正体を知らずにオフへるリドル



リドル・ローズハートには文通相手がいる。

宛先は不明。後輩であることは知っているがどの寮の所属かは知らない。詮索しないことがいくつかある条件の一つに盛り込まれていた。

きっかけは魔法史のレポートについてモーゼズ・トレイン教授に質問しに行った時だ。専門家らしい彼の有意義な意見をいくつかいただき、代わりに秀才らしい考察を理路整然と組み立てる。その最中、レポート用紙に目を滑らせていたトレインがとある単語の選択意図を尋ねてきた。第二言語で書かれた長文は学生の域を軽く飛び越えてはいるが、書きなれた学者と比べればいささか甘い。

論文を発表する際は第二言語での筆記が避けて通れない必須技能となってくる。口頭であれば第一言語で十分伝わるが、世界中に記録として残すのであれば第二言語も網羅することで論文としての真価が発揮される。地域によっては第一と第二の識字率が逆転している地域もあるのだ。論文とは全世界の人間が読めて理解できなければ活かせないのだ。

リドルは問題なく第二言語を読むことができるが、こと筆記となるとどうにも古めかしく固い文面になりがちらしい。意味は通っても難しすぎれば理解の妨げになる。バランスがどうにも難しいのだ。


「ローズハートが寮長として多忙なことは知っている。その上で、無理にとは言わない提案なのだが」


しばらく逡巡してから切り出したトレインが言うのはとある生徒の存在だった。

特殊な生い立ち、特殊な環境で育ったため、本人を特定できるような情報は伏せられた。なんでも、その特殊さゆえに他者とコミュニケーションを取る機会がほぼなく、第二言語の方をはじめに習得してしまった。いわば母国語と言っても差し支えないほどに熟達している。しかし第一言語は壊滅的で入学時はプライマリースクールのレベルだったとか。にも関わらず、第一言語による筆記が当たり前のこの名門校で赤点を取らない程度の成績を修めている。もし言語的な成長があればさらに優秀な生徒として才能を伸ばせるだろう、と。

そこで、だ。


「私経由にはなるが、文通をしてみないか」
「文通、ですか」
「私がそれぞれ課題をだしてもいい。第一言語と第二言語、二種類の言語で記入し、それぞれ添削をする。お互いに利のあることだと私は考えたが、あくまで負担にならなければの話だ」


滅多に笑わない厳めしい顔にほんのりとした熱を乗せて語るトレイン。そこまで言わしめる相手にリドルも興味がわいてきたほどだ。


「今の段階ではどれほどのメリット・デメリットがあるのか分かりかねます。試験期間を設けても構いませんか?」
「もちろんだとも。感謝する」


ここまではっきりとした感謝をトレインから言われたこと自体初めてで、リドルの興味に花を添える言葉であった。

さて、そうこうしているうちに季節は過ぎ去る。期末試験の終わりから始まった文通は、ウィンターホリデーが明けた新年の今でも続いている。


「今日は機嫌がいいなリドル」
「そ、そんなことはないよ。いつもと同じ、変わりない」
「そうか? 俺はてっきり日替りランチのデザートがイチゴババロアだからかと」
「トレイ。ボクはそこまで食い気で生きていないさ」
「そうか? 次の何でもない日のパーティーは旬のイチゴで何を作ろうか悩んでいたんだがなぁ」
「トレイ!」
「あはは! すまん」


冬の朝は寒い。気温が低い分、空気が澄み切っていて妙に清々しい。

もうすぐ全国魔法士養成学校総合文化祭が始まる。実行委員会のリドルは東奔西走し時間が取れなくなる。トレインの計らいから今回の手紙でしばらく文通はお休み。寂しくは思うがまだ開けていない中身が気になってそわそわしていた。昨日の放課後にトレインから受け取ったそれは課題や寮の監督で時間が取れずまだ読めていない。今日の昼休みか、放課後の図書室でじっくり読んで添削するつもりだ。

初めて彼の手紙を開いたときは盛大に後悔したものだ。トレインの誇大表現かに思われたプライマリーレベルが本気も本気だったから。接続詞もなく散文的で短い文章の連なりがレポート用紙一枚分、ビッシリ。根気強く最後まで目を通せたのは、ビッシリ書くほどの熱心さがあるのだと好意的に受け止めたから。それでもこの文章を添削するのかと呆気にとられたのは確かだ。いったい何歳から第一言語を学び始めたのだろう。

軽い頭痛を覚えつつ、重なった二枚目のレポートをめくる。そして頭痛は一気に引いていった。

彼は確かに、トレインが認める頭脳を持っていた。

“ハートの女王専属帽子屋の格言と梯子式パズルの関連性”
“百獣の王在位以前と以後の民族分布相関”
“古代トリトン王所有のトライデントに付与されていた魔法式解析”
“砂漠の魔術師による魔導式電力供給の仕組み”
“美しき女王の鏡と闇の鏡の類似性と相違性”
“幻の金の皿の三枚説と十二枚説”

第一言語と比べるまでもなく達者な第二言語で書かれたレポート。滑らかでいて読みやすい言葉選び、固くなりすぎず端的な文章はリドルが見習うべきもの。第一言語の拙い文と並べれば相手の努力も窺えるというもの。内容もまた独創的というか、様々な分野の知識をパッチワーク状に繋げた考察は粗削りでもあり目新しくもあった。贔屓の小説家の新刊を読みふけるのと間違い探しのパズルを解くのを合わせたような、その手紙は勉強でありながら娯楽でもあった。

いったいどんな人間がこの手紙を書いているのだろう。
どうして第一言語もおぼつかない環境にいてこうも難解な考え方を身につけられたのか。

夢から醒めるように差し込まれる疑問。きっと彼はある程度の年齢まで型に嵌った教育を受けてはいない。そうでなければこんな荒唐無稽な知識の切り貼りはしない。誰に言われるまでもなく自ら学ぶことを選び、取捨選択を繰り返して現在に至っている。

母にお膳立てされ順番にすべて詰め込まれてきたリドルと違って。


『どうせ大した魔法も使えない親から生まれて、この学園に入るまでろくな教育も受けられなかったんだろう。実に不憫だ』


過去に言った事実はなくならない。特定個人へ向けたはずの侮蔑は、会ったこともない不特定多数へ無遠慮に伝播する。

リドルは、ハーツラビュルの寮長であるリドル・ローズハートが差別的な言動をとることの危険性を十分に理解している。ナイトレイブンカレッジの生徒のうち苦学生から憎々しげな目を向けられることがたまにあった。きっと己の悪行の一つとして校内に回っているのだろう。

当時はストレスと想定外のハプニングで頭に血が昇っていたために普段控えていた言動を曝け出してしまった。……生まれや環境は、自分ひとりでどうにもできないことを真に理解していなかった。

彼の手紙に触れるたびに思い知る。過去の自分の視野狭窄と醜い選民思想。与えられるものを口を開けて待つ子供と自ら食らいにいく子供の差。

彼はリドルのことを知っているだろうか。
知っているのならどう思っているだろう。

怯えと、切なさと、期待と、諦めと。スプーンでぐちゃぐちゃにかき回したそれらを無理やり口の中に流し込む。そんな日々を繰り返し、繰り返し。

「はぁ……」さきほどまでの浮ついた気分が一気に落ち着きを見せる。あえて触れずに視線を逸らしたトレイとともに校舎へと足を踏み入れた、次の瞬間。


「どけよ雑魚ども」
「え……」


背後から吹き抜ける突風。その後ろを追従する巨体が誰かなんてすぐに分かった。


「フロイド! 廊下を走るものではな、」
「金魚ちゃんストップ」
「何を、」


ビュッ!!

鼻の先をかすめる何か。キュッと石畳とローファーがこすれる音がし、遅れて数メートル先にたたずむ白い影を視認した。


「また君かい、ルエラ・キングスカラー!」
「う?」


白い肌に白い髪。第一ボタンまでキッチリ留めてネクタイも完璧なくせに規定よりもオーバーサイズのカーディガンを羽織ったチグハグな制服。ゆるりと揺れるライオンの尻尾が余裕さの現れのようで、リドルの眉間にグッと力が入る。


「大人数が通行する廊下で走ればぶつかって怪我をする生徒がいるかもしれない。何より校則という全生徒が遵守すべき規律に反している。この注意は既に四度目だ。お分かりだね?」
「ぶつかる、ない。All right.」
「君はボクの話を聞いていたのか? ボクは校則だと、」
「あ〜〜金魚ちゃんとろいもんねえ。こんな遊びの追いかけっこでもぶつかったら大変。だってこぉんなに稚魚ちゃんだもん」
「う? 私、誰にもぶつかるない」
「…………」


リドルだって分かっている。悪意があるのはフロイドだけで、ルエラの言葉に悪意はない。分かっている。注意する段階では分かっていたんだ。本当のホントに。だって今のリドルはオーバーブロットの件で学んだ。みんな努力して真面目に生きていてもリドルのような能力を発揮できない。誰もかれもリドルと同じ人間はおらず、逆もそう。このギャップは今後の生活を通して根気強く埋めていかなければならない課題だった。

分かっているとも。もちろん。ボクは賢いから。


「なにこれ、手紙ぃ? スマホがあるのにどーしてこんな面倒なことやってるの? 俺知ってるよ、陸だとお手紙書く動物はヤギなんでしょ。金魚ちゃんいつからヤギになっちゃったワケ?」


ピラピラと揺れる、飾り気のないナイトレイブンカレッジ指定の封筒。いつの間にか挟んでいた本からすり抜けた。もっと大切にファイルに挟むべきだったのに、昨日の今日で慌てて持ち出した、ボクの──。


「ダッセ」


「──規則を破る愚か者どもが!! どちらが正しいか思い知らせてやる!! 『首をはねろオフ・ウィズ・ユアヘッド』ォ!!!!」



「ってェ!」「?」ガチャンガチャンッ!!

巨体と細身の首にハートの首輪が嵌められてもリドルのウギギギはしばらく治まらなかった。









言い訳をするなら、リドルは一時一瞬、ルエラこそが手紙の相手ではと疑ったことがあった。

脳に不具合があるのかと心配になるほどたどたどしい言葉遣い。プライマリースクールの子供じみた仕草。第一言語が不得意な一年生という点で手紙の彼との共通点が確かにあった。

その可能性を否定したのは彼がキングスカラーだったから。

夕焼けの草原の王族が教育を受けられないわけがない。魔法教育に限らずすべての学問において一般人よりも手厚く指導が入るはずだ。それは兄であるレオナと会話すれば分かること。手紙の彼のように自ら食らいつく必要のない恵まれた立場。そのくせ第一言語すらおぼつかないとくれば、恵まれた立場を有効活用しなかったルエラの不真面目さが推し量れるものだ。

ルエラが彼なわけがない。何よりあんなに話が合わないし。最近フロイドと仲が良さげだし。

あれこれ並べ立てた理由が、気に食わない相手が親しみを持った手紙の相手だと知りたくなかった意地だと自覚したのは思いもよらない場所でだった。


「あ、あのー、レオナ氏さ、妹とかいたりする? ルエラ氏の双子とか」
「何が言いてぇカイワレ大根」
「いやいやいや聞きたいのは拙者の方っすわ! あたおか案件なんだよホント! 君らの護送機を追って単身乗り込んできた化け物フィジカルな侵入者がいましてね。寒中水泳とかなにどんな身体強化使ってもせめて箒くらい乗るでしょふざけて「おい」そそそそれでね、その人物をオルトの生体スキャンにかけたところ97.54%ルエラ・キングスカラーと一致しまして、………でもでもまさかですぞ、そのぅ、」
「はぁー−…………。ルエラとほぼ完全に一致した相手が女だったってんだろ。当たり前だ。ルエラは俺の妹だからな」
「は?」


この場にいる寮長副寮長の全員。レオナとオルトを除いた皆が目を口を開けて今しがた聞いた内容を脳で咀嚼しようと必死だった。

『S.T.Y.X.』によるナイトレイブンカレッジ強襲。結果捕らえられた自分たちを運んだ護送機は恐らく空を飛んだ。時間からして賢者の島を出ている。島の外は海で、追跡手段に箒や妖精の転移魔法を使うならともかく、寒中水泳? 泳いで身一つで国境を越えた? 化け物? どこのルーク・ハント?

加えてウィンターホリデーのスカラビア事変の当事者ではないリドル、ヴィル、イデアは別の衝撃で頭をぶん殴られていた。

あのルエラ・キングスカラーが、──女?


「これは忠告だが、アイツと真面目に“おしゃべり”したいなら筆談がベストだ」
「マ? 言葉より先に文字覚えたパターン?」
「ああ、それも第二言語を独学でな。翻訳アプリくらいあんだろ」
「オルトに搭載済みっすわ。いやぁ〜意思疎通に難がある相手とネゴとか無理ゲーだと難儀しておりました。さすが兄ですなレオナ氏。さす兄」
「褒めてんだか知らねえがお姫様の扱いを誤るなよ。アイツは魔法なしでもこの壁をぶち抜く」
「い、妹君のことよく知ってらっしゃるぅーさす兄ぃー(棒読み)」
「そろそろしばくぞ」


この会話で固まったのは、おそらくリドル一人だった。

筆談がベスト。第二言語を独学。ということはメジャーなはずの第一言語が不得手で、きっとまともな教育を受けていない。

そんなの、こんなの。


「彼は、彼女は、」



ボクは、誰と文通していたんだ?










「お前はどうやって言葉を覚えた?」


唐突すぎる質問だった。

嘆きの島の研究機関にて粗方の検査を終え、帰りの便を待つばかりの被験体が集まる会議室。ファントム移送中のために缶詰になった面々はオルトオススメのゲームをすることで時間を潰していた。

リドルは比較的弛緩した室内の空気にかこつけてレオナに近寄った。

ルエラのことをなんでもいいから知りたかった。彼──彼女は何者なのか、自分が納得できる答えが知りたかった。


「赤ん坊の記憶は、本人は覚えていなくても頭の片隅には残っている。案外バカにできねェらしいな」
「え、ええ。言語野の発達には視覚や聴覚情報で母国語に触れ親しむことが重要です。情操教育の面でも必要な要素でしょう」
「なるほどな。言葉が通じねェからと言って完全に放置するのは健全な成育を妨げる、と」


何が言いたいのだろう。

レオナは硬いソファに寝転んだままこちらを一瞥もせず、口だけが達者に脈絡のない話題を紡ぎ続ける。リドルは突然始まった話についていくのがやっとだ。


「輝石の国で大昔に行われた実験だ。目を合わす・笑いかける・話しかける等の愛情表現を完全に禁止された魔導人形に育てられた赤ん坊はどんな言葉をしゃべるのか。結果は、言語をしゃべるより早い段階で免疫力が低下し乳幼児を脱する前に全員衰弱死したらしい」


愛情表現。言語。衰弱。
拙い言葉にレオナとは真逆の真っ白い髪と肌。

こじつけだと信じたい気持ちと、真実に手を伸ばす知識欲とがせめぎ合う。

パシンッ! 不機嫌、とまではいかずとも、物を言いたげにソファを叩く尻尾。ラギーならレオナの機嫌の変化を察知できたのだろうか。


「もちろん禁じられた非人道的実験だ。現代じゃ闇に葬られて久しいな」
「…………ルエラ・キングスカラーが、その被検者だと?」
「おいおい、テメェのユニーク魔法はゴーストにも首輪をつけられる特別製か?」


そう。被検者の赤子はすべて死んだというなら、現在まで生きているルエラが過去その実験を受けていたはずがない。しかしながら、怠惰なレオナが無関係の話題をこのタイミングで懇切丁寧に説明する理由もない。

王族という誰にも弱みを見せてはいけない立場にいるレオナが見せた譲歩。ギリギリ開示できる情報の一端。

束縛、放任。
教育、無視。
過干渉、ネグレクト。


──君は、本当にボクと正反対の人生を歩んできたんだね。


リドルは叫び出したい衝動を唇を噛むことで押しとどめる。そして二度三度息を整えると、乾く唇を舌で湿らせて、つい最近自覚させられた本当の願いを、まだ知人でしかない彼女の兄に浴びせかけた。


「お友達に、なりたいんです」
「あァ?」
「ルエラと面と向かって対等に話せる間柄になりたいんです」
「正気か?」
「ッ当たり前です!!」


つむっていた目が急に開いて、あまりにも信じられないと言わんばかりの目をするから。生来気が短いリドルは大きな声で詰め寄ってしまった。

狭くはないが広くもない会議室にリドルの声が響き、ゲーム画面から目を離した面々の視線が刺さる。何より一定数レオナと同じような視線を向けてくるので、恥ずかしいやら腹立たしいやらで地団駄を踏みたくなった。


「お前が後悔しないってンなら止めないが、アイツの中でのオトモダチは普通じゃないぜ。自分から近寄ってって期待外れだから離れていく、なんてダサいことする前に初めから近付かなきゃいい」
「その言いぐさは、まるでボクを追い払おうとしているみたいだ。何故兄であるあなたが妹の交友関係を狭めようとするんですか」
「狭めてるんじゃねぇ。選別しているんだ。どんな理由であれ可愛い妹に近寄る男を見定めようとするのはおかしいことか?」
「んなっ!? まるでボクが疚しい気持でも持っているみたいに、」
「言葉の綾だって分からないものかねぇ。それとも図星か? 顔がマントヒヒみてぇに真っ赤だぜ、坊ちゃん」
「うっ、うぎっ」

「ちょっと、こんな狭苦しいところで喧嘩しないで。これ以上のストレスは御免被るわよ。レオナ、妹ちゃんに過保護なのは結構だけれど、交友関係にいちいち首を突っ込むのは身内の過干渉よ。妹のアイデンティティってものを認めてやりなさい。リドル、レオナはさっきのネコちゃん扱いでご機嫌ナナメなの。とっくに下がっている沸点をこれ以上下げるような真似はやめてちょうだい」


鶴の一声、ならぬヴィルの一声で霧散した火種。舌打ち一つで再び寝る体勢に落ち着いたレオナと、呆然と立ち尽くしたリドル。その横に近寄って来たのは、ルエラの所属する寮の副寮長。


「レオナ先輩の味方をするわけじゃないが、リドルにルエラは扱い切れないと思うぞ」
「君までそんなことを言うのかいジャミル!?」
「スカラビアの副寮長として日夜接している俺の意見だ。参考までに留めておいてくれ。アイツは、絶対、リドルとは馬が合わない」


経験者は語る。実感のこもったアドバイスを素直に聞き入れるには、リドルの頭に血が昇りすぎていた。

レオナとジャミルの忠告を真の意味で理解するのはそれから少し後。イデアとオルトが冥府の門を開け、ファントムが大量に飛び出し、世界が混沌に包まれようとした大事件をなんとか収めた帰りの輸送機の中。

冥府に近づきすぎた反動で魔力を失い老人になってしまったヴィル。狭い箱の中にわんわん反響する泣き声に誰もかれもが参っていた時である。


「あー−うぜぇ。誰かアイツを黙らせろよ」
「わかった」
「あ?」


嘆きの島に身一つで不法侵入したルエラはイデアの指示を忠実に守り、騒動が起こる前から今の今まで同じ部屋にジッと引きこもっていた。事件後、イデア先導の元で部屋に立ち寄り、レオナが差し伸べた手に手を取ったことで同じ護送機に詰め込まれ現在に至る。

ボロボロの面々の中で、一人だけ綺麗なスカラビアの寮服を着た中性的な美少女が薄暗い護送機の中をスイスイと歩き、身も世もなく悲嘆にくれる老人の前に立つ。そして枯れ枝の如き骨だらけの手をそっと顔から退けて、ビックリ上向いたヴィルに唇を寄せた。

ぷっっっちゅううう−−−−−。


「は」
「エッ」
「へ」
「ひぇ」
「わぁ」
「?」


おめでとうございますどこからどう見ても立派なディープキスですありがとうございました。

歯抜けてシワシワに萎んだ唇から瑞々しい乙女の唇がチュッと離れる。猫ちゃんよろしく仕舞い忘れた舌がチロリと赤く、衝撃の抜けきらない面々が我知らずゴクリと生唾を飲み込んだ。


「兄上、だまるしたよ」


実行犯が抜け抜けとほざく。

ルエラの冷たく煌めく緑の瞳は一心に兄へと注がれる。ハッと我に返った何人かがレオナを見遣り、そうしてとんでもなく表情が抜け落ちた“““無”””の美貌にヒュッと息の根を止められかけた。


「消毒液、は口腔粘膜には非対応。この場で手に入るわけもなし。記憶を消す……いや、皮膚そのものの切除が早いか。ヴィルの口を『王者の咆哮キングス・ロアー』で乾燥させれば効率的に剥ける……」

「か、確保ぉーー!!」
「ノンッッ!!!!!!」


エペルからのユニーク魔法を弾き、悲鳴を上げたルークの容赦ない拘束から逃れようと足掻く兄上。衝撃すぎて固まるリドルとアズールと監督生、コメカミや眉間を揉むジャミル。「ルエラのユニーク魔法は魔力を注ぐのに特化していたなぁ……」諦めたような呟きは誰にも拾われずに落下してしまった。

狭っ苦しい護送機に吹きすさぶ嵐の中、エリック・ヴェニュー似のナイスミドルにまで若返ったヴィルと膝に跨ったままのルエラは、お互い感情の分からない顔で見つめ合った。


「元に戻るまで何回か頼めないかしら」
「だまるしたよ?」
「分かった今から泣き叫ぶわ」
「よしキングスロ、」
「ヴィル! 二度も獅子の尾を踏むのはやめておくれ!」
「死ぬなら美しい姿で死にたいの」
「滅多なごど言うもんでぬぇーー!!!!」


世界の危機を救って満身創痍とは思えない第二ラウンドだった。

レオナとヴィルを中心とした乱闘から弾き出されたルエラが真っ直ぐリドルのところまでやって来る。

お友達にと望んだ相手とはいえ、ついさっき間近で見たショッキングなシーンが鮮烈すぎて顔を合わせられない。というか、ルエラと面と向かって話す時はいつもフロイドを交えてオフへっていたので、落ち着いて喋る機会はこれが初めてだった。

まずは、文通の件を確認して、お互いのことを話して、と、友達に……。


「あかいりょーちょー」
「っな、ぼ、ボクにはリドル・ローズハートという名前が、」
「リドル・ローズハート」
「ぁ、あぅ……」


なんでこんなに口籠もってしまうんだろう。

ヴィルのものか、本人のものか、てらてらとした唾液が乾き切っていない唇が柔らかく形を変える。そこから視線が外せないリドルはいったいどんな魔法をかけられたのか──。


「リドル・ローズハートもうるさいする?」
「は?」


緑色の目が、冥府に近付きすぎたせいで色が抜けた髪を眺めている。


「むらさきりょーちょーみたい、うるさいする?」


それは、ここで喚いたらヴィルのように口を塞ぐと言いたいのか?

ボクの唇に、君の唇が、ぴっとり合わさる。生々しいヴィジョンがリドルのハイになった思考回路に強烈なショックを走らせ…………。



「……………………」
「ちょ、リドルさん? リドルさーーん!?」


アズールが肩を叩き、ジャミルが頭を抱える中、リドルは目を開けたままキャパオーバーで失神した。


お友達って難しい。




***




嘆きの島にやって来る少し前のこと。


「あ〜〜〜金魚ちゃんじゃん」
「げッ、フロイド」
「今ね、ヒメゴンべちゃんと追いかけっこしてんの。金魚ちゃんも混ざる? すぐ捕まってつまんなそうだから、手加減してあげんね」
「誰がそんな幼稚な遊びを……だいたい、廊下を走るなといつも言っているだろう!? 君もだよルエラ・キングスカラー!」
「廊下じゃなかった。さっきまで外、です」
「そんな屁理屈でボクに口答えしようというのかい!?」
「くちごた……なにです?」
「金魚ちゃんの言ってることつまんないんだってぇ。あはっ!」
「う、うぎいいいいいいいい!!」


障害物競走さながらに学園内の施設やオブジェの隙間をすり抜け、薄く広く伸ばした円で目的の人物を見つける。そうして引っかかった瞬間に方向転換して、わざと視界に入るように誘導した。

リドルに厄介事を押し付け、ルエラは何事もなかったように植物園の温室へと走り去った。


「兄上、ごきげんよー」


いつもの縄張りで寝転んでいたレオナがゆるりとまぶたを開ける。その実、先んじて鼻とライオン耳が妹の来訪をキャッチしていた。

わざわざ足音を聴かせているルエラも、声をかける前から兄が起きていることに気付いていた。ちょこんと膝を合わせて兄のそばにしゃがみ込み、首を傾げるように上から覗き込む。同じ緑色の瞳が同じように眠そうに瞬いた。


「挨拶なんざいちいちいいんだよ。どこで道草食ってやがった」
「Main street、ひがしの中庭、外のろーか、井戸のまわり、Library、ここ」
「またフロイドに追い回されたか」
「ん、あかいりょーちょーにおねがいした」
「クククッ! お前も悪くなったもんだなァ。赤い坊ちゃんに厄介事を押し付けるなんざ、誰に似たんだか」
「? 兄上?」
「あァ? 兄貴を悪者扱いとはどの口だ? これか?」
「んみぃー」


ゴロンと体勢を変え、妹の頬を摘み上げる。されるがままにしているルエラは嫌がるどころか引っ張りやすいように顔を近付けてくるので、レオナは余計に遠慮なく妹の顔を揉みくちゃにした。

無表情で硬質な美貌も触れれば柔く脆い。顎下をかいたり耳の根元をくすぐると本物の猫より猫らしい。そのくせ兄の声を待つ様は室内飼いの仔犬だ。(クルーウェルには絶対に見せねぇ)クルーウェルがよく訪れる植物園で兄は決意した。


「お前、オトモダチはできたのかよ」


学校生活は上手くいっているか、などと直球に聞くのは気まずく、言い淀んだ末のその質問は思いも寄らない答えを引き出した。


「オウサマ、怒る?」
「あァ?」
「ともだち、まだ作れない。けっこんできない。私、役立たず?」
「………………」


けっこん……結婚と来たか。

ルエラはわりと大真面目にナイトレイブンカレッジに婿探しに来ている。婿そのものは難しくともコネクションを作って嫁入り先の候補になれれば、と。つまりお友達とは額面通りのお友達ではなく、『まずはお友達から始めましょう』という男女のお約束的なアレである。

妹の複雑怪奇な思考回路を、レオナは直感で正しく理解していた。

しかし、妹がそのような考えを持ったのは誰の入れ知恵だろうかと居もしない犯人探しが密かに始まるのは仕方ない。脳裏に浮かぶイヤァなジジイたちのせいでレオナの眉間に深いシワが刻まれた。


「お前、一人で何とも思わないのか?」
「どーいういみ?」
「……さびしくはないか?」
「兄上がいればいーよ」

「なら、友達なんざ無理に作らなくていい」

「無理に?」
「どーしてもってんなら止めねぇよ。お前の人生だからな」
「……うん」


王宮の有象無象どもは、ルエラを早く他所に嫁がせて厄介払いしたくて仕方ないのだろう。ならばこそ、ふてぶてしく居座ってやれば良い。レオナがわざとナイトレイブンカレッジで留年を繰り返しているように、ルエラも好きなだけここに居座ってしまえ。不幸を願う連中の思い通りになって堪るかという話だ。

レオナの目が届く範囲で、穏やかに、伸び伸び。


そういう考えこそ、ルエラを縛る鎖でしかなかったのか。


『S.T.Y.X.』に連行されたレオナを追ってルエラがやって来た。レオナという人質を取られたルエラは下手に動けず一人部屋に閉じこもっていたらしい。冥府の門が開いてファントムがうろつく危険な施設内で、逃げもせずジッと同じ部屋に座り込んでいた。全てを終えてイデア先導の元部屋に押し入ったレオナを見上げた妹。あの緑色のガラス玉に見つめられて、自分は間違っていたのかと自問自答した。

レオナの存在が、ルエラの自由を損ねている。

そんなつまらない考えが、ナイトレイブンカレッジに戻ってからも完全に引き剥がせないままでいる。


「やっぱり一人くらい作っとけ」
「なにを」
「オトモダチ」
「ん。わかった」


サバナクローとポムフィオーレで粗方バチバチにやり合った後、友達不要から推奨へと掌返ししたレオナにアッサリ頷く妹。前までは当たり前に享受していた従順が、今は少し苦い。

それからどんな経緯があったのかは詳しく知らないが、恐らくはハーツラビュルの三年が手を貸したのだろう。予定調和のようにリドルと友達になり、文通は論文より幾分砕けた内容のものに変わり、頻繁に植物園で短いやり取りをする姿が目撃される。何故植物園ってココはレオナのテリトリーでサイエンス部の活動場所なので。両人の保護者が定期的に見守れるベストスポットなのだ。


「ルエラ、先生方へ提出するなら“して”ではなく“いただきたい”くらい固い文面にした方が適切だよ」
「いた、いただき、」
「いただきたい」
「いただっきたい」
「よろしい。先日の小テストではスペルミスが二つだけだったそうじゃないか。トレイン先生も喜んでいたよ」
「でもふたつミスある」
「そうだね、次は完璧な答案になるよう励むように」
「はぁい」


マジカルペンでサラサラと綴りを教えるリドルの隣で同じように何事かを書き取るルエラ。厳しいリドルの眉がほんのり弧を描いて頷くので、それなりに読める文字にはなっているのだろう。

家庭教師と生徒のようなやりとりを頭を突き合わせてコソコソクスクス囁き合う。美しい友情と言えば聞こえはいいが、問題は次の瞬間に起こる。

目を細めてルエラの書き取りを見つめていたリドルが、ある一点。およそ半開きの薄い唇に視線をやった瞬間、ポッと。成長期の兆しが遅いまろい頬を薔薇色に染めてしまう。どころか、ルエラの無機質な緑色がリドルに向けられると、先ほどまでの優秀な教師の皮がベロベロに剥がれ落ち、視線をさ迷わせしどろもどろの壊れたラジオに変わってしまう。

まるで恋に恋する乙女だ。


「チィッ!!」


女に免疫がないからって人の妹に鼻の下伸ばしてんじゃねぇよ。

レオナはオトモダチを作ることを推奨したが、オトモダチ以上の関係は一切許していない。ならばどうしてこの状況を放っておいているのかと言えば、リドルがその先に進みたがるような思春期すら迎えていない幼稚園児のソレでしかなかったから。この程度なら悍ましい展開に進むこともないだろうし、安易に妹のオトモダチを失くすことは避けたかった。

あと植物の隙間から真っ青になってハラハラ見守るメガネが愉快すぎたのもある。ルエラ・キングスカラーはナイトレイブンカレッジに正式に入学を許可された男子生徒()なので、幼馴染がデレデレする相手としては不穏でしかないのだろう。隣のにんまり狩人もバラす気はないようだ。相変わらずイイ性格をしてやがる。自分のことを棚に上げてレオナは鼻を鳴らした。

この腹立たしくも愉快なおままごとじみた友情を、兄らしく見守ってやることにする。そう決めたのはレオナの兄としての矜持であり、妹を無意識に縛り付けている自分への戒めでもあった。

いつもの定位置で仰向けで寝っ転がったまま静かに目を伏せるレオナ。特定の記憶だけを消去し、唇の皮膚を一瞬で作り変える効能を併せ持つ魔法薬を、毒のスペシャリストに気付かれず飲ませる算段を優秀な頭脳をフル回転で考える。最近のレオナは昼寝も忘れて妹のファーストキスをなかったことにする完全犯罪にお熱だった。

サバナクローとポムフィオーレの第二次全面戦争も近い。

リドルとルエラのほのぼの友達ごっこの周りはわりと物騒で構成されている。本人たちは預かり知らない現実だった。




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