遅効性のフィリア



『あんたにはね、もう一人おねえちゃんがいたの』


四つ子の中で唯一傷だらけのサンジを、レイジュは良く手当てしてくれた。兄たちと一緒に笑う姉が、本当は嫌々笑っているのだと幼いサンジには分かっていた。自分と同じようにいじめられないために姉は守ってくれない。それでも、こうして手当てしてくれるだけで嬉しかった。話し相手になってくれるのがレイジュしかいなかったからかもしれないけれど。

その日はひときわ怪我が多くて、消毒液に悲鳴を上げる時間が長かった。イタイイタイと泣くサンジを、いつも呆れたり小言を言ったりするレイジュが無言で睨みつけてくる。そして、グッと眉間にシワを寄せながら“レイジィ”の話をしたのだ。

サンジが生まれるより少し前に海に落ちて死んだと言った。でも、それから長く黙ってしまったレイジュが、かすれた声でぽつり。──『だれも助けてくれなかったの』

その意味は、当時のサンジには分からなかった。

分からなかったから、こっそり会いに行った病床の母にその話題を振れたんだ。


『おれにはもうひとりおねえちゃんがいたの?』


いつも天使様みたいに笑ってくれる母が、途端に泣き崩れた。


『私が、ちゃんと産んであげられなかったから……! あの子は、レイジィはぁ……!!』
『王妃様、お気を確かに!』
『ごめんなさい、ごめんなさいレイジィ!!』


ベッドの上で号哭する母は、もともと弱い体をさらに壊す勢いで。そのくせ立ち尽くすサンジをベッドに引き上げる力は強かった。

ギュッと柔らかい胸に頭を抱き込まれ、金髪のつむじに涙がポタポタ落ちてくる。『うあ、うぅ、ううう……!』いっそ獣の唸り声にも似た泣き声は、サンジの小さな体を滅茶苦茶にかき乱した。世界で一番安心できるはずの母の腕の中で、サンジは。


“あんたはレイジィみたいにならないでね、サンジ”


姉の忠告は、ささやかな祈りだった。

東の海で戦争が始まったどさくさに紛れ、サンジはジェルマから逃げ出した。父の心無い頼みも、レイジュの背中を押す声も。全部ないまぜに船に乗って、コック見習いとして新しい人生が始まった。

そうして日常に慣れ始めると、何故だか頭の中にもう一人の姉のことが浮かんだ。

会ったことはない。写真もすべて捨てられたと聞く。でもレイジュの双子の妹ならきっと似ているに違いない。同じピンク色の髪にニコニコと可愛い笑顔を張り付けて、無邪気なフリして走り回る。そんな子供は、もうこの世にいないというのに。


“私も人の子なんだな……こんな役立たずでも、我が息子を直接手にかけることはできなかった”

“レイジィは海に落ちて……だれも助けてくれなかったの”


きっとサンジと同じように、レイジィも見逃されて、見捨てられてしまったんだ。

薄いシーツに包まって、自分と同じ失敗作の子供を思う。もう二度と戻らない故郷。覚えている意味なんて一つもないのに、サンジはたまに思い出しては夢に見る。

サンジは、死んでしまったレイジィのためにも、生きて生きて生き延びなければならない。あの父親が失敗作だと捨てた子供でも、生きている価値があるのだと自分で証明していきたい。

幸せになりたい。優しい人たちに囲まれて、幸せに。

握りしめた拳を一度シーツに叩きつけ、それっきり。サンジは息苦しい夢の世界へと旅立った。

それから11年後。仲間と出会い海賊として偉大なる航路を突き進んだその先で、まったく口説く気が起きないメカクレ美女と出くわす未来なんて知らずに。




***




一方その頃の姉。


「あげりゅ」
「ひぇっ」


生首片手にいたいけな青少年を脅かしていた。

軍艦に無断乗船したルエラとドリィは島一つ分進んですぐに降りた。乗る軍艦を間違えたのか、赤いハトが進む道と微妙にズレた方角に進んでいたから。こっそり降りて正攻法で商船の善意で相乗りか巡回船にお金を払って乗せてもらう方向に切り替えた。

青年一人と子供一人。船長の性格によってはタダ乗りできることもあればボられることもある。着古された服装のままだと貧困な移民に見られる。ついでに足元も見られてしまうので、できるだけ人並の恰好をしなければならなかった。

つまり、手っ取り早く金が必要だったわけで。この世界で一番リターンが大きいものと言ったらそりゃあ賞金稼ぎだろう。

ルエラは生首の髪を無遠慮に引っ掴み、ずずいとドリィの鼻先に突きつけてくる。尻餅をついたドリィは声にならない悲鳴を上げた。父に言われるがまま人をぶん殴ったり海に放り投げたりしたが、流石に人を殺した経験はなかった。それが死体を通り越して生首である。


「お、おまえ、ひとをころ、殺し……」


あまりの怯えようにやっと気が付いたルエラは、やれやれと言わんばかりに能力を解いた。昨晩から抱えて眠っていた漂流物のヘルメットだった。

帽子をハトにしたり、ヘルメットを生首に変えたり、ルエラはドリィに能力を隠さなくなっていた。そりゃあハトに変えなければ探し人の元へ行けないし、ドリィには半年間の実績がある。なにって強い者に巻かれろ精神の。ルエラが突拍子のない力を発揮すればするほどキャパオーバーで流されてくれる。実際今だって、再び変化させた生首を震える手で受け取ってくれた。


「はちじゅーまんベリー、くび、もてて」
「か、換金してこいってことか?」
「かかんきぃん?」
「お金に替える、のか? 賞金首を」
「ん、そう」


能力の性質上、生き物しか出せないので、その生首は切り落とした直後の生暖かい体温を保っている。血こそ出ないが、手配書そっくりの顔は今にも恨み言を吐き出しそうだ。

偽物であることにホッとしたドリィは、言われるがまま海軍の基地に持っていき、ものの一時間と少しで80万ベリー……の七割の56万ベリーに換金してきた。殺すと三割減の噂は本当だったらしい。少々額は減ったが、これで今日の午後に出る客船に乗せてもらえる。

何とか進めるなと安堵したドリィは、一拍置いて海軍にとんでもない詐欺を働いたことに気付いた。


「ほ、ホンモノは生きているのに、手配書を取り下げさせて良かったのか!?」


生首が偽物だったことに安心しすぎた結果だ。詐欺の片棒を担がされたドリィもルエラに騙されたと言える。


「はちじゅーまんベリー、よわい。すぐないないすりゅ」
「ないないって」


……死ぬってこと、か?

言いたいことは分かる。北の海は四つの海の中でもダントツで治安が悪い。高額賞金首も多く、80万ベリーなど雑魚にもほどがある。偽物の首を明け渡して手配書が取り下げられたとして、実際に生きている本人は大した悪さをする前に淘汰されるに違いない。

むしろ賞金額が上がることに一種のステータスを感じている小物は、勝手に取り下げられた手配書にかなり動揺することだろう。不正で賞金を得た上で悪気なく精神攻撃をしかける子供にドリィはいろんな意味で戦慄した。


「お前は、人を殺したことがあるのか?」


あまりに死との距離が近すぎる。日常会話の一貫で人の生死の話がシームレスに出てくるなんて。極悪な海賊か、戦時中の軍人か、海兵くらい日常的に触れてきたとしか思えない。

もしかしてルエラは戦災孤児で、少年兵だったのではないか、なんて。


「んーー、んん?」


ゴクリと生唾を呑み込んだドリィ。

熱心に見つめられるルエラといえば、どちらともいえない悩みに唸っていた。

ルエラ・ゾルディックは数えるのも馬鹿らしいくらいに人を殺したが、ヴィンスモーク・レイジィの体は一度も人を殺してはいないから。ルエラとして答えるのならイエスだし、レイジィとして答えるのはノーだ。


「わかんにゃい」


出した答えは無責任。丸投げの誤魔化しだ。

これにはさすがのドリィも不愉快になった。

自分からついてきたとはいえ、ルエラとの旅は訳の分からないこと連続だ。物から生き物を飛び出させる能力者かと思えば、海に落ちても平気で泳いでいるし。最初の軍艦はともかく、他の船も当たり前に無断乗船しようとした時には流石に止めた。

ルエラはおかしな力を持っている代わりに、知識の偏りがありすぎる。つどつど訂正するドリィはなんだか本当の妹の世話を焼いている気分になった。

だから、妹が得体のしれない化け物に変わる瞬間が怖くて、とてつもなく嫌だった。


「おれたちは海賊船にいたから麻痺しているのかもしれないけれど、本当は人を傷付けたり、殺したりしたらいけないんだ」
「なぜ?」
「な、それは、だって、ひどいことだから」
「ひどいこと、ずと、やったの?」


喉の奥が急激に張り付く感覚がした。


「ひどいこと、なぜする、した?」


父が、怖かったから。

海賊が、怖かったから。

純粋すぎる質問の答えはひどく単純だった。

島の人たちを守るために出てきた用心棒を思いっきり投げ飛ばした。
島の人が一生懸命貯めた財産だと知っていて船に運んだ。
襲った後の観光船の船員たちが餓死するかもと分かっていて縛ったまま放置した。

ひどいことだと分かっていながらドリィは手を出した。

彼らは今も、どこかで生きているのだろうか。


「わから、ない……」


即答できる質問を誤魔化した。

ドリィの動揺など無視するように、なんでもない顔でルエラは頷いた。


「いっしょ、だねぇ」


それは、何故だか死刑宣告のように思えた。

片手で顔を覆って、頬にめり込むほど指に力を入れる。脂汗がじっとりと浮かんで気持ち悪い。この行き場のない呵責から、どうすれば逃れられるのだろう。強くなろうと決意したくせに、どうすれば、

その瞬間は、呆気なくすぐにやってきた。


──びゅん。


「グェッ!?」
「え?」


一陣の風と見紛う速さでルエラが消えた。きょろきょろとあたりを見渡したドリィは、路地裏と通りの境目で女児に絞め落されるゴロツキの姿を捉えた。

細っこい枯れ枝のような足が力強く男の肩に振り下ろされる。ゴキリ。距離が離れたここからでも肩が粉砕された音が聞こえた。

汚らしい悲鳴は、いつの間にか噛まされていたボロ布の中に吸い込まれる。肩に乗っていた足がもう一方の肩に振り下ろされる。ゴキリ。続いて両足に。ゴキリ。ゴキリ。そうして既に失神しかかっている男の首に足が、


「っやめてくれ!」


前のめりで、ほとんど転びそうになりながら女児の体に縋りつく。

ドリィの腕の中にすっぽり納まったルエラが、感情の読めない青色を向けてくる。いつものペンキでベタ塗りされたような色だ。感情が読めない。感情がない目。けれどほんの少し、“どうして?”の問いかけが含まれている気がして、ドリィはさっき誤魔化した答えを無理やりひねり出すことになった。


「ルエラが、人を殺しているところを、見たくないんだ」


理由になっていない、ただの感情論で、ドリィのわがままで。きっと答えと呼ぶにはおこがましい。


「人を殺そうだなんて、簡単に決めないでくれ」


「頼むよ……」力の入らない手と同じくらい、弱い懇願だった。

父に殴られるのが怖くて、代わりの生贄を捧げるように犯罪を重ねてきたドリィ。弱くてずるい、逃げてばかりのドリィは、立ち向かう子供が羨ましかった。同じように船員から虐げられていたのに、全然怖がることなく従順に働いて、淡々とした機械のような働きに逆に船員たちが気圧されていた。

たった半年の間に、ドリィはルエラが羨ましくて、ずるくて、怖かった。


「これ以上、おれを置いていかないで……!」


同じだと思いたかった子供が、遠い存在だと気付きたくなかったんだ。

情けなく鼻をすすって泣きそうになる。そんな青年を、相変わらずぼんやりした青色が見上げて、ゆっくりと首を傾げた。


「ないない、しない、よ?」


えっ。

俯いていた顔が上がる。その頬に真っ白い手が添えられた。


「ベリー、くび、ちがう。おかね、かんきんない。むだ」


返って来た答えは、欲しかった答えではなかったけれど。


「ないない、あぶないの、だけ」
「……危ない時の最終手段にしか、手を下さない、と?」
「ん、さいしゅー」
「ルエラも、好き好んで傷付けたいわけじゃなかったんだな……?」
「ん? んー……ん!」


全然わかっていない顔で元気よく頷く。子供じみた誤魔化しのようで、まるでただの子供のようで。血の通わない合理主義に見えて、意外とただの面倒くさがりの不真面目さんではないか。


「なんだ、それ」


ドリィはなんだか、真剣に考える自分が馬鹿らしくなってきた。

「はぁぁ〜〜〜〜……」大きなため息を吐いた後、気絶したゴロツキの上からルエラを抱き上げる。どうして襲ったのか尋ねると、なんでもドリィを狙ってピストルを構えていたのだと。大方、海軍基地で懸賞金を受け取ったところからあとを付けてきたのだろう。こういう時のために換金したらサッサと船に乗る手はずを整えていたのに。

意味もなく人を殺す機械ではない。

そう知れただけで、今は────。

わきの下に腕を入れた抱っこの状態で歩き出したドリィ。抵抗しないルエラは、そのままプラプラと足を揺らして遊んでいる。「こら!」ドリィの一喝なんてなんのその。仕方なくベリーが詰まった袋を持たせて気を引くことにした。ドリィが持つより断然安心なのがこの子供の腕の中なのだ。

なんだか手のかかる妹を持った気分だ。

その妹は、化け物と子供らしさをマーブル状に併せ持った未確認生物だけれど。旅のために偽った兄妹設定が、存外悪くはないんじゃないかとドリィは苦笑した。











かくして船を乗り継ぎ一月かけて旅をした二人は、北の海でもっとも偉大なる航路に近い島にまでやってきた。赤いハトはどう見ても偉大なる航路の方へ羽ばたいている。北の海の中ならともかく、偉大なる航路に入るとなると特殊な経路を通るか、海軍の特別製の軍艦で凪の帯を横切ることになる。

ということで、二人は手っ取り早く停泊していた軍艦に二度目の無断乗船をしたのだった。



「…………あららら? なァんで軍艦にガキ乗ってるんだ?」



見つかった。




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