ホワイトノイズ・キャンセル



以前の失敗を反省して、この軍艦が偉大なる航路に入ることはあらかじめ確認していた。

夜中の内にルエラの円をフル活用して見張りの目をかいくぐり、一番奥まった予備の武器庫に身を潜め、つどつど人の足音に耳を傾け、息を殺す。長時間ジッとしていることはルエラはもとよりドリィも劣悪な海賊生活で慣れている。期せずして隠れることが得意な二人組は、密航にとても向いていた。

問題は、船が安心安全に航行してくれるかである。

凪の帯に突入してからしばらくして、船体が大きく傾いた。立てかけてあった槍やら剣が転がって来てドリィは慌てて飛びのいた。腕を引かれたルエラも危なげなく避ける。そういうことを何度か繰り返し、冷や汗を流したドリィにルエラは小さく告げた。


「おっき、しゃかな、どんどん」
「大きい魚……海王類か!?」


軍靴が走り回る音がひっきりなしに響いてくる。

海軍の軍艦なら安全に凪の帯を通り抜けられるはずじゃなかったのか。

暗闇に慣れた目が四つ、天井の向こうの甲板を見上げる。大砲の準備をする砲撃兵たちと支持を出す上官の怒号が近くから聞こえる。連続する爆発音。終わりなく続く砲撃に海軍の焦りが察せられる。

もしかしてこのまま沈むんじゃ……。

海王類の群れの海に放り出されたらひとたまりもない。戦々恐々するドリィは、それから数分後。ようやく治まった揺れにホッと汗を拭った。辛くも海王類を仕留めるに至ったらしい。この調子でサッサと凪の帯を抜けて安全地帯まで進んでほしい。


「大丈夫そうだな、ルエラ…………ん?」


ドリィの腕の中に抱き込まれていた子供は、先ほどと比べられないほど身を固く強張らせて宙を睨んでいる。

今のルエラには重さしかない。触れて見えているのに、まるで存在など初めからしなかったように、生きている気配を丁寧に消してしまっている。

警戒している。

ドッと心臓が嫌な音を立てる。治まれ、治まれと言い聞かせてもそれは止まず。鼓膜の内側で拍動する心音と、部屋の外から近付いてくる足音が輪唱し始めた。

きぃぃぃぃ…………。


「お、ビンゴ」


扉が開ききると同時に、誰かが頭を下げてぬっと入って来た。白いスーツに青いシャツ、アイマスクを額につけた大男だ。眠そうな半目がドリィを見、ルエラを見、梟のように思いっきり首を捻った。

何の意図があるのか分からない。ギュッとルエラを抱き込むドリィ。大男はそれから思いついたように部屋の外に体を出し、こちらからは見えない誰かに顔を向けた。


「お前らそれでも軍人か? ガキ二人も見逃がしてんじゃねェよ」
「もっ申し訳ありません大将青キジ!」
「基地に戻ったら一から鍛え直せよ〜」
「はッ!」


たいしょ、……大将!?




***




海軍本部大将青キジことクザンさんじゅうろくさい。自前のバイクで(海上を)走り出す。行く先も分からぬまま、誰にも書類に縛られたくないと逃げ込んだ北の海でサイクリングを堪能し、そろそろ自由になれた気がしたので逆走した凪の帯でのこと。

明らかにトラブっている海軍の軍艦に出くわしたのだ。

よっぽどのことがない限り、軍艦が凪の帯で海王類に囲まれることはない。船底に敷き詰めている海楼石が海と同化して軍艦の存在を隠してくれるからだ。ただし、気配は誤魔化せても実際に消えることはできない。海面から顔を出して見られたりぶつかられたら問答無用で気付かれてしまう。ゆえに、凪の帯を渡る際はそれなりに慣れた者による隠密行動が求められるのだが……。


「バカみてェにばんばん撃つんじゃねェよ」


気付いていなかった海王類まで寄ってきてしまっている。

“面倒”の二文字がデカデカと顔に書いてあるクザンでも、進行方向にある軍艦を無視して通るのは忍びない。仕方なーく右手を掲げ、空気中に作り出した氷の槍を海王類の頭めがけて射出した。「ハイハイ両棘矛パルチザン」氷の槍が一匹一匹仕留めていくごとに、事態を呑み込んだ海兵たちが歓声を上げる。

分かってんのかねぇアイツら。ここで騒いだらせっかく仕留めても新しいのが寄って来てしまうだろうに。呆れを通り越して疲れてきたクザンは、とりあえず他にも海王類が隠れていないか見聞色の覇気を使った。


「…………あららら? なァんで軍艦にガキ乗ってるんだ?」


そこで、意識の端にいるはずのない密航者の気配が引っかかったのだ。

海に向かって集中していた意識を軍艦の船底あたりに移動させる。ずいぶん狭っ苦しいところに隠れているなァとか、そこまで確認しないのかよとか。いろいろ愚痴っぽくなっていた意識が一気に横っ面を引っ叩かれた。

────“13”、だ。


「はぁ?」


バッカじゃねェの??

十を超える数も侵入を許しているとなると、もはや賊に乗っ取られているのを疑うレベルだ。というか先ほどの海王類への悪手的にそちらの方が幾分マシに思えてくる。

結果は致命的に適当な佐官による杜撰な航海であったわけだが。

降格プラス再教育が決定した。真っ青な顔で敬礼する佐官を伴って、先ほどキャッチした密航者の元へと降りていく。一番船底に近い、下っ端の仮眠室の隣の予備の武器庫。クザンには低すぎる扉の先に、その気配はあった。


気持ち悪ぃ。


ひょろっとした子供一人、小動物のような小さい気配が12。人間はともかく、一ヶ所に折り重なるようにまとまっている小さな気配たちは、ピクリとも動かないくせに“生きていた”。

見聞色の覇気は生きているもののエネルギーや精神を捉える技術であり、物に作用するのはごく一部の特殊な人間のみ。クザンとて人間や動物以外の気配を感じたことはない。つまり、扉の向こうにいるのは確実に生き物なのだ。

死にかけのペットを袋にまとめて持ち歩く狂人、などというゾッとする空想が浮かぶ。重い気持ちをだらだらと誤魔化し、なんでもないように扉を開けた。

覗き込んだ室内には、ひょろっとした子供……のように怯えた青年と、その腕に抱きかかえられた女児がいた。クザンの見聞色に引っかかった子供は一人しかいない。いつの間に増えた? いや、はじめからそこにいたのだ。

クザンが、海軍本部大将青キジが子供一人を見落とした。


そんなことがあって堪るか。


背後の佐官に指示を飛ばし、席を外すように命令してから改めて部屋の中に入る。

逃げ道を塞ぐように扉を閉め、しゃがみこんだ自身の尻でしっかり蓋をしながらソレを観察した。

見れば見るほど生きている子供だった。痩せていながら丸いラインを残した頬。ふっくらとした唇は半開きで、作り物じゃない赤い口内がちらりと見える。長い前髪の下で青い瞳がじぃっとこちらを見つめている。ガラス玉にしてはずいぶんと生っぽい質感をしていた。

人形じゃない。

生きた子供が、クザンの見聞色をすり抜けた。


「まずは持ち物検査しよっか」


ぬいぐるみよろしく女児を抱きしめていた青年がこわごわ頷いた。

青年が背負っていた麻袋には最低限の生活用品と金が18万ベリー入っていた。「どうやって手に入れた?」「賞金稼ぎ、で」「へぇ」と取り調べちっくな会話をしつつ、ついに触れたくないところに目を向けた。

女児が抱きしめているリュックである。


「お嬢ちゃん、オニーサンにその中身見せてくんない?」
「……ん」


意外と素直にこっくり頷いた女児。ずずいと豪快に押し付けられ、生き物の気配が詰め込まれまくった呪物を嫌々つまんだ。

この歳のお嬢ちゃんが、死にかけの動物でお人形さん遊びとかするのかね。

ピクリとも動かない布。しっかり結ばれた入口を解き、異臭に耐える心づもりを終えた。

無遠慮にガッと開かれたリュック。同時に、待ってましたと言わんばかりに中から鳥が飛び出した。


「お?」


狭い部屋を二周ほど飛び回ってから女児の頭に止まった鳥。ワインレッドのハトだ。大きさやシルエットはハトらしいハトのくせに、目玉もくちばしも足指もない。一枚の布がハトの形をしている。──物が生きている。

憮然とした顔のまま、手元のリュックの中身を覗き込み、ひっくり返した。

ゴンッ、ファサッ、コロコロコロ……。

瀕死の小動物が詰め込まれていると予想していたそれらは、凹んだヘルメット、ボロ布、綿がはみ出たぬいぐるみ、飾りボタンや小さな置物、ドアノブ、大量の石だった。

その数11。ハトと、青年を合わせると13。クザンが感じ取った気配と同じ数だ。


「お嬢ちゃん、なんの能力者?」
「う?」
「ま、前に悪魔の実の話はしただろ。変な力が使えるのかって聞かれているんだ」


首を傾げる女児に青褪めた顔の青年が補足する。いくつか簡単な言葉で意思疎通を図っているのは、子供が見た目以上に幼く言葉を知らないことを表しているのか。


「わかんにゃい。ずとまえ、できる、した」
「へぇ」


自我がはっきりしていない歳に食ったのか、何か別の未知の能力か。

どう見ても生き物ではないハトは、相変わらず見聞色では生き物と見分けがつかない。そして、話しているうちに女児の気配はしっかりと見聞色で知覚できるようになっていた。

コイツ、意図的に気配が消せる。


「で、目的を聞こうか。どうして軍の船に密航なんかしたのか。正直に話さないと大変なことになっちゃうよ」
「ぁっ、す、すいません! どうしても偉大なる航路に入りたくて!」
「偉大なる航路に? そりゃまたなんで」


お宝探して海賊気取り、するような豪胆さは目の前の青年にはない。ならば人探しか、迷子で生まれ故郷の島に帰りたい、あたりが妥当だろうか。


「このハトが飛んでいく先に、おれたちが探している人がいて、ついていったら偉大なる航路に向かっていたんです。普通の船は通れないから、軍艦に乗せてもらうしかなくて」
「…………だからって無断乗船はいけないよなァ。見つけたのがおれじゃなきゃ射殺されてたかもしれないんだ。軽率にもほどがあるだろ」
「はいっ、ごめんなさい!」


探し人に導くハト、か。

チラと視線を向けると、その下の子供とガッツリ目が合った。白い髪が上向いたことで滑り落ち、下に隠れていた顔立ちがあらわになる。将来が楽しみな顔をしている、などとふざけるのも躊躇われる。そんな、無機質な視線だった。



「ドンキホーテかいじょくだん」



狭い武器庫が冷蔵庫に近づく。クザンの冷気が一瞬漏れてしまったのだ。

何故って、センゴクやつるが追っている巨悪の芽が子供の口から出たのだ。

分かりやすく雰囲気が変わったクザン。鈍感なのか蛮勇なのか、怖がる素振りひとつ見せずに見つめ返す女児。慌て怯えるのは青年一人だけの怖気が走るような空間だった。


「いい一ヶ月前! に、ルエラが、ドンキホーテ海賊団の一人に大事な物、盗られて! 返してもらう前に海軍の中将さんが護送してしまったみたいなんです! それで、おれたち北の海からずっと追いかけてきてここまで来ました……!」


一ヶ月前。ドンキホーテ海賊団。護送。中将。北の海。

女児から目を離さず、与えられた情報を脳内でパズルのように組み立てる。ドンキホーテ海賊団の幹部が護送されたと言う情報はクザンの耳に入っていないが、つるが北の海に軍艦を出したのはドンキホーテ海賊団の捕縛のためだ。センゴクが極秘で動いている山があるのも小耳に挟んでいる。特に一ヶ月前はピリピリ機嫌が悪かった。なるほど、確かに時期は一致する。


コイツらが嘘をついていなければ、だが。



「そのハトは、護送された海賊を本当に追っているのか?」
「ついてく、いる、ぜたい」
「なるほどねェ……」


生唾を呑み込む青年。肝が据わりすぎていっそ感情が無いように見える女児。

クザンがここで目を離せば、悔しいことにこの女児を見つけることは不可能になる。クザンより見聞色に優れたヤツをすぐに呼び寄せられるのなら話は別だが。まァつまり海軍大将より強い人間ってことになってしまう。

仕方ねぇなァ。本日何度目かの溜息が口から出て行く。クザンを草臥れさせる人間などレア中のレアだ。おれってば一応振り回す側なのにな〜。


「この軍艦はおれが散歩に戻り次第元の軍港にとんぼ返りすることになっている」
「エッ」


ジッと見つめる青色はクザンの動きをつぶさに観察している。いやだねェ最近のガキって。



「お前ら、おれのチャリで三人乗りするつもりある?」




『ダラけきった正義』に自転車三ケツを取り締まる甲斐性なんてないのである。





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