること」


じとーーーっとメガネの下から睨みつけてくる黒い眼。青原は小さく頷き、話はそれっきりだった。


「お前、青原ガビっていうのか。名前もオシャだな」
「…………オシャ?」
「簡単に言うと、グッド、マーベラス、ワンダフォー、ビューティー」
「Oh……わかた」


マジか、という空気が漂う。蟻生は通常運転である。

話が通じない異国の、こんな閉鎖環境に閉じ込められているというのに。青原は一切動じていない。さっきのスーパーテクを予備動作ゼロでかましたあたり只者じゃあないのだろう。

それがブルーロックでは下から数えて二番目。やはりこの数字は額面通りの順位ではないんじゃないか。

顎に手を当てて推理する蟻生。その横顔を下から覗き込んでくるブルーアイ。マッチ何本乗るかな、と一瞬気を取られた。


「Name、なに?」
「ん? ああ、“俺”は蟻生だ。ナイストゥーミーチュー青原ガビ」


もちろん下の名前は絶対に教えない。

オシャなヤツと仲良くなっておいて損はないので、黒い爪が輝く右手を差し出した蟻生。青原も間髪入れずに手を差し出し、二人はなんでもない握手をかわした。

ここまで、蟻生にとって青原は同室の見どころのあるオシャ外国人でしかなく。眺める分には良いし、友好的なコミュニケーションを取るのもやぶさかではないが、それ以上でも以下でもないチームメイトでライバルでしかなかった。


「あおばら、ちがう、ガビ」
「分かった。よろしくガビ」

「よろしゅく、あり、あ 、あ、

………………アンドリュー?」



その時致死量のオシャが蟻生を襲う──!!

脳天に直撃する雷。
明滅する意識。
燦然と輝くアンドリュー。

慄いて後退する体。興奮を鎮めるべく己を抱き込む腕。熱い吐息を溢しながら黒髪をなびかせ天を仰ぐ。それは入室した時と同じポーズでありながら、正反対の特大感情の発露であった。


「Name、なに、だた?」
「あ、」
「あ?」

「────アンドリュー、で頼む」



ガビ&アンドリュー。

チームZのロン毛外人コンビが爆誕した瞬間である。




***




オシャの伝道師にしてオシャのしもべ。己が認めたオシャに寛容であり従順。そんな蟻生はブルーロックで運命の出会いを果たした。


「ガビ、休憩だ。水分補給」
「すい?」
「水、飲め」
「ん」


長い金髪を揺らして姿勢よく近寄って来る美少年。たったそれだけで無機質な監獄のトレーニングルームがランウェイに見えてくるので、何人かが二度見三度見した。まだ出会って二日なので慣れないのは仕方ない。

オニゴッコの後からひたすら体力テストばかりやらされて二日目の夕方。そろそろシャワーを浴びて夕飯の時間だろうか。あたりからは腹の虫が鳴いている。

髪が長くてケアが大変な蟻生とガビは、できるだけ早めにシャワールームを確保したい。クールダウンが済んだあたりでちょいちょいと呼び、二人は隣り合うシャワールームに入った。


「お前のシャンプーどこの使ってる? やはりドイツの?」
「ん、つかう?」


隣から伸びてきた腕は驚くほどに白く、筋肉は薄い。間違っても女には見えないが、サッカーをやっていてコレでは心許ない筋肉だ。思わずシャンプーよりもそっちに意識を取られた蟻生に、「アンドリュー?」と不思議そうな顔が覗き込んできた。

濡れた金髪を貼り付けた美しい顔。水も滴るイイ男とはこのことか。「ナイスオシャ」と正当な評価を下し、お目当てのシャンプーを借りて見た。薔薇の香りがキツイ気がするが、ドライヤーで乾かした瞬間の手触りがまったく違かった。日本で買えるヤツかこれは。

そうして薔薇の香りをまき散らしながら食堂に向かった二人。後から来たりすれ違った男子高校生が女子の匂いだとソワソワする空気を無邪気に作り上げながら配給装置に番号をかざす。

もともと低いガビのテンションが心なしかさらに落ちた。

ガビのトレイにはごはん、みそ汁、納豆。以上。


「…………」
「…………」


外国人にはやはりキツイんだろうな。

初日に納豆の食べ方をレクチャーしてやった蟻生。その後せっせと醤油とからしを混ぜて食べていたので案外イケる口かと思っていたのだが。二日目の夕方にしてやっと確信を得た。

ガビは、むりやり納豆を食べている。


「“俺”の唐揚げ、食うか?」
「!」
「全部はダメだ。唐揚げ二つと納豆、交換」
「!!」


蟻生も納豆がそこまで好きではない。味ではなく、白飯に納豆をかけた時に白米が汚れて見えるのが何とも言えない。だが美容にいいことは確かなので嫌いでもない。

納豆を指差し、唐揚げを指差し、二本指を立てる。無感動なガビがコクリと頷いたのを見届けてトレード成功。ガビのごはんに二個乗っけると、震える箸がとんでもないバランスで持ち上げた。

薔薇色の唇と白い歯が薄い衣にかぶり付く様を何とはなしに眺めていた蟻生は、噛みしめ噛みしめ飲み込んだ直後のガビの表情を真正面から受け止めてしまった。


「ふぁ……」


なんつー顔で食いやがる。

白人、肌が白いせいで興奮するといろいろモロバレ。頬っぺただけのほのかな赤みでも、今までのぼんやり無表情がデフォのガビにとってはとんでもないオーバーリアクションだ。見開いたブルーアイが虹彩の模様一つ一つまでクッキリ煌めいてやがる。誕生日ケーキを目の前にした子供でもあるまいし。

野郎がたかが唐揚げ一個で浮かべていい顔じゃねぇ。


「アンドリュー、Thanks」
「あ、ああ、うまいのなら良かった……」
「きゃらあげ、うま」


もしかしてコイツ、肉食えないくらい貧乏な家なのか?

それにしては高そうなシャンプーを持参しているし、全身に気を遣ってケアしているのをこの二日で見ていた。なら食事制限か? だったら唐揚げは拒否するだろう。

頬杖をついて真顔になった蟻生。しかし考えても答えは出てこず、一旦保留にすることにした。


「もう一個食うか?」
「アンドリュー、おたべ」
「遠慮はノットオシャ。お前がお食べ」


どうぞどうぞ、いやいや、と後ろから見たら女にしか見えない薔薇の香りを撒き散らかしたロン毛外人コンビは、食堂ではちゃめちゃに目立っていた。同じチームにも、知らないチームにも。

翌日、全ての体力テストが終わった段階で、絵心から第一選抜の総当たりリーグ戦について説明を受ける。

それから二時間後の第一試合。チームZvsチームX。全員がFWという無理がありすぎるフォーメーションで、我を優先する選手たちのボールがチームXに渡る。そのままゴール前のペナルティエリアに侵入しかけたその時。ボールの奪い合いに参加していなかったSBのガビが、いとも容易くボールを奪った。

あまりにも自然に、街中ですれ違うように。足元にボールを引き寄せた瞬間、上体を倒した前傾姿勢でボールを運ぶ様はまるでチーターのようだった。

身長に対して足が長いため一歩一歩が大きい。踏みしめた後に舞う人工芝が一歩の力強さを表している。ぐんぐんとフィールドを縦に走り抜け、そのままゴール前まで躍り出るかに思えたガビは、一瞬にも満たない時間、蟻生を見た。

周りの選手を押し退けゴール前の比較的密度の低い地帯を選んで跳躍。瞬間、とんでもない速さのシュート……に見せかけたパスが蟻生の顔面スレスレを通り過ぎようとした。


「クッ!!」


蟻生渾身のヘディングシュートがゴールネットに突き刺さった。

ゴールのホイッスルを聞きながら、芝生に打ち付けた体を起き上がらせる。ヒリヒリする額、これもオシャの光明。

足取り優雅に近寄って来たガビに拳を上げて見せる。けれどガビは不思議そうに蟻生を見やるばかりで、なんなら頭を軽くこちらに向けて困った。まるで飼い主に撫でてほしい犬のよう。


「ゴールを決めた時は、ハイタッチかグータッチがベストオシャ」
「? これ、ない?」


自ら頭をぐしゃぐしゃにするガビを見て、前のチームメイトはガビを犬扱いしていたのかと疑念が沸いた。

仕方なく、蟻生はガビの頭をそっと撫でてやった。天使のキューティクルに相応のツヤサラ。若干の離れがたさを感じつつ、二三度撫でた後の手を物足りなさそうに追いかけるガビの腕を取った。

意外と大きな手を握り込ませて己の拳と合わせてコツン。


「ナイスアシスト、ガビ」
「Nice goal,アンドリュー」



第一試合初得点。チームZはその後、ガビ→蟻生のコンビネーションで2点追加し、蟻生がハットトリックを決める形で試合に勝利した。

チームとしては幸先の良い動き出しである。

事態がおかしくなっていったのはその日の夜。


「俺のギョーザ2個やる!!」


蟻生が前日に唐揚げを献上したからガビがアシストし、ハットトリックを決められたのだという誤解がチーム内で蔓延したのだ。

始めにギョーザを差し出したのは、初日からガビを睨んでいた男だ。

私立の強豪校は全国からスター選手をスカウトして集められるが、その中には外国人の血が混じった体格の良い選手がいる。天性の長身、筋肉、バネ。生まれから体のつくりが違うのだから、どうあがいたって越えられない壁がそこにはある。結局ハーフの選手にレギュラーを取られベンチにも入れないことがままある。

実力主義だからこそ当たり前のことであり、なにも異国の血が混じってるから選ばれているわけではないのに。半分外国人だからズルだ、などという偏見を持ってしまう子供は確かにいた。

ガビを遠巻きにしていたチームメイトたちは皆そうだった。

なのに、ここに来て嫌厭していたガビに擦り寄って来たのは、プライドを捨ててでもゴールが欲しいハングリー精神とも取れる。これもある意味ではオシャ。だが、蟻生としては当たり前に不愉快だ。蟻生のハットトリックは蟻生一人では成し得なかったが、それはガビも同じだ。蟻生とガビが組み合わさって生まれた成果なのに。

次の試合は俺にパスを、と熱弁する男。「お前、」口を挟もうとした蟻生の横で、無表情にギョーザを観察していたガビが、薔薇色の唇からは考えられないほど豪快にギョーザにかぶり付いた。


「…………!」


噛みしめ、噛みしめ、ゴクリ。見開かれた目がギョーザの断面を見つめ、次いで残った分をパクリ。噛みしめ、噛みしめ、ゴクリ。最後に唇の端についていたタレがアゴを伝い、落ちかけたそれを親指で拭ってペロリ。


「ぎょざ、うまぁ……」


その顔、オシャというより、なんというか……。


「かわいい」
「それだ」


腹立たしさがどっかに飛んで行った。

蟻生がビシッと指差したことで、無意識に呟いていたことに気付いたのだろう。男は「へ、……あ!?」と慌て出し、「つ、次の試合パスよこせよ!」と捨て台詞を吐いて去って行った。


「ん、ん、んぐ」
「アイツの頼みを聞くのか?」
「ん?」
「パスが欲しいんだと」
「ん、んんー」
「ああ、今は食事に集中しろ。後で考えればいい」
「ん」


もぐもぐ最後のギョーザを噛みしめるガビは、“かわいい”がしっくりくる子供だった。

180cmの野郎にあるまじき無垢さであり、それを頬杖ついて観察している蟻生もすっかり毒されているのだろう。

その後、蟻生の唐揚げをたいらげ、ごはんとみそ汁だけが残ったガビのトレイ。そういえば主食とおかずを一緒に食う文化って珍しいのだったか。心なしかテンションがフラットになったガビを再びしげしげと見つめてしまい、自分の食事はすっかり冷めてしまった。

調子が狂うが、悪くない監獄生活だった。

それから日を置いた第二試合、ガビはギョーザ男に二度パスを出し、1ゴールの末試合は勝利した。結果、おかずを献上するとアシストしてくれるという誤解が本格的にチーム内で蔓延してしまった。

そして今に至る。


「あの時はマジ助かったぁ。コレ俺のギョーザ」
「お、俺のサンマもやるよ。次は俺によろしくな」
「おいおい抜け駆けすんなって! ほいカレー」


食堂は伍号棟のチームで共有している。一人の選手におかずを献上するチームは異様だった。が、献上される側のなんともかわいらしい反応に「餌付けだ」「猫の餌付け」「動物愛護」などと勝手に納得される。それどころかまだ対戦していない他のチームまで寄って来て面白半分におかずを渡してくる始末。完全に動物園のふれあいコーナーだ。

隣で飯を食っている蟻生は、少し面白くない。


「ガビ、もらった分だけ食べてたら胃袋はちきれるだろ」
「なんだよ蟻生、嫉妬か?」
「いの一番に抜け駆けしたくせによォ」


嫉妬? ……そう言われれば、そうなのか?

そんな醜い感情を、“俺”が?

指摘されて初めて首を捻る。

ガビと行動を共にしているのは、己のオシャの導きに従ったまでだ。そこにガビ本人への執着はあまりない。日本の生活に不慣れなオシャ天使を気にかけてやるのは当然だろう。絵心はスポーツの世界は理不尽だと宣っていたが、試合中ならともかく、日常生活でわざと理不尽を強いるのはおかしい。何よりオシャじゃない。

では、この状況は理不尽だろうか。

打算込みとはいえ、チームメイトに囲まれ、食事の世話を焼かれ、パスを求められ、応えるガビ。言葉は拙いが、ゆっくり喋れば意味は通じている。体力テストではいつ見ても涼しい顔してノルマをこなしていた。ボールの扱いも、ドリブルも、パスも、なんでもサラリとこなしていて…………?


……ガビがシュートを撃つところを、練習でも見たことがない。


FWばかり集めて世界一のエゴイストを作ろうとする監獄の中で、青原ガビは一切、自分のエゴを出してはいない。

ガビの本心が、見えない。

もともとぼんやりと生気の薄い男だった。けれど言葉の拙さだったり、礼儀正しさだったり、食事の様子であったり、とっつきにくい雰囲気を緩和させる要素をたくさん練り込んで、うすぼんやりとした“悪いヤツではない”像を築き上げている。

最初は外国人だからと排斥していたチームメイトも、今はガビに貴重な娯楽である食事を分け与えている。懐柔に成功してしまっている。ワンフォーオール、オールフォーワンの形にチームがまとまりかけている。その要として何でも屋のガビが意識的に動いているとしたら────、


この男は、本当にストライカーなのだろうか。



「と、疑問に思った。お前の意見が聞きたい」


23時。各々が自由に散り散りになっている時間、蟻生とガビは日課のストレッチと瞑想を並んでする。休日はお香を焚いて瞑想する蟻生と、毎日寝る前にストレッチするガビがお互いの日課を組み合わせた結果だ。

三点分のゴールポイントと引き換えに返却されたスマホの翻訳機能でのんびり会話をすることにした。

蟻生のシンプルイズオシャなスマホを片手で素早くタプタプするガビ。印象はのんびりとした猫のクセに指の動きが尋常ではない。渡したそばからすぐに打って戻される。普通に話すより断然意思疎通が早い。のんびり会話どころじゃなかった。


「兄のためにサッカーをしたいが、兄や周りに止められて困っている。だからちゃんとしたストライカーになって認めさせたい、と」


この男、動機からして他人のためだった。


「お前、ストライカーに超絶向いてないんじゃないか?」
「ん」


自覚済みだった。


「でも、しる、たい」


ぼんやりとしているイメージが強いが、この時のガビはぼんやりながらまっすぐに蟻生を見上げてくる。このぼんやりは、他の299人を踏みつけにしてストライカーエゴイストとしてのノウハウを学びに来たのだ。

自分のためではなく、兄のために。

あの絵心が呼んだとは思えないエゴのない人間。そのくせ目的を貫き通すためなら他者なぞどうでもいいと思っている。ある意味ではエゴの塊。

初日にガビにボールをぶつけられて一生日本代表になれない男は、この学習意欲に轢き殺されたのか。


「アンドリュー」


手を差し出され、再びスマホをガビに渡す。

すぐに打ちこまれてまた帰って来るかに思えたそれは、予想外に長くガビの手元にあった。何度か高速で指が動いたかと思えば、停止し、再び動いて、また停止し。長原稿の添削でもしているかに思えたが、やっと戻ってきたそこには二行しかなかった。


《私のパスを受け取った後どう感じましたか? 他の選手のパスを受け取った後の気持ちは?》


どんな質問だ。とは疑問に思ったが、蟻生はオシャの導きに従い、簡潔に思いをつづった。


《ガビはパスをくれるのが分かるから安心感がある。なによりパスの回転が常にオシャ。オシャポイントが高い。誇れ。他のヤツらは、意地でも渡してこない分、無理やりパスを出させた時の高揚感がある。シュートするにふさわしいストライカーだと認めさせた。フィールドで最も“俺”がオシャだと示せる。最高だな》


「オシャ…………」
「イエスオシャ。“俺”が世界一オシャだと証明する方法。それがストライカーだ」
「オシャ……オシャ……」


深く考え込んでしまったガビは、身長に対してやや心許ない筋肉をしている。それでも初対面の儚さは幾分落ち着き、健康的に発育しているように思える。

16歳だ。兄や周りにサッカーを止められていたということは、トレーニングも止められていたのだろうか。その上であのボールさばきと身のこなし、持久力は恐ろしいものがある。

ストライカーになれずとも、隣で一緒に戦える分には心強い。

だが、あまり寄りかかっていてはいけない危険物だと、蟻生はおおよそ察していた。


「そろそろ消灯時間だな。寝るぞ、ガビ」
「……、Phone、どう、もらう?」
「ああ、お前は食堂の文字が読めなかったか。これはゴールボーナスで──」


ガビの世話に慣れ切ってしまっていた蟻生は、わざわざ食堂まで行ってゴールボーナスの文字を読み上げてやる。ふむふむと頷いてお礼を言うガビはやはり礼儀正しい。いいヤツだ。


この時の蟻生は、嫌な言い方をすればまだ青原ガビをナメていた。

世界一のストライカーどころか、一人前のストライカーですらない。サッカーが上手くて飯を食べることが好きなオシャ天使。健やかに寝て健やかにサッカーをやっていればそれでいい。ガビが日本代表になれなくとも、どこかの大舞台でプロとして出会えたら。


それは運命的でベリベリオシャだ。




***




なぁーーにがベリベリオシャじゃい。


数日後、裸足のクセに音もなくトレーニングルームに入室してきた人物。変わり果てた青原ガビの姿に、蟻生は天を仰いだ。

遡ること昨日。チームZvsチームWの一戦にて。SBのガビは味方のパス要求をガン無視してゴールを決めた。

ペナルティエリア付近からのミドルシュート。
センタリングからのヘディングシュート。
他人のルーズボールからダイレクトシュート。
DFのミスからのボレーシュート。
死角からのループシュート。
味方から奪ったボールでシュート。
DFとゴールキーパーの股抜きシュート。
味方のシュートを途中で軌道を変えさせたダイレクトシュート。
前進したゴールキーパーの上をヒールリフトで通りシュート。

最終的にセンターサークルから敵味方の隙間を突いた超超超ロングシュート。

敵も味方も止められない青原ガビの猛攻により、試合はぐちゃぐちゃに踏み荒らされ、結果は10-0でチームZの勝ち。ただの負け以上にボロボロのボロ布にされ心をぽっきり折られた相手チームと、嵐が過ぎ去った後の平原にポツリと残された味方。そんな中、ガビは蟻生に向かって拳を突き付けた。


「Nice assist,アンドリュー」


アシストしてねぇーよ。

きっと下の名前で呼ばれた並みにオシャじゃない顔をしていた。していたが、この拳を無視するのは人としてオシャじゃないので、無理やり握りしめた拳を突き出し、コツン。



「おれ、オシャ?」



初めて見せた分かりやすい感情。薔薇色の唇を綻ばせたガビは、やっぱりオシャ天使だった。

そんなわけで今日、ガビはポイント10点を使って一日外出している。用事があるからどうしても10点欲しかったのだとたどたどしく伝えられ、先に言ってくれないかとチョップした蟻生。ガビは不思議そうに見上げてくるだけだった。やめろ、“俺”が急に暴力をふるった飼い主みたくなる。

チーム全体は昨日夢を見たんじゃないかというふわふわした雰囲気が漂っている。ガビにおかずを分けていた連中は「俺のサンマ返せ!」「俺のカレーも!」とわめいていたが、本人は「つぎ」とだけしか言わなかった。

ガビにおかずを分けるのは、再び蟻生だけになった。

元に戻ったな。

ぎこちなさすぎるチームの練習を終え、夕食を終え、自由時間に移行した22時。

ガビは、帰って来た。


「たでぇまアンドリュー」
「おかえり、久しぶりの外は楽し………………」



胸元まであったロングヘアが肩あたりでバッサリ切られている。
振っている手の爪に青はなく、天然のピンク色。
固まった蟻生に首を傾げた瞬間、サラリと揺れた髪の隙間から、ピアスのない耳が覗いた。


「どうした、その髪、爪も」


まさか髪を切るために一日外出するとは思わないだろう。

青いメッシュもマニキュアも一切なくなったオシャ天使にさめざめと落ち込む蟻生。しかし続くガビの言葉に嘆きの連鎖は断ち切られた。



Fashionable that cannot be cared for is not fashionable.手入れできないオシャはオシャじゃない
「それはそう」


秒で頷くあたり蟻生も同類の変人だ。

髪をバッサリ切ったからと言ってガビが顔面オシャなのは変わりない。むしろ顔かたちが見やすくなり、自然本来のオシャが引き立てられている。これはこれでアリだ。蟻生は無意識にガビの短くなった髪を撫で、頭を撫で、満足げに頷いた。



「型に囚われずその時のオシャを追求する。最高にオシャが分かっているじゃねぇか。合格だ」
「Thanks,アンドリュー」
「ユアウェルカム」



相方のイメチェンにより一時的にチームZのロン毛外人コンビは解散した。

しかしここに再び、オシャを求めオシャを体現するオシャコンビが爆誕する。


新生ガビ&アンドリュー、第一選抜で華々しくデビュー。











「なぁーーーんかあそこだけ違うんだよなァ」
「切磋琢磨しあえる相手がいるのはいいことじゃないですか絵心さん」
「サッカーで競い合えって話だよアンリちゃん」
「で、でも、チームZはぶっちぎりでリーグ一位。結果は出てますよ!」
「結果、ねえ?」



蟻生以外完全に食われているチームの、何がエゴイストか。




予約なしで髪切れるヘアサロンに行きたいですって申告したら「じゃあここオススメだよ」と絵心さんに提示された場所が千円カットで横にいたアンリちゃんがぶっ倒れた裏話があります。ガビはちゃんと行きました。

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