ガブリエルは薔薇



※カイザーの過去や年齢他たくさん捏造・キャラ崩壊注意。
※最近原作22巻まで読んだばかりの人間が書いてます。
※キャラ視点主体でクロスオーバー要素皆無です。
※固定の名前が複数出てきます。




アレクシス・ネスには懸念がある。

合理性の塊であるネスにとっては取るに足らない漠然とした不安。進言するまでもないことだと流し続け、とんでもない不敬を我らが皇帝陛下に働いていると分かっていて、それでも止められない焦燥が嫌なしこりを残していた。

このままでいいのだろうか、と。


「ローゼ!!」


カイザーインパクトを決めた直後。ホイッスルの音とともに振り返ったカイザーは、頬を紅潮させ大袈裟なほどに満面の笑みを浮かべていた。


「ローゼローゼローゼ! お前は本当によく働いてくれた! 最ッ高の気分だ! この兄が褒めてやるぞローゼ!」


また始まった。

ゴール前まで上がってきていたゲスナーが舌打ちを噛みしめ、グリムが静かに身悶える。いつもの調子でいるとカイザーから視線で滅多刺しにされると知っていて口を閉ざしているのだ。

……“ローゼの教育に悪いから”。


「そこまでにしておきましょうカイザー。ブラウの髪が乱れている」
「おお、それはいけない! せっかくの美しい髪が映えなくなるなんて……0.01%でもお前の損失は俺の損失だ!」


自らかき回して視界不良にした髪を丁寧に梳き、もともとセットしてあった形に丁寧に一本一本配置していく。皇帝が他者のために手ずから身だしなみを整えてやるこの光景は、付き合いがそこそこ長くなったネスにとっても異様。端的に言って目がバグる。

けれどもっと脳みそがバグりそうなことは、この先に続くカイザーの摩訶不思議な言動であった。


「良き! 俺の“妹”は今日も愛らしいな!」


カイザーにされるがままになっているのは、どこからどう見ても男だ。

相手がゴール前まで上げてきたボールをインターセプト、華麗なドリブルで超過密地帯をするりと渡り歩き、前線に躍り出たドンピシャのタイミングでカイザーへシュートチャンスを献上した。

自陣のゴール前から相手のゴール前まで30m強を瞬く間に駆け抜け、汗一つかかずに人工芝を踏みしめている。16歳になりたての男の子──ガビ・ブラウはミヒャエル・カイザーと血を分けた弟である。

まず目に入るのは、カイザーと同じ金髪を胸元まで伸ばしたロングヘア。毛先だけゆるく巻かれてところどころに青いメッシュが入れられている。長さはともかく趣味は完全にカイザーに寄っている。それもそのはず、彼の髪の手入れをしているのはカイザー自身だと聞く。『花に不要な枝葉を剪定して整えてやるのは当然だろう?』とのこと。

その髪と調和するのは、屋外競技であるサッカーをしていながら驚くほどにまっさらな白肌。カイザーは首元に青い薔薇を咲かせているが、彼は耳たぶに薔薇のシルバーピアスが控えめに輝いている。カイザーからの16歳の誕生日プレゼントらしく、最近は毎日つけている。とても主張が激しい。

次に、必要最低限の美しさばかりを追求した薄い筋肉。すらりと伸びる手足は顔の小ささも相まって遠近感が狂ってやがる。180cmという決して低くない身長ながらイメージは謎に儚い。ネスの方がまだ屈強に見えるもので、この見せ筋が強烈なDFで相手を恫喝するなんて不思議で仕方ない。

曰く、“仕事”に支障が出ない範囲でボディメイクしているのだと。カイザーが認めていなければかなりヘイトを集める理由である。


「ふむ、そろそろ根本が白くなってきているな。染め時か? マネージャーに連絡しておこう。お前の美しさは常に完璧であらねば」


カイザーに声をかけられているというのに反応は最低限の首振り。カイザーなら絶対にしない無表情を通り越した虚無の顔と、靄がかったブルーアイは何を考えているのか分からない。きっと何も考えていないだろうけれど。

皇帝の過保護は彼にとっては当たり前の日常なのだから。

ガビ・ブラウ。兄弟でありながらファミリーネームが違うのは本名ではないからだ。あくまでクラブチームに登録した選手名であり、本名はガブリエル・カイザーと言う。では何故本名で登録しないのかというと、ガビ・ブラウの名義が先に大きく有名になっていたからだ。

ガビ・ブラウはモデル活動で使用している芸名だった。

ガブリエルの愛称のガビと、青を意味するブラウ。ミヒャエル・カイザーの青薔薇と揃いになるように誂えられた名だ。実際、カイザーが12歳の頃に考えてやった芸名だという。『“妹”らしく、女でも違和感のない愛称で呼ばれた方がローゼも嬉しいだろう?』ガビならガブリエラでも使えるものね。理由を聞いたネスはわりと後悔した。

ネスの懸念は二つ。

一つ、カイザーがほとんどワガママでゴリ押しする形で重用する変幻自在のオールラウンダーがフットボーラーとモデルの二足の草鞋を履いていること。

もう一つは、冗談でもいつもの演劇ごっこでもなくガチで弟を“妹”だと信じ、“俺の薔薇ローゼ”と溺愛してやまないカイザーである。

ネスは自他ともに認めるカイザーの信奉者だ。自分が繋いだパスを必ずゴールネットに叩き込んでくれるストライカーはチームにとって神に等しく、つまりは信仰に類似する。このチームにとってカイザーとは絶対的な不文律であり燦然と輝く象徴である。

そのカイザーが決めたことに、ネスが忠言するなどありえない。ありえない、のだが……。


「ローゼ、次はゴールを決めるお前が見てみたいな」


皇帝陛下からの無邪気な命令。

間を置かずコクリと頷いて元の定位置に戻ったブラウは、試合再開一分と経たずに再びボールを奪取する。

ネスやグリムを中継しながら軽やかに選手をごぼう抜き。イエローカードギリギリのスライディングだって空から見ているみたいにジャンプで避け、右足の甲で丁寧にボールを保持。再びネスにボールが渡り、続いて皇帝に献上されたボール。いっそシュートと遜色ないカイザーのパスも難なく受け止め、ブラウがシュートレンジに入った直後、────ズドンッ。

弾丸と見紛う速さの剛速球が左足から撃ち出された。

呆気ないにもほどがある追加点である。


「ああ、ああ! やはりお前は最高だ! 流石俺の“妹”! 下々には触れることさえ叶わない気高き俺のローゼ!」


U20ドイツ代表の選考会を兼ねた国内大会。少年たちの夢と絶望を内包したこの一連の試合で、カイザーを除いて頭一つ飛びぬけた選手たち。その一人がブラウであるはずだ。

ネスだって、ゲスナーやグリムだって、同じフィールドに立つチームメイトたちの誰一人として、ブラウの才能を疑問視していない。それでも、カイザーにベタベタに褒めちぎられる無口な美少年を複雑な感情で見てしまうのは、


ガビ・ブラウが、本気でサッカーをプレイしていないからだ。











ガビ・ブラウがキッズモデルを始めたのは10歳の頃。サッカーを始めたのも同時期のことで、二つ上のカイザーと一緒に家の庭や公園でボールを蹴っていたのだと。当時12歳のカイザーは既にジュニアのクラブチームに入っており、練習後のわずかな時間だけ弟との遊びを楽しんでいた。

ガビ・ブラウが正式にクラブチームに入ったのはそれから三年後。U16のチームでチームメイトに失望し尽していた15歳のカイザーが、たまらず引き入れたのが遊びでしかサッカーをして来なかった13歳の弟だった。

カイザー兄弟の活躍はもはや説明するまでもない。当時は別チームで活動していたネスは敵として相対し、夢見るまなこが覚める思いであった。ネスの信仰の発端である。

昔から名前を体現した天使のような兄弟であった。まろい頬と柔らかな眦、金の髪を風に遊ばせボールを操る。そのくせ天使の笑みを浮かべる兄は悪魔のように口が悪かったし、無表情の弟は聖堂の天使像のように口を閉じていた。同じ見た目で中身は正反対のカイザー兄弟は一躍ジュニアサッカー界のスーパースターに躍り出た。

それから6年。あの時思い描いた未来の展望はおおむねその通りに実現している。……ブラウの中途半端を除いて。

正式にクラブチームに所属し、サッカー選手としてのキャリアを積み重ねながらも、ブラウは並行してモデルとしての仕事も継続していたのだ。

ドイツの義務教育は15歳。卒業後は高等教育が三年。ネスもカイザーもしっかり高校に通いながらクラブチームに所属している。けれどブラウは、中等教育を終えた後、定時制高校に通う就労組と同じ進路を選んだ。それは、芸能活動という仕事をするための最適の道だった。

クラブチームの練習を三日、モデル活動を二日、フリーの日は家で体力育成とデータ分析。その生活を始め、ブラウは今U20の選考会に名を連ね、先日パリのランウェイを歩いた。

端的に言って、無茶苦茶だった。

プロサッカー選手がシーズンオフにモデルをやること自体は珍しくない。副業として活動し、引退後はそちらを本業にシフトできるメリットがある。けれどそれは、雑誌やイメージモデルの方面に限られてくる。

血が滲む努力と才能とコネと運が多大に絡まるパリコレの大舞台を15歳の少年が歩けば、それはもうプロで食っているモデルだ。サッカー選手になるより先に成功してしまっている。現にモデル活動に専念しろとマネージャーからのせっつきが多々あるらしい。それを怒鳴り返すのが我らがクラブのコーチ陣だ。

サッカー選手としてのブラウの才能は、どのポジションでもこなせるオールラウンダーでも、欠点のないテクニックでも、止めなければ延々走り続ける底なしの体力オバケでもなく、全人類の1%未満と言われる稀有な肉体。


ノエル・ノアと同じ、完全な“両利き”である。


なんでサッカーに専念しないんだよ。チームメイトどころか他のクラブの選手もコーチとして顔を出すバスタード・ミュンヘンの選手も表情を引き攣らせた。

才能があり、環境があり、人脈もある。なのに自分の強みを伸ばさない。何故ってこれ以上訓練をすると筋肉がつくから。脹脛がスキニーパンツの下からパツパツになったり、膝がアルプス山脈乗っけてるみたいにゴツゴツすると中性的で儚いモデルのイメージが死ぬ。この件に関しては今度は契約事務所からクラブチームに矢の如くクレームが入った。

ガビ・ブラウという中途半端な人間は、いつだって大人たちに両側から綱引きされる才能の人なのだ。


「お疲れブラウ。カイザーは今コーチと話していますよ」
「おつかれネス。じゃあここで待つ」


シャワーを浴び、ヘアケアとスキンケア用品を両手に歩き回っているブラウを捕まえる。ポタポタと水滴が残っている髪は、本来ならカイザーが拭いてやるべきものだ。カイザーは“妹”の世話を焼くことを楽しんでいる。ブラウもそれを知っていて、あえて何もせずに兄に任せているのだ。

その一貫か、ブラウは試合中に口を開くことを禁止されている。ほぼすべて兄とのアイコンタクトで終え、チームメイトはカイザーの指示とブラウのプレイを察して動かなければならない。カイザーの絶対王政とはそういう形で出来上がっているものだ。

試合が終わり、帰宅の準備を整えている現在は、ブラウも普通に会話できる。以前、試合中しゃべれないのは不便ではないかと尋ねたネスに、ブラウは不思議そうに首を傾げていた。サッカーとは、ブラウにとって無言で以心伝心するスポーツであるらしかった。それができるのはカイザーの世話焼きがあってこそだろう。

世話焼きのカイザーとかちょっと枕詞が事故っている。

この兄弟、試合中はブラウがカイザーの世話を焼き、プライベートはカイザーがブラウの世話を焼く。そういうスイッチングが成立している二人なのだ。

流石にコーチとの話が終わるまで待っていると髪が痛むと判断したのだろう。ブラウは首にかけていたタオルで丁寧に水気を取っていく。これはカイザーが荒れるな。ネスは素早く帰り支度を始めた。

毛先から揉み込むようにヘアオイルをつけていくブラウ。相変わらずの無表情が無感動に髪の毛のコンディションを確認している。商売道具であるから、仕事の準備に余念がないのだ。

ブラウが適当な人間であったなら、ネスも他のチームメイトも心置きなく糾弾できた。こんな中途半端と世界を獲りに行くことなど御免だと。けれど、ブラウはどこまでもひたむきで、真面目で、合理的だった。

ブラウの中途半端とは、フットボーラーとモデルを両立することができる境界線上に立ち続ける綱渡りであり、その境目を超えない範囲を見極め、十全に努力することだ。

努力していないわけじゃない。軽んじているわけじゃない。どちらも丁重に扱うために引き際を絶対遵守している。

だからこそ、チームメイトは複雑な感情を持たざるを得ない。早くこちら側を選べばいいのに、と。軽々しく口にできない現状がもどかしい。


「ブラウは、今のモデルの仕事は楽しいですか?」
「たのしくない」
「なるほど。このチームでサッカーをするのは?」
「たのしくない」
「では、どうして続けているのですか?」
「ミヒャエルがやれって言うから」


つまりは、どちらもカイザーが示した道なのだ。

感情のない、ロボットのような“妹”が輝ける場を探し、提示し、努力の方向性を教えた。唯一家族に対する情が人一倍強いブラウが、兄に言われるがままに進路を設定し、与えられた土壌で見事に花を咲かせて見せたのだ。

まだ大輪ではない、六分咲きの薔薇である。

これから如何様にも伸びていける可能性を秘めた青薔薇が二輪。どちらを剪定するか、ハサミを片手にいつまでも悩み続けている。……いや、思考停止していると言った方が正しいか。

黙々とマイナスイオンが搭載された高級ドライヤーで丹念に髪を乾かすブラウ。その後ボディクリームと美容液を両足に揉み込み、関節や筋肉も優しく労わってやる。男にしてはしなやかな白い手と節が目立たない長い指、目が覚めるような青いマニキュア。これもカイザーが家で世話を焼いているのだろうか。

カイザーが、ここまで世話を焼いているのに。


「分からないなぁ」


どうしてブラウは、カイザーを選ばないのだろう。

どうして、自分たちとサッカーをしてくれないのだろう。

カイザーが布教用に持ち込んでいる雑誌をペラペラめくる。雑誌の中のブラウは実物の無表情が一切見当たらず、等身大の男の子のようにくしゃりと笑っていたり、カイザーを思わせる獰猛な肉食獣の顔をしていたり、天使のように無垢で切ない微笑みを浮かべていた。

すべてサッカーでは見たことのないガビ・ブラウだった。


「有象無象に媚び売って得る金がそんなに惜しいですか?」


視界の隅で青い毛先が揺れ、ブラウの視線がネスに注がれる。

ジュニアのクラブチームは、言ってしまえばあくまで習い事だ。所属選手が月額で金を支払ってプロの指導を受けられる。選抜された選手とはいえ、雇われているわけではないので給料は当たり前に出ない。

だからこそ、モデルという職業で金を稼いでいるブラウは、ある意味ではネスたちよりも独立している。10歳からずっと大人の世界に生きているのだ。


「カイザーの寵愛を受けておいて、袖にする理由がそれっぽっちの栄光だと?」
「……ネス機嫌悪い? おこってる?」


この空気を読まないおとぼけ野郎が。


「そうだね、僕は怒っている」


カイザーから攻撃性と知性を抜いて繊細さと柔軟さを足した美貌がネスを見下ろす。挑むように顔を近づけたネスは、まあるいタレ目を見開いたまま、釣り上げた唇の隙間から再現のない罵倒が噴き出すところだった。

まったく、合理的じゃない感情。


「カイザーの弟じゃなかったら蹴り殺しているところだ」
「ネーースぅーーーー?」
「アッ!?」


ネスの肩を砕かんばかりの握力で引っ掴む相手。振り返らなくても分かる、我らが皇帝が全然笑っていない目でネスを見下ろしていた。


「訂正しろ。ローゼは俺の弟ではなく“妹”だ」
「はぃ、カイザー……ブラウはカイザーの妹です」
「良かろう」


パッと離された手。振り返ったところにカイザーはおらず、既にブラウのそばに近寄って、ツヤツヤにケアされた髪を見て舌打ちした。「俺がやりたかったのに」言うと思った。


「ローゼ、リップバームは塗ったか?」
「わすれてた」
「いけない、乾燥しているじゃないか」


男の手には華奢すぎる缶を捻り、小指の先ですくったバームをブラウの唇に乗せるカイザー。ブラウの顎を持ち上げ、真剣に唇を見つめている。角度によってはキスしているように見える至近距離だ。


「んーま、だ」
「んーーまっ」
「良い子。これでお前の唇は花びらのままでいられる」
「薔薇のにおいきつい」
「俺にとっては芳しいよ」
「じゃあつける」


相変わらず、何を見せられているのか分からない。

こういう時、ネスの信仰は別の何かに押し流されそうになってしまう。フィールド上では絶対でもプライベートは揺らぎやすい信仰である。


「ところでローゼ。コーチがお前を呼んでいたぞ。来月の海外での仕事についての調整だろうが、一人で聞けるか?」
「ん。だいじょうぶ」
「よしよし偉いぞローゼ。兄が待っててやるから行っておいで」
「いってきますミヒャエル」


頬をすり合わせてお別れの挨拶。そのまま去って行くかに思えたブラウは、ふと足を止めてネスに振り返った。


「ネス、おこらせてごめんね」
「────は、」


無表情に、眉がほんの数ミリ下がっただけで申し訳なさのようなものを見てしまう。これは幻覚か、それとも本気でブラウがネスに後ろめたさを感じているのか。

音もなく去って行った美しい人の考えることなんて、ネスには計り知れないことなのだ。


「カイザー、ブラウは、このままでいいのでしょうか」
「もちろん、良くはないな」
「……ッ!? 分かっていてあのような甘やかしを!?」
「甘やかしか。ずいぶん言うなネス」
「ぁ、も、申し訳ありません」


カイザーのまさかの返答に食いつきすぎた。流石に不敬かと追究を止めたネスであったが、皇帝は皇帝らしい鷹揚さで爆弾を落とした。


「うーん、確かに。サッカーをする者としては甘やかしているか。しかしな、ネス。アイツを俺の舞台に上げたは覚えはないぞ?」
「────え?」

「俺は、アイツをフットボーラーとして認めていないと言っているんだ」


ゾッとするような絶対零度の空気が辺りを満たす。いや、そう錯覚するほどネスが怖気だっているのだろう。

あれだけ猫かわいがりして、あれだけ世話を焼いている。あの才能の原石をカイザーは突然切り捨てたのだ。


「それは、ブラウがモデル業と兼業しているから?」
「ネス、ネスネスネース? 察しが悪いな。いつものお前じゃないみたいだ。そんなにアイツの“ごめんね”が可愛かったのか?」
「えっと、そういうわけでは」
「は? 可愛かっただろ」
「最高でした」


もうやだこのシス(?)コン。

「なら仕方ないな」と納得するカイザーは、やっぱりブラウのことを溺愛している。だからこそさっきの言葉の真意が見えない。


「俺は、心底“サッカーをやりたい”と思ったアイツを舞台に召し上げたいんだ」


「分かるだろ、ネス」そう挑むように両手を広げたカイザーは、傲慢で、欲深くて、純心だった。


「今のアイツがサッカーをやるのは俺のためだ。俺のためにやりたくもないサッカーをやって、プロを目指す下々のための貴重な一枠を強引にかすめ取っている。俺がやれと言ったからだ。そんなヤツに役をやって何が楽しい」


世界一のストライカーになるまでの道筋。壮大に描かれるストーリーの中で、端役とて今のブラウでは力不足なのだと。


「今はただ俺の庭に咲く一輪の薔薇として愛でてやる。薔薇が薔薇のまま咲き誇るのなら、俺の胸元を飾るコサージュにしてやろう。薔薇が奇跡的に命を得たならば、皇帝のそばに侍る妖精として召し上げる。それまで、」

「ガビは俺だけの薔薇なんだ」


ネスは、震えあがっていた数秒前の自分など忘れ、感極まって拍手した。

そうだそうだ。カイザーは弟依怙贔屓野郎でも距離バグシスコン野郎でも世話焼きお母さん野郎でもない。僕たちの皇帝は完璧なんだ。


「ブラウが選手としての自覚を持つのを辛抱強く待ってるんだね。分かりました。僕たちも時間が許す限りブラウのことを見守るよ」
「良し。それでこそ俺の臣下だ。褒めてやるぞネス」
「ありがたき幸せ」


「でも、そっか……」もはや軽く涙ぐんでいるネスは、言わなきゃいいのに自分から地雷を踏みに行ってしまった。


「カイザーがブラウのことを“妹”と呼ぶのは、フットボーラーの風上にも置けないタマ無し野郎だって言いたかったんですね。心の底から理解できました」
「…………ネス、そろそろ正気に戻れ。いくらお前でも悪ふざけが過ぎるぞ」
「はい?」

「ガビは、体はともかく心は“女の子”なんだ。“妹”として可愛がってやるのが兄の役目だろう?」

「…………、へーーーー?」


おんなのこ。
体はともかく、おんなのこ……。
おんなのこ、………いもうと?

はえ?

ネスの意識が大気圏を突破して宇宙に打ち上げられた。










その日、コーチとの話を終えて戻って来たブラウの顔をネスは見れなかった。

というかこれからどんな顔をして接すればいいのか。カイザーの手前、死ぬ気で平常心を取り繕っていたが、言われてみれば確かに。ブラウの言動や仕草は柔らかく、嫋やかで、大人しくて、男の性を感じられない。カイザーが日々世話している薔薇は、見れば見るほどネスの常識を狂わせてしまう。

プレイに支障が出なければいいが。

そんなネスの新しい不安をそのままに、ブラウはモデルの仕事で海外に行ってしまった。ブラウがアンバサダーを務めるブランドが市場拡大するため、イベントの一貫で一週間ドイツを離れるのだと。

しばらく顔を合わせなくて済む。始めはホッとしていたネスだったが、ブラウが旅立って一週間が過ぎ、二週間、三週間、……一ヶ月が過ぎると、別の意味で落ち着かない日々を送るハメになっていた。


「スマホも繋がらない……俺じゃなくモデルの仕事を取ったのか……ははッ」


ブラウ並みの無表情で悪態をつく我らが皇帝である。

ブラウ、早く帰って来て。

チームメイトの思いが一つになったところで、事態は別の方向へ急カーブする。

青い監獄 ブルーロック”。アジアの小国で行われているサッカーのバトルロワイアルから這い出た端役たちと、天才MF糸師冴を擁するU20日本代表の試合。そのベンチに見覚えのある美少年を見つけたのである。


「…………」
「…………」
「…………」


いやなんか髪切っとる。
青いメッシュ全部なくなっとる。
根本めっちゃ白プリンになっとる。
一つにまとめてイメチェンしとる。
カイザーが贈ったピアス外しとる。
膝にフジヤマ乗っけとる。
野郎の汚い手でもみくちゃにされとる。
アゴにニキビできとる。

──ソレ、全部カイザーの地雷。



「っすぅぅぅぅぅーーーー……………………」



モデルの仕事で行ったんじゃないのか何サッカーやってんだアイツ。

なんでバスタード・ミュンヘンの下部組織の選手が日本チームに入ってんだよ誰だ引き抜いたヤツ。

U20スタメン余裕のブラウがサッカー後進国の無名チームでベンチウォーマーってなんだ外国人差別かふざけんな。

ゲスナーが放送禁止用語を連発し、グリムが身悶えすぎて床にのたうつ直前。ネスがバッと手で制したおかげで、カイザー渾身の深呼吸が静かな部屋に響き渡った。



「クソ滅びろブルーロック」



ブラウ帰ってきて早く早く。


その後、コーチ陣に直談判しに行ったカイザーが、ちょうど居合わせたノエル・ノアに「俺がぶち込みました」とダブルピース(してない)で衝撃の告白をされ「クッッッソ老害!!」とあわや乱闘に発展しかける未来が待っている。


あれ、結局カイザーってただのシスコンでは?


俺の薔薇云々の演説に感動していたネスがスン……と正気に戻ってしまった。


僕たちの皇帝っていったい。




***




絵心甚八はイライラしていた。

人生をかけた夢のプロジェクトに横やりを入れられたのだ。

はじめは各国のめぼしい有名クラブチームに「こうこうこういうバトロワプロジェクトを日本でやりますよ」と情報を流し、後々の進行によってどうにか招集できないかという根回しの一貫だった。だいたい、というか99%のチームから「へぇそうなんだ? 頑張ってね」という手応えのなさで終わったが、こういうのはゆっくりじっくり有用性を周知しておくことで効いてくるもの。始めはこんなもんだ。予想通りの反応に絵心は何とも思っていなかった。

ところが、残りの1%──本命も本命も大本命のバスタード・ミュンヘン所属のエースストライカー、ノエル・ノアの名前で色良いレスポンスが帰ってきたのだ。

曰く、ブルーロックにぶち込みたい選手がいる、と。



「日本に革新的でエゴエゴなエースストライカーを誕生させるプロジェクトだと言ってるだろ蒙昧か!?」



バリバリのドイツ国籍でバリバリのU20ドイツ代表候補の選手が即日来日して監獄にシュートされた絵心の気持ち。

でもノエル・ノアに「どんな内容なのかも分からなければ俺の貴重な人生は割けない。先に行かせて様子見したい」と頼まれれば断るのも難しい。何せあのノエル・ノアに、引いてはバスタード・ミュンヘンの下部組織に貸しを作り、ブルーロックに引き入れる最良のカードになるのだから。

贔屓なしで遠慮なく他の選手と同じ内容でしごくし、落ちたらそこで終わりだという条件でお互い合意し、送られてきたのが彼だった。

登録名、ガビ・ブラウ。
本名、ガブリエル・カイザー。

新世代世界11傑に数えられる天才ミヒャエル・カイザーの弟。ストライカーに言われるがままボールを渡しチームに貢献し、ときどき手慰みにボールを恵まれシュートする。そこに熱も無ければ欲も無く、何が楽しくてボールを蹴っているんだと言わんばかりの虚無顔。機械仕掛けの合理主義人間ノエル・ノアの方がまだ感情豊かに思えてくる。

ザッと集めた映像だけでもガビ・ブラウの異質さは伝わってくる。シュートも、ドリブルも、パスも、インターセプトも、プレスも、ハンドリングも、トラップも、何もかも。どのプレイを摘まみとっても有名選手の有名なワンプレイから抽出したオマージュだ。

いいとこどりのキメラ人間。顔かたちの美しさに反比例するように、それは誰かのエゴによって形作られた醜いクリーチャーだ。

兄が望むプレイを、ただひたすらに繰り返して。


「きっもちわる」


それは、絵心が唾棄すべき最低最悪の邪教エゴだった。

誰がどう磨いたって最高の輝きを発するであろう原石は、他人のエゴで雁字搦めになっていた。自分の息苦しさも知らず、サッカーの楽しさも知らず、兄に使い潰される未来が目に見えている。

そりゃあノエル・ノアも東の島国に放り込みたくなる。環境を一新させることで彼の中の死にかけのエゴを刺激してやろうという一種の賭けなのだろう。絵心も同感だ。こういう原石にエゴを芽生えさせればどんな化学反応が起こるだろう。楽しい実験の時間にワクワクしちゃうね。

まあ、それはそれ、これはこれ、だ。

環境は貸すし、枠は一つ譲るし、見守ってはやる。しかしこれはあくまで日本の若い原石たちのための場所だ。ドイツの選手育成に積極的に力を貸してやるのは業腹である。

何より、あの邪教はこの環境においてある意味とんでもない遅効性トラップになる。

ガビ・ブラウは言われなければ進んでゴールを決めに行かない選手だ。逆に言えば、他人のゴールの世話を焼くことに慣れ切っているということでもある。つまり、一流ストライカーだろうがド三流ストライカーだろうが徹底的にアシストしてバンバカ点を入れさせる影の功労者。ある意味天才MF糸師冴の役の対極。オーダーメイドなプレイを瞬時にこなす至れり尽くせりな選手なのだ。

便利な道具は使い方を心得ていれば役に立つが、依存しすぎれば堕落に繋がる。楽にゴールできる味を覚えたストライカーは己の成長を忘れ、気付かぬうちに怠惰なゴミへと真っ逆さまだ。

使ってやっている意識が依存に変わり、いつの間にかガビ・ブラウに食われている。麻薬のような嫌ぁな選手なのだ。



「簡単に食われてくれるなよ、才能の原石共」



クックックッ、とデスゲームのマスターよろしく笑っていた絵心。

一応あちらと条件のすり合わせをしておこうとあらかじめ面接したガビ・ブラウは、英語はペラペラだったが日本語はゴミだった。ほぼ喃語の片言に英語で心にもない激励をしながら投げた『はじめての日本語』。現在は五つある伍号棟のうちの一つのチームZ274番として共同生活を送っている。

流石に生粋のドイツ人が参加しているのはおかしいので、最近家庭の事情でドイツから引っ越してきてもうすぐ帰化するクォーター、青原あおばらガビくんという設定で伝えてある。選手たちを騙す罪悪感も選手に嘘をつかせる罪悪感も絵心にはない。

日本人サッカー選手が海外に行って最初に直面する問題。言葉がロクに通じずチームメイトから距離を取られる疎外感。今現在の彼は同じ気持ちになっていることだろう。

俺たちの苦労を身をもって味わいやがれ世界。

完全に私怨の八つ当たりでしかない絵心の高笑いに、帝襟アンリはドン引きしながらカップ麺を補充した。

それから数日後。




「青原ぁ、カレー食ったことないってマジ?」
「ん、かりー?」
「ほれ一口。あーん」
「んぐ、ん、うぐ、……うま」
「だろー! 日本の国民食だぜ!」
「ガビ、コレは? サンマってドイツにはないっしょ」
「さんみゃ……fish、うまうま……」
「ギョーザ好きだろ、一個やるよ」
「ぎょざ? ありがと、……うましかて」
「ぎゃはははは! そーそーうましかて!」
「まいうーって言ってみ? じゃぱにーずやみー、まいうー」
「Japanese food、まいうー」
「ホントに言いやがった! ヤベェ!」
「ガビ、口にカレーが付いている。オシャじゃない」
「む、Thanks」
「ユアウェルカム」


食堂の一角にちょっとした人だかりができている。その中心には、周りからおかずを少しずつ献上されながらもぐもぐ食うドイツ人。無表情なのに心なしか目を輝かせているように見えるのは、きっと気のせいじゃない。

日本食は、世界的に見て確かにうまいことで有名だが、そこまでドイツ人の舌に合ったのだろうか。というか美少年とはいえ、180cmの野郎一人を挟んでギャーギャー騒げる男子高校生ってなんだ。

それをカメラ越しに見ている絵心と帝襟。


「外国人が初めて日本食を食べて絶賛する動画って結構バズりますよね……」
「ああ、Y0Uは何しにニッポンへ的な」
「そんな感じです」
「娯楽がない環境だとY0uTube感覚なのかねぇ……」
「ですねぇ」


才能の原石共が自主的におかずを食われている。

簡単に食われてくれるなよとは言ったが、食われるってそういう意味じゃない。

カップ焼きそばをすすりながら絵心の目は死んでいた。





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