兄みを感じてロアるレオナ



※日本語が第一言語(会話と筆記)、英語が第二言語(主に筆記)、という捏造があります。




レオナ・キングスカラーには兄妹がいる。

太陽にまっすぐ向かう花のように明るい第一王子のファレナ。誰からも好かれ、頼られ、将来夕焼けの草原を導く王としての期待を一身に受けた王族の中の王族。彼さえいればキングスカラー家の威光は揺るがない。家臣も国民も、父母でさえ声高らかにファレナを讃えた。

第二王子のレオナと、第一王女のルエラを尻目に。

第一王女。レオナの五つ下の妹のルエラ・キングスカラーは、レオナよりもかえりみられることのない王族だった。

それは第一に生まれ持った異質な色彩だ。キングスカラー家は国の象徴たる夕焼けのようなオレンジを、大地のような茶を、木々のような緑を持って生まれてくる。しかしルエラはそのどれとも当てはまらない真っ白い髪を持って生まれてきた。辛うじて耳や尻尾、瞳の色はレオナと同じ色ではあったが、それ故に稀に現れるというアルビノの可能性がなくなり、余計に王女を見る目は厳しいものになった。

実際に調べたところ、100%キングスカラー家の血を引いていたし、髪が伸びるにつれうなじから下すべてレオナに似た大地の色が現れたので、先天的な遺伝子異常の疾患であるという見解に落ち着いた。その説が決定打となったのは、ルエラの言語能力に明らかな障害があったためだ。いくら年を重ねても幼い口調の子猫のような鳴き声を発するばかりで、王族としての威厳など皆無であったのだ。

事実、レオナは妹のことを鬱陶しい子猫としか思っていなかった。


「ぁにうぇ、あにぃうぇ」
「…………」


王宮は薄暗く息苦しい。空は青く、緑は栄え、街を見下ろす窓は無駄に大きい。こんなにも開放的な造りなのに、深く息を吸えた試しがない。兄の笑い声と兄を讃える声から逃げるように、レオナは王宮をさ迷い歩いた。行き着いたのは人気のない書庫。人目を避けるように言いつけられているルエラとは必然的に似たようなところで時間を潰すことが多かった。特にルエラは、不自由な言葉をどうにかしろと不敬者の家臣に口を出され、軟禁に近い形で書庫に入り浸っている。幼いレオナは、兄にはない自身の膨大な魔力をどうにか国の役に立てないかと躍起になっていた。


「にぃうえ、にに、これ」
「うるさい、俺は勉強中なんだよ。遊んでやるのは今度だ」


そう言って、本当に遊んだことなんて片手で数えられる程度だ。

会話も覚束ないくせに、レオナでも難しい第二言語の文献を指し示すルエラ。構われたくて仕方ないのだろう。レオナは気が向いたときに指差された単語の意味を適当に答えてやる。ふにゃふにゃの舌でみゃうみゃう喋る妹はやっぱり子猫だった。

雨季が過ぎた直後の生温い風が、二人の間に吹いていた。

事態が変わったのは数年の後。僅か十代前半でレオナはユニーク魔法を発現させた。触れたものすべてを砂に変える『 王者の咆哮 キングス・ロアー 』。サバンナの獣が忌み嫌う渇きを与える魔法を、嫌われ者の第二王子が手に入れてしまったのだ。

運が悪かったことに、魔法が発現したのはファレナが立太子する目前のこと。

何よりお妃が懐妊したばかりの時期で、ファレナの世継ぎがこの世に生まれ出た年に戴冠することが決まったばかりだった。


「っい、……!」


夜。寝静まった王宮のレオナの自室に招かれざる客が来た。煌めく白刃。見たことのない形の耳。鼻の利くレオナですら気付けなかった隠された体臭。自分の命を狙う家臣には覚えがありすぎるほどにあった。けれど、まさか。あの能天気な兄王子が座する王宮で、暗殺などという蛮行がまかり通ると考える臣下がいるなど。

振り下ろされる白刃。とっさに避けようとして左目に熱が走った。

痛い、熱い、熱い熱い熱い。…………見えない。


「くそっ、ちくしょうッ」
「……なんと口汚い。ファレナ様とは比べるまでもない。やはり第二王子か」


寝台の上でのたうちながらも、耳はしっかりとファレナの名を聞いていた。また兄貴だ。兄貴兄貴兄貴兄貴! 兄貴にできないことができても、どうしたってこき下ろされる。魔法士としてこの上ない才能の証左であるユニーク魔法を作り上げたというのに、人は、民は、国は、レオナを認めない。

何をしても、しなくとも。レオナが第二王子であるだけで、レオナは認められない。殺されることだって仕方ないのだと突きつけてくる。……そんなワケあるか。まだ何もしていない、為せていないというのに。生まれも地位も目の前の男も。全て、全て全て全て全て全て!

──砂に変えてしまえばいい。

暴れるレオナを上から押さえつけて、再び振り下ろされる白刃。今度こそレオナの喉元を寸分違わず狙って落ちる。その刹那、刺し違えても“殺してやる”という明確な怒りが、殺意が、レオナの頭の中を支配していた。



「あにうえ」



子猫の鳴き声がした。


「ぎゃッ!!」


次の瞬間、レオナを押さえつけていた男が消えた。

パチリと着いた電気。急な眩しさに顔を顰めたレオナは再び目を丸くした。寝台の下に転がる斑尻尾の男。恐らくジャガーだろう。尻尾で判断しなければならなかったのは、男が頭から血を流してうずくまっていたからだ。

原因は妹の両手。右手にはペーパーナイフ。刃を潰してあるはずの金属のプレートはてらてらと赤く濡れていた。左手には摘まれた斑模様の耳。そういうジョークグッズかオモチャのように頼りなくプラプラ揺れている。 ──ゾッとした。それらは、耳を切り落とす猟奇行為を妹がやったという明らかな物証だった。

子猫のように鳴くルエラは、確かにライオンだったのだ。


「ににうえ、め、めぇ、ないない」


そこらで拾ってきた木の棒のように凶器と耳を投げ捨て、ルエラはレオナの寝台に飛び乗った。

レオナと比べれば異様に細く生白い腕からブレスレットをブチリと引きちぎり、そのうちの緑色の石を選んだかと思えば、小さな拳の内に握り込み、十秒。


「ふらっくす」


広げた手の上には、レオナのものそっくりの眼球が一つ。コロリと転がって、まるで手品のように短い指の間で弄ばれる。最終的に人差し指と中指で挟まれたかと思えば、そのままゆっくりとジクジク痛むレオナの左目に押しつけ────。


「衛兵! レオナ様の部屋に侵入者が!」


駆けつけた衛兵に小さな体は抑えつけられた。

第一王女が不気味なユニーク魔法を発現させた噂は、レオナの時よりも悪意を持って王宮中に広まった。


『石を目玉に変えるんですって』
『いや、木の棒をミミズに変えたとか』
『獣人属の耳を切り落として人体実験しているのよ』
『なに? 俺は化け物を生み出すと聞いたぞ』
『私いやよ、王族から気狂いが出るなんて。ファレナ様がお可哀想』


「ふざけるな」


見舞いの花束を床に叩きつける。鮮やかなオレンジが部屋中に舞い、花びら越しに見るファレナは相変わらず腹立たしかった。


「なんでアイツが、蟄居させられるんだ」


ルエラはレオナが目の治療を施されている間に、離宮の王族用の牢へと押し込まれた。獣人属の耳や尻尾を切ることは前時代の忌まわしき拷問であり、現行法では犯罪として取り締まられる。ただ今回に至ってはレオナを刺客から助けるための正当防衛として情状酌量の余地は過分にあるはず。どころか十歳そこそこの子供を牢に入れるなど異常の一言に尽きた。

ルエラがやらなければ、レオナが刺客を殺していたのに。


「レオナ、この件は私に、」
「兄貴に任せてどうなる。二度と人前に出られねぇように妹の耳を切り落とすか?」
「そんなこと、私がするわけないだろう!」
「てめぇのお友達がするんだよ! 分かってねぇのか!?」


近くのクッションを投げ付ける。ファレナの胸板に勢いよく当たって床に落ちた。甘んじて受けた、という態度が余計に癪だった。

レオナの喉が恐ろしいほどに低く唸り出す。息は荒く、牙が軋むほどに食い縛ることを止められない。この数年、小さな妹と同じ空間にいた時間が走馬灯のように脳裏を駆け巡った。怒り。怒りだ。ずっと飲み込んできた怒り。今言ってやらないでいつ言えるのか。


「今まで俺たちのこと放置してたくせに、兄貴が王になったらスペアはお払い箱か!? 世継ぎが生まれるから死ねって!? 俺たちは兄貴のために生まれてきたんじゃねぇッ!! こんな時ばっかり後ろ振り返りやがって、憐れみやがって、

──何が兄貴だよッッ!!!!」


握り拳を、何度も何度もマットレスに振り下ろす。本当はファレナに直接叩きつけてやりたい。けれど第一王子と第二王子の溝が、ただの兄弟喧嘩を政治的な不和にまで発展させてしまう。そんなところだけは王族の自覚として教育された。骨身に染み付いた教育は、ファレナの朗らかな顔を曇らせるには十分だった。

そんな顔すら、堪らなく気に入らない。


「兄貴はルエラの好きな食いモン知ってるか」
「いや……」
「だよな、俺も知らねぇよ。アイツまだ猫みてぇな鳴き声のまんまなんだぜ? 笑えるよな、そもそも好き嫌いを伝える術がねぇんだ。言葉なんざ誰も教えてやらなかった。……俺だって、どうでもいいと思っていたのに」


そうだ、あの妹はそもそも法律どころか好き嫌いも善悪も知っているか怪しい。常識がない。何も与えられずに勝手に育った。正しく狼に育てられた狼少女のような不完全な人間に育ってしまったのだ。

狼少女に人間のルールを適合させるなど、理不尽にも程がある。

“兄上”の発音すら覚束なく、それでも気を引こうとレオナを呼ぶ。うなじまでの白髪と腰までのウェーブがかった茶髪。よく聞くためにピンと立った耳と揺れる尻尾。表情は乏しく笑うことも泣くことも知らない。鬱陶しくて、弱っちくて、何を考えているのか分からない。ブラックボックスのような妹、可哀想なルエラ。


「兄貴、お優しい第一王子、偉大なる次期国王サマ。てめぇの妹のことも見れねえ人間が、国を動かせるのか。なぁ! 答えろよ、王様!」


“アイツの好きなもん、教えてくれよ……。”

握り拳が力なくシーツの上に落ちた。

自分のことで精一杯で、妹のことを気にかけてやらなかったのは、レオナとて同じだった。ファレナよりも近くにいて、十分に構ってやれる時間があったのに。レオナは自分が認められるために苦心し続けた。そんな兄を守って、ルエラは牢に入っている。

惨めだった。どうしようもなく、打ちのめされた。

レオナはルエラが目玉を押し付けてきたわずか数秒の奇跡を覚えている。刃が擦り血塗れになった眼孔に目玉が触れた瞬間、左目に視力が戻った。じんわりと滲むように微笑する妹を、初めて近くで見た。あれは奇跡の魔法だ。レオナの命を奪う魔法とは真逆の、物に命を与える魔法。讃えられて然るべき魔法であるはずだ。

それを王宮の人間は気狂い扱いした。

どんな素晴らしい魔法を生み出そうと、第一王子でないだけで何もかもが無意味なのだと。心の底から理解した。理解した後、レオナは決定的に王宮の人間を見限った。何をしたってファレナ以外を認めない人間のために、努力することの無意味さを痛感したのだ。


「お前の言いたいことは分かる。だが、形だけでも罰を与えなければ今後のルエラの立場が危ういんだ。……分かって、くれ」


ルエラのためとファレナは言うが、実際は王宮内の家臣を黙らせるためだとすぐに分かった。それは王として間違った考えではない。王とは国を栄えさせるために家族を犠牲にするような職業だ。国政と家族を天秤にかけ、国政を取らなければならない地位。そんなこと、レオナはできないと思った。

そんな人間にはなりたくない。


──俺は王になれない・・・・


一度思い浮かんでしまえば後は駄目だった。なにを目標に生きればいいか、何を支えに頑張ればいいか。レオナは分からなくなってしまった。日課の書庫にも行かず、療養と称してルエラが牢から出てくるまでの一週間を寝台の上で過ごした。


「ぁにーえ」


ファレナの計らいで懲役一週間の刑で済んだルエラは、あの何を考えているか分からない顔でレオナの私室に来た。レオナの左目は刺客の刃によって視力が低下したが、魔法医術士によって回復して以前の視力を取り戻している。ただ治癒のために眼球を取り出す必要があったため、手術痕として縦に大きな傷が残ってしまった。ルエラはどうやらそれが気になるらしく、執拗に触って確かめようと手を伸ばしてくる。子猫が毛玉で遊ぶような手をやんわりと払いながら、レオナはおもむろに口を開いた。


「兄上、だ」
「あぃうぇ?」
「ちげぇ、あ・に・う・え。言ってみろ」
「あ、にうぇ」
「兄上」
「あにう、え。兄上?」
「そうだ、やればできるじゃねぇか」


ぐしゃぐしゃと。白髪と茶髪の境目が分からなくなるように頭を撫で混ぜる。首をぐりんぐりんされるがままに揺らしながら、ルエラは不思議そうにレオナを見つめた。たまに耳をくすぐってやれば黙って目を細める。レオナが触れた時にしか見れない妹の顔。──初めて、綺麗だと思った。

それから、いろんなことが過ぎていった気がする。ルエラに外部からの教育係がつき、やっと王族らしい教育が施されたこと。レオナが書庫通いをやめて手を抜く術を学んだこと。兄の子が生まれ、チェカと名付けられたこと。一歳になったチェカのお披露目にルエラが呼ばれなかったのを理由に、レオナも式典に参加しなかったこと。──かの有名なナイトレイブンカレッジからレオナ宛てに入学許可証が届いたこと。


「月一……いや、週一で手紙を書け。内容はなんでもいい。必ず寄越せ。分かったな」
「はい、兄上」


ルエラは喋りは人並み以下だが、何故か第二言語の筆記だけはレオナよりも達者だった。初めてルエラの文字を見た時は「とうとうルエラの影武者を作りやがったな」とファレナに怒鳴り込むくらい、端的すぎることを除けば完璧な文章を書く。ルエラが書いたとすぐに分かる、癖のある端的さだ。だからこそスマホが普及しているこの時代にわざわざ手紙を所望した。レオナの言うことは素直に聞く妹は、それから四年もの間、律儀に手紙を送り続けている。

ナイトレイブンカレッジに入学してからマジカルシフトにどっぷりと浸かり、たまの休みに妹の安否を確認しに帰り、王宮とは比べるまでもなく息のしやすい寮で自分の国を作った。マレウス・ドラコニアという化け物が入学してくるまでは、それこそ留年したって長く居続けてもいい場所。──居場所、だった。

その平穏が崩れたのは、三度目の三年生が始まった年のこと。


「ルエラ・キングスカラー君!」

「は?」


夕焼けの草原にいるはずの妹が、式典服に身を包んで闇の鏡の前に立っていた。


「汝の魂のかたちは……スカラビア!」

「は?」


そして何故か、本当に何故か。何も考えていなさそうな顔で熟慮の精神に基づく寮に組み分けされたのだ。


「レオナさん、あの一年、キングスカラーって……」
「………………俺の、兄、だ」
「キョウダイって、弟ぉ!?」


ラギーの驚きの声と耳をそば立てていた在校生など意識の外に置き、レオナはジッとルエラを睨みつけた。いや、正確にはその見た目だ。細くて生っ白いのは相変わらずだが、身長は血筋に準じて縦に伸びた。恐らくラギーくらいはある。が、男というフィルターを通せばやはり弱々しく見える。しかもルエラは髪を──レオナと同じ茶髪の部分をゴッソリと切り落としていた。ちょうど白髪だけ残るように念入りに、うなじまですっかり刈り上げてしまって、レオナと並んでも血の繋がりが分かりづらい。現に何度もこちらとあちらを見比べるミーアキャットの集団が出来上がってしまった。あーウゼぇウゼぇウゼぇ!!

入学式が終わり次第、新入生をラギーに押し付け速攻でカラスの羽を毟りに行ったのは仕方のないことだ。


「クロウリーてめぇ夕焼けの草原の王女の髪切って男装させた挙句に男子校に連れ込むたぁどんな了見だあ"あ"ん?」
「何をするんですキングスカラー君! 教師にこんな横暴、おう、王女ォオ!?」


知らなかったらしい。

ファレナに直で鬼電したところ、「レオナがいるなら安心してルエラを行かせられると思ってな!」などとふざけた回答しか返ってこなかった。一国の王女を飢えたオスの群れに四年間も匿うことになった学園長は、発狂した末に寄付金という名のマドルで叩かれて正気に戻った。「闇の鏡に選ばれたのですから彼女もれっきとしたナイトレイブンカレッジの生徒です!」金は学園長に効く。

その後のレオナといえば、渋々とスカラビア寮長のカリムに手土産片手に挨拶に行く運びとなった。隣の従者の胡乱な目が「こんなのでも兄なんだな」と言っている。隠せねぇヤツだな。


「突飛な言動はあるが、ここの草食動物に比べればまだ素直なガキだ。注意はペットに言い聞かせるようにしろ。最悪第二言語のメモで伝えれば確実だ」
「そっか、レオナも兄ちゃんだったんだな! ちゃんと弟のために動けて偉いな!」
「話聞いてたか?」


結局従者の方に話をつける羽目になった。

それからの学園生活は、レオナが予想していたよりは平穏に、例年通りに過ぎていく。ただ変わったところといえば、スカラビア寮生の会話に自然と耳を立ててしまうことと、植物園の昼寝の時間。


「兄上、こんにちは」
「挨拶なんざいちいちするな」
「ごきげんよー?」
「マナーのことじゃねぇよ」
「ん、どうぞ」


ルエラはナイトレイブンカレッジに来てからも律儀に週一の手紙を書いて寄越す。植物園のレオナの縄張りまでやって来て、わざわざ手渡しで薄い封筒を届けるのだ。

昼寝を邪魔されても不機嫌にならない。ラギーやヴィルあたりが見ればギョッとするような寛容さを見せるレオナは、ルエラにとっては当たり前なのだろう。ペラペラの便箋一枚を律儀にその場で流し読むと、適当に折りたたんで胸ポケットに突っ込んだ。

妹の顔をジッと観察する。髪を切っただけのお粗末な男装。男子校の思い込みがそうさせるのか、未だに女だとバレた話は聞かないが、変な気を起こす輩がいないとも限らない。


「何度も言うが、ヤられる前にヤれ。ただし血が出るようなことはするな。兄貴の顔が恋しいってんなら別だが」
「あにき」
「あー、陛下だ、オウサマ」
「オウサマ。写真ある、いらない」


退学させられないように気をつけろという意味だったのだが、通じなかったらしい。というか、写真……?


「いつそんなもん撮った」
「ここくる前。オウサマ、two-shot.」


ちなみにファレナがルエラに兄弟として認識されていなかったことを知ったのはつい最近だ。ルエラは未だにファレナのことを親戚の王様としか思っておらず、ファレナは必死に兄アピールをしているが伝わっていない。傑作だ。

閑話休題。流石に正当防衛で退学は避けたいので、この弱々しい見た目に反して手加減というものを知らない武闘派の妹はレオナの心配の種である。サバナクローならともかく、スカラビアはカリムの国なので踏ん反り返って口を出す権利はない。だからこそ、やり過ぎない程度の自衛を学んで自分で対処するようにレオナは言い含めた。


「とにかく。喧嘩は正当防衛の範囲内で、言い逃れできる程度に優しく、服の下の目立たないところを殴れ。血は流させるな。分かったか?」
「うん、分かった」


本当かよ。

揺らぎなさすぎるぼんやり顔で頷く妹は、やはりよく分からないブラックボックスだ。

ところで、最近の手紙に“Jamil”の文字をよく見かけるようになったのは気のせいだろうか。ちょっと嫌な予感がしたものの、妹に直接聞くのは憚られる。しっかりお兄ちゃん心に目覚めたレオナだった。

そんなお兄ちゃん風を吹かしたところで、マジフトにかける情熱とマレウス・ドラコニアへの敵愾心だけは人一倍だったので、やることはきっちりやってオーバーブロットと相成ったわけである。


「おじたん、おばたんはどこにいるの?」
「あ?」


怪我人の腹に乗ったままチェカはキョロキョロと辺りを見渡す。そんなことをしなくともここにはラギーとジャック、ハーツラビュルの一年二人に猫型モンスターと魔力なしの草食動物しかいないのに。気狂い王女に未来の王様を会わせまいと苦心しまくった家臣の苦労が、逆にチェカの好奇心を大いに育ててしまったらしい。


「みんながね、お城だとおばたんに会わせてくれないから、おばたんの学校で会おうと思ったんだ!」


何よりここでその呼称を連呼されるのはまずい。

「おばたん?」「おばたんって、女性の職員さんなんかいた?」などと喋り出す一年をひと睨みで黙らせ、チェカに釘を刺そうと口を開いたが、


「ねーねー、僕もルエラおばたんに会いたい!」


遅かった……。


「ルエラおばた、ん……ええ!? ルエラくんって、スカラビアの、」
「あの似てないキングスカラー弟が!?」
「レオナさん、入学式でキョウダイだって言ってたじゃないッスか!」
「待ってくれ。つーことはこの学校、男子寮に王女様住まわせてるのか……?」


「あり得ねぇ」ジャックの正論をクロウリーに聞かせてやりたい。念入りに口止めしながら、レオナは怪我以外の場所も痛くなった。

ちなみにこのさらに二ヶ月後のホリデーにて、後から来るだろうと先に鏡を潜ったものの待てど暮らせど妹は来ず、闇の鏡も完全に封鎖されてしまい、王族専用自家用ジェットで近隣の空港までかっ飛び、慣れない公共交通機関を駆使して賢者の島まで出戻るハメになることをレオナは知らない。

さらにさらに予測不能回避不可能な他寮の寮長殴り込み事件により計画が丸潰れ、ストレスフルオーバーでオーバーブロットが早まることも某従者は知らない。




***




ジャミル・バイパーには目を離せない相手がいる。

まずは主人たるカリム・アルアジーム。朝だろうが昼だろうが夜だろうが。クラスが別でも授業が別でも主人の危機とあらば全速力で走っていって最善の手で助けなければならない。それが従者たるジャミルの仕事だった。

そして今年、いやが応にも見ていなければならない相手が増えてしまった。一年生のルエラ・キングスカラー。三年のサバナクロー寮長レオナ・キングスカラーの実弟にして夕焼けの草原の王族である。

当たり前だがレオナがカリムのように目を離すなと命令したわけではない。先輩とはいえ他国の縁もゆかりもない王族にタダ働きさせられるほどジャミルなお人好しではない。ただ自主的に、仕方なく見ていなければならない状況に出会してしまった。

ジャミルは災難だった。

スカラビア寮の人気のない廊下。人数の都合か王族のコネか、一番端の一人部屋を当てがわれたルエラの部屋から悍しい悲鳴が聞こえてきたのだ。数人の上級生と駆けつけたところ、ルエラの部屋の前で真っ青になって転がる寮生、獣人属の三年と、けろりとした顔で立つルエラ。三年生は明らかに男の急所を押さえて震えている。見ている方も思わず同じところがヒュンとした。


「血、出てない。No problem.」


問題アリアリだが?

どうもサバナクロー生、特にレオナに恨みがある獣人の寮生が逆恨みでルエラで憂さ晴らししようと企んだらしい。加えてルエラは夕焼けの草原の住人にしては細くて生っ白い男だったので報復にはちょうど良いと標的にされた。結果は無慈悲なひと蹴りで男の矜持を傷付けられたわけだが。

ルエラは確かに弱々しい見た目をしている。レオナに似た美しく色気のある顔立ちながら、肌の色や華奢な体躯が儚げで、組み敷けば抵抗なく首を絞められるイメージが脳内に浮かぶ。ちょっと別の扉を開きかけた輩もいたが、熟慮の精神に基づき頭を打って忘れたらしい。よっ、熟慮の鑑。

最初の段階でジャミルはレオナにルエラの被害のことを報告しようか悩んだ。しかしレオナは夕焼けの草原の伝統的な首飾りを手土産にカリムに挨拶に来た。「頼む」と言われ「おう!」と返した手前、事件が何度もありましたとバカ正直に言えばカリムの、引いてはアジーム家の評判に傷が付く。ジャミルは黙っていることにした。その代わり、これ以上ルエラの被害者が出ないように駆けずり回る日常が待っていたのだが。


「待てルエラ。ソレはなんだ今度は何があった」
「うん? お金ほしい言った。うるさい、さよならする」
「気絶してるヤツにトドメを刺すな!!」

「ルエラ、落ち着け。その手を離すんだ。何をする気かまず教えてくれ」
「うん? 尻尾すりすり、邪魔。むっつ折る」
「折るな折るな!!」

「ルエラルエラルエラ! その足を退けろ今退けろすぐ退けろ!!」
「うん? いらないもの、ないないする」
「見てる方が痛いんだよ男なら分かれッ!!!!」


カツアゲだのセクハラだのセクハラだのをすべて害意とみなしてカジュアルに撃退するルエラ。なんでもレオナに言われたから実行しているらしい。あまりにも従順に曲解して迎撃している。仲裁に入って疲れ切ったジャミルに「いいこいいこ」する手は本心かららしく、余計にタチが悪い。

そもそも、初対面から歩き方が異様に静かで気配が薄いこの一年を、ジャミルは夕焼けの草原からの刺客かと疑っていた。それが蓋を開けて見ればただの悪意ゼロ迎撃マッシーンとは誰も思うまい。夕焼けの草原の王族に三男坊がいたなんて聞いたこともなかったため、きっと事情があって秘匿された人間なのだろう。

異様に白い肌。生気の薄い空気。言葉がカタコトの割に第二言語は達者で、なにより成績も悪くない。不思議を詰め込んだブラックボックスのような後輩は、絡まれなければナイトレイブンカレッジには珍しい優等生だ。


「お前、従者はいるか?」
「じゅ?」


いないだろう反応だった。

白い子猫でも触るように頭を撫でてやる。最初は無意識に撫でてしまい、「他国の王族になんてことを!」と戦々恐々としたが、ルエラは撫で方に不満があったのかグイグイと頭を押し付けてきた。レオナが言う「ペットのように言い聞かせろ」とは言い得て妙だと思った。だからジャミルは、たまに気が向くと手慰みに白い髪をかき混ぜている。……耳を触った瞬間に指を折られかけたので、そこは細心の注意を払って。

王族の中でも恐らく不遇の部類に入るだろう第三王子。まあ、他の奴らに比べればそれなりに可愛い後輩を、ジャミルは利用することにした。

ホリデー中に他国の王族を拘束するカリム、という字面だけではあり得ない国際問題に発展しかねない。だが、ルエラは他の夕焼けの草原出身者に聞いても存在が周知されていない人間だ。問題にはなっても国交断絶まではいかないだろうと判断した。

自由のために、カリムを追い落とす。

ひっそりと鎌首をもたげる蛇は、目の前の子猫が実はライオンであり、兄ライオンがいることをすっかり甘く見ていたのである。


「『王者の咆哮』! 『王者の咆哮』! 『王者の咆哮』!」
「すごい、三連続でジャミル先輩の蛇の攻撃を無力化した」
「俺のユニーク魔法いらねーじゃん」
「フロイド、こんなところで拗ねないでください」
「くっ、直近の嫌な記憶が蘇る……僕の契約書……っ!」
「ジャミル……死ぬなジャミル!」


棒立ちの監督生とグリムとオクタヴィネル三人組が観戦し、カリムが涙目でジャミルのオーバーブロットが治るのを祈る中。兄王子による砂砂パンチが無限に「これは妹の分ッッ!!」し続けたのであった。



「いもうと……妹? まさか、お、女?」



あっ。




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