猫みを感じてウィスパるジャミル



真っ先に思い付いたのはミルキのフィギュアだった。


『触るなよ、豚くんがうるせぇから』


一度だけ、キルアに連れられて覗いた薄暗い部屋。スリープ状態の液晶複数と、デスクに散乱するポテチの袋。それらを囲むように配置された人形たち。本棚に思い思いのポーズを決めるものから、人間大で自立するものまで幅広く並んでいた。あの、動くのに苦労しそうな胸部の膨らみも、凡そ人間の頭蓋に収まるとも思えない大きさの目も、──あるべきではない場所に生えた耳や尻尾も。覚えている。覚えている内に自力で歩ける段階になって鏡を確認した。

耳と尻尾を生やした、見知らぬ女児が映っていた。

暗殺者のルエラ・ゾルディックは死んで、ライオンの獣人であるルエラ・キングスカラーという子供に生まれ変わったこと。ツイステッドワンダーランドなる異世界にいることも、気付くまでずいぶんと時間がかかった。何せ共用語であるはずのハンター語が一切通じなかったのだから。

しかも仕事の関係である程度主要な言語をマスターしていたルエラが、よりにもよって不要だとスルーしていたジャポン語が共用語であるらしい。聞き取れない柔らかい発音の会話。文字なら辛うじて解読できてもヒアリングはどうにもならない。何を言っているのか分からないが、決して良い意味ではないことは分かる異種族の視線を十年受け続けた。繊細とは縁遠いルエラとて気が休まらない日々だった。

何やら自分は厄介者らしいと察したのは、図書室らしき一室に閉じ込められるまでもなく明らかだ。さらに同じように閉じ込められている子供もいて、どうにか接触を試みる。『チッ』舌打ちは世界共通なのだと学んだ。

子供はルエラの今の顔と似た作りをしていた。恐らく美しい部類に入るだろう。前世と同じ長さの白髪はともかく、その下から伸びる茶色は子供と同じだった。ゆえに、この世界での唯一の血縁であろうと判断した。他にも似た顔立ちながら色合いが違う夫妻とその子供に会った。あちらはこの屋敷の主人とその家族らしい。総括して、ルエラと子供はこの主人の親戚で、身寄りがないところを引き取られたのだと仮説を立てた。加えてルエラは明らかに言葉も常識も知らない。なるほど、使用人から厄介者扱いを受けているのも分かる。そこらへんの自覚はしっかりあったルエラは、大人しく言葉と常識の勉強をすることにした。

それにしても、ルエラはともかく何故子供がこのような扱いを受けているのだろう。

本の劣化を抑えるために図書室は日当たりが悪い。薄暗い部屋で子供が齧り付くように本を読んでは何事かをメモしていく。勉強熱心な子供に対して良い顔をする大人は誰もいない。

ここの主人が二人を引き取った理由は、恐らくは跡取りのスペアだ。跡取り息子一人では心許ないのは分かる。女児もセットで引き取ったのは嫁にやるためか、子供の心証を悪くしないためか。だとしてもスペアに相応の教育を施さない理由は? やっていることがチグハグだなぁとルエラは首を傾げた。

ルエラの日課は知っている言語の本をいくつか積んでツイステッドワンダーランドの歴史を学ぶことだ。言葉だって本当は学びたかったが、ちゃんと相手をしてくれる人が誰もいないので仕方ない。子供も勉強が忙しそうだし、長時間動かないのは体に悪いだろうと、たまに声をかけて肩や首をほぐさせてはいるが、言葉を教えてはくれないのは明らかだ。

魔法だの科学だのがごっちゃになった異世界事情をいくら詰め込んでも、ルエラはずっと会話ができないままだった。

だからできることを伸ばすのは必然で、暇潰しに念の修行をしだしたのは仕方ない。問題は、生まれ変わった影響で能力が変わってしまったことだが、使い所がない分、オーラの扱いばかりに時間をかけた。

転機が訪れたのは、正式にここの家の息子が当主に内定した時のこと。子供はいつの間にか大人になっていて、“あにうえ”という単語が子供の名前ではなく兄という意味なのだと知った頃。

ルエラがいつものように就寝前の瞑想と円の拡張の修行をしている最中、端っこに知らないオーラが引っかかった。馴染みのある身のこなしは、どう考えたって元同業者だ。オーラを完全に絶ち、猫よりも猫らしい足取りで追跡。兄の部屋に忍び込んだのを見て、「【なるほど】」

スペアのお払い箱か、と。

それにしたって乱暴だとうかがっていれば抵抗する兄の姿。ターゲットと会話する暗殺者などアマチュアにも程がある。最大限の呆れをあらわに、プロらしくプロの技をお見せしたわけだ。

無様に転がる男を放置して兄を見やる。左目は失明したのだろうか。顔は特に神経が集中しているので痛みもかなり強い。瞼は少し切っただけでも血が多く出る箇所だ。煩わしいだろうと、とりあえず応急処置を施すことにした。


「【画竜点睛フラックス】」


手首に着けて常にオーラを注いでいた石。それを電池にして、オーラが切れるまで無機物を生き物に変える念。前世の無機物から無機物へ変える念が変化した謎の能力を、兄の止血のために使おうとした。

それが何故か目玉になるなんて予想もつかなかった。

無表情の下でたっぷり「?」となっていたのを誰も知らない。ヤケクソで押し付けてみたら意外と機能した謎の目玉にさらに「??????」となったのも誰も知らない。よく分からないまま知らない部屋に閉じ込められた後も人目がないのをいいことに実験しまくったことだってもちろん誰も知らない。

遠くで兄と次期当主が喧嘩しているなんてもっと知らない。

それからどんな心境の変化か、ルエラに教師がついた。見たことのない獣人だったので外部から家庭教師を雇ったのだろう。口の動きや“ひらがな”から始まった授業は、一月もしないうちに“漢字”を覚える段階に移行した。教師は面食らっていたが、ルエラにとって文字よりも会話の方が問題だった。何せ舌の長さ、厚さが前世と違う。妙にもつれるというか、持て余すというか。発音が覚束ず、ヒアリングをどうにかクリアして十歳前後の語彙を覚えた。

さあ後は書取りをどうにかするぞと教師が燃えたあたりで入学案内が届いた。

ナイトレイブンカレッジ。夜のワタリガラス寄宿舎学校。常々思っていたが何故ジャポン語が共用語なのにネーミングは別の言語なのだろう。ツイステッドしている世界だからか?


「ルエラ、お前には男のフリをしてナイトレイブンカレッジに行ってもらう。いいな?」
「はい、オウサマ」


何やら意味不明な単語が聞こえたが、上から言われれば頷くのがルエラである。最近はつっかえつっかえ敬語っぽいですます口調を使える程度には言葉を覚えていた。

親戚だと思っていた家族はどうやら王族で、次期当主だと思っていた男は今や一国の主、王様であると学んだルエラ。恐らくは王様との関係は従兄弟かその辺りで、引き取られた兄と自分は一応は王の子としての席が用意されている、と。

ルエラにとって、家族とは全てである。ゾルディック家という暗殺一家の傍流に生まれ、恨みを買う仕事を続けてきた矜恃。友は作らず家族で連む。家族とは血縁であると同時に国である。上の命令を忠実に聞き実行するからこそ国は成り立つ。ルエラには魂の髄まで家父長制が刷り込まれていた。

今までは唯一の家族である兄を長に置き命令を聞いてきた。その兄が遠くにいる今、仮の長として王様に従っている。王様が言うなら従うしかあるまい。


「本当にいいのか? 確かにレオナがいるが、男子校だぞ?」
「? はい、だいじょぶ、です」


何故命令した側が確認してくるのか。しつこく聞いてくる王様に対してうんうん首振り人形を続けた結果、渋い顔でため息を吐かれた。


「ルエラはぼんやりしているからなぁ。兄は心配だよ」
「? 兄上、どこ?」


急に兄という単語が飛び出できたので、ルエラは兄の姿を探す。兄が帰ってきたのかと静かに興奮する妹と反対に、「私も兄なんだが……!」と王様は顔を覆った。よく分からない人だ。


「学校、なにする、行く……ます?」
「ああ、いや、お前にも対等な人との関わりを学んでほしくてな。レオナがいるところなら安心できると思ったんだ」
「タイトー、なにです?」
「友達を作ってほしいんだ」


友達。暗殺者にとって要らないものだ。少なくともルエラは必要だと感じたことは一度もない。

けれど今は前世の暗殺者ではなく、曲がりなりにも王女。夕焼けの草原という国の上に立っている人間なので、考え方を変える必要があるのも分かる。王女が友達を作る理由。……もちろん、人脈作りと嫁ぎ先の選定だ。

なるほど。嫁ぎ先か。

男のフリをして友情を育みつつ相手のお国事情や好みを探り、卒業後の結婚に繋げる。貴族や王族の婚姻は利害の一致で成り立っていることくらい承知していた。言葉が不自由でまだ非常識なルエラにこの国の人間が身骨を砕いて縁談を持ってくるとは思えない。きっと自分で婿を探せという上からのお達しなのだろう。


「そうだ、寂しくないように写真を撮ろう。この兄とツーショットだぞ」
「? 兄上、いない」


深く頷く妹がどんなとんでも発想をしているのかも知らず、2回目の被弾で顔を覆った王様だった。そして後日、男のフリをするために手始めに髪を切った妹を見て男泣きする未来が来ることも王様は知らない。ブラックボックスとは中で何が起こっているのか分からないからブラックボックスなのだ。



さて、ナイトレイブンカレッジにてスカラビア寮に組み分けされたルエラは友達作りを張り切っていた。張り切っていたのに「【なんか違う】」とハンター語をこぼすくらいにはなんか違った。

男子校だけあって少々荒いスキンシップがあるが、前世の知人のグループにお邪魔した際、荒っぽい男衆の遊びを見たことがある。腕相撲とか、賭け事とか、かけっことか、プロレスごっことか。それに野次を飛ばすのも見たことがあったので、参考にしつつクラスメイトと交流を深めようとした。


「いっででででぁあやめ折れる折れるやめでぇ!」
「キングスカラーッッ!!」


担任のトレインに怒られた。

ただの腕相撲なのに。何故かクラスはしーんと静まり返っていて、さっきまで楽しそうにベタベタしてきた獣人のクラスメイトは今や泣きながら倒れている。賭け事だってしてたのに、財布だって丸ごと賭けたのに。元気な野次は一切飛んでこないし、代わりに飛んできたのは先生だけだ。

力加減を間違えたんだなぁ。ぼんやり「ごめんね」したら、何故かそのクラスメイトとは一生目が合わなくなった。不思議。

お国と違い、この学校には多種族が入り混じっており、獣人属もいれば人属もいて、化けてはいるが人魚もいるし、前述のどれでもない種も紛れているのだとか。兄が言っていた“トカゲ族”はどこにいるのだろう。魔獣とはどう違うのかと純粋に興味はあったが未だに会えてはいない。とにかく獣人属より人属は脆く、「お前の馬鹿力で死人が出るぞ」と兄に注意されていたのを思い出す。意図しない殺人などプロ失格なのでキッパリ「だいじょぶ」しといた手前、今回のことはちょっとだけ落ち込んだルエラである。


「血は流させるな」


とは兄の命令だ。

血は流さずとも殺す方法なんていくらでもある。コップ一杯の水で溺死も、金属プレート1枚でショック死もできる。そういうこっちゃないのくらいルエラは分かっているから“軽く”手を当ててるのだ。

兄が美しい容姿に見合った繊細なヒトであるのをこの十五年で理解していた。(ちなみにこの所感を自寮の副寮長に伝えたところ「マジか」とお墨付きをいただいた。マジだよ) 繊細な兄をあまり刺激するのもいかんだろうと、当たり障りのない内容を便箋に書き連ねる日々。国にいた頃からの習慣である。顔に出さずとも寂しいのだろう。けれどあまり良い思い出がないお屋敷のことを話しても仕方ないと、“This morning was cold.”だの“Autumn fruits tasted good.”だのどうでもいいことばかり数行書いて渡していた。

しかし学校のこととなると話は変わってくる。一応は友達作りのために来ているのだから、最低限の登場人物が必要になった。

友達いないルエラに気兼ねなく話しかけてくる相手なんて、寮長のカリムと副寮長のジャミルしかいない。


「ルエラ、いつもの頼む」
「ん、はい」


ルエラの最優先命令権は兄が持っているが、学校引いては寮においては兄の代理として寮長のカリムが最優先になっている。しかしカリムはルエラを「レオナの弟は俺の弟みたいなもんだ!」と弟扱いしてくるので命令のような縛りを口にしない。「ジャミルの方が詳しいな!」「ジャミルに聞いてくれ!」「ジャミルの言うことに間違いない!」と言われれば、必然カリムではなくジャミルに命令権が移っていく。なので実質、スカラビア寮でのルエラの飼い主はジャミルになっている。

ダボついたセーターの袖をまくると、現れた腕にはブレスレットやミサンガがビッシリと巻きついている。その内の一つを抜き取り、カリムの私物のターバンにくくりつけた。じわりとオーラが布に移っていくのを確認して、呪文を唱える。


「【画竜点睛フラックス】」


金色の刺繍が施された布が一人でに丸まり、ふるりと蠢いた後に一羽の白いオウムとなる。刺繍がそのまま模様として浮かんだ羽。気高さを感じさせる一羽は二、三度ほどその場で羽ばたき、勢いをつけて青空へと飛び立った。オーラを一週間分注いだミサンガが電池となり、ターバンだったオウムは優雅に持ち主の元へと翔ていく。その後を追って二人は鏡を潜り、校舎を抜けて外に出る。辿り着いたのは運動場の傍。校舎側からは死角になる木々の合間でカリムは昼寝をしていた。


「カリムめ……」


両腕を組んで仁王立ちするジャミル。オウムを元のターバンに戻してミサンガを回収するルエラ。無機物を生き物に変える魔法は、カリムを探す点においてスカラビア寮で大変に重宝されていた。ペーパーナイフ代わりに羽が刃物になっているキメラ蝶を作り出した時はかなり悲鳴を上げられたが。


「よくやった」
「ん、はい」


わしゃわしゃと髪をかき混ぜられる。こうすると安心感を覚えるのは、兄の手を思い出すからだろう。

暗殺一家とは無縁の家で、異端児としての扱いを受けた際に学んだこと。それは己の立ち位置。家の仕事を完璧にこなす暗殺者には感情も愛想も友もいらなかったが、両家の子女はその限りでないことを理解している。十歳までロクな教育を受けられなかった王女に求められるもの。それは周りに気に入られる愛想。──愛嬌に違いない。

さて、ルエラにとって愛嬌があるものとは何だろう。しばらく考えて出た答えは、ゾルディック家の飼い犬のミケだ。

ミケはロボットのごとく忠実に飼い主に従う番犬であった。下手なアパートよりも大きな白い巨躯。光を通さないガラス玉のような黒目。広大なククルーマウンテンを駆け回り侵入者を見つけたそばから喰い殺す怪物。鋭い牙と爪を持った犬は、しかし飼い主や客には大人しく撫でられてくれるいい子だ。普通の犬に比べれば反応が薄いかもしれないが、それを抜きにしても可愛らしい。その愛らしさでもって“侵入者は殺せ”という命令を無視して“喰い”殺しても「太るよー」程度で許されていた。あれは愛嬌の為せる技だ。

ルエラが目指すべくは、ミケの愛嬌ではないか。

深く納得してからは、飼い主である兄、仮の飼い主である王様、カリム、ジャミルには率先して頭を撫でることを許した。それで愛嬌が買えるなら安いものだと、ゾワゾワする耳と尻尾以外はどこを触っても許している。触られる相手を限定することで従順さの証とした。愛嬌ある番犬になりたいのであって誰にでも腹を見せる馬鹿犬にはなりたくないので。ベタベタが行き過ぎた輩に痛みで分らせているのはそういうことである。


「ジャミル、せんぱぃ、もっと」
「しょうがないヤツめ」


それがジャミルを増長させる結果になるとは。



「お前の主人は誰だ? うん?」
「…………」


虚ろな目で褐色の手に懐く。指で顎をくすぐると、なんだか嬉しくなって目を細め、耳を擽られれば頭を擦り付けた。人語を話さないルエラはさながらあまり鳴かない飼い猫でしかなく、ジャミルの瞳は仄暗い愉悦に満たされていく。


「いい子だ、お前はいつも俺の言葉に従順だったな」
「…………」
「そうだ、お前の主人は俺、飼い主は俺なんだ。分かったな、ルエラ」


肯定の代わりにペロリと指を舐めた。


数時間後にライオンの本性を現すまでの儚い子猫である。




***




「瞳に映るはお前の主人、」


ジャミルがルエラにユニーク魔法を行使した回数は3回。1回目はレオナへの手紙を書く際に、スカラビア寮のホリデー居残り合宿の件を伝えないように操作した時のこと。

間違いはその最後に起こった。いつもの慣れでルエラを撫でたジャミルの指が誤ってライオン耳に触れたのである。指を折られかけた時の痛みを思い出し音速で手を離したジャミル。しかし返ってきたのは撫でられなくなって不満そうな緑色の目だった。そこで魔が差したジャミル。慎重にゆっくり恐る恐るヤケクソで不可侵の領域に触れ、くすぐった。

ルエラは目を細めて擦り寄ってきた。何故ならその瞬間だけ、ジャミルの手は飼い主の手で、つまり兄の手であるから。愛嬌を見せつけるべく媚びる対象の手であったから。兄に似た美しい顔をほんわり緩めて喉を鳴らしたのだ。


────ぞくぞくぞくっ。


その瞬間、ジャミルは自分が猫派である新事実を知った。

数日が経ち、ウィンターホリデーが始まり、カリムを追い落とす計画の幕が上がっても、時たま思い出してはライオン耳を探してしまう。またあの耳に触りたい。こしょこしょしたい。ほんわり笑って柔らかい頬に懐かれたい。普段はクタクタのメタメタに振り回されて、意趣返しに使える時だけいいように使っていたヤベェ後輩だが、今は余所ん家の飼い猫に見えて仕方ない。

決して自分ちの子にはならない猫である。王族で、兄王子のレオナにいっとう懐いている。分かっている。理解している。でも、でも、と。


「ほら、ここがいいのか」
「……うー、むむ……」
「いいのか、よしよし、お前の主人が可愛がってやろう」
「……ん。ふはっ」
「ルエラはいい子だな、いい子いい子」


これっきり。
もうしない。
ラスト一回。
最後にするから。

監督生を引き入れて一室に監禁した日の夜に、副寮長室に連れ込んだルエラに催眠をかけた。『お前は俺にいっとう懐いている飼い猫だ』理性が強い人、強すぎる分崩れた後は奈落へ真っ逆さま。

ゴロニャンとでも言いそうな(でも決してそれっぽく鳴かない)ルエラを膝に寝そべらせて耳や尻尾を堪能するジャミル。癒された。たとえ昼間の砂漠行進でナチュラルにカリムの象を追い越してオアシスに一番乗りかまされた空気の読めない後輩でも。料理が一切できない上に味見すら全部頷いて「いい」としか言わない後輩でも。猫になれば言葉を発さない。ジャミルの手の猫じゃらしに普段の万分の一の猫パンチをお見舞いする可愛い子猫である。……いや本当可愛いな。黙っていれば顔がいいのは兄譲りか。そうかそうか。

あまり長くやりすぎるとブロットが貯まるし、何より副寮長の部屋に寮生が入り浸るのも変に嗅ぎ回られてはいけない。大変名残惜しく魔法を解いて、「レオナ先輩にちゃんと連絡しておいたからな」と嘘をついた。今頃はまったく帰ってこない弟に痺れを切らして学園長に直談判しているか、それとも放任主義でどうでもよく思っているのか。

揺れる尻尾が部屋の外へ消えていくのを、物欲しそうに眺めたジャミル。あと1回くらいやっても誤差じゃないか? 本気でそう思った次の日、指定暴力団オクタヴィネルを引き連れたヤクザよりもヤクザらしい兄王子がヤクザキックでルエラの部屋の扉を破壊したのだった。


「おら、帰るぞ」
「? 兄上、ごきげんよー」
「挨拶はいいっつってんだろ。毛玉がお前に会いたい会いたいウゼぇんだよ。さっさと荷物まとめろ」


「トドちゃんなんで嘘言ってんの?」「ツンデレ、というものですよフロイド」「あ、知ってる〜アズールのことでしょ」「お黙りなさい」脱走監督生とグリムをダシに鏡舎に来たらまさかのサバナクロー寮長との対面で結果的に同行するハメになった三人である。ちなみに監督生とグリムは後ろの方で空気に徹している。ヤクザキックに震えて声も出ない。


「何をやっているんだッ!」
「ハッ。テメェが言うのかよ、コソコソ砂の下に隠れてずいぶん楽しそうじゃねーか。そんなに寮長の座が欲しかったなんて知らなかったぜ、副寮長」


監督生とグリムの話を聞いて秒で真犯人を炙り出したレオナ・キングスカラー。ガチになるとじっちゃんの名にかけて並みに思考がフル回転する天才の無駄遣い。いえーいキングスカラーのちょっといいとこ見てみたい。そして野次は砂になった。

それから問い詰められたジャミルがユニーク魔法を使ったところを寮生たちにバッチリ見られた上、ネット配信(嘘)で暴露されヤケクソに無理やりユニーク魔法で記憶を消そうとしてブロットが許容量を超過、オーバーブロットするというかなり巻きな展開になった。

「ドッカーーーーン」された直後にレオナがとっさに風魔法とユニーク魔法の合わせ技で砂嵐を作り、空気抵抗で飛距離を短くしたことで帰ってくる時間がかなり短縮され、再び戻ってきたスカラビア寮の談話室の惨状にレオナの方がオーバーブロットしかけた。


「…………ふみゅ」


妹が、
十年以上苦楽を共にした妹が、
ルエラ・キングスカラーが、

洗脳されて男の膝の上に枝垂れがかっていたのだ。


「お前も簡単に洗脳されてんじゃねぇ」


一頻り砂砂パンチで妹の分を打ち込みまくってからのセリフである。「ツンデレだ〜」「ツンデレですね」「ツンデレですか」「ツンデレ……」「ツンデレなんだぞ」「う"ぅ"、ジャミル、死ぬな、いぎでぐれジャミル、ぐずっ」外野がうるさい中、正気に戻ったルエラはボロボロのジャミルの前に片膝をついた。


「ジャミルせんぱぃ」


緑色の目はぼんやりとしているが、洗脳中の目を知っているジャミルにとっては遥かに理知的な色をしている。そんな後輩にジッと見つめられ、己の過去の蛮行がまざまざと思い浮かんだ。それも実は女だった後輩をペット扱いするという非人道的、もっと言うと変態的な行為。あられもない撫で撫での嵐。猫じゃらしでうーりうりうり。……詫びても詫びきれない。

見れば見るほど、レオナによく似たルエラの美貌は中性的な少年よりかはミステリアスな女の柔らかさを持っている。何故気付かなかったのか。気付いていれば不用意に頭を撫でなかったし、猫扱いして膝の上に乗せなかった。指を舐められてニヤけなかった。いや、そもそもなぜ男子校に女子がいるのか。あのカラスは金さえ積まれれば何だってするのか。

つらつらと現実逃避が入った思考の渦にドボンしてしまったジャミル。それを引き戻すようにもう一度、ルエラはジャミルの名を呼んだ。


「ジャミルせんぱぃ」
「……すまなかっ、!?」


白い手がジャミルの顔に伸びる。優しく優しく、まるで母が子を気遣うように頬についた汚れを拭い、慈しむように撫でさすり、──微笑む。ぼんやり理性を残した少女の慈悲は、オーバーブロット後の疲労困憊で死にかけなジャミルに暖かく染み入った。

そうだ、この後輩は確かに常識がない。トラブルはたくさん起こすし、ジャミルが駆けずり回っているのを不思議そうに見てくるのはかなり腹が立つ。けれども一度だって悪意を持って問題を起こしたことはない。カリムなら絶対許さないがルエラならしょうがないヤツだと流せるのは、まさしく子猫の戯れのようなものだから。

ああ、コイツにも先輩を気遣う心があるんだなぁ……。感動していたジャミルは、ルエラの指に例のオーラがこもった紐が巻かれていることに気付けなかった。


「確かにルエラは猫っぽいが」


頬を撫でていた手が髪を撫で、そのついでとばかりに赤い羽根の髪飾りを撫でる。そこに紐が接触し、便宜上、外付け電池の役割を果たせるようになった。

ゆっくりとオーラが染み込んでいく羽根。一日分のオーラを纏わせ、チャージ完了。あとは一言呪文を唱えれば。



「【画竜点睛フラックス】」

「…………えっ」



ジャミルの髪にへばりつく影。
羽根飾りと同じ大きさの、巨大な────蝉。

えっ。


「遊んだ後の虫を飼い主に献上するタイプの猫だぞ」


的確すぎる兄の分析は、高周波の悲鳴によって掻き消された。南無三。





オマケ


トレインは担任クラスの生徒に頭を悩ませている。入学早々に実施した学力テストの答案の一つが、「私はプライマリースクールの教師だったかな?」という悪筆だったのである。しかも語彙まできっちりプライマリースクール。悪ふざけかと思いたかったが、他の提出物も似たような悪筆だったので本気なのだろう。三年の問題児の弟。ぼんやりとしたキングスカラーは、授業態度も真面目だし、何より答案だって何とかギリギリ合格点に到達している。度し難い。眉間のシワを揉んだトレインは、ふと、答案の片隅に消し残しを見つける。光にかざせば、どうやら第二言語。翻訳すると、ちょうど隣のバツの問題の答えと一致した。──どういうことだ。瞬時に復元魔法をかけて消した文字を浮かび上がらせる。一度書かれて消された第二言語は、全て正解。しかも応用ではトレインが意図したものよりも遥かに知識を網羅した内容である。まるでローズハートの答案を見ているようだ。まさかまさかと、トレインは試しに第二言語で問題を作ってキングスカラーに解かせてみた。──結果満点。次に以前にC-の評価をつけて返却したレポート課題『グレート・セブンの偉業について興味がある分野を調べてまとめよ』を改めて第二言語で書かせたところ、論文並みの内容ができあがった。しかも出典がトレインでもお目にかかれない希少文献である。どこで読んだと尋ねれば「うち」と言われ頭を抱えた。王家の蔵書ずるい。同じようなことがクルーウェルの教科でも起こり、職員室ではコンサバ教師とヤンチャ教師が膝を突き合わせて頭を捻る事態になった。キングスカラーは馬鹿ではない。むしろ名門校であるナイトレイブンカレッジにおいて上位に食い込む成績を取れるだろう。しかしそれは第二言語に限ったことで、通常第一言語で行われる授業では並以下の成績になってしまう。天才のために第二言語OKのルールを作るorたった一人のために特例を設けるなんて有り得ない。揉めに揉めた二人は、結局根本的なことを解決しようとミステリーショップへと向かった。


「サム、『子猫でも分かる! ことば辞典・くつした編』はあるか?」
「IN STOCK NOW!」


むしろなんであるの?



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